ヴィラン名 『チェンソーマン』 作:ナメクジとカタツムリは絶対認めない
「おはよ、デンジくん!」
「あ、ねじれちゃん!」
ガラガラ、と保健室のドアが開き、ねじれがにこやかに入室する。その姿を確認したデンジは喜色の表情を見せ、ベッドから跳ね起きた。
「休憩中だったの?ごめんね!」
「全然!」
そう言い放ったデンジは、ねじれの手に持っている本を見て目を輝かせる。
「おお!『スパイダー男』じゃん!新しいの持ってきてくれたの?」
「うんうん!デンジくんね、知ってる?この巻でスパイダー男ね──」
「うわあちょっと!ネタバレは無しっすよ〜!」
自身の持つ知識を披露しようとしたねじれを見て、慌てて耳を塞ぐデンジ。次第に互いに笑い合い、温かい雰囲気が保健室に広がった。
「私も一緒に見て良い?」
「ああもう、超見よ!超!」
「やった!」
そう言って、ねじれはデンジの横に深く座った。ふわり、と甘い香りがデンジの鼻をくすぐり、思わず頬を緩ませてしまう。そんな彼に気づく事なく、ねじれはデンジの肩に手を置き、漫画を覗き込んだ。
「へへ…」
「面白いねー!」
「え、ああ…そすねぇ」
ねじれはデンジが楽しそうにしているのを見て、にっこりと笑う。…実のところ、デンジは全く漫画を見ておらず、自身に寄りかかるねじれの柔らかい感触に集中しているのだが。
故に気づかない。ねじれの笑顔の奥底──そこに、仄かな暗い感情があるのを。
「──おみまい来てくれんならよぉ〜、なんかうめえモンねえのかよ」
「…リンゴならあるぞ」
「ん、それくれよ」
ミリオとの戦闘後。貧血になったデンジが保健室で目を覚まして最初に見た光景は、雄英ビッグ3と相澤が自分を見下ろしているものだった。
「…お前な、無茶しすぎだ。前にも言っただろ、自分にできねえことはするなって」
「あ?無茶してねぇよ」
「──自分の腕まで切って、どこが無茶してないって言えんだ」
「結局治んだから別に良いだろ」
相澤の問い詰めを軽く流し、リンゴを丸齧りする。しゃく、と音が響く。しばし沈黙が流れた後、口を開いたのはねじれだった。
「──どうして、そんなに頑張るの?」
「え?」
「おかしいよ、デンジくん。いっぱい痛い思いして、それでもまだ痛い思いしようとして…何がデンジくんを動かしてるの?ねえ、知りたいな」
「…………」
その迫るような声色に、デンジはしばしリンゴを齧るのを止め、そして口を開いた。
「──俺には、ポチタっつー家族がいるんです」
(…!?)
その新事実に一同が驚愕の表情を見せる。それもその筈、今までデンジは家族関連の情報など両親の事以外言わなかった。
「そいつは、俺のクソみたいな生活にも文句言わずついて来てくれて、いつも一緒にいて。俺の家族はあいつだけでした」
「──デンジくん。その、ポチタさんは、今は…?」
「──ここにいるよ」
そのミリオの問いかけに、デンジは静かに自分の胸を指し示した。その仕草を見て息を呑むねじれ。
「で、そいつの夢がですね…俺の夢を叶えてほしいんですって」
「え…?」
「俺ぁ普通の生活がしたかったんです。飯食えて、布団で寝れる。それだけでよかった。そしたら、ポチタの奴『それが私の夢だ』って言って!マジでびっくりしたなぁ」
懐かしむようなその顔を見て、相澤は静かに目を伏せる。こんな表情を、16歳の若者が見せるだろうか。普段の能天気なデンジとは裏腹に、今彼の顔は慈しみの表情を浮かべていた。
「約束したんです。俺がポチタの分まで生きるから、俺の夢をポチタに見せてやるって。だから俺はすんげえ頑張るんですよ。そのためだったらなんだってやります」
その瞳によぎるのは、亡き友の約束を果たすための契約。
「三食食えて、風呂入れて、ふかふかのベッドで寝れて、ヤオヨロもねじれちゃんもミッドナイト先生も居て、人間扱いしてくれる。こんな生活、最高じゃないっすか」
その時、その場にいる者達は気付いてしまった。この、目の前にいる少年。あどけなさが残るこの少年は──。
「俺ぁ軽〜い気持ちでヒーロー目指してるけど、この生活続けられるんだったら、死んでも良いんです」
