【完結】産屋敷邸の池に豆腐を落とせば、鬼舞辻無惨を津波が襲う   作:【豆腐の角】

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今回の話の前半部分ですが、鱗滝さんとの会話の流れと台詞を原作より一部引用しております。
原作でも『炭治郎の覚悟を問う』という重要な意味をもつ場面ですが、単純に筆者が好きなだけです。
他意はない。
強いて言うなら、黒死牟と累の存在のせいでしっかりと認識させる必要がある、くらいかな。
まあ、内容的には原作と大差ないから前半は飛ばしてもいい部分。
伏線らしいものも置いてないし。
 
それでは、本編をどうぞ。
 


広がる波紋は小波に変わる(狭霧山編)

 故郷である雲取山をあとにした炭治郎は、鬼狩りをする鬼、累とともに狭霧山を目指していた。

 狭霧山まではかなり遠く、子供の足ということもあって、なかなか先へは進めない。

 鬼になった禰豆子が太陽の下を歩けないことも、それに拍車(はくしゃ)をかけていた。

 その対策として、日の出ている間は隙間なく編み込んだ特製の籠へと禰豆子に入ってもらい、それを炭治郎が背負って移動するという形をとっている。

 

 余談ではあるが、目覚めた禰豆子は自我が薄いのか、はたまた、精神が退行しているような状態であり、その行動からして(まさ)しく幼児のようだった。

 さらに、籠に入った際の姿は、母親である葵枝の母性本能を大いに刺激し、妹である花子からも『お姉ちゃん可愛い!』と言わせるほどのものである。

 

 閑話休題

 

 そうしているうちに辿(たど)り着いたのは、山の中にある古びたお堂だった。

 山越えの際に、休憩所としても使われているのだろう。

 破れた障子(しょうじ)や板の継ぎ目から光が漏れていることから、どうやら先客がいるらしい。

 この辺りで(まと)まった休息も必要だと感じた炭治郎たちは、このお堂に立ち寄ることを決めた。

 

 そこで炭治郎は、累と禰豆子、黒死牟以外の鬼を初めて目の当たりにする。

 

 ◆◇◆

 

「なんだ、おい。ここは俺の縄張りだぞ」

 

 お堂のなかで、女性の死体を食い漁る男の鬼。

 その奥にも、男性二人の亡骸(なきがら)があった。

 腕に食いついていたからか、鬼の口元から首にかけて血が(したた)っている。

 鬼は自分の手についた血を舐めとると、炭治郎たちに向き直った。

 

「俺の餌場(えさば)を荒らしたら許さねぇぞ」

 

 鬼が炭治郎を(にら)み付ける。

 初めて見る人食い鬼の姿に、炭治郎は気圧(けお)された。

 もしも、炭治郎が一人でお堂に来ていたなら、彼の命はここで尽きていたかもしれない。

 だが、この場には鬼退治を生業(なりわい)にする者がいた。

 

「うるさい」

 

 そう言って、累は鬼の(あご)を勢いよく蹴りあげる。

 その威力は凄まじく、蹴られた勢いのまま、鬼はお堂の天井へと突き刺さった。

 

「……えっと……」

 

 炭治郎は何かしらの言葉を紡ごうとするが、うまく出てこない。

 そんな炭治郎の様子を後目(しりめ)に、累は散乱した亡骸に目を向けた。

 

「……可哀想に……」

 

 累はぽつりと(つぶや)くと、亡骸を綺麗に整え始める。

 その背中から、炭治郎は濃い怒りの(にお)いを感じ取った。

 炭治郎に背を向けたまま、累は手を止めずに話を始める。

 

「今、炭治郎が見た鬼が、人食い鬼の基本的な姿さ。義父さんも言っていただろう? 夜な夜な人を襲って食らい、力をつけるって」

 

 そう言われ、炭治郎は天井に突き刺さった鬼を見た。

 鬼は天井から体を引き抜こうと、手足を振り回して藻掻(もが)いている。

 あれが、人食い鬼。

 もしかしたら、禰豆子がなったかもしれない姿。

 いや、まだ禰豆子は飢えを克服したわけではない。

 だから、なるかもしれない可能性のある姿だ。

 

 血の気が引いた顔で、炭治郎は(かたわ)らにいる禰豆子を見た。

 すると、禰豆子は竹で作った口枷(くちかせ)の隙間から、滝のように(よだれ)を垂らしている。

 おそらく、お堂のなかに充満した血の匂いに刺激されたのだろう。

 

「ね、禰豆子っ!? 見ちゃいけません! ()いじゃいけません‼」

 

 炭治郎は慌てて禰豆子をお堂の外へと連れ出すと、手拭(てぬぐ)いを取り出して垂れた涎を拭う。

 その様子を見ていた累は、呆れからくる溜め息を()いた。

 次いで、お堂の天井に突き刺さる鬼の足を(つか)み、勢いよく引き抜いてから外へと向かって投げ飛ばす。

 

「あべしっ!?」

 

 炭治郎たちがいる位置よりも、さらにお堂から離れた場所に落ちる人食い鬼。

 炭治郎は目を丸くして鬼を見つめ、累へと視線を向けた。

 

「あれ、死んだんじゃないか?」

 

「いくら雑魚鬼でも、あれくらいじゃ死なないよ」

 

 累にそう言われ、炭治郎は鬼へと視線を向ける。

 鬼は四肢を痙攣(けいれん)させているが、ただそれだけだ。

 それどころか、よろよろと立ち上がって首の調子を確かめてすらいる。

 

「ああ、クソっ! 妙な気配させやがって……お前ら人間か? それとも鬼か?」

 

