性欲から始まる初恋物語   作:島流しの民

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第三話 間違い

 

 気が付いたら、紙束が床に広がっていた。

 何が起きたのだろうか。何に起きられたのだろうか。

 

 中庭で佇んでいる彼女を見た瞬間、まるで雷に撃たれたかのような、鋭い、しかしどこかくすぐったいような痛みが僕の体に走ったのだ。

 

 

 何をすればいいのか、脳の処理が追い付いていないので、とりあえず足元に咲いた紙の群れを眺めていると、凛とした声が渡り廊下に響いた。

 

「紙、拾わないの?」

 

 

 それが僕に向けられている言葉だと、一瞬気づけなかった僕は惚けた表情で彼女の顔を見てしまった。

 

「……え?」

 

 中庭にいた、彼女だった。

 銀の髪をまっすぐに下ろし、金色に輝く瞳は確かに僕を射抜いている。

 

 この声、確かに今朝僕らに声をかけたあの少女だ。

 

 少女は何も答えない僕を不審に思ったのか、柳のように綺麗な眉を顰めて僕を見た。

 

「……貴方、今朝暴力を振るわれてた人よね。こんなところで何してるの?」

「あ、別に……紙を職員室に運ぼうとしていただけです」

「そうなの。手伝うわ」

 

 銀色少女は僕の前でしゃがむと、おもむろに紙切れを拾い始めた。

 紙の上を這う白く美しい指をぼうっと見つめていると、彼女が困惑した表情で僕を見上げた。

 

「あの……手伝ってくれないかしら? 一応貴方のものなんだけれど……」

「あ、すみません」

 

 流石に立ち尽くしているのは失礼だ、僕は急いで中腰になると、散らばる紙を一つにまとめた。

 

 紙の回収が終わった彼女は、僕の腕の中にすっぽりと収まっている紙の束を見て眉を顰めた。

 

「それにしても、多いわね。職員室までなら手伝うわ」

「……ありがとうございます」

 

 紙を抱えたまま器用にお辞儀をすると、銀色少女が戸惑ったように白く滑らかな首を少し傾けた。その際に、彼女の肩にかかっていた銀の髪が、夕日に照らされて煌めきながら滑り落ちていった。

 

「……あの、私達同級生よね? 別に敬語なんていらないのだけど」

「……僕の癖みたいなものなので、気にしなくてもいいですよ」

「そうなの……じゃあ行きましょう」

 

 納得してはいないのか、少し不服そうに目を細めた彼女は、それでも何も言わずに紙束の半分ほどを持って歩き出した。

 遅れないようにと、少し急ぎながら後を追う僕。

 

 そんな僕の頭に、どこか冷静な僕の声が、響き渡った。

 

 

 

 ──―今日はこいつに性交渉をしよう。

 

 

 

 

 

 僕はその言葉を脳内で噛みしめながら、目の前を歩く彼女の華奢な姿を見つめた。

 

 

 なんだろう、正直、今日はそんなことしたくなかった。

 いつもなら話したこともないような、赤の他人にだって迷わず突っ込んでいく僕なのだが、彼女に対してはそんな気分になれなかった。

 

 何故だろうか、何故僕は戸惑っているのだろうか。

 名のない感情が、僕の心にするりと入り込んで暴れまわる。

 

 そんなよくわからない心に戸惑っていると、さらに頭の中で誰かが僕に囁きかけた。

 

 

 

 ──―なんで性交渉したくないかって? それはこいつが上玉だからだろ。さあ、さっさとしてしまおう。いつもみたいに人間らしい行為をすればいいだけじゃないか。

 

 

 

 そうなのだろうか……僕は、本当に彼女が上玉だというだけの感情でこんなに戸惑っているのだろうか。

 わからないが、何か違うような気がする。

 

「扉、開けてくれない? 私手がふさがってるから」

 

 悩んでいるうちにどうやら、職員室についたらしい。銀色少女は紙を両手で抱えながらこちらを見ている。

 

 扉を開け、教師に紙束を手渡し外に出る。

 すると、すぐに銀色少女は僕の教室とは反対方向へ歩き始めた。

 

 どうやら、用事があるらしい。

 

 

(もう行ってしまうのか)

 

 

 何故かはわからないが焦り始めた僕の心に、再び性交渉をしろという声が響き渡る。

 

 

 

(どうしようか……本当に悩む)

 

 

 しかし現実は非情で、勝手に悩んでいる僕を残してずんずんと時間は進んでいく。

 

 何も言わずに歩き去る彼女の背中に、僕は何も声をかけることができなかった。

 口を開こうとしても、まるで唇に瞬間接着剤を塗りたくられたかのように口が動かなかったのだ。

 

 動けない僕を置いて、少女は姿を消してしまった。

 

 

 

 

 

 結局僕は、彼女に性交渉をすることが出来なかった。

 

 

 

 

 心をチクチクと刺激するよくわからない感情を無視して、僕は教室まで歩いて行くのだった。

 

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 

 

 ちゃぷん。

 やけに大きな湯船に静かに広がる波紋を眺めながら、放課後のことを考える。

 

 何故僕は彼女に一言言えなかったのだろうか。いつも言っているように、ヤりませんか? と。

 

 

 結局、バイト中ずっと考えていたにもかかわらず答えは出てこなかった。

 風呂に入って頭を柔らかくしたら答えが出てくるかと思っていたが、どうやら関係はなかったらしい。

 

 湯気が立ち込める風呂の中で、天井を見上げながらぼんやりと考える。

 

 

 

 彼女の名前は、なんだろうか……。

 

 

 何度か見たことはある。廊下などですれ違ったこともあるし、実際性交渉をする人の名を書いたリストにも載っていたと思う。

 しかし、名前が思い出せない。

 

 今まで頼み込んだ女生徒の名前なんて気にもしてなかったけど……何故か今回はやけに気になる。

 

 これも、あのよくわからない胸騒ぎのせいなのだろうか。

 

 多分、彼女に性交渉を頼めなかったのもその胸騒ぎのせいなのだろう。

 

 

 まあ、その胸騒ぎの原因はわからないのだが。

 

 何度浮かび上がったかわからない疑問が、僕の頭の中でファンファーレを吹きながら行進を始める。

 

 

 

 不意に、天井にへばりついていた結露が僕の頬に当たり流れていった。

 その冷たさに目を細めながら、僕は考えることを諦めるのだった。

 

 やめよう、どうせ悩んだところで答えは出てこないさ。

 

 

 結局風呂の中でも疑問は解けないまま、時間と汗だけが流れていった。

 

 

 

 

 

 

「ただいま……おやすみ……」

 

 帰ったと同時に布団に倒れ込む。時計を見ると、もう十時である。課題をしなくてはと思いつつも、襲い掛かってくる睡魔には勝てそうにもない。

 

 瞼を閉じながら、積もり積もる問題と意識を手放した。

 

 




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