春とはいえ、まだ寒い。
僕こと、細山輝晃は上着をぎゅっと手で抱き寄せながら、少し日が暮れてきている道を歩いていた。
今井さんからもらった地図を頼りに歩いてきた僕がたどり着いた場所は、見慣れた駅前だった。
周りを見渡していると、一つの店が目に入った。
「ライブハウス……CiRCLE。多分ここだな」
店に入り、カウンターでチケットを手渡す。少し店内を奥に進むと、小さなライブ会場のような場所に着いた。多分、ここで色々なバンドたちがライブをするのだろう。
ライブは始まっていないというのに、既に会場は熱気であふれている。
視界の端で動き回る人々に苛々しながらステージの上を見るが、やはり誰もいない。只今六時五十八分である。
(七時から……)
壁にかかっている時計を見ながら、七時になるのを待つ。
壁にもたれかかりながら、目を瞑って待っていると、急に会場内がざわめき出した。
顔を上げ、ステージの上を見るとそこには五人の少女たちの姿が。
ベースを弾いている今井さんに、ドラムを叩いている紫髪の小さなツインテール少女。ギターを弾いている碧色の髪の少女にピアノを弾いている黒髪の少女。そして────
よりどりみどり、カラフルな面子の中で尚も衰えないほどの存在感を持った彼女。
銀の髪はステージ上だけを照らすライトのせいでやけに神々しく見え、金の瞳は会場の中にいる客たちすべての心を掴む。
ボーカルである、湊友希那がそこにいた。
湊さんは、力強くもどこか切なげな歌声でライブ会場をすぐに熱狂の渦に巻き込んだ。
メンバー達も、湊さんの歌声に導かれるように手を動かしている。
そう、誇張表現や冗談抜きで、会場が一つになっていた。
「………………」
会場が完成や黄色い叫び声で満たされる中、僕は一人静かに湊さんを見つめていた。
彼女は何故、こんなにも人間らしいのだろうか。いつもは僕とそう変わらない、機械のような生き方をしているはずだ。なのに今の彼女を見てみると、今まで見てきた他の誰よりも輝いている。生々しくも、瑞々しい人間の色をしているのだ。
僕と彼女は、こうも違うのか。
「…………!」
観察を続けていると、不意に湊さんと目が合った。
湊さんは一瞬目を見開いて固まったが、すぐに目を逸らして歌い続ける。
なるほど、これが彼女のバンドか。
僕は、瞬きする暇も惜しみながら、一人寂しくライブを眺めていた。
「ありがとうございました」
曲が終わった後に、メンバーたちのお辞儀を待たずして響き渡る拍手の雨。そのBGMを聞きながら、僕は何をしていいのかわからずに棒立ちしていた。
メンバーの技術力がどうだとか、ボーカルの歌唱力がどうだとか……難しいことは僕には一切わからない。
いや、わからなくても十分だった。わからなくても満足だった。
空っぽの僕の頭の中に浮かんできた言葉は一つ、シンプルに「また聴きたい」だった。
メンバーが舞台裏へと帰っていくのを見届けた後、僕もライブハウスを後にした。
「ちょちょちょちょ!!! 待って!」
「……今井さん?」
ライブハウスを出て帰路に就こうとしていた僕を、今井さんが引き留めた。
見ると、今井さんはライブ衣装のままで立っている。どうやら着替えもせずにここへ来たらしい。
今井さんは僕の前で止まると、息を整えた。
「なんで帰ろうとしてんの!? ちょっと待ってて!」
「え、いやもう眠いんで帰りたいんですけど……」
「寝るのは後で! まずは友希那と話さなきゃ!」
どきり、心臓が飛び跳ねた。やはり、このまま帰宅というわけにはいかないようだ。
今井さんは言うだけ言うと、さっさとライブハウスの中へ戻っていく。しかしその背中が、さっさとついて来いと語っている。
