【完結】産屋敷邸の池に豆腐を落とせば、鬼舞辻無惨を津波が襲う   作:【豆腐の角】

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待ちに待った月曜日……ソワソワ……。
読みたい……読みたい……(末期症状感)
 
今回は単行本未収録のネタばれを含みます。
なので、注意してください。

それでは、本編をどうぞ。


育った波はうねり打つ(吉原編)

 炭治郎たちが【上弦の弐】と遭遇してから、()()()()()の時が過ぎようとしていた。

 

 現在、季節(単行本で)梅雨の時期(アジサイが咲いていた)を迎えようとしている。

 

 上弦の鬼との戦いで、炭治郎たちは実力不足を痛感していた。

【全集中の呼吸・常中】を会得し、自らの実力に自信を持てた矢先の出来事だけに、その衝撃は大きかっただろう。

 

 しかし、それで立ち止まるような彼らではなかった。

 

 彼らは実力を少しでも伸ばそうと、蝶屋敷で鍛練を続けながら任務を(こな)すという生活を続けている。

 

 その鍛練には、胡蝶姉妹や黒死牟、累を始め、蝶屋敷を訪れた柱たちが参加することもあった。

 

 鍛練を手伝ってくれる人物が凄いことになっているが、そのおかげもあって、炭治郎たちは段飛ばしに実力をつけていった。

 

 それ以外にも変化がある。

 炭治郎が【水の呼吸】と【日の呼吸】を組み合わせた呼吸を使って、これまでよりも長く戦えるようになったのだ。

 

 これには黒死牟も素直に驚いた。

 

 過去に(さかのぼ)っても【日の呼吸】をまともに扱えた者はとても少ない。

 そのため、呼吸を組み合わせて使う者など久しく見なかった。

 

 そして、炭治郎は誰に教えられるでもなく、自力でそれを編み出したのだ。

 

 これは素晴らしいことである。

 炭治郎の確かな成長を、黒死牟は密かに喜んでいた。

 

 そんな生活を続けていた、ある日のこと。

 蝶屋敷を珍しい客が訪れていた。

 

【音柱】の宇髄(うずい)天元(てんげん)である。

 

 カナエに呼ばれて蝶屋敷を訪れた天元は、玄関で出会った看護師に待合室へと案内された。

 

 その道すがらに通りかかった訓練場から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 声に誘われた天元が訓練場の様子を覗きこむと、そこには一種の地獄が広がっていた。

 

「オイオイ、随分と派手な鍛練をしてるじゃねぇか」

 

 現在、訓練場では打ち込み稽古が行われていた。

 

 その指導をしていたのは、

【水柱】の冨岡義勇、

【蛇柱】の伊黒(いぐろ)小芭内(おばない)

【恋柱】の甘露寺蜜璃、

(かすみ)柱】の時透無一郎、

 そして、その双子の兄である時透有一郎である。

 

 義勇の足元には炭治郎と善逸、伊之助の三人が。

 小芭内の足元には、蝶屋敷で機能回復訓練を受けていた隊士たちが汗だくで倒れ込んでいた。

 

 この惨状が生み出された経緯(いきさつ)はこうである。

 

 まず最初に蝶屋敷を訪れたのは蜜璃だった。

 

 カナエに呼ばれて来たのだが、ちょうど留守にしていていないらしい。

 すぐに帰ってくるという話なので待っていたのだが、そこで目についたのが、炭治郎たちが鍛練をする訓練場だった。

 

 カナエが帰ってくるまでは暇を持て余していることもあり、蜜璃は和気藹々(わきあいあい)と鍛練に参加する。

 

 善逸が大喜びしたのは言うまでもないだろう。

 

 さらに、その話を聞きつけた隊士たちが下心を丸出しにして訓練に参加してきた。

 訓練場はかつてない大盛況な状態になるのだが、彼らが浮かれていたのもここまでである。

 

 何故なら、蜜璃と同じように呼び出しを受けていた小芭内が、嫉妬という名の黒い瘴気(しょうき)を放ちながら訓練場にやって来たからだ。

 

 そこからの訓練は、天国から地獄に様変わりした。

 

 特に、蜜璃(どことは言わないが、局部(きょくぶ))に対して不埒(ふらち)な視線を向けていた者たちは徹底的にヤられていた。

 

 そこにやって来たのが、義勇と時透兄弟である。

 

 小芭内の容赦のない(しご)きを受けた隊士たちは、救いを求めて義勇たちに手を伸ばした。

 この場にいたのが義勇だけなら、ただ無視される結果に終わっただろう。

 

 だが、ここには有一郎がいた。

 

 有一郎は情けない姿を見せる隊士に対して毒を吐き、鍛え直してやるべきだと訓練に参加したのだ。

 

 いつの間にか義勇と無一郎も共に鍛練に参加することになっていた件について、二人一緒に『なんで?』と疑問符を浮かべていたのは余談である。

 

 そして、現在に至る。

 

「あ、宇髄さん!」

 

 天元の姿に気づいた蜜璃が、大きく手を振りながら声をあげた。

 

 元気良く手を振っていたために、ちょっと()()()()()になっていたのを小芭内が慌てて止めている。

 

 その光景に苦笑しながら、片手をあげただけの気安い返事をしたあと、天元は疲労困憊といった様子の隊士を観察した。

 

 期待の新人三人組は、訓練の様子を見学していた者たちの手によって引きずられながら、邪魔にならない訓練場の(すみ)へと移動させられている。

 

 訓練場の片隅には、体力の尽きかけた死に体の山が築かれていた。

 

 義勇と小芭内は、なかなか厳しく指導したようである。

 

「宇髄さんもカナエさんに呼ばれたんですか?」

「ああ。──もしかして、全員がそうか?」

 

 天元の問いかけに、無一郎が頷いた。

 

「カナエさんはちょうど留守にしてるみたいで、待ってる間に訓練に参加してたんです」

「なるほどなぁ」

 

 天元が納得して頷いていると、訓練場に向かって足音が近づいてきていることに気がついた。

 

 入り口に視線を向けてみると、訓練場の前をカナエが通り過ぎていく。

 

 ちょうど出先から帰ってきた所らしい。

 

「お。胡蝶姉! こっちだ、こっち!」

 

 天元が呼びかけると、その声に気づいたカナエが引き返してきて訓練場を(のぞ)き込んだ。

 

「あ、宇髄さん。来てたんですね。皆さんも、訓練お疲れ様です」

 

 カナエの声に、床に倒れ込んでいた炭治郎たちが顔だけ向けて挨拶を返した。

 彼らの腕や足は痙攣(けいれん)するように小刻みに震えていて、回復にはまだまだ時間が必要だろう。

 

「それで、これだけの人数を派手に呼び出した理由はなんだ?」

 

 そんな炭治郎たちを後目(しりめ)にして、天元はカナエに呼び出した理由を(たず)ねた。

 

