【完結】産屋敷邸の池に豆腐を落とせば、鬼舞辻無惨を津波が襲う   作:【豆腐の角】

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産屋敷邸の池に豆腐を落とせば、鬼舞辻無惨を津波が襲う

「ほらっ! ちゃんと歩け!」

「畜生っ! 何がどうなってやがる!? なんで俺は人間に戻ってんだよぉぉぉ‼」

「喧しい!」

「話は署で聞いてやる。……ああ、そりゃあ、たっぷりとな」

「畜生っ! 畜生っ‼ ちっくしょぉぉぉ‼」

 

 両腕を拘束されて引きずられるようにして連れていかれる賽目の後ろ姿を眺めながら、一仕事を終えた男は煙草を口にくわえた。

 

「お疲れ様です、月野さん」

「ああ、藤田くんですか。君もお疲れ様」

 

 同僚の警官──藤田が近付いてくると、連行されていく賽目に目をやり苦笑する。

 

「まさか、本当にこんな小さな注射器ひとつで、鬼になった人間がもとに戻るとは思いませんでしたよ」

 

 そう言って笑う藤田の手には、小さな注射器が握られていた。

 

 相手に突き刺して握ることで薬液を注入できる注射器。

 なかに入っていたのは『鬼を人間に戻す』ための薬だ。

 

 そんなものが、おいそれと出来るとは思えない。

 長い年月の積み重ねが生み出した、まさに血と汗と涙の結晶と言える代物である。

 

 そんなものを作り出した人物たちに、月野は頭が下がる思いだった。

 

「この薬のおかげで、一人の殺人鬼を法のもとで裁くことができるんです。亡くなった方や遺族も納得してくれるでしょう。……薬を開発した方々には感謝しなくてはなりませんね」

 

 月野はそう言うと「一本どうです?」と、藤田に煙草を差し出した。

 

 藤田が受け取った煙草に火をつけ、自分の分にも同じように火をつける。

 

 たっぷりと肺に空気を巡らせてから吐き出すと、煙は風に吹かれて闇夜に溶けるように消えていった。

 

「勝てますかね……?」

 

 藤田がぽつりと呟いた。

 それが何を指しての言葉かは、言わなくてもわかっている。

 

「賽目を見つけるために、東京以外の警官まで動員したんです。ここで勝って貰わねば、明日から枕を高くして眠れませんよ」

 

 そう言って月野は煙の立ち上る煙草を見つめた。

 

 千年にも渡る鬼殺隊と鬼舞辻無惨の戦い。

 その一件に関わることになろうとは、警察関係者の誰も思っていなかったことだろう。

 

 だが、鬼殺隊に非協力的な者はいなかった。

 

 なぜなら、警察関係者にも鬼による被害者の家族や親族がいたからだ。

 なかには、鬼殺隊に入隊を希望していたものの、剣術の才能がなくて断念した者もいる。

 

 そういった事情をもつ者からすれば、今回の協力要請を断る理由はない。

 むしろ、積極的に協力を申し出ていた。

 

 もちろん、警官のなかには鬼の被害にあったことがない者も多い。

 

 先祖が鬼殺隊にいたとは言え、月野自身は鬼の被害にあったことがなかった。

 隣にいる藤田もそうだろう。

 

 だがその仕事柄、鬼の仕業だと思われる事件をいくつも見てきた。

 同時に、被害者の亡骸や遺された遺族の嘆きも相応に見ている。

 

 それを知る者として、鬼殺隊の勝利を願わずにはいられなかった。

 

「勝てなければ、国民が再び()()(えさ)になる。……そんなこと、許せるわけがないでしょう」

「そうですね……」

 

 犠牲になるのは見知らぬ誰かか、それとも隣人か。

 己の家族がそうなる可能性もある。

 もしくは、自分自身が襲われたっておかしくない。

 

 月野と藤田は揃って夜空を見上げる。

 星の散らばる夜空には、大きな満月が顔を出していた。

 

 月野家に伝わる話では、先祖の一人が鬼となって無惨を追い続けているという。

 子供の頃は眉唾物の言い伝えだと思っていたが、つい最近、それが事実だと知って驚いたものだ。

 

(こちらは上手くいきました。あとはお任せします。……御先祖様)

 

 顔も見たことのない先祖ではある。

 だが、月野は鬼殺隊の勝利を願い、瞑目するのだった。

 

 ◆◇◆

 

 襖が開閉を繰り返し、壁が動き、床が乱高下し、天井が押し寄せる。

 無限城のすべてが、悪意をもって行く手を阻む。

 

 そんな異常な状態に、無惨は困惑した。

 

(何故だ。どうしてこうなった……?)

 

 無惨は自問するが、答えは出ない。

 

 支配下においた鬼の気配を探るが、誰の気配も感じなくなっている。

 

【上弦の壱】である童磨も。

【上弦の弐】である壊拏も。

【上弦の陸】である賽目も。

 

 誰の気配も感じない。

 皆、鬼殺隊にやられてしまったらしい。

 

 唯一生きているのがわかっているのは鳴女だが、その彼女との繋がりも感じられなくなっている。

 

 そのうえで、鳴女は鬼殺隊側についたようだ。

 無限城が無惨を襲ってくること自体が、その証拠である。

 

 鳴女を味方につけるなど、どういった手妻を使ったかはわからない。

 だが、鳴女にかけた【血の呪い】が解けているのは、珠世の手によるものだろう。

 

 いつもであれば裏切りに対処できたのだろうが、今回は間が悪かった。

 無惨は珠世によって打ち込まれた薬を分解することに専念していたために、周りの状況に気を配ることが出来なかったのである。

 

(鳴女め。目をかけてやった恩を仇で返すとはっ!)