ずんずんと進んでいく今井さんに、見えない糸で引きずられているかのように歩いていた僕は、関係者以外立ち入り禁止らしき場所へと入る。
すると、急に今井さんが立ち止まった。目の前には小さな扉。どうやらここが楽屋らしい。
目の前にいる少女は、気軽にドアを開く。するとそこには、先ほどまでステージの上に立っていたRoseliaのメンバーたちがいた。
そのうちの一人と目が合った。黒髪の、ピアノを弾いていた少女は僕の目を見るなりびくりと肩を跳ね上がらせ目を見開いた。
「へ……? 誰?」
「貴方、ここは関係者以外立ち入り禁止よ。関係ない人は出て行ってもらえるかしら」
「…………」
黒髪少女の反応により、僕を見つけたメンバーたちがさまざまな反応を見せ始める。
碧色の、ステージ上でギターを弾いていた少女は気の強そうな瞳を釣り上げながらこちらを見る。肝心の湊さんはといえば、僕を軽く睨んですぐに違う方向を向いてしまった。
剣呑な空気を察したのか、今井さんが引き攣った笑みを浮かべながら僕らの間に入ってくる。
「えっと、この人は私と友希那と一緒の学校に通ってる人でさ、友希那と話があるらしいから、ここに連れて来たの」
「……話すことなんて何もないわ。さっさと連れて帰って頂戴」
今井さんの懸命な説明を、湊さんはばっさりと切り捨てる。
しかし、今井さんも引き下がらない。
「えーっと……お願い友希那! 一瞬で終わるし!」
「何故私が行かなければいけないのかしら。早く帰って」
けんもほろろに言い放つ湊さんを見て、僕の心にすとんと何かの感情が落ちて来た。
どうやら彼女は、僕と話したくもないらしい。
対話することを諦め、帰ろうとした瞬間に、今まで僕を睨んでいた紫髪の少女が声をあげた。
「あ、ああっ! 思い出した!」
「…………?」
紫の少女は、わなわなと肩を震わしながら僕を指さし、大声でそう言った。
思い出す、といわれても、僕は彼女のことを知らない。どこかで会ったことがあったのだろうか。
見覚えのない少女の顔を記憶の底から引っ張り出すために、彼女の顔をじっくりと観察してみる。すると、ぎろりと睨まれた。ふむ、なかなかに嫌われている。しかしやはり答えは出てこない。初対面ではないのだろうか。
いつまで経っても口を開かない僕に痺れを切らしたのか、紫の少女は黒髪の子を背に隠しながら叫んだ。
「この人……数か月前にあこと……その……えっと、イヤラシイことをやろうっていきなり言ってきたんですよ友希那さん! 気を付けてください!!」
「…………ふうん、そうなの」
ぴりりと、肌で感じれるほどに緊張した空気が張り詰める。
湊さんの冷たい視線が僕に突き刺さる。何故か、視線を合わせられない。
しかし、僕自身覚えていないがあの小さな少女に性交渉をしたことがあったらしい。すっかり忘れていた。
「貴方……変なことって、何を言ったの」
「性的なことをしようって誘ったんです」
碧色の、先ほどからずっと僕を睨んでいた長髪の少女が目を細めながらこちらを見る。
しかし継がれた僕の言葉に、小さな楽屋は凍り付いた。
「あ、貴方……! 中学生に何を言ってるの!?」
淡々と言った僕を、信じられないといった表情で皆が見る。特に激しい反応を見せたのは、碧色少女だった。
「あ、ごめんなさい」
怒鳴られたので、素直に謝る。しかし、それだけでは済まされないようだ。さらに険しい目で睨まれた。
「ごめんなさいで済む話じゃないでしょう!?」
「じゃあ何をすればいいんですか」
「な、なにをって……それは…………わかりませんけどっ! でもおかしいでしょう!?」
「僕には何がおかしいかわからないです」
平坦な声で反論を続ける僕を、湊さんが静かに見る。なんだかその澄んだ瞳が僕の心を責めているかのようで、思わず俯いてしまった。