 最高戦力である柱を複数呼び出したのだ。

 余程のことがあるのだろう。

 

 すると、カナエはにっこりと笑って驚くべきことを(くち)にするのだった。

 

 ◆◇◆

 

 日本一、色と欲に(まみ)れたド派手な場所。それが吉原という街である。

 昼夜を問わずに人が出入りする場所だけに、いつ、誰が姿を消したかなど、気にする者は少ない。

 

 そのため、鬼が潜んでいてもおかしくはない場所でもある。

 

 今回、鬼がいるとわかったのは、消えている人間が美しい遊女に限定されていたからだった。

 以前から遊女が急に姿を(くら)ますことはあったが、最近のそれは少々度が過ぎている。

 

 そのため、鬼殺隊の存在を知る者たちから『調べてみてほしい』との依頼があったのだ。

 

 まずは、天元自身が客として潜入して調べてみた。

 

 その結果、確証は得られなかったが、鬼の気配がするのは間違いない。

 なので、さらに詳しく調べるために、天元の妻たちに遊女に成り済ましてもらい、内部調査を行っていたのだ。

 

 そんな時に新たな情報が入ってきた。

 無惨が【十二鬼月】の下弦を解体したというものである。

 

 この情報を得た天元は、すぐに内偵をしている妻たちに調査の中断を言い渡した。

 

 何故なら、彼は吉原に潜む鬼の正体を【十二鬼月】だと予想していたからである。

 下弦が解体されたという時期以降も、吉原では遊女の被害が続いていた。

 

 つまり、吉原に潜む鬼は下弦ではなく、上弦の鬼である可能性が非常に高いのである。

 

 相手が上弦の鬼であれば、潜入していた妻たちの安全はもちろん、周囲に住む一般人の安全も保証できなかった。

 

 相手は、百年以上も討伐の記録がない鬼である。

 迂闊(うかつ)に手を出すわけにはいかなかった。

 

 そんな時に声をかけてきたのが【花柱】の胡蝶カナエである。

 

『正確な居場所がわからないのなら、(おび)き出せばいいんですよ』

 

 カナエはそう言うと、ひとつの作戦を提案するのだった。

 

 ◆◇◆

 

「むふ……むふふ……むふふふふふふふ……」

 

 (こら)えることに失敗したような不気味な笑い声。

 そんな声を漏らしているのは、【元・霞柱】の真菰(まこも)だった。

 

 彼女は頬が笑みの形に歪むのを(こら)えながら、目の前に座る()()に化粧を施している。

 上質な生地に美しい刺繍が施された着物に身を包み、結い上げられた髪には(かんざし)を差した()()

 

 その正体は──、

 

「うん! これでバッチリだよ、無一郎! 綺麗、綺麗!」

 

 時透無一郎である。

 

 基本的に親しい者には笑顔を、そうでない者たちには塩対応な無一郎だが、今回に限っては顔から表情が抜け落ちていた。

 

 人生で初めての女装をさせられたのだ。

 無理もない話である。

 

 彼の隣では、有一郎が同じように化粧を施されている最中だった。

 

「駄目だよ、有一郎くん。(しか)めっ面して眉を寄せないで! 白粉(おしろい)が落ちちゃうでしょ!」

「ぐぬぬっ……‼」

 

 軽く叱責された有一郎は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 その(たび)に白粉を塗り直しているので、なかなか化粧が終わらない。

 

 ちなみに、化粧を担当しているのは有一郎と文通している尾崎隊士である。

 

 その向こうでは、一人の()()がどんよりとした雰囲気で座り込んでいた。

 ちょっと特殊な化粧によって、口元の傷すら消された小芭内である。

 

 余談だが小芭内と同じような飾りを鏑丸(かぶらまる)──小芭内が連れている蛇(♂)──も着けていた。

 

「頼む、甘露寺……見ないでくれ……」

「ええ? 綺麗ですよ、伊黒さん!」

 

 小芭内の化粧を担当した蜜璃が褒め称えるが、むしろ逆効果であることは言うまでもない。

 

 ちなみに、彼は髪の長さが少々足りなかったため、カツラを着用して誤魔化している。

 

 肩を落とす小芭内を、蜜璃は必死に立ち直らせようとしたが、やはり効果は薄い。

 

 どうしたものかと悩んでいると、そこにカナエがやって来た。

 

「あらあら、蜜璃さん。お困りのようですね」

「あ、カナエさん」

「出たな、元凶」

 

 蜜璃と小芭内は対照的な反応をする。

 

 それも仕方のない話だろう。

 彼らが女装させられているのは、カナエの差し金だからだ。

 

 確かに、遊郭には大勢の女性が詰めているのはわかる。

 

 だが、男性がいないわけではない。

 特に小芭内と義勇は客として乗り込んでも良かったくらいだ。

 変装して潜入するにしても、店に勤める男衆に見えるようにして紛れ込めば済む話であったはずである。

 

 しかし、カナエはそれを否定した。

 

 遊郭のなかを歩いていても不審に思われない姿と言えば、遊女以外にあり得ないと反論したのだ。

 

 わからない話ではない。

 だが、納得がいく話でもない。

 

 女装させたい女性陣。

 女装したくない男性陣。

 

 双方の議論は平行線を辿(たど)り、最終的には多数決で決めることになった。

 

 しかし、いざ多数決をとる直前に舞い込んできた一羽の鎹 鴉(かすがいがらす)が、すべてを決めてしまったのである。

 

『お館様からの伝言をお伝えします。記念に写真を撮ってきてね、だそうです』

 

 その時、小芭内は(ようや)く気づいた。

 

 カナエは今回の作戦を小芭内たちに提案する前に、耀哉に作戦と潜入方法を伝えていたのだ。

 

 耀哉はそういった(もよお)しが好きである。

 以前、柱全員に『義勇の笑顔が見たい』と頼み込んだことがあるくらいだ。

 

 まあ、あれは義勇が孤立しないようにと耀哉が気を使って開催されたものであるが。

 

 それ(義勇の件)はともかくとして、柱の男性陣が女装するとなれば、話に乗ってくるのは火を見るよりも明らかだった。

 

 つまり、この議論は単なる時間稼ぎでしかなく、最初からカナエの(てのひら)のうえで踊らされていたのである。

 

「おい、冨岡。お前も何とか言ってやれ」

 

 小芭内は、普段なら絶対に頼らないであろう義勇に援護を求めた。

 義勇は小芭内の隣に座って しのぶ から化粧をされていたのだが、その表情はいつも通りに()いでいる。

 

「(しのぶ はもちろん、カナエ義姉さんに口で勝てる者がいるとは思えない。逆らうだけ無駄だ。むしろ、余計に酷くなる可能性もある。だから、ここは(こら)えておくべきだ。なにも、毎日女装しろと言われているわけではない。今日という日の僅かな間だけの我慢だ。それに、まあ、なんだ)……そのうち慣れる」

「慣れてたまるか‼」

 

 義勇の言葉に小芭内はキレた。

 

 だが、義勇の言葉を翻訳できる しのぶ は、理解ある旦那の態度に上機嫌である。

 

「ふふふ。帰ったら鮭大根を作ってあげますね」

 

 実姉(カナエ)によく似た笑みを浮かべた しのぶ が、蠱惑的な声で(ささや)いた。

 その瞬間、義勇の雰囲気が明るくなったのに気づけた者が何人いただろうか? 

