性欲から始まる初恋物語   作:島流しの民

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第六話 間違い

 

「いらっしゃいませ」

 

 気の抜けた声が、コンビニの中に響き渡った。自動扉が開き、何を買いに来たのかもよくわからない客と共に暖かい春の風と桜の花びらが舞い込んでくる。

 

 店内に忍び込んできた数枚の桜の花びらを掃除しなくてはいけないことに気づき、少しうんざりするが、宙を舞う花びらの美しさに心が満たされていく。

 

「あの……お願いします」

「あ、すみません」

 

 花びらに気を取られていて客が来ていたことに気がつけなかった。

 ちゃんとしなくてはと思い客の手を見てみると、そこには成人用の雑誌が握りしめられていた。

 

 

 その雑誌を見る僕の顔には、全ての店員の義務である笑みはない。

 

 

(本当に……こういうのを買う奴って、何を考えているのだろうか)

 

 

 表情には出さないように、さっさと会計を済ます。商品を受け取った男は、逃げるようにコンビニから出て行った。

 

 その後姿を見ながら、僕は吐き捨てるように呟いた。

 

「あれが人間っぽいってのなら……僕はこのままでいいかもな……」

 

 

 

 

 

 客のいなくなった店内を見渡しながら、不意に放課後のことを思い出した。

 

 

 今井さんが言った言葉……僕が湊さんを好き……か。

 

 好きとは一体どういうことなのだろうか。

 胸がドキドキすること? 

 顔がかあっと熱くなって赤くなること? 

 何かもどかしいような、胸に何かがつっかえているような気持ちになること? 

 

 

 それが好きという感情だというのならば、僕は湊さんのことなど好きではないだろう。

 

 彼女を見たからといって、何か特別な感情が心の底から湧き出てくるわけでもないし、愛しくなったりするわけではない。

 

(そもそも、好きという感情は一体全体どういうものなのだろうか)

 

 ふと、目の端に映った少女漫画を手に取ってみる。

 ページを開くと、やけにファンシーでキラキラしているキャラクターたちが何やらもめ事を起こしていた。

 

 三角関係やらなんやら……。

 

 パラパラと数ページ読んで、僕は本を閉じた。こんなものの何が楽しいのだろうか。

 

 

(好いたやら好かれたやら……労力の無駄じゃないか……)

 

 漫画本を元あった場所に戻し、再びレジに戻る。

 

 

 そして、ぼんやりと虚を見つめながら相変わらず今日も願うのだ。

 

 

 

 

 世界よ、願わくば滅亡してくれ、と。

 

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 

 

 

 

 朝である。

 

 平日最後の日とあってか、校門をくぐる生徒たちの表情も心なしか少し明るい。

 だが僕の心は暗雲がかかったようにどんよりとしていて、まるで少し曇り気味の今日の天気を表しているかのようだった。

 

 

 

 あれから、湊さんのことを考える度に心の中で冷たい僕が囁いてくるのだ。結局お前は、彼女と何がしたいんだと。

 

 

 考えれば考えるほど、考えなければ考えないほど僕の心は沈み、気が付けば満足に息もできないほどになっていた。

 

 もちろん、普通に呼吸はできるわけで、と自分の心を馬鹿にしながら、深呼吸して校門をくぐる。

 

 

 歩きながら、僕は考えた。

 

 今日、何かに起きてもらおうと。

 

 自分から何かを起こすなんて、まっぴらごめんだ。

 

 

 

 

 教室の扉を開くと、またもや教室内が静まり返った。

 

 

 多分、昨日僕が暴力を受けそうになったことが皆に知れ渡ったのだろう。

 

 昨日とは打って変わって僕に集まる同情の視線を見ないようにして、席に座る。

 そのままうとうととしていると、授業が始まった。

 

 

 

 

 

 

 教師たちは何故僕達を教えているのだろうか。

 不完全は不完全を教えられない。こんなこと、小学生だってわかっている事実である。

 

 今現在目の前で簡単な計算ミスを連発している教師を見ながら、僕は鼻で嗤った。

 

 

 

 不完全が完全になることなど、不可能である。いくら勉強をしたとて、彼女を作って楽しく過ごしたって、僕達を「完全」へと導くピースは手に入れられないのである。

 

