「調停役……?」
武装を向け、黒の少女を睥睨する歌羽。
その歌羽の名乗りの意味がわからなくて、あたしは呆けてしまった。
それどころか何が起こったのかすら把握ができず、さっぱり頭が追いつかない。
なんせ、一変に色んなことが起こりすぎだ。
歌羽は突然現れるし、黒い少女は変なことばっかり言うし、それになんかあたし、いつの間にか包丁持って自害しようとして……、
「……って、ちょっと待ってよ。何よそれ……」
直前の記憶がフラッシュバックし、あたしは自分がやっていたこと、考えていたことに戦慄する。
あたしはさっきまで、本気で“神様”を崇め、死が救いだと信じ込んでいた。
そんなこと一度も思ってなかったのに、無理やり意思を歪めさせられていたのだ。
そうして、あたしは歓喜しながら本気で自死しようとした。何の迷いも、恐怖もなく。
……まともじゃなかった。
何が救われるだ。こんな形で救われるか。
神様だのなんだのも馬鹿らしい。
アレがこの世で最も尊いとか、笑えない冗談だろ。アレはただこっちを僻んでマウント取ってくる、尊厳を踏みにじる化け物じゃないか。
そして一番おかしかったのが、異常を異常だと思えなかったことだ。
あたしはあたしと同じように狂っていた周りの人を、称賛し、喜んでしまっていた。
本当は止めなきゃいけない悍しい光景だったのに。それを抵抗もなく受け入れていた自分が、いかに狂っていたことか。
普段の思考に戻って、それがよく分かる。
「うぐ……、うぉえ……」
狂っていたことを自覚したせいか、気分が急激に悪くなる。
直後に胃液が逆流し、あたしは堪らずそれを吐き出した。
見るに耐えない汚物が床にぶちまけられる。
あたしはそのまま俯むいて荒い息をすると、また二、三回、我慢できずに咳き込むように吐いた。
「ごほ、ごほっ!!はあ、はあ……。この……」
そこまでしてようやく顔を上げ、あたしは“神様”を睨みつける。
そうしなければ、自分の恐怖で今度はまた別の狂気に囚われそうだった。
しかし黒の少女はあたしに目を向けない。自身の正面にいる歌羽にばかり真っ直ぐ顔を向けていて、不気味な笑みを浮かべている。
「また空っぽ。矛盾。してる奴現れて嬉しい。でも救われにきてくれたんですね?この神に!!ありがとー。どういたしまして。見下させて見下して、踏み潰すみたいに救うよ救ってあげるよ?ウフフフフヒヒヒ、アハハハ?」
自分の目論んだことが邪魔されたにも関わらず、黒の少女は上機嫌だ。訳の分からないことを言いながら、歌羽を歓迎している。
当然歌羽は不快そうに表情を歪め、その正体を少女自身に問う。
「貴女、異質な魔力してるけど何者なの?……魔女?魔法少女?どっち?」
「よくぞ聞いてくれました!!私私私私は、神!!神神様!!高尚で、特別で、この宇宙を、時間軸を守る神!!高尚で特別な“神”なり!!」
「……やばいな。うた、ここまで狂ってる奴見るの初めてだよ」
手を叩いて神と名乗る化け物の狂態に、歌羽は苦笑いを浮かべた。
相対しているだけで、少女のプレッシャーに圧されているのだろう。
顔には僅かに冷や汗が浮かんでいる。
しかしそんな状態でも、恐らく無駄だろうと分かっていながら、
「ここにいる人たちを、さっさと解放して」
と、厳しい目で長椅子に座っている人たちを見渡した。
彼らは未だに涎を垂らし、陶酔したかのように目を虚にさせている。
まだ黒の少女の支配から脱していないのだ。
……これは推論だが、多分魔法少女であるあたしと普通の一般人では抵抗力が違うのだろう。
じゃなきゃ、あたしだけ正気に戻ったことに説明がつかない。
「どーして?何で何でだろ〜?わかんないなぁー?貴方の言うこと全然意味わかんなーい。皆、高尚であり特別な私の信徒になっているんだよぉ〜ん?つまりハッピーはピース、ワンダフォーな訳ですよ?皆幸せなんです。それをぶち壊せと〜?そんなの非道ですよ酷いですよ〜。どういうつもりなんですか?ヒヒヒヒ?」
