ヴィラン名 『チェンソーマン』 作:ナメクジとカタツムリは絶対認めない
(…ここで待ってりゃ良いんだな…よーし…!)
月明かりだけが、山道を照らす夜。その端に生えた草藪の中で、デンジは虎視眈々と雄英生徒が来るのを待っていた。
溢れ出る闘志がデンジの身体中を駆け巡る。脳裏に過ぎるのはマンダレイとの会話。
『肝試し、終わったらさ。…私の部屋来て。こんなおばさんで、良いならね』
(行きまァ〜〜〜〜す!!)
幸せがもう近くに見えている。その事実が、デンジの体を突き動かす原動力になっていたのだ。
手に握った玩具のナタを握り締め、決意を露わにするデンジだった。
(……にしても)
「人、全然来ねえんだけど」
思わずぽつりと呟く。待機場所に着いてからおよそ20分は経った筈。しかし、生徒の姿は一つも見えず、周囲に人の気配すら無い。
(ん〜、場所変えっか)
場所が悪いのかと不安になり、デンジが少しだけ合宿所に近寄る事に決めたその瞬間──。
突如、空が蒼く光る。その眩しさに思わず目を瞑るデンジが次に感じたものは、何かが燃えるような匂いだった。
黒煙が、蒼い炎の色と混ざり合い、不気味な暗色となって空に溶けていく。その炎は、今まさにデンジが向かおうとしていた合宿所から生まれていた。
──合宿所。燃え盛る業火に包まれたそこでは、一つの勝敗が決まろうとしていた。
「目的、人数、配置を言え」
「何で?」
相澤が襲撃犯であろうツギハギの男を取り押さえる。尋問にそぐわない答えをした瞬間、いつでも再起不能にできるようにしているその様子は、誰から見ても勝者と敗者が決まっていた。
その筈なのだが、両者の顔はむしろ真逆──押さえつけている相澤は、どこか焦燥の色を滲ませていた。
「こうなるからだよ」
ごきり、と鈍い音が辺りに響く。それと同時に、ツギハギの男の左腕は力無く地面に伏した。
「次は右腕だ、合理的に行こう。足まで掛かると護送が面倒だ」
「焦ってんのか?イレイザー」
二度目の音。しかし完全に両腕が使えなくなったその男が笑った瞬間、少し離れた場所から爆発音が聞こえる。
「何だ…?」
「──先生!!」
その音に気を取られていた相澤だったが、すぐに聞こえてくる生徒達の声に耳を傾けた。
草藪から出てくるA組の面々を見た相澤は、無事だという事実に安堵をする。そしてその緩みがほんの少し──少しだけ、身体に影響してしまった。
「!」
「──っと。流石に雄英の教師を務めるだけはあるよ。なあ、ヒーロー」
僅かに緩んだ拘束を、器用に足だけで立ち上がり振り解いたツギハギの男は、生徒をじろりと見て笑う。
それを見た相澤は何かされる前にと、まだ繋がっていた捕縛布を手繰り寄せ──。
「そんなに生徒が大事か?」
突如どろり、とツギハギの男の体が泥のように溶けていく。
「!?」
「まァ、
その言葉を残して、完全にツギハギの男は泥と化した。
「先生っ…!」
「──中、入っとけ」
心配気な峰田の声にそう返答した相澤は、捕縛布を仕舞いながらブラドキングの元へ向かう。
(『どっちもハズレ』『居ない』…狙いは複数人の誰か。…駄目だな、情報があまりにも少ない。──いや、今は)
その顔はいつもガサツな雄英高校の教師ではなく、プロヒーロー『イレイザーヘッド』としての顔付きになっていた。
「こんな所でやられるなよ、ヒヨッコども…!」
「はあっ、はぁっ!──げほっ、…!オイ八百万!頼むよしっかりしろ!」
「……ぃ。だ、いじょ…ぶです」
「──くっそおお!!」
森の中を決死の形相で駆け回る男子生徒──泡瀬洋雪は、必死に腕の中の八百万に声を掛ける。しかし、返ってくるのは朦朧とした弱々しい返事だけ。
十分前程から泡瀬は足がもつれそうになりながらも、背後から木々をへし折り迫ってくる
「ネホヒャンッ!ネ、ネネホヒャンッ!」
常人の二倍はある屈強な身体に、八本の腕。そして頭部の大半を覆う様に剥き出しとなった脳味噌。改人脳無は、支離滅裂な言葉を吐きながら、腕に埋め込まれたチェンソー、ドリル、金槌などを鳴らして泡瀬らを追いかける。
「たのむっ、八百万…!今だけでいいから走ってくれ!追いつかれる!」
「はい……!すみ、ません…!」