「貴方、破廉恥だわ。モラルというものを知りなさい!」
「はあ、すみません」
言いたいことだけ吐き捨ててそっぽを向く少女。なんだか理不尽な気がする。
言いたい放題言われまくる僕を見かねてか、今井さんが口を開いた。
「ま、まあまあ。ちょっと待ってよ紗夜。ちょっとは彼の言い分も聞いてみたら?」
「…………」
碧色少女改め紗夜さんは、今井さんの言葉に再びこちらを見た。その瞳は、さっさと話せと僕を脅しているようで。
「言い分なんてもんはないです。理由も忘れちゃいました」
つい、本音を言ってしまった。
しまった。今のは流石にマズいと僕でもわかる。つい急かされるように口から本音がついて出てしまった。
ちらりと紗夜さんを見ると、案の定その瞳には消えかかっていた怒りの炎が再び灯っている。
何か弁明をせねばと口を開こうとした瞬間、湊さんが会話に滑り込んできた。
「それで、彼は私に話があったのよね。外で聞くわ。行きましょう」
「ちょっ、湊さん!?」
「大丈夫よ紗夜。彼は無害だから」
彼女を安心させるために言われたその言葉だが、無害という言い方はなんだか人間ぽくなくて悲しい。
人知れず悲しんでいる僕の心など露ほども知らない今井さんは、嬉しそうに僕の腕を引っ張る。
「なんか知らないけど、友希那話聞いてくれるって! よかったよかった! ちゃんと謝りなよ!」
何が良いのだろうか。ていうか、何と謝ればいいのだろうか。
頭の中は疑問で溢れているが、とりあえず湊さんについていく。
────────
──────
────
「それで、話って何かしら」
「えっと、この間はなんかすみませんでした」
僕の気のない返事に、彼女の金色の瞳が鋭くなる。
「この前っていうのは……私によくわからないことを言ってきた時よね」
「まあ、そうですね」
あっさりと答える僕に、湊さんは少し言葉を詰まらせる。しかしすぐに冷静を取り戻すと、変わらぬ声音で言う。
「じゃあなんであんなことを言ったのかだけ、聞かせてくれないかしら」
続く彼女の言葉に、今度は僕が言葉を詰まらせた。
何故なのだろうか。あの時、僕は自らの心に唆されてああいうことをしてしまったはずだ。もともとそんなことする気なんてなかったはずなのだ。
しかし、仮にもしそれが本当だとしても、それを目の前の少女に説明する方法はない。
開かない口を無理やりにこじ開け、閉じようともがく唇に言葉を挟む。
「僕にも……よくわかりません。貴方にはあんなことを言うつもりじゃなかった……けど、何故か、言ってしまったんです」
「よくわからないって……貴方それしか言わないじゃない」
呆れた顔で呟く湊さん。その顔にあった怒りの色は既に消えている。
どうやら、彼女は僕のことを許してくれたらしい。
暫く静寂が僕らの間を行き来していたが、湊さんの言葉によってそれは消え失せる。
「そういえば、今日のライブはどうだった?」
「よかったですよ。専門的なことは全くわかりませんけど、また聴きたいと思ったくらいです」
「……まあ、その評価は感謝するわ。ありがとう」
珍しく捻じれることなくすっと出て来た素直な言葉。
その感想に、湊さんはにこりと微笑んだ。
「ッ!!」
ぴしり、と。
僕の中で一秒も狂うことなく、正確に動いていた何かの感情に、ヒビが入った。
ぼんやりと、まるで何かに取り憑かれたかのように体が言うことを聞かない。
その瞳に映るものは、夜の帳を薄く裂く柔らかな街灯の灯でも、視界の端で動く人々の姿でもなく。
ただ一人、僕の目の前で微笑む少女だけだった。
見惚れていた。
そのことに気が付くまでに、数秒を要してしまった。
何故だろうか、彼女の顔から目が離せられない。
動かない体とは打って変わって、僕の心は荒れ狂う海原のように激動する。
