【完結】産屋敷邸の池に豆腐を落とせば、鬼舞辻無惨を津波が襲う   作:【豆腐の角】

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ソワソワしながら月曜日を待ち、ジャンプの表紙を見てアレ? と思い、次の発売日が11日だったと気づいてガックリ来た筆者ですが、皆様、どうお過ごしでしょうか?

今回はかなり遊んで書いているので、えぇ……と思われる部分もあると思います。

取りあえず、本編をどうぞ。


育った波はうねり打つ(刀鍛冶の里編+α)

 吉原で【上弦の伍】を討ち取ってから二ヶ月の時が過ぎた。

 季節は夏、真っ盛りである。

 

 百年振りに上弦の鬼を討ち取ったとあって、鬼殺隊の雰囲気は盛り上がりを見せていた。

 

 それは蝶屋敷のなかでも変わりはなく、病床にある隊士たちにも良い影響を与えている。

 

 上弦の鬼を討伐したということは、それだけ大きな出来事だったのだ。

 

 もちろん、良い影響を受けたのは臥せっている者たちだけではない。

 鬼殺に励む隊士たちも、いっそう奮起していた。

 

「修行だ、権八郎! 紋逸! 俺について来い!」

「今日の伊之助は一段と気合いが入ってるな。どうしたんだろう?」

「この間、また傷のおっさんに負けてたからな。悔しかったんだろ」

 

 首をかしげる炭治郎の疑問に、善逸があきれた様子で答える。

 

実弥(さねみ)さんに? ──ああ、この間の稽古のことか」

 

「おっさんだなんて呼んだらいけない」と(たしな)めながらも、炭治郎は納得の表情を浮かべた。 

 

 定期的に行われる実弥や錆兎(さびと)との稽古で、炭治郎たちはいまだに勝ち星を上げたことがない。

 

 稽古は木刀を持って行う実戦形式で、基本的に柱一人に三人がかりで挑んでいる。

 人数的には明らかに炭治郎たちのほうが有利なのだが、ことごとく(くつがえ)されて敗北を(きっ)していた。

 

 実力に差があるのは当たり前の話なのだが、負ける側としては、そろそろ強くなった実感が欲しいところでもある。

 

「足が折れるまで走り込みだ!」

「いや、それは駄目だろ。しのぶさんに締め上げられるぞ」

 

 善逸がそう言うと、伊之助は沈黙した。

 

 少し前の話になるが、伊之助は病棟の窓ガラスを割ったことがある。

 その際に しのぶ から説教を受けたのだが、それが相当(こた)えたらしい。

 

 それ以来、伊之助は しのぶ を怒らせないように気をつけるようになったのだ。

 

 ちなみに、そのあとに母親の琴葉からもお叱りを受けている。

 伊之助がショボくれたのは言うまでもない。

 

 ◆◇◆

 

 そんな修行と任務漬けの日々を送っていた、ある日の晩のことだった。

 

「新しい刀?」

 

 漬け物を挟んでいた箸を止め、炭治郎が首をかしげる。

 彼の対面には、お茶を(すす)る累の姿があった。

 

 珠世に体を(いじ)ってもらい、飲み物は飲めるようになったらしい。

 

「なんか、刀鍛冶の人が()()()に来るらしいよ?」

「こ、今回はまだ刀を折ったり刃零(はこぼ)れさせてないんだけどなぁ……」

 

 顔を青くした炭治郎は、嫌な汗が流れる額を腕で(ぬぐ)う。

 

 炭治郎の日輪刀を担当する鋼鐵(はがね)(づか)という刀鍛冶は、刀への愛情が深すぎる人物である。

 以前、彼は炭治郎が刀を破損させたことに怒り、包丁を持って襲いかかってきたことがあった。

 そのため、その様子を見てしまった蝶屋敷の子供たちから恐れられている。

 

 刀を折って申し訳なく思っていた炭治郎は、追いかけられても仕方ないと感じていたらしい。

 それを聞いた者たちからは「いくらなんでも人が良すぎだろう」と言われていた。

 

「ああ、炭治郎の刀じゃないからね?」

「そうなのか?」

 

 累の言葉に炭治郎はホッとした。

 どうやら、追いかけられずに済むらしい。

 

 だが、それならそれで疑問が浮かんできた。

 

 いったい、誰のための刀なのだろうか? 

 

 それが顔に出ていたのか、累は苦笑する。

 

「新しい刀はね。伊之助のための刀だよ」

「伊之助の?」

「んあ?」

 

 炭治郎が目を丸くし、天ぷらをかじっていた伊之助が累の顔を見た。

 伊之助の刀もまた、破損……はともかく、折れてはいないからだ。

 

「ほら。この間、伊之助の刀を担当している()()(もり)さんって人が来てたでしょう?」

「あ。……あぁ」

「やっぱり、()()は許せなかったみたいでさ。新しく刀を作ったらしいんだよね」

 

 累に言われて炭治郎は納得する。

 伊之助はわかっていないようだが、あれは衝撃的な事件であった。

 

 

 

 炭治郎たちが機能回復訓練を終えて【全集中の呼吸・常中】を会得したころの話である。

 

 蝶屋敷に、刀鍛冶である鋼鐵塚と鉄穴森の二人がやって来たことがあった。

 炭治郎と伊之助の刀が折られたということで、新しい刀を持ってきたのだ。

 

 その際に炭治郎は鋼鐵塚に追いかけ回されたのだが、それはあくまでも余談である。

 

 問題なのは、新しい刀を与えられた伊之助の行動だった。

 

 何故なら、彼は新しく与えられたばかりの刀を石で殴りつけ、見事にボロボロにしてしまったのである。

 伊之助曰く『そっちのほうがカッコいいから』ということらしい。

 

 丹精込めて作った刀をボロボロにされて、怒らない職人はいない。

 怒った鉄穴森が、伊之助を糞餓鬼呼ばわりしながら殴りにいこうとするのも当然の話だった。

 

 

 

「あの時は鉄穴森さんを止めるのが大変だった」と、当時のことを思い出した炭治郎が(ちから)なく笑う。

 何となくだが、また同じことが繰り返されるような気がしてならない。

 

 同じように考えたのは炭治郎だけではないらしく、善逸も遠い目をしていた。

 

「……まあ、皆そう考えるよね」

 

 累も同じように考えているようで、苦笑いしている。

 

 しかし、その懸念が良い意味で外れることになるとは、誰にも予想出来なかった。

 

 ◆◇◆

 

 それから数日後のことである。

 ついに、鉄穴森が蝶屋敷に到着した。

 

「お、お久しぶりです。鉄穴森さん」

「ああ、炭治郎君ですか。お久しぶりです」

 

 少し挙動不審になる炭治郎に、鉄穴森は機嫌が良さそうに返事をする。

 

 お面をしているので表情はわからないが、少なくとも(にお)いからは良い感情しか読み取れない。

 少しだけ、炭治郎はホッとした。

 

 だが、ここから機嫌が急降下することも考え得る。

 そのため、炭治郎の心境は安堵から一転し、(たま)らなく不安になっていた。

 

「それで伊之助殿は居ますか?」

 

 鉄穴森の纏っていた空気がピリッとしたものに変わる。

「ああ、やっぱり」などと思いつつ、炭治郎は内心で(おのの)きながらも鉄穴森を案内した。

 

「伊之助ぇ! 鉄穴森さんが来たよ!」

 

 声をかけると、中庭で鍛練をしていた伊之助が腕や背中を伸ばしながらやってきた。

 

 その瞬間、鉄穴森の視線と伊之助の視線がぶつかり合って火花を散らした……ような気がする。

 

「来ましたね。伊之助殿」

 

 何やら、黒い瘴気のようなものが鉄穴森の体から漏れでている……ような気がした。

 それは伊之助も感じているらしく、ちょっと後退(あとずさ)りしている。

 

「今回の刀は自信作なんですよ。どうぞ、お納めください」

 

 鉄穴森は、持ってきていた二振りの刀を伊之助に差し出した。

 奇妙な圧力を感じていた伊之助は恐る恐る受け取ると、鞘から刀を抜き放つ。

 

「ほぅ……」

「へぇ……」

 

 伊之助が前回のような暴挙に出ないようにと同席していた黒死牟と累が、感嘆の声をあげた。

 

 伊之助の持つ新たな刀は、一見すると何の変哲もないものである。

 だが、よく見てみると刃の部分が細かく波打っていた。

 (のこぎり)のようにも見える、変わった刃である。

 

