――風は、まだ少しばかり冷たい。
降り注ぐ淡い陽光にぬくもりを感じさせてくれていた時間も、そのピークを過ぎれば、ほどなく冬の残党に勢力図を塗りかえられてしまう。
夕刻となっていくらも経たないうちに陽はすっかりと落ち、急速にあたりは闇色に染まってゆく。
すれ違う通行人が、小さく体を震わせながら過ぎ去っていく。
風。まだ少しばかり冷たい。
……けれども。
「あ、恭也さん、見てください。あそこの桜の木、もうすぐ咲きそうですよ」
そう言って俺たちの斜め前方にある、ほころびかけの花をつけた桜の樹まで小走りに駆けていって。
彼女はそこで振りかえり、桜の樹を背にして穏やかに微笑んだ。
さああぁ……。
桜の枝を揺する風が、栗色がかった彼女の髪を
季節は……もうじき、春。
いつしか――彼女を名字から名前で呼ぶようになって。
俺と那美さんが出会ってから迎える、何度めかの”春”。
◇ ◇ ◇ ◇
しーん。
あたりは陰々と静まり返り、建物の壁を隔てただけの内側と外側が、まるで別々の次元のように感じる。
静寂という名の檻……そんな錯覚にすら陥ってしまいそうなほど、空虚が支配する世界。
極力、足音を忍ばせつつ。
ゆっくりと、一歩ごとに周囲へと気を配りながら歩を進めていく。
「……やっぱり、いますか?」
「はい……。気をつけてくださいね、恭也さん」
「……那美さんも」
短く、それだけの言葉を互いに交わしあう。
真剣な眼差しで、前方を見据える彼女。こちらに振り向きなどはしなかったが、それでも俺のことを気遣う気持ちは十分に伝わってきた。
――昼間の喧騒が全くの嘘であるかのように、俺たち以外に人間の気配が根絶した、とある学校の校舎。
ひんやりとしたコンクリートの左右から、上下から、四方から。忍び寄ってくるのは、ただただ無機的な冷気ばかりだ。
俺たちの母校――私立風芽丘とは違う学校。ゆえに、この校舎に足を踏み入れるのは、当然のことながら初めてのことになる。
それでもおなじ学校施設である以上、そうそう大きな差異があるわけでもない。特に迷うこともなく、着実に目的の場所への距離を詰めていく。
すっかり照明の落ちた薄闇のなかを、事前に担当の者から手渡された校舎の見取り図の描かれたメモを手にしながら。
俺と那美さん、そして久遠は、やがてとある部屋の内部へと足を踏み入れた。
「……くぅん」
と。
それの気配を察した久遠が、俺と那美さんにいっそうの警戒を促してくる。
「……いました。あそこです」
那美さんに言われるよりも先に、俺もその姿に気がついていた。
人の形を
――基本的にこういった類のものは、今までは見えるどころか感じることもなかったのだが。那美さんの身を案じて、いくつかの現場へ彼女とともに赴くようになってから。
そして、数年前のあの日。彼女の大切な友達である久遠に施されていた封印をめぐって、ひとつの事件を経てから――
それまではただ単に「気が向いたときについて行く」だけという感じだった久遠自身も、今では必ず那美さんの『お仕事』に同行するようになり。
以後、除霊の場に立ち会うたびに、なんとはなしに研ぎ澄まされてきた感覚。
その感覚が、あるべきでないものの存在を、俺にもだいぶはっきりと知覚させるようになっていた。
とはいえ、本来はなんの特性を持ち合わせているわけでもない俺だから、鋭さはとうてい那美さんに及ばない。にもかかわらず、その姿が克明に認識できるほど……眼前に姿を見せている霊の「残念」は、とても強いのだろう。
『それ』は。この学校の制服を身に付けた、一人の少女だった。
音楽室。その大きさからひときわ目立つグランドピアノの横に、ポツンと体育座りの姿勢のまま膝の中に顔を埋めている……が。
