それが欠ける時に明日翔が希に交わす約束とは。
あたしは真達との走りを忘れない。
なぜならあの走りが無ければ今日という日を迎えられなかったからだ。
そして転機でもあった。
あたしがレーサーを志すようになり、本気で目指すきっかけでもある。
それは希なしで車を理解するという事で。
今あたしは希をGT-Rのナビシートに乗せている。もう一度言うが彼女と会うのは数年ぶりだ。んで彼女と会わなくなった時期が真達とバトルした時よりちょっと後。
希と一緒に過ごしていた中で突然訪れた事。再び「孤独」とあたしは向き合う事になった。
そんな時に出会ってしまう。人生って本当にこちらの都合なんて関係なしにイベントが発生する。
全てを繋ぐ「イベント」があの時から始まったんだーーーーー。
真達とのバトルから数日後。
「柊木、後で来てくれ」
講義が終わった後に希が教師に呼び出しを受けた。
「何かしたの?」
「ううん、そんな事ないはず。……わからないけど」
「希が怒られるような事するわけないからなー……なんだろ」
「とりあえず行ってみるね」
「いってらっしゃい」
希は職員室へ歩いていった。
次のコマが始まっても希は帰ってこなかった。
結局希が教室に戻ってきたのは放課後だった。何を言われたのか希に聞いてみると……。
「ちょっとだけ……大変だなって思う事だよ。明日翔が心配」
んー……どういう事?なんであたしが出てくるんだろ。
「ここで言いにくいの?」
「うん……私の将来に関係する。でもその前に明日翔が心配で」
希が話せるようにあたし達は場所を変える事にした。
移動した渋谷某所のカフェで希は話し始める。
希が語った事は……
「海外留学!?」
「うん。私の進路に合わせてなんだって。2年間イギリスの方に」
「イギリス……」
「父さんや母さんも来ていて留学についての話を聞いた。留学については父さんや母さんは問題ないって。でも……」
「でも?」
「あたしが居ない間明日翔が心配なの」
「2年か……確かに」
「明日翔、よく聞いて。確かにあたしが留学するのは2年。でもその後なの」
「その後?」
「父さんが実家の宮崎に帰らないといけなくなったの。あたしは留学から帰ってきたらそのままそっちに向かうんだって」
「それってつまり……」
「私は留学したら父さんの家に戻る。マンションに帰れないの」
「そんな……」
「父さんの家の方に戻ってきたらたぶんそのまま別の大学に入るとかするんだと思う。明日翔に会うことも難しくなる」
希が告げた事に言葉を失ったあたし。
「じゃ、じゃあいつから行くの」
「2週間後。あちらでの手続きとかはもう済んでいるんだって」
「早すぎでしょ……」
2週間後には希がこのマンションからいなくなる。あまりにも唐突に決まった事にあたしはどうすることも出来なかった。
「明日翔が生活に困らないように必要な物はそのまま置いていく。……もしそれらが無くなった時は明日翔自身でどうにかしてほしい」
数日後。
あたしは1人で埼玉のCRSにいた。圭介さんに真達とのバトルから不調が続くGT-Rのメンテナンスを頼んでいた。希が留学する事を圭介さんに話す。
「随分突然だよな……。明日翔は何も聞かされてなかったのか?」
「はい。希も最初そんな話が出てたなんて知らなかったみたいで」
「ヘンな話だな、本人がそれ聞いてないって。んで……明日翔がこの車を見れるかって心配してんだろ」
「……はい」
「ま、イザという時は俺も助けるが……走りはどうするんだ?」
「え?」
「希が居なくなったら明日翔だけで走るんだろ?」
圭介さんの言葉にハッとするあたし。
なんでこんな重要な事を忘れてたんだ。いや、その事実を認めたくなかったのかもしれない。
「……希がいないならソレに合わせた明日翔なりの走り方をするしかないだろ。んじゃ、GT-Rは俺がやっとくから」
「あ……はい」