 

 配下のなかで、最も気に入っていた鬼。

 それが鳴女だ。

 

 優秀だった配下の離反に苛立ちを隠せない無惨は、迫ってきていた壁を破壊し、押し潰そうと落ちてきた天井を砕き、さらには動かない柱を触手で破壊した。

 

 だが、妨害行為は止まらない。

 それどころか、さらに激しさを増していく。

 

「鬼舞辻無惨……ここにいたか……」

「黒死牟っ⁉ 」

 

 畳み掛けるかのように現れた黒死牟の姿を見て、無惨は忌々しげに舌打ちした。

 

「貴様までやってくるとはなっ! 時間稼ぎのつもりか? 小賢しいっ!!」

 

 黒死牟と鳴女──いや、鬼殺隊の狙いはわかっている。

 無惨を消耗させながら、朝日が昇る時間を待っているのだ。

 

 それは確かに有効な策だろう。

 

 珠世の薬を分解することに専念した結果、今の無惨はかつてない程に消耗している。

 栄養のある(人間)を喰えば補給できるが、今はそれが出来なかった。

 

 何故なら、異なる空間を繋げて移動する血鬼術は鳴女の能力だからである。

 彼女との繋がりが切れた以上、無惨は空間を繋げて移動することが出来ないのだ。

 

 そのうえで、今の無限城には人間が存在していない。

 配下の鬼たちを討ち取ったあと、鬼殺隊の隊士は残らず外に脱出していたのである。

 

 こうなると、無惨には消耗した体力を癒やす術がない。

 

 今の無惨は、かなり追い詰められていた。

 だが、逃げ出す機会がないわけではない。

 

 無惨が(くび)を斬っても死なないことは鬼殺隊側も知っている。

 (くび)を斬っても死なないのならば、あとは日光を浴びせるくらいしか手段がないのだ。

 そして、無限城には日光が差し込まない以上、必ず無惨を外に出す必要があった。

 

 逃げる機会があるとするならば、その時である。

 だが、それは鬼殺隊とて想定していることだろう。

 

 おそらくは、太陽の光を遮るもののない場所に包囲網を敷き、その中心に無惨が現れるように仕向けるはずだ。

 日の出まで数分とない時間まで無限城の内部で粘ることが予想できるため、その数分間に無惨の命運がかかっている。

 

 そして、包囲網の中心には鬼殺隊のなかでも指折りの異常者──目の前にいる黒死牟が主力になるはずだ。

 

 黒死牟も鬼であるが故に、日光を浴びれば死ぬ。

 しかし、黒死牟は以前にも、己の命と引き換えに無惨を殺そうと試みたことがある男だ。

 

 もう一度、同じようなことをしても不思議ではない。

 むしろ、しないほうがおかしいという、変な信頼感すらあった。

 

 その黒死牟の攻撃を掻い潜り、柱たちの手を逃れ、一般隊士たちの敷いた包囲網を突破し、太陽が顔を出す前に光の当たらない場所に逃げ込めれば無惨の勝ちだ。

 

 難しいことではない。

 そう、難しいことではない。

 難しいことではない、はずだ。

 

(やってやる……やってやるぞ……っ! 私は生きる! 絶対に死んでなどやるものか……っ‼)

 

 無惨は己を鼓舞すると、これ以上の消耗を避けるべく、黒死牟と鳴女の妨害を(かわ)していく。

 

 だが、黒死牟と鳴女の攻撃は執拗だった。

 

 ──月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え

 

「くっ!」

 

 有効射程の長い攻撃を躱したかと思えば、横から壁が押し寄せてくる。

 慌てて壁を避けると、逃げた先には黒死牟が待っていた。

 

 ──月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾

 

「ぬおっ⁉」

 

 胴体を斬り裂かれながらも、無惨は反撃する。

 だが、その攻撃が当たる前に、黒死牟は襖のなかへと消えた。

 

 ──月の呼吸 玖ノ型 降り月・連面

 

 鳴女の出した襖を使って黒死牟が消えた直後、無惨の背後から斬撃の雨が降り注ぐ。

 黒死牟が移動した先は、無惨の後ろだったのだ。

 

 逃げるのが遅れた無惨は、それを避けることが出来ない。

 

「おのれおのれおのれぇぇぇ!」

 

 斬られた身体を再生するが、その回復速度は見るからに遅い。

 

 無惨の孤独な戦いは、まだ始まったばかりである。

 

 ◆◇◆

 

 それからどれ程の時間が過ぎただろうか。

 突然、黒死牟の姿が消え、鳴女の妨害が止む。

 

 無惨は悟った。

 ついに、日の出の時間がやってきたのだ。

 

 逃走の機会を窺う無惨は、自分の消耗具合を確認して舌打ちする。

 

 薬の分解に黒死牟と鳴女による消耗戦を経た結果、無惨の身体は痩せ細ったものになっていた。

 傷の治りが遅くなっているうえに、息切れまで起こし、さらには遠い過去に継国縁壱によって傷つけられた傷跡すら浮かんでしまっている。

 

 だが、そんな状態でも無惨は生きることを諦めてはいない。

 どんな状況であろうとも、絶対に生き延びてみせる。

 

 無惨の眼は、かつてないほどに生を求めて輝いていた。

 

 足下の襖が開かれ、無惨は重力に引かれるままに落下する。

 

 そうして放り出された先は、広々とした平原だった。

 遠くには小高い山が見え、その逆方向には背の高い建物の姿が確認できる。

 

 逃げるならば隠れる場所の多い山か? 