 教師がいい例だ。大人になっても不完全な奴らばかり。これでよく僕らを教育しようと思ったものだ。

 案外、教師というのはそういうことを実際に見せて覚えさせるためにあるのかもしれない。

 

 なんて、全世界の教師から憎まれても仕方がないほどのことを頭の中でぼんやり考えながら、僕はちらりと窓辺を見た。

 

 不意に、突然教室に吹き込んできた風が、窓辺を死守していたカーテンを吹き上げた。

 それと同時に、外の景色が見える。

 

 

 柔らかい日差しが降り注ぐ暖かい校庭の中、見知った顔が見えた。

 

(あれは湊さん……? 体育の授業でも受けてるんだろうか)

 

 思わず見入ってしまうが、授業に集中しろとでも言いたげなカーテンが外の景色を遮ってしまった。

 

 

(まあ僕には関係ないことである)

 

 教室内に視線を戻し、黒板を見てみるが、先ほどから大して変わっていない。

 

 しかし、未だに簡単なミスを続ける教師を、席についている皆は暖かい目で見守っている。

 

 

 

(怒らずに許す……これが人間っぽいということか)

 

 

 彼らは何もしなくても人間っぽい。いや、むしろ彼らがすることが人間っぽいのだ。

 

 ふと考える。性交渉をしない僕は、果たして何なのだろうか。

 

 

 その答えはわからないが、言えることがあるとするならば僕を僕らしくさせているのは性交渉だけだということである。

 

 

 叩き出した答えを見ながら、僕の心の中で一つの結論が入道雲のようにむくむくと膨らんでいった。

 

 

 

(今日、彼女に人間らしい行為をしよう)

 

 

 

 

 

 

 

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 昼休みになった。最近の日課となった屋上への階段上りをしながら、言うべき台詞を頭の中で反芻させる。よし、大丈夫だ。

 

 

 がちゃり、扉を開くと案の定彼女はそこにいた。

 

 

 日陰に座り、黙々と弁当を食べていた彼女は、僕に気が付きこちらを振り向いた。

 

 

 その際に、ふわりと靡いた彼女の特徴的な銀の髪が影から飛び出し、雲の合間から覗く太陽に照らされキラキラと輝いた。

 

 そんな彼女を眩しく思いながらも、同じように日陰に座り購買で買ったパンを取り出し食べ始める。

 会話はほとんどない。しかし、この時間が僕にとって至福の時間だった。自分を飾らなくていい、人間っぽくなろうとしなくていい数少ない時間だったからだ。

 

 

 ふと、やけに味の濃い惣菜パンを食べる手を止め、思ったことを口にする。

 

 

「そういえば、今井さんとはどうなんですか?」

「リサと? 別に何もないけれど……」

 

 

 湊さんの言葉に、ひとまず安心した。距離ができたとは思っていないらしい。別に心配したわけではないが、僕が原因で二人の仲が悪くなったらなんだか後味が悪い。

 

 

 

 

(そうだ、こんな世間話をしている場合ではなかった。言うべきことがあるのだ)

 

 

 

 自らの役目を思い出し、気を引き締める。

 

 簡単だ、僕と性交をしてください。これだけでいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決心したはずなのに、口から言葉が出てこない。

 いきなり止まったことを不審に思われないように、開いた口に惣菜パンを突っ込んだ。

 むせかえる程の濃い味に、思わず咳込んでしまうが、肝心の言葉は咳と共には出てこなかった。

 

 

 

「……桜、もうほとんど散っちゃったわね」

「そう、ですね」

 

 

 湊さんの言葉に、掠れた声で答える。

 喉の奥が締め付けられているかのように、口からは空気の漏れ出る音しか聞こえてこない。

 

 これではダメだ。何とかしなくては。

 

「あの……湊さん」

「何かしら」

 

 捻り出すように、言葉を吐き出す。しかし続く言葉が出てこない。

 

「その……言いたいことがありまして……ええっと……」

「いつもはっきり答える貴方が言い淀むなんて、珍しいこともあるものね」

 

 まごまごとしている僕が珍しいのか、湊さんは少し目を大きくした。

 

 そんな彼女の表情を見て、僕の喉は更に言葉を出すことを拒み始めた。

 

 

