起因
とある日の朝、身支度を終えた洸夜は玄関にて靴紐を結んでいた。ここまではいつも通りであったのだが、その日は少し違っていた。
「あ、お兄ちゃん。途中まで一緒に行こー」
「私も一緒に行くわ」
「はいよ……」
2人の言葉に頷いた洸夜は立ち上がり荷物を背負い直す。
「行くか」
3人は家を出て学校へと歩き始める。2人の間に挟まれるように並びながら。
「そういえばお兄ちゃん、なんで今日は電車なの?」
「自転車パンクしたんだよ」
「それはついてないわね」
「全くだよ……っと、俺はこの辺で失礼するよ」
「うん。気をつけてね」
2人に見送られながら洸夜は単身、学校の最寄り路線の駅の方へと歩みを進めていく。そして駅に着いた彼は人混みを掻き分け改札内へと入る。
「はぁ……なんでこんな疲れるんだか……ッ!」
呟いた直後、激しい目眩が彼を襲いその余波で大きくバランスを崩しかけるが、なんとか踏みとどまる。
「自転車じゃなくて正解だな……」
重い体を引き摺りながらなんとか登校した洸夜は教室に入る。するとそこには先客がいた。
「おはよう……祐治」
「おはよう洸夜」
力無く挨拶した洸夜に対し、先客である祐治はそれと対照的に明るく挨拶を返す。
「どした?」
「睡眠不足……」
痛む頭を抑えつつ自身の座席に腰を下ろした洸夜は、そのまま机に突っ伏せる。
「また悩みでもあるのか……」
「昼夜逆転してるだけだから」
顔を上げた洸夜は苦笑を祐治に向け、再び机に突っ伏せゆっくりと意識を手放していく。そんな偽りの日常を過ごす彼は知る由も無かった。この時既にゆっくりと新たな歯車が動き出していると言うことに——
ところ変わって花咲川女子学園、2-Aの教室にて。白鷺千聖はイヤホンで両耳を塞ぎ険しい表情をしていた。
「……ほんとなのかしら……だとしたら」
すると、何やら1人呟く千聖の元に近づく人影が1つ。
「——千聖ちゃん?」
彼女の元にやってきたのは、水色のふわっとした髪を所謂ハーフアップサイドテールに整えた少女。
「……でもどうして……そうなのかしら」
「千聖ちゃん?」
現れた少女に体を揺すられ、千聖は思考の中から現実へと引き戻される。
「あら、花音。何かしら?」
少女の名前は松原花音。千聖の級友にして彼女が唯一心を許してると言っても過言ではない親友である。
「その、呼びかけても反応が無かったから……ごめんね、いきなり」
「いいえ、こちらこそごめんなさい。柄にもなく没頭してしまっていたわ」
イヤホンを外しながら、花音に謝罪を返す千聖。
「大丈夫だよ。それで、千聖ちゃんは何を聞いてたの?」
「これ? 今度やる新しい曲のサンプルよ」
「そうだったんだね。その、がんばってね千聖ちゃん」
「ええ、ありがとう」
微笑んだ千聖は再度イヤホンを両耳にはめこみ、プレイヤーの再生ボタン押し眉間に皺を寄せる。
「で……さっきの通りなら……でも意思がない……」
呟いた直後、彼女はゆっくりと顔を上げ軽く口角を吊り上げる。
「そう……そういうことなのね」
どこか満足気な表情の千聖はプレイヤーを自身のカバンの中へと押し込む。それと同時に予鈴が彼女の耳に届く。
「……楽しみね」
プレイヤーと入れ替わるように教科書を取り出した千聖は、窓の外を眺めながら怪しく微笑むのだった——
帰りのSHRを終え、放課後を迎えた倉中第一高校2-1の教室内は部活へ行く生徒や帰宅する生徒などの声に包まれていた。
「今日も1日終わったー」
「お疲れさん」
喧騒を背に伸びをする祐治と着々と荷物を纏めていく洸夜。
「よし、俺は帰るだけ。祐治は今日部活?」
「今日は珍しくOFF。だからどっか行こうと思うんだけど一緒にどう?」
