性欲から始まる初恋物語   作:島流しの民

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第七話 間違い

 努力をしたら、報われるのだろうか。

 とある漫画で見たことがある。努力をしても報われるかどうかはわからないが、成功している奴は皆努力をしていると。

 

 

 全くなんて美しい言葉なのだろうか。

 報われていないやつらを無視するならば。

 

 

 成功しなかった奴は、いったいどうすればいいのだろうか。何を頼りにして次、成功するまで頑張れるのだろうか。彼らに、次は成功するという保証はあるのだろうか。

 

 結局のところ、ああいうセリフは成功した奴らがしていないやつらのことを視界から除外して言っているだけの言葉にすぎない。

 偉そうに僕らを見下ろしながら、語っているだけなのだ。

 

 ああ、しょうもない世界だ。早く滅亡しないかな。

 

 

 

 

 土曜日の朝という、一週間の中では一番気持ちがいいとされている朝だというのに、僕の気分は晴れない。

 

 相変わらず僕の都合など知らん顔で動き続ける地球に、けんもほろろに言い放った僕はゆっくりと起き上がった。

 

 ボロアパートの窓から微かに届く太陽光が、やけに鬱陶しい。

 

 

 起き上がり少し体をほぐしてみるが、思ったように動かない。ぐっすりと眠ったはずなのに、やけに疲れているようだ。

 動きたくないと駄々をこねる体に鞭を打ち、布団を畳んだ。

 

 

(動きたがらない……か。やけに人間らしい言い分だな)

 

 いつもとは違いやけに人間臭い自分の気持ちに気づき、僕は静かに嗤った。

 

 そんなこと、もはや何の喜びにもならない。なんだか何をしても体が疲れている。

 

 

 太陽光を見つめすぎたせいか、僕の視界では得体の知れない光の輪っかが縦横無尽に駆け回っている。

 

 

 

 

 窓の外を見つめ、再び今日は土曜日であると気が付いた。

 

 昨日の雨が嘘だったかのようにからっと晴れた空を恨めし気に睨みながら、僕は今日の予定を考える。

 

 

(今日は晴れてるし、例の場所に行ってみるか)

 

 

 昨日の雨のせいで地面が濡れているかもしれないが、そんなこと関係ない。

 

 予定を立て終えた僕は、すぐに服を着替え、外に出る。

 

 

 あれほど雨が降ったというのに、まだどこか春の匂いがする空気を吸いながら、僕は固いアスファルトを踏んで歩き始めた。

 

 

 

 

 数十分ほどで、例の場所についた。

 

 

 

 

 

 

 

 等間隔に並んだ長方形の石、不気味なほどに物音ひとつない土地、優しい空気の中から漂ってくる、ピンと張り詰めるような冷たい空気。

 

 

 墓地である。

 

 

 

 

 太陽光に当てられ柔らかい色に染まる墓石の間を縫うように歩く。今日は、どこで寝ようか。

 

 

 足を進めていると、ふとある一つの墓石が目に入った。

 碌に掃除もされていないのか、苔がへばりついた、どこかくたびれた様子の墓石だった。

 

 

 その石に彫られている、田中という名を横目で見ながら、僕はごろりと横に寝転がった。

 幸いなことに、日当たりがよかったおかげか地面はすっかり乾いていた。

 

 横になりながら視線をずらすと、すぐそばに田中さんの墓石がある。

 

「この頃はどうですか、田中さん?」

 

 僕は特に何も考えることなく、空を見上げながら墓石に語り掛けた。

 もちろん返事はない。しかし、幸せだった。

 

 

 

「随分汚れてるみたいですけど、親族の方々は来てるんですかね?」

 

 

 返事はない。しかし、幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げながら、僕は静かに目を閉じた。

 

 

 この瞬間だけ、僕は何も演じなくていい。

 生きようとしているふりも、死にたがっているふりも、人間のふりも、人間になりたがってるふりも……。

 全部全部かなぐり捨てて、まるで僕を囲む墓石の一つになったように、ただ一緒に横たわるのだ。

 

 

 人に話すと気味悪がられる、僕の趣味。確かにおかしいかもしれない。しかし、人間と絡むよりかはこうする方が、僕にとってよっぽど楽なのだ。

 ただ僕と言う存在でいられる時間が、僕にとって何よりも大切な時間なのだから。

 

 

 薄い瞼を突き抜けて眼球を照らす太陽の光に、思わず目を開けてしまう。

 

 僕の体の上に影を落とす、そよそよと風に揺れる木の葉。そしてそのまた向こうに、僕が今朝恨んでいた太陽が静かに笑っていた。

 