(僕は……一体どうしてしまったのだろうか……)

 

 

 

 結局何も言えなかった僕は、静かに唇を噛みしめた。先ほど食べた惣菜パンの、しつこい味がする唇だった。

 

 

 そんな僕を見て、湊さんは眉をしかめる。

 

「具合が悪いなら、保健室にでも言った方がいいんじゃないかしら?」

「いえ、具合が悪いってわけじゃないんです……」

 

 具合が悪いと言えば悪いのだが、この症状は保健室に行ったくらいでは治せないことはわかっている。

 

 唇を噛みしめながら、少し天気が崩れて来た空を見上げる。このままだと、午後からは雨が降りそうだ。

 

 

 

 下を見下ろした僕は、こちらを心配そうに見つめる彼女の視線から逃げるように、小さく呟いた。

 

「……やっぱり、何でもないです。すみません」

「そう、ならいいのだけれど……」

 

 

 

 やはり、僕は言えなかった。

 心を蝕む苛立ちを抑えるため、僕は静かに目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 

 

 

 何故言えないのだろうか。

 

 そんな簡単な疑問の答えは、放課後になっても透明なまま。

 苛立つ心の赴くままに、カーテンを睨みつける。

 

 しかし、カーテンを睨みつけても答えは出て来ない。外を見てみると、ぽつぽつと雨が降り始めていた。散ってしまった桜の花が、雨のせいで地面にこびりついてしまっている。

 

(数日前までは華麗で美しかったものも今ではこのざまだ……儚いというかあっけないというか……)

 

 

 ぼんやりとした足取りのまま昇降口まで歩き、靴を変えて外に出る。ぐちょぐちょに柔らかくなったグラウンドを歩きながら、ぼうっと校庭を見た。

 

 傘は持ってきていないので、雨に打たれながらの帰宅だ。

 

 

 

 まるで生まれたてのゾンビのように(死にたて、と言った方がよいのだろうか)歩いていた僕の視界の端に、何か銀色のものが光った。

 

 見ると、湊さんが桜の木の下で何かをしている。

 

 

(まあ、僕には関係ないさ)

 

 脳内で簡単に済ませ、視線を戻そうとするが何故か外れない。

 気が付くと、身体が勝手に動いており気が付けば僕は近くにあった木陰に隠れ湊さんの様子を伺っていた。

 

 

 すると、数分後に一人の男子生徒が湊さんの方へ歩いていくのが見えた。

 

 男子生徒はしばらくの間湊さんと話していたが、湊さんが頭を下げると同時にすぐに走り去っていった。

 

 

 

「なるほど、告白か」

 

 今目の前で起きたことを冷静に判断しつつ、呟く。

 しかし今時桜の木の下で告白だなんて、古臭い奴もいたもんだ、なんてことを言いながら木陰から足を出そうとした時……僕は初めて……自分が拳を強く握りしめていることに気が付いた。

 

 

(……なんだこれは?)

 

 

 自分の行為が理解できないまま、掌が真っ白になるほどに強く握りしめていた手を開いた。その瞬間、様々な形容しがたい感情が、僕の心を襲った。

 

 

 焦り、不安、怒り……感じたことのない、しかしすぐにそれとわかるような悪感情たちが、僕の心を弄ぶ。

 

 

 浅くなる僕の息遣いの音だけが、雨粒を塞ぐ木の葉の下でやけに大きく響き渡っていた。

 

 

 ぎりり、気が付けば歯ぎしりまでしていた。

 

 

 

 真っ白な紙の真ん中にぽたりと垂らしたインクのように、僕の心は徐々にどす黒く染まっていく。

 

 そんな僕の頭の中に、冷たい声が響き渡った。

 

 

 ──―だから言ったじゃないか。早くブッキングしておけって……。

 

 

 

(ブッキング? なんだその言い方は。まるで湊さんを道具のように扱っているみたいじゃないか)

 

 頭の中でガンガンと響き渡る自分の声を、心の中にあるありったけの良心をかき集めることで追い払う。

 しかし、それだけでは払拭しきれなかった悪感情が、僕に更に語り掛ける。

 

 

 ──―実際、そうじゃないか。自分が人間らしくなるための道具として、仲良くなっていたんだ。もうそろそろ素直になろうぜ、白くなるなよ、どす黒く行こうぜ。

 