 

 小芭内は義勇の変化がわからなかったが、 しのぶ の声は聞こえている。

 そのため、義勇が買収されたことに気づいていた。

 

「見損なったぞ、冨岡」

「……鮭大根は(自分の)命よりも重い」

 

 小芭内の恨み節も何のその、帰ったあとの鮭大根しか頭にない義勇には届かない。

 その横顔を思い切り殴ってやりたくなった小芭内だが、その前にカナエが声をかけてきた。

 

「伊黒さん。怒るのはいいですけど、その前にやることがあるんじゃないですか?」

「……なに?」

 

 とてもいい笑顔を浮かべるカナエに対し、小芭内は胡散臭そうに視線を向ける。

 だが、次に発したカナエの言葉で、あえて見ないようにしていたものを直視することになった。

 

「蜜璃さんのこと、誉めなくていいんですか?」

「──‼」

 

 そう、蜜璃も遊女のように着飾っているのだ。

 だが、小芭内はあえて蜜璃に視線を定めないようにしていた。

 

 見るに()えない? 

 逆である。

 

 蜜璃の(かも)し出す色香(いろか)が、小芭内には刺激が強すぎるのだ。

 

 今の彼女はまさに魔性の女である。

 一度でも蜜璃の艶姿(あですがた)を見てしまえば、小芭内は目が離せなくなるだろう。

 

 それどころか、彼女を絶対に手に入れようと動くかもしれない。

 日頃から彼女に対する自分の欲を抑制している小芭内だ。

 その辺りのことは、自分が良くわかっている。

 はっきり言えば、自分を制御する自信がなかった。

 

 それがわかっていたから、あえて直視しないようにしていたのだ。

 

「えっと……伊黒さん。その……似合ってますか……?」

「──‼」

 

 胸の前で手をモジモジさせながら、蜜璃は小芭内の表情をチラチラと(うかが)った。

 

 ちなみに、義勇を殴ろうと立ち上がりかけていた小芭内と、座っている蜜璃。

 その立ち位置の関係上、蜜璃の視線は自然と上目使いになっている。

 

 髪が結い上げられているからだろうか。

 普段は可愛いと感じる彼女の印象が変わり、美しいという言葉が脳内を巡る。

 

 自分でも思っていた通り、小芭内は蜜璃から視線を逸らせなくなっていた。

 

 ぷっくりとして柔らかそうな唇。

 女の色香を振り撒くうなじ。

 吸い付きたくなるような白い首筋。

 優しく撫で回したくなる華奢(きゃしゃ)な肩と鎖骨。

 豊かに実った果実が生み出す豊穣なる渓谷。

 

 これらの破壊力を前に耐えられるほど、彼の防御力は高くない。

 

 小芭内は、思わず鼻を押さえていた。

 

「き……」

「き?」

「綺麗だ。とても……に、似合っている……っ‼」

「──よかったぁ‼」

 

 (ちから)なく座り込んだ小芭内は、顔が赤くなっているのを見せたくないのか、うつむいたまま蜜璃を誉めた。

 

(キャッ! 伊黒さんに誉められちゃった‼)

 

 それを聞いた蜜璃は、ぱぁっと花のような笑顔を浮かべて喜びを(あらわ)にする。

 

 その笑顔をチラリと覗き見てしまった小芭内は、心臓を射抜かれたような衝撃を受けた。

 

(う、美しいっ……まるで天女のようだ……っ‼)

 

 小芭内の理性という名の城壁が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 何と言うかもう、いろいろと我慢するのが馬鹿らしくなるような、そんな心境になりつつあった。

 

 小芭内は自分の体に流れる血を、とある事情で嫌悪している。

 周囲からは『気にする必要はない』と常日頃から言われているのだが、心のなかに(しこ)りとして残っていた。

 

 口元の傷に関してもそうである。

 あまり見られたいものではない。

 

 だが、その傷に蜜璃は平気で触れてくる。

 

 化粧を施されている時にも、気味悪がる様子もなく、平然と触れてくるのだ。

 それどころか、戸惑う小芭内に向かって微笑みかけてくるほどである。

 

『これはもう、告白してモノにするしかないんじゃねぇかァ?』

 

 小芭内の耳元で、全身に傷のある悪魔が誘惑する。

 誰かに似ているのは気のせいだろう。

 

 それを考えないわけではなかった。

 

 元々、蜜璃は『添い遂げる殿方を探すため』という異色の理由で鬼殺隊に入った女性だ。

 そんな彼女の周りで同僚たちが次々に結婚していることもあって、その願望も強まっているようにも見える。

 

 蜜璃が焦っているわけではないが、幸せそうな夫婦を見るたびに憧憬の眼差しを向けていることに、小芭内は気づいていた。

 だから、ちょっと押せば倒れて頷いてくれるのではないか? とすら感じていたのだ。

 

『南無……これほどまでに綺麗な心をした娘を、(けが)れた者が汚していいものだろうか……』

 

 小芭内の耳元で、涙を流す盲目の天使が(ささや)いた。

 誰かに似ているのは気のせいだろう。

 

 小芭内自身も、それを気にしていた。

 

 彼の出自や過去を知り、彼女の表情が曇るのではないか? と恐れてすらいた。

 

『いいじゃねぇか。押し倒しちまえよ!』

『南無……』

 

 なんやかんやと天使と悪魔が耳元で騒ぐ。

 

 すると、そこに第三の勢力が現れた。

 

 六つ目の堕天使だ。

 誰かに似ているのは気のせいだろう。

 

『最近の甘露寺殿は……必要以上に……身体を密着させることが……多くなっている……あれは……わざとであろう……それに……なんとか……二人きりになろうとも……しているようだ……つまりは……そう言うことではないのか……』

 

 堕天使の言葉に対して、悪魔は口元を歪める。

 そして、確信をもって言った。

 

『つまり、甘露寺は──』

 

 ぱちん、と小芭内は頬を叩く。

 周りはぎょっとして小芭内を見ているが、知ったことではない。

 

「か、甘露寺!」

「は、はいっ!?」

 

 蜜璃の肩を勢いよく掴んだ小芭内は、意を決していた。

 

 周りの視線? 

 知ったことではない。

 場を(わきま)えろ? 

