路地裏に周り、誰もいないのを確認。素早くマンホールの蓋を開けてずらし、その縦穴へと侵入する。
そうしてマンホールの蓋をどうにか閉めると、縦穴に沿うよう備え付けられた梯子を踏み外さぬように慎重に下りていった。
やがて地面に足がつき、長く続いていた梯子が終わる。
あたしは暗くてじめじめとした空間を、実体化したソウルジェムの光で照らしながら周囲を観察する。
コンクリートで出来た壁や天井は丸みを帯びており、どうやら下水道全体が筒状のトンネルのようになっているらしい。
灯らしいものはなく、ソウルジェムの光でしか視界は得られないが、見た感じ高さも幅も余裕がある。多分思っているよりこの場所は広いだろう。
そして──
「くっさ……」
思わず鼻をつまみ、顔をしかめる。
地面は凹のような形になっており、そのへこんだ部分に水路があるのだが、そこに流れているのが汚水であるために、近くにいるだけでひん曲がりそうな臭いがしてくるのだ。
へこんでいない部分──コンクリートの通路が確保されているのでまだ良かったが、これが全部地面が汚水で満たされていたら、どうなっていただろうか。考えただけでゾッとする。
「こりゃあ体にも臭いがつくだろうなぁ。帰ったら速攻で風呂だわ……」
誰もいないことをいいことに、一人ぼやきながらソウルジェムで魔女の反応を確かめる。
宝石の光は微妙な強さで明滅しており、魔女の反応はあるものの近いんだか近くないんだかよく分からない。
このまま根気よく追っていくしかないだろう。
そう考え、暗い道を進んでいく。
歩くたび足音が反響し、それがやけに孤独感を煽る。周りも暗闇のためか平衡感覚さえおかしくなりそうだ。
まるで、お化け屋敷に入ったかのような心地である。終わりがあると分かってはいても、先がどうなっているか分からず、不気味さは拭えない。
まあ、そんなことを感じるなんて今更な話ではあるが。
普段行き来している魔女の結界だって、深層部がどうなっているか分からない。むしろ使い魔や魔女がいる分、この場所より危険だ。
それでも、あたしの本能は闇を忌避しているのだろう。
早く光がある場所に出たいと思ってしまう。
まったく、魔法少女という化け物になったというのに、こういうところばかりは中途半端に人間的な部分が残っていて嫌になる。
いっそ、契約時に身も心もなくなれば良かったのに。
……何も思わず、何も求めなければ、こんな息苦しい生き方をしなくて済むし。
「……はあ」
思わず、ため息を吐く。
暗闇の中にいるせいで、さっきからどうにもネガティブなことばかりを考えてしまう。
例えば、さっきのように自分に残された人間性のこととか。
その他にも、あの幼い少女の母親のことが頭に思い浮かぶ。
……だって、責任が重い。
人の命。それもまだ小さい子の親を背負っているんだぞ?何かあったら言い訳も、誤魔化しも出来ない。
ついでに言えば、その母親が無事だという保証もない。こうして魔女を追っても、無駄な足掻きかもしれないのだ。
……本当に、あたしだけで大丈夫なのか?あの高校生くらいの少女に、仲間を呼んで貰った方が良かったんじゃないだろうか。
後悔や最悪なケースばかりが思い浮かび、緊張でお腹の調子が悪くなりそう。
しかし引き受けた以上、引き返すことも出来ない。もう前に進むしかないのだ。
「……、この反応は──」
しばらく小走り気味に移動し、十分ぐらい立った時だろうか。ようやく魔女の魔力が近づき、やっと追いついたと思ったその瞬間、魔女の反応が妙な動きをし始めた。
今いる下水道から、急速に地上に向かい始めたのだ。
慌てて周囲を照らし、上に行けるルートを探す。
すると数メートル先に、梯子があるのが見えた。
すぐさまそこへ飛びつくように走り寄り、あたしは魔法少女に変身。
その強化された身体能力をフルに使って素早く梯子を上り切り、マンホールの蓋を内側からずらして地上に顔を出すと──
「は──?」
そこに広がっていたのは、普段見かけている町並みの世界ではなかった。
代わりにあったのは、歪な光景。
ギラギラとした緑色のスパンコールで覆われた床に、艶やかな女性の写真が貼られた看板。いかにも意味ありげに立てかけられた、点在する無数の木の梯子。そうしてコンクリートで出来ていると思わしき、下水道の時にも見た丸みを帯びた天井には、キノコのような形の電球がいくつも備え付けられている。