しかし目まぐるしく変わっていく心情の中でも、はっきりと変わらないものがあった。
彼女のことをもっと知りたい。
今まで異性に一片もの興味を持てなかった僕が、性交渉をする相手くらいにしか思っていなかった僕が。その異性に見惚れてしまっていたのだ。
なんだか彼女を見ていると、頭がくらくらしてきた。
すると、既にいつものような無表情に戻っていた湊さんが、小さく言った。
「まあ、今回は赦してあげるわ。リサもうるさかったし。ただし、もう二度とこんなことはしないで頂戴」
「わかりました。もうしません」
湊さんには、と心の中で付け加えておく。流石にそれを言う程僕も馬鹿ではない。
僕の巧みな言葉遣いに騙された湊さんは、満足げに頷くと「少し待ってて」とだけ残し戻っていった。
暫く待っていると、湊さんではなく今井さんが小走りでやって来た。興奮しているのか、その顔は紅潮している。
「仲直りできてんじゃん! よかったね!」
「……よかったん、ですかね」
歯切れの悪い答えになってしまう。
正直なところ、僕にはあの選択肢が正しかったのかもよくわかっていないのだ。
壊れた関係を修復しようなんて、今まで試したこともなかったからである。
「それで、細山くんは結局友希那と付き合う気になったの? そこんとこ聞かせて」
「だから今井さんが僕とヤってくれたら考えますって」
「…………そ、それ禁止!!」
いつものように(まだ数回目だが)、テンプレートな返しをした僕に、今井さんが噛みついた。
その顔は先ほどまでとは違う意味で赤く染まっており、なんだか見ていて面白い。
ちょうどよいので、少し彼女で遊ぶことにした。
「何が禁止なんですか?」
「ええっ!? そ、それはその……あれだよ……」
「アレ? すみません、僕そういう抽象的なことを察する能力が乏しくて……出来ればはっきりとお願いします」
「あ、あぅ…………だ、だからその……ヤるとかそういうの……よくないかなって……思ってるだけで……」
「はい。だろうと思ってました。ありがとうございます」
わかってたんかい! と今井さんは顔を真っ赤に染めながら叫ぶ。派手な見た目に反して、案外初心なようだ。
「性交渉禁止……か」
性交渉をしないのなら、僕は何をして人間らしく過ごせばいいのだろうか。
少し落ち着いたのか、今井さんはふうと息を吐いてから続ける。
「とりあえずさ、友希那と仲良くしたんだったら、他のメンバーたちとも仲良くなってよね。ぎすぎすした空気あんま好きじゃないんだよね」
「……わかりました」
努力はするが、結果が実るとは限らない。特に紗夜と呼ばれていたあの碧色少女。彼女は僕のことを目の敵にしていた。仲良くなれる可能性は限りなく低いだろう。
しかしまあ、今井さんに逆らうわけにはいかない。
背を押された僕は、強制的にライブハウスに戻された。
そして運の悪いことに、目の前には先ほどのメンバー達が。
黒髪、紫、そして紗夜さん。三大僕を嫌がっていたメンバー達である。
紗夜さんは僕を見ると露骨に顔を顰めた。
「貴方、まだいたの?」
「ええ、今井さんに、貴方と話せって言われちゃって」
「……貴方と話すことなんてないわ。今すぐどこかへ行ってちょうだい」
「……ええ、僕もそう感じたところでした」
今僕にぶつけられた感情を見るに、和解するのは不可能だろう。
そういう意味を込めての言葉だったが、紗夜さんには違う風に受け取られてしまったらしい。少し眉を顰め僕を睨みつけてきた。
「話すこともないって……どういうことかしら」
「そのままの意味ですよ。話すこともないし、話す意味もありません」
僕の失礼ともとれる言葉遣いにカッと顔を赤くする彼女だったが、すぐに余裕を取り戻し冷たい笑みを浮かべ僕を見た。