 無理だ。

 

 もう、この胸の内に宿る熱い思いを止められそうになかった。

 

「甘露寺、俺は──」

「──そろそろ準備は終わったッスかぁ?」

 

 (かくし)の後藤が部屋を(のぞ)き込む。

 

 その直後、小芭内は石のように硬直した。

 

 同時に、女性陣の嘆きが部屋に木霊する。

 

「あぁぁぁ! 後藤さん! 間が悪い‼」

「今、とっても良いところだったのにぃ‼」

「今のは惜しかった‼ 今のは惜しかったぁ‼」

 

 いきなり批難(ひなん)が飛んでくるという状況に、後藤は困惑した。

 だが、無一郎に『気にする必要はない』と言われて首をかしげながらも了承する。

 

 上弦の鬼との戦いを直前に控えた一幕は、こうして幕を閉じたのだった。

 

 ◆◇◆

 

「……甘露寺」

「……はい」

「……また、あとで話す」

「──っ! はいっ‼」

 

 ◆◇◆

 

 鯉夏は憂いを帯びた表情のまま、身仕度を整えていた。

 

 明日、彼女は身請けされる。

 その話は街中に拡散されて、すでに鬼の耳にも届いていることだろう。

 

 鯉夏が身請けされるという話は数日前から噂として流していたのだが、鬼がやってくることはなかった。

 

 彼女は吉原でも指折りの花魁である。

 何の前触れもなく居なくなれば、大きな騒ぎになるはずだ。

 だから、居なくなっても不自然ではない時期に喰らいに来るつもりなのだろう。

 

 身請けを直前に控えた今であれば、手紙に『足抜けします』と書いておくだけでいい。

 それだけで『身請けを断りきれずに受け入れるしかなく、それが嫌で足抜けした』のだと、人は勝手に想像してくれるからだ。

 

 だから今夜、鯉夏を喰らいに鬼は必ずやってくる。

 

 じつは鯉夏自身、遊女を狙う鬼に対して思うところがあった。

 何せ、彼女が可愛がっていた遊女が数人、不自然な消え方をしていたからだ。

 

 おそらくは、鬼に喰い殺されたのだろう。

 

 だからこそ、鯉夏は鬼殺隊の策に乗り、危険な囮役を引き受けた。

 それは、戦う力を持たない者が鬼に対して出来る、数少ない反抗だった。

 

 囮役とは言うが、彼女自身は私室とは中庭を挟んだ真逆の位置にある別室に隠れている。

 実際に囮にしたのは、彼女の名前と部屋だった。

 

 花魁である彼女は個室を与えられているため、鬼もそこに現れるだろう。

 そう予想してのことである。

 

 故に、彼女の私室や周囲の部屋には変装した柱を潜ませていた。

 

 だが、それでも『もしも』ということはある。

 相手はおそらく上弦の鬼だ。

 どんな血鬼術(けっきじゅつ)をもっているのか、わからない。

 

 そういう理由で、鯉夏の側には鬼殺隊の最高戦力である黒死牟と、柱であるカナエが護衛として控えていた。

 

「日が暮れましたね……」

 

 カナエがポツリと呟いた。

 

「鬼が、来るのですね?」

「うむ……」

 

 鯉夏は黒死牟とカナエに向き直ると、三つ指で頭を下げた。

 

「私を可愛がってくれていた(ねえ)さんたちも、私が可愛がっていた遊女()たちも不自然に居なくなってしまいました。だから……」

「わかっている……鬼の(くび)は……必ず落とすと……約束しよう……」

 

 黒死牟は安心させるように言うと、ふと、何かに気づいたように顔をあげた。

 

「どうやら……鬼が……出たようだな……」

 

 黒死牟の言う通り、外が異様に騒がしい。

 道を行く人々の喧騒のなかに、爆発音が混ざっていた。

 

「黒死牟さん」

 

 襖の向こうから声がかかる。

 (かくし)の後藤の声だ。

 

「どうした……」

「鬼が出ました。瞳の数字は伍。(くび)を斬ったんッスけど、死にませんでした。倒すには何か、特殊な条件が必要みたいッス」

 

 後藤からの報告を受けた黒死牟は、考え込むように(あご)に手を当てる。

 

「手伝いは……要りそうか……」

「いや、要らないんじゃないッスか? なんか、見てて可哀想になるッスよ?」

 

 後藤の言葉に、黒死牟とカナエは不思議そうに首をかしげるのだった。

 

 ◆◇◆

 

 時は少しだけ(さかのぼ)る。

 

 日が落ちて周囲が暗くなり、店の通りに人が(にぎ)わってきた頃。

 鯉夏花魁の私室には無粋な侵入者の姿があった。

 

 吉原に潜む上弦の鬼、堕姫(だき)である。

 

 彼女の前には鏡台に向かって座る鯉夏(?)の姿があった。

 美しい(えさ)を前にした堕姫は、思わず舌なめずりをする。

 

「あんたは今夜までしかいないから、ちゃんと食べておかなくちゃ。──ねぇ、鯉夏?」

 

 堕姫の声に、鯉夏(?)が振り向いた。

 

「え?」

 

 堕姫は目を見張った。

 

 そこにいたのは、見知らぬ遊女だったからだ。

 遊女の表情は()いでいて、冷たい瞳が堕姫を射ぬいている。

 

「だ、誰よあんた!?」

 

 堕姫は動揺した。

 

 目の前にいた人物は明らかに鯉夏ではない。

 だが、その顔は美しく、堕姫が食べたいと思う基準は超えていた。

 

(誰だか知らないけど、食欲を(そそ)る顔ね。──なら、食べちゃおっか) 

 

 そう考えた一瞬が命取り。

 堕姫の(くび)はくるくると宙を舞っていた。

 

「あれ……?」

 

 困惑する声が、堕姫の(くち)から漏れる。

 

 (くび)を斬ったのは有一郎だ。

 背後から奇襲する形になっていたのだが、あまりにも手応えがなかったせいか、首をかしげている。

 

「えぇ? いくらなんでも呆気なさ過ぎるでしょ。こいつ、本当に上弦の鬼?」

 

 (くび)を斬った当人である有一郎は、畳に落ちた堕姫の頭を掴みあげた。

 

 瞳に刻まれた数字を確認する。

 そこには確かに【上弦】と【伍】の文字があった。

 

 それを見た有一郎はなんとも言えない微妙な表情をする。

 

「あれ? もう(くび)が斬れてる」

 

 鬼が来たことに気づいた者たちが部屋までやって来るが、皆、有一郎の持っている(くび)を見て疑問符を浮かべた。

 

「上弦、ですよね?」

「上弦、だな」

 

 堕姫の(くび)に視線が刺さる。

 

「……上弦、じゃない、とか?」

「自称ってこと?」

 

 有一郎の持つ(くび)を前にして、全員が首をかしげた。

 普段、表情に(とぼ)しい義勇ですら疑問符を浮かべている。

 

「誰が自称よ! 誰が‼」

 

 好き勝手ばかり言われて腹を立てたのか、堕姫が叫ぶ。

 突然の大声に皆が驚くが、有一郎は軽く毒を吐いて返した。

 

「いや、だって、上弦の鬼って百年以上も討伐されなかった連中でしょう? こんなにあっさり(くび)が斬れるとか、あり得ないって」

「私は【上弦の伍】よ! ちゃんと数字だってもらってるんだから‼」

「……自称じゃないの?」

「この糞餓鬼(くそがき)ども‼」

 

 (あざけ)る有一郎と無一郎に堕姫がキレる。

 

 そんな様子を見ながら義勇は疑問に思った。

 

 この鬼は、いつになったら崩れて消えるのだろうか? 