 鬼が再び睨み付けてくる。

 先程よりも青筋が目立つところを見ると、かなり苛立(いらだ)っているようだ。

 だが、累はその怒気をどこ吹く風かと受け流すと、炭治郎にあることを提案する。

 

「ちょうどいいから、あいつを使って鬼の身体について解説してあげるよ」

 

「解説って……」

 

 鬼とは言えど、さらりと他人を実験台にすると宣言する累に、炭治郎はちょっとだけ引いた。

 それに気づいているかはわからないが、累は血鬼術で生み出した糸で鬼の(くび)を一閃する。

 

「ぎゃっ!?」

 

 糸に切断されて、ころりと落ちた鬼の(くび)

 一気に血の気が引いた炭治郎は、あっさりと鬼を倒した累に視線を向ける。

 だが、累はさらに糸を生み出すと、頸のない鬼の身体を拘束しだした。

 

「勘違いしてそうだから言っとくけど、この程度じゃ鬼は死なないからね?」

 

 累の言う通りだ。

 鬼は、まだ死んでいない。

 その証拠に、頸のない体は糸の拘束を解こうと動き出し、地面に転がった頭は(わめ)きだした。

 

「てめぇらぁ! やっぱり一人は鬼かよ! なんで鬼と人間がつるんでるんだ!?」

 

「く、首がもげてるのに(しゃべ)ってる!?」

 

「うん、まあ、喋るよね。死んでないからさ」

 

 炭治郎は、気持ち悪いとばかりに身を震わせる。

 累は見慣れた光景なためか、眉ひとつ動かさずに話を続けた。

 

「基本的に、鬼は外傷で死ぬことはないよ。こんなふうに、すぐに傷が()えてしまうからね」

 

 累は、糸で拘束した鬼の腕を刀で浅く斬りつける。

 すると、その傷はすぐに(ふさ)がり消えてしまった。

 

「それに、ほら」

 

 そう言って、累が指を差す。

 そこには、糸に拘束されて藻掻(もが)く鬼の頭があった。

 驚くことに、いつの間にやら頭から腕が()えている。

 

「えぇ……」

 

 炭治郎は鬼の奇妙な生態に引いた。

 

「あんな感じで環境や状況に対応しようとするから、気を抜かないように」

 

 そう言われ、炭治郎は累を見て、それから禰豆子を見た。

 もしかして、累や禰豆子も頭から腕が生えたりするのか? 

 そんな疑問が脳裏を(よぎ)る。

 そして、想像した。

 想像、してしまった。

 

「駄目だ、禰豆子! 絶対に頭に腕なんて生やすんじゃないぞ!」

 

 誰が生やすか。

 そんなツッコミを入れてくれる者は、生憎(あいにく)、この場にはいない。

 

「何の心配をしてるのさ? ──まあ、いいや。とにかく、鬼はしぶとい。普通の武器では殺せない。だから、鬼狩りは特殊な刀を使う」

 

 累はそう言うと、持っていた刀を指差した。

 半ばから折れていたが、切れ味に変わりはない。

 刀身が万全であったなら、名刀と呼んでも差し支えなかっただろう。

 

「これは日輪刀(にちりんとう)。詳しい原理は僕も知らないけど、この刀で頸を斬ることで鬼は倒せる」

 

 そう言って、累は頸のない鬼の体を、右側の頸の付け根から左の脇下にかけて斬り裂いた。

 その直後、鬼の体は灰のようになって崩れて消える。

 それを見ていた鬼の頭は血を吐いたが、そちらは気を失っただけで、体のようには消えなかった。

 

「まあ、こんな感じ」

 

 累は冷静に解説を続ける。

 あくまでも淡々と物事を進める累の姿に、炭治郎は乾いた笑いしか出てこない。

 

「今のは頸だけを斬ったわけじゃないけど、頸に近い場所を通って斬ったから倒せたんだ。絶対に倒せるとは言えない方法だけど、覚えておくといいよ」

 

 累はそう言うと、頭だけになった鬼に目を向けた。

 体は消えたが頭は健在なところを見ると、頸を切り離した時点で別の個体になったのだろうか。

 摩訶不思議な状態であるが、累としては解説が続けられるので都合がよかった。

 折れた刀で無理矢理に鬼の頭を串刺しにし、そのまま近くの樹木に(はりつけ)にする。

 そうしてから、累は炭治郎に言った。

 

「見ての通り、日輪刀で頭を突き刺さしても死なない。あくまでも鬼の弱点は頸で、そこ以外を日輪刀で斬っても再生しちゃうんだ」

 

「そうなんだ……」

 

 炭治郎は何とか相槌(あいづち)を打つ。

 かなり酷い扱いをされている鬼に同情心が湧いていることもあるが、あまりにも平然とし過ぎている累に戸惑いを隠せないのだ。

 

「それと、鬼が最も苦手とする日光を浴びるとどうなるのか。それも見ておくといいよ」

 

 そう言うと、累はお堂へと足を向けた。

 炭治郎も禰豆子と手を繋ぎ、その背を追う。

 

「日の出までは時間があるし、今のうちにご遺体を埋葬しよう。……そこで見てる人も手伝ってくれないかな」

 

 累が雑木林に向かって声を張りあげる。

 ややあって、人が一人、姿を現した。

 炭治郎は、現れた人物の姿を(いぶか)しげな視線を向ける。

 なぜなら、その人物は顔に天狗(てんぐ)のお面をつけ、素顔が見えなかったからだ。

 