「なるほどね。貴方がどんな人間かわかったわ」
「…………」
「貴方、他人に認められたいのでしょう?」
どうやら僕の言葉から何かを割り当てたらしい。勝ち誇った表情を浮かべた少女は、僕を冷めた瞳で見つめながら言葉を継ぐ。
「だからこそ、私の言葉に怒ったし、言い返してきたのよ。大方、性交渉だって他人に認められたいという汚らわしくて幼稚な欲求を満たすためにしているだけなのでしょう?」
侮蔑の混じったその言葉に、後ろでことの成り行きを見守っていた二人の少女が困惑した表情で僕と紗夜さんの顔を交互に見ている。
なるほど、紗夜さんは僕の人間性を見ていたらしい。
しかし残念なことに、その推理は全く間違っている。
僕が性交渉をしているのは、自分自身が人間だと実感して、そして実際に人間らしくなりたいから行っているものである。
僕の考えなど全く読めてもいない碧色少女は、それでも勝ち誇った表情で僕を睨み言い放つ。
「私はね、貴方みたいな空っぽの人間が一番嫌いなのよ」
「ちょ、ちょっと氷川さん……言い過ぎですよ……!」
紗夜さんの言葉を、黒髪少女が諫める。しかし紗夜さんは気にした風もなく僕を睨み続けている。
……すると、彼女の言葉に腹が立ったのかどうかは定かではないが、僕の口から言葉が飛び出した。
「氷川さん……でしたっけ。貴方は僕が嫌いなんじゃない。それは同族嫌悪って言うんですよ」
「……なんですって?」
僕の言葉に、紗夜さんの目が細められる。しかし知ったことではない。
「僕が空っぽの人間。認めます。僕の中には何もありません。では、貴方は何かで満たされているのですか? 貴方は何かを持っているんですか?」
「……それは……」
「知ってますか? 磁石は同じ極同士相容れない。つまり同族嫌悪をしているわけです。それが貴方。自分と同じ僕を受け入れたくなくて、だからこそ僕のことをそんなに嫌っているわけでしょう」
「な、何を言って……」
次々と、まるでマシンガンのように投げつけられる言葉に、紗夜さんはなすすべもなく呑まれていく。
しかし僕が次いで発した言葉に、彼女の顔つきが変わった。
「貴方だって、誰かから受け入れられたくてバンドをしているのではないんですか? 誰かとは違う自分になりたくて、ギターを弾いているんじゃないんですか?」
「っ!!」
その目に、明確な怒りが生まれた。
何が発火の元になったのかはわからない。しかし、紗夜さんは人をも殺せそうなほど鋭い目で僕を睨み叫んだ。
「貴方に私の何がわかるというの!?」
「何も。何もわかりはしませんよ。わからないと言ってはダメなんですか? 貴方は僕のことをペラペラと喋っていたのに。ほら、同じことをしているのにそれを嫌がる。同族嫌悪じゃないですか」
「あ、あの……二人共落ち着いてください…………!」
黒髪少女の必死な制止も焼け石に水。怒りに燃えた氷川さんの右腕が、高く上がった。
そしてそのまま、袈裟切りの如く斜めに振り落とされたその掌は、遮るものなく僕の頬に着地した。
ぱしぃいいん!!!
凄まじい音がライブハウス内に響き渡る。
今まで殴られてきたが、これほど痛いビンタは初めてだ。
痛みによろけながら、涙が浮かんでくる自分に歓喜する。今の僕はどこからどう見ても人間じゃないか。
しかし、僕の喜びは紫少女の言葉で打ち砕かれる。
紫少女は氷川さんを抑えながら、僕を恨めし気に睨んで言った。
「あなた……人間じゃない!! なんでそんな酷いことが言えるの!?」
「……人間じゃ、ない?」
少女の言葉に、絶句してしまう。
なんで? 今の僕は完全に人間だったじゃないか。人を怒らせ、殴られて泣きそうになって……今の僕のどこを見て、人間じゃないと言ったんだ?