 朝は殺したいとまで思っていたこの日差しだったが、何故だろう、今ならばそれすらも愛せるような気がする。

 

 

 あくびを噛みしめながら、今度は僕の頭の上にいる佐藤さんに話しかける。

 

 

「佐藤さん。お久しぶりですね。そういえば僕、昨日フラれちゃったんですよ」

 

 

 

 軽い口調で言ったはず……だった。

 しかしどうだろう、その言葉が僕の口から出た瞬間、僕の心がずんと重くなった。

 

 不意に僕の頬を風が優しく撫でていったが、気分は優れない。

 

 

(フラれた……のだろうな)

 

 

 これをフラれたというならば、今までだってずっとフラれてきただろう。しかし何故か心が痛む。これは、彼女が上玉だっただけだからなのだろうか。

 

 

 違うだろうと、僕は少し頭を振った。

 

 

 

 何かわからないけど、そんな簡単な答えではないはずだ。

 

「佐藤さん、田中さん。僕、どうすればいいんでしょう……?」

 

 

 不安で圧迫された心から飛び出したきた言葉は、春の優しい風であっても揺れて消えてしまうほどに弱かった。

 

 縋るように墓石を見つめるが、もちろん返事はなかった。

 

 そして、幸せでも……なかった。

 

 

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 

 

 

「あ、細山くんやっと来た! どこ行ってたのさ?」

「…………今井さん?」

 

 

 少しの昼寝を終え、我が家に帰って来た僕を待っていたのは今井さんだった。

 誰にも教えていないはずなのに、何故僕の住所を知っているのだろうか。

 

 そんな僕の考えを読んだのか、今井さんは僕の唇に人差し指をぴたりと当て、にやりと微笑んだ。

 

「おっと少年、皆まで言うな! なんでアタシがここにいるか聞きたそうな顔してるね~!」

 

 自らの心を読まれたことに少なからず驚く僕を面白そうに眺める今井さん。

 

「ま、普通に先生に聞いたんだけどね!」

 

 彼女は僕の部屋のドアをコンコンと叩くと、あっけらかんと言った。

 

 なるほど、そういえば去年書いたような気もする。

 

「それより、今井さんはなんでここに?」

 

 別に急な訪問は構わないのだが、理由がよくわからない。

 

 今井さんは、僕の言葉にふうとため息をついて真顔になった。

 

「とりあえずさ、部屋の中に入れてくんないかな?」

「……あと数時間でバイトですので、それまでなら」

 

 ということで、初めて異性を部屋の中に招き入れた。特に達成感は感じなかった。

 

 

 

 

「なんか……すごい部屋だね……えっと、個性的? っていうか……」

「ぼろいんですよ」

 

 

 僕の部屋を見渡した今井さんが、引き攣った笑みを浮かべる。まあ、この部屋は誰が見てもわかるほどにぼろい。彼女の表情も頷ける。

 

 

 お客様に出すお茶などは存在していないので、蛇口を捻りコップを透明な水で満たす。

 そのままどん、と今井さんの前に置くと今井さんは更に引き攣った表情のまま、コップを少し遠ざけた。

 

 水道水、いけると思うんだけどな。

 

 もう一つ用意していたコップをぐいと呷り、喉を潤す。

 

 今井さんはもはやなんと形容すればいいのかわからないような表情でこちらを見ていたが、すぐに顔を引き締めて話し始めた。

 

 

「それで話っていうのは……君、友希那にフラれたんでしょ?」

「……そうかも、しれませんね」

「しれませんねって……友希那が珍しく愚痴ってたから聞いてみたら、君のことだったの。だから確かめに来たってだけ!」

 

 

 なるほど、彼女はどうやら僕を糾弾しに来たようだ。

 若干うんざりしながらも、彼女の話に耳を傾ける。

 

 今井さんは、いかにも怒っていますといった表情で僕に詰め寄った。

 

 

「それで、君はなんて言ったのさ!」

「ヤりませんかって聞きました」

 

 今井さんがずっこけた。表現などではなく、実際に前のめりになって少し腐りかけている畳に顔から突っ込んだ。

 

「き、君……やっぱり噂は本当だったんだね……それでなんでそういう……へ、変なことを言ったの?」

 

 

 何か言った方がいいのだろうかと悩んでいると、今井さんが顔を抑えながら起き上がった。

 

「別に、僕はもともとそのつもりで絡んでいましたから」

「嘘だよ」

 

 

 特に何も感じることなく発したその言葉に、悲しそうな表情でこちらを見る今井さん。

 

「それは嘘だよ……細山君」

「嘘じゃありませんよ。僕は性的な関係が持ちたくて、湊さんに話しかけたんです」

「違うって!」

 