 匂いで物事を知ることが出来る炭治郎が、天狗のお面をつけた人物の存在に気づかなかったことには理由がある。

 それは、お面をつけた人物が、常に自分が風下(かざしも)側に居るように立ち回っていたからだ。

 そのため、炭治郎の鼻が利く範囲まで匂いが届かなかったのである。

 だからこそ、炭治郎は累が声をあげるまで気がつかなかった。

 

「儂は鱗滝(うろこだき)左近次(さこんじ)だ。義勇からの紹介はお前で間違いないか」

 

「は、はい。竈門炭治郎と言います。こっちは禰豆子で……」

 

 炭治郎はちらりと累を見た。

 自己紹介を促されているのを察した累は、素っ気なく名前だけを答える。

 そんな累の姿を見て、左近次は腕を組んで(うな)った。

 

「義勇からの手紙で話は聞いてはいた。だが、にわかには信じ(がた)く、正直、疑っていたのだが……確かに、お前からは人食いをした鬼が放つ特有の匂いがしない」

 

「へぇ、わかるんだ?」

 

「儂も鼻が利く。匂いを嗅げば、その鬼がどれだけ人を食ったのかがわかる」

 

 そういうものか、と累はとりあえず納得した。

 

「ところで炭治郎」

 

 左近次は急に炭治郎へと水を向ける。

 

「妹が人を食った時、お前はどうする」

 

「え……?」

 

 炭治郎は答えられなかった。

 急に話を振られたから、ということもある。

 考えたくない可能性だったから、ということでもある。

 そして、累や黒死牟という強者とともに居る、という実は保証のない安心感があったから、炭治郎はそれについて考えてはこなかった、という理由もある。

 だが、それではいけない。

 それは鬼になった禰豆子とともにある以上、炭治郎が常に考えねばならないことだった。

 

 炭治郎の頬を、左近次の平手が打つ。

 

「判断が遅い」

 

 頬を打たれた痛みとともに、叱責された理由が理解でき、じんわりと心に染み渡る。

 

「今の質問に間髪入れずに答えられなかったのは何故か? お前の覚悟が甘いからだ」

 

 左近次からの厳しい叱責を、炭治郎だけでなく、累も静かに聞いていた。

 累か黒死牟が近くにいれば、禰豆子が人を襲う前に止めることは容易だ。

 だが、何かしらの事情で近くにいないことがないとも言いきれない。

 世の中に絶対はないのだ。

 ならば、炭治郎は自衛とは()()()()で呼吸法を身につける必要があった。

 おそらく、黒死牟はそのことに気がついていただろう。

 だからこそ、雲取山で『自衛の手段は必要だ』と言ったあとに言い(よど)んだのだ。

 

「妹が人を食った時、やることは二つ。妹を殺す。お前は腹を切って死ぬ。鬼になった妹を連れていくとは、そう言うことだ」

 

 妹を殺す。

 それも、兄である炭治郎の手で。

 それが最低限のケジメだと言われた炭治郎の表情が歪む。

 自分の手で家族を殺すなど、例え想像だとしても考えたくはなかった。

 だが、それほどの覚悟をもって、妹を見張らなければならないのだ。

 そうでなければ、あまりにも無責任すぎる。

 炭治郎は、無意識のうちに楽観視していたことを恥じ、気を引き締めた。

 

 こうして、左近次からの厳しい訓戒(くんかい)は、しっかりと炭治郎の胸に刻まれることになる。

 

 ◆◇◆

 

 三人で手分けして鬼に殺された者たちを埋葬し、太陽の光で鬼が焼かれて消え去るのを見届けたあと、炭治郎一行の姿は、狭霧山(さぎりやま)(ふもと)にある左近次の自宅にあった。

 

 なお、炭治郎の姿は自宅内にはない。

 鬼殺の剣士になるための試練として、狭霧山の山中に置いてこられたからである。

 そのため、自宅内にいるのは家主である左近次と累、そして禰豆子の三人だけだった。

 

「なるほど。そのような方法で人を食わずともよくなるとは……」

 

 左近次は、累からの話を聞いて唸る。

 聞いていたのは、鬼が人を食べなくても生きていけるようになるための方法だ。

 しかし、話を聞いているうちに察していたが、現実的な方法ではない。

 少なくとも、鬼殺隊で行うのは無理だと左近次は判断した。

 

 基本的に、鬼殺隊が鬼を発見するのは一般人に被害が出てからだ。

 なぜなら、鬼殺隊に入る情報の大半が、実際に起きた事件やそれに(まつ)わる噂話だからである。

 それらを元にして、支援部隊である(かくし)が調査を行い、鬼の仕業だと判定したあとに戦闘部隊である剣士たちが動くのだ。

 それ故に、鬼殺隊が対面する鬼は人を食った者ばかりだと確定している。

 つまり、食人衝動を抑える第一段階に必要な『人を食べたことがない』という条件は、絶対に満たせないのだ。

 

 そうでなくても、鬼殺隊は鬼の被害者が集まる場所である。

 そのため、いくら人を襲わないからと聞かされていても、復讐心に駆られて斬りかかっていくのが目に見えていた。

 それがわかっているために、鬼殺隊の当主である耀哉(かがや)も、累や黒死牟という強力な戦力のことを表沙汰に出来ないでいる。

 そういう意味では、弟子からの手紙と直接の対面だけで『害はない』と判断した左近次は珍しい部類と言えるだろう。

 

「まあ、僕たちが旅してきたなかでも、鬼に成り立てで人を食べたことがない鬼なんて、まず見ないからね。そういう意味では、僕や禰豆子は運が良かったんだと思うよ」

 

 累の言葉に、左近次は同意するように頷いた。

 

「ふむ。それで、お前たち以外にも食人衝動を克服した鬼はいるのか?」

 

