Fate/fairy fantasm 〜第六次聖杯戦争〜 作:星らて
獣のような怒声が鼓膜に響く。逃げるために、必死になって足を動かした。
途切れそうな息を無理やり吸いきり、千切れそうな腕をそれでも振り抜いて走る。
それでも、だ。
背後から感じる強い圧は消える気配が微塵もない。それどころか。
「ーーーーー!!!」
その声は、先ほどから比べて明らかに大きくなっていた。
それも、数段増しで。
大熊を彷彿とさせるその咆哮に、ドクンと心臓が大きく跳ねる。
嫌な汗がべっとりと肌に張り付く感覚。
思わず後ろを振り向いた。
夜の中に、その男の姿を視認する。
ーー視認できてしまう。
それほどまでに相手との距離は縮まってしまっている。
追いかけてくるその男はあらゆる面で異常と言えた。
まず背丈は目測で190くらいはありそうだ。
おまけにそのがっしりとした体つきは、まず間違いなく日本のものではないだろう。
しかしそれにも増して異常な点はその服装にある。
全身甲冑を服装と区分するなら、の話だが。
そう、そいつはまるで
鎧の色は真紅。
目を引くその赤は、鮮血に染まっているかのように見た者を錯覚させてしまう。
「つうか、鎧着ながら俺より速いってどういう身体してやがんだ!?」
そう叫ぶ間にもそいつとの距離は縮まり続ける。
ガシャンガシャンと甲高い摩擦音を響かせながら迫ってくる。
わけがわからない。
こいつが俺を追う理由が本当に思い当たらない。
「っち!!!」
どっちにしろ、このままじゃ追いつかれるのも時間の問題だ。
震えそうな声をなんとか御して、思いっきり叫ぶ。
どっちにしろ追いつかれりゃどうなるか分からないのだ。
恐怖か、ストレスか。何れにしてもこのまま黙って走り続けるのは限界に近づいていた。
ーーそれならいっそ。そんな蛮勇が俺のうちに湧き上がる。
「うっせぇ!真夜中に大声上げてんじゃねえ、近所迷惑ってもん考えろボケェ!!!」
「ーーーーー」
言ってやった。吐き出した言葉は見当違いも甚だしいものだったが、いくらか恐怖が払拭されたような気がした。
返答はない。おまけに、ぴたりと金属音が鳴り止んだ。
(・・・もしかして、止まったのか?)
どうやらそいつは俺を追いかけるのをやめたらしい。
さすがに頭が冷えたのだろう。
それでも、念のため俺は走るのをやめなかった。
気が変わる前に、追いつかれない場所まで行こうと思ったのは自然なことだった。
「いやまじでもう来んなよ」
どこかの神様にも、切に祈る。
もうそろそろ足も限界なんだ。
膝もガクガク来てるし、靴に刻んだ足早のルーンも時間切れの頃合いだ。
かといって、迎え撃ってなんとかなる自信なんて欠片もない。
「これだからチンピラは嫌なんだ!」
悪態をつきながら、夜の住宅街を走り抜ける。
魔術を使った俺より足の速いあいつから逃げきる術はただ一つ。
土地勘を使って細道を何度も曲がりまくって、撒くことだけだ。
『山田』と書かれた表札を見つければ、右に曲がる。
『斎藤』があればそこを左に曲がる。
これを出来うる限り短いスパンで繰り返す。
もうさすがに、どうあっても俺まで辿り着くことはできない。
(住宅街抜けた!あとはこのまままっすぐ!)
数時間のことのようにも感じられた、刹那の逃走劇にもようやく終わりが見え始めた。
先ほどから、やはりあいつの足音は聞こえていない。
とはいえ、油断できる状況でもない。
途切れつつある、靴に刻んだルーンに最大限の魔力を込めて、ラストスパートをかける。
目的地は、俺の家。
一見するとこじんまりとしたボロ家だが、あそこにはルーンを刻んで結界を作ってある。
いかにあのチンピラが脳筋とは言え、流石に魔術師のホームには入れまい。
息が上がる。肺が潰れるかのような痛み。
こんなにも全力で走ったのは、中学校の体育祭以来だ。
それでも、俺は前を向いてーー、
「・・・・はっっ?」
吐き切った息が白くなる。
逃げ切ったはずのそいつが、俺の前に立っている。
魔術でも説明のつかない現象は、それだけで恐怖の対象となる。
それだってのに、男は俺に対して明確な殺意を抱いている。
(あ、ダメだ。ーー死んだ)
それは直感ではなく、理解。
理性ではなく、本能が導き出した逃れようのない答えだった。
男は飢えた獣のような目をしていた。
獰猛に笑う口元を震わしながら、男は言葉を発した。
「誰がチンピラだ、殺すぞ」
ぶわりと身の毛がよだつ。
品性のかけらもない、どこかの三下が使うような言葉。
だけど、だからこそ、それは本心だと理解させられる。
「っっっ!!!、なんで、確かに、撒いたはずだろ!?」
「悪いが、俺のはそういう宝具なんだ。諦めてくれや。・・・それよりよぉ」
「だから!俺がっ、追われる理由なんて、心当たりねえんだって!」
男が何か言っている。だけどダメだ。
恐怖で頭がおかしくなったのか、耳がまともに機能していない。
だからこそ。言葉を並べろ。さもなきゃーー。
「誰がーー」
「へ?」
「誰が田舎者の野蛮な猿だぁ!?」
「んなこと言ってねーよ!!ーーぶベェ!?」
赤い鎧が消えた、と同時に腹にとんでもない衝撃が伝わった。
気持ち悪い浮遊感と、三半規管が揺さぶられる感覚がやってくる。
生きているのは、視界だけだ。急いで状況を把握しないと。