「いいね」
「んじゃあ決まりだな」
「うん」
祐治の言葉に頷いた洸夜はふと窓の外へ視線を向け慄く。そこには人でごった返す正門があった。
「なんだアレ……?」
同様の光景を目にした祐治も洸夜同様に驚いていた。
「なんかあったのかな……?」
首傾げつつも人混みを見渡していると、見覚えのある人影が洸夜の目に留まる。
「——あっ」
その人影をを目にした彼は思わず声をあげていた。すると、隣で見ていた祐治は不思議そうに洸夜へ問い掛ける。
「どうかしたのか?」
「うん……ごめん、俺先帰るわ」
「あ、ああ」
唖然とする祐治を背に駆け出した洸夜は校門前へと赴く。そこにあったのは間違いなく彼の幼馴染の姿であった。
「……千聖」
「あら、漸く来たのね」
微笑みながら洸夜の元へ歩み寄った千聖は、そっと洸夜に耳打ちをする。
「少し、合わせてもらえないかしら?」
その一言に首を傾げる洸夜であったが、瞬時に訳を理解し頷く。
「——悪い、待たせちゃって」
「大丈夫よ。それじゃあ行きましょうか」
並んだ2人は人混みを抜け出しその場を後にする。そして最寄駅に辿り着いた辺りで2人は足を止める。
「ありがとう。助かったわ」
「それは構わないんだが……」
ため息を吐いた洸夜、再度千聖の方へと向き直り問い掛ける。
「倉中まで何しに来たんだ?」
「貴方に話があってね」
「俺に……?」
「ええ。とても大事な話が」
真剣な表情で自身を見据える千聖の言葉に嘘偽りが無いことを確信した洸夜は、彼女の方へと向き直る。
「それって……どんな話なんだ?」
「……それに関しては、少し場所を変えて話しましょう」
「……了解」
「それじゃあ、行きましょうか」
「待って、その前にもう1つ」
洸夜に背を向け歩み始めた千聖に対し、彼は問いかける。
「——なんで、俺の通ってる学校を知ってる?」
問われた千聖は、歩みを止め沈黙する。それと共に張り詰めた空気が2人の間に漂う。時が止まったように微動だにしない両者であったが、それを破るかのように千聖が洸夜の方へと振り返る。
「日菜ちゃんに聞いたのよ」
「日菜に……?」
「ええ。といっても、渋々教えてくれた、って感じだったけれどもね」
頷いた千聖は何かを思い出すようにして微笑んだ後、申し訳なさそうな表情になり続ける。
「でも……そうね、何も言わずに貴方の個人情報を聞いてしまったのは謝るわ。ごめんなさい」
「怒っては……いないよ」
「ありがとう。それじゃあ、行きましょうか」
千聖に促された洸夜は、千聖と共に改札の中へと入っていくのだった——
電車を乗り継ぎ移動した後、洸夜は千聖に連れられカラオケ店へと足を運んでいた。
「カラオケ……ね」
通されたカラオケボックスで荷物を下ろしながらボヤく洸夜。
「防音性が高くて且つ個室。話し合いの場には1番向いてると思うけど?」
「一理あるとは思う。ただ、スタジオとかでも良かったんじゃないか。特に千聖とかは」
「確かに、スタジオの方が怪しまれたりはしにくいわね。でも、あそこでは広すぎるのよ」
「なるほど……」
納得した様に頷いた洸夜は、椅子に腰を下ろす。
「飲み物を取ってくるけど何か飲みたいものとかある?」
「紅茶をお願いしようかな」
「わかったわ。少し待っててちょうだい」
そう言い残し、千聖は部屋を後にする。1人部屋に残された洸夜は漠然と映像が流れるモニターを見つめていた。すると、不意に扉が開かれる。
「お待たせ。はい、これ」
「ありがとう」
礼を言い受け取ったアイスティーを呷る。そして一息で中身を飲み干し空になったグラスを卓に置いた洸夜は、顔のみを千聖の方へと向ける。