「昔の刀匠が作った刀の資料を読み漁りましてね。偶然、このような形状の刀を見つけたんですよ。作るのが難しくて、かなり時間がかかりましたけどね」

 

「人の(ふんどし)を借りた形になるので恥ずかしいのですが」と、そう言って鉄穴森は頬を掻く。

 職人としては、自分の発想力で生み出したかったのだろう。

 

 だが、グズグズしていれば伊之助がボロボロになった刀で戦い、命を落とすかもしれない。

 鉄穴森は職人の誇りと伊之助の命を秤にかけたのだ。

 

 その結果が、この新しい刀なのだろう。

 

「よかったな、伊之す……」

 

 炭治郎は、伊之助に目を向けて固まった。

 伊之助の目が、とても輝いていたからである。

 

 まるで、新しい玩具(おもちゃ)を与えられた子供のような目だった。

 

「ちょっと試し切りしてくらぁ‼」

「え? ちょっ……伊之助ぇ!?」

 

 嬉しさを抑えきれない様子の伊之助が、飛び跳ねながら部屋を後にする。

 

 お礼も言わずに立ち去った伊之助に呆れながら、炭治郎は鉄穴森に「すみません」と頭を下げた。

 

「いやいや。良いんですよ、炭治郎君。私としては、伊之助殿に気に入って貰えただけでも大満足です」

「そ、そうですか?」

 

 申し訳なさそうにする炭治郎に、鉄穴森は笑顔を向ける。

 

「ええ。……もしも、あの刀でも駄目だった場合はどうしてくれようかと考えてましたから」

 

 再び鉄穴森の体から、黒い瘴気が溢れだした……ような気がした。

 

 頬を引きつらせながら、炭治郎は笑う。

 内心では『伊之助が気に入ってくれて良かった‼』と思っていたが、それを口に出すことはなかった。

 

「それはそうと……鉄穴森殿……」

 

 話が一段落したのを見計らい、黒死牟が鉄穴森に声をかける。

 

「なんでしょうか、黒死牟殿?」

「あの刀は……斬れるのか……」

 

 黒死牟に問われ、鉄穴森は苦笑した。

 当然の疑問だと思っていたのだろう。

 

「ええ、もちろんです。まずは包丁という形で再現して研究を重ねましたからね。少なくとも、伊之助殿にボロボロにされた刀よりは斬れますよ」

 

 そう言って、鉄穴森は胸を張った。

 

 ◆◇◆

 

 伊之助への刀の譲渡が済んだあと、黒死牟はあることを思い出していた。

 

 三百年前に黒死牟が鬼殺隊にいた頃の話になるが、刀鍛冶の里には彼──継国(つぎくに)巌勝(みちかつ)の弟、縁壱(よりいち)を模した()()()絡繰(からくり)人形があったのである。

 

 それは今、いったいどうなっているのだろうか。

 少し気になったので、鉄穴森に聞いてみることにした。

 

 問われた鉄穴森は少し黙ったあと、申し訳なさそうに(こうべ)を垂れる。

 

「あるにはあるのですが……さすがに三百年前の物ですし、絡繰人形の整備を代々続けていた家の当主が急死しまして……」

「そうか……それは……惜しい人を……亡くした……」

 

 黒死牟は僅かに目を見開き、故人に対して黙祷を捧げる。

 

 しかし、三百年前の絡繰人形がいまだに現存していると聞いて、黒死牟は素直に驚いていた。

 

 さすがにもう動いていないだろう、もしくは、新しい物に作り替えられているだろう。

 いや、既に失われていたとしても不思議ではない、と考えていたのである。

 

「一度……刀鍛冶の里に……顔を出すとするか……」

 

 黒死牟はそう決めると、刀鍛冶の里に行く許可を求める書状を耀哉(かがや)に送った。

 

 その返事は返って来なかったが、後日、手紙の代わりに(かくし)の後藤が蝶屋敷を訪れたのである。

 

「後藤殿……もしや……」

「……察して」

 

 ◆◇◆

 

 黒死牟は、後藤の案内で刀鍛冶の里を訪れていた。

 

 ちなみに、刀鍛冶の里に行くと皆に告げた際に、子供たちから『お土産よろしく!』と要求されていたのは余談である。

 

 なお、一部の女性陣は里に温泉があることを知っていたために『行きたい!』と駄々を()ねていた。

 

 だが、刀鍛冶の里は鬼殺隊の重要拠点のひとつであり、幾重にも隠されている場所である。

 そういった事情もあって、連れていくことは不可能だった。

 

 なので、その代わりに後日、黒死牟が普通の温泉宿に連れていくことを約束していたりする。

 

 ちなみに、その様子を見ていた後藤がなんとも言えない微妙な顔をしていたことに、黒死牟は気づいていなかった。

 

(あの駄々の捏ね方。たぶん、約束を取りつけるために わざとやったんだろうなぁ……)

「どうした……後藤殿……」

「いや、なんでもないッス」

 

 

 

 絡繰人形を管理している家に行ってみると、そこには一人の少年が待っていた。

 名を小鉄と言い、絡繰人形本体と作動させるための鍵を管理しているらしい。

 

「普段、絡繰人形は倉のなかに保管してるんです。()()直せる人もいないし……」

 

 寂しそうな小鉄の声に、黒死牟は「そうか……」としか返せなかった。

 

 絡繰人形の修復方法を学ぶ前に、指導者でもある父親が亡くなったのだ。

 指南書や様々な資料は残っているそうだが、やはり、父親から学びたかったのだろう。

 

 現在は、父親が亡くなる直前に言い遺した『次の世代に繋いで欲しい』という言葉を守るために、才能がないとわかっているが、必死になって修行中なのだそうだ。

 

「あ、絡繰を仕舞ってある蔵は里から少し離れた場所にあるんです。訓練をするには、里のなかだと狭くて……」

 

 そう言って、小鉄は黒死牟を連れて里の外にある広場へと案内する。

 

「本当に、あの絡繰人形にそっくりな人ですね」などと話しつつ、人形が安置されているという蔵へと向かう。

 

 そして、絡繰人形と対面して黒死牟は驚いた。

 

 想像していたよりも、痛みの少ない状態で安置されていたからである。

 

 そもそも、この絡繰人形は訓練用に作られたものだ。

 ならば、もっと激しく壊れ、修繕した痕跡が残っていたとしても不思議ではない。

 

 だが、それがないのである。

 

 ということは、人形に傷を残すほどの攻撃を当てることが出来た者がいない、ということを意味していた。

 

(絡繰人形に落とし込んでなお、お前は孤高の領域にいるのか。縁壱……)

 

 後世に生まれた剣士の質が悪いわけではないだろう。

 だが、誰一人として追いつけなかったという事実に、黒死牟は一抹の寂しさを感じていた。

 

 ◆◇◆

 

 見るべきものは見た。

 満足そうにしながら、黒死牟は宿泊している旅館へと足を運ぶ。

 

 その最中、あってはならない気配を感じて黒死牟は駆け出した。

 

(この気配……間違いない……)

 

 全速力で駆けつけた黒死牟の視界に、手足の生えた巨大な魚の姿が見えた。

 その足元には、火男のお面をつけた里の住人が尻餅をついて後退りしている。

 

 ──月の呼吸 壱の型 闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 一刀のもとに魚の(くび)を両断にしてみるが、傷口がすぐさま再生を始めていた。

 

 黒死牟は目を見張る。

 だが、よく見てみると、先程までは巨体で見えなかった部位に壺がくっついているのに気がついた。

 

 すぐに察した黒死牟は、壺に一撃を入れて叩き割る。

 その途端、魚の化け物は悲鳴をあげて崩れ去った。

 

 やはり、壺が本体だったらしい。

 

「壺を割れ! さすれば消える‼」

 

 里の各地で戦う鬼殺隊の隊士に聞こえるように、黒死牟が珍しく大声をあげる。

 すると、その声を聞いた者たちが同じように叫んで回り、化け物の巨体が各地で次々に崩れ始めた。

 

 里に常駐する警備役の隊士は、それなりに腕が立つ者を選別している。

 弱点さえ判れば、こうもなるだろう。

 

 黒死牟は日輪刀を鞘に納めると、その代わりに妙に肉感のある鞘に納められた刀を持ち出して、抜き放った。

 

 たくさんの目玉がついた、不気味な刀である。

 しかも、それは形を変えて、巨大な太刀になった。

 

 黒死牟の肉を使って生み出された刀である。

 

「さて……」

 

 里に蔓延(はびこ)る化け物の群れに、黒死牟は目を向けた。

 

「少しばかり……本気でやるとしよう……」

 

 そう言って、黒死牟は駆け出した。

 