 左近次の問いに、累は少し思い悩むような仕草をする。

 それから横目で禰豆子を見た。

 視線の先にいる禰豆子は、布団のなかで丸くなり眠っている。

 それを確認した累は左近次に近づき、禰豆子に背を向けるようにして座り直した。

 それから口元に人差し指を立てて、声を出すなと意思表示する。

 禰豆子には、無惨(むざん)の与えた血の呪いがかかったままだ。

 いつ、どの瞬間を無惨が見ているかわからない。

 万が一にも、無惨側に情報を与えないための措置であった。

 その意を()んだ左近次は、小さく(うなず)く。

 それを確認した累は、禰豆子からは見えないように指を立てた。

 その本数を左近次が見たのを確認したあと、累は声を出さずに口だけ動かして何事かを伝える。

 その内容を理解した左近次は息を飲んだ。

 ややあって、ゆっくりと息を吐き出す。

 そんな左近次の様子を後目に、累は元いた位置に座り直した。

 その表情からは『他言無用だ』という意図が察せられる。

 左近次は無言で頷いた。

 

 左近次は、ふと窓の外へと目を向ける。

 夜明けが近いからか、(わず)かに空が白んできたようだ。

 すると、入り口の扉が音を立てながらゆっくりと開いた。

 扉の向こうにいたのは、山中に置き去りにされたはずの炭治郎である。

 全身が泥と血で汚れ、いたるところに大小様々な傷があった。

 無事な部分を探すほうが大変だと思えるほどの、酷い有り様である。

 しかし、左近次の要求通り、炭治郎は夜明けまでに山を下りてきた。

 それは、試練に合格したことを意味する。

 

「も……どり、ました」

 

 炭治郎はそう言うと、その場に座り込んでしまった。

 精魂尽き果て、今にも意識を手放しそうである。

 

「……お前を認める。竈門炭治郎」

 

 左近次は、試練の合格と(ねぎら)いを込めた言葉を贈る。

 その言葉を聞いて安心したのか、炭治郎は入り口に座り込んだまま意識を手放した。

 

 ◆◇◆

 

 黒死牟が狭霧山へと辿り着き、累たちと合流したのは、炭治郎の修行が始まって三ヶ月ほど過ぎてからである。

 竈門一家の護送は慎重に慎重を重ねて行われたため、前準備と移動にかなりの時間をかけたのだ。

 その甲斐もあって、竈門一家は無事に蝶屋敷へと辿り着くことが出来ていた。

 

「鬼の襲撃とかあったの?」

 

「隠との……待ち合わせをした町で一度……護送中には……二度ほど……鬼と遭遇した……町での襲撃は……無惨によるものだろうが……あとの二度は……偶然だな……」

 

 黒死牟はそう言うと、詳しい経緯を説明する。

 

 初めに襲撃を受けた町では、数十という数の鬼が徒党を組んで襲ってきた。

 数を頼みにして黒死牟を封殺しつつ、竈門一家を殺そうとしたのだろう。

 この時点で、無惨の手引きだとわかる。

 念のために言っておくが、作戦も何もない、物量頼みの()()な襲撃だったからではない。

 

 基本的に、鬼は群れを成せないように配置を操作されている。

 食料の取り合いになるから、という意味もあるのかも知れないが、実態としては鬼が徒党を組んで無惨に反旗を(ひるがえ)すのを防ぐためである。

 そのため、意図的に集めないことには、鬼が一度に数十も集まるわけがないのだ。

 まあ、その数十もの鬼たちは、黒死牟たった一人の手によって瞬殺されて目的を果たすことは出来なかった。

 もう少し、用意した鬼の質を上げていれば話は変わっていただろうが、その辺りは無惨だからとしか言いようがない。

 

 町での襲撃をあっさりと片付けたあとは、なんとも静かなものだった。

 さらに強力な鬼を送り込んでくるかも知れないと警戒していたが、それすらもない。

 隠が迎えに来てからも護送に同行したが、二度ほど野良の雑魚鬼に遭遇しただけである。

 なお、雑魚鬼は気付かれないように背後から斬り捨てたので、無惨に情報が渡っているということはないだろう。

 

 護送を終えたあとに追加の襲撃がなかった理由を考えてみたが、はっきりとした結論は出ていない。

 いたずらに鬼を向かわせても、無駄に浪費するだけだと考えたのかも知れないが、真実は闇のなかである。

 

「まあ、義父さんは十二鬼月(じゅうにきづき)の上弦でも一人で倒せちゃうからね」

 

 累の言葉に左近次が驚いていたが、これは事実だ。

 ここ数年の内でも、黒死牟は上弦の鬼を撃退していた。

 最終的には逃げられてしまったが、その戦闘は一方的なものだった、と累は語る。

 その戦いを直に見ていた者としては、上弦が複数で襲ってきても勝てるのでは? と思ったほどの無双ぶりだったのだ。

 

 なお、十二鬼月の詳しい内容については原作を読もう。

 

「た……ただいま戻り、ました」

 

 話が一段落した直後、炭治郎が戻ってきた。

 修行の成果が出てきたのか、その姿は初日のそれに比べて受けた傷が少なくなっている。

 炭治郎からは疲労感が(にじ)み出ていたが、それは黒死牟の姿を見て消し飛んだ。

 

「お久し振りです、黒死牟さん! 来てらしたんですね」

 

「うむ……お前の家族は……無事だ……葵枝殿より……手紙を預かっている……あとで……読むといい……」

 

 黒死牟は(ふところ)から手紙を出した。

 手紙は複数あるらしく、おそらくは弟妹(ていまい)たち一人一人が書いたのだろう。

 