泡瀬の個性──『溶接』で、八百万を抱えて走れていたが、最早その体力も尽きかけていた。頭部から血を流している八百万は、力を入れようとするも、ずるずると足は引きづられるのみ。
じわじわと脳無との距離は詰められていく。アレに捕まれば──。その焦りと恐怖が、泡瀬の心を支配してしまった。
「あっ」
泡瀬と八百万の身体が宙に浮く。体感速度が遅くなった泡瀬が足元に目を向けると、そこには地面から少し浮き出た木の根があった。
(──死んだ)
「ごめん、八百万!!」
そう確信した泡瀬はせめて、八百万だけは守ろうと身体を前に出して、目を瞑った──。
「オイ!こっちだ!」
「ギャアア!?」
その声が聞こえた瞬間、目の前の怪物が悲鳴を上げ始めた。何事かと、泡瀬は目をゆっくりと開ける。その視界に写った光景は、自分の頭部に突き刺さった枝を抜こうとする脳無の姿だった。
「な…何が…!?」
「上だ!上!」
「え──?」
困惑しながらも声に従い、上を見上げる。そこには、木の上から金髪の少年がこちらに手を伸ばしているではないか。
「ヤオヨロ渡せ!」
「──あ、ああ!!」
即座に『溶接』を解除。八百万を持ち上げ、少年に渡した後、自分も急いで大木の上に登り上がった。
「お、おい…でもどうすんだ!?アイツが登ってく──!」
「シーッ!静かにしろバカ!!」
詰め寄ろうとする泡瀬の口を慌てて手のひらで塞ぎ、自身も息を潜めて脳無の様子を伺うデンジ。それにならって、泡瀬も恐る恐る下を覗き込んだ。
「……ネホヒ、ヒ、ヒ…?」
頭の枝を抜き取り、しばし辺りを見渡し始めた脳無。その仕草は、デンジらの居所には気づいていない様子だった。
それを見て、デンジは小さく──それでいて得意げに鼻を鳴らす。
「やっぱな。ヤロー、自分のチェンソーとかドリルの音で俺たちの事見失ってんだ」
「た…助かったぁ…!」
崩れ落ちる泡瀬を横目に、デンジはぐったりとした八百万を抱える。彼女の淡麗な顔は、額から流れた血液で赤く染められていた。
それを見て、デンジは軽く舌を打つ。
「ヤオヨロ、しっかりしろよ。今先生の所に連れてってやるから」
「ぁ……う、デンジ、さん……」
「ゴメンな、俺がもうちょい早く気づいときゃ良かった。…テメー!ヤオヨロ守るのサボってたんじゃねえだろ〜な!」
「そんな事しねえしうるせえし声がでけぇよ!!静かにしてくれ頼むから!!…でも八百万、ごめん」
「……いいえ」
霞んだ視界で、デンジと泡瀬の言い争いを見ていた八百万は弱々しく、だが確かに首を振り、微笑んだ。
「…泡瀬さんは私をここまで運んで下さりました。それだけでも…感謝すべきことです。──そして…」
そこで八百万はいったん言葉を止め、頭に添えられていたデンジの手を取り、頬に当てた。
その汗でしっとりとした暖かい頬の感触に、そしてまるで飼い主の手に擦り寄り、気持ちよさそうに目を細める猫の様な表情をした彼女に、緊迫した状況であるにも関わらずデンジは意識をしてしまう。
「や、ヤオヨロ?」
「……いえ、なんでも」
「そ、そっか。え、え、えと、手」
「しばらく、このまま……。だめ?」
「だめじゃない!!」
その返答をする事をどこか分かりきったような表情を浮かべ、八百万は目を閉じた。
「…お取り込み中の所悪いんだけどさ。俺たちでここから移動する訳だし、『個性』含めて自己紹介しとかね?俺、泡瀬。個性は『溶接』。物と物をくっつけられる」
「あ〜…デンジ。個性は……血ィ使ってパワーアップ…的な?」
「血…パワーとかブラド先生と似た様な個性って事か?ヒーロー科そういうの多くね?」
自身がチェンソーマンだという事実は誰にも知られてはならない為、茶を濁す様に話すデンジ。それに気づかず、泡瀬は首を捻った。
「…まあいいや、どんくらい強くなる?例えば、またアイツが襲ってきたら…」
「ああ、まあやれると思うぜ」
「マジ!?どんな強個性だよ…!」
「──ダメ、です」
その何ともない返答に、幾分かの希望が見えた泡瀬は表情を明るくさせる。しかし、すぐにそれは倒れた八百万から却下された。
「…だめ。今は、行かないで…」
「…っでもさ、八百万。お前が…」
「──おねがい、します」
「……ヤオヨロ」
力無く、それでいて必死さを覚える程のその言葉に、泡瀬は口を閉ざす。デンジはそれを見て、しばし逡巡した後、ギザギザの歯を見せて八百万に笑いかけた。