滲むようにその身体から吹き出してくる、よどんだ悪意。
とめどなく放たれる、重く圧迫されるような負の感情。
『それ』がすでにこちらの気配を察していることは、疑いようがなかった。
…………。
憎しみと、淀み固まった情念と。禍々しいほどの執着心と、底のうかがい知れぬ怨念と。渦を巻く負のエネルギーが、刻々と強みを帯びていく。
一瞬、背筋がぞわりと粟立った。
「……ねえ、どんな悲しいことがあったの……。私でよかったら話して……ね?」
立ち止まった俺と久遠から離れ、那美さんはゆっくりと少女の霊に近づいていく。
一歩一歩、優しく包み込むようにして。少女の霊に語りかけながら。
説明するまでもないかもしれないが、俺と那美さんは今、除霊のためにこの学校へ訪れている。
霊となった少女――それは、生者の世界と切り離されたはずの人間。
その彼女が、生前どれほどまでに強い絶望感に打ちのめされたのか。自ら命を絶つほど肥大化するに至った虚無感や、オーバーフローしてしまった諦念の深さは……当人でない俺たちにとっては、きっと想像の及ばないものだろう。
――なんでも彼女は、学校内でいじめられていたらしい。
心地のよい話では決してないが、それでもよくある話だ。一部の心無いクラスメートたちによる醜い行跡の数々は責められて当然であるけれども、しかしそれは今なすべきこととは違う。
彼女の心が折れてしまったのは、それだけではなかった。いじめと時を同じくして――まるで不幸が連鎖するかのように、両親が不慮の事故で亡くなってしまったのだ。
家族の仲は非常に良好だったそうだから、学校でひどい仕打ちを受けても、両親の存在が彼女をかろうじて支えていたのだろう。
でも。そんな両親も、もうどこにも存在しなくなってしまった。
……そして少女は、霊になってここにいる。
生前、少女はこの音楽室を好んでいたという。そして事件後にこの教室が利用されるたび、彼女のかつてのクラスメイトたちのなかに、1人、また1人と大小さまざまな「霊害」が広がっていって。
ついにこれ以上看過することは困難との判断が下された結果。依頼を受けた那美さんが、その霊を「鎮魂」するために、ここにやってきたというわけだった。
そんなことを……俺がことの経緯を思い返している間にも。那美さんの説得は、ずっと続けられていた。
が、少女の霊は、まったく耳を貸そうとはしない。
強い怨念として現世に魂を留めた霊は、そのほとんどが生ある者に対して危害を与えるだけのものに変わり果ててしまっている。たとえかつて共に笑い合い、同じ時間を共有した者だったとしても、もはや共生することはできないのだ。
霊害がはっきりと起きているくらいだから、この少女の魂も強い怨念としてのみ現世に執着しているのだろう。
でも……。その中に、ほんの少し。
人の心に、那美さんの声にうなずいてくれる霊もいるから。
「――ごめんね。どんなにあなたが打ち明けてくれようと、過去の苦しみが消えてなくなりはしないよね。ても、お願い……少しだけでもいから、聞いてほしいの」
那美さんは必死に、根気強く相手に語りかける。
「――ここにこのまま、ずっといても。暗くて、寒いばっかりだよ……」
死後の世界がどんな場所であるかは、もちろん俺には知りようもない。
が、少なくとも……今のように生者に危害を加えてなお存在をつづけることが、良かろう道理は決してない。
「――心残りが、あるんだよね? だからこうして、あなたはこの場所にとどまっているんだよね……?」
自ら死を選んだ人間の、心残りとなるもの。
……そういえば、彼女はなぜ、霊として居残る場所にこの音楽室を選んだのだろう?
