部屋の中央に佇む、一本の剣。埃をかぶっているでもなく、神秘的な光が差しているでもない。自ら光を放つだけで、他に異常は見られない。
見渡すが、人はいない。声が聞こえた筈なのだが、別の音と勘違いしたのだろうか。
一度考える。何も考えずにあの剣を台座から引き抜くのは、トラブルメーカーのやる事だ。なにしろ、見るからに怪しいのだ。あんな通路を渡った先で、こんな部屋だ。とても剣一本だけとはとても思えない。
剣から放たれる細い光は、影を一切作らない様だ。一般的な光とは違う何かで、光っている様に見えるのだろうか。大方魔法的な原理なのは違いない。
周囲を改めて見渡しても、何もない。せめて、なにかヒントになるメモを握りしめた死体があっても良いだろう。
そんなものが無ければ、もはや調べられるものは壁や床、そして警戒の為に保留しているあの剣しか残っていない。
一歩の距離を常に意識していた剣に対して、ようやくその一歩の距離を超えて近づく。
すると光が強まる。暖色の、オレンジ色や茶色に近い色の光だ。もう一歩と、足の幅ぐらいの歩幅で近づくと、その光はまた強まる。
……何が起こるか分からない。接近だけでもこの反応だ、壁際の方に戻る。伴って光も戻る……かと思えば、変わった色はそのままだった。これ以上干渉したくない。
ふと、このダンジョンの性質、地上への影響。この世界にきて数日頃に尋ねた、調査員が聞かせてくれた話を思い出す。
もし、この剣がダンジョンの性質に関わるものだとすれば……。
「……せめて最悪の事態にならなければ良いが」
俺の言う最悪の事態とは、俺の行動による被害が俺の死ではない。あの異常な森を生み出した魔力が、森の外へと魔の手を伸ばし、果てには王都にまで影響が及んでしまう事だ。その最悪以上の事態が起こった時にどうなるかは、あまり想像したくない。
せめて、この世界がその様な初見殺しをポンと置かれるような所では無いと信じておこう。だからってあれを手に取る気は無いが。
うむ、俺は臆病者だ。しかし臆病は弱者の特権だから許してほしい。
「さて、奇跡的に戦闘もなく、恐らく重要な部屋にたどり着いてしまった訳だが」
記憶を失って以降、記念すべき”自分の声”との再会を果たしてこの有様だ。自慢の声は何処にも届かない。いや、好青年とは言わずとも、至って普通の成人男性の声だが。
誰かと喜びを分かち合おうにも、誰もいない。我が母でさえも、この世界で顔を向かい合わせることはできない。
地面に座り込む。
奇跡的に戦闘が無かった、とは言え理由は大体察している。あのモンスター達がイツミ達を追ってここを離れたのだ。つまりこの施設には、恐らくあの謎の魔法使いしか居ない。
……そういえば、あの魔法使いは何処に行ったのだろうか?
背中を壁に預けて、足を伸ばす。
「姿が見えないからって、態々探すものでもないな。探すとすればケイだ」
自慢の声を鳴らして、序に声を慣らす。
エラーと共に世界から吐き出される前に聞こえた、ケイの声。実をいうと、ケイと関係しているであろう事象はそれに限られていないのだと思う。
まず、恐らく計6回にも及んだ、短期的な”記憶の欠落”。そしてその間における俺の”異様な行動”。俺が経験しているその6回分全てが、達人的な能力で危機から脱するという一連の行動という物で共通しており、そしてその後意識が復帰している。
俺は思うのだ。その間、俺が意識を失っている間、俺は身体をケイに預けていたのではないだろうか。
ケイの姿をケイに預ける、というのもなんとも奇妙な物だが。まあ、どちらかと言えばあり得る話だ。
……科学的にあり得る話かと言われれば、まあ出来るかもしれないとしか言えないが、逆に科学で説明できるかと言ってみれば、無理だと答えが返ってくる筈。
ゲームが俺の頭を覗き込んで、俺の意識のクローンを生み出すなら……まあ、狂科学者にでも目をつけられたと納得できる。人間に殆ど等しいAI──専門家は
人の人格を写したAIは聞いた事もないが、見知らぬ何処かでプロトタイプが作られているかもしれないから、まあギリ技術的な可能性はある。
でも、”俺の頭の中にある仮想の創作人物”が
勿論、俺の思うこれらすべては、専門知識の無い俺が吐き出す無知な想像であり、もっと言えば妄想と言っても差し支えない。
実際に研究し、実現を目指している夢想家な研究家が俺の妄想を知れば、地面にヒビが出来るぐらいには地面を転がり回りつつ笑ってくれるだろう。後々に「面白い話だ、小説家にでもなったらどうだ?」とでも言ってくれるかもしれない。
……考えておこう。
しかし、ああ。時間が出来て、胸に残る疑問もあると、思考が何処までも長引いてしまう。慎重な棋士でもここまで長考しない。
「……歌でも、歌ってみるか?」
座っている姿勢でさえ、腰が痛むような気がしてきた。石の堅い地面だ、致し方ない。特に地面も汚いわけでもない。俺は横たわった。