いきなり視界が明るくなって目の前がチカチカしていたが、見間違えようはずもない。
これは魔女の結界──化け物が作り出した異界だ。
「追いかけているうちに入り込んでしまったのか、あたしは……?」
ぼやいて地上から完全に出ると、立ち上がって片手剣を作り出して警戒する。
するとそれに反応したのか。あたしの周囲の空間が一斉に歪み、捻れ、そこからあっという間に“使い魔”が出現した。
それは全体的なフォルムから、コウモリと思わしき生物だった。
ただし、頭部は青緑の体毛に覆われており、口からはタコのような触手が無数に出ているという、クリーチャーも真っ青になりそうな外見をしている。
またその翼は体に反して異常にでかく、片方だけでも広げれば四メートルにもなりそうだ。
そんな奴らが宙を飛びながら、大量にあたしの周りをぐるりと囲んでいた。
睥睨してくるその目は侵入者を排除しようという敵意に満ち溢れており、こちらを逃してはくれないだろう。
「……あの子のためにも急いでいるってのに。本当、邪魔」
呟き、あたしは自分の中の魔力を高めた。同時に使い魔達がその大きな翼を一斉に羽ばたかせる。
そうして四方から放たれたのは、薄く鋭い風の刃──鎌鼬だ。
触れれば人体など軽く切り裂さいてしまうだろうそれらは、明確な“死”を伴いながらあたしへと風音を立てて襲いかかる。
しかし、あたしは慌てず、右足の爪先でとん、と床をついた。
その動作だけで魔力が地面に伝達。瞬時にあたしを囲うように床から鉄壁が隆起し、ドーム状になって死の風からあたしを守る。
「えい」
もう一度右足で床を叩く。
するとドームの形状を崩壊させる代わりに、鉄壁は新たな形へと変形していった。
それは地面から迫り上がる形で伸びる、鋭い槍だ。
その槍を計二十本、あたしの周りに展開させ、一気に魔力を操作する。
瞬間、花開くように鉄槍が成長。所構わず突撃してくる使い魔達を重ねるようにくし刺しにし、紫の体液を撒き散らせる。
それでも、すべてがやられたわけではない。むしろ大半は槍を回避し、旋回しながらあたしへと向かってくる。
それを片手剣で殴り、斬り伏せ、口内に刃をねじ込んで先端をトゲ付きの鉄球に変形させ、使い魔を内側から破裂させる。
「ふ──!!」
あたしはそれだけに留まらず、鉄球に変化させた先端部と柄以外を長い鎖へと変え、無茶苦茶に振り回した。
金属音が唸り声を上げる。モーニングスターの一撃は、まさに台風だ。
その台風の目として鎖を操り、圧倒的な質量を持つ鉄球で次々とコウモリの使い魔を潰し、暴殺していく。
「最後!!」
残った使い魔の一匹へと柄を振り下げる。続く鎖が遠心力を伴って鉄球をその体へ叩きつけ、コウモリもどきは地面に激突。紫の体液を散らしながら陥没し、ミンチとして粉砕された。
「これで──、……!?」
ほっとしたのも束の間。すぐに違和感に気がつく。
何故結界内に入っているのに、魔女は襲ってこなかったのだろう。いや、何故そもそもいるのは使い魔だけで、魔女は姿を表さなかったのか。
見たところこの場所は最深部。住処にしている魔女が真っ先に怒ってきてもおかしくないのに。
嫌な予感に、弾かれたように周囲を見渡す。
そうして、はるか彼方の後方。そこでは予想外の光景が繰り広げられていた。
気絶し、意識を失っているらしきサラリーマン風の二人の若い男性が、“魔女”に捕まっていたのだ。
そいつは蝙蝠もどきよりも、もっと悍しい姿をしていた。
使い魔と違い、地面にドッシリと構えたその体の体長は、三メートルぐらいだろうか。
頭部は腸を複数繋ぎ合わせてできたかのような醜い肉塊。その下にある蝙蝠の体と翼は赤紫色の体毛に覆われ、本来足があるべきはずのところにはタコのような六本の触手が左右それぞれに生えている。
それで男性達を縛り上げ、持ち上げていた。
魔女がいたこと、何より一般人がいることに驚く。
いつの間にか冷や汗が流れ、心臓のリズムが速くなっていた。
「まさか……」
あたしは嫌でも魔女の意図に思い当たる。
あたしは多分、魔女が一般人を襲おうとしたタイミングで運悪く入り込んだのだろう。だから、それを邪魔されないために、入った直後ですぐに使い魔を囮に差し向けられたのだ。