早朝、まだ誰も登校していない自分の教室で、少女は手首に刃物を当てて事切れていたという。
だとすれば、クラスメートたちへの復讐も考えると、教室を「拠点」としてもおかしくないはずだ。それが音楽室というのは、生前の彼女が好んでいたためなのか、それとも……。
「私たちが、ね? きっとあなたの、力になってみせるから……」
「…………」
ちら。
ようやく少女の霊が顔を上げ、こちらを窺い見る。
これは……脈がある、ということなのだろうか。
「話を、聞かせて。そして……還ろう?」
何度もあきらめず、優しく微笑む那美さんに――
少女の霊は、ほんのわずかながら、うなずいたように見えて。
俺と久遠はほとんど同時に、安堵の吐息をもらす。
期せずして、俺たちは同時に、霊のほうへと一歩だけ踏みこんだ。那美さんは一言半句たりと霊の意思を聞き漏らすまいとして、そして俺と久遠はその那美さんの身を案じて。
…………。
突如として風向きが変わったことを、俺は察した。
「……な…み……あぶな……!!」
闇が光明を呑み込む。
少女の霊からひときわ強烈な悪意が発せられるのを感じ取った久遠が、警告を発した。
「……んっ!」
霊から発せられる黒い瘴気を顔の前でとっさに腕を交差するようにして防ぐと、我が身を守るために愛刀・「雪月」の柄に手を掛け――
……いや、このままでは間に合わない。
霊はやおら空中に浮き上がると、那美さんをめがけて突進してくる。
久遠も慌てて那美さんの隣に駆け寄ろうとする――が、それよりも霊の突進するスピードの方が、わずかに早い。
那美さんもそれに気づいたらしく、雪月を鞘から引き抜きながら防御の体勢を整えようとするが……。
――ひゅっ!
刹那。その霊の眼前を、一条の光の
それは……俺がとっさに放った「鋼糸」だった。
直径わずか0.数ミリ。気を抜いていれば視認することすら困難となるであろうその銀灰色の細い個体金属が、かすかに窓から入りこんでくる屋外の明かりを反射すると、自身の存在を誇示するかのように輝く。
俺の技のほとんどは、こういった怨霊のように実体を持たないものに対しては、効果が限定されてしまう。
だから、那美さんの『お仕事』に一緒についてきても、除霊そのものに関しては……直接的に何かの役に立てるということは、あまりない。
……だが。
このように相手の意表を瞬間的にでも突き、その集中を反らす程度のことなら、いくらでも出来る。
案の定、かたわらで突然輝きを放った物体に――少女の霊は、反射的に気を取られた。
そして、それは那美さんが体勢を立て直すのに充分な「間」を生み出す糸口となる。
途中でいかなる進展があったにせよ、ここに至ったとあっては。もはや霊自身にしても、増幅と拡散をはじめたみずからの怨念を制御することは不可能だろう。
ためらうことは、今は最低の選択肢だ。
――口に出さなくても、分かる。
やむを得ないこととは知りながら。那美さんはそうする事にひどく悲しみながらも……それでも。
「……やああぁぁぁぁっっ!!!」
雪月を少女の霊に向かって、一閃させた。
◇ ◇ ◇ ◇
「――お聞きになられたいというのは、どのようなお話でしょうか……?」
翌日。
昨夜の除霊についての達成報告を目的に、俺と那美さんの姿は地域の役所の一室にあった。
公立の学校で起きた霊害ということで、依頼は役所から正式に出たものだったからだ。
当該の事件が解決した以上は、早々に手を引くべきということは理解している。踏みこむには陰気すぎる案件であるならば、依頼した担当者にとってもすみやかに過去の領域に放り投げたいと思っているはずだ。
ただ、それでも。どうしても素直に腑に落ちてくれない部分が、しこりのように残りつづけていたのだ。
明らかに、事態は良い方向へと流れかけていた。
情味のこもった那美さんのあたたかな言葉の前に、少女の霊は応じる気配を見せていたはずだ。