瞬時に目に魔力を通し、強化する。
遠目に見えたのは、男が長い脚をこちらに真っ直ぐに伸ばしている姿。
ああ、つまり、俺は思いっきり蹴飛ばされたのか。
「ーーがっっっはぁああうっ!?」
理解した時には、とっくにどこかの敷地まで飛ばされていた。
三十メートルほどは宙を舞ったのだろうか。
三度、地面に叩きつけられてようやく俺の体は停止した。
見渡せば、三つの小型のクレーターが出来上がっていた。
「っっづ、なんつう脚力してんだよ・・・」
ここは、どこかの屋敷の中だろうか。やたら広い敷地が広がっていた。
奥には立派な和風の家屋が並んでいる。
そうして、顔をあげた俺は心中をそいつにぶつけずにはいられなかった。
「瞬間移動は、ずるいだろ」
目の前には、紅い鎧を着た男が立っていた。
加えて男の右手には、銀の槍が携えられている。
強烈な違和感を放つ、現代日本にそぐわない古代の武装は、しかし真紅の鎧に合っていて。
槍の穂先がこちらにぴたりと向けられる。
不思議なことに、事ここに至って、もう死にたくない、なんていう段階は過ぎ去った。
初めから、相手はその気になればいつでも俺に追いつけたのだ。
さっきまでの逃走劇は、鎧の男にとっては茶番だった。
ーー心が、折れた音がした。
むしろ、いっそ晴れやかな気持ちだ。
しっかり一撃で殺してくれ。
「なんだ、思ったより丈夫な身体してんじゃねえか」
「お前に言われたくねえよ、バケモンめ」
「っち、チンピラだのなんだの、さっきからてめえは人を罵倒しねえと気が済まねえのか」
「はっっ、理由もなく人を殺す奴に指摘されるとは思わなかったな!」
その男は、何故だか。
はあ。といっそため息さえ吐きやがった。
何か、哀れなものを見るような目で俺を見下し、そして真実を語った。
「まさかてめえ、この街の魔術師のくせして聖杯戦争も知らねえのか?」
「・・、せい、はいがなんだって?」
「まあ良いや。どっちにしろ目撃者は殺す。ましてそれが魔術師なら尚更だ。まあ、あれだ」
「待て、どういう意味ーーーー」
「これも一つの運命ってこった。諦めろ」
ざくり、と小気味のいい音が鳴った。
それは心臓が突き破られる音だった。
視界が真っ白に染まっていく。
思考がまったくできなくなる。
ーーーー俺は、死んだ。
鎧の男は、槍に突き刺さった俺だったモノを振り飛ばす。
ソレは大きく円を描いて、どこかの蔵に入り込んだ。
ソレの中身からは血がとめどなく流れ続けた。
「っち、つまんねえ仕事だったぜ。・・・アーチャーも逃がしちまうし」
それだけ言って、真紅の鎧を着た男はその場を立ち去った。
「ふう、やっと去ったか」
貫かれた心臓はもうほとんど修復している。血は流しすぎたのが少しまずいが、しばらく休んでいれば戻るだろう。
身体と、血が直っていくと同時に、腹部に刻まれたルーンが少しずつ薄れていく。
『蘇生のルーン』
常日頃から、死ぬことを異常に恐れる俺が自分自身に施したルーン魔術。
その効果は、味方がいない時に限り、一度だけ瀕死から蘇生するというモノ。
一見万能に見えること魔術ではあるが、当然欠点もある。
例えば、あまりに原型を留めずに体を壊された場合。あるいは、ルーンを刻んだ箇所ごと潰された場合。
こういったケースの前には、蘇生のルーンは効果を発揮しない。
「あいつの腕が良くて助かったな・・・」
心臓一突き。断面図すら綺麗なほどのその鋭さに今回は救われた形になった。
何より助かったのは、あいつが俺が死んだままだと思い込んでいることだ。
しばらくこの街を離れれば、ひとまずは安全だろう。
せいはいとかいう言葉は気になるものの、自分の命と代えられるものなんてあるわけがない。
そう決意していると、急に眩い光が蔵の中に充満した。
「は、はあっ!?なんだこれっ」
よく観察すれば、光源は蔵の床だった。厳密には、床に描かれた魔方陣である。
本来、魔方陣はそれ単体ではなんの効力も発揮しないはずだが・・・。
もしかしたら、流れた俺の血で作動してしまったのか。
(いったい、何が起こるんだ?)
ゴクリ、と思わず喉が鳴る。
魔方陣はばちばちと紫電を発している。
迸る魔力は一秒毎に増加していき、ついに臨界点に達していた。
そして、蔵の中が派手にドカーンと爆発。ついで壁まで吹き飛ばされる俺。
「ごふっ!?」
めちゃくちゃ痛えんですけど!?そろそろ本当に死にそうなんですけど!!
あまりに理不尽な仕打ちに、いよいよ我慢の限界がきた俺はーーそいつに向かって問いただす。
「てめえいったいどこのどいつだ!?」
「はじめまして。わたしはキャスター。真名を・・・卑弥呼。順番が逆になりましたが聴きましょう。」
「あなたがわたしのマスターかしら」
そこに立っていたのは、絶世の美貌を誇る女性・・・ではなく、巫女服を纏った可愛らしい少女であった。
尊大な口調を言うだけあって、うちに秘める魔力量は信じられない数値に換算される。
少女は俺をじっと見下しながら、ふっと呟いた。
「・・・もしかして出てくるの遅かった?」
「なんかわからんけど、治療してもらえると助かります」
言いながら、口から吐血する。
それを見た少女は慌てふためきながら、俺の治療に取り掛かった。
なんでか、めちゃくちゃ謝罪しながら。
少女の回復魔術を受けながら、俺はそのまま眠りについたーー。