従業員の人に案内され、白いK6GT-Rに乗る。K6でCRSを出ていく際に見たあたしのGT-Rがやけに頼りなく感じられた……。
4日後、あたしのGT-Rのチェックが終わったと連絡を貰い、今度は希と一緒にCRSへ。
今日がCRSに希と行くのが最後だと思っていたあたし。希が出発するまであと1週間を切っていたから。
希がGT-Rを見てやりたくても見てやれない。最後の最後まで希を心配させたなと今でも申し訳なく思ってる。
CRSに来るなり圭介さんから説明を聞く。しかし圭介さんが告げた事は……。
「駆動系?」
「そうだ。出力に耐えられていないんだ」
圭介さんが語ったのはGT-Rの駆動系のトラブルという事だった。
推定1000馬力を発生するエンジンもそれを受け止められる駆動系がなければただの暴れ馬に過ぎない。
それに合わせてミッションなどに社外の部品を使用して強化していたのだがそれすらダメになっていると。
特にミッション周りが大きくミッションが壊れかけ、クラッチはもう使い物にならない状態だったと。
「このままでは恐らくエンジンよりも先に駆動系が逝ってしまうだろう」と。
「ミッション内部の部品はウチのキットを組めんで対応したが……クラッチの方はダメだ。他のショップもその辺りの対策で頭を悩ましてるそうだ」
「……そうですか」
「なあ希、希は明日翔が心配じゃないのか?」
「もちろん心配ですよ。明日翔が私がいなくても大丈夫なのか。幼馴染として……心配なんです」
希の表情は悔しさが滲み出ていた。その理由はあたしが一番わかってる。
そして迎えた出発の日。
「搭乗される皆様はチェックインカウンターへお越しください」
大勢の人の声や荷物を運ぶベルトコンベアが動く音の中ではっきりと聞こえたアナウンス。
「ごめん……そろそろ行かなきゃ」
「うん……」
キャリーケースを引いてカウンターの方へ歩いていく希。
「希!!」
あたしは無意識に希を呼び止めていた。
「……あたしは自分だけでは何も出来なかった。生きていく事さえも」
「元はと言えばあたしのせいで希も巻き込んでしまった。……なのに希はいつもあたしの側にいてくれた」
「ずっと……ずっと迷惑かけてきた。自分が情けなくって!!しょうがなかった!!」
「だから……もうあたしを忘れてほしい」
走る事しか取り柄がない。それは普通に生きていく上で必要ない。つまりあたしは何もできない。
そんなあたしの馬鹿げた事にもう希を巻き込みたくない。
そんな一心であたしは最後の最後に希への謝罪と決意を告げる。
「ううん、忘れない」
「だって……明日翔は私の友達だもん。ずっとずーっと一緒にいた友達を忘れるなんてできないよ」
「明日翔は私を引っ張ってくれた。周りが怖くて動けずにいた私をいつも動かしてくれた。もし明日翔がいなかったら真ちゃん達とも会わなかった」
「私は自分のやれる事をやっただけ。明日翔は明日翔がやれる事をやっただけ」
こんな時ですら希はあたしの事を思っていた。そう思うと余計に情けなくて。
「そんな顔しないで。かっこよくて……可愛い顔が台無しだよ……っ」
段々と近づく別れの時。それが近づいてるのがわかる。涙がとめどなく溢れる希を見てるとあたしも辛かった。
「だから……明日翔。私の事は心配しないで。私も頑張るから……っ。明日翔は明日翔の頑張りたい事を頑張って……っ!……だからっ、またいつかっ……」
一言を話すのも精一杯な様子の希。希だって覚悟を決めている。ならあたしも決める。
「うん……。ねえ、希。もし……また会う時は……」
「自分の夢を叶えていて、絶対にすごいドライバーになっているって約束する!!こんなあたしでもこれだけは絶対に守ってみせる!!だって……あたしは車が大好きだから!!」
「あたしの名前がどこでも出てくるくらい有名になって……希が世界中のどこにいてもあたしの名前が伝わるように!!」