 それとも、食糧(人間)が豊富な街か?

 

 栄養補給は包囲網を抜ける際に少し喰らっていけば事足りる。

 むしろ、人の目がある街に逃げ込んで騒ぎを大きくした結果、国家権力や軍を敵に回すことになるほうが面倒だ。

 

 それよりも日光を避けやすく、姿をくらましやすい山に逃げ込むほうが得策か。

 

 地面に着地するまでの僅かな間に、無惨は逃走経路を決定する。

 そして、着地と同時に山に向かって駆け出した。

 

 だが、襲いくる鉄球が無惨の行く手を阻む。

 

 無惨は舌打ちすると、腕を鞭のように振るって鉄球を叩き落とした。

 だが、続けて手斧が無惨の頸を狙って飛んできたのを見るや否や、鉄球を叩き落とした腕とは逆の腕を振るって軌道を逸らす。

 

 無惨の両腕が振るわれた今、無惨は無防備だ。

 一見すると、攻め込む絶好の機会である。

 

 だが、誰も無理に攻め込もうとはしない。

 

 無惨は背中と太ももから触手を伸ばして攻撃できるのだが、それらはすでに黒死牟と鳴女の攻撃をかいくぐるために見せてしまっていた。

 

 その情報が、鬼殺隊全体にも周知されているのだろう。

 

 状況は、鬼殺隊に有利である。

 だからといって、無惨が諦める理由にはならない。

 

 鬼舞辻無惨は生きることに固執する生き物である。

 

 この程度のことで諦めるようなら、無惨は今日という日まで生きてはいないのだ。

 

 ◆◇◆

 

 逃げようとする無惨を、柱たちが攻撃して足止めする。

 そんな光景が繰り返されるなか、それをじっくりと観察している者たちの姿があった。

 

「炭治郎……無惨の動きは……見えているか……」

「はい、ハッキリと」

 

 神妙な様子で頷く炭治郎の姿に、黒死牟は満足そうに口元を歪める。

 

「ほかの者は……どうだ……」

「見えてますよ。……見えたくなかったけど」

「あんなもん、目を瞑ってても避けれるぜ」

「心臓や脳が、凄い速さで腕のなかを移動してる……」

 

 善逸は嫌そうに、伊之助は自信満々に頷いた。

 

 カナヲだけが少し違う部分に注目して気持ち悪そうに顔を顰めているが、それは無惨の身体を透けて見た結果である。

 訓練の成果が出た結果とも言えるため、黒死牟はあえて素知らぬ振りをした。

 

「炭治郎……我が弟(縁壱)が完成させた『日の呼吸』は……無惨を足止めすることに……適した型だ……」

「十二の型を繋ぐことで円環を成し、日の入りから日の出まで戦い続けるための型……でしたよね?」

 

 炭治郎の言葉に黒死牟は頷くと、急にすまなそうな顔をする。

 

「本来であれば……私が矢面に立つべきなのだが……」

「それは駄目」

 

 黒死牟の言葉を、カナヲがピシャリと遮った。

 炭治郎や伊之助だけでなく、善逸すらも同調するように頷いている。

 

「義父さんが鬼のまま矢面に立てば、日光を浴びることになるからって皆で反対したよね?」

「母ちゃんたちを悲しませるのは駄目だぞ」

 

 義娘と義息子たちに責めるように言われ、黒死牟は押し黙った。

 

「嫁さんを泣かせたら駄目でしょ。……死ぬのなら、俺と禰豆子ちゃんのことを認めてからにしてもらわないと……」

 

 ついでとばかりに善逸がたしなめるが、その言葉の後半部分は小声である。

 しかし、黒死牟にはバッチリと聞こえていた。

 

 その件について、黒死牟がどう考えているかは謎である。

 

「例の薬も打ったんだから、安静にしてください」

 

 いつもは諭し、導く側であったため、逆の立場になったせいか、黒死牟はバツが悪そうな顔をした。

 

 ちなみに、昔の黒死牟であれば、まず間違いなく無惨と共に日の光を浴びて果てる道を選んだだろう。

 だが、今の黒死牟は、カナエを初めとした自分(黒死牟)に好意を抱いている者たちを悲しませなくはないと考えているために、その手段を選択できなくなっていた。

 

 なりふり構わぬカナエの努力が実った結果である。

 

 さらに、黒死牟は自爆特攻や道連れ作戦をしないことを約束していた。

 約束事を尊守する黒死牟にとって、これは良い意味で足枷にもなっている。

 

 そのうえで、黒死牟はひとつ、大きな決断をしていた。

 

「うっし、そろそろ俺たちも加わろうぜ!」

 

 そう言って、伊之助は「猪突猛進」のかけ声と共に戦線へと駆けていく。

 炭治郎と善逸が慌ててあとを追い、カナヲもそれに加わった。

 

 その後ろ姿を頼もしいような、不安が残るような、なんとも複雑な表情で黒死牟は見送るのだった。

 

 ◆◇◆

 

 ──日の呼吸 火車

 

 炭治郎の振るう日輪刀が無惨の腕を、内部に増設された心臓ごと斬り裂いていく。

 

 赫刀化した日輪刀で斬ったためか、はたまた、無惨にそれだけの体力が残っていないのか。

 斬られた触手は再生して繋ぎ合わされることはなく、地面へと落下する。

 

 その直後、善逸と伊之助が炭治郎に迫っていた触手を斬り落した。

 

