ヴィラン名 『チェンソーマン』 作:ナメクジとカタツムリは絶対認めない
って事でお久しぶりです。
「おにいちゃーん!」
コテージを出てすぐに、自身を呼ぶ幼い声が聞こえる。アキはその声に、顔を顰めながらゆっくりと後ろを向いた。
そこにいたのは、こちらを笑顔で見つめながら一生懸命に靴紐を結ぼうとする少年が居た。そんな彼の姿を見て、アキは鼻を鳴らす。
「……なんだよ」
「さんぽ行くんでしょ?ぼくも行きたい!」
キラキラと邪気のない目で見つめられると、どこか居心地が悪くなるのを感じた。
「…ダメだ」
「え、なんで!」
「お前外に出すと母さんと父さんに怒られちゃうだろ」
「それは…」
「だから無理」
しょぼくれた顔をした弟から逃げるように、アキは山へ駆けていく。一人で歩く山道は、いつも静かだった。
「ただいま」
「おかえり、アキ」
「おかえりおにーちゃん!」
散歩から帰ったアキを待っていたのは、ベッドに入った弟と、それに絵本を読み聞かせる母の姿だった。
「父さんは?」
「今書斎にいるわ。タイヨウが他の本が読みたいからって」
「……そっか」
そう言って、また母はタイヨウに絵本を読み始めた。それを見て、アキはどこか心の中に靄が掛かる気分になる。
ずんずんと歩いて行き、スマホを手に取ってアルバムを開く。その目的は、先の散歩で見つけた動物たちを母親に見せるためであった。
「──そして、ふたりは…」
「──見てよ母さん!今日いっぱい動物見つけたんだ!」
「あら、すごいわね。でも今はタイヨウが先なの。後で聞いてあげるから…」
その言葉を聞いて、アキは途端に顔が熱くなる。気を引こうとしたにも関わらず、相手にされなかったと言う羞恥心。そして自分よりも優先されたタイヨウに対する怒りの二つが、彼の心を埋め尽くした。
「…父さんの所行ってくる」
「あ、兄ちゃん…」
モダンな雰囲気の書斎の扉を開けると、そこでは父が本を両手に持って険しい顔をしていた。
「タイヨウはどっちが好きだろうな…?ヒーロー雑誌か?いやでも、あの子はあまり興味がなさそうだったし…」
「父さん」
「ん?おお、アキか。おかえり!」
父を呼ぶと、屈託のない笑顔を向けてくれる。しかしそれもすぐに顰めっ面となり、またもや本と向き合い始めた。
「…父さん、見てよこれ!今日珍しい動物見つけたんだよ!いつもは森の奥にいる奴もいてさ!」
「お〜!凄いなあ。えーっと…?『世界のハロウィン特集』?…誰が見るんだコレ」
アキの話も漫ろに、父は頭を抱える。その姿──自分より、タイヨウの事を考えている姿に、アキの機嫌は途端に急降下していく。
「…何でだよ」
「ん?」
「──何でタイヨウだけっ!アイツはまだ外出れないから家で父さんと母さんと遊んでたんだろ!?俺とも遊んでよ!!」
だからだろうか。いつもは心の底に秘めて、決して口に出す事はしなかったその言葉を発してしまったのは。
目を丸くした父の姿を見て、アキは口を止めなかった。捲し立てるように、噴き出るものを抑える事なく、感情を発露させた。
「いつもタイヨウばっか優先して!!こんななら!アイツなんていなけりゃあ──!!」
「アキッ!!!」
初めて聞いた、いつも穏やかな父のその怒号は、その激情を止めるには十分すぎる冷たさを持っていた。体を震わせ、父を見る。しかし、そのどこか苦しそうな顔を目にした瞬間、鎮火したその熱も、すぐに息を吹き返した。
「──もういい。母さんも父さんもタイヨウもみんな嫌いだ」
そう言い残し、アキは書斎の扉を壊す勢いで開き、走り去っていった。残るのは、痛い程の沈黙と、俯く父だけ。
「──あなた…?」
怒声を聞いて飛んできた母が書斎を心配気に覗き込む。アキの父は、項垂れて、自身のパートナーに力無く笑った。
「……親失格だ、俺は」
「───」
その父に寄り添う母の姿を見たタイヨウは、静かに外出用のニット帽を被った。
「なんだよ!なんだくそ!死ねっ!死ねっ!!」