それなのに……最期は悪意の奔流に呑みこまれ、忌むべき怨霊と化して、那美さんの雪月によって消滅させられるという結末を迎えてしまった。
巧妙に害意を内側に秘め、こちらの説得に耳を傾ける姿勢を示しつつ機会をうかがうという霊も、いないことはないらしい。
「でも、あの霊は……それとは違うと思うんです。あの子は、本当はとても素直で……」
「……ええ。あれは俺から見ても、いきなり心境が変化した、といった感じでした。はじめから一貫して危害を加えようと考えていたわけではない、と思います」
あれからずっと、引っかかっていること。
彼女が最後に見せた激発ぶりは、まるで豹変というべきものであっただろうと、俺と那美さんは見ている。
――那美さんの除霊に本格的に同行するようになってから。
滞りなく役目を遂行したのち、そのまま別れるのはお互いに忍び難さを感じて。そんなタイミングに敏感に気を利かせてくれる久遠もときには一緒に伴って、しばしばこのカフェに訪れては、ともに時間を過ごすようになっていた。
この手の店なら翠屋を――という発想も浮かびはしたものの。とはいえやはり、特に『お仕事』の内容が内容なだけに、なるべく身内と切り離したところでくつろげる場所がひとつくらいほしいというのも、また本音だったりする。
もっとも、そんな俺の内心はフィアッセにあっさりと看破されてしまい、その彼女に紹介してもらったカフェであったりするのだが。
クライアントへの報告を済ませ、それから新しい情報を少しばかり得たあと。
昼食時を迎えるにはまだ早い時刻の店内は、適度な余裕ぶりがうかがえて心地よかった。
「それで、彼女が突然態度を改めた理由ですけど。……那美さんは、どう思います?」
「……私もやっぱり、『あれ』が原因だったかもしれないと……いえ、原因だったのだろうと思います」
「ですよね。どうして彼女が霊害を起こす舞台が自分の教室でなく、音楽室だったのか……」
最初からその点に思いが至っていれば、ひょっとしたら結末は変わっていたかもしれない。
――少女の霊のかたわらにあった、グランドピアノ。
小さいころに手ほどきを受けたことがあったのか、生前の少女のピアノ演奏の腕前は学校の音楽教師を中心として、他の教師たちの間にも知られるほどだったという。
つまり。少女にとっては、ピアノはひときわ大切な存在――あるいは友達といったような感覚で接していたのかもしれない。
そして、それを……。自分をいじめていた人間が安易に、気安く触れようものなら、少女はどう感じるだろうか――
思えば。俺や那美さん、そして久遠も。そんな情報を事前に受け取ることなく、少女との距離を詰めていって。
すでに少女は、「残念」している。つまり彼女の警戒心にしろ現世に置き忘れた執着心にしろ、もはや普通の物差しで推し量ることは困難な状態となっていた。
「きっと……あの子は守ろうとしたんです。私たちから、とても大切に思っていたであろうピアノを」
「……かもしれません」
「だからまだ、話し合える余地は残っていたんです。なのにそれを、私は……」
「……那美さん」
つとめて穏やかに、俺は彼女の名を呼んだ。
瞳の奥。さまざまな感情がもつれあい、揺らめいている。それは平穏とは、まったく反対の波。
だから……俺はあえて、冷徹とも受け取られかねない意見を述べた。
「いずれにしても、終わったことです。理由がどうあろうと、俺はあの霊が那美さんに襲いかかろうとしていると判断しました」
迎えるべくして迎えた終幕だったのだと、俺は断言する。
……つまるところ、「あれは仕方のないことだったのだ」という、言い訳じみた論法だ。
たとえどのように感じたにせよ、割り切って腹の中に収めねばならぬときがある。とりわけ那美さんの『お仕事』は、そういった割り切りとは背中合わせの関係だ。
『祓い師』として、その程度のことを承知していない那美さんではない。だけど、それでも――人を斬るということは、これほどまでに重い。