「お前から……手紙を出すときは……鎹鴉(かすがいがらす)に……預けるといい……蝶屋敷まで……運んでくれる……」

 

「はい! ありがとうございます‼」

 

 炭治郎は目を輝かせながら手紙を受け取ると、禰豆子の(かたわ)らへと向かう。

 禰豆子は今、布団のなかで長い眠りについていた。

 この眠りについては、元々から予見されていたものである。

 そのため、炭治郎らが焦ることはなかったが、累からは『二年から五年は目覚めない』と聞かされていた。

 それだけ長い間、意識が戻らないのであれば、起きた時には浦島太郎のように現在と昔の差を感じることだろう。

 だからこそ、炭治郎は禰豆子が寝ている間に起きたことを、日記に書いておくことにしていた。

 

「炭治郎……帰ってきたばかりで……悪いとは思うが……尋ねたいことがある……竈門家に……その耳飾りとともに……伝わっているものはあるか……」

 

 黒死牟の問いに、炭治郎は手紙を開こうとしていた手を止める。

 

「家に? ……ヒノカミ神楽のことですか?」

 

 炭治郎の言葉に、黒死牟は目を細めた。

 

「その神楽を……見せてもらえないか……」

 

「わかりました。いいですよ!」

 

 炭治郎は二つ返事で了承すると、庭先へと足を運ぶ。

 その後ろ姿を見ていた黒死牟が、『疲れがとれてからでもいいんだけどなぁ』なんて考えていることには気づいてもいない。

 

 炭治郎が見せてくれた『ヒノカミ神楽』は、十二の型で構成された舞いだった。

 その十二の型を日没から日の出まで繰り返し舞い続けることが、昔からの習わしらしい。

 それを見た黒死牟は確信する。

 

「やはり……そうであったか……」

 

「なにが『やっぱり』なの?」

 

 黒死牟の(つぶや)きに、累が興味を引かれて食いついた。

 

「竈門家に伝わる……ヒノカミ神楽……その原型は……日の呼吸だ……」

 

「日の呼吸?」

 

 累は首をかしげた。

 元は鬼殺隊の隊士をしていた左近次も、なにかを思い出そうと虚空を見つめながら唸っている。

 

「そう言えば、儂が水柱だったころに、当時の炎柱(えんばしら)が『(ほのお)の呼吸』を『()の呼吸』と呼んではならないとかなんとか言っておったな……」

 

 左近次の言葉に、黒死牟は頷いた。

 

「日の呼吸とは……私の弟……縁壱(よりいち)が使っていた……呼吸の名だ……」

 

 黒死牟はそう言うと、呼吸法が生まれた経緯を簡単に説明する。

 

 今に伝わる呼吸法の原型を生み出したのは、黒死牟の弟である縁壱だということ。

 現在、鬼殺隊で使われている呼吸法は、もともと鬼狩りの間で使われていた剣術の型や流派に、縁壱の伝えた呼吸法を組み合わせて生まれたものであること。

 その呼吸法のなかでも原型である『日の呼吸』は、開祖である縁壱以外にまともに扱える者が居らず、鬼殺隊のなかでも伝えられる者がいなかったこと。

 

「日の呼吸に……関する書物を……当時の炎柱(えんばしら)に……預けてあったが……どうなったのか……」

 

 黒死牟は思い出したように呟いたが、何せ三百年前の話である。

 指南書は紙製の書物であるうえに、当時の鬼殺隊員たちは何とか身につけようと躍起になっていたため、貸し出しが頻繁に行われていた。

 一応、指南書を求める者には写本してから渡すように伝えていたが、鬼狩りが組織化されて鬼殺隊となるまでは雑な管理体制だった集団である。

 正直な話、書物がまともに読める状態で残っているとは思っていなかった。

 

「何にせよ……水の呼吸を学びつつ……日の呼吸……ヒノカミ神楽を舞うことを……日課にすべきだな……」

 

 どことなく遠い目をしながら、黒死牟は今後を見据えた計画を立てる。

 左近次もそれに同意し、炭治郎の修行は当初の予定よりも厳しくなるのであった。

 

 ◆◇◆

 

 炭治郎の修行が始まってから、一年の時が過ぎた。

 そのころには左近次が予定していた修行内容もすべて(こな)し終え、あとは最後の試練を達成できれば、最終選別に行ける。

 そんな段階まで来ていた。

 

 しかし、ここでひとつ、予想外の出来事が起きる。

 鎹鴉が、耀哉(かがや)からの手紙を持ってきたのだ。

 その内容を要約すると、以下の通りである。

 

『炭治郎と黒死牟殿たちは、別々に行動したほうがいいと思うんだ。……勘だけど。あ、禰豆子は連れていってね? たぶん、そのほうがいいから。……勘だけど』

 

 黒死牟と累、左近次は顔を見合わせた。

 左近次もまた、産屋敷(うぶやしき)家の一族に備わる未来予知とも言える直感力を知っていたからである。

 

 当初の予定では、炭治郎に日輪刀を与えるために鬼殺隊の入隊試験である最終選別を突破させ、その後の任務に黒死牟らも同行するつもりだった。

 だが、耀哉の勘では悪手だと感じたらしい。

 しかも、最終選別に向かうよりも早い時期に手紙を出していることから、すぐにでも別行動をするべきだとも読み取れた。

 

「お館様の……勘が外れたことはない……ならば……すぐにでも……発つべきか……」

 

 もちろん、不安がないわけではない。

 とくに、炭治郎は禰豆子と離れることに不安を覚えていた。

 とは言え、耀哉の直感力を知る以上、それを無視するわけにもいかない。

 なので、黒死牟は炭治郎が最終選別を突破したら戻ってくることを約束し、狭霧山を離れることにした。

 

