「では、行ってきます」
「ああ、よろしく頼む」
「お任せください」
力強く頷いたリフィーリアに、王族の1人であり、またリリアの父であるレオナルドが安堵した様に表情を緩ませる。その後ろでは、リフィーリアの家族や彼女と同じく屋敷に勤める付き人たち、そして議会の上方の者たちがこちらをじっと見つめていた。
ウィーシェの森。そこは、見目麗しいエルフが住まう風光明媚な《エルフの里》の1つ。魔法技術に優れたエルフが育つと言われ、澄んだ空気と清水、そして新緑に包まれた森によって住まう者の心が癒されるとされるその里は、現在重苦しい空気に包まれていた。
その原因はもちろん、先日発作的にこの里を出奔した
すなわち「リリア回収大作戦」である。
何故リリアがこの里を出奔してしまったのか。その理由は(彼らにとっては幸運な事に)解らないが、幸いなことにリリアの残した置き手紙には「オラリオに行く」という文言が書かれてあり、目的地を特定することは容易であった。
しかし彼女はエルフの教育方針によって地理的な知識がほとんど与えられておらず、更には日頃箱入りな生活を送っていたために貨幣の価値や使い方を理解しているのかすら怪しい。そのため、リリアが本当にオラリオにたどり着けるのかどうかは怪しく、道中に
その為、一通りの護身用の技術を身につけ、更には語学にも堪能なリフィーリアをオラリオに護衛兼迎えの使者として派遣し、道中におけるリリアの痕跡の探索、また道中かオラリオにてリリアを発見した場合の説得、回収を行うという作戦だ。
近隣に出没する魔獣の革でできた軽装の鎧を纏い、ウィーシェの森の者である事を示す紋章付きのローブを羽織ったリフィーリアは、真剣な顔つきで、王家や議会、そして家族たちの見送りを受けていた。彼女が跨るのは、この森で一番の名馬。半日で千里を走破するという駿馬であり、この度の探索において重要な役割を果たす事となった。
「……ハッ!!」
リフィーリアが手綱を引き、馬が走り出す。ドドドッ、ドドドッというリズミカルな馬の脚音とともに瞬く間に小さくなっていく彼女の背を見つめながら、レオナルドは何度抱いたのかもわからない疑問を、重苦しく呟いた。
「何故だ……何故、我が娘はこの里を出奔したのだ」
……思えば、あの子が笑っている姿を自分は見たことがあったのだろうか?あの子はいつもあの美しい顔に表情を浮かべることなく日々をどこかつまらなさそうに過ごしていた節がある。あの子が何を感じ、何を考えてこの様な暴挙に出たのか。自分には一つもわからない。そうレオナルドは考えていた。
リリアが何を考えているのかと言えば、米のことである。
「私は……あの子に無理をさせ過ぎてしまったのだろうか」
確かに米を我慢するという無理はしていたが、それ以外は特に何の問題もなかったし、寧ろ彼女はこの生活を気に入っていた。
それに彼がリリアに命じて行わせていた勉学の量はかつての彼女の
要するに米のために彼女はこの里を出奔したのだ。
「娘の気持ち一つ理解できない私は、父親として失格なのかもしれんな……」
「神よ、どうか、我が娘の安全を守ってください……」
そう言ってレオナルドは静かに目を閉じ、祈った。
その姿は、事情を知っている者からすれば控えめに言って聖人であった。
「ついた」
所変わって、迷宮都市オラリオ。
乗合馬車に乗ること2日。この世界で唯一の存在である《
その身に纏うのは鮮やかな緑色に染め抜かれた王家の紋章付きのローブ。金の縁取りがされたフードを深く被り、キョロキョロと忙しなく視線を行ったり来たりとさせる彼女は、側から見れば完全な
てくてくと、メインストリートを歩いていくリリア。様々な人種が老若男女関係なく歩いている光景は、ウィーシェの森では見られなかったものだ。
店先で客引きをするガタイのいい店主達、品物を冷やかす冒険者達、そして「ペロ……この匂いは、ロリ!!」「エルフっ子じゃねアレ」「ロリエルフ……だと……!?」などと世迷言をほざく
オラリオでしか見られない光景の物珍しさに感動していたリリアは「おーい、そこのローブのキミ!」とよく通る高い声をかけられ、その声がした方へと振り向いた。
すると、その視線の先には何やら前世でいう縁日などで軽食を売る屋台の様なものがあり、長い黒髪を二つに結わえた少女がこちらに向けて手を振っていた。