そんな言葉を吐き散らし、アキは森の中を進んでいく。薄暗くなっている今の時間に、子供が一人森林に居るのは危険だ。遭難の可能性もあるし、野生の動物に襲われてはアキはひとたまりもないだろう。両親にも、夜遅くは山に行くなと釘を刺されていた。
(もう知るか。母さんと父さんは俺のことがいらないんだ。それなら勝手にしてやる)
しかし、今のアキは自暴自棄になっている。両親に裏切られたと思った彼は、自分で自分のコントロールができなかった。
迷いなく草藪を越えて、アキが向かった先は、昼間に動物の写真を撮った開けた場所。ここが今、彼にとって一人で落ち着ける唯一の空間だった。
アキは寝転んで、星空を眺める。そうすれば、少しは怒りが収まると思ったからだ。綺麗な星を眺め、ふと、この景色をスマホで撮影しようとポケットに手を入れ──目当てのものがないことに気づく。
(……家に置いてきちゃった…)
舌打ちをして、大人しく目を瞑る。
「くそっ」
苛々が止まらない。先ほどよりもっと、心の中がごわごわとする気分だった。
「くそっ、くそっ!」
それはなぜか。スマホを忘れたから?違う。景色を撮影することができないから?それも違う。
「くそ──っ…うぅ…!っぐすっ!ゔぅ〜〜!!」
“この星空を見せれば、もう一度両親と話せる”と、そう思ってしまった自分のその考えに、腹を立てていたからだった。アキは幼い。いくら表面上は暴言を吐いていたとしても、心の中では家族と仲良くしたいという当たり前の感情を抱いていたのだ。
そして、その『家族』の中には、弟も入っている。
「──はあ」
(……アイツにも、当たっちゃったな)
元々今回の山岳旅行の目的は、タイヨウのためでもあった。生まれつき身体が弱く、薬を定期的に飲まなければいけないタイヨウだったが、つい先日、医者から『薬をもう飲まなくても良くなった』という診療結果を受けたのだ。
これに酷く喜んだ両親は、タイヨウの退院祝いも兼ねて、自然豊かな山岳で旅行をすることに決めた…というのが、今回の流れだった。
体調がまだ優れていない弟に、声を荒げてしまった──冷静になった頭で、そんな事実を再確認し、アキは赤くなった目元を伏せ、息を吐いた。
がさり。
「──っ」
冷静になると、周りの様子も分かりやすくなる。先程までざわざわとしていた周囲が、しんと静まり返っていた。故に、やけに響いたその物音が酷くアキの心を揺さぶった。
がさがさ。
再びその音を聞いた時、アキは跳ね起きてそこに目を向ける。その音は、先ほどよりもアキに近づいて来ていた。
「ひ…」
思わず引き攣った声を上げる。──それに反応したかのように、茂みの揺れる音が大きくなった。
がさがさがさがさっ!!
思わず『個性』を使うことも忘れるほど、恐怖という感情を抱いた、アキの視界に飛び込んできた者は──。
「──おにいぢゃ〜〜!!」
顔を鼻水と涙でぐちゃぐちゃにした、自身の弟だった。
「……なんでここがわかったんだよ」
泣きついてきたタイヨウをあやし、アキは白い目を向ける。それを受けタイヨウは、懐からあるものを取り出した。
「俺のスマホ…」
「おにいちゃんの写真!そこにいると思ったから!」
タイヨウは、アキのスマホの写真の撮影された道を頼りに、一人でここまできたのだ。昼に撮った写真を、撮った順番に辿っていくことで、アキの場所を逆算していた。
「…でも、俺がいるってどうして思ったんだよ。いなかったらどうしてたんだ?」
「…だって、おにいちゃん。楽しそうにいっつもお話ししてたから。だから、いるなら、そこかなって…」
アキは口を開けたまま固まった。家族の誰も聞いていないと思っていた自分の話。しかし、それは間違っていた。一人だけ、ベットの中でしっかりとアキの話を真剣に聞いていたのが、タイヨウだった。
(……)
「おにいちゃん、ごめんね。ぼくが身体よわいから。お父さんとお母さんに怒られちゃった。ごめんね」
「──違うっ」
その言葉を聞いた瞬間、アキは声を上げてそれを否定する。
「──俺が悪かった。ごめん。意地張って、お前を傷つけた。お前は悪くないのにっ」