 眠っている禰豆子には悪いとは思うが、新たに作成した大きめの箱に布団に(くる)んだまま無理矢理に詰め込んだのは余談である。

 

 後ろ髪を引かれる思いをしながら、黒死牟と累は狭霧山をあとにした。

 そして、狭霧山に新たな来訪者が現れたのは、それから三日後のことである。

 

 ◆◇◆

 

「お久し振りです。鱗滝(うろこだき)さん」

 

 そう言って頭を下げたのは、宍色(ししいろ)の髪と口元から右頬にかけて大きな傷がある青年だ。

 彼の名は錆兎(さびと)

 左近次のもとで修行した剣士で、炭治郎の兄弟子に当たる人物である。

 

「錆兎も元気そうで何よりだ。最近は顔も出さず、手紙も来ないから、何かあったかと心配したぞ」

 

 左近次が少し(とが)めるように言うと、錆兎は慌てて弁解した。

 

「それはその、ちょっと色々あって忙しかったというか……」

 

「最後に来たのは三年前だったか。それまでまめに顔を出していたのに、手紙すら(まば)らになって、ついには来なくなったから死んだのではないかと思ったぞ。まあ、幸いにも義勇と真菰(まこも)からの手紙で事情は知っていたが……」

 

 錆兎はだらだらと汗をかきながら、聞きに徹している。

 事情があるとはいえ、連絡を(おこた)った自分が悪い。

 それがわかっているからだ。

 しかし、鼻が利く炭治郎は左近次の内心を察していた。

 左近次からは怒りの匂いはせず、ただただ安堵と喜びの匂いがしている。

 錆兎に長々と説教をする左近次に、炭治郎は温かい視線を送っていた。

 

「まあ、説教はこれくらいにしておこう」

 

 左近次がそう言うと、錆兎は密かにため息を吐いて脱力する。

 久し振りに受けた説教は、なかなかに(こた)えたらしい。

 炭治郎が(ぬる)めのお茶を出すと、錆兎は礼を言ってから一息に飲み干した。

 

「それで錆兎よ。お前が『水柱』の地位を返上してから三年経つが、どうなった」

 

 左近次がそう言うと、錆兎は姿勢を正して真っ直ぐに視線を向ける。

 

「今日は、その事でお話があって来ました」

 

 錆兎はそう言うと、顔と手紙を出さなかった分を取り戻すかのように、事情の説明から語り始めた。

 

 ◆◇◆

 

 錆兎が鬼殺隊の入隊試験である最終選別に参加したのは、十三歳の時である。

 同い年の同門生である冨岡義勇とともに藤襲山(ふじかさねやま)(おもむ)き、敷地内にいた鬼をほぼ錆兎一人で全滅させたのは、鬼殺隊始まって以来の快挙であり、異常事態だった。

 雑魚鬼の捕獲と連行が大変だと、後始末に追われた隊士たちに羨望と恨みの混ざった言葉をかけられたのは、良い思い出である。

 

 それから一年ほど経って、錆兎は『水柱』に就任した。

 錆兎が十四歳の時である。

 入隊から一年で柱になるというのは、鬼殺隊の歴史を振り返っても稀にしかない事態であった。

 

 ちなみに、柱に就任するための条件は二つ。

 十二鬼月を討伐するか、鬼を五十体討伐するか、である。

 

 錆兎は十二鬼月に()うことはなかったものの、鬼を討伐するまでの流れが異常に速かった。

 それだけ実力が突出していたとも言える。

 そして、それだけの実力があれば、当時の水柱が『継子(つぐこ)に欲しい』と錆兎を望むのも無理のない話だった。

 そして、水柱が鬼との戦闘中に負傷し、柱としては活動できなくなったことで、水柱を受け継ぐことになったのである。

 

 水柱に就任した錆兎は、義勇を継子に指名した。

 義勇を継子としたのは、最終選別で鬼を倒せずに終わったために、自信をなくした親友の尻を(たた)くためである。

 その甲斐あってか、元々から才能に恵まれていた義勇は、その実力を伸ばしていった。

 そして、それは同時に錆兎の首を絞めることになっていく。

 

 錆兎が十六歳になった頃の話である。

 なんと、義勇が水の呼吸の新たな型を作り出したのだ。

 

 ──水の呼吸・拾壱(じゅういち)ノ型 (なぎ)

 

 素晴らしい技だった。

 つい魅入ってしまうほどに、美しい技だった。

 そして、それは同時に義勇が錆兎を超えた瞬間でもあった。

 ほかの水の呼吸の型でも、錆兎と義勇の間に大きな差はない。

 それほどまでに、義勇が成長していたのだ。

 錆兎は親友が強くなっていたことを喜ぶと同時に、負けていられないと奮起する。

 

 義勇が新たな型を生み出してから、錆兎もそれを習得しようと修行を重ねた。

 だが、出来なかったのである。

 凪の真似事は出来るが、義勇のそれには遠く及ばない。

 納得のいく出来映えではなかったのだ。

 柱よりも継子が強いという状態は、次代を担う若手が育っているという意味では良いかもしれない。

 だが、錆兎と義勇は同年代である。

 その法則は適用されなかった。

 

 断っておくが、錆兎は水柱という地位に固執しているわけではない。

 ただ、男として弱いままではいられず、胸を張って親友と肩を並べていたいと願っているだけだ。

 しかし、日を追うごとに、義勇の技の()えは磨きがかかっていった。

 それに対して、錆兎の実力は停滞している。

 

 気がつけば、二人の間には大きな実力差が出来ていた。

 

