『第二章 第十六節』
『彼女を探す旅は、目的地に到達しても尚、終わることはなかった。たどり着いた村には彼女が住んでいる筈が、存在しなかった。血縁者がいるにも関わらず、彼女の名を知る者さえ居なかった。
確かに俺も、2つ目の人生にて与えられた名は「ケイ」ではない。何度か自分の名を言い違え、2つ目の名を呼ばれても反応しないということを繰り返していたら、再びケイという名が定着した。
我が娘は一体何故男の名を名乗るのだろうと、困惑する両親の顔が呟いていたのが懐かしい。
ああ、でも、もし。この世界が彼女の居ない世界だったならば、という最悪な予感が頭をよぎる。
本当にそうだったならば、俺にとってこの世界は価値がない。ならばいっそ、この世界から離れてしまおう』
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何処か懐かしい空間。あの森の様な漆黒だけの空間。光はどこにもない。
なぜこの空間に見覚えがあるのだろう。瞼を閉じても、遮る光が無ければ目に映る光景も変わらなかった。
「……?」
突如、目の前に文字列が浮かんでくる。
『警告:異常により、一時中断しています』
異常?
……ああ、ステータス異常のことか。
確かあの仮面バカを庇って、あのモンスターに肩を掴まれて……多分、爆発したんだろう。きっと、このステータス異常とは”気絶”のことだ。
気絶中はこんなメッセージが出るのかと感心するが、何時までこの空間に居るままなのだろう。
俺が気絶するほどのことがあったのだから、キャットや仮面バカ、もといイツミに危機が迫っているのかもしれない。
早々と復帰したいものだが、自ら復帰するにはどうすれば良いのか。
VRでは無いゲームならば、コントローラーのスティックやボタンをガチャガチャとすれば、復帰までの時間を短縮できるだろう。
だがVRゲームではどうすれば良いのか。
この空間の中で激しい運動でもすれば良いのか?
試しに、腕を振り回しながら飛び跳ねてみる。腕や足の感覚はあるし、床の感覚もある。試す価値はあると、しばらくやっている。
……本当に、しばらくだけやった。なんか馬鹿らしくなってきたから、この滅茶苦茶な動きを止める。
さて、どうしようかと悩んでいる所で、突如としてこの空間に”声”が出現した。
「私はケイ」
「は……?」
なんの予兆も無く、少女の声が漆黒の空間に響く。
反響する壁や床なんて無いのか、その声はどこかからエコーとして返ってくることはなく、ただこの空間に声が広がる。
「えっと?」
「二度目の人生で、前世の名を名乗った」
この時、この空間で初めて自分の声を自覚した。
それは男の声だったが、”ケイ”の声に慣れてしまっていて、この声が自分の声だと気付く事は難しかった。
そう、俺の声だ。
「俺の……声?」
確かめる様に声を捻り出した後、それを上回る疑問に顔を上げる。
「それじゃあ、あの声は……!」
「……でももう、そう名乗る必要は無くなった」
この少女の声は、”ケイ”の声だ。
自分が発する声を聞くのと、それを録音して聞くのとでは意外と声が違って聞こえるのは、あらゆる人が知っていることだと思う。
だからか、一度ではこの声がケイだとは分からなかった。
「だから」
「ケイ……!」
「この旅路を終わらせることにした」
その言葉に答えることはなく、訳のわからない言葉を最後に声が止んだ。
直後に、まるで図ったかのようなタイミングで、目の前で陣取るメッセージに変化が現れた。
『警告:致命的ではない重大な異常が発生しました。5秒後に同調を解除します』
致命的ではない重大な異常、というよく分からない文章に混乱する。
『警告:致命的ではない重大な異常が発生しました。4秒後に同調を解除します』
この時、ようやくこのメッセージが伝えようとしている事を理解した。
『警告:致命的ではない重大な異常が発生しました。3秒後に同調を解除します』
運営はこの問題に対して対応してくれるだろうか、と嘆いた。
『警告:致命的ではない重大な異常が発生しました。2秒後に同調を解除します』
そしてカウントダウンの中、疑問を抱く。なぜ彼女がケイなんだ?