 まずは逃げ遅れた人々を襲う魚の集団へと飛びかかる。

 

 ──月の呼吸 玖ノ型 降り月・連面

 

 無数の斬撃が降り注ぎ、里の人々を襲おうとしていた化け物が背負う壺を割っていく。

 

「こ、黒死牟殿!」

「逃げよ……殿(しんがり)は私が務める……」

「は、はい!」

 

 大急ぎで逃げていく背中を見送ったあと、黒死牟は前方から押し寄せていた魚の群れに向かって刀を振るった。

 

 ──月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月(らげつ)

 

 回転鋸のような形状をした斬撃が、複数並んで突き進む。

 そして、化け物の体を壺ごと斬り裂いていった。

 

 魚の化け物は数を減らしたが、消えた分だけ新たに押し寄せてくる。

 どうやら、黒死牟を脅威と見て優先的に排除しようとしているらしい。

 

 それはそれで好都合だ。

 

 ──月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾

 

 横薙ぎの斬撃が広範囲に渡って化け物を斬り裂いた。

 正面から来ていた化け物の数が減る。

 

 すると、化け物のなかにも少しは頭の回る個体もいたようだ。

 それらは建物に登って迂回し、背後から飛びかかるように襲ってくる。

 

 だが、黒死牟は動じない。

 

 ──月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月

 

 襲いかかって来る化け物を、前後左右まとめて薙ぎ払う。

 

 ──月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え

 

 再び正面に向かって刀を振るえば、地を這う斬撃が化け物たちを斬り裂いた。

 

 今の攻防でかなりの数を減らしたらしい。

 黒死牟の前に立ちはだかる魚の化け物は、粗方消え去っている。

 もちろん、残った化け物も数瞬で同じ道を辿(たど)った。

 

 その後も、黒死牟は次々に壺を背負った魚の化け物を倒していく。

 

 凄まじい進行速度だ。

 

 あっという間に里長の住む屋敷に辿(たど)り着くと、暴れまわっていた一際(ひときわ)巨大な魚の化け物が目に映る。

 

 ──月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月

 

 上から地面に向かって複数の三日月が突き刺さる。

 

 ただそれだけで、いくつもの壺を背負った巨大な化け物は退治された。

 

(つよ)っ!」などと里長や護衛たちが口を揃えていたが、それはさておき。

 

 黒死牟が敵の数を一気に減らし、常駐する隊士たちの奮闘もあって、里全体の騒ぎも落ち着いてきたように見える。

 

 雑魚はこれで大丈夫だろう。

 だが、気配からして上弦の鬼がどこかにいるはずだ。

 

 黒死牟は近くにいた化け物を倒しながら、鬼の気配を探る。

 

 そして、旅館の屋根にその姿を見つけた。

 

「ヒィィィ!」

 

 角をもち、目の裏返った老人の鬼。

 与えられた数字はわからないが、その気配の誤魔化し方は間違いなく上弦の鬼だ。

 

 ここでふと、黒死牟の脳裏に(よぎ)るものがあった。

 

 この老人の鬼に見覚え、というか、特徴に聞き覚えがあるのだ。

 しかし、それが何故、どこで聞いたのかを思い出せない。

 

「まあ……斬ってから……考えればよかろう……」

 

 日輪刀に持ち替え、黒死牟が老人の鬼──半天狗の(くび)を一刀両断する。

 

 すると、一方からは頭が生え、もう一方には体ができていた。

 

 しかも、二体とも若々しい姿に変わっている。

 

「分裂か……小賢しい……」

 

 ──月の呼吸 参ノ型 厭忌月(えんきづき)(つが)

 

 二体に別れた鬼の(くび)が、再び宙を舞う。

 

 だが、そこから四体に増えた。

 

 ここで(ようや)く、黒死牟は脳裏に(よぎ)ったものの正体に気づく。

 

「そういえば……何度斬ろうとも……分裂する……鬼がいると……聞いたことがあったが……こやつがそうか……」

 

 黒死牟がその話を聞いたのは、百年以上も前のことである。

 まさか、まだその鬼が生き残っていて、上弦の鬼にまで成り上がっているとは思わなかった。

 

 黒死牟に鬼のことを話してくれた人物が聞けば、倒せなかったことを悔いて憤死しかねない話である。

 勿論、その人物は普通の人間なので他界しているが、それくらい責任感の強い人物だったのだ。

 

 ──月の呼吸 陸ノ型 (とこ)()()(げつ)()(けん)

 

 四体に増えた鬼を、赫刀化させた日輪刀で木っ端微塵に斬って捨てる。

 

 すると、鬼の気配が小さくなった。

 

 どうやら、四体程度が最も力を発揮する人数らしい。

 

「しかし……細切れにしても……死なんとはな……」

 

 目の前の肉片に本体はいないと感じた黒死牟は、周辺に鬼が隠れていないかと気配を探る。

 

 注意深く探ってみれば、少し離れた位置に鬼の気配があった。

 

 だが、視線を向けてみても鬼の姿は見えない。

 

 どういうことか? と考えていると、妙に低い位置から視線を感じた。

 

 気になった黒死牟は、視線を感じた位置をじっくりと観察してみる。

 

 すると、そこには──、

 

「ヒィィィ!」

 

 手のひらに収まるくらいの、分かりやすく例えると、野ネズミ程度の大きさをした老人の鬼が、落ち葉に隠れるようにして立っていた。

 

 思わず、黒死牟の目が点になる。

 

「これはまた……なんとも……」

 

 黒死牟は苦笑いをした。

 どうやら、あれが本体らしい。

 

 そうと判れば話は早かった。

 

 木っ端微塵にした鬼の肉がなんとか再生しようと(うごめ)いているが、それも もはや関係ない。

 

 ──月の呼吸 伍ノ型 月魄災禍

 

 再生しようとしていた肉塊を、刀の振り無しで生み出した斬撃で斬り飛ばす。

 万一にも邪魔をされないように念を入れたのだ。

 

 そして──、

 

 ──月の呼吸 弐の型 珠華ノ弄月

 

 取り囲むように放たれた三本の斬撃が、逃げ出していた本体の行く先を(ふさ)ぎながら(くび)を斬り落とした。

 

 ◆◇◆

 

 上弦の鬼──半天狗を討ち取った黒死牟は、改めて、里の各地に目をやった。

 先程までは壺を背負った魚の化け物がいたのだが、それらの姿は消えている。

 

 黒死牟が斬った鬼は壺のような物は持っていなかった。

 外見からしても、壺との繋がりを見出だせない。

 

 おそらくは、魚の化け物は別の鬼が生み出したものなのだろう。

 

 しかし、そうなると今、里を襲っていた化け物がいなくなったことへの説明がつきづらい。

 

 化け物が消えた理由として考えられるのは、二つある。

 

 生み出した本体が倒されたのか。

 はたまた、逃げ出したのか。

 

 黒死牟は腕を組んで考え込んだ。

 

 可能性として高いのは撤退したというものである。

 

 何故なら、魚の化け物の強さと数から考えて、あれを生み出した者は上弦の鬼である可能性が高いからだ。

 

 この里に常駐する隊士も弱くはないが、上弦の鬼に勝てるか? と聞かれれば、無理だとしか言いようがない。

 

 だから、いないのは撤退したからだと考えるのが自然である。

 

 しかし、相手は刀鍛冶の里を見つけたほどの情報()()だ。

 里を襲うにしても、もう少し何かありそうなものである。

 

 故に、黒死牟は楽観視をしていなかった。

 

 何か仕掛けているのではないか? と疑っていると、黒死牟の顔に影がかかる。

 

 ふと見上げてみると、月を背負った六本腕の人影が見え──、

 

「ぬっ……!?」

 

 黒死牟に斬りかかってきた。

 

 ◆◇◆

 

 小鉄は走っていた。

 一刻も早く、里に戻らねばならなかった。

 

 里のほうからは戦いの音がしていたが、今は止んでいるらしい。

 だが、それでも急がねばならなかった。

 

 小鉄が里に戻ってくると、壊れた建物が視界に入る。

 化け物たちは盛大に暴れたらしく、無事な建物を探すほうが大変そうな有り様だ。

 

 悲惨な状態に変わり果てた里の姿に(おのの)きながらも、小鉄はあるものの姿を必死になって探す。

 

 すると、屋根より高い位置から金属がぶつかり合う音がした。

 剣戟の音だ。

 

 小鉄は急いで音のする場所を目指して走り出す。

 

 そうして目にしたのは──、

 

「ああっ!?」

 

 小鉄の家が管理していた絡繰人形【縁壱零式】と斬り結ぶ、黒死牟の姿だった。

 

 ◆◇◆

 

【縁壱零式】と刃を交えていた黒死牟は、言い知れぬ既視感に襲われていた。

 

 黒死牟と【縁壱零式】がこうして打ち合ったことはない。

 だから、過去の経験によるものとは違うはずだ。

 

 それはそれとして、何故、この絡繰人形は黒死牟に狙いを定めて打ちかかってくるのだろうか? 