その謝罪を受けたタイヨウは、しばし目を丸くして──。
「じゃあ、お互いさまだね!」
朗らかな太陽の様な笑みを、アキに向けた。それだけで、アキの今まで荒んでいた心の中は穏やかになったのだった。
「おにいちゃん」
「ん?」
「あの…お父さんと、お母さんもね、おにいちゃんに意地悪したくてしてるんじゃないと思う」
「……ああ」
「だからね、だからねっ。…いっしょに、ごめんなさいって、できないかな…?」
こちらを伺う様に見上げて、そう提案するタイヨウ。その手に力が籠るのを、手を繋いでいたアキは感じ取る。
「……」
しばしの沈黙。それと比例するかの様に、徐々に力は強くなっていった。それに苦笑し、アキはひとつ首肯する。
「…そうだな」
「…!ほんと!?」
「ああ」
「〜〜〜!そしたら、そしたらね!?ぼくにいちゃんともお外であそびたい!」
「…何がしたいんだよ?あんま森の奥はダメだぞ、危ねーから」
「え!…えーっと、う〜んと…!」
「──コテージの近くでキャッチボールなら大丈夫だろ。母さんたちも近くにいるし」
「わあああ…!!」
目を輝かせるタイヨウと、そんな会話をしていると。
「──アキー!タイヨウーー!!」
「あ!お父さんとお母さんだ!」
遠くから、アキたちを呼ぶ声が聞こえてくる。ふと気づくと、既にコテージの近くまで二人は辿り着いていた。
「へへ!おにいちゃん競争!」
「あ!おいずるいぞ!」
そう言い残し、タイヨウは走って行く。アキもそれに続き、軽く足を早く動かす。緊張する気持ちを抑え、父と母に謝る勇気を出して。
草藪を掻き分け、アキは見た。玄関前で、タイヨウと両親が抱き合っているのを。だがもう、負の感情は無い。三人が泣き笑いしている場面を、アキも笑みを浮かべて見続ける。
ふと、タイヨウがこちらに指を指す。それを見た両親もこちらを見て、安心した様な表情を浮かべた。アキは、それに応じる様に、一歩歩みを進める。──それは、少年の心が成長する第一歩でもあった。
目の前が真紅に染まる。目の前にいた筈の家族が突然起こった爆発に食い荒らされるその瞬間を、アキは視覚で認知した。
次に感じたのは、音だった。鼓膜どころか全身が震えるほどの轟音が、アキの耳を襲う。その中には一瞬だけ悲鳴が混じっていた事を、彼は後々に思い出す。
その轟音から逃れようと、アキは両耳を塞ごうとして──全身を襲う強烈な爆風に耐えられず、吹き飛んでいった。ごろごろと転がり、凄まじい熱波と衝撃で意識が朦朧とする。
それでも尚、アキは家族の元へ目を向ける。何が起こっているのか分からない。分からないが──父と母、そしてタイヨウの元へ行けば、安心だと思っていたから。そして──アキは
目が合う。計6つのその目には、光が無かった。バスケットボール大の大きさのそれらは、いつも自分を見守っていたモノたちと酷似していた。
喉奥で、ごぽりと音が鳴る。胃酸が逆流して行くのが分かった。しかし、吐き出す事は叶わない。その動作を行うよりも先に、アキの身体は彼の精神を守るため、その意識を落とす事を決めていた。
落ちゆく意識の中、アキは見た。そのバスケットボール大のモノから生えている頭髪を、まるでブランド品のバッグのように肩に掛けた人物を。
(爆……弾……あた、ま…!!)
いつしか父の書斎で見た、自由落下爆弾の様な頭部をした女性的外見の身体の持ち主。その姿を視認し──アキは、意識を失った。
アキは目を覚ます。また、あの日の夢を見ていた。全てを失った、あの日。あれからアキは、復讐の為だけに生きてきた。山岳地帯専門のプロヒーロー達に保護された後も、学校に行く時も、それだけを考えて生きてきていた。
それが世間からは否定される事だと言う事は分かっている。だから隠す努力をしてきた。それでも、諦めない努力をしてきた。『個性』だって、もう人を殺せるほど伸ばして伸ばして努力をしてきた。
「──よ〜。やっぱここか」
だからこいつが嫌いなのだ。へらへらとして、異性に鼻を伸ばしているこの金髪の男を、アキは認められなかった。