 その隙に、カナヲが無惨の足に一撃を入れて逃走を阻む。

 

 カナヲの一撃は赫刀による傷ではなかったものの、無惨の身体が僅かにぐらついた。

 

 その隙を逃さず、無惨の背中に針のような形状をした日輪刀が突き刺さる。

 

 突き刺さった刀から、身体のなかに何かが入り込む。

 そんな感覚を覚えた直後、無惨は吐血した。

 

「毒、だと……!?」

 

 身体に起きた異常の正体を察した無惨は、触手の一本で背後を薙ぎ払う。

 だが、その攻撃は割って入った無表情の優男にいなされて空振りに終わった。

 

 だが、僅かながら時間を稼ぐことに成功し、無惨は逃走しようと足を動かす。

 本当ならば解毒もしておきたいが、日の出までの時間がないために断念するしかなかった。

 

「逃がさん!」

「行かせねェよォ!」

 

 炎と風の柱が無惨の行く手を阻む。

 

 先程から焼き増しされ続ける光景に、無惨は辟易した。

 

 だが、人数の不利は承知の上である。

 

 それに、すでに打開策は打ってあった。

 

 あとは、鬼殺隊が仕掛けに気付くまでにどれだけ引きつけておけるのか。

 

 そこが勝負の分かれ目だと無惨は考えていた。

 

 ◆◇◆

 

 無惨の討伐が叶いそうな雰囲気のなか、天元は妙な胸騒ぎを感じていた。

 

(どうも、地味に嫌な予感がしやがる)

 

 確かに追い詰めているはずなのに、天元の感覚は『油断するな』と訴えている。

 

 元・忍である天元は、こういった言葉にできない感覚を大事にしていた。

 実際、この感覚のおかげで死地を脱したり、危険を回避できたことが数多くある。

 

 だからこそ、今回の異変にもいち早く気付くことが出来たのだ。

 

 異変が起きたのは、炭治郎や柱たちの攻撃によって斬り落とされた触手である。

 

 それらが急に蠢き出し、無惨の姿へと変わったのだ。

 

 それを見た天元は反射的に叫んでいた。

 

「賽目だ! 無惨の野郎! 賽目の血鬼術を使いやがった!!」

 

 天元の声を聞いた者たちが、ギョッとして振り返る。

 

 そこには、数体の無惨が立っていた。

 

 気付かれたのと同時に、無惨の本体と分裂体が逃走を開始する。

 

「はぁぁぁ⁉ ちょっ、テメェ、ふざけんな!!」

 

 柱たちは慌てて対処しようとするが、今現在も追い込んでいる無惨も放置は出来ない。

 

 鬼殺隊は大混乱に陥った。

 

 ひとつだけ間違いを訂正するが、この無惨の分裂については賽目の血鬼術ではない。

 

 無惨は自力で脳や心臓を増やせるため、やろうと思えば自分の複製を生み出すことなど何時でも出来たのだ。

 

 ただ、今までやろうと思わなかっただけである。

 

 しかし、今は自分の命がかかった状況だ。

 手段を選んでいる場合ではない。

 無惨は、自分が生き残るためには妥協をしなかった。

 

 斬られた触手から増えた無惨の数は四体。

 本体に残っている数を合わせて、増やした脳の数と同じである。

 

 察しのいい者たちは既に気付いているが、無惨は斬られた触手にあらかじめ脳と心臓を移していたのだ。

 

 すべては、鬼殺隊を混乱に陥れ、本体か分裂体のどれかが生き残るためである。

 

 ただ、ひとつだけ誤算があるとしたならば、本体も分裂体も等しく無惨本人と同じく『自分が助かればいい』という、どこまでも自分本位な思考をしていることだろうか。

 

 散り散りになって逃げるのはいいが、そこには自分以外の無惨が逃げやすいようにという連携や配慮はない。

 

 もしも、無惨たちが連携して逃走していれば、もっと鬼殺隊を混乱させることができただろう。

 

 いや、それよりも、本体を逃がすために分裂体が血路を開けば、本体の逃走は成功していたかもしれない。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 無惨は、どこまでいっても無惨だったのである。

 

「皆、散れ!」

 

 そう叫んだのは行冥だ。

 

 比較的に遠くにいる分裂体は足の速い雷と音の柱に対処してもらい、あとは各々、近い者を足止めするよう指示を出す。

 

 幸いにして、無惨は連携して逃走しているわけではない。

 

 さらに、脳と心臓がひとつずつになったことで無惨の分裂体は本体に比べて弱体化していた。

 その結果、分裂した無惨たちは遠くに逃げることも出来ずに足止めされることになる。

 

 せっかくの技能や能力も、使い手が無惨では宝の持ち腐れに終わった。

 

 ◆◇◆

 

「おのれぇぇぇ!」

 

 起死回生をかけた策の不発に、無惨は苛立ちの声をあげた。

 

 だが、無惨本体に張りついていた戦力の一部を引き剥がすことには成功している。

 

 これならば、まだ勝ちの目はあるだろう。

 

 そう考えた無惨は、さらなる一手を切ろうとした。

 

 その一手は、かつて縁壱からも逃げ切れた実績を持つ手段である。

 

 しかし、その手段は珠世の打ち込んだ薬の効力によって防がれた。

 

(破裂……出来ないだと!?)