 小鉄少年が何かしたにしては、あまりにも奇妙な行動である。

 

 いや、そもそも、絡繰人形は決められた動きしかしないはずなので、明らかに異常なのだが。

 

「もしや……鬼の仕業か……」

 

 一瞬、それが正解だろうかと思うが、それにしては何も感じない。

 人形だからなのか、殺意や戦意というものをまるで感じないのだ。

 

「黒死牟さん!」

「小鉄少年か……」

 

 慌てた様子で駆けてくる小鉄の姿を認めた黒死牟は、わざと鍔迫り合いに持ち込み、会話が出来るような状況へと持っていく。

 

「何が……どうなっている……」

「それが、俺にもよくわからなくて……とにかく、勝手に動き出したんです! 【縁壱零式】が!」

 

 小鉄は一連の流れを早口で説明する。

 

 黒死牟と別れたあと、蔵から帰ろうとした小鉄の前に鬼が現れた。

 壺からウネウネとした気味の悪い体が出ている鬼で、小鉄を『作品の材料にしよう』と言って殺そうとしてきたのである。

 

 だが、その鬼は一瞬で(くび)を断たれて死んでしまった。

 

 鬼の(くび)を斬ったのは、蔵で安置されているはずの【縁壱零式】である。

 

「動くはずないんですよ、本当なら! だって、首の後ろに鍵を差してやらないと、動かない仕組みなんですから!」

 

 小鉄は必死に訴える。

 その手のなかには、絡繰人形を動かすための鍵が握られていた。

 

 黒死牟は困惑した。

 

 上弦らしき鬼が倒されていたのは喜ばしいが、それならそれで謎がある。

 

 何故、この絡繰人形は勝手に動いているのだろうか? 

 

 どうやら鬼の仕業ではないらしい。

 それに、絡繰人形は黒死牟を狙っているようなのに、鬼の急所である(くび)は狙っていない。

 

 それもまた奇妙な話である。

 

 何はともあれ、絡繰人形を止める方法を考えなければならない。

 なるべくなら傷をつけずに止めたいところなので、自然に止まってくれるとありがたいのだが。

 

「無理そうだな……」

 

 黒死牟は早々に諦めた。

 

 何しろ、本来なら必要な鍵がない状態で動いているのだ。

 動く理由がわからない以上、自然に止まる可能性は低い。

 

 ならば壊すのが最も手っ取り早いのだが、絡繰人形の修理が出来る者がいないため、それは(はばか)られた。

 

「黒死牟さん! 壊しても大丈夫です! 俺が絶対に直しますから‼」

「ほぅ……」

「あ、でも、出来れば原形がわかるように、綺麗に壊してもらえると嬉しいです。木っ端微塵にされるとわからなくなるので……」

 

「善処しよう」と笑って、黒死牟は鍔迫り合いをやめた。

 

 再び【縁壱零式】との打ち合いが始まる。

 それは激しいながらも、流麗なものであった。

 

 無駄な力攻めなどなく、まるで(あらかじ)め予定されていた動きをなぞる()()のようにも見える。

 

 そのなかで、黒死牟が絡繰人形の腕を斬り飛ばした。

 斬られた腕の断面は、綺麗な切り口をしている。

 

 注文通りの綺麗な解体の仕方に、小鉄はホッと息を吐いた。

 

 だが、黒死牟は(いぶか)しむ。

 

 腕を斬った絡繰人形の動きが良くなった気がしたのだ。

 

 再び腕を斬り落とす。

 また、絡繰人形の動きが良くなった。

 

 黒死牟の表情が険しいものに変わる。

 

 腕の数が人間のそれに近づくたびに、絡繰人形が強くなっていると感じたのだ。

 

 残る腕の数は四本。

 ならば、あと二本分は強くなる可能性がある。

 

 そして今、黒死牟は八割程度の力で戦っていた。

 

(どこまで強くなる……?)

 

 手に負えなくなるのではないか? 

 そんな予感すら(いだ)いていた。

 

 今ならまだ、なんとか(くび)を狙える程度の動きだ。

 さっさと動きを止めてしまえ。

 

 そうも思ったが、何故だか実行する気にはなれない。

 

 不思議と心が高揚していた。

 既視感を感じているせいだろうか? 

 

 昔、誰かとこうやって剣技を高め合った気がする。

 相手は誰だっただろうか? 

 

 縁壱? 

 それにしては動きが悪い。

 あの弟ならば、もっと速く、強い一撃を放つはずだ。

 

 多すぎる腕が邪魔をしているのか? 

 腕を減らすと動きが良くなるのは、もしや、そのせいか? 

 

 そう思い至った時、黒死牟はつい、絡繰人形の腕をもう一本減らしていた。

 

 その途端、絡繰人形の動きが変わる。

 先程までの比ではない。

 明らかに速く、重くなっていた。

 

 久しく感じていなかった、鳥肌が立つような感覚と命の危険。

 

 絡繰人形が繰り出す一撃を受けるたびに、眠っていた細胞が叩き起こされ、目の前の事態に対応しようと足掻きだす。

 

 黒死牟は、己が弱くなっていたことを自覚した。

 鍛練を怠ったことなどない。

 

 だが、命の危険を感じるような事態に遭遇したこともなかった。

 そのため、黒死牟の体や感覚は知らぬ間に錆びついていたのだ。

 

 先程までは八割程度の力だと感じていたものが、半分程度のものだったと認識を改める。

 

 余裕が出てきたところで、また一本、絡繰人形の腕を斬り離した。

 

 再び人形の動きが変わる。

 

 対応できていた動きに、ギリギリでしか対応しきれなくなった。

 

 またまた、眠っていた細胞と閉じていた感覚を無理矢理にでも開いて、絡繰人形の動きに食らいつく。

 

 知らず、黒死牟の口元が笑みの形に歪む。

 己の剣技が磨かれているのが、実感としてわかるからだ。

 

 すると、絡繰人形が自ら刀を一本捨てた。

 

 黒死牟は目を見開いて、絡繰人形を注視する。

 

 絡繰人形の動きが、遠い昔に見た誰かに重なって見えた。

 

(縁壱……っ!)

 

 黒死牟は、そこに弟の姿を幻視する。

 

 手加減されているのか、人形の身体ではそこまでしか動けないのか。

 

 そこはわからない。

 だが、確かに縁壱の存在を感じていた。

 

 互いの繰り出す剣戟の速度が上がる。

 

 縁壱の姿をした絡繰人形は、ついに型まで繰り出すようになっていた。

 

 それに打ち負けないように、黒死牟も型を使って迎撃する。

 

 黒死牟の意識に時間の感覚はすでにない。

 いったい、どのくらいの時間が過ぎたのか。

 それはわからない。

 

 だが、ついに決着の時が訪れた。

 

 バキリ、と絡繰人形から異音が聞こえる。

 黒死牟の刀が絡繰人形の(くび)を捉えた音だ。

 

 ちょうど、その一撃が人形の顔を留めていた金具を破壊したようで、部品が外れて中身が(あらわ)になる。

 

 人形の中身を見て、黒死牟は驚いた。

 絡繰人形のなかには、刀が一振り入っていたのだ。

 

 しかも、見覚えのある鍔のついた刀である。

 

「これは……縁壱の刀か……」

 

 どうやら、絡繰人形を作った技師が仕込んでおいたらしい。

 その意図は定かではないが、おそらくは、絡繰人形を倒せた者に与えるつもりだったのだろう。

 

 刀を人形に固定していた金具を外して、取り出してみる。

 

 三百年も前の刀だ。

 錆びついているだろうと思いながら抜いてみると、予想を裏切ることなく、錆びていた。

 

「うわぁ……錆びだらけですね、その刀」

「まあ……三百年も……人形のなかに……あったのだ……錆びもしよう……」

 

 呆れたように黒死牟が言えば、騒ぎを聞きつけてやって来ていた者たちが近寄ってくる。

 

 恐る恐る絡繰人形を(つつ)いて動かないことを確認すると、動き出した原因を探るためか、慎重に調べ出した。

 

 その光景を見ながら、黒死牟はため息を吐く。

 