 錆兎は、見えない壁が己の行く道を塞いでいるのを自覚する。

 だが、歩みを止めることはなかった。

 男ならば、進むしかない。

 そう自分に言い聞かせて、日々の修行に打ち込む。

 錆兎は己の苦悩を口にはしない。

 どんな苦難にも黙って耐える。

 それが、錆兎の考える男の姿だからだ。

 

 そんなある日のことである。

 錆兎は、一人で担当地域の見回りをしていた。

 そして、ある鬼と出会ったのである。

 

 ◆◇◆

 

 その鬼は強かった。

 鬼殺隊の隊士から奪ったと思わしき、()()()()()()()()だった。

 その実力は凄まじく、錆兎の全力をぶつけたにも関わらず、(かす)り傷ひとつ与えることは出来なかったのだ。

 錆兎は直感的に理解した。

 この鬼は、今は十二鬼月の序列を与えられていないようだが、間違いなく、近いうちにその地位を与えられる実力をもった者である。

 それも、十二鬼月の下弦では収まらない。

 上弦になれる実力をもった鬼だ。

 ここで仕留めなければ、どれだけの仲間が犠牲になるかわからない。

 錆兎は、その鬼をこの場で倒すことを決めた。

 例え、相討ちになったとしても倒さねばならないと、覚悟を決めたのだ。

 

 鬼との戦いの最中(さなか)、錆兎は利き腕を負傷した。

 しかし、その程度で錆兎の闘志は衰えない。

 すぐに無事だったほうの手に刀を握り直すと、鬼へと斬りかかっていった。

 それから、どれだけ斬り結んだだろうか。

 それまで無言を貫いてきた鬼が、こんなことを言い出したのである。

 

「ふむ……お前は……両方の腕で……刀を扱うことが……出来るようだな……ここまで……左右の差を感じないのは……珍しい……」

 

 それは、錆兎を評価する余裕のある言葉だった。

 

「ぬかせ!」

 

 ──水の呼吸・()ノ型 打ち潮

 

 錆兎が技を繰り出すと、鬼は刀で弾いて一歩だけ退く。

 それを見て、次の技へと繋いだ。

 

 ──水の呼吸・弐ノ型 水車(みずぐるま)

 

 鬼は衝撃を受け流すように、刀を操った。

 だが、錆兎は止まらない。

 

 ──水の呼吸・(はち)ノ型 滝壺

 

 水車の回転を利用して、通常よりも勢いのある技を放つ。

 しかし、これも防がれた。

 だが、錆兎は慌てない。

 着地して腰を落とした体勢から、更なる技へと繋ぎ合わせる。

 

 ──水の呼吸・(ろく)ノ型 ねじれ渦

 

 勢いよく、その場で回転する。

 技は防がれたが、その勢いに圧されたのか、鬼が再び退いた。

 

 ──水の呼吸・(しち)ノ型 (しずく)波紋(はもん)()

 

 ねじれ渦の回転を利用した、普通に放つよりも加速した最速の突き。

 だが、それすらも鬼は(しの)ぎきっていた。

 それに対して、後先を考えぬ五連撃を繰り出した反動で、錆兎の呼吸は大いに乱れている。

 

 やれることはすべてやった。

 だが、そのすべてが通用しなかった。

 

 悔しさが錆兎の胸のなかに広がるが、まだ終わるわけにはいかない。

 錆兎は気力を振り絞り、鬼を(にら)み付けた。

 

「随分と……無茶をする……だが……ここまでだ……」

 

 そう言うと、鬼は刀を納めて(きびす)を返す。

 その行動に錆兎が呆気にとられていると、鬼は肩越しに振り返る。

 

「お前には……二刀流の……才能があるようだ……更なる強さを……求めるのなら……覚えておくといい……」

 

 その言葉を最後に、刀を持った()()()()()は、振り返ることなく夜の闇に消えた。

 

 ◆◇◆

 

「そのあと、俺はすぐにお館様に連絡を取り、義勇を水柱に任命してもらうように頼みました。柱の役目を熟しながら、難度の高い二刀流の修行をするわけにもいきませんから。もちろん、鬼の言うことに従うのは気に入りませんでしたが、強くならなければ、あの鬼には……ん? どうか、しましたか?」

 

 長々と話していた錆兎は、師と弟弟子(おとうとでし)の様子がおかしいことに気がついた。

 とても気まずそうな、なんとも微妙な顔をしていたのである。

 もちろん、左近次の顔は天狗のお面に隠されて見えないが、そこは長年の付き合いで理解できた。

 

「いや、まあ、うむ。……大変だったな、錆兎」

 

 左近次は何とか労りの言葉を口にすると、錆兎の頭を()でる。

 錆兎は恥ずかしそうにしながらも、嫌ではないらしい。

 そんな心暖まる光景を見ながら、炭治郎は思う。

 

(何やっているんですか、黒死牟さん)

 

 今、どこにいるかわからない恩人の姿を思い浮かべながら、炭治郎は深々としたため息を吐いた。

 

 ◆◇◆

 

 狭霧山に錆兎が来てから数日が過ぎた。

 初日に様々な話を聞いたが、錆兎が左近次に会いに来たのは、二刀流を(ようや)くものに出来たので、それに合わせた水の呼吸、もしくは派生した新たな呼吸を作り出すためらしい。

 それを聞いた左近次は、まずは水の呼吸の基礎を再び固めるよう錆兎に伝えた。

 その一環として、炭治郎との打ち込み稽古が行われるようになったのである。

 しかし、炭治郎はまだ弱い。

 呼吸法も身についているわけではない。

 そんな状態で錆兎に得るものはあるのか? とも思われたが、左近次の意見は違った。

 