 

 無惨は愕然とする。

 まさか、逃走のための最後の切り札を潰されているとは思わなかったからだ。

 

 だが、それでも無惨は諦めない。

 

 無惨は自ら己の頸を断ち切ると、それを全力で投擲した。

 その際に、無惨を足止めしていた者たちを触手で攻撃し、邪魔をさせないようにすることも忘れていない。

 

「畜生! あの野郎、包囲網を抜けやがった!!」

 

 伊之助が焦って叫ぶ。

 

 目の前には頸を失った胴体が暴れまわっているために、無惨を追うことができない。

 

 天高く放り投げられた無惨の頭は空中で胴体を再生させると、着地と同時に駆け出した。

 

 無惨に残された体力は少ない。

 だが、おかげで鬼殺隊の敷いていた包囲網は抜けることができた。

 あとは無人の荒野を駆けるだけである。

 

 だが、そんな無惨の前に立ちはだかる者がいた。

 無惨が最も警戒し、忌々しく思っていた男である。

 

「来たか、黒死──?」

 

 無惨の前に立ちはだかったのは、六つ目の鬼ではなかった。

 

「継国……縁壱……!? いや、違う……?」

 

 無惨は一瞬だけ体を硬直させると、脳裏を過った者の姿との違いを認めて冷静さを取り戻す。

 そして、ひとつの回答に思い至り、堪えきれずに笑いだした。

 

「は……はははっ! 貴様、黒死牟──いや、継国巌勝か! これはいい! よもや、貴様まで人間に戻る薬を使うとはな!」

 

 無惨が笑いたくなるのも無理はない。

 長年の悩みの種が、自ら弱体化して目の前にいるのだ。

 

 無惨もかなり弱っているが、人間である巌勝が相手なら切り抜けられる自信がある。

 だから、笑わずにはいられなかった。

 

 しかし、次の瞬間、無惨の自信は木っ端微塵に砕け散ることになる。

 

「鬼舞辻無惨……今こそ……我らの因縁に決着をつけよう……」

 

 黒死牟──巌勝が、そう言って居合い抜きでもするかのように刀を構える。

 その瞬間、ずしりと両肩に重石をのせられたような圧力が、無惨の体を押さえつけた。

 

「なん……だと……?」

 

 無惨はうろたえる。

 その感覚に、覚えがあったからだ。

 

 かつて、巌勝の弟──縁壱と対峙した時に感じた圧力と同じもの。

 

 それを、人間に戻って弱体化したはずの男から感じていた。

 

 そんな馬鹿な。

 あり得ない。

 

 無惨は脳裏に過った思いを否定する。

 

 あんな化け物と同じものがいるはずがない。

 あんな化け物に並ぶものがいるはずがない。

 

 この千年もの間、あんな出鱈目な存在に出会ったことは、たった一度しかなかったではないか。

 

 だが、いくら否定してみても、目の前にある現実が変わることはない。

 

 巌勝は鋭い目付きで無惨を(にら)みつける。

 

 無惨の背中に、冷たい汗が流れた。

 

 ──この一太刀を、我が最愛の弟に捧ぐ。

 

 巌勝の口から、宣誓の言葉が紡がれる。

 

(来る……っ‼)

 

 無惨は身構えた。

 

 この一撃。

 

 この一撃さえ(かわ)せれば、巌勝の手から逃れることが出来るだろう。

 

 だから(かわ)せ。

 

 なにがなんでも(かわ)せ。

 

 そんな思いとは裏腹に、無惨の体は動こうとはしない。

 

(なぜ動かん……っ‼)

 

 無惨は己を罵倒する。

 

 だが、体は一向に動こうとしない。

 

 巌勝が動く。

 

 その姿に、無惨は縁壱の姿を幻視した。

 

 巌勝の抜き放った刀が、縁壱の幻影と同じ速さで無惨に迫る。

 

 無惨にとって縁壱は恐怖の象徴だ。

 

 過小評価などするはずもない。

 

 つまり、この幻影は過去に出会った縁壱そのものである。

 

 その幻影と同じ速度、同じ力強さを感じさせる巌勝の姿に、無惨の身体は縁壱に感じたものと同じものを感じていた。

 

(動け動け動け動け動け動け動け動け動──?)

 

 何が何でも避けようと無惨は足掻く。

 

 そんななか、無惨は見た。

 

 迫りくる縁壱の幻影が持つ刀の軌跡。

 

 その幻影よりも、僅かに速く迫ってくる巌勝の刀。

 

「馬鹿な……」

 

 呆然としたまま、無惨の頸が宙を舞う。

 

 ──月の呼吸 拾捌ノ型 昼ノ満月

 

 そんな声が、無惨の耳に届いた。

 

 ◆◇◆

 

 月の呼吸 拾捌ノ型 昼ノ満月。

 

 それは巌勝の、縁壱への思いが詰まった型であり、名前である。

 

 天文学的に、昼間に満月は絶対に見えない。

 それと同じように、巌勝が縁壱に並び、ましてや超えることなど出来ないのだろう。

 

 それがわかっていても、弟を守りたいと願った兄であるが故に。

 そして、縁壱が人の枠を外れた化け物などではなく、正しく人間であると証明するために。

 

 巌勝は己の持ち得るすべてを、この一撃に込めていた。

 

 余談だが、この型は拾漆ノ型より先に生み出された型である。

 だが、あえて拾捌という数字が与えられていた。

 

 これは歌舞伎の十八番(おはこ)とかけてあり、巌勝にとって特別な型だということを強く意識し、表現するためである。

 

 ◆◇◆ 

 

 無惨は大慌てで地面に転がった頸を繋ごうとした。

 

 だが、頸を拾おうにも、体は小刻みに震えるだけで思うようには動いてくれない。

 

(なんだ、この震えは?)