──もう、どうしようもなく、壊れているのだと。
「あ、おい!」
「──どうした」
話が終わり、相澤達が退室しようとすると突然デンジが相澤を呼び止める。振り返ると、デンジは真剣な表情でこちらを見ていた。
「──安心しろよ。アンタらみてえにご立派な理由はねえし、ショボいやり方しか出来ねえけどよ…テメェと同じくらい俺マジでやっからさ、ド〜ンと期待しといてくれ」
ねじれはデンジの顔を見る。先程は自分の顔を見ていたはずの彼は、キラキラした目で漫画を楽しんでいた。そこにはあの狂った執念は無く、年相応の爽やかな目であった。
それを見てねじれは心の中で安堵の息を吐く。
(これでいいの。デンジくんは普通にしてれば、いいの)
彼の過去を聞いた時、戦慄と共に凄まじいほどの怒りを覚えた。どうして彼がこれほどの仕打ちを受けなければならなかったのか。誰がそこまで歪めてしまったのか。
(……私が、どうにかしてあげないと)
その気持ちを込めてデンジの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。そんな彼を見て、心を癒していると──。
「へへ…あ、そーだ。ねじれちゃん、俺、頑張りましたよ」
その言葉を聞き、即座に合点がいく。おそらくミリオのことだろう。…あそこまでやる必要は無かったが、しかし頑張ったのは事実。そこで抱擁でもしようと身を寄せ──、
「──俺、
「────え?」
ねじれの体が止まる。いや、体だけでは無く、思考も。デンジは今なんと言った?自分のため?何故?
「頑張ったらさぁ〜、こうやって褒めてくれるって信じてたぜねじれちゃ〜ん!」
(──わたし、に褒めてもらいたくて?)
動悸がする。目まぐるしく視界が蠢く。じんわりと背中から嫌な汗が噴き出てくるが、それを気にする余裕もない。
デンジは先の戦闘で腕を切り落とした。そこまでやる必要などなかった。訓練なのだから。でも、デンジはそれをした。何故なら──。
(え、待って、待って、待ってよ、じゃあ──)
──ねえねえ、先生。もうやめさせよう?これ以上見たくないよ。
──どうして、そんなに頑張るの?
──おかしいよ、デンジくん。
(────わたしじゃん)
「──俺、もっともっと頑張るからさ、だからさ、その…ご褒美とか」
ねじれはデンジの言葉を聞く余裕など無かった。体の奥から溢れ出るモノを、今すぐに出すことしか頭に無かった。喉を通り、熱いモノが口から溢れ出てくる。
「──げぇ……っ!!」
びちゃびちゃ、と不快な音が保健室に響く。隣から聞こえる悲鳴をよそに、ねじれは吐き続けた。傷口から膿を押し出すように、自分の中から、悪いモノを吐き出そうとする。
隣の温かい良いモノが距離を取ろうとする。ねじれは途端に心が凍てつくのを感じた。死人になっていくようなそんな気持ちを除くべく、ねじれは思い切りデンジの腕にしがみつく。
「う゛──待っ、で!ごめん、なざい゛!いがないで!!──おえ」
「イヤイヤイヤイヤ!ちょっ、きったねえ!!」
必死に抵抗するデンジだが、尋常じゃない力で抑えられた故に何もする事が出来ない。ましてや今ゲロを吐かれているとはいえ、衰弱している憧れの人を乱暴に振り払うことは躊躇われた。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁぁっ、」
「うう…う、ええ!シャツに付いた!キショいぃ〜……!」
徐々に落ち着きを取り戻していくねじれと対照的に、自分がゲロまみれになった事に絶望するデンジ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「わかった!わかったからぁ!どいてくんねぇ!?汚ねえよホント、ちょっ、どけぇ!!」
「──!ヤダヤダヤダヤダ!!ごめんなさいごめんなさい!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
憧れの感情が崩れていくと共に、デンジは泣きながら絶叫を発した。
なんで俺は曇らせ書こうとしたらゲロ書いてんだ