壇上で少女は首を傾げる。
どうやら質問の意味を分かっていながら、歌羽をおちょくっているらしい。悍しい理論を並べてながら嘲笑い、見下すように哄笑を上げている。
「こんなの幸せでもなんでもない。ただの気持ち悪い洗脳だよ。反吐が出る」
だが歌羽も負けずに、毅然と言い返す。そしてぐっと眉間に力を入れて黒の少女を睨みつけ、
「うた、お前みたいな高尚だの特別だの自分で言う奴、気に入らない。そしてそれを免罪符に救ってやるって言ってるのも気に入らない。そんなの痴がましいにも程がある」
「……はァ?」
黒の少女は先程とは違い、今度は本気で訳が分からなそうな声を出す。
歌羽はそんな彼女に対し、嘲笑うように、あるいは侮辱する様に言葉を突きつけた。
「だってそうでしょう?お前、都合の良いように他人を動かそうってずっと言い訳言ってんだもん。まさに空っぽで、矛盾した言葉だよ。
……何が救いだ。それはただの偽善で、マウント取りのための詭弁だ」
「────」
堂々とした態度を貫く歌羽。
少女は歌羽をじっと観察しながら、やがてまた、理解できないとばかりに質問する。
「またまたァ、どういうつもり何ですかァ?そんなこと言って、冗談だよねえ。神である私は特別。故に、みんなを救うのが悲願であり存在意義。そんな私に、頭を立れないとは如何程のことか。挙げ句の果てに救いすらも否定するなんて。
貴女だって空っぽで矛盾しているのに、救われたいと願わないの?神が救ってあげるというのに、有り得ない。馬と鹿、合わせて馬鹿なんですか?」
「……そうかもね。だけど、さっきも言った通り、矛盾だらけで空っぽで、それを盾にしているお前のことがうたは嫌いなんだよ。そんな奴に助けて欲しいとは思えないね」
マジシャンの格好した少女は、臆することなく軽口を叩いた。まるでお前になんか負けないとばかりに。
「うた、お前の言うような偽物の救いはいらない。そうやって何かに縋って、もう自分の意思を誤魔化すようなこともしたりしない。自分の中の矛盾も、空っぽさも、全部受け止けとめると決めたの。うたの救いは、うた自身がこの手で作り出す。お前なんかに幸福を決めつけられてたまるか」
歌羽ははっきりと、自分の思いを宣言する。
そんな彼女に、あたしは衝撃を受けた。
歌羽はまったく怯えていない訳じゃない。むしろかなりの恐怖を感じているようで、遠目から見ても震えているのはよく分かる。
しかしその上でそれを跳ね除け、歌羽はあたしが出来なかった拒絶の意を、はっきりと示してみせたのだ。
すごい、と素直に思った。
あたしは今まで何も意志を出せなかった。出せてこなかった。
今も出せているのかどうか自信はない。いつもいつも自分に嘘をついて、惨めに生きている。
だが、歌羽は恐ろしい相手を前にして、自分を曲げなかった。
その姿はまさに、あたしが契約の時に願った理想そのもので。
そこにどれだけの心の強さがあるのだろう。
……きっとあたしには、それは持てない。あたしなんて、ずっとずっとこのままだ。
「…………意味が分からない」
歌羽の気迫に圧されたのか、絶句したようにそう呟く黒の少女。頭を抱え、戸惑ったように頭を振り続ける。