紫少女は涙目になりながら、必死に叫ぶ。
「ちょっとは氷川さんの気持ちも考えてよ!!」
「考えてっていわれても…………そちらが先に始めたと思うんですけど」
目の前の少女が何を言っているのかが理解できない。
論理破綻している彼女の言葉が、人間らしいというのだろうか。人間らしさとは、なんだろう。
叫び声を聞きつけて、今井さんが楽屋に飛び込んでくる。
「ちょちょちょ!! なにしてんの!? どしたの!?」
「ああ今井さん、やっぱダメみたいですね。それと、あの計画……手伝いますよ」
「へっ!? ちょっと待って! この場面を説明して!?!?」
混乱している今井さんを無視し、楽屋から出る。もうこんなところにはいたくない。場違い感が半端ではないのだ。
ライブハウスの外に出ると、湊さんが僕に声をかけた。どうやら待っていてくれたらしい。
「さっき、あこの叫び声が聞こえたけど、それはその頬の跡に関係あるのかしら」
「間接的にですね。じゃあ僕はもう帰るから、湊さんも気を付けて」
「……ちょっと待って」
冷えてきた空気の中、足を踏み出そうとした僕を湊さんが引き留めた。
湊さんは僕の顔をじっと見つめると、ぽつりと言った。
「友希那よ」
「…………はい?」
「湊友希那、私の名前。そう呼んでもらっても構わないわ」
彼女の言っている意味が分からずに、数回大きく息を吸う。冷たい空気が僕の肺の中を撫でて、外に出て行く感触を楽しむ暇もなく、衝撃が僕を襲った。
「名前で…………ですか」
「ええ、嫌ならそのままでも構わないわ」
「いえ、ありがとうございます。友希那さん。僕は輝晃です」
「そう…………これからよろしくね、輝晃」
がつんと、何か硬く大きなものを後頭部にぶつけられた気分だった。
あまりのことに、上手く息ができない。
み……友希那さんはそれだけ言いたかったのか、満足げにライブハウスに入っていった。
「………………友希那、さん……か」
僕の呟きは、寒さによって出来上がった微かな白色の煙となって宙に霧消していった。
────────
──────
────
翌日
何故アメリカ人は鶏の鳴き声をクックドゥードゥルドゥーというのだろうか。どこからどう聞いてもコケコッコーではないか。ていうかなんでそんなに長くなるんだろうか。そんなことを考えているうちに、放課後になっていた。相変わらずしょうもないことに授業時間を使ってしまったような気がする。
しかし、人間性なんてものは鶏の鳴き方と一緒で、人によって違う聞こえ方になるのだと最近気づいてきた。
それもこれも、昨日僕のことを人間じゃないとか言ってきたあの紫少女のせいだろう。
あの後走ってきて謝ってくれたが。どうやら根はいい子らしい。多分、氷川さんを侮辱されて頭に血が上ったらしい。
いやはや、頭に血が上るなんて、いかにも人間じゃないか。うらやましい限りである。
中学生に嫉妬をしながら校庭を目指す。
すると、のろのろと歩く僕の肩を誰かが急に掴んだ。
そのままぐいと引っ張られ、強引に僕を引っ張った張本人を見ることになった。
既視感のある碧色の髪、昨日僕に手を出した少女よりかは幾分か短めな髪、湊さんによく似た金色の瞳。
人懐っこそうな笑みを湛えた彼女は僕に元気よく言った。
「えっと、細山輝晃くん……でいいんだよね?」
「誰ですか」
「あたし氷川日菜! よろしくね!!」
ゆっくりと、じわじわと──僕の日常が、崩れ始めた。