 

 義勇は少しだけ考え込んだあとに、堕姫の身体を切り刻み始める。

 

「ちょ、ちょっと! あんたヒトの身体に何してるのよ!?」

 

 堕姫が制止の声をかけるが、義勇は止まらない。

 

 すると、その奇行に秘められた意味を悟った しのぶ はポンと手を打った。

 

「ああ、身体のどこかに(くび)とは異なる急所があるかもしれないと考えたんですね! なるほどなるほど」

「なるほどなるほど……じゃないわよ‼ 止めさせなさいよ‼」

 

 納得顔の しのぶ に堕姫が噛みつくように叫ぶ。

 

「僕たちは鬼殺隊。君は鬼。鬼を殺すのが僕たちの仕事なんだから、止める理由がないよね」

「冨岡、心臓は試したか? ──そうか。なら、(くび)を斬った回数か? 断面を薄切りしてみるか……」

 

 堕姫を小馬鹿にするような発言をする無一郎に、義勇と一緒に堕姫の倒し方を模索する小芭内。

 

 端から見ているだけになってしまった者たちもいるが、そちらは知恵を出しあって堕姫が死なない理由を考えている。

 

 すると、外から爆発音が聞こえてきた。

 

 音の発生源は離れているようで、そこまで大きな音ではない。

 それから間をおかず、鎹 鴉(かすがいがらす)が連絡を寄越した。

 

「カアァァァ! 月柱カラノ情報通リニ地下空洞発見! (トラ)ワレテイタ遊女ヲ救出‼ 救出ゥゥゥ‼」

「んなっ!?」

 

 堕姫が動揺する。

 

 彼女は着物の(おび)のなかに遊女を捕らえて、好きなときに喰えるようにしていた。

 その帯を保管していたのが、地下空洞である。

 吉原中に出入口があるものの、そこに行くための道幅は人が通れるようなものではない。

 

 そのうえ、吉原の地下に空洞があるなど誰が思うだろうか。

 人の意識が向きにくい場所だけに、絶対に安全だと思っていた。

 

 そんな場所が鬼殺隊によって襲撃されたのだ。

 驚かないわけがない。

 

 しかし、地下空洞の位置がバレたことに関しては仕方のない部分もある。

 

 何しろ、地下空洞の存在を暴いたのは黒死牟だ。

 気配を読む武芸の達人でもあり、鬼である黒死牟の気配察知能力は凄まじい。

 

 だが、その黒死牟とて、地下空洞の存在を知ったのは偶然だった。

 

 吉原に通いつめて【花魁道中】に並んで歩いていた時に、たまたま地下に人の気配を感じたのである。

 何度か行き来しながら正確な場所を把握した黒死牟は、そこに何かしらの拠点があると察して、今回の計画に組み込んだのだ。

 

 救出された遊女がいると聞いて、一同の表情が(ゆる)む。

 

 取り零しそうだった命を無事に救えたのだ。

 当然である。

 

 だが、その一瞬の隙をついて、堕姫は自分の(くび)を取り返した。

 さらに、部屋の外から帯が突っ込んできて、彼女の逃走を手助けする。

 

「逃がすか‼」

 

 窓から逃げ出した堕姫を追い、柱たちが次々と外へと飛び出していく。

 

 そんな光景を、街の人々はあんぐりと(くち)を開けて見送った。

 

 ◆◇◆

 

「……なんか、大捕物(おおとりもの)になってますね」

 

 こっそりと様子を見ていた後藤がありのまま伝えると、黒死牟は思わず(ひたい)をぴしゃりと叩いていた。

 

 決して柱たちが不甲斐ない訳ではない。

 堕姫が死なない理由がわからないからこそ、この状況になっているだけだ。

 

 仕掛けさえわかれば討伐するのは容易い。

 

 だが、あまり状況が良いとも言えなかった。

 今はまだ一般市民に被害が出ていないからいいものの、さっさと討伐しないと被害が出かねない。

 

「ここは巌勝(みちかつ)様に出ていただいたほうが良さそうですね」

「そうだな……」

 

 苦笑するカナエに、黒死牟も同意する。

 

「すまないが……ここは任せる……」

「ご武運を」

 

 カナエに頷き返し、窓を開け放った黒死牟は夜の街へと飛び出した。

 

 残されたのはカナエと鯉夏、そして後藤の三人だ。

 

 男一人に女が二人。

 しかも、女は二人とも美人である。

 

「あー、俺は持ち場に戻りますんで」

 

 そんな状況に居づらくなったのか、後藤はそそくさと部屋を出ていった。

 

 そんな後藤の後ろ姿を見送ったあと、カナエは鯉夏にチラリと視線を向ける。

 その視線に気づいているのか、鯉夏はそわそわとして落ち着きがなくなっていた。

 

 なにしろ、鯉夏を身請けしたのは黒死牟である。

 そして、カナエは彼の妻だ。

 鯉夏からすれば、居づらいなんてものではないのだろう。

 

「鯉夏さん」

「は、はい」

「今回は鬼殺に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」

 

 カナエが頭を下げる。

 

 今回の囮作戦を考えたのは彼女だ。

 一般人を危険にさらす可能性がある作戦だっただけに、囮役になってくれた鯉夏に頭を下げるのは当然だった。

 

「いいえ、同意したのは私です。それに、私自身でも考えていた話でしたから。もしも提案されなかったら、私のほうから お話するつもりでした」

 

 鯉夏は苦笑する。

 

 親しい者たちを殺された鯉夏にも、胸中に少なくない怒りが渦巻いていた。

 無念を晴らせるのなら、協力を惜しまない。

 

 そう決めていたのだ。

 

「だから、謝罪はいりません」

 

 そう言って、鯉夏は笑みを浮かべる。

 

「それに……」

「それに?」

「たまたまとは言え、条件の良いところに身請けされる絶好の機会が巡ってきましたから。──今後とも、よろしくお願いします」

 

 思わずカナエは目を丸くし、そして小さく吹き出していた。

 

 鬼殺隊の柱としてのカナエは、鬼を誘き出して倒したい。

 対して、親しかった者たちを失った鯉夏も、皆の仇を討ちたかった。

 

 黒死牟の妻としてのカナエは、夫が『絶対に生きて帰らないといけないな』と思うような()()を持った人を求めている。

 