「動き出した……原因など……わかるはずもなかろうに……」

「え……?」

 

 小鉄が首をかしげる。

 言葉の意味がわからなかったようだ。

 

 黒死牟は、自分が感じていたものをどう伝えるかと考える。

 そして、ふと、しっくりとくる ひとつの事柄を思い出した。

 

「今日は……盆だ……武士の魂である刀に……絡繰人形という()(しろ)……ならば……アレに取り憑き……動かしていたのは……刀の持ち主であろう……」

 

 そう言って、黒死牟は笑う。

 

 小鉄が「それってつまり、幽霊!?」と身を震わせていたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝶屋敷が襲撃を受けたと 鎹 鴉 (かすがいがらす)が慌てて飛び込んできたのは、夜明けを迎えてからのことだった。

 

 ◆◇◆

 

 時は、刀鍛冶の里が襲撃を受ける前まで(さかのぼ)る。

 

 その日、琴葉は言い知れぬ不安を感じていた。

 

 彼女は常人よりも感覚や勘が優れているらしい。

 そのため、悪いことが起きる前はこうして胸がざわつくことが多かった。

 

 だが、これほどまでに不安を感じるのは、どれくらい振りだろうか。

 少なくとも、ここ数年は感じたことはなかったはずだ。

 

 何度寝つこうとしても心のざわつきが治まらず、目が冴えてしまう。

 

 こういう時にこそ、隣にいてほしい人が今日はいない。

 そのことがまた、琴葉の不安を掻き立てていた。

 

 琴葉は布団から抜け出すと、足音を立てすぎないように気をつけながら縁側へと向かう。

 

「あれ、琴葉さん? 寝つけないんですか?」

 

 縁側には蝶屋敷に住む鬼たちがいた。

 鬼である彼、彼女らは、基本的に睡眠を必要としないため、夜間はこうやって縁側で()()っていることが多い。

 

「今日は胸騒ぎが治まらなくて、それで起きてきたの。何か、悪いことが起きる予感がして……」

 

 琴葉が不安げな表情を隠さずに告げると、累と志津の表情が変わった。

 

 二人は琴葉の感覚が優れていることを知っている。

 さすがに産屋敷家の当主ほどではないが、的中率はそれなりに高いのだ。

 

 ならば、どこかで何かが起こる可能性があった。

 

 この日、蝶屋敷を離れていたのは黒死牟と しのぶ 、カナエとカナヲ の四人である。

 

 黒死牟は刀鍛冶の里へ行き、 しのぶ は水屋敷に行って夫婦水入らずで過ごしているはずだ。

 カナエとカナヲは、警備担当地区の見回りである。

 

 何かあるとすれば、カナエとカナヲ、次いで しのぶ のほうだろうか? 

 正直、黒死牟に何かあるとは思えない。

 

 累はカナエと水屋敷に鎹鴉を使いに出すことにした。

 琴葉が何かしらの危険を感じているとして、注意を呼びかけたのである。

 

 次に、産屋敷邸に使いを出した。

 こういった直感に関しては、耀哉に問い合わせたほうが正確だからだ。

 

 そして最後に、蝶屋敷自体の守りを固めた。

 黒死牟が不在の今、用心することに越したことはない。

 

 炭治郎と伊之助を起こし、善逸は敢えて寝たままにして、蝶屋敷に待機していた鎹鴉たちに周辺の様子を探ってもらう。

 

 そうして警戒していると、琴葉の不安が的中した。

 

 蝶屋敷のある町の一角に、鬼が現れたのだ。

 鬼の瞳には【上弦】と【陸】の文字が刻まれている、との情報もある。

 

「【上弦の陸】……か」

「まさか、柱級の戦力が誰もいない時に来るとはね」

 

 炭治郎と累は苦々しい表情をした。

 

「俺達で斬りゃあいいだろ」

 

 新しい刀を得ている伊之助は、戦いたくてウズウズしているようだ。

 

 とにもかくにも時間がない。

 炭治郎たちは、すぐさま屋敷を出て迎撃に向かう。

 

 

 

 蝶屋敷から少し離れた町の一角に、その鬼はいた。

 鬼殺隊の隊服を着た鬼だった。

 

 この時点で、何故、鬼が蝶屋敷の位置を知っていたのか? という謎が氷解する。

 

 まさか、鬼殺隊のなかから裏切り者が出るとは思っていなかった。

 

「何故、鬼殺隊の隊士が鬼に?」

 

 炭治郎の疑問も当然だろう。

 

 鬼殺隊の隊士になる者の大半は、鬼に家族を殺された被害者だ。

 鬼に対する怒りが動力源になっているような集団から、裏切り者が出るとは思わないだろう。

 

「ハッ! 俺は安全に出世できればそれで良かったんだ。そうしていたら、向こうから打診があったのさ。鬼にならないか? ってな‼ 鬼はいいぜぇ? 疲れねぇし死なねぇし何時までだって生きてられる! 金だって簡単に手に入る! 最っ高だぜ、鬼はよぉ‼」

 

 あまりにも即物的な理由。

 それを聞いて、顔をしかめない者はいなかった。

 

「そうかい。──なら、遠慮なんて要らないよね」

 

 累が呟くと、次の瞬間、鬼の全身に蜘蛛の巣状の亀裂が入る。

 

「……は?」

 

 何をされたか理解する前に、鬼の体は細切れの肉片になっていた。

 

 自ら進んで鬼になり、傷ついた仲間を癒やす場所に攻めいるような外道にかける情けはない。

 そう言わんばかりの容赦のなさだ。

 

「うわぁ……」

 

 一瞬で解体された鬼を見て、炭治郎と伊之助はドン引きした。

 

 累を怒らせてはならない。

 家族や仲間などの、他者との繋がりに関係する事柄では特に。

 

 しかし、日輪刀で斬ったわけではないため、鬼は死んだわけではない。

 気を取り直した炭治郎たちは、鬼の(くび)を斬ろうと肉片を注視した。

 

 すると、どうだろう。

 

 細切れになった肉片ひとつひとつが再生を始め、複数の【上弦の陸】になったのだ。

 

「……は?」

 

 これには鬼を解体した累も、目を見開いて驚いていた。

 

「ふひひひ……っ! 馬ぁ鹿がっ! 言っただろう? 死なないってなぁ‼」

 

 下品な笑い声をあげる鬼に苛立ちが(つの)る。

 累は舌打ちすると、近場にいた鬼の(くび)を斬り飛ばした。

 

 だが、そこから更に分裂し、数が増える。

 炭治郎と伊之助も分裂した鬼の(くび)を斬っていくが、さらに分裂して増えるだけという結果に終わった。

 

「こんなに俺を増やしてくれて、ありがとよ! おかげでお前たちを殺しやすくなったぜ!」

「うがぁぁぁ! 腹立つ! 一匹一匹は弱い癖に数だけ増えやがって‼」

「落ち着け、伊之助!」

 

 苛立ちを隠せない伊之助を、炭治郎が宥める。

 

 すると、蝶屋敷のある方角から雷鳴が轟いた。

 

 炭治郎たちは一瞬驚くが、すぐに音の原因が善逸の【雷の呼吸】だと察する。

 それはつまり、蝶屋敷にいるはずの善逸が戦闘に入ったことを意味していた。

 

「蝶屋敷に敵!?」

「まさか、あっちにもこいつらが湧いたのか!?」

 

 炭治郎たちの驚きをよそに、鬼は舌打ちする。

 

「なんだよ。あっちにも戦える奴がいたのか。……まあ、いい。どうせ俺は倒せねえ」

 

 炭治郎たちを見下すように吐き捨てた鬼は、改めて腰帯に挿していた刀を抜いた。

 

「この仕事が終わったら、俺は臨時収入でぱぁっとヤるんだ! とくに花札みたいな耳飾りをつけた餓鬼! お前には確実に死んでもらうぜ‼」

 

 炭治郎は名指しされたことに驚くが、何か言う前に累に制される。

 

「炭治郎と伊之助は屋敷に戻ってもらえないかな。こっちよりも、あっちのほうが心配なんだ」

「それはっ!」

「大丈夫だよ。この程度の相手に負けるつもりはないし、対策もある」

 

 いつもと変わらない様子の累に、炭治郎は後ろ髪を引かれる思いをしながら頷いた。

 

「任せた!」

「そっちこそ、皆のことを任せるからね」

 

 炭治郎たちが(きびす)を返す。

 すると、それを追おうと【上弦の陸】が動いた。

 

「逃がすかよ!」

「それはこっちの台詞」

 

 ──血鬼術 溶解の(まゆ)