どうやら先程の声の主は彼女であり、リリアは彼女から呼ばれていたらしい。リリアがその売店の前へと向かうと、その少女がその愛らしい顔に笑顔を浮かべ、嬉々として声をかけてきた。
「そこのキミ、小腹が空いていないかい?」
「……えっと」
「小腹が空いているなら、この《じゃが丸くん》とかどうだい?蜂蜜クリーム味とか小豆クリーム味とか塩味とかあるよ!」
なんだ、その妙なクリーム推しは。リリアは首を傾げるが、見る感じコロッケと思わしき目の前の食べ物と、少女の纏う不思議な雰囲気に唆されてそのじゃが丸くんなる食べ物を買うことにした。買うのは……まずはシンプルに、塩味。こういう食べ物は、変に冒険すると痛い目を見ると相場が決まっている。冒険はしないことが一番なのだ。
「……えっと、じゃあ塩味を下さい」
「まいどあり!」
そう言いながら塩味らしいじゃが丸くんを差し出してきた手のひらに、入れ替えで袋から取り出した金貨を置く。単位は《ヴァリス》と言うらしいこの金貨は、どうやら日本円換算で1ヴァリス=10円程の価値らしい。リリアは乗合馬車でとなりに座った親切なドワーフのおじさんから色々と教えてもらっていた。
そうやって支払いを終えたリリアの耳に、少女がそっと口を寄せた。そして、リリアに向けて囁く。
「キミ、見たところここに来たばかりみたいだし、身なりからして結構いい所の子なんだろうけどさ。……もう少し堂々と歩いた方がいいぜ?何たってここは《神の街》だ。自由気ままな神にちょっかいをかけられたく無ければ、どこかの神の子になるべきだ。そう……ヘスティア・ファミリアとかね!」
そう言ってバッ!と両手をあげる少女。その勢いで外見年齢の割に豊満な胸が押し上げられ、制服らしいエプロンを押し上げていた。おおっと元男としての残滓により胸を注視してしまうリリア。そして、こてんと首を傾げて口を開く。
「……その、ファミリアって、何ですか?」
「そこからかい!?」
ギョッとした顔でリリアを見やるツインテールの少女。彼女の驚きを示すかの様にツインテールも心なしかみょんみょんと動いている。しかし、当のリリアは相変わらずののほほんとした雰囲気のままじゃが丸くんを見つめていた。そんなリリアの浮世離れした様子に、少女は頭を抱えて唸りだす。
「う〜〜〜ん……まずい、まずいぞぉ、オラリオの知識のないままこの子をこの街に放したら絶対面倒ごとに巻き込まれる、そんな
少女は何がしかを思いついた様で、ポンと手を打った。その前では、まだ自分の他に客のいない事をいいことにじゃが丸くんをぱくぱくと食べるリリアの姿があった。少女はリリアの手を取ると、眠たげな彼女の瞳をじっと見てこう言った。
「いいかい、キミはこれから《バベル》に行くんだ。ほら……あのでっかい白い塔。分かるかい?」
「……あ、はい。あのでっかい塔」
「そうだ。そこでここオラリオに関するレクチャーを受けるといい。……多分お金は取られないと思うから、安心して受けて来たまえよ。受付の人に《エイナ・チュール》というハーフエルフの子を呼び出してもらって、ボクの名前を出せば邪険にはされないはずだから」
「エイナさん、ですか」
「そう!」
こくん、と小さく頷いたリリアに笑いかける。なぜだろうか、目の前の
あながち間違ってはいないのがこのリリアの恐ろしい所である。
「……分かりました。えっと、教えてくださってありがとうございます」
「なーに、困っている子を見つけたら導いてあげるのがボク達《神》の下界での仕事さ!この道をあっちにまっすぐ歩いていけば着くから、迷う様な事はないと思うけど。いざとなったら大声を上げて誰かに助けを求めるんだよ、いいね?」
「はい……え、神様?」
「それじゃあ、もし会うことがあればまた今度!ボクの名前はヘスティアさ!ボクのファミリアに入りたければいつでも大歓迎だぜ!!」
そこで新たな客がやって来たため、2人は別れることとなった。「まいどあり!」という神ヘスティアの声を背に、リリアは彼女から貰った情報に従って白亜の塔へと向かうことにした。行儀悪くもじゃが丸くんを食べながら歩き、オラリオのメインストリートを進んでいく。