 食い気味に、僕の言葉に被せるように今井さんは叫んだ。

 

「違うよ……確かに細山君はそういうことをするっていう噂で有名だよ。けどね、あの時の君は……友希那と一緒にお昼ご飯を食べてた君は……そんな顔をしてなかった。友希那と、仲良くなりたそうな顔をしていたんだ」

「…………?」

 

 

 今井さんの言葉に、僕の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされる。

 今井さんも自分が何を言っているのかあまり分かっていないらしく、頭をガシガシと強く掻くと、ため息をついてゆっくり説明し始めた。

 

 

「ほら、アタシってこんな見た目だから、よく勘違いされるだよね。不真面目だとか、チャラいだとか……だからこそ、アタシは人の顔を見たらその人がどんなことを考えてるのかある程度分かるんだよ」

「人の考えてること……ですか」

「そう! あまり難しくはわからないんだけどね!」

 

 

 真剣な顔でそう囁いていた今井さんは、すぐに快活に笑った。

 

 なるほど、では今の僕の気持ちもわかっているのだろうか。

 すると、またも僕の思考を読んだ今井さんは僕をびしりと指さし言った。

 

「ズバリ、今の君は寂しがっているね!! ……違う?」

「違いますね」

 

 

 期待に満ちた目でこちらを見てくる今井さんにはっきり見えるよう、大きく首を振る。

 

 寂しいと感じている? そんな必要、どこにもない。

 今井さんは特に気にした様子もなく再び笑った。なんとも明るい人だろうか。

 

 

 しかしすぐに真面目な顔に戻って、僕を見つめた。

 

「けどね細山君。アタシ言ったよね? 友希那を悲しませたら距離を置いてもらうって……」

「言いましたね」

 

 間髪入れずに答える僕を、もどかしそうな瞳で見つめる今井さん。

 暫く何かを言おうとしては止めるというよくわからない芸を繰り返していたが、ようやく言葉を出した。

 

「後悔は……してないの?」

「ないですね」

「嘘だよ」

「……してないですよ」

 

 

 頑なに否定し続ける僕を、今井さんのまっすぐな瞳が射抜いた。

 その綺麗で澄んだ瞳に、思わず目を逸らしてしまう。

 

「嘘……だよ……」

 

 返事をしない僕を無視し、彼女は続ける。

 

「だって君、今すっごく悲しそうな顔してるじゃん。全然平気に見えないよ」

「……僕は元からこういう顔ですよ」

「違うよ……友希那といるとき、君はもっと生き生きとしてた」

 

(……意味がわからない)

 

 意味さんの顔を見ないように、夕日が差す畳を目を見つめる。

 そんな僕に優しく語り掛けるように、今井さんは続ける。

 

 

「あのね……別にアタシは怒りに来たわけじゃないの。ただ、細山君と友希那には仲直りしてほしいんだ」

「仲……直り?」

「そ! 仲直り!」

 

 今井さんの楽しそうな声につられて、思わず顔を上げて聞き返してしまう。

 今井さんは、変わらずに笑みを浮かべていた。

 

 

 その笑顔を見て、僕の心は黒く変色していく。

 

 

 

「仲直りなんて……出来るわけないじゃないですか……」

 

 ぽつりと、僕の口から言葉が漏れ出していた。

 目を細めながら今井さんを見つめる僕の顔には、諦観の色が濃く映っていただろう。

 

「……なんで?」

 

 恐る恐る、何かを探るようにこちらに尋ねてくる今井さんの目をはっきり見ながら、口を開く。

 

「だって僕は……最低なことを彼女に言ったんですよ? それなのに許してくださいって、また元通りの関係に戻りましょうって……そんなの無理に決まってるじゃないですか」

「うっ……確かにそれはそうかも……」

 

 僕の否定的な言葉に、今井さんは力なく項垂れた。

 

 ほら見ろ、やっぱり無理なんじゃないか。

 

 

 諦めて今井さんに帰ってくれと言おうとした瞬間、彼女が顔を上げた。そこには不変の笑顔。

 

「けどさ! 同じ関係じゃなくても、戻れることはできるじゃん?」

「同じ関係じゃなくても……?」

「そう、実は今日ここに来たのはそれを話すためなんだよね~」

 

 今井さんはけらけらと笑いながら、実にあっさり、何でもないように言葉を継いだ。

 

 

「実はさ、アタシは細山君と友希那に清い関係で付き合ってほしいんだよね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉に、色々と考え事をしていた僕の頭が数舜ぴたりと止まった。

 

 風が窓を叩く音だけが、静かな部屋の中に響き渡る。

 

 

(目の前に座っているこの少女は、今なんと言ったのだ?)