「私は高尚で特別なはずなのに、どうして空っぽとか矛盾してるとか言われなきゃァいけないの?私は塵芥じゃない、私は偽物、本物なのよ?故に神なのに!!猿真似?すべてないない尽くしで草が生える。……それは私じゃねえよ理解しろよ……。縋れ縋れ縋れ縋れよ意味わかんねえよ何でお前ばっかりお前ばっかり持っててずるい!!私には何もない何もない平凡で平凡で平凡で平凡で得意なことも何一つないし、強い心も体も技も信念も魔法も歪みも狂気も愛も何もないあるのは矛盾と空っぽさと無為に積み重ねた努力だけああどうしてお前のような馬鹿で愚鈍でとろくて私より劣っている奴が何かを手にしている欲しい欲しい渡せ渡せ渡せ渡せ渡せないなら死ねよマウント取らせろふざけんな死ね死ね死ね死ね死ねどうして私ばっかり無理なのよ意味がわかないこんなに頑張ったのに誰も褒めない絶えないずるいずるいずるいずるい……………………………………………………………………………………………うん。落ち着ついて落ち着きなさい。そんなの君が言うことじゃないよ。僕とは違って君は高尚なんだから。特別なんだから。自由なんだから。何をしたって良いんだよぉ……。
……うん。さっすが
黒の少女は高らかに叫ぶ。観客に向かって、まるで演説でもしているみたいに。
しかしそれはすべて、自分にしか言っていない。彼女は一人芝居しかしていないのだ。
そうして勝手に取り乱して勝手に落ち着くと、
「いやいやいや、私に心を向けないなんて、可愛そうな人ですねえ」
心底憐むように、困ったような仕草をしてみせた。
「私を見ろよ私を崇めろよ。嫌だよいやよも好きのうちと言いますけれども、矛盾、空っぽ、塵芥なれば、私を見つめるは必然、この世の法則じゃねーのかよ。そんなんじゃ救われないよ?救われるのが最大の幸福で、最大の福音、そのままだと地獄に落ちて煉獄の炎に焼かれます。そうなる前にあたしに心を差し出せば、それだけけけけ結果、天国行きなのにー。何が悪いの意味わからん!!」
歌羽の態度に気に入らないものでもあったのだろう。
黒の少女は露骨に残念がりながら、しかし不満をたらたらと垂れ流す。
その様は実にわがままな子供そっくり。見ているだけで彼女の器の小ささを嫌でも理解させられる。
「神である私は高尚。高尚たる私は神であり故に皆を救わなきゃいけないし見下したいのよ。私と私と私と私の四人に向かってそんな暴言は冒涜!!崇め方が足りないんじゃないの?頭をたれろよ、たれなさいわよ?イヤイヤイヤイヤイヤー!!」
化け物はぶんぶんと首を振り、随分とご立腹な様子で癇癪を起こした。
そうして、だん、と強く足を踏み鳴らすと、壇上から歌羽へと手を向ける。
刹那、放たれたのは圧倒的なプレッシャー。
あたしは頭が真っ白になり、息を飲む。
このプレッシャーを食らえば、歌羽とてひとたまりも無いだろう。
なんせ、一発であたしはおかしくなったのだ。歌羽も同じようになるに違いない。
逃さなければ、と思考が回転する。
だがすぐに、どうやって逃すだとノイズが走った。
プレッシャーを直に当てられていないとはいえ、あたしもまだ少し影響化にはあるようだ。
動きたくても恐怖で動けない。動こうとしただけで気がおかしくなりそうになる。
あたしにできることは、もう彼女の名を叫ぶことだけだった。
「歌羽!!」
「くぅ……っ、これは……」
なす術なくプレッシャーに晒され続ける歌羽。マジシャンの魔法少女はその重圧に苦しげ呻き、膝を折られそうになる。
少女はその様を面白がるように哄笑。さらに歌羽の存在自体を押しつぶすようにプレッシャーの質量を上げる。
「フフフフフひひひハハババ!!これで!!お前も信徒に──」
「──サチ、柘榴。やって」
その時、苦悶の表情を浮かべる少女の唇から、聞き覚えのある名が滑り出した。
途端、この場にて目を疑うような現象が起きた。
「は──?」
突然のことに惚けたのか。
背後の気配に振り返った黒の少女は、声というより空気を漏らすように息を吐き出した。
いつの間にか現れたのか、彼女の後ろで小柄な人影がニヤリと笑っていたのだ。
「吹き飛べ、このクソボケ変態!!」
その人影──否、水兵の魔法少女はそう悪口を黒の少女に浴びせると、持っていた身の丈ほどもある錨を振るった。
爪が黒の少女を真横から殴りつけ、その身をくの字に折れ曲がらせる。