 対して、花魁である鯉夏は身請けされた先に幸せが待っているとは限らないことを知っているため、なるべく身請け先の環境や条件の良いところに身請けされたかった。

 

 つまり、カナエと鯉夏の利害は ある程度一致していたのだ。

 

 そのうえで、鯉夏は『店の旦那様や遊女たちが安心して暮らせるならば』と楼主に訴えて囮役を買って出ている。

 つまりは『楼主や女将に恩返しする』という体を取って恩を売り、身請け話に口を出せないようにしているのだ。

 

 さすがは吉原でも指折りの花魁。

 (したた)かである。

 

 だが、身請けを了承した理由は、それだけではないだろう。

 少なくとも、彼女自身が黒死牟を好ましい相手だと感じてくれているのは間違いない。

 

 いくら敵討ちのためとは言え、拒否できるという選択肢がある状態で、好きでもない相手に身請けされるような人間はいないと思うからだ。

 

「鯉夏さん」

「はい」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 そう言って、カナエは頭を下げた。

 

 ◆◇◆

 

 それが現れたのは突然だった。

 

「うわあぁぁぁん‼ お兄ちゃぁぁぁん‼」

 

 脱兎の(ごと)く逃げる堕姫が、助けを求めて兄を呼ぶ。

 その直後、彼女の背中から別の鬼が生えてきた。

 

「うぅぅぅん……」

 

 まるで寝起きの人間のように、背伸びをする鬼の男。

 その気配と威圧感は、堕姫とは比べ物にならないほどに濃厚だ。

 

 新たに現れた鬼を見て、堕姫を追っていた者たちは一斉に悟った。

 

 この鬼こそが真の【上弦の伍】である、と。

 

 全員が警戒度を一気に上げ、何が起こってもいいように身構える。

 

 空気が張り詰めるなか、堕姫の兄・妓夫太郎(ぎゆうたろう)は妹を追いかけていた者たちを(にら)みつけて目元を()いた。

 

「テメェらなぁあ。俺の可愛い妹を虐めて楽しんでたみたいだなあ。許せねぇなぁぁ。許せねぇなぁぁ」

 

 (ほほ)や腕から血が出るのも構わずに、妓夫太郎はボリボリと()(むし)る。

 

 怒っているように見えて、妓夫太郎の思考は冷静そのものだ。

 

 敵の戦力──柱か、それに近い実力者。

 敵の人数──遊女の姿をしているが、一部は女装した男性が混ざっている。

 おそらくは男が()()に女が()()

 

 そのほかにも得物の長さを確認し、見えない部分は持ち主を見て想像し、それらについての対応策を考える。

 

 しかし、思っていたより敵の数が多い。

 このまま戦えば、物量によって押し負けるのは目に見えている。

 

 それをしっかりと認識した妓夫太郎は、相手が嫌がる策をとった。

 

 妓夫太郎が堕姫に何事かを耳打ちする。

 堕姫は驚いた表情を見せたあと、にやりと笑って先程と同様に脱兎の如く逃げ始めた。

 

「あっ! 待て‼」

「行かせねぇからなああ」

 

 ──血鬼術(けっきじゅつ) 飛び血鎌

 

 追いかけようとする有一郎を、妓夫太郎が持っていた鎌から血の斬撃を飛ばして妨害する。

 有一郎に続いて しのぶ や蜜璃が追おうとしたが、妓夫太郎が血の斬撃を()()()()()()()()()()()飛ばしたことで足を止めざるを得なかった。

 

「お前らには俺の相手をしてもらうからなぁぁ。勝手に追おうとするなよなぁあ」

 

 ボリボリと頬を掻きながら、妓夫太郎は笑みを浮かべる。

 

 勘の鋭い者はすでに気づいていた。

 

 妓夫太郎と堕姫は、同時に(くび)を斬らねば倒せないことを。

 

 そして、妓夫太郎が堕姫を逃がしたのは、同時に(くび)を斬れない状況にして、鬼殺隊に消耗戦を強いて潰すつもりなのだと。

 

「取り立てるぜ、俺はなぁ。やられた分は必ず取り立てる」

 

 妓夫太郎が手に持つ鎌が不気味に脈打ち、滴り落ちる血が刃を濡らす。

 

「死ぬときグルグル巡らせろ。俺の名は妓夫太郎だからなああ」

 

 ◆◇◆

 

 鬼殺隊と妓夫太郎の戦いは膠着状態に(おちい)っていた。

 

 人数の利は鬼殺隊にある。

 

 だが、妓夫太郎の意思ひとつで自在に曲がる飛び血鎌が、まだ退去している最中の人々を狙っていた。

 そのために、そちらの守りに手数を割かなければならなかったのだ。

 

 鬼に気づかれないように罠を張っていたことが、裏目に出た形である。

 

 幸いにも、柱同士の連携がそこそこの形になっているおかげで被害は出ていない。

 しかし、早急に対処しなければ死者が出るのも時間の問題だろう。

 

 ──血鬼術(けっきじゅつ) 飛び血鎌

 

 ──水の呼吸 参ノ型 流流(りゅうりゅう)()

 

 ──蛇の呼吸 伍ノ型 蜿蜿(えんえん)長蛇(ちょうだ)

 

 妓夫太郎が民家や一般人に向けて血鎌を飛ばし、義勇と小芭内がそれらをすべて斬り裂いていく。

 

 ──炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 ──霞の呼吸 肆ノ型 移流斬り

 

 有一郎と無一郎が斬り込むが、妓夫太郎は両手に持った鎌で刃を受け止めた。

 

「背中がお留守ですよ」

 

 ──蜂牙ノ舞 ()(なび)

 

 妓夫太郎に しのぶ が(せま)る。

 

 ちなみに、この時に義勇が『馬鹿正直に呼ぶとは……‼』と思っていたなど知る(よし)もない。

 

 だが──、

 

「お前らが俺の(くび)斬るなんて、無理な話なんだよなあ」

 

 妓夫太郎は首を真後ろまで振り回すと、迫っていた刃先に噛みついて止めた。

 

 あまりにも酷い絵面(えづら)に、 しのぶ は表情を強張(こわば)らせる。

 

 ──血鬼術(けっきじゅつ) 円斬旋回・飛び血鎌

 

 妓夫太郎の両腕に巻きつくように、血鎌が現れた。

 

 直感的に危険を察知した三人は、慌てて飛び退(すさ)る。

 

 腕に纏った血鎌は広範囲に放たれた。

 

 近くにいた三人だけでなく、一般人や建物にも血鎌が(せま)っている。

 

 ──炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 ──霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消(かしょう)

 

 ──水の呼吸 拾壱ノ型 凪

 

 ──恋の呼吸 参ノ型 恋猫しぐれ

 

 それらは有一郎と無一郎、助けに入った義勇と蜜璃の手によって霧散した。

 