「……恭也さん。私、行ってみてもいいでしょうか……」
「どこへ、です……?」
「もう一度、あの学校へ。最後に一言だけ……ちゃんとお別れをしたいと思うんです」
「……」
◇ ◇ ◇ ◇
那美さんの願いは……。けっきょく、叶わなかった。
実に、あっさりと。
臨時休校中の学校側と話をつけ、あらためて向かったのが正午を過ぎてまもなくの頃合い。
生徒の姿こそないものの、すでに役所から連絡を受けたとみられる管理事務の人たちが業務を再開しており。彼らののんびりとした昼食時間を、いそいそと来校した俺と那美さんは邪魔してしまうことになってしまった。
本来であれば依頼主の要求をこなした時点で、ふたたびこの学校に訪れる理由はなくなるのが道理だ。だからカフェから直線的に向かうのではなく、正式に再訪の手続きを踏んだうえでのことだったのだが……。
「――すでに午前のうちに搬出済みとは……俺がこう言うのもなんですが、性急すぎではないでしょうか?」
少女の霊にとって大切な存在であった音楽室のピアノは、対策が組まれた時点ですでに処分が決まっていたらしかった。
……たしかにあのピアノの周辺で霊害が起きていたなら、事件が終息したとはいえ気持ちよく使用することはもう不可能だろう。とはいえ高価な備品ゆえにすぐに新しいものと交換というわけにもいかず、しばらくはピアノを使わずに音楽の授業を行っていくというのが学校の方針として決定しているのだという。
「……私らも詳しいことはわからないけど。学校としてみれば、1日でも早く再開したいんじゃないですかねぇ……」
「そう……ですか……」
那美さんの様子を見ながら、申し訳なさそうに話す事務員。
「昨日のうちに全部片づく、と私らも聞いてたんで。まさかそれが長引いてるなんて、少しも思わなかったもんでねぇ」
「いえ、すでに解決しています。その点についてはご心配なく」
不安げな表情を浮かべた事務員に、俺は胸を叩く。
……学校が再開するのは明日からだという。つまりは何もかも、最初からスケジューリングされたなかで動いていただけの話だったのだ。
しかし、それが世の中というものなのだ。責めるわけにはいかないし、責めるようなものでもない。
――俺はけっきょく、何をなすこともないまま。
消沈する那美さんをそっと促して、ただ学校をあとにするほかなかった……。
◇ ◇ ◇ ◇
「おにーちゃん、ちょっといい?」
久しぶりに予定のページが空白なままになっている、とある休日の昼下がり。
もともと秒刻みや分単位で日常生活を送るような性分ではないとはいえ、ぽっかりと空いてしまった時間を持て余しぎみにしながら、縁側に座ってぼーっと青空なぞを眺めている。
ああ、今日もいい天気だ……。
と――
そんな穏やかな時間というものの貴重さをなかなか理解してくれない、我が家の小さな住人によって、安穏とした雰囲気はいっぺんに崩れ去ってしまった。
話しかけながら、こちらへとてとてと小走りに駆け寄ってくるのを見やりつつ……。
「……家の中では、むやみに走らないこと」
「はにゃ。あう~、ごめんなさい」
少しばかりしゅんとした表情になる我が妹――高町なのは。
「で……どうした?」
が、俺の次の問いかけに、ぱあっと顔をほころばせる。
……たとえるなら、瞬間芸。本当に反省したのかちょっと気になるところだが、まあいいかと思い直す。このくらいの年頃の子供には、沈んだ表情よりも笑顔のほうがふさわしいはずだから。
「あっ、そうそう! あのね……」
……。
…………。
……うーむ。
つまり、なのはの話を要約すると、こうだ。
『う~んとね。那美さん、なんだかさいきん元気がないみたいだけど……おにーちゃん、知ってる?』
…………。
今でも毎日のように久遠のもとに通って、一緒に遊んでいるなのは。それを嬉しそうに見守っている那美さん、なのだが。