そう言ったからには必ずやるしかない。そんな意識じゃないときっとあたしは何時までも変われない。だから今この時あたしを変えると。
「そっか……。……明日翔」
「なに?」
「いつかまた明日翔と会えたら……もう1回GT-Rで走ろう。今度はすごいドライバーになった明日翔のドライブで」
「うん。それがいいね」
「じゃあ……希。ありがとう」
「うん。明日翔も頑張って」
ゲートの向こう側に消えていく希の背中。
夕焼けで赤い空の下で最後にあたしに向かって微笑んだ希をあたしはその後数年間に渡って夢で見続ける事になった。
時間が流れて10月。希が行ってから3週間が経った。
あたしは自分の持っていたいらない物を売り、希が残していった少しのお金の足しにして生活していた。
GT-Rがガソリンを食うため最近はGT-Rをあまり動かしていない。最後にGT-Rを動かしたのは希が出発した後に買い物をした時の2週間前。
……希が行ってからの生活にもある程度慣れた。いや、元に戻った。アパートにあたし1人で住んでた時の生活に。
希はそれなりの食料とたぶん1ヶ月分かそのくらいの生活に必要なお金、そして自分のシルビアを残していった。
希は「好きに使っていい」とシルビアを処分せずにガレージに置いたままにしていた。だがあたしはシルビアに乗る気はなく、今はGT-Rと仲良くガレージ内で休んでいる。
そんな時に来た1件の電話。
あたしは慌てて電話に出る。
「はい、如月です」
「おお、明日翔か。突然で悪いな」
「圭介さん?」
「ああ。……希はもう行ったんだっけか?」
「……ええ。あの、どうしたんですか?」
「おお、忘れるトコだった。実は今ウチに客が来て明日翔を知らないかって」
「あたしを?」
「ああ。原田さんって言ったっけな」
「あの、その方に電話変わってください」
その名前を聞いてあたしは思わず言った。
「もしもし、如月明日翔です」
「お、あの時の君か……」
聞こえてきた声の主、それは。
「原田……美世さん」
「うん、原田美世だよ」
夏に見たあの紅いGT-Rのドライバー。アイドルであり、レーサーであり。そしてあたしの憧れの人だ。
「あのっ、あたしに何の用事ですか」
「あたしね……1回君と走ってみたい。乗せてもらったあの日に君の走りを見たけど……GT-Rの走りができてた。あのR35を上手く走らせられるのは君だけだって聞いてね」
「……確かにあたしだけですけど」
「君のその腕を確かめたい。そうすればあたしも前に進めると思う。何となくだけどそんな気がする」
美世さんの言葉にあたしの心が揺れる。
真達と走ったあの時からあたしの走りは方向性を見失いかけていた。だが憧れの美世さんと走ったらたぶん何か掴めるんじゃないかと。その可能性にあたしは賭けた。
「あたしも走ってみたいです。『紅のシンデレラガール』の走りをぜひ見てみたい!」
「なるほど……ね!わかったよ!」
こうしてあたしと美世さんの初めての走りに続くことになる。
「そんな事があったんだ」
「まーね。というか希涙脆いしさ」
「明日翔も泣きそうなのかよく分からない顔してたよ?」
「えっ」
希と話すのが当たり前だと思っていたあの時の心細さは二度と体験したくない。そんな事もあって今こうやって会話できている事が嬉しい。
「まー、その時か…… 。本当に壊れてびっくりした」
あの走りがあたしと美世さんお互いに「きっかけ」になった。
そのきっかけに至るまでが長かったけどそれは必ず通る道だったんだと思っている。
その「きっかけ」というスタートラインに立つのもすんなりとはいかなかったけど……。
希の旅立ち。
ターニングポイントを経て再び明日翔は走り出そうとしていた。
《次回予告》
イギリスに渡った希。残されたあたしに付き纏う不安。
そんなあたしに声をかけた人物は……。
そして美世さんとの走りがあたしを待っていた。
「ま、走るの俺達じゃねえしこんな事しか言えないが……せいぜい頑張ってこい」