「…分かったよ。──ま、昼に俺も訓練で血ぃ使ったから本気出せねーし、ヤオヨロが言うんならやらねー」
「な…!おま、それ先言えよ!俺がひでぇ奴みてぇになるじゃねえか!」
そう憤慨する泡瀬は、鼻を鳴らしながらも脳無の様子を伺う為に、少しだけ木の枝から身を乗り出した。
「…!おい、見ろ!バケモンが…!」
泡瀬が興奮しながらデンジの肩を叩く。その指を指し示した方をデンジが見ると、脳無が自分たちの追跡を諦めたのか、あらぬ方向へ向かって歩き始めているではないか。
泡瀬は心底ホッとした様に座り込む。長らく晒されていた脅威からようやく解放された反動で、彼の目尻には少量だが涙が浮かんでいた。
「よ…良かったあ…!おれ、生きてる…!」
「……ええ、本当に、助かりました…」
その報告を聞いた八百万も、安堵の息を吐く。そして次に、自分の窮地を救った本人──、デンジにも、笑顔を向けた。
「デンジさんも、ありがとうございます。…本当に、不甲斐ないですわ…私、あなたが居ないと何も……──え?」
その時、八百万は目を見開く。身体に走る痛みも、もやがかった意識も、それを見た瞬間に消えていく。
デンジは脳無の歩く様を呆然と見つめていた。そして、その右手は何故か、自身の胸から生えているワイヤーに掛けられている。
「デンジ…さん?」
どうして。その感情が八百万の頭の中を支配する。先程までは自身らと一緒に安堵していたではないか。『個性』はもう使わないと言っていたではないか。何故、そんな仕草をしているのか。
デンジの視線を辿れば、何の変哲もない景色だけ。あえて言うのであれば、月明かりに照らされている、
そう──ただ、それだけ。
(ポチタがいなくなった時があった)
脳無を見下ろしながら、デンジは思い出す。
(その日は俺じゃなくて、ポチタが実験に行かされてた)
ペストマスクを付けた男に、たった一人の家族が引き摺られていくのを、力の無かったデンジは他の男に殴られながら見ているしかなかった。
(俺の時は一日で終わるのに、ポチタは帰ってこなかった)
もう一人の同居人に、どれだけ慰められても、励まされても、デンジは言いようのない不安感に襲われていた。
夜暗闇の中、布団に包まる自分の身体は震えてしまって、どうしようもなく静かに泣きたくなったり、それとは反対に発狂しそうになったりと、デンジは訳が分からなかった。
(結局ポチタは、三日後にぼろぼろになって帰って来た。その日は安心して、泣きながら一緒に寝たのを覚えてる)
傷だらけで戻ってきたらポチタを見て、怨嗟や殺意が湧き上がりそうになったが、それよりも心の底から安堵が身に染みて、彼と二人で抱き合って泣いた。
復讐も夜のうちに沢山考えた。どうすれば一番苦しませて殺してやれるのか、何をすればあいつらは一番嫌がるのか。だと言うのに──ポチタが帰って来ただけで、全てがどうでも良くなったのだ。
それほど、『家族』という存在は、デンジにとって大きかったのだ。
(アイツは──)
「おい、アワセ」
「…な、なんだよ…!マジ、止めろよな…そんな事…」
「デンジさん──!やめて…!お願い、です…!もう、貴方が傷つく必要は無いんです…!だから、その手を、離して──」
「ヤオヨロの事、絶対傷つけんなよ!」
(家族を殺されて、今までどんな気持ちで寝てたんだろう)
ヴヴン。
脳無がその音に反応する。後ろ斜め上。その方角を見上げると、煙が立ちめく夜空──ではなく、真っ赤な鮮血が空を覆い尽くしていた。
「??」
常人の思考回路を大幅に改良した改人でさえも、その光景に首を傾げるのみ。だが何もせずとも、与えられた命令に支障は出ない。そう判断し、脳無はぼう、と突っ立ちながらその血のシャワーを浴びようとし──。
「っぎゃあァァァ!!?!あ!?アア!!」
その瞬間──腕が一本、飛ばされた。どちゃっ、と粘度を含んだ重たいものが落ちるような音と共に、そのチェンソーを埋め込んでいた青白い腕が茂みに転がっていく。
だが、それを気にする事はなく、脳無は自身の持てるすべての武器を鳴らして威嚇する。その対象は、奇しくも吹っ飛ばされた腕の武器をだらりと両腕に下ろしていた。
「死ねェェェェェェェェ!!!!」
チェンソーの駆動音が、森林に轟く。