なんてあくどく小賢しいのだろうか。馬鹿にしているにも程がある。
……いや、今はそんなことどうでも良い。
一般人の悲鳴がどうして聞こえなかったのか。数分使い魔と戦闘したのに、何故その間魔女は男性達を殺さなかったのか。少しばかり疑問点は多いが、一刻も早く助けなければ。
あたしはその思いを胸に、モーニングスターを振るう。
じゃらりと鳴き声を上げて魔女へ向かう鉄の蛇。しかし弾丸の如く発射された鉄球は、蝙蝠の魔女にぶつかる直前、そのタコの触手によって邪魔される。
「ちぃ!!」
その悪あがきに、思わず舌打ちした。どうやらあの魔女相手に真正面からいっても駄目らしい。あのタコの触手は前に迫り出しており、攻撃してもその多腕で先程のように防がれる。
何か不意をつき、背後をとって触手を封じるしかない。
ならばと、攻撃が弾かれた時の力を生かし、あたしは柄を振り上げる。
鎖も連動するように上に上がり、鉄球は勢いそのまま天井へと突き刺さった。あたしはそれを確認すると鎖を短くし、その反動で体を持ち上げる。
あっという間に視界が遥か高くなり、魔女の頭上をとるあたし。
当然、魔女は黙っていない。あたしへとそのタコの触手を伸ばしていく。
しかしあたしはその直前、振り子のように前方に鎖を揺らすことで逃れると、勢いに任せて柄を離す。
落下しながら空中で身を捻り、あたしは魔女の背後を注視した。
意外とガラ空きだ。身構えも何もへったくれもない。
……いける。ゴクリと生唾を飲み込み、あたしは魔女目掛け、召喚した短剣を投げつけた。
「縛れぇ!!」
叫ぶや否や、固有魔法を発動させる。
すると短剣はぶつかる瞬間、武器の形状を失い液体へと融解。
液体金属は触手のような形となって蠢きながら、頭部を、胴体を、タコの足を、一般人の男性二人を避けながら魔女の体を拘束する。
そうして動けなくなったところを、着地したあたしは再び攻撃を仕掛けた。
召喚した液体金属で作り出すのは、身の丈ほどの長さの槍だ。それでタコの触手を断ち切り、一般男性二人を解放。続く二撃目で深い切創を与え、更に三撃目で胴体を突き穿つ。
そして四撃目。恐らく最後になるだろう攻撃に、全身全霊の魔力を込めて、槍を振り下ろそうとし──
『
刹那──ゾッとするような声が何処からともなく聞こえた。
それは、女のものだろうか。それとも男のものだろうか。
ノイズが混じり、そのせいで機械音声地味た、無機質な声音となっている。
その言葉の発音の意味も上手く聞き取れず、まるで日本語を喋られているのに、脳はそれを英語として捉えているような、奇妙な感覚に陥った。
……だが、その声に込められたものだけは、全身の肌で感じた。
それは理解し難いほどにあたしに向けられた、悍しいまでの羨望だ。
嫉妬。諦念。憎悪。悲嘆。絶望感。劣等感。そういうありとあらゆるぐちゃぐちゃな負の感情を、“声”は孕んでいたのだ。
これ程の感情の渦を、あたしはぶつけられたこともないし、相対したこともない。
もちろん、それは魔女の狂気と比較しても軽く上回っている。
気がつけば、あたしは恐怖のあまり槍を振り上げた姿勢のまま固まっていた。
全身のあらゆる汗腺から冷や汗が吹き出、ガチガチと歯が鳴る。
背中には直接氷を当てられているように、冷気が立ち上がっていた。
──何だこれは。何なんだ、これは。こんなもの、存在して良いはずがないわよ。
思考を埋め尽くすのは、そんな否定と疑問のみ。魔女のことも、幼い少女のことも、この時ばかりは忘れてしまい、“声”のことしか考えられない。
『
繰り返される“声”。後ろには誰もいないのに、それはいつの間にか耳元に囁かれ、あたしの精神に響いてくる。
『
「……、やめ……」
『
「……、やめてってば……」
『
「──やめろ!!」
聞いているだけで気が狂いそうになって、耐えきれずあたしは絶叫する。
すると、ぴたり、と唐突に“声”が止んだ。
本当に、ぴたりと。
それが逆に恐ろしかった。何をしてくるのか予想がつかず、分からなかったから。
そうして、“声”は何事もなかったかのように沈黙し続ける。
時間が長引くと共に緊張感が高まり、あたしは何度も唾を飲み込んだ。