 ──蛇の呼吸 弐ノ型 狭頭の毒牙

 

 隙を見て近寄っていた小芭内が(くび)を狙って刃を振るう。

 

 だが、妓夫太郎はそれすらも防いでいた。

 

 小芭内が舌打ちする。

 

 その顔にはうっすらと汗が浮かび、施していた化粧が崩れて隠していたものが見えるようになっていた。

 

「お前の口元にある汚い傷……醜いなあ、醜いなあ。なんとなく親近感が湧くなああ。お前が鬼になったら愛着が湧くかもなぁあ」

 

 妓夫太郎が愉快だと言わんばかりに笑い声をあげる。

 

 小芭内の表情が苦し気に歪んだ。

 傷口に塩を塗られたような気分だった。

 

 だが、言われた小芭内 以上に、その言葉を看過できない者がいた。

 

「そんなことない‼」

「あ?」

「伊黒さんの傷は醜くなんてないもの‼」

 

 声を荒げたのは蜜璃だ。

 

「傷があったって、伊黒さんは優しくてカッコいいんだから!」

「甘露寺……」

 

 蜜璃の言葉に、小芭内はドキリとした。

 

「伊黒さんはね! 道に迷ってた私に気づいて助けてくれたの! それから靴下をくれたりするのよ!? 食事に誘ってくれた時も、私のことをとっても優しい目で見てくれるの! 伊黒さんと一緒に食べるご飯が一番美味しいの! とっても幸せな気分になれるの! たくさんたくさん私のことを楽しませてくれて! 幸せな気持ちにさせてくれて……‼」

「甘露寺……」

 

 小芭内の胸にほわほわとした温かい気持ちが湧き上がる。

 

「伊黒さんのことを何も知らないのに、外見だけ見て酷いことを言わないで! 伊黒さんはっ! 伊黒さんはねぇ‼ とってもいい男なんだから‼ 私の大切で大切な……とっても大好きな人なんだからぁぁぁっ‼」

 

 蜜璃は叫んだ。

 吉原中に聞こえるのではないかと思えるような、大きな声で。

 

「か、甘露寺……」

 

 小芭内が膝から崩れ落ちる。

 

 胸がキュンとなったのだ。

 いや、キュンどころか、ズキュゥゥゥン‼ くらいの勢いだった。

 

 心臓を鷲掴みにされて、心ごと持っていかれた気すらしている。

 それくらい、蜜璃の告白にも聞こえる言葉に衝撃を受けていた。

 

 逆に、妓夫太郎は困惑している。

 自分は今、いったい何を聞かされているのだろうか? 

 そう思っていた。

 

「それからねっ! えっとねっ‼」

「甘露寺」

 

 躍起になっている蜜璃を義勇が止める。

 なおも蜜璃は「だってだって!」とごねているが、そこに しのぶ も止めに加わった。

 

「甘露寺さん。もう、そのくらいにしてあげてください。……伊黒さんがいろいろと限界みたいなので」

 

 そう言われ、蜜璃は小芭内に目を向ける。

 

 小芭内は(うずくま)っていた。

 顔を真っ赤に染めて、緩みそうになる頬を必死に押さえていた。

 

 鬼の目の前にいるというのに無防備に過ぎるが、惚れた女性に『大好きな人』だと言われたのである。

 そうなってしまうのも、仕方のない話だろう。

 

 それに対して、妓夫太郎はまだ困惑していた。

 お前ら、いったい何をしに来たんだ? と問いかけてやりたい気分である。

 

 とりあえず、すぐ側にいる男が妬ましい対象であることには間違いない。

 

「……妬ましいなああ。妬ましいなああ。あんな綺麗な女に受け入れられているなんてなあ。許せねぇよなぁ! なぁぁ‼」

 

 妓夫太郎が鎌を振りかぶる。

 

 すると、急に世界が回りだした。

 

「……あ?」

 

 間抜けな声が口から漏れる。

 

 くるくると回転する視界の端。

 

 そこに、六つ目の鬼が立っていた。

 

 ◆◇◆

 

 堕姫は街の外を目指して走っていた。

 

 彼女と妓夫太郎は二身一体。

 どちらか片方の(くび)が無事なら消滅しない体だ。

 

 そして、妓夫太郎は猛毒の使い手でもある。

 彼の攻撃に(かす)っただけでも、体に毒がまわって死に至るのだ。

 

 そのため、妓夫太郎は無理に相手を倒す必要はない。

 この不死性と毒があれば、余程のことがない限りは彼女たちに負けはないだろう。

 

 それに、例え妓夫太郎が消耗しても、堕姫が人間を食らえば回復ができる。

 二人が繋がっているからこそ出来る芸当だった。

 

 鬼殺隊にとっては底意地の悪い作戦である。

 

 しかし、妓夫太郎には誤算があった。

 

 

 

 屋根(づた)いに駆ける堕姫の視界に、同じように屋根の上を駆けてくる人影が映る。

 なにやら派手な装飾をつけた、大柄な男だった。

 

 堕姫は行きがけの駄賃だと言わんばかりに、男を攻撃する。

 このままいけば真正面から擦れ違う形になるため、邪魔な相手でもあったのだ。

 

 だが、堕姫の伸ばした帯が男に当たる寸前──、

 

「──え?」

 

 男の姿がかき消えて、堕姫の視界が回りだした。

 

 ◆◇◆

 

 妓夫太郎の(くび)を斬った黒死牟が、刀を鞘に納める。

 小さな(つば)鳴りが聞こえるくらいに、辺りは静寂に包まれていた。

 

 妓夫太郎の体が崩れ始める。

 誰かが堕姫の(くび)を斬っていたらしい。

 

 すると、黒死牟が(くび)を失った妓夫太郎の体に短刀を突き刺した。

 

 血を採取しているのだ。

 

 それを見た柱たちが『ああ、そう言えば』と思い出し、各自で持たされていた短刀を取り出している。

 

 研究用の血液は、多くて困ることはない。

 妓夫太郎の身体に、次々と短刀が突き刺さった。

 

 

 

 鬼殺隊(こいつら)は何人で()()に来たんだ? 

 そんな疑問が妓夫太郎の脳裏に浮かぶが、すでに敗けは決まっている。

 (せん)無きことか、と考えるのをやめた。

 

「まさか、()()()が来てたとはなあ」

 

 妓夫太郎のぼやきに、黒死牟は沈黙で返す。

 別に返事を期待していたわけではないため、妓夫太郎は特に何も言うこともない。

 

 今はただ、妹の堕姫、いや、()のことだけを考えていた。

 

 妹と共にいれば守ってやれただろうか? 

 いや、どちらにせよ物量で押し潰されたか? 