 

 分裂した【上弦の陸】の一体を、累の手から放たれた糸が包んで丸い球体が出来上がる。

 慌てた鬼が刀を繭に突き刺すが、割れる気配は一向に見えない。

 

「くそっ! なんだこりゃあ‼」

 

 鬼が悪態を吐く。

 それを冷めた目で観察しながら、累は一体、また一体と繭に閉じ込めた。

 

「この繭に使った糸束は柔らかいけど硬いんだよね。──で、繭のなかには溶解液が入ってるんだけど……」

 

 話を聞いた【上弦の陸】はぎょっとする。

 それはつまり──、

 

「……ねぇ。斬られた分だけ増えることが出来るみたいだけどさぁ……溶かされたら、どうなるのかな?」

 

 己に対する天敵であることを意味していた。

 

 ◆◇◆

 

 蝶屋敷に雷鳴が轟く。

 そのたびに、鬼の(くび)が宙を舞う。

 だが、その分だけ鬼が次々に増えていた。

 

「くそっ! 村田さん! 粂野(くめの)さん! そっちは大丈夫ですか!?」

「こっちは大丈夫だ! 非戦闘員の避難は済んでる!」

 

 善逸が呼びかけると、人垣の向こうから村田の声が聞こえる。

 

 ちなみに人垣を構成しているのは、すべて【上弦の陸】だ。

 いったいどこまで増えるのか、とにかく、際限なく増えている。

 

「だぁぁぁ! もう! テメェ! 賽目(さいのめ)! この野郎!」

「鬼になったあげく、よりによって蝶屋敷を襲うとはな! 恥を知れっ! 恥をっ‼」

 

 村田と粂野は【上弦の陸】の素性を知っているらしい。

 (しき)りに悪態や罵声を浴びせながら、増えた【上弦の陸】──賽目を斬り捨てていく。

 

「はははっ! 負け惜しみですか、先輩方?」

 

 賽目の一体が嘲笑すると、村田と粂野を数の暴力で圧倒しようと戦力を集中させた。

 あまりにも密集し過ぎた人垣は、物理的な圧力をもって二人を潰そうとする。

 

 だが、横合いから禰豆子が賽目たちを一纏めに蹴り飛ばした。

 

「すまない!」

「助かった!」

 

 二人が禰豆子に礼を言うが、息を吐く間もなく、別の賽目たちが押し寄せる。

 その賽目たちが持つ刀の切っ先が禰豆子に届く直前、善逸が壁を蹴って救援に駆けつけた。

 

「禰豆子ちゃんは俺が守る」

 

 賽目の頸が複数、宙を舞う。

 善逸が斬っていたらしい。

 

「我妻……お前……」

「普段からそんな感じならなぁ……」

 

 村田と粂野が残念そうに見ながら、ため息をついた。

 

「善逸! 大丈夫か!?」

「だあぁぁぁ! こっちでも増えてるじゃねぇか! 面倒くせぇ!」

 

 炭治郎と伊之助の声だ。

 増え続ける賽目たちを薙ぎ倒しながら姿を見せると、そのまま善逸たちと合流する。

 

「炭治郎! 伊之助!」

「蝶屋敷の皆は!?」

「みんな無事だ! 今は長倉と島本がついてる!」

「怪我が治りきってないが、吉岡と野口も一緒だ! 向こうは何とかなる!」

 

 村田と粂野の言葉に、炭治郎と伊之助はホッとした。

 だが、次の言葉には驚くことになる。

 

「それに、今回は神崎も戦ってるしな」

「え……?」

 

 炭治郎は驚いた。

 アオイは以前、鬼を見ると恐怖で戦えなくなると言っていたからだ。

 

 戸惑う炭治郎に気づいた粂野は苦笑する。

 

「確かに神崎は鬼を怖がっていたけど……今回の相手は賽目だからなぁ……」

「ただでさえ気に食わない顔見知りが、身勝手な理由で鬼になってるのを見れば怒りたくもなるだろうさ」

 

 そう言って、村田もため息を吐いた。

 

 ◆◇◆

 

 糸束で相手を拘束しながら繭に閉じ込める。

 その作業を繰り返していた累は、ついに増えた鬼をすべて繭にすることに成功していた。

 

 出来上がった繭の数は二十九個。

 もしも累が居なければ、それだけで詰んでいただろう。

 

「さて、こっちは放っておくとして、急いで蝶屋敷に──」

「やあやあ、凄いね。こんな手段で彼の長所を潰してしまうだなんて。驚いたなぁ」

 

 どこかで聞き覚えのある声が、累の耳に届く。

 振り返れば、そこには見たことのある鬼がいた。

 

「上弦の……壱っ!」

 

 不味い。

 

 急に現れた鬼の姿を見た累の率直な感想である。

 正直、この場に【上弦の壱】が来ているとは思わなかった。

 

 鬼は群れを成さない。

 この基本原則があるからだ。

 

 だが、よく考えてみれば、上弦の鬼が複数来ているのは当然の話でもある。

 

 なにしろ、鬼殺隊の拠点に攻め込むのだ。

 半端な戦力であるはずがない。

 

 累は自分の読みの甘さを今更ながらに理解した。

 

「あっちで戦ってる子たちは大したことないけど、君は鬼だし、面倒な相手みたいだからね。先に潰しに来たんだ」

「へぇ……僕を潰せるつもりでいるんだ?」

「もちろん。──だって、()()()はいないんでしょ? だったら、俺と戦える相手はいないじゃない」

 

 累の額に青筋が立つ。

 

【上弦の壱】にとって、累の存在は眼中にないらしい。

 怒りに任せて殴りたくなるが、辛うじて(こら)えることが出来た。

 

 実際、累の糸と【上弦の壱】が扱う血鬼術の相性は悪い。

 累の血鬼術が【上弦の壱】の血鬼術によって封殺されるのは、火を見るよりも明らかだ。

 

「まあ、様子見しながら情報を集めてたせいで、夜明けまであまり時間もないからね。さっさと君を片付けて、俺は屋敷から逃げ出した人のほうに行かせてもらうよ」

 

 ぴしり、と累の表情が固まった。

 

「……なんだって?」

 

 普段の累からは想像できないような、低い声。

 それに気づいていないのか、鬼はさらりと言った。

 

「ん? ああ、俺は賽目君から『あの屋敷には女性が多い』って聞いてるからね。ほら、女って腹の中で赤ん坊を育てられるぐらい栄養分を持ってるだろう? だから、俺は好んで食べてるんだ」

 

 話を聞いた累の顔に青筋が立つ。

【上弦の壱】は気づかなかったらしく、誇らしげに胸を張った。

 

「それに、俺はとある宗教の教祖をしていてね。毎日のように、救われない人々を救ってあげているのさ。あの屋敷にはそういった救われない人たちが集まっているんだろう? だったら、俺が救ってあげなくちゃ! 大丈夫! 俺が食べてあげた人はみんな救われてる! だから、安心して!」

 

 なんだ、その理屈は? 

 

 爪が手のひらに食い込むほどに、累は拳を強く握る。

 

 それと同時に、なんとしても目の前にいる鬼を倒さねばらないと理解した。

 

「……お前はここで倒す」

「はははっ! 面白いことを言う子だなぁ。やってごらんよ」

 

 累と【上弦の壱】の戦いは、こうして幕を開けた。

 

 ◆◇◆

 

 一方、蝶屋敷周辺では相変わらず増えた賽目たちが(ちょう)(りょう)跋扈(ばっこ)していた。 

 まるで雨期の雑草か、台所に出てくる黒いアレのようである。

 

「がぁぁぁ! 本体はどこだぁ‼」

「匂いじゃ差がわからない! 善逸! 音でわからないか!?」

「数が多すぎて雑音だらけなんだ! これじゃあ差がわからないよ‼」

 

 増え続ける賽目たち。

 どこかに本体がいるはずだ。

 それなのに、見つけられない。

 

 その事実が炭治郎たちを焦らせ、余計に体力を奪っていく。

 

「あああ! もう! 鬱陶しい‼」

 

 共に戦っていた村田と粂野も、そろそろ体力の限界に来ていた。

 

「ハハハッ! さっさと諦めて死んじまいな‼」

 

 賽目たちの嘲笑が響く。

 一人で笑うならばともかく、複数人で同じように笑い声をあげるため、不快感が増していた。

 

「ゲラゲラ笑ってんじゃねぇぞ、(ごみ)が」

 

 ──雷の呼吸 参ノ型 (しゅう)(ぶん)(せい)(らい)

 

 知らない声が聞こえると同時に、賽目たちが細切れに斬り裂かれる。

 

 人垣を構成していた鬼たちが崩れ落ち、急に開けた視界。

 その先にいた人物に、炭治郎は見覚えがなかった。

 

 だが、善逸は違ったらしい。

 

「か、獪岳(かいがく)……?」

「……あ? なんだよ。テメェも居やがったのか、カス」

 

 獪岳と呼ばれた青年は、不快だと言わんばかりに顔をしかめた。

 

「げっ! 獪岳だ」

「知ってるんですか? 村田さん」

「話してる余裕なんざねぇだろ」

 

 炭治郎の問いを(さえぎ)って、獪岳は不機嫌さを隠さずに顎をしゃくる。

 

「おら! さっさと町の外に出るぞ! 避難してる連中と合流するんだ!」

「ま、待ってくれ! その前にこの鬼の本体を探さないと‼」

 

 慌てて炭治郎が反論するが、獪岳はその意見を鼻で笑った。

 

「お前、賽目と会ったことねぇな?」

「え?」

 

 炭治郎はきょとんとする。

 確かに、炭治郎は【上弦の陸】になった隊士と会ったことはない。

 だが、それが何だと言うのだろうか? 

 

「賽目って奴はな、安全に出世するためには手段を選ばない男なんだよ。安全に手柄が得られる状況なら、隊列乱そうが、命令に背いて突貫しようが気にもしねぇ」

「えぇ……」

 

 炭治郎はその評価に顔を引きつらせた。

 

 鬼になった人物は、その思考が歪むことがある。

 それは炭治郎が任務の経験で得た、独自の考えだ。

 

 体が崩れていく間際の鬼は、後悔や感謝をしながら消える。

 そのことを匂いで察した結果、得た考えだった。

 

 だが、【上弦の陸】になった人物は、鬼になる以前から頻繁にやらかしていたらしい。

 その結果、蝶屋敷に運び込まれて来る怪我人が増えていたのだ。

 

 挙げ句の果てに、今回の騒動である。

 

 鬼を前にすると動けなくなると言っていたアオイが、問題児に対する怒りで恐怖を忘れるのも無理はなかった。

 

 獪岳は気にせずに話を続ける。

 

「そんな奴が、ひたすら増え続ける便利な身体を手に入れたんだ。わざわざ本体を危険な場所に置くわけねぇよ。──つまり、()()から本体はここらには居ねぇ」

 

 本体を探していた炭治郎たちの行動は、完全な徒労。

 そう言われ、炭治郎と伊之助は愕然とする。

 

 炭治郎が村田と粂野を振り返ると、二人とも「彼奴(あいつ)ならやりかねん」と納得していた。

 

 伊之助が「なんじゃそりぁぁぁ‼」と怒りの雄叫びをあげたのも、無理のない話である。

 

 ◆◇◆

 

 累と【上弦の壱】──童磨の戦いは、いまだ続いていた。

 

 その内容は、累の劣勢に終始している。

 やはり、血鬼術の相性が悪いことが影響していた。

 

「ずいぶん粘ったけど、そろそろ終わりにしようかな。本当に時間もなくなってきたし……正直、飽きちゃった」

 

 累の表情が悔しげに歪む。

 それを見た童磨は、笑いながら扇を振るった。

 

 ──血鬼術 寒烈の白姫

 

 二体の氷で出来た氷像が、すべてを凍てつかせる吐息を吹く。

 

 累は素早く後退して(かわ)すが、その行き先には童磨が回り込んで待っていた。

 

 思わず、累は足を止める。

 だが、それこそが罠だった。

 

 ──血鬼術 冬ざれ氷柱

 

 足を止めた累の身体に氷柱が降り注ぐ。

 気づくのに遅れた累は、それをまともに受けてしまった。

 

 氷柱に貫かれて身動きがとれなくなった累に、童磨は容赦なく追撃を加える。

 

 ──血鬼術 散り蓮華

 

 花弁の形をした細かい氷の刃が、累の身体を切り裂いていく。

 攻撃が終わったあとに見えてきたのは、ボロボロになった累の姿だった。

 

「うん。まあ、こんなものかな? 君は弱いくせに、よく頑張ったよ。君の頑張りは全部 無駄なのにね! 偉い偉い!」

 

 邪気のない笑顔で童磨は累を誉める。

 ここに第三者が居れば、その発言に不快感を覚えただろう。

 

 怒りからだろうか。

 ぶるぶると累の身体が震える。

 

「ああ、可哀想に。きっと、君は『世の中には努力しても覆らないものがある』って知らなかったんだね? でも、大丈夫だよ! 君は鬼だし、今回のことでちゃんと学べたんだ。きっと次に活かせるよ!」

 

 累の身体の震えが大きくなった。

 だが、童磨は気にも止めていない。

 

「あ、でも。次に活かすのは無理かなぁ? ほら、俺と君は敵対してるから、その氷を溶かしてあげるわけにはいかないでしょ? だけど、そろそろ太陽が昇って来ちゃう。自力での脱出も無理そうだし……やっぱり、ここでお別れだね」

 

 そう言って、申し訳なさそうな表情をした。

 

「じゃあ、俺はもう行くからね。さようなら」

 

 童磨が立ち去ろうとする。

 だが、その足は再び止めざるをえなかった。

 

 何故なら、累の身体がズルリと剥け、なかから何かが抜け出たからだ。

 

「……は?」

 

 童磨の目が点になる。

 

 思考が止まった僅かな隙。

 その間に、累の拳が童磨の顔面にめり込んでいた。

 

「僕の家族に……手を出すなぁっ‼」

 

 防御する間もなく殴り飛ばされた童磨が、(きり)揉み回転しながら地面に打ちつけられる。

 

 一発殴って少しだけスッキリしたのか、累は満足げな表情で童磨を見下ろした。

 

「ご高説、どうもありがとう。──ところで、僕に勝ったと思ってたの? 可哀想に。哀れな妄想をして幸せだった?」

 

 倒れ伏す童磨が顔をあげる。

 すると、そこには青年と言えるほどに成長した累の姿があった。

 

「えぇ……なにそれ」

 

 童磨が「そんなことが出来るなんて聞いてない」と頬を膨らませる。

 

 もちろん、累は意に介さない。

 

「僕もね、出来るなら使わないでおきたい手段だったんだよ。……これ、ちょっと()けるし」

「老けるって……」

 

 童磨は苦笑した。

 

 累の身体は確かに成長している。

 だが、それを『老ける』と表現するのは如何なものだろうか? と考えたのだ。

 

「まあ、元に戻れない訳じゃないけど……この手札を僕に切らせたんだ。ここを抜けると思わないでよね」

「うぅん……面倒なことになったかな?」

 

 童磨は困ったように苦笑する。

 

 確かに、青年にまで成長した累の身体能力は向上していた。

 童磨にとって、少し手を焼く程度ではあるが、日の出まで時間がない今では正直、相手にしたくない。

 

 だからこそ、童磨も手札を切ることにする。

 

 ──血鬼術 結晶ノ御子

 

 童磨の持つ扇から、氷で出来た小さな氷像が生み出された。

 

 嫌な予感がした累は、すぐさま氷像を壊しに動く。

 だが、そうはさせまいと、童磨の血鬼術が道を阻んだ。

 

「うぅん。一体じゃすぐにやられちゃいそうだから、三体くらい作っておこうかな?」

 

 続けて二体を追加した童磨は、累に笑いかけた。

 

「この子たちはね、俺と同じくらいの術を使えるんだ。君の相手はこの子たちにしてもらうよ」

「ふざけ──」

 

 言い終わる前に、三体の氷像が累に襲いかかる。

 

「邪魔をするなっ!」と拳を振るうが、氷像は連携して累の行く手を阻む。

 

 そうしているうちに、童磨は累に向かって手を振りながら、この場を立ち去っていた。

 

 ◆◇◆

 

 獪岳という思わぬ増援によって蝶屋敷を脱した炭治郎たちは、現在、避難していた人々と合流することが出来ていた。

 

「そろそろ夜明けだ! 各員、粘れ!」

「はい!」

「切断してはいけませんよ! 斬れば分裂して増える一方です!」

「はい‼」

 

 蝶屋敷の救援に駆けつけていたのは、なにも獪岳だけではない。

 屋敷の主であるカナエと、同行していたカナヲはもちろん、近場にいた隊士も駆けつけている。

 さらには、水屋敷で夫婦水入らずでいた義勇と しのぶ も救援に来ていた。

 

 この場の戦力として、最も貢献しているのは しのぶ である。

 