やがて、何分間が時間が過ぎた時──
『
「……え?」
再び、無機質な“声”がした。
相変わらず何を言っているのか、あたしの脳の言語野は捉えられなかったけれど、しかし“声”は先程とは違って響きが明らかに変わっていた。
それは──同情心だ。
上から目線で傲慢な、あまりに身勝手な憐憫だ。
そのことに、怖気が心の底から湧き上がる。得体の知れないものに理解されたような気になられるなど、これほど気持ち悪いことがあるだろうか。
『
「……っ。な、何なんだよ……、一体……」
余計なことに、こちらを哀れんでくる“声”。
その不快さのあまり、疑問が口から飛び出る。しかし“声”はそれを無視し、雑音混じりの音声で
そして、ある程度繰り返してから、無邪気に笑った。
『
「……!?」
最後の言葉。“おいで”の部分だけが、やけに明瞭に聞こえた。
そのことに瞠目しているうちに、“声”がまたも笑いながら小さくなっていく。
何となくだが、自分の元から遠ざかっていっているのが分かった。
ぞくりとする感情の本流が、少しずつ向けられなくなっているのが本能的に感知できたからだ。
「──は、はは……」
“声”の気配が消えた時、緊張が一気に弛緩する。
気がつけばあたしはその場にへたり込み、乾いた笑みを浮かべていた。
安心感がどっと押し寄せる。これ程までに、恐怖から解放されて感謝した日はないだろう。
「……、魔女は……」
落ち着いてきたところで、状況を把握しようと周りを見渡す。
するとそこは、木でできた見慣れぬ古い店の裏路地であり、近くにはマンホールがあった。
……その光景は、どう見えても結界じゃない。あたしは、すっかり現実世界に戻ってきている。
どうやら、魔女はあたしが固まっている隙に逃げていったらしい。一般人の男性二人もいないし、多分彼ら魔女が連れていったのだろう。
……追いかけるより前に比べて、明らかに状況が悪化している。
どれもこれも、あたしがさっさと魔女をぶっ殺せなかったせいだ。
もっと速く魔女を倒せていたら、あの幼い少女の母親も、男性二人も救えたかもしれない。
不甲斐なさが込み上げ、あたしは八つ当たり気味に大声を上げたくなった。
しかし、そんなことをしても無意味だということは分かっていたから、済んでのところで感情を抑え込んだ。
──今は、出来ることをやらないといけない。
あたしは数分をかけて気持ちをどうにか切り替えると、意識を集中。
魔力の残滓を探査する。
すると南南西の方角に、強い魔女の魔力が感じ取れた。逃げてばかりだから、やけに足跡がはっきりしているのだ。
「よし……」
魔女が追えるなら、まだ希望は残されている。それをわざわざ捨てることなどするものか。
あたしは心の中でそう自分に喝を入れて、立ち上がる。そうして、額に浮かんだ汗を拭おうとした時である。
「……?」
カサリ、と僅かな音が手の中からしたのだ。
握り拳を開いてみると、そこにはいつの間にか紙切れが握らされていた。
それはどうやら、デザイン的なものを見るにチケットのようなものならしい。
スケジュールなどは判別不可能な文字──魔女の結界で時々見かける、あの不思議な文字で書かれており、何のチケットなのかはよく分からない。
ただし、よく見てみれば裏には地図が載っており、一番右上の建物には星のマークが刻まれている。しかもあたしの周囲と合わせて観察するに、地図はこの周辺地域を表しているようだった。
「……もしかして魔女の奴に誘われているのか?」
文字や状況、そして“おいで”という言葉。
それらから総合的に判断すると、そうとしか言えないだろう。
嫌な汗が、また背筋に浮かぶ。だが、あたしはそれを跳ね除けるようにニヤリと笑った。
「……良いわ。面白いじゃない」
罠であったとしても、行く以外に選択肢はない。だったら、堂々と倒しに行くまで。
そして、あの幼い少女の母親も、一般人の男性二人も取り戻すのだ。
そう決意を固め、あたしは歩を進める。
──夕暮れの空は、既に暗闇になろうとしていた。
今後の小説の参考のために、アンケートを取ります。この小説で良かったところはどこですか?
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