 

 

 

 何が正解なのだろう。僕は、何がしたくて彼女と一緒にいたのだろう……わからない。わからない。わからない。

 

 

 

 

 けど、わかりたいんだ。

 

 

 気が付けば、足を一歩踏み出していた。

 まるで吸い込まれるように、僕の体は湊さんへと向かっていく。

 それに抵抗するために固く目を瞑るが、悪感情はそれを許さない。

 

 今度は、耳元で誰かが囁いた。

 

 

 ──簡単だよ。ヤりたかったんだ。今までだってそうだったじゃないか。

 

 

 

 

(そうだったのだろう……か。僕はただ……そんな考えのために彼女と一緒にいたのだろうか……)

 

 

 もう、何が何だかわからない。もはや僕の頭の中は、靄と悪がごちゃ混ぜになった無法地帯となり果てていた。

 

 

 ──そうだよ。当たり前じゃないか。人間じゃない僕が、他にどんな理由で動けるんだ。さあ、わかったんならやることは一つだけ。そうだろう? 

 

 

 

 まるで操られているかのように動く足を、止める良心は既に僕の心の中にはない。

 

(そうだ、答えは簡単だったんだ。今までやっていたことを、た打繰り返せばよかったのか)

 

 

 心なしか軽くなった心で、桜の木の下に佇んでいる少女の元まで歩いて行く。もう僕の心を悩ませるものなど……一つもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……湊さん」

「細山さん。どうしたの?」

 

 僕に呼ばれ、湊さんは無表情のままこちらを向いた。そういえば、今思えば僕はこの少女が笑っているところを見たことがない。

 

(まあ、もうどうでもいいことだ)

 

 僕と彼女の関係なんてそんなもの。大してつながりもない、ただ距離が近いだけの他人なんだから。

 

「湊さんに、言いたいことがあるんです」

「何かしら」

 

 先ほどまで僕の体を打っていた雨よりも冷たそうな彼女の髪に、瞳に……僕は思わず見惚れてしまっていた。

 

 雑念を振り払うために頭を横に振る。髪についていた雨粒が飛び散り、キラキラと光った。

 

 僕は、未練がましく戸惑い始めた喉に喝を入れるために、大きく深呼吸をしてから、言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕と、ヤッてくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が止まったような気がした。

 

 

 湊さんは相変わらず無表情のまま、じっとこちらを見ている。

 その視線に、その瞳に耐え切れずに、つい目を逸らしてしまった。

 

 

 

 

 何もかもが凍り付いたようだった。雨粒が谷和原くなったグラウンドの砂を穿つ、とつとつという音だけが耳の中に入ってくる。

 

 

 悠久の末、湊さんが動いた。その口から出て来た言葉の温度は、僕が今まで聞いたことがないほどに冷たく、鋭かった。

 

 

 

 

 

「なんで、そんなことを言うのかしら」

 

 その言葉の重みに潰されそうになりながらも、何とか言葉を絞り出す。

 

「簡単ですよ。貴女の全てに……興奮してしまったんです」

 

 

 再び、時が止まった。

 

 こちらを見つめる湊さんの瞳を見つめ返すが、その目からは何の感情も見いだせない。

 

 湊さんは、小さくため息をついて口を開いた。

 

「貴方が、そんな人だとは思わなかったわ……」

「っ……………………………………!」

 

 

 言葉に温度などない。そんなことわかりきっているはずなのに、彼女が僕にその言葉を投げかけて来た瞬間、確かに僕の周りの温度が下がったような気がした。

 

 

 

 

 何も答えられずに、湊さんの瞳に吸い込まれそうになるが、湊さんはすぐに僕から目を逸らし歩き去っていった。

 

 

 途端に、どっと僕に襲い掛かる疲労感。

 桜の木にもたれかかり、足早に校門を出て行く湊さんの背中を見つめながら、僕は力なく呟いた。

 

 

「今日は……殴られずに済んだ……な」

 

 

 上を見上げ、ぷらぷらと雨粒の重みに耐えている桜の花びらを見る。

 すると、不意に一粒の雨が桜の花の天蓋を掻い潜り、僕の頬に落ちて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 なんだか、やけに暖かい水だった。

 

 

 

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