 

 無惨の頭を疑問符が埋め尽くす。

 

 その答えは『恐怖』であるが、無惨がそれを認めることはないだろう。

 

 しかし、無惨の肉体はそうではない。

 

 先程も言ったが、縁壱に対してそうだったように、巌勝に対しても恐怖を覚えているのだ。

 

 だから、無惨の体は動けない。

 

「やあ、鬼舞辻無惨。ご機嫌いかがかな?」

 

 そう言って近付いてきたのは耀哉である。

 自分ではもう動けないため、行冥に抱き上げられる形で近付いてきていた。

 

「産屋敷ぃぃぃ……っ!」

 

 無惨が忌々しげに耀哉を見上げる。

 耀哉は視力を失っているために無惨の姿を見ることは出来ないが、怨嗟の声がする方向に顔を向けた。

 

「随分と低い位置から声が聞こえるね。──君が屋敷を訪れた時とは立場が逆になったわけだけど……ねぇ、君は今、どんな気持ちなのかな?」

 

 とても良い笑顔をした耀哉が、無惨に問いかける。

 無惨の額に青筋が立つが、報復しようにも体は上手く動かない。

 

「この千年もの間、僕たちは君という存在に泣かされてきたわけだけど、それも今日で終わりになるね」

「ふざけるな‼ 私は死なない‼ 永遠を、不滅を手に入れるまで絶対に死んでなどやるものか‼」

 

 無惨は喚くが、耀哉は勘で確信しているのだろう。

 笑顔と共に、無惨に告げた。

 

「君の願いは叶わない。そう言っただろう? ……ああ、頬が温かくなってきたね。そろそろ、日が差してきたのかな?」

 

 耀哉の言葉が合図であったかのように、山の陰から太陽が顔を出す。

 それを目にした無惨はもがくが、やはり、体が言うことを聞くことはなかった。

 

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ‼ 私は認めない‼ こんな終わり方など認めてなるものかぁ‼」

 

 叫ぶ無惨の体に太陽の光が当たる。

 すると、日の光を浴びた部位が焼け焦げ、煙を吹き上げた。

 

 命の危険に晒された肉体が、ようやく逃げようと動き出す。

 だが、その速さは鈍重だ。

 

 それらは直ぐ様、耀哉の守りを固めていた柱たちの手によって木っ端微塵に斬り裂かれ、塵となって消えていく。

 例え塵にならなかったとしても、肉片が小さくなれば日の光によって消え去るのも早くなっていた。

 

 気がつけば、残るは無惨の頭だけである。

 最早、無惨に打つ手は残っていない。

 

「あ、ああ、あああぁぁぁ!?」

「さようなら、鬼舞辻無惨」

 

 耀哉が別れの言葉を告げる。

 それと同時に、無惨は塵となって消えていった。

 

 ◆◇◆

 

 勝った。

 倒した。

 仇を討った。

 

 無惨の最後を目にし、その場にいた者たちが涙を流して歓声をあげる。

 千年にも及ぶ戦いは、鬼殺隊の勝利で幕を降ろすことになったのだ。

 喜ばない者はいない。

 

 もちろん、それは耀哉も同じだった。

 

「良かった……これでもう……私の子供たちが苦しむことはない……」

 

 ホッとする耀哉の瞳から涙が零れる。

 

 これでもう、見ず知らずの誰かが鬼の被害を受けることもない。

 輝利哉たちが、短命であるという死の恐怖や、鬼に狙われることに怯えて暮らす必要もなくなる。

 

 これからは、もっと自由に生きていくことが出来るのだ。

 そのことが、耀哉はたまらなく嬉しかった。

 

(もう、思い残すことはないかな……)

 

 遠退きかける意識のなか、耀哉はそう考える。

 だが、まだ自分にはやりたいことがあったことを思い出した。

 

(そうだ。後藤くんに会わないと……)

 

 耀哉は遠退きかけた意識を奮い起たせ、脳裏に過った思いを改める。

 

 まだ、後藤にお礼を伝えられていない。

 だからまだ、ここで意識を失うわけにはいかなかった。

 

 意識を失えばきっと、もう二度と戻ってこられない気がするのだ。

 

「──っ‼」

 

 気のせいだろうか? 

 遠くから、後藤の声がする。

 いや、後藤だけでなく、輝利哉たちの声もした。

 

「耀哉っ‼」

「父上っ‼」

 

 空耳ではない。

 目には見えないが、すぐ側で家族と親友の声がする。

 

「輝利哉……かなた……くいな……後藤くん……?」

「父上! 母上もひなき姉様もにちか姉様もいます!」

「そうか……家族みんな……ここにいるのか……」

 

 耀哉は思った。

 家族と親友に看取られて逝くことができる。

 こんなに幸せなことがあっていいのだろうか? 

 

「お館様っ!」

 

 新たに聞こえてきたのは、実弥の声だ。

 どうやら、柱たちだけでなく、隊士も(かくし)も関係なく集まってきているようだ。

 

「行冥……柱のみんなも一緒かな……?」

「はい。柱一同、そろっております」

「黒死牟──いや、巌勝殿はいるかな……?」

「はい……お館様のお側に……」

 

 巌勝の声を聞いた耀哉は、笑みを浮かべた。

 

「君の、君たちのおかげで無惨を倒すことができた。──ありがとう」

 

 そう言って、耀哉は柱一人一人を呼んで「ありがとう」と声をかけ始める。

 

 みんな涙しているのは、見なくてもわかった。

 そうやって、体力の限りに声をかけ続け、最後に後藤へと順番が回ってくる。

 