そうして水兵の魔法少女は勢いそのままフルスイング。黒の少女は恐ろしい勢いでぶっ飛ぶ。
と、そこへ──
「こんなことして酷い。私超怒ったんだからね」
棒読みの声が空間に響き渡る。
瞬間、瞬きのうちに生み出された白い光が編まれて矢となり、吹き飛ばされる黒の少女目掛けて突っ込む。
それが一瞬のうちに五回。
矢は黒の少女の胴体を、首を、手足を穿ちながら食い込み、同時に壁に突き刺さって黒の少女を貼り付けにした。
「ぐぎゃぁ!!」
化け物のくせに、人間らしく赤い血を口から漏らす黒の少女。
痛みのためかピクピクと痙攣し、戸惑いの目を歌羽へ向ける。
「アヒ……?お前ババババ、何、を……?幻覚……?」
「ちょっと違う。うたはただ、固有魔法の精神操作──いいや、“洗脳”を使って、貴女達の視覚内にいるこの子達を“意識”させないようにしてただけだよ」
歌羽は壇上へ視線を移した。
そこには、二名の魔法少女がいる。
一人は小学生ほどの、小柄な水兵の格好をした少女。
もう一人は赤い髪を腰程までに伸ばした、植物をあしらった衣装に身を包む少女だ。
彼女は無表情ながらも胸を張り、手に持った円状の石板を抱いている。
二人とも、本当に奇妙だった。まるで初めからそこに立っていたかのようにしているのだから。
……いや、実質その通りなのだろう。
歌羽の言葉を信じるなら、あたしと黒の少女は、歌羽の固有魔法によって間違った認識させられていたのだ。
二人を見ていながらも、それは“見えていない”のだと。
そうしてそれを利用し、歌羽は二人に奇襲を仕掛けさせた。
あたしにも固有魔法をかけたのは、単純にその反応からバレるのを防ぐためだろう。奇襲を成功させるためには、徹底的に相手を欺かなければ意味がない。
そして歌羽一人で突入したように見せかけ、黒の少女と長話をしたのも、その一環だろう。彼女は自分に意識を集中させ、さらに二人から“意識”を逸させた。
恐ろしいくらいに計算されつくした策だ。ここまで来るのにそう時間はなかっただろうに。
……思った以上に、古鐘歌羽という少女は頭が回るらしい。
「──認識しようという意志をあえて弱め、意図的に視覚に盲点を作り出す。そしてその盲点は他の情報によって補われ、本人はそれに気づけもしない魔法。名付けて、フィル・インってね。……うた、言った筈だよ?おこりんぼだから、容赦しないって」
「……アアアアアア!!このクソがアアアアアア!!」
笑う歌羽に、怒りの咆哮を上げる黒の少女。しかし光の矢によって壁に縫い付けられているため、もがくことすらもできない。
「よいしょっと!!」
掛け声一つ、歌羽は鍵で床を軽くつく。刹那、周りに鉄格子が出現。驚いて四方を見渡せば、並べられた長椅子を取り囲みように、巨大な鳥籠が二つ、左右それぞれに出現していた。
恐らく結界のようなものだろう。それを歌羽は瞬時に作り上げたのだ。
「サチ、柘榴」
流石にこれだけ大きな檻を作ったのもあって、負担もかかったのだろう。
歌羽は若干苦しそうに手を上げ、再度合図を出す。
すると壇上にいたサチと柘榴は、それぞれの武器を掲げた。
歯車が動くような音がして、サチの持つ錨の形状が変わってゆく。爪は折り畳まれ、柄の部分も太く変形。あっという間に立派な長銃へ変身する。
一方柘榴の石版は何も変わっちゃいないが、その前に集う虹色の光は、目も眩まんばかりに周囲を照らしている。
そこに込められた魔力は、尋常じゃない程膨大だ。
「穿て!!」
「スペクトル・ビーム……!!」
二人が同時に叫ぶ。
銃から放たれた青の光線と、それぞれの色に分光して発射された七つのレザーが、黒の少女目掛けて襲いかかった。
視界を眩い光が埋め尽くす。と同時に髪が大きく揺れた。光の余波で、すざまじい風圧が発生したのだ。おかげでひっくり返りそうになり、体勢を保てない。
しかしこれでもまだマシな方だ。結界の外にある演題なんかは軽くぶっ飛び、そのまま壁に叩きつけられている。
……多分このことを想定して、歌羽は檻の結界を作り上げたのだろう。この光は一般人には危険すぎる。
「────」
やがて、ようやく風が収まる。あたしは自然と閉じていた目を開き──そして“それ”を見て、言葉を失った。
少女が貼り付けにされていた壁。それの中央に、ぼっかりと巨大な穴が開いていたのだ。その大きさ、およそ七メートル弱といったところか。無論、穴の先にあった木々もまるっと消失し、地面も大分抉れている。
少女の姿なんて、どこにも見当たらなかった。
「あ、アハハハ……」
あたしは乾いた笑みを浮かべる。
いやだって、めっちゃくちゃ怖えんだもん。至近距離だったし。あれが当たっていたらと思うと、全身が冷たくなるわ。
「いやあ〜、綺麗なくらいぶっ飛んだなあ……。我ながら火力やばくない?もしかして天才なのかな、私」
「いや、調子に乗っているところ申し訳ないけど、その火力大部分私のだから。テメエのなんて良くても三分の一だから。つまり、あの野郎やっつけたのほぼ私のおかげだから。てかなんだよスペクトル・ビームって。なんか技名の名前ダサくない?」
「失礼だなぁ。ダサくないよー。何せ一週間かけて頑張って考えたんだから」
「嘘だろ……。一週間もかけてあのレベル!?」
そしてそんな怯えるあたしとは違って、気の抜けるような会話を続ける穴を作った張本人達。呑気すぎて逆にムカつく。あたしが今どんな思いでいるのかわかってんだろうか。
「えーと……、大丈夫?」
入り口付近にいたことで、風からの被害を免れたのだろう。
五体満足のまま、歌羽はあたしがいる檻の前まで歩み寄ってきた。
あたしは彼女に軽口を叩いていいのやら、どうすれば良いのか分からず、「疲れた」とだけぼやいた。
「だろうね……。顔色悪いし。うた、もっと早くこれれば良かったんだけど……。ごめんね」
歌羽はあたしの状態を見て軽く苦笑。申し訳なさそうに謝ると、指を鳴らし、あたしの腕を縛り上げていた鎖を消してくれた。
あたしは立ち上がり、目の前の檻に出来た扉を開ける。そうして外に出ると、右側の側頭部に手をやった
「何だこれ……。どうなってるんだ……?」
何故か酷く、頭がぼんやりしていた。
さっきまであたしや一般人を狂わせていた“あいつ”。それはとても狂っていて、とても怖かった筈なのに、何故かその姿を思い出せない。
その他にも、声や口調や性別、何を言っていたのという記憶すら、もやがかかっている。
思い返せるのは、“あいつ”がやったことだけだ。
「あいつは、何処に行った……」
あたしは改めて室内を見渡す。
壇上には、話しているサチと柘榴。そして吹き飛ばされて倒れている演台。
二つの檻は左右それぞれに一つずつあり、長椅子を取り囲むように存在している。
……何処を見ても、やはり“あいつ”の姿は何処にもいない。影も形もなく消えている。
あの光条に飲み込まれて、この世から完全に消滅したのだろうか。しかしそれにしてはあっさりし過ぎているような気がする。
“あいつ”の魔力は今まで感じたことがないくらい強かった。あの程度でやられるとはとても思えない。
「でも魔力反応がないし……。もしかして本当に死んだ……、のかな?」
手の中にあった包丁は、いつの間にかなくなっていた。そして檻の中にいる一般人達も皆気絶していて、狂っている様子はどこにもない。それが“あいつ”の消滅のせいだとするなら、一応の筋は通る。
「いや、あいつ死んでないと思う。多分、逃げただけだろうね」
しかし、歌羽はそんなあたしの考えを否定する様に首を振った。
あたしはどうして、と目で尋ねる。
「“何も思い出せない”からだよ。こゆりも、あいつのことぼんやりしてるでしょう」
どうやら歌羽も、あたしと同じような状態になっているらしい。厳しい顔をしながら、苦々しく答える。
「こうなったの絶対あいつのせいだろうし、そうすること自体、追いかけて欲しくないって言ってるようなもんじゃん?」
「まあ確かに……」
「それに、厄介なことに爆弾残していきやがったしね」
「……!?」
あたしはその発言に瞠目し、ステンドグラスの方を思わず見た。
そこにはコウモリのマーク──結界の入り口が浮かんおり、禍々しい魔力を放っている。
まだ、驚異は健在なのだ。
「くそ、何でこんなことに。
歌羽、色々聞きたいことはあるけど、ここは一緒に魔女を……!!」
「うん。でもその前に、はい」
「え……」
そう言って手渡されたのは、黒い球体に針がついた物体、グリーフシードだった。
あたしは戸惑いながらそれを受け取ると、本当に良いのか歌羽に聞く。
「あたしなんかに渡して良いの?そうする義理はないはずなのに」
「そうは言っても、今は戦闘力が一つでも欲しいから。こゆり、結構ジェムが濁ってるし」
「あ……」
そこで初めて、自分の白い宝石の輝きが、黒いもやに侵食されていることに気がつく。しかもその穢れは十分の八弱ぐらいまで溜まっていて、あと一歩で真っ黒になってもおかしくなかった。
「一体いつの間に。そこまであたし、魔法を使っていないのに……」
「そうなの?一体何がどうなって……」
訝しくなって首を傾げるあたしに、歌羽もまた意外そうな反応をする。そうして一瞬考えこむような仕草をした後、すぐ様首を振り、
「こんなの今考えてもわからない。とにかく、浄化して」
「え、ええ」
促されるままグリーフシードをソウルジェムに当て、あたしは穢れを吸い取らせる。
歌羽はきれいになったあたしの宝石を見て頷くと、壇上で信じられないほど無警戒に話す二人に呼びかけた。
「サチに柘榴。戦闘準備して。残された魔女をやっつけるよ」
「……ふぇ?魔女?」
「柘榴、後ろ後ろ」
サチがステンドグラスを指差すと、柘榴がああ、と納得したように声を出した。
「よーし、なんか良く分かんないけど頑張るぞー。おー」
「棒読み過ぎるだろ。そんなんじゃ気ィ抜けるって。もっとこんな風に声はりげてみなよ。おー!!」
「うわ。確かにすごく元気良い。私もさっそく真似するよ。おー!!」
「声量上げただけで棒読みじゃん。全然何も変わってないよ!!」
無表情で握り拳を突き上げる柘榴。そしてそれに御本を示すサチ。
その様子にこっちまで毒気が抜かれる気分になる。こいつら本当、マイペースだな。
「……ごめんね。馬鹿二人が真面目にやらなくて」
「いやあ。そっちこそ、なんか大変じゃなかった?」
サチと柘榴と一緒にいるということは、ここまで彼女達と同行してきたということに他ならない。
つまり、あのやり取りが延々と繰り返されてきたのだ。
その心中は察して余りある。
「大変だったねぇ。二人とも本当に腕白で……」
歌羽はサチと柘榴のことを思い返したのか、遠い目をした。やっぱりそれなりに苦労したらしい。
しかし、口元は浮かぶのは苦笑ながらも、どこか楽しそうなもので。
「──でもうた、結構そんなの嫌いでもない気がする」
「……」
「こゆり。矛盾だらけのうたでもこう思えたんだ。きっと貴女もそう思えるんじゃないかな?」
こちらを見ながら、歌羽は目を細める。
それがらしく思えなくて、あたしは呆気に取られた。
そうしている内にも、結界の入り口は歪み、周囲の背景は変わっていく。
歌羽はあたしの手を取ると、突撃していく前方の二人の少女を見て、
「行こう、こゆり」
そう再び、晴れやかに微笑んだ。
今後の小説の参考のために、アンケートを取ります。この小説で良かったところはどこですか?
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