 

 今井さんの言葉を脳内に入れ、解剖して意味を探ってみるが、答えは見つからない。

 

 

「あの……今なんと?」

 

 知らぬうちに、僕の口から弱々しい声が出ていた。

 

 僕の声音のことなど露ほども知らない今井さんは、楽しそうにはしゃぐ。

 

「だから、友希那と付き合ってほしいの! あ、もちろんいやらしい関係はなしでね!」

 

 その言葉の意味がわからないのだ。どうなったらそこに辿り着くのだ? 

 今井さんの言葉を何度も頭の中で噛みしめるが、未だに意味がわからない。

 

 付き合う? 僕が? 湊さんと? 

 

 

「えっと……それはまた……なんでですか?」

 

 やっとのことで声を振り絞り、今井さんに尋ねる。

 僕の問いに、今井さんは少し悲しそうな表情を浮かべながら、ぽつぽつと説明を始めた。

 

「実はね、今友希那は歌にしか興味がないって感じなの。それ以外失ってもいいみたいな考え方で……。アタシはそれが心配だから。細山君にはそんな友希那を変えてほしいってわけ」

「変える……ですか」

 

 

 不完全は完全になれない。不完全は不完全を変えれない。人が人を変えるなんてこと、出来るわけがないのだ。もし変えたと言っている奴がいるのなら、それは十中八九ただの思い込みである。

 

 

 

 

 

 ……なのに、何故彼女はこんなに真摯な目で僕を見るのだろうか。何故その瞳には、疑いの色がないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 そして、何故僕はそんな彼女の瞳に、心を動かされているのだろうか。

 

 

 ぐらぐらと揺れ動く心を悟られないように、なるべく平坦な声を装って今井さんに話しかける。

 

「変えると言っても、今の僕たちの関係性は最悪ですよ」

「そうだろうね、だからアタシが手伝ってあげるの!」

 

 ふふんと誇らしげに胸を張る今井さん。見た目はチャラチャラしているのに、どうにも言動が乙女チックな人である。

 今井さんはポケットから一枚のチケットを出すと、僕に突き付けた。

 

 

 

「……これは?」

 

 突き付けられたのでつい受け取ってしまった僕は、手の内にあるチケットをまじまじと見る。

 

 チケットを手渡した今井さんは、誇らしげな表情でにっこりと笑った。

 

「私達Roseliaがライブをしてるライブハウスのチケット! 明日夜七時からライブだから、ぜひ来てね!」

 

 今井さんは今度は後ろのポケットから簡易な地図を取り出して、僕にどんと押し付ける。

 

 いきなりのことに追いついていない僕は、目を白黒させながら地図を見た。駅前のライブハウス……見たことはあると思う。

 

 地図を見ながら微動だにしない僕を見て不安に思ったのか、今井さんが僕の顔を覗き込んだ。

 

「それで、君は友希那と恋仲になってくれるの? もちろんやらしいことは禁止だよ?」

「……今井さんが僕と性交してくれたら考えますよ」

「ええっ! あ、アタシ!? そ、それはちょっと……アタシたちまだ学生だし……そういうふしだらなことは……」

 

 先ほどまでの余裕そうな笑みはどこへやら、僕の言葉を聞いた今井さんは瞬時に顔を赤くさせ口をもごもごと言わせ始めた。

 

「…………………………」

「ちょ、ちょっと、なんで何も言わないのさ……ま、まさか本気なの……? ダメだよ……あはは……」

「…………………………」

「……うぅ……じゃ、じゃあまた明日!! ライブハウスでねっ!!」

 

 それでも何も言わずに、ただじっと待っていると、今井さんは我慢できなくなったのか立ち上がって、真っ赤な顔でそれだけ言って飛び出していった。

 

 

 残された僕は、ぱたんと畳の上に倒れ込みチケットと地図を交互に見つめていた。

 

 

 しかし脳内に浮かび上がるのは地図やチケットではなく、先程の今井さんの言葉。

 

(湊さんと付き合う……か)

 

 

 もしそれが上手くいったら、僕は人間らしくなれるのだろうか。

 

 この前僕を殴って来た男子生徒は、とある女子に恋をしていた。だからこそあんな行為が出来たのだろう。

 

 

 

 心の中で結論が出来上がっていく。

 

 

 決めた。

 

 

 

 

 染みのついた天井をぼうっと眺めながら、僕は決心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、人間らしくなるために湊さんを好きになろう。

 

 

 

 

 ──それは、人間らしいことなんて全く分からない僕が、恋に落ちようと決心した瞬間だった。

 

 

 

 

 

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