『警告:致命的ではない重大な異常が発生しました。1秒後に同調を解除します』
だって、彼女は────―
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「走れ、走れ!」
「前方からヤツなのデス!」
「『消し飛べ』!」
「ふにゃあ?!」
前へと押し出す爆風で、走り寄る敵が一瞬で丸焦げになって吹き飛んでいく。
私の放った魔法で驚いたのか、飛び跳ねて立ち止まろうとする。それを私が受け止めて、小脇に抱える。
「にゃ、にゃにをするのデス!?」
「抱えて走ってる!」
「行動じゃなくて意図を話すのデス!!」
「キャット、言いたいことは分かるが今は走れ!」
「うう……とりあえず猫の姿に戻るから離すのデス!」
言われた通りに、キャットと呼ばれた猫耳の少女を離す。すると直ぐに煙を纏って、その煙の中から猫の姿が飛び出てくる。
猫に変身するなんて初めて見たが……今はそれどころじゃないだろうな。
この危機を脱するのに使えそうな魔法は知っている。が、私はこの世界をよく知らない。そのまま魔法を使えば、厄介な事になってしまう。
だから徒歩で行くしか無い。
「ニャア!」
靭やかな動きで前方を駆けるキャットが、大きな声でひと鳴きすると、何かを超えるように跳ねる。
いや、これは……。
「罠だ、その位置で跳べ!」
「分かってる!」
やはり罠だ。キャットはそれが分かっていた様だ。猫だからか感覚が鋭いのだろう。このまま先陣を切って、罠の所在を教えてほしいのだが……。
「ニャア!」
「鳴き声じゃ分かりづらいって!」
「鳴いたら跳べ!」
そう言いつつ跳ねる。罠がある時は跳んで、鳴き声で伝えてくれるなら、何も言わないより良い……。猫の姿の方が速く走れる様だし。
それよりも、この状況だ。
「どうする!? 隠れるか脱出! 『塞げ』!」
後ろからの気配を感じて、壁を生み出す。直後に壁の向こうから爆音が上がる。
「その魔法で殲滅は出来ないのか?!」
「それで目当ての物が残ってくれるなら!」
「…………そうだな、脱出だ!」
結構迷ったな、この仮面男。
しかし脱出を目標に最後まで走るには、流石に体力が足りない。私に関しては、酷く足場の悪い道じゃなければ十分行けるが、他二人の方が不安だ。
顔の崩れたあの人形共は、魔力で動いている。あの手のヤツは、大体持久力はほぼ無限だ。特にこのような環境では。
「『吹き飛べ』!」
前から来た人形を消し飛ばす。攻撃を受けると同時に爆発したみたいだが、私の魔法によって爆風も押し返されている。
人形達の脅威は、私の手によって全て弾き飛ばせるが……。
「どれぐらい走ると思う?!」
「かなり!」
それは大変な距離だな! 頼むから2人とも疲れで転んだりしてくれないで欲しいものだ!
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「創也!」
「!」
仮想の世界から追い出された直後、携帯を片手に扉を叩き開いた母が突入して来た。
一体どうしたのだろうか。そう思って、寝起きの様な感覚の中で頭を揺らしていると、俺の元にまで到達した母が思いっきり抱きついて来た。
「?!」
「大丈夫?! 無事ね?! 脳みそ焼けてない? 私の事わかる?」
ええもう。母の美しいお顔がハッキリと、視界一杯に。
お陰で目が覚めた。俺はついさっき、矛盾している様でしてない内容のエラーで、VRの世界から追い出されたのだ。
母がここまで慌てている理由は想像がつく。その答え合わせに、横に放られた母の携帯の画面を盗み見ると、『ご家族の創也様の、VR事故防止処置のお知らせ』という題で、メールが表示されていた。
VR事故。最近では滅多に聞かない単語であるが、VRがまだ技術としては安定していなかった頃に良くニュースで使われていた。
記憶を失った、人格に異変が発生した、脳機能に障害が残った、脳が傷付けられ死亡した。俺が知る限りではそんな風の事故が、多くはないが起きていた。
「良かった……。良かった」
しかし母よ。主人公の危機に駆けつけて、涙をボロボロと流して泣きつくと言うのは、ヒロインに許された特権なのだ。