 彼女は鬼の(くび)を斬れないが、毒を以て鬼殺を行う剣士だ。

 斬らずとも鬼を殺せる特製の毒は、斬れば増える【上弦の陸】──賽目との相性が良かった。

 

 それでも、彼女が救援に駆けつけるまでに増えた数が多すぎる。

 そのため、用意していた毒の備蓄も底を尽きかけていた。

 

 そこに最悪の増援が現れる。

 累を足止めしてやって来た【上弦の壱】──童磨だ。

 

「あははっ! 賽目君の言った通り、女の子がいっぱいだね!」

 

 そんなことを口走りながら、童磨が突っ込んでくる。

 

「じ、【上弦の壱】だと!?」

「嘘だろオイ! なんでこの糞忙しい時に!?」

「──つうか、賽目ぇ‼ テメェ、余計なことばかりしてんじゃねぇよ‼」

 

 童磨の瞳に【上弦】と【壱】の文字が刻まれているのを見た隊士たちが狼狽えるが、すぐに迎撃するべく隊列を整えた。

 だが、それを嘲笑うかのように、童磨は一足飛びに隊列を飛び越え、避難している人々へと駆け寄っていく。

 

 避難民の近くには、日輪刀を持ったアオイの姿があった。

 

「おっと、可愛い子発見」

「ひっ!?」

 

 顔見知り以外の鬼の登場に、怒りで恐怖を抑えつけていたアオイの体が震えだす。

 

 それを見た童磨は優しく微笑んだ。

 

「ああ、そうかぁ。鬼が怖いんだね? でも、大丈夫! 俺が救ってあげるよ。──もう、怖い思いをする必要はないから。安心してね」

 

 童磨の手がアオイに(せま)る。

 

 アオイは動けない。

 恐怖で足が(すく)み、腰が引けて動けなくなっている。

 

 護衛をしていた隊士たちが駆けつけようと必死に足を動かすが、如何せん、距離がありすぎた。

 

 炭治郎と善逸に伊之助も、最前線で戦っているために間に合わない。

 

 カナエとカナヲ、義勇と しのぶ も似たようなものだ。

 

 アオイは死を覚悟した。

 

 どん、と軽い衝撃がアオイの体を襲う。

 

「……え?」

 

 童磨の手は、アオイに届いていない。

 

 誰かが、彼女を突き飛ばしたからだ。

 

 その代わりに童磨の手が貫いたのは、別の人物だった。

 

「し、志津さん‼」

 

 志津の体を、童磨の腕が貫いている。

 その光景を見て、アオイは真っ青になった。

 

「あれ? 珠世(あの女)以外にも逃れ者がいたんだ。知らなかったなぁ。──ちょっと邪魔だから、離してくれる?」

 

 珍しいものを見るような目をした童磨が、扇を振り上げる。

 志津の体を切り裂く気だ。

 

 誰もが悲鳴にならない声をあげた、その次の瞬間──、

 

「はぇ?」

 

 童磨の体から、大量の木の枝が突き出てきた。

 

 志津の血鬼術だ。

 

「このまま日の出まで、一緒にいましょうか」

 

 怒れる母の瞳が童磨を射抜く。

 ぞわりとした未知の感覚が、童磨を襲った。

 

「ははっ! 冗談──?」

 

 ここで漸く、童磨が自分の体に起きた異変に気づく。

 血鬼術が使えないのだ。

 

(不味い……‼)

 

 童磨の顔色が変わる。

 ちらりと東の空へ視線を向けると、今にも太陽が昇りそうになっていた。

 

「うわぁ……時間切れかぁ」

 

 童磨は扇を使って自分の(くび)を斬ろうとしたが、生えた木の枝が邪魔で動かせない。

 

 仕方なく、童磨は空に向かって声をかけた。

 

「ねぇねぇ、琵琶の君。ちょっと回収してもらえないかなぁ?」

 

 琵琶の音が鳴る。

 それと共に、童磨の首を挟むような形で、開いた状態の襖が現れた。

 

 再び琵琶の音が鳴る。

 その途端に開いていた襖が勢いよく閉まり、童磨の首を切りつつ回収していった。

 

 だが、童磨の体は残ったままだ。

 

 童磨の腕は今も、志津の体を貫いている。

 

 その場にいた全員が顔を青くした。

 

 志津は鬼だ。

 

 日光に当たれば死んでしまう。

 

「志津さん‼」

 

 慌て皆が駆け寄る。

 

 日光に当たらないようにと、各々の上着や近場にあった大きめの布を手に持っていた。

 

 だが、彼らが到着するその前に──、

 

「……あれ?」

 

 日光が志津の身体を照らしていた。

 

 ◆◇◆

 

「よくやった! 童磨! 賽目‼」

 

 ◆◇◆

 

 大正こそこそ噂話(壱)

 

 鉄穴森 鋼蔵

 

 伊之助と無一郎の刀を担当している刀鍛冶。

 詳しくは原作を読もう。

 

 原作でも伊之助に新品の刀をボロボロにされていたが、本作では「だったらそんな感じの刀を作ってやろうじゃねぇか‼」と奮起した。

 結果、幕末に活躍した刀工が作った刀の資料を発見する。

 そこから自分なりに工夫して出来上がったのが、今回の刀。

 

 幕末の刀工が作った殺人奇剣の最終型が元ネタになるが、本作のはむしろ、実際にある“とある包丁”を刀にした感じ。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(弐)

 

 縁壱零式

 

 三百年程前に継国縁壱を模して作られた戦闘用の絡繰人形。

 戦国時代にあるまじき技術の塊。

 本体の背骨になっていたのか、縁壱の刀が入っていた。

 

 そのおかげか、本作ではお盆を利用して大好きな兄上に会いにきた縁壱が憑依する。

 久しぶりに兄上とチャンバラごっこで遊んで満足して帰っていった。

 

 なお、そのおかげで段階的なミックスアップが連続して起こり、兄上の実力が大きく跳ね上がった模様。

 

 

 

 大正こそこそ噂話(参)

 

【上弦の陸】 賽目(さいのめ)

 

 原作で累に切り刻まれた隊士。

 通称『サイコロステーキ先輩』

 詳しくは原作で、と言いたい所だが、原作や鬼殺隊見聞録にすらまともな情報はない。

 

 見聞録の紹介ですら【累に刻まれた剣士】という扱いなので、賽目という名前はねつ造である。

 

 しかし、知名度はある不思議な先輩。

 

 本作では【上弦の陸】に昇格した。

 ちなみに、彼を採用したのは【上弦の壱】である。

 

 安全と出世を優先する性格。

 無惨との相性が良かったのか、あっさりと血に馴染み、短時間で上弦の鬼と戦えるまでに成長した。

 

 切断されると増えるという面倒な性質をもち、そこに上限はない。

 余力がある限り、とにかく増える。

 

 増えた分裂体の強さは本人の半分程度の性能。

 強くはないが、そのウザさで【旧・上弦の陸】を押し潰した。

 

 ちなみに今回の騒動では、本体は無限城に引きこもって出てきていない。

 そのため、絶対に倒せないが、分裂体は日光によって消滅した。

 

 余談ではあるが、本作では神崎アオイの同期という設定で、彼女が藤襲山(ふじかさねやま)で恐怖体験をすることになった原因だったりする。

 

 藤襲山(ふじかさねやま)で起きたこと。

 

 呼吸法を覚えて調子に乗り、単身で突撃 → 複数の鬼に遭遇 → 勝てないと判断して逃走 → 道中の鬼を引き連れてトレイン → アオイを含めた隊士候補生への擦りつけ → 逃走成功

 

 なお、アオイはその事実に気づいていない。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 大正こそこそオマケ話

 

 竹雄

「ぐあぁぁぁ‼」

 ↑床を転げ回っている。

 

 茂

「ぐあぁぁぁ‼」

 ↑床を転げ回っている。

 

 六太

「ぐあぁぁぁ?」

 ↑兄二人の醜態を遊びだと思ってる。

 

 炭治郎

「ど、どうしたんだ? 何かあったのか?」

 

 竹雄

「兄ちゃん! どうしよう‼」

 

 炭治郎

「何がだ?」

 

 茂

「善逸さんに助けられた!」

 

 竹雄

「なんか……なんか……!」

 

 竹雄 & 茂

「すっげぇカッコよかった‼ けど、なんか悔しい‼」

 

 炭治郎

「ああ……」

 ↑事情を察して苦笑い。

 




今回も読んでいただき、ありがとうございます!

次回は柱稽古編ですね。

それでは、次回もよろしくお願いします。

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