人形の腰が痛むというのも、面白いものだが。
「あー、歌ったことないな。……歌うのもハードルが高いな」
覚えている曲がそもそも少ないし、音の高さというものの取り方が素人未満なのだ。難しい。
「……それにしても、喋り方は覚えてるんだな。滑舌は……人に聞かせないと分からないか」
「聞かせる人が来れば良いんだが。この自慢の声を皆に知らせる機会だ」
「……来るとしたら冒険者か? でもギルドからのダンジョン発表はまだ後だしな」
「確か危険度調査の為に人員を送られてから……だったな」
「流石に調査で最深部まで来ないか」
「ダンジョン探索が始まって、直ぐにここまで来る人は……居ないだろうな」
「そもそも魔力を感じ取れないと難しいか」
「いや、魔力の源流がここじゃなかったら、辿り着くのは別の部屋か」
「ここから出るのは……今更出たら危険だよな。追い付いたにしろ見失ったにしろ、奴らは戻ってくるはず」
「肝心の魔法使いは……初対面があれだ。神出鬼没だって考えようか」
「嫌なことに気づいてしまった。もし見つかるとしたら、冒険者にではなく、あの魔法使いの可能性が高い」
「……怖くなってきたな」
「そろそろ誤魔化せなくなってきたか」
「本来、人は孤独に生きる生き物ではない、とはよく聞くが」
「孤独に恐怖するからか。一人では除けない脅威に恐怖するからか」
「多分、後者だな」
「孤独自体に恐怖はしない、寂しく思うだけだ」
「ああ、独り言を続けて俺は何をやっているんだ」
「俺はケイを探すんじゃなかったのか」
「ああそうだ、俺は怯えている。安全だと思わしき部屋に引きこもって居るだけだ」
「怖い物は怖いさ。例えゲームでも」
「そんな中、ケイの姿で居られた時は、彼女の勇気を借りられた」
「今思えば、俺はケイを演じていたのではなく、ケイの姿と声を借りていたんだな」
「才能と時間で積み重ねられた剣の技術と、魔法の素養は、きっとケイが与えてくれたんだろう」
「今や人形の姿となった俺には……そんなものは宿っていないが」
「いや……違う」
「俺の姿が……身体が、ケイに近づいていっていた……のか?」
この答えは長い時間の中に閉じ込められ、おかしくなった意識から生まれた出鱈目なのだろうか。ともすれば、俺は幸運だったろう。
しかし俺は思う。どうしてそれが幸運だと思えるのだろうか。この答えが出鱈目だと、そう望んでしまったのだろうか。
ケイの姿に成り切るのは、俺が望んだことではなかったのか?
剣が床と俺を照らす一室に、一瞬の閃光が生まれた。
「っ……今のは……」
立ち上がり、周囲を見渡す。何故か石の固まりがそこにある。
いったい何なんだ。瞬きを2度繰り返したその次に生まれた閃光が、今度こそ俺の視界を奪った。
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転移した先、そこは小さな部屋だった。
思わず吐いてしまいそうになるほど、気持ちの悪い魔力で一杯だった。まるでそれは、小さなな一呼吸で肺を腐らせるのを錯覚させる毒。しかし大きな一呼吸で、それが錯覚ではなく事実だと気付ける様な毒。
……ここであまり魔法は使いたくない。吐き出した魔力を再び満たすために取り込まれる魔素が、この身を滅ぼしかねない。
そう、このモンスターの様に。
「な、お前は……」
「……意識はあるんだ」
こういった魔素は大抵の場合、生き物を変異させてしまう。
狼から逃げ惑う兎は、その魔素に当てられた途端に熊の首を食いちぎる。人間に従う飼い犬は、変異した身体から首輪が剥がれ落ち、飼い犬の腕を噛んで飲み込む。屍に残った肉を狙い、獲物を喰らう虎が離れるのを待つ鳥は、生きた虎の肉を啄む。
そして人間は、途端に元の姿や人格を失い、与えられた姿と本能で人を襲う。
不幸な事に、変異しても意識が残る人間も居るのだ。この目の前の人形の様に。
おそらく、この魔素自体は私が来る前から流れ出していたが……私の介入をきっかけに、あるいは元々の”私達”の行動が原因で、流出が激しくなったのだろう。
「ケイ……?」
「……私の名前を知ってるんだね」
ならきっと、かつてこの身体に宿っていた”ケイ”の知り合いなんだろう。
生憎と、あの仮面や猫の亜人と同様に、彼の名前を知らないのだけど。
ふと、彼と目が合った。気がした。
服は勿論、目や鼻、口もない白色の人形の姿は……どうしてか、”見覚えがある”と、私の心が呼びかけてる。
「……」
「……」
まるで、お互いがお互いを見定めているみたいだ。
何故か、あの視線にどんな思いが込められているのか。そして私が抱いている思いがどのような物か、気になった。
評価する絵師の視線ではない。
対峙する剣士の視線ではない。
眺める子供の視線ではない。
私は思う。
これは、永い年月を経て再会した友人の視線ではないかと。