「それで、話って?」
「そのことなのだけれど……」
千聖は周囲を一瞥した後、洸夜の耳元にそっと顔を近づけ囁く。
「少しじっとしててね……」
「え?」
困惑する洸夜の傍らで、千聖は彼の制服の襟元に手を伸ばし何かを襟の下から引っ張り出した。
「やっぱり……」
洸夜の目が捉えたのは千聖の掌に乗せられた黒い小さな機械。それに洸夜は見覚えがあった。
「これは……盗聴器?」
「貴方、見張られてるのね……」
「らしい……な」
額から冷汗を垂らす洸夜の隣で、千聖は盗聴器の電源を落とす。そして、洸夜の方へ鋭い視線を向ける。
「——誰に?」
「それは……」
そこで洸夜は言葉に詰まる。この事実を第三者に告げても良いものかと。そもそも、幼馴染にそんな話をして良いのか、と。
「……2人の妹に、かしら?」
「……ッ!?」
「図星の様ね」
激しく動揺する洸夜の手前で、千聖は自身が持ってきたアイスティーを口に含む。
「あの2人に、何をされているの?」
「何も……」
「これでも?」
そう言って千聖は、制服のポケットから取り出した小型の機械を掲げる。すると、先日のショッピングモールに於ける日菜と洸夜のやり取りが聴こえてきた。
「なんで……それを……」
恐怖故に彼は一歩、また一歩と千聖との距離を開く。しかし、それに合わせるようにして千聖も一歩、また一歩と詰め寄る。
「少し、あなたを監視させてもらったわ」
「監……視……?」
千聖の言葉を聞いて、彼の頭をとある予想が過ぎる。できればそうであって欲しくない、という予想が。洸夜はそれを、恐る恐る千聖への問い掛けへと変えた。
「まさか……今日、俺の学校を知っていたのって……」
「そういうことよ」
「何が……目的だ……?」
頬を伝った冷汗を拭いながら問う洸夜。それと同時に、彼の背が壁に触れる。
「——貴方を助けたいの」
「俺を……助けたい?」
千聖は洸夜の言葉に頷き言葉を紡ぐ。震えたか細い声で。
「毎日……望まずに2人の監視下に置かれ何かをされている。それを見ているのが……辛いのよ」
「千聖……」
「だから、私は貴方を助けたい」
そう言って洸夜の眼前に至った千聖は、優しく彼の右手を自身の両手で取る。そんな彼女に、洸夜は震える声で尋ねる。
「本当に……助けてくれるの……?」
「ええ、約束するわ。でも——条件がある」
「条件……それってなんなんだ……?」
洸夜の問い掛けの後、千聖は両手でそっと洸夜の顔を掴み自身の方を向かせると答える。
「貴方が欲しい」
予想だにしない言葉に唖然とする洸夜であったが、なんとか口を開き疑問をぶつける。
「なんで……?」
「貴方のことが好きだからよ。ずっと前から」
「そう、なのか……でも、ごめん。それは、出来ない」
視線を外し呟くように返答した洸夜。直後、彼の視界が反転する。
「え……」
困惑した彼が押し倒されたと認識したのは、視点が定まってから十数秒程してからだった。
「それなら仕方ないわ。無理矢理にでも私の
洸夜の上に馬乗りになった千聖は、怪しげな笑みを浮かべる。洸夜その姿に、自身の
「待って、何するつもりだ……ッ?!」
千聖に制止をかけたところで、彼はとある違和感に気が付く。
「身体が……ッ」
「漸く効いてきたみたいね」
「まさか……?」
「ええ、少し飲み物に細工をさせて貰ったわ」
予想通りの千聖の言葉に、洸夜はこの場を脱することが不可能だと悟る。
「さて……始めましょうか」
満面の笑みを溢した千聖は、洸夜の右耳を甘噛みする。それを皮切りに彼にとっての新たな地獄が幕を開いた。
この地獄は、フロントからのコールが来るまで続くのであった——