 まあ、黒死牟が()()に来ていた時点で敗けは決まっていたようなものだったか。

 

 自分の失敗はどこにあったかを考えながら、妓夫太郎の(くび)は崩れて消えた。

 

 

 

「よォよォ! 吉原のど真ん中でド派手に愛を叫んだ告白会場はここかい?」

 

 そんな軽口(かるくち)と共に、天元がやって来た。

 

 極々一部がその軽口に過剰な反応を示しているが、ただただ微笑ましいだけなので、各自、視界の外に追いやっている。

 

「照れるな、照れるな」とからかいの声をかけたあと、天元は吉原の街並みに目を向けた。

 

 多少、建物に被害は出ているが、倒壊するようなものではない。

 大半が、壁の傷や(かわら)が割れたなどの軽い被害だ。

 そこに対しては修繕費を工面してやれば、大きな波風を立てることなく話がつくだろう。

 

 それに、人的被害もない。

 一般人にも、鬼殺隊にもだ。

 

 百年以上も討伐出来なかった上弦の鬼を倒した代償にしては、明らかに小さい被害である。

 偉業、と言っても良いだろう。

 

 まあ、鬼殺隊の切り札でもある【月柱】に加えて、柱の半数を動かしたのだ。

 戦力的には当然の結果と言えなくもない。

 

「ま、なんにせよ。これで残る上弦の鬼は五体だな」

 

 また一歩、鬼舞辻(きぶつじ)無惨(むざん)(くび)に近づいた。

 

 それを実感しながら、天元たちは事後処理に向かうのだった。

 

 ◆◇◆

 

「悪かったなあ。俺が読み違えちまったせいでなあ」

「やっぱりアレよ! 私とお兄ちゃんは一緒にいなきゃ駄目なのよ! 二人がそろえば無敵だって、昔、言ってたじゃない!」

「そうだったなあ」

「あ、でもでも! 私の(くび)を斬った奴はいい男だったなぁ」

「……お前なあ」

「もちろん、お兄ちゃんの次にいい男だったって意味だけどね! ……ちょっと! 拗ねないでよ、お兄ちゃん!」

 

 ◆◇◆

 

 大正こそこそ噂話(壱)

 

【音柱】 宇髄 天元

 

 忍なのに忍ばない、ド派手な元・忍者。

 とにかく派手好きな自称・祭りの神。

 詳しくは原作を読もう。

 

 原作とは違い、下弦解体の前情報があったので、奥様方を危険にさらさずに済んだ。

 本来なら今回の吉原編で負傷し柱を引退するが、本作では無事だったので残留することに。

 

 なお、地味に女装を逃れている。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(弐)

 

【恋柱】 甘露寺 蜜璃

 

 恋に悩む鬼殺隊の乙女。

 特殊な体質をしている捌倍(はちばい)娘。

 詳しくは原作を読もう。

 

 周囲に既婚者が増えているため、結婚願望が強まっている。

 小芭内にいろいろと仕掛けていたが、なかなか上手くはいかなかったようだ。

 原作でも思いが通じあっていたが、本作では感情に任せて告白したような形になった。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(参)

 

【蛇柱】伊黒 小芭内

 

 いつも蛇(鏑丸(かぶらまる)♂)と一緒にいる人。

 ネチっこさに定評がある(たぶん)純情派。

 

 結婚願望が強まっている蜜璃から『当たってる? 当ててるのよ』攻撃を受けながらも、今一歩踏み出せないでいた。

 

 今回の一件で蜜璃の色香に惑わされ、理性が崩壊しかける。

 事が終わったら蜜璃に告白しようと考えていたら、逆に告白されることに。

 

 次の柱合会議には恋人繋ぎして産屋敷邸に来たことから、二人の仲はうまくいったようだ。

 

 後日、甘露寺家に報告に行ったら母親に泣いて喜ばれていた。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(肆)

 

 尾崎 桜乃(さくの)

 

 数少ない女性隊士。

 原作では那田蜘蛛山で亡くなった故人。

 

 姓は原作に登場しているが、名前は判明していない。

 そのため、名前は別作品から採用している。

 

 名前の採用理由はキメツ☆学園でテニス部に所属していることから。

 あっちは竜崎でこっちは尾崎。

 崎つながりで語感もいい。

 

 髪形的には監督のほうが近いのだが……ウウム。

 

 ついでに【花の呼吸】の使い手で【花柱】の継子の一人になっている。

 

 真菰(まこも)から年下の良さを布教されているようで、最近、文通相手を見ると内心で葛藤が起きるらしい。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(伍)

 

 鯉夏

 

 吉原にある遊郭【ときと屋】の上級花魁。

 面倒見がよく、下の子たちに慕われる優しい女性。

 あまりにも甘やかしすぎて、たまに女将に叱られるらしい。

 

 原作では身請け話が出ていたが、本作では黒死牟が身請けした。

 

 黒死牟に対する恋愛感情はあるが、それ以上に相性が良かったらしい。

 精神的な相性もそうだが、から……ゲフンゲフン。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 大正こそこそオマケ話

 

 無惨

「妓夫太郎が死んだ。上弦の月が欠けた」

 

【上弦の壱】

「誠に御座いますか!」

 

 無惨

「戦いの手順に不備はなかった。ただ……黒死牟が来ていたことだけが誤算だった」

 

【上弦の壱】

(うわぁ……あの人が来てたのか。やだなぁ……)

 

【上弦の弐】

(黒死牟黒死牟黒死牟こここここ恋雪ぃぃぃ‼)

 

【上弦の参】

(ヒィィッ! 妄執に囚われた男の嫉妬が恐い‼)

 

【上弦の肆】

「無惨様‼ 私が掴んだ情報……あふん!」

 ↑(くび)を斬られた。

 

 無惨

「妓夫太郎は死んだ……が、百年振りに上弦の入れ替わりがあった。少しは使えそうな手駒が増えて、私は少しだけ気分がいい」

 

【上弦の肆】

(無惨様の手が私の頭に! いい……とてもいい……)

 ↑うっとりしている。

 

 無惨

「玉壺。情報が確定したら半天狗と共に()()に向かえ」

 

【上弦の参】

「ヒィィ。承知致しました……‼」

 

 無惨

「それから……お前は与えた血が馴染み次第、耳に花札のような飾りをつけた鬼殺隊の隊士を探しだして消せ」

 ↑やっぱり、縁壱関連は怖い。

 

【新・上弦の陸】

「は、い……」

 ↑無惨の血を大量に与えられて(もだ)えている。

 

【無惨、立ち去る】

 

【上弦の壱】

「玉壺殿ぉ! 俺も行きたい!」

 ↑わくわくしてる。

 

【上弦の肆】

「ヒョッ……」

 ↑ものすごく嫌そうな顔。

 

【新・上弦の陸】

(無惨様の言ってた隊士ってのは……こいつか。なんだよ。こんなガキなら俺でも殺れるぜ)

 ↑記憶が流れ込んできている。




今回も読んでくださってありがとうございます!

次回は刀鍛冶の里編ですね。

よかったら見てください!

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