じゃが丸くん(塩味)は、中々に美味しかった。コロッケの様に見えたが、実際は「じゃがいもに衣をつけて揚げたもの」の様な感覚であり、中はよく火が通ってほろほろで、じゃがいも本来の甘みがじんわりと口の中に広がっていく。少し粉っぽいため、水が飲みたくなるのが玉に瑕ではあるが、我慢できないほどではない。少し味がもの足りなくなって来たと感じたら、付け合わせの塩をパラパラと振りかければ良い。程よい塩味がじゃがいもの薄味に丁度いいアクセントとなって、飽きを感じさせない美味しさとなる。……味を例えるならアレだ、マク○ナルドのフライドポテト。
ヘスティア、ヘスティア神かぁ……
リリアは、先ほど出会った「ヘスティア」と名乗った少女の事を考える。彼女がヘスティアの名を騙っている可能性もないとは言えないが、あの人間離れした美貌と抜群のプロポーションは女神と名乗っても違和感のないものであった。何より、彼女の纏う雰囲気はどことなく清浄なものであったように感じる。
ヘスティア。竈の神。元はギリシャ神話のゼウスの姉であり、彼の前で生涯純潔を誓った処女神でもある。正直蛮族の集まりと言っても過言ではないギリシャ神話の神達の中ではハデスと並ぶ
因みに、なぜリリアがヘスティアの事を知っていたかというと、彼女が「竈の神」だからである。コイツの知識は基本的に米にしか結びついていない。
「……む?」
そんな考え事をしていたリリアは、ふと懐かしい気配を感じた様な気がして、周囲を見回した。
そして。
「あ、あれは……」
彼女は見つけた。見つけてしまった。
「はーい!パエリア一人前お待ちニャ!!」
「……パエリア、だと……!?」
獣人と思われる店員の女性が運ぶのは、パエジェーラと呼ばれる一風変わった形をしたフライパンに盛り付けられた
食べなくては。
リリアはそんな使命感に襲われ、迷う事なく先ほどパエリアを提供していた飲食店《豊饒の女主人》へとふらふらと入っていった。
「いらっしゃい……ニャ……?」
豊饒の女主人。迷宮都市オラリオにおいて冒険者達からの絶大な人気を誇るこの酒場で働くクロエ・ロロは、稼ぎ時である夜の営業よりはのんびりしている昼の営業中にやって来た1人の客を見て、思わず眉根を寄せた。ギギ、と扉を開けて入って来たのは、フードを深く被った小柄な者だった。フードのシルエット的にはエルフなのだろうか。だとすると、年齢と外見が釣り合わない
(たーまにいるんだよニャあ……度胸試しだかなんだかわかんないけど、ウチを冷やかしに来るガキンチョ……)
冒険者が集まる酒場という性質のせいだろうか。たまに何か勘違いした悪ガキ共が度胸試しの様な感覚で店内へと入って来ることがあった。他の客の迷惑にしかならないので、武闘派の店員達やボスのミアが脅して出て行かせているのが現状だが、それでも来る者は来るのだ。
少し脅して追い返すか。
クロエはそう決めると、スタスタとそのフードの人物に向かって歩き出した。キョロキョロと興味深そうな様子を見せるそのガキの様子に、冷やかしであるという確信を深くするクロエ。そして、近づいて来たクロエに気がついたのか、彼女の方を向いたフードのガキに、クロエは比較的絞った殺気を向ける。
「あー、そこのガキンチョ。ここはお前の来る様なところじゃな」
「パエリア」
「……ニャ?」
「パエリアを下さい。……あそこの、男の人が頼んでいる様な」
「……ニャ?」
が、フードのガキンチョは自分が向けた殺気など気にも留めず、そんな事を言ってのけた。客……か?クロエは咄嗟にそう考えて漏らしていた殺気を引っ込めた。料理を食べて金を払うのなら、たとえガキでも立派なお客様だ。
クロエは「んー……」と少し唸ると、まあいいや、と思考を放棄してフードのガキを席へ案内する事にした。とりあえず、なにが起きても大丈夫な様に厨房に近い場所へと座らせる。
自慢ではないが、生粋の裏世界の住人であった自分の殺気を受けて動じないのだ。ならば目の前のガキンチョも自分と同類である可能性が高い。
そう考えたクロエは、いつも通りの様子で、しかし注意はフードのガキから離さない様にして厨房へと注文を伝えに行った。
そして、出来上がったパエリアをテーブルに持っていくと。
「申し訳ありませんでした……!」
「あ、あの、頭を上げて下さい……」
「え、えっと、リュー?」
端的に言ってカオスな光景が広がっていた。
目の前で土下座しかねないほどに申し訳なさそうに頭を下げている
時間は少し前に遡る。米を食べる為に喜び勇んで入店したリリアは、猫耳を生やした黒髪の女性店員に連れられて席へと座り、今か今かと米料理の登場を待ちわびていた。ちