「……こゆり、帰っちゃいましたね。もうちょっといても良いんですけど」
「そうですね。私もこゆりちゃんと話すの結構好きですし」
うたがドアの方を向く横で、小豆さんが少し寂しそうに最後のポテチに手を伸ばした。
彼女が今さっき言った通り、こゆりは棚の掃除を終わらせて、たった今廃倉庫から出て行った。
普段は少し駄弁っていくのだが、今日は恐らくサチや他の魔法少女と用事があるのだろう。
かなりウキウキとした様子だったし、間違いない。
どうやらこゆりは、順調に友人を増やしているようだ。
ようやく、閉じていた心を素直に開けるようになったのかもしれない。
……とても良い兆候だ。正直、上手く馴染めるか心配していたので、少しほっとする。
「あの子結構良い子だし、根は穏やかに見えるんだな。風来坊として暴れ回ってたのが嘘みたいなんだな」
サクトさんが棚の方に視線を移す。
そこは散らかっていたのに、こゆりのおかげですっかり綺麗になっている。
自分達の私物で溢れているのに、その整頓を任せられている時点で、こゆりはそこそこ認められていると言えるだろう。
サクトさんの言う通り、アレで根は穏やかなのかもしれない。性格自体も、本人が思っているより親しみやすく、可愛らしいところがある。
何より、最近では自身の欠点を直そうと努力しているのが目に見えて分かるので、これで周りに受け入れられない方がおかしい。
こゆりは今ままで周囲と上手く馴染めなかったが、その原因は多分、環境よりも本人にあったのだ。
話を聞くに、彼女は幼い頃にハブられたという。そのトラウマがずっと残り、盛大に拗らせていたに違いない。
それで自ら心を閉じ込めていれば、そりゃずっと一人のままだ。
……まあだからといって、こゆりが自業自得だとも言い難い。これはある意味仕方がなかった。
幼少期の挫折っていうのは、良くも悪くも影響がデカい。うただって小豆さんがいなきゃ、“呪い”に立ち向かおうなどとは思えなかっただろう。
そういう意味では、こゆりが共同体に入ったのは良かった。
ただ──
「……なんだろう。何だか、嫌な感じがする……」
ポツリと呟く声が、隣からした。
振り向くと、因幡さんがサイドテールを相変わらず弄りながら目を伏せている。
この場にいる全員が、一斉に黙りこくった。
それは因幡さんの発言が、“皆”が何となく思っていることを代弁したからだろう。
サクトさんは悲しそうな表情になり、因幡さんは不安そうに眉を下げ、ニッカは冷静な顔で考え込むような仕草をする。うたの方は、皆のように複雑な面持ちをしていた。
そんな中、小豆さんもまた深刻げに瞳を鋭くさせ、自身の側に立つ家主さんへと声をかけた。
「……貴女、何かテレパシーでこゆりちゃんと話していましたよね?何を話していたんです?」
「それ、必ず聞かれると思ったよ」
家主さんはうた達の顔を見渡す。それが嫌にわざとらしい。
「もしかして家主ちゃん、わざとアタシ達の前でこゆりちゃんと話してた?」
「わざとって感じじゃないけど、でもこゆりちゃんのことで皆に話したいことはあったから。だから彼女と“話した内容”は明かさないけど、“話した”こと自体はバレても構わないかなって」
ニッカの指摘に、家主さんは悪戯っぽく小さく笑う。いまいち食えないのか食えなくないのか、よく分からない。
……前から思っていたが、この家主という人物は意外と掴みどころがない。人柄の良さとかは伝わってくるのに、肝心の部分がまったく見えないというか……。これ、意図的に隠されていないか?
「……」
うたが胡乱げな目で家主さんを見ていると、ふと彼女は一瞬だけ──そうほんの一瞬だけ笑みを消し、次にセーターに付けられたポケットに手を突っ込んだ。
そうして取り出し、小豆さんに渡されたのは、二つの白いお守りだった。
なんてことない、神社でよく売られていそうな普通のものだ。一つ変わっている点があるとすれば、裏側に金と銀の二対の龍が刻まれていることだろうか。その刺繍は見事なもので、思わず見惚れてしまうくらいだ。
「それ……」
因幡さんが驚いたように、小豆さんの手の中のお守りを見返す。それは、どうしてこんなものを持っているのか、と言わんばかりの反応だった。
「……因幡ちゃん。何かあるの?このお守りに」
すぐに、ニッカが誰よりも早く疑問をぶつける。すると因幡さんは、お守りを裏側にした状態で見せるよう、小豆さんに指示。
彼女は小豆さんの掌に乗る二つのお守り、そこにある二対の龍を指し、
「これは早島やここら一帯で信じられてる、金早龍と銀島龍、二対の龍を祀る龍神信仰のお守りだよ……。特にこのタイプのものは、ある願掛けのために用いるものだよ」
「ある願掛け……?」
「互いの髪の一部をこのお守りに入れて交換し合い、安全を願うっていう願掛け。かなり親しい間柄とか、親族間で行うのが慣例なの。
でも、龍神の刺繍は腕のある人じゃないとできないから、そうそうお守りは作れないし……、手に入れられるのは、それこそ信者の中でも一握りのはずなんだけど……」
因幡さんが困惑気味に説明する。
うたはそれを聞いて、先ほどの因幡さんの驚きに納得がいった。
このお守りは、思っているよりも相当希少性が高い。
多分、年に数個程度しか作れないレベルだろう。一つ持っているだけでも相当凄いことなのだ。
しかし家主さんはそんなお守りを、二つも出してみせた。しかもなんでもない風に、ポンっと。
これで不思議に思わないはずがない。
「すごいね、因幡ちゃん。普通の人なら、そんなの知らないはずなんだけどな」
お守りのことを説明されて感心したのか、家主さんが因幡さんを褒める。
因幡さんは何処か微妙な顔をしながら、説明できた理由を答えた。
「私の家は神社なんだけど、そこで龍神信仰に関係のある神様を祀ってるから……」
「へえ……」
また一瞬だけ笑みが消え、別の感情が顔に浮かぶ。しかし“一瞬”というように、それは刹那のことだ。探ろうにも、すでに彼女は仮面を被るように、ただただ無表情になっている。何を思っているのかまるで判別がつかなかった。
いつになく、普段の家主さんらしくない。彼女がこのようになるなど、今まで一度たりともなかった。
こゆりと話したり、お守りを渡してきたり。今日は妙な行動ばかりする。おかげでうただけでなく、全員が家主さんに不審げな目を向けている。
「……それが何なのか分かったけど、何でそういう貴重なものを持っているんだな。記憶喪失で、しかも小豆のお世話になっているお前に、そんなもの手に入れられる術はないんだな」
皆を代表し、問いを投げかけるサクトさん。家主さんはそうだよね、と、苦笑した。
「実はね、僕もこのお守りのことは知らなかったんだ。……だけど、キュゥべえが昨日の夜、僕のとこに唐突にお守りを持ってきたんだよ。キミに渡すのが、一番ふさわしい気がしたからねって。
……キュゥべえ曰く、二つのお守りは失踪したミズハの物らしい。
そしてそれぞれお守りの中には、一房髪が入っていた。話を聞くに、それは“ミズハと
「……髪」
うたはその事実を聞いて、眉を寄せた。
あいつのやることは、いちいち信用がならない。うたを魔法少女にしたことといい、その真意が読めないのだ。
そもそも順那という人物が誰かもまったく分からないし、このお守りがミズハのものとはいえ、それをわざわざ持ってきたのも意味が分からない。
怪しさMAXの話だった。
「どういうことですか……」
相方である小豆さんも、初耳らしい。その衝撃の事実に目を見開いている。
他の調停役の人達も、小豆さんと同様の反応をしていた。
「ごめん。ちょっと僕も動揺しちゃってて。早めに言わなきゃいけなかったんだけど、感情の整理がなかなかつかなかったんだ……」
気まずそうに家主さんが謝る。それは心底罪悪感を抱いているという感じで、そのせいか責めるのも悪いように感じる。
小豆さんは、はあ、と溜息をついて、気に病むことのないよう言った。
「朝言ってくれなかったのは残念でしたけど、今皆が集まった場で話してくれてるから別にそのくらい良いですよ」
「……ありがとう」
礼を言い、家主さんは頭を下げる。小豆さんはふっと笑い、どういたしまして、とこちらもペコリと頭を下げる。
そんな少し息の合った微笑ましいやり取りの後、小豆さんは気を取り直し、何故キュゥべえがお守りを持ってきたかの確認をする。
「それで、ヤツらは一体どういうつもりだったんです?」
「どうやら、キュゥベえが僕のことミズハの親族か何かだと思ってるらしくてね。それを調べる手かがりとして、髪の毛が入ってるお守りを渡してきたんだよ」
「キュゥべえがそんなことを疑って……」
それはある意味、当然の流れかもしれない。
ミズハのことを知るサチが、家主さんをそのミズハと似ていると称した。
なら同じくミズハのことを知るキュゥべえも、家主さんがミズハと似ていると思っても不思議ではない。家主さんがミズハの親族であると疑うのは自然なことだ。
「小豆は知ってると思うけど、僕は確かに魔法少女なのに、キュゥべえには僕と契約した記憶がないらしい。僕の存在なんて、知らないっていうんだ。
……だから、彼も僕の正体が知りたいんだろうね。イレギュラーである僕の正体が……」
家主さんは口元を歪めた。苦笑と自嘲が混じり合った笑みが、その複雑な感情を物語っている。
……キュゥべえでさえ、自分のことが分からない。その事実は、記憶喪失である家主さんにとって辛い現実なのだろう。
キュゥべえはすべての魔法少女のことを覚えている。大なり小なり、彼の中にその思いやカケラが残っているのだ。だけど家主さんだけがその例外。仲間外れ。
これでは世界にたった一人、取り残されたようなものだ。
その孤独感は、やはり筆舌し難いことかもしれない。
……うただって、もし同じ立場だったら絶望すると思う。
「……。……でも、うた、分かりませんね。何で手がかりとして髪なんかを渡してきたのでしょうか?」
うたは失礼なことを承知の上で、さっさと話を進めた。
あまりしんみりし過ぎては、逆に気持ちが切り替えられなくて、そっちの方が悪いような気がしたのだ。
「────」
そしてその気遣いは、幸いなことに家主さんのためになったらしい。
あたしが話を進めたことで、周りも悲しげなものから真剣な顔に戻った。
家主さんもそれには少しばかり驚いていたが、しかしすぐに皆と同じような表情をし、
「DNAだよ。キュゥべえは、この髪を使ってDNA鑑定をさせたがってるんだ」
「……あ、そっか。それならミズハと家主ちゃんの関係が調べられる……!!」
その手があったか、とニッカが手を叩く。
確かにDNAを見れば、ミズハと家主さん、両者に血縁があるかすぐに分かるだろう。さらに言えば、どれだけ血が繋がっているかも判別できる。
DNA鑑定をさせるのは、実にキュゥべえらしい合理的な判断だ。
しかし、
「なら順那とかいうやつの髪は、必要ないんじゃないのかな。ミズハと家主ちゃんのものだけ比較すれば良いし」
「そうですね」
ニッカの意見に頷く小豆さん。
順那、という人物が誰か知らないが、キュゥべえが知りたがっているのは、あくまでミズハと家主さんの血縁関係の有無である。順那の髪を渡したところで、何の意味もないのだ。
「ていうかそもそもの話、ミズハがどうしてお守りを二個も持っていたんだな。それこそ奇妙なんだな」
サクトさんが訝しげに首を傾げる。
家主さんがお守りを持っていた理屈は理解できた。が、何故ミズハがお守りを所有していたかについては、その理由はまったくと言っていいほど分からない。
……ミズハ如きただの女子中学生が、果たして希少なお守りを自力で手に入れられただろうか。やり方次第では出来るかもしれないが、まあ普通に考えて難しい話だ。一般の、それこそ大人の人でさえ、入手するのは簡単ではないみたいだし。
そこには何か特別な事情がある筈だ。
「ってことは、もしかしてミズハは普通の子じゃなかった……?」
「──多分、そうだと思うよ……」
うたの呟きに、ふと隣の因幡さんが肯定し返す。うたが驚いて見ると、彼女はうたの心を読んだかのように詳しく話した。
「私もあまり知っているわけじゃないんだけど、早島にはすっごく古い家がたくさんあってね。その人達に権力が集中しているの。その中でも特に歴史の古い家が、龍神信仰に関わる一族で……、確かミズハがいた東家も、その一族の家系に連なる血筋だったと思う。
彼女達一族は龍神信仰の神社を代々管理していて、ある意味信者中の信者……。だから、ミズハがお守りを手にしていたとしてもなんら違和感はない……。
その順那って子もミズハに関係してる子だろうし、順那の遺伝子と家主さんの遺伝子を調べて、キュゥべえは何かしたいんじゃない……?」
「じゃあ順那は……」
「キュゥべえは、従姉妹だって言ってた」
ようは、血のつながりがある“親族同士”だということだ。
つまり、それぞれのお守りに髪が入っていたのは、そういうことだったのだろう。
……だが、どうしてミズハが二つもお守りを持っていたのか。
もう一方は、その順那というミズハの従姉妹が持っていないとおかしい。
それでは願掛けは成立しない。
「……まさか交換するつもりだったけど、出来なかったとかだなか?」
「うーん、そうかもしれませんね……。ミズハのとこに二つともあったっていうことは、二つともミズハが持ってたってことだし。順那はお守りを渡したけど、何かあってミズハの方は順那に渡していない、ってことになるんじゃないんですか?」
小豆さんとサクトさんが、親友同士で推論を述べ合う。
それは少しだけ穴があったが、まあ理屈上は確かにあり得そうな話ではあった。
だが家主さんは首を振り、
「ミズハ達は、実際にお守りを交換しあってるよ。ただ、順那はもう死んでる。ミズハがお守りを二つも持っていたのは、単純に順那の形見としてお守りを持っていたからなんだ」
「────!?」
家主さんが順那の死を告げた途端、誰かが息を飲む。それ程までに“死”というワードは重い。
空気が一気に暗くなる。誰もがその順那の死に思いを馳せているのか、しばらく無言の状態が続いた。
「──キュゥべえによると、順那はミズハのせいで死んだんだって……。順那はミズハを救うために魔法少女になって……、その直後、彼女はミズハのために力を使い果たして、そのまま……」
やがて、耐え切れなくなったのだろう。家主さんが必要以上にゆっくりと、辿々しく喋った。
小豆さんはそれに目を伏せ、悲しげに声を沈ませる。
「そうですか……。ということはミズハはその子の……。彼女が今何処で何をしているか分かりませんが、大丈夫でしょうか……」
小豆さんは、どうやらミズハのことを心配しているようだ。
そうなるくらい、ミズハが可哀想な境遇であるのは間違い無い。従姉妹という、場合によっては姉妹ぐらいの仲にもなる血縁が死ねば、ミズハ本人もやり切れなくなるだろう。しかも自分のせいでとなれば、尚更だ。
うただって、ミズハにはつい同情してしまう。
「絶対、大丈夫じゃない」
家主さんは額に手をやり、何かに耐えるように唇を噛んだ。そのやけにはっきりした口調に、ニッカがすぐさま質問を浴びせる。
「家主ちゃん、ミズハのこと何にも知らないのに断言できるんだね。その根拠は一体何処にあるの?」
「……根拠なんてない。でも、そんな気がするんだよ。あの子はきっと、“ソレ”には耐えられない。あの子は必ず心が折れてしまう」
「……」
先程以上にきっぱりと言ってのける。それは、ミズハという人物を深く知らなければできないくらい、強く確信に満ちた発言だ。
そこに何か“繋がり”があるのは明白で、やはりミズハと家主さんには、何かただならぬ関係があるのだ。
この人は、無意識に何かを覚えている節がある。……その記憶の中に、ミズハに関することがあってもおかしくない。
「奇妙なんだけど、僕とミズハ……。そして死んだ順那。調べなくても、きっと血縁なんだろうなってのは何となく分かるんだ。……このお守りも妙に懐かしいしさ。どっちかと姉妹でも驚かないんだよね」
家主さんは苦笑混じりにそう言う。そこにも強い確信が秘められているようで、彼女としてはほぼキュゥべえの説を信じているらしい。
他の人も、そこだけは確定だろうという雰囲気を出している。だが、この場でただ一人、因幡さんだけは納得がいっていないようだ。
サイドポニーの少女は、その見た目からは想像がつかないくらい訝しげな表情になって、
「……だけど、苗字が違うよ。それに弦家なんて、龍神を祀る一族の中にはいなかった筈……。たとえミズハと似ているのだとしても、他人の空似という線だって──」
「じゃあ案外偽名なんじゃない、弦家角なんて名前」
「……え?」
横から割り込んできたニッカ、その彼女の言うことに、因幡さんが目を丸くする。
それは恐らく全員がそうだっただろう。特に家主さんなんて愕然としている。
そりゃあそうだ。だってまさか、そんな可能性があるとは思わなかっただろうから。
「家主ちゃん、記憶喪失なんだよね?だったら本名だって忘れてるかもしんないじゃん。それで他に覚えている名前を、自分の名前だと思い込んでても不自然じゃない。……記憶を誤認してない、なんて確証、家主ちゃんにだってないでしょ?」
ニッカがさらっと、そんな冷たいことを言う。
しかし確かに、有り得ない話ではなかった。
記憶がほぼない以上、その覚えている名前が他人のものかどうか、状況によっちゃ判別できないだろう。何処かでごっちゃになっても、仕方がない気がする。
それにもしこのことが本当なら、たとえ一族に連なる家の苗字じゃなかったとしても、ミズハと血縁であるという可能性は消えない。だって、その“苗字”は本当の“苗字”じゃないから。
「そんなの有りえるわけが……」
認めたくないのか、家主さんが苛立ったようにニッカを睨みつける。
自分が信じているものを否定されたら、いくら穏和であろうと怒りを露わにするだろう。
だが、うたはニッカの言うことを正しいと思ったので、ニッカを擁護する様に彼女を支持した。
「うた、ニッカの言っていることは案外正しいんじゃないかと思います。……一応辻褄は合いますし」
追い詰めるみたいで悪いが、はっきりしなければいけないことなので、うたは遠慮なく行かせてもらった。
案の定、家主さんの顔が曇る。
彼女は拳を握り、しばらく目線を彷徨わせた後、
「……分かったよ。少しはその可能性があるんじゃないかと疑ってみる」
と、無理やり納得させたかのように肯首した。
「家主、無理しなくて良いんだな」
「でも、二人が言ってることも現実的にないとは言えないし」
気遣うサクトさんに、家主さんがそう言って俯く。うたも罪悪感で少し俯き、一言だけ謝った。
「すいません」
「良いって。ここで口を濁す話題でもなかったしね」
家主さんは、酷いことを言ったうた達に笑う。本当にこういうことをやってのけるあたり、彼女は精神的に大人だ。
これにはニッカも若干、バツが悪そうにしている。ドライのくせに、この辺りはまだまだ甘い。
「──話を、一番最初に戻しましょうか」
小豆さんが、リーダーらしく調停役の顔を眺めながら仕切る。そうして家主の方を向き、一際厳しい表情で問うた。
「貴女は初め、こゆりちゃんのことで皆に話したいことがある、と言っていましたね。それは一体何なんですか?
今さっき話したのは、あくまで自分やミズハのこと。決してこゆりちゃんのことじゃないじゃないですか。……この話が、こゆりちゃんとどう繋がるっていうんです?」
「……」
家主さんは無言で黙る。
どうやって話したら良いのだろう。そんな風に悩んでいるかのように、彼女は苦笑いを浮かべた。
「えーと……、僕ね、お守りの中の髪を見たとき……、少し記憶が戻ったんだよね……。出来ることを思い出したっていうか……」
「────!?」
今度は別の意味で、全員が目を丸くする。
それは今まで明かされた事実の中で、一番衝撃的な内容だったかもしれない。
ニッカなんて、驚きすぎてさっきから口を開けっ放しだ。
「何処まで思い出したんですか、家主。貴女は一体……!!」
「お、落ち着いて小豆。思い出したって言っても、ほんのちょこっと!!さっきも言ったけど、固有魔法で出来ること思い出しただけだから!!」
焦りのあまり立ち上がり、家主さんに詰め寄る小豆さん。そんな彼女を家主さんは両手で押さえ、クールダウンするよう促す。
小豆さんはそれでハッとすると、少し気まずそうに咳払いし、何食わぬ顔で席についた。
「家主……、思い出したことって何ですか?」
「完全にさっきのなかったことにしてるんだな……」
「はいそこ、シャラップ。……で、実際のとこどうなんです?固有魔法で出来ることを思い出したって、具体的にどういったことで?」
隣からの茶々を黙らせ、恵比寿小豆は改めて質問する。家主さんは逡巡するかのように髪を弄ると、
「……、その人から切り離された体の一部。髪とか、爪とかから、人体を再生させることが出来る、ってことを、思い出したんだ」
「どういう意味ですか、それ……」
「言葉どうりの意味さ。僕は固有魔法の応用で、人間の肉体の一部から、もう一つその人の人体を作ることができる。いわば、コピーの肉体を作り出すことができるってわけ」
家主さんは冗談っぽく、とんでもないことを言ってのける。
人体のコピー、それは完全なクローンを作り出す、と言っているようなものだ。
生死の一端を自在に操るその力は、普通ではない。
「……本当に、そんなことできるの?」
「出来る。呪いのせいで実演は出来ないけど……、やり方、分かるもん」
疑う因幡さんに、家主さんは目を見据えて断言する。
どう見ても、嘘をついているようには見えない。……にわかには信じ難いが、コピーの肉体を作り出せるのは事実のようだ。
「ただ、皆ご存じのように、僕の魔法は肉体にのみ作用するものだ。その精神までコピーすることはできないよ。魂と肉体は別ものだからね」
「じゃあ創り出したとしても、そのコピーの肉体は抜け殻だってわけか〜。……つか、家主ちゃん魔法どっちみち使えないし、抜け殻創ったところで使いどころなくないそれ」
「……」
ニッカが、皆薄々思っていることをポロリと口にする。
もちろんはっきりしとくべき話題なので、ニッカはわざと指摘したのだろうが、だからって言い過ぎだ。
おかげで微妙な雰囲気が流れてしまっている。
「ま、まあ、普通はそうだね」
家主さんは困ったような顔で、頬を人差し指で掻いた。そして次に真面目な眼差しになると、
「……でも魔法少女なら話は別だ。たとえ肉体を失ったとしてもソウルジェムさえあれば、コピーの肉体と上手くリンクさせて復活させることができる」
「家主、貴女まさか──」
奇妙な言い方をしたせいか、小豆さんが驚愕したように固まる。うたはどういうことだ、と前のめり気味になりながら、家主さんへと鋭い声を投げかけた。
「ソウルジェムさえあればって……。何で魔法少女の時だけ、そう都合よく上手くいくんですか?おかしいじゃないですか」
「……そうかもね。だけど、ソウルジェムはその持ち主の精神と密接に関わってる。可視化された心と言っても良いくらいだ。だからそのソウルジェムがあれば、肉体がなくなっても精神は無事でいられる」
「本当なんですか、それ……」
「僕は嘘は言ってない。……後でキュゥべえにでも聞いてみると良いよ」
家主さんは最後の方を、より強調する。
そうなれば、流石のうたも黙るしかない。
キュゥべえは酷い詐欺師だが、嘘だけは言わない。そしてそのキュゥべえに聞いてみろと言っている時点で、逆説的に正しいことを言っていると考えられる。
だから、家主さんの言っていることは嘘じゃない。すべて本当のことだ。
「それから、ニッカちゃん。僕は魔法を使えないんじゃなくて、使ったら呪いが進行するだけだ。いつだってその気になれば、戦闘だって固有魔法を使うのだって、他の魔法少女と同じように可能なんだよ」
「……つまりいざとなれば、自分を頼れって言いたいの?」
「うん。……自慢じゃないけど、僕ならこの場にいる全員、十分で片付けられる。この場で一番僕が強い」
ニッカの方を向いて、胸に手を当てる。
この発言も、強ち嘘ではない。家主さんの魔力は側にいるだけで強力なものであると分かるし、素人目に見ても隙がなさすぎる。何よりうた達の模擬戦を遠目から見ただけで、その欠点をピタリと言い当てるのだ。
それは、それ相応の観察眼がなければできないことである。その段階で、彼女は充分強者であると言える。
「──君達も気づいていると思うけど、こゆりちゃんってすっごく危なっかしいよね。自分を大切にしないというか……、あの子、僕達に全てを捧げる気でいるよ、多分」
「────」
うた達が抱いている嫌な予感を、家主さんは明確に言葉にする。
思わず、胸の辺りがちくりと痛んだのは言うまでもない。
思い返せば、色梨こゆりという少女は、あまり自分に価値を見いだせていないところがあった。
家族を壊したのが自分だと思い込んだり、愛される資格がないと自分を責めたり。
本質的に、あの子は自罰的なのだ。
だからこそ、自分を犠牲することさえ厭わない、ということなのだろうか。
「……そうだね。こゆりちゃん、私達のためによく尽くしてくれてるんだけど。でも、尽くし過ぎてる」
サクトさんが家主さんの言うことに頷く。小豆さんは渋い顔のまま、うたの方を見つめた。
「ええ。特に歌羽ちゃんへの思いが強い。……あの子、貴女に心酔してますよ」
「……ええ」
うたは、誤魔化すことなく肯定した。だって薄々、それは感じていたから。
戸惑うしかないが、うたという存在はこゆりの中で相当デカいものになっているらしい。
こゆりは自分の時間を消費して、うたに必要以上に尽くすようになった。
しかも心の底から楽しそうにするのだから、救えない。
正直、かなり異常だ。
色梨こゆりの在り方は、都合の良い道具のそれだ。決してイエスマンではないが、きっとうたが死ねと言えば喜んで死ぬだろう。そうするくらい、周りしか見えてない。
それが幸せであり使命であると、いつの間にか思いこんでるのだ。
「こゆりがそうなってしまったのは、うたのせいです」
言い訳などせず、うたは自身の責任であることを認める。
うたは、手の差し伸べ方を間違えた。
今思い返すに、こゆりはあの時少し歪みかけてた。彼女の言動は、よくよく考えれば何処か普通じゃなかった気がする。
……当然だ。あんなに心の中がぐっちゃぐちゃになれば、おかしくもなるだろう。
だがうたはそのことにも気づかず、こゆりを正しく救えなかった。
結果としてこゆりの依存心を増長させ、今の状態にさせてしまったのだ。
「だから、うたがどうにかしないといけません。こゆりの仲間として」
うたがやらかしたことだから、うたが責任をとらなければならない。
それにこのままでは、うたにもこゆりにも、そして共同体にとっても良い影響を与えない。
こゆりが恭順の姿勢を示す限り、彼女は永遠に格下の存在として扱われる。共同体の子達は、こゆりをやがて便利屋扱いするだろうし、こゆりはいじめられていた時に逆戻りする。そしてそんなこゆりを側におけば、うたもこゆりを都合よく利用してしまうだろう。
それだけは絶対に嫌だ。
こゆりとは、対等な関係でいたい。手を差し伸べたものとして、彼女を見下すようなことがあってはならない。
「別に歌羽のせいじゃないんだな。誰がこゆりを救ったとしても、こゆりはその救った相手に依存するんだな。こゆりはずっと一人だったから、仲間に対する執着心がきっと物凄いんだな」
「……ありがとうございます」
サクトさんがうたにフォロー入れてくれる。うたは素直にそのことに感謝し、お礼を言った。
「サクトちゃんの言う通りです。こゆりちゃんが共同体に依存するのは、どうしようもなかったことですよ。だから歌羽ちゃんだけじゃなく、私達全員でこゆりちゃんを変えなくちゃいけない。共同体の魔法少女の問題は、私達まとめ役が責任を持って解決するべきですから」
続いて、小豆さんも優しい言葉をかけてくれる。皆もそれに、口々に同意してくれた。
……サクトさんだけじゃなく、全員基本的に仲間思いなのだ。こうして度々気遣ってくれて、正直救われる。
うたはその思いに再び感謝し、はい、と答えた。
「──ともかく、この調子のままじゃこゆりちゃん、いつか自分を犠牲にして死んでしまうよ。
でも、生きて帰れない状況にあったとしても、ソウルジェムさえ無事なら僕がなんとか出来る」
強く強く、弦家住はそう告げる。
その目には覚悟を決めた光が宿っており、見ているだけで気迫が伝わってくる。思わず、気圧されてしまいそうだ。
「もしもこゆりちゃんに何かあった時、僕を呼んでほしい。死ぬ気で助けるから」
「ですが、そうしたら呪いが……」
「かなり進行するかもね。
だけど死んだらね、その時点でお終いなんだよ。どんなに絶望してたとしても、生きてりゃ後から希望が持てる。……死なんて、何の救いにもならない」
家主さんの声音に、憎々しげな感情が混じる。そこには、尋常ならざる怒りがあるような気がした。
……やはり、今日の家主さんはらしくない。
記憶を少し思い出したせいなのか、普段よりずっと感情的になっている。
感情の整理がつかなかった、と発言していた通り、多分彼女も動揺しているのだ。
しかしそれでも家主さんは、こゆりのために自分が出来ることを皆に主張している。
そのお人好しっぷりに、こちらが呆れ果てるほどだ。この人は、どこまで優しいのだろうか。
「ではいざとなったら、本当によろしいんですね?」
「ああ、勿論」
小豆さんの確認に、家主さんは迷いなく答える。それを見て小豆さんは物思いにふけるかのように目を少々の間瞑り、そして開けると、
「……皆はどう思いますか?」
「ぶっちゃけやって欲しくはないんだな……。だけど本当に、本当に最終手段としてなら、考えないわけではないんだな」
「因幡ちゃんは?」
「私は……、サクトさんと同じく、一考の価値はあると思います。……それにこゆりちゃんの時だけじゃなく、他の子が命を落とした時にも使える蘇生方法だとも思います。……ですがその場合、どのくらい呪いが進行するのか調べるべきかと……」
「ニッカちゃん」
「アタシも異論はないよ。家主ちゃんがやるって言うなら、いざって時頼って良いんじゃないかな?」
小豆さんが皆の方を順に見、調停役達はそれぞれ自分なりの考えを言っていく。
しかし、反対意見はない。その顔に迷いの差こそあれ、全員が全員、まるで打ち合わせたかのように、最終手段として考えるべきだと答える。
「歌羽ちゃん」
最後にうたの名前が呼ばれる。
うたはどう答えたものか、と緊張し、頭の中で今の感情と考えをまとめていく。
そうして黙し、うたは──
「……すいません。ちょっと今すぐ答えが出せないんで、次来るときまで考えさせてください」
とだけ言って、結論を先延ばしにしたのだった。
今後の小説の参考のために、アンケートを取ります。この小説で良かったところはどこですか?
-
キャラ
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設定
-
展開
-
話のテンポの良さ
-
文章