「後藤くん。ありがとう。……君のおかげで、僕はこんな穏やかな気持ちで逝くことが出来る……」

「止せよ、水臭い……俺は、俺の我が儘を通しただけだって……」

「その我が儘のおかげで、僕は助かってるんだけどね……」

 

 苦笑する耀哉は一度息をつくと、輝利哉たちに声をかけ、それから あまね に何事かを伝えたあとに、再び後藤に声をかけた。

 

「ねぇ、後藤くん。僕の最後の頼みを聞いてはくれないか?」

「……変なことじゃなければな」

 

 後藤の言葉に耀哉は苦笑する。

 前回の話を根に持っているらしい。

 

「変な意味じゃなくてね。僕の家族のことを頼みたいんだ。これからも、色々と助けてあげて欲しい」

 

「この通りだ」と、そう言って耀哉は頭を下げた。

 後藤は慌てて止めさせる。

 

「頭なんか下げなくても頼まれてやるって! 耀哉(親友)の家族なんだから、これからも気にかけてやるよ!」

 

 後藤がそう言うと、耀哉は心底ホッとしたような顔をした。

 

「ああ、良かった」

 

 そう言って、耀哉は気持ちよさげに目を閉じる。

 

 それを見ていた誰もが察した。

 命の終わりが近いのだと。

 

「僕は……幸せ者だな」

 

 それが、産屋敷耀哉の最後の言葉だった。

 

 ◆◇◆

 

「お館様……お疲れ様でした……」

「巌勝様……」

 

 耀哉を看取った巌勝に、カナエが声をかける。

 鬼殺隊の宿願を果たしたにしては、その声はどこか不安げなものだった。

 

 カナエが何を憂いているのか。

 それは、巌勝もわかっている。

 

 大方、巌勝の寿命についてのことだろう。

 

 巌勝は『痣者(あざもの)』である。

 その宿命として、二十五歳前後で命が尽きるだろう。

 

 それを承知の上で、巌勝は人間に戻ったのだ。

 

 人として、(無惨)を斬るために。

 人として、(縁壱)との約束を果たすために。

 人として、愛する人たちと生きていくために。

 

 そして、人として死ぬために。

 

 そのために、彼は(黒死牟)であることを捨て、(巌勝)に戻ったのである。

 

「カナエ……私は……剣を置こうと……考えている……」

 

 巌勝の言葉にカナエはとても驚いた。

 彼にとって、剣の道──日の本一の侍になる夢は、とても大きなものだったからだ。

 

「残った時間は……少ないかも知れんが……最後の時まで……共に居させてはくれまいか……」

「巌勝様……っ!!」

 

 カナエが巌勝の胸に飛び込むと、たくましくて太い腕が彼女を包み込む。

 

 彼女が求めて止まなかった平穏な時間が、ようやく訪れるのだ。

 

「カナエ……待たせて……すまなかった……」

 

 そう言って、巌勝はカナエの頭を撫でるのだった。

 

 ◆◇◆

 

「あ、巌勝様。さっきの言葉、ちゃんと珠世さんにも言ってあげてくださいね?」

「うむ……」

「志津さんにも、琴葉さんにもですよ?」

「うむ…………」

「葵枝さんにも、麗さんにも、鯉夏さんにもですよ?」

「うむ………………」

「約束ですからね?」

「わかっている……」

 

 ◆◇◆

 

 真っ暗な闇に包まれ、何も見えない空間。

 

 そんな場所に、無惨は立っていた。

 

(ここは……どこだ……?)

 

 注意深く辺りを見回していると、一箇所だけ明るくなっている場所が見える。

 

 どうやら、川辺にある花畑のようだ。

 

 その花畑に群生している花を見て、無惨の表情が変わる。

 

 それは、無惨が千年間、求めて止まなかった【青い彼岸花】だったのだ。

 

「見つけた……! ついに見つけたぞっ!!」

 

 慌てて駆け出す無惨だが、いくら走ろうとも花畑に近付けない。

 それどころか、ますます遠のいているような感覚に陥っていた。

 

「何故だ! 何故、近付けない⁉」

 

 苛立つ無惨は大声で喚くが、だからといって状況が変わるわけでもない。

 

 だが──、

 

「そりゃあ、あちら側は天国で、お前が地獄行きの重罪人だから辿り着けないのさ」

 

 無惨の疑問への返答があった。

 

「誰だ!」

 

 聞こえてきた声に驚いた無惨が慌てて振り向く。

 

 すると、そこには襤褸布で身を包んだ長髪の青年が立っていた。

 

 その青年の姿に、無惨は見覚えはない。

 だが、青年の纏う雰囲気は、外見とは裏腹に奇妙な威厳を醸し出していた。

 

「貴様……私を地獄行きの重罪人だと言ったか?」

「ああ、言ったな」

 

 一切の気配を感じさせなかった青年に、無惨は警戒をあらわにする。

 

 そんな無惨の様子を見た青年は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 

「お前が地獄へ行くのは、ずっと前から決まっていたことだよ。諦めて、さっさと地獄の業火に焼かれてくるといい。──ほら、お前を恨んで死んでいった者たちが、待ちくたびれて迎えに来ているぞ」

 

 青年が視線を向けた暗闇のなかから、大勢の人間が歩いてくる。

 この千年、無惨が食い物にしてきた老若男女の亡霊たちだ。

 

「ふ、ふざけるな!」

 

 無惨は天国に向かって駆け出した。

 だが、先程と同じように、いくら走っても光ある世界に近づくことはない。

 

 それどころか、一人の男が花畑の手前で仁王立ちしているではないか。

 