久遠とただ遊んでいるだけのように見えて、なのはなりに周囲を観察してもいるのだろう。子供とて、あなどることはできない。
その一方で、我が妹にまで底にある感情を見透かされているという、那美さんの素直さは微笑ましく思う。しかし同時にそれは、なのは以外にも同じことに気付いた者がいるだろうことをも示していた。
「……」
言わずもがな、俺もそのことは先刻承知している。
――この世に心残りを置いたまま留まっている「霊」。
鎮魂させ、成仏させる事ができなければ……人に害なすものとして、いかなる理由があろうと、その存在を消滅せねばならない。
生者には生者の、霊には霊の棲む世界がある。住むべき世界に生を享けた人々を、守らなくてはならない。
言葉を重ねるまでもない。いやというほど、充分に理解している。
それでも、優しいひとだから……。
那美さんはそんな彼らを、なるべく安らかに眠らせてあげたいと想っていて。
無念を残して亡くなっていった霊を、斬ることに。
今でも、ためらいと深い罪悪感を残している。
◇ ◇ ◇ ◇
「あ~、そうですね。俺もよく訓練しに神社へ行くんですけど、やっぱり那美さん……」
――最近元気がないように見えますね。
家族そろってテーブルを囲んでの夕食時。なのはの感想に、うんうんと同意を示す晶。
別にとりたてて話題にしようと思ったのではないが、なんとなく、誰からともなく再びこの話題が飛び出して。
「う~ん。うちもこの前買い物帰りにちょこっとお会いしたんで、挨拶したんですけど。そーいや、ちょうそんな感じだったかも……」
「……美由希、お前はどう思う?」
あまり事を大きくはしたくなかったのだが、晶に続いてレンまでもが同じ印象を口にするので、俺は美由希にも聞いてみた。
と、彼女は持っていた箸と茶碗をテーブルに戻して。
「……うん。確かになのはや晶、レンの言う通りだったかな。いくらか、思いつめているような感じで……」
そしてさらに、「あの除霊の日あたりからだよね」と付け加える美由希。
俺と那美さんが交際しているのは、家族にはすでに知られていることだから。面映い気分になることも多々あるが、純粋に応援してくれるその気持ちをとても嬉しく思っている。
そのため、俺は那美さんの除霊の仕事に付き合う際、いつもその旨を家族に知らせてから出かけている。つい先日の少女の除霊もまた、当然ながらその例に漏れることはなかった。
「……恭也。その日、何かあったの……?」
と、いくらか真剣な眼差しで、フィアッセが俺のことを見つめた。
「ん~……まぁ、少し……」
厳しいかもしれない。が、これは那美さん自身が心のうちに抱えた問題だ。たとえ相手がフィアッセやかーさんたちとはいえ、俺が口にすべきかどうかやはり迷った。
と。言葉を濁す俺のかたわらで――なにやらアイ・コンタクトを交わし合う、レンとかーさんの2人。
時間にしてほんの数瞬ほど。それでいながら、費やした時間とは比べものにならないくらい密度の濃い会話が繰り広げられたということは、両者の顔色を見ればすぐに分かった。
……な、なにを話し合ってたんだろう?
「う~ん……。これは桃子ちゃん、ひとつうちらで何かぱーっとしたコトをしてあげたほうがええんやないかなぁ?」
「うん……そうね。那美ちゃんはもう私たちにとっても『他人』じゃないもんね」
「あ、グッドアイデア! いいね、それ♪」
さも一家の重大事のような表情を作ってうなずきあう2人に、フィアッセが賛意を示して――
そこにすかさず晶、なのはまでが加わって。俺がなにか口にするよりも先に、さっそく計画という名の花が咲きほころんでいく。
――押し付けでなく、見返りを求めてのことでもなく。
ただ純粋に、ごく当たり前のように那美さんのことを考え、想ってくれているみんなの姿を見ながら。
俺はこの優しい家族に、その思いやりに、声には出さずに心の中でひそかに感謝をした。