その上、実の母親からの愛情表現としてのハグは日本人に馴染みがないのだから、非常に落ち着かない。
母の肩に手を置いて押すと言う抵抗に気づいて、ようやく母は俺を解放してくれた。
「ごめんね。でも、すごく、すごく心配で……。ねえ、記憶、ちゃんと残っているわよね?」
やはり母としては、そこを心配するだろうな。
母が気に掛けずとも、俺は今日のメシが何だったかとか、自分の誕生日が何時だったかぐらいは覚えてる。
ポケットに入れられていた自分の携帯を取り出して、俺の言葉を画面に打ちつけた。
『大丈夫だ、安心してくれ』
その証拠にと、追加の文言を後ろに付け足す。
『母がハンバーグとハンバーガーを呼び間違えたのは通算82回だ』
「ああ、よかった……! また忘れられてたら、私どうしようって……」
この件で記憶を失くしていたら、俺は人生で2度記憶を喪失した、貴重な人間となっていただろう。
……ああ、そうだ。俺は一度、記憶を失ったのだ。今から2年前の事だ。
曰く、俺はトラックに轢かれた。被害者は2人、加害者は眠気で頭が働かず、歩行者のいる横断歩道に直進。
場合によっては異世界に飛ばされかねない出来事だったが、幸か不幸か、飛ばされたのは俺の記憶だった。その事故以前の記憶は、全て失われた。
それだけじゃない。その時に残った脳のダメージか、俺は言葉を口から発することが出来なくなっていた。
きっと2度目があれば、言葉の喪失だけでは済まされないだろう。母の心配は、俺にも通ずるものがあった。
だが、そんな心配よりも気になることがあった。
ケイだ。彼女の事だ。ダンジョンに置いていった仮面バカとキャットのペアも心配だが、それ以上に気にすべきことが彼女の件だ。
ケイという存在は、俺によって作られた創作人物。つまり俺だけが知る架空の存在だ。
だと言うのに、彼女はあの場で語っていた。まるでケイがあの場にいたかの様に。
「……創也?」
『さっきくれた本は何処に?』
「……理由を聞きたいわ」
理由。改めて聞かれると、言語として表現するには難しい。
本が欲しいのは、ケイの情報をまた確認したいから。確認したいと思ったのはケイの事をよく知りたいから。よく知りたいと思ったのは……。
『記憶喪失以前の俺を、知れるかもしれない』
「……確かにそうかもしれないわね。けど」
あの本だけで過去の俺を知るなんて、無茶だ。母の言いたい事は分かっている。
だが、向こうには「生き証人」が居るかも知れないのだ。
ケイの声は、俺に語りかけた。一方的な語りばかりではあったが、その言葉はきっと、過去の俺を知る一欠片の手がかりとなる筈だ。
「そうね、本は食卓に置きっぱなしよ」
助かる!
俺はすぐにその本を取って、すぐに内容を確認した。
内容自体は変わりない。実は追加の情報が隠れていた、と言うこともない。
……やはり、読むだけでは大した手がかりにはならない。
「どうかしら?」
『まだ分からない』
「そう……」
まあ、読むだけで記憶が戻ってきたら、それこそ魔法書みたいな物だと感動していただろう。
だから俺は、次の手段を取ることにした。
『VR装置を使いたい』
「……その理由も聞いても良いかしら?」」
真実を言わないのならば、あの2人を放って置けないと言えば済むだろう。だが違う。そんな理由しかないのなら、俺は万全を期してしばらくの間VR装置を封印する。
俺が我が身を蝕むリスクを容認してまで戻ろうとする訳は、ケイと言う存在以外にない。
俺は彼女に会わなければいけない。
『どうしても会わなければならない人がいる。きっと俺にとって、重要な人』
理由として説明されている様で、しかし要領を得ない、曖昧な言葉選び。
母が悩んだのは、僅かな時間の間だけだった。携帯のモニターを向けている俺の手を、その両手で優しく包み込んだ。
「信じるわ。ちょっと心配なのだけれど……私は信じる」
『ありがとう』
「ええ。良いの。そんな表情をすると言う事は、きっと本当に大事な事なのでしょう」
俺は頷いた。
「だったら、行きなさい。私は信じてるから」