 行く手を阻む男の姿に、無惨は嫌というほど見覚えがあった。

 

「継国……縁壱……!?」

 

 無惨の身体に刻まれた記憶が鮮やかに蘇り、恐怖から足が止まる。

 

 その直後、亡霊たちが肩や背中、足に至るまで縋りつき、無惨を暗闇の更に深い部分へと引きずり込んでいく。

 

「や、止めろ貴様ら! 手を離せっ! 止めろ……止めろっ! 私を連れていくなァァァ⁉」

 

 その叫び声を最後に、無惨は暗闇のなかへと沈んでいった。

 

 最後まで醜く足掻いた男の末路を見届けた青年は、誰もいなくなった暗闇のなかで嘲笑する。

 

「──ちっちぇえな……」

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、善逸は緊張していた。

 以前から願っていた瞬間が、訪れようとしていたからである。

 

「頑張れ俺。俺は今までよくやってきた。俺は出来る奴だ。そして今日も、これからも、今回の件に関して俺が挫けることは絶対にない……っ! ──よしっ!!」

 

 気合いを入れた善逸は、木刀を片手に立ち上がった。

 向かう先には、善逸が知るなかでも最強の剣士が待っている。

 

 継国巌勝。

 

 戦国時代から生きる剣士にして、善逸の前に立ちふさがる最大の壁だ。

 

 だが、それも今日までの話だ。

 今日、これから、継国巌勝を超えてみせる。

 

 それほど強い覚悟が善逸にはあった。

 

「来たか……」

 

 巌勝が善逸の視線を受け止める。

 

 その顔には痣がなかった。

 二年前、無惨を倒したあとに剣を置いてから、自然と消えていたのである。

 

 あの痣が何だったのかと聞いても、巌勝は黙して語らなかった。

 巌勝が語らないのには、それ相応の事情があるのだろう。

 周囲の者たちも、善逸も、そう言って納得していた。

 

 善逸が構えると、巌勝も木刀を構える。

 

 かつてのように隙がない姿に、善逸は舌を巻いた。

 この男、本当に剣を置いていたのかと、疑いたくなる威圧感である。

 

 だが、それでも善逸の心はぶれない。

 彼にとって、この戦いは避けては通れないものだからだ。

 

「善逸、頑張れ!」

「ビビったら負けるぞ!」

「男なら腹を括れ! 一歩も引くな!」

「今日まで付き合ってやったんだ! きっちり勝ってこい!」

「一度とはいえ、この俺にも勝ったんだァ! 負けたら承知しねェぞォ!」

 

 いつの間に駆けつけていたのか、善逸と巌勝の周りには観客が湧いていた。

 

 炭治郎が、伊之助が、錆兎が、獪岳が、実弥が、善逸に声援を送る。

 

 彼ら以外にも、鬼殺隊に所属していた者たちが集まっていた。

 

「善逸! お前は儂の誇りじゃ! 自信を持って戦えぃ!!」

 

 視界の端に、善逸の修行を手伝ってくれたり者たちの姿が見える。

 

 奥さんお手製の弁当を食べながら「わっしょい! わっしょい!」言っていたり、鮭大根を食べながら微妙にしかわからない笑顔を浮かべる旦那を幸せそうに眺めていたり、勝負の行方を派手な賭け事にしていたり、新婚夫婦特有の甘ったるい雰囲気を放ちながら大量の重箱を持参していたりと様々だ。

 

 とくに涙を流しながらお経を読むのは止めてほしい。

 勝負事の前に涙は禁物だと言われているし、間違いなく気が散る。

 

 そう言ったら、なおさら泣きそうなので絶対に口にはしないが。

 

「巌勝様、頑張ってぇ!」

「お義父さん、頑張ってぇ!」

 

 声援が送られるのは善逸だけではない。

 巌勝にも送られていた。

 

 その声援を送るのは巌勝の妻たちや子供たち、さらには時透家の者たちに、産屋敷家のご家族と後藤である。

 

 この二年で、巌勝と妻たちの間には家族が増えていた。

 それぞれ一人ずつ、カナエや鯉夏にいたっては双子に三つ子である。

 

 どうやら、巌勝は雄としても優秀であったらしい。

 その環境が羨ましく、妬ましかった。

 

「善逸さん! 頑張って!!」

 

 とある人物の声援が届き、ピクリと善逸の耳が動く。

 それは、善逸が最も愛する人の声だった。

 

(禰豆子ちゃん……っ!)

 

 気が散っていた善逸の意識が、再び集中力を増していく。

 

 善逸は、彼女のために今日まで修行に打ち込んできたのだ。

 負けるわけにはいかない。

 

 善逸の集中力が戻ったのを察したのか、巌勝が薄く笑みを浮かべる。

 

 それを見た善逸は叫んだ。

 

「お義父さん! 娘さんを俺にください!」

「お前に『お義父さん』と呼ばれる筋合いはない!」

「そうだそうだ!」

「竹雄……茂……何故……お前たちが返事をしているのか……」

 

 外野から飛んできた野次に、巌勝が呆れたように苦笑する。

 だが、すぐに気を取り直して巌勝は告げた。

 

「義娘が欲しければ……私を倒して……連れていけ……」

 

 善逸は再び木刀を構える。

 それに応じるように、巌勝も構えた。

 

 そして──、

 

 ──雷の呼吸 漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)

 

 ──月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮

 

 抜けるような青空の下で、大歓声が沸き起こった。

 

 

 

 ── 終劇 ──

 




色々と描写不足、情報不足ではありましたが、これにて完結です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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