「錆兎よ。お前が手加減するのは当然として、それ以外にも課題を与えよう。一つ一つの動作を正しく、丁寧に炭治郎に見せるのだ」

 

 そう言われ、錆兎は首をかしげながらも了承する。

 錆兎は、簡単な課題だと思っていた。

 それどころか、課題になるのか? とすら思っていたのだ。

 しかし、それは大きな間違いだった。

 錆兎の体には、実戦のなかで洗練された動作のなかに、本来ならば不要な(くせ)がついていたのである。

 しかも、それは動作だけでなく、呼吸の仕方にもついていた。

 

 左近次がこの課題を思いついたのは、(ひとえ)にヒノカミ神楽のおかげである。

 炭治郎から教わったヒノカミ神楽は、正しい呼吸ならば一晩中でも舞えるという実績があった。

 それに対して、水の呼吸の型を一晩中使い続けられるか? と聞かれれば、それは否である。

 その答えを裏返せば、水の呼吸にはまだまだ改善の余地があるということだ。

 

「さすがに一晩中、水の呼吸の型を使い続けるわけにもいかんし、まずは正しい動きと呼吸の仕方を意識するところからだな」

 

 左近次は、思ったように動いていない自分の体に悪戦苦闘する錆兎と、そんな状態の相手に手も足もでない炭治郎を見ながら、今日の夕餉(ゆうげ)は何にしようかと悩むのであった。

 

 ◆◇◆

 

 この後、錆兎は二刀流で行う呼吸を満足できる領域まで磨きあげたあと、鎹鴉が次の任務を伝えに来たこともあって山を下りていった。

 しかし、炭治郎の修行を手伝うために、こまめに狭霧山に顔を出すようになる。

 炭治郎に課せられた最後の試練は、例によって、大岩を刀で斬るというものだった。

 錆兎の協力もあり、炭治郎は十ヶ月ほどで大岩を斬ることに成功する。

 ただ、鬼殺隊の入隊試験である最終選別は定期的に行われていたため、炭治郎が最終選別に参加できたのは、大岩を斬ってから二ヶ月後のことだった。

 

 ◆◇◆

 

 大正こそこそ噂話

 

 炭治郎の生家がある雲取山で、義勇は『知っている。世話になったことがある』と言っています。

 ですが、いつもの如く言葉が足りていません。

 足りない部分を補完した台詞は次のようになります。

 

「錆兎が水柱を返上したあと、新たに任命された柱から『人を襲わない六つ目の鬼』の存在は聞かされていたので、黒死牟のことは()()()()()。それと、水柱を返上する前の錆兎は何やら思い悩んで気落ちすることが多かったが、六つ目の鬼に遭ったと話を聞かされたあとは、昔のような活力を取り戻していた。あなたが覚えているかはわからないが、錆兎が()()()()()()()()()()()

 

 つまり、義勇自身は世話になったことはありません。

 黒死牟と累が知らないのも無理はないのです。

 

 ついでに、錆兎は黒死牟を無惨側の鬼だと思っていますが、義勇はそうではないことを知っています。

 錆兎に伝えることも出来たのですが、一応は秘匿されていることと、錆兎が二刀流の修行に打ち込むために連絡を絶っていた影響で話が伝わっていません。

 

 

 大正こそこそオマケ話

 

 黒死牟

「ふむ……そう言えば……そろそろ……最終選別の時期か……」

 

 累

「あ。もしかして、藤襲山にいる鬼の選別をしに行くの?」

 

 黒死牟

「そうだ……何時ぞやのように……異形の鬼に……成長した者が……いるやも知れん……」

 

 累

「さすがに早々にはいないとは思うけど、実際に異形の鬼にまで成長した奴がいたからねぇ」

 

 黒死牟

「あの鬼は……兄を求めて……彷徨(さまよ)う者だったが……最後には……兄が……迎えに来たらしい……やはり……兄とは……()くあるべきだな……」

 

 累

「僕は一人っ子だったけど、今ならわかるよ。義理の両親だけじゃなくて、妹みたいな子たちも増えたし」

 

 黒死牟

「うむ……」

 

 累

「何なら、叔母もいるし」

 

 黒死牟

「累……」

 

 累

「何?」

 

 黒死牟

「あの子の前で……その呼び名は……禁句だ……」

 




 
錆兎の生存&改造開始。
あと、真菰の生存を(こっそり)確認する回。
 
水の呼吸一門が全員生存&水柱重複とかよく見るけど、それだと独自性がないもんねぇ、どうしようか? とか思いながら書いてた。
なので、錆兎は柱の地位には戻るけど、水柱には戻りません。
ついでに、戦闘を薄くするか書かない予定なので二刀流の出番はほぼ無い。
 
しかし、二刀流って三年程度で身につくかな?
両手に意識を割きながら戦うって大変だよね。
握力の問題は呼吸法でなんとかなると思う。
……なるよね?
単純に時間調節を兼ねて錆兎の修行期間を三年にしたけど、無理やろか。
鬼殺を続けながらの期間を想定してるけど、無理そうなら錆兎の才能ということにして、時間のとりすぎなら呼吸法の開発期間も兼ねてることにしよう。
そうしよう。(思考放棄)
 
真菰は前々から役割を決めていたので、そっちは悩まない。
出番はまだかなり先になる予定。
 
次回は【浅草編】を予定してます。
 
ん? 最終選別と炭治郎の初任務はどうしたって?
手鬼がいない最終選別なんて、鮭の入ってない鮭大根じゃないか。
初任務は……ねぇ?
 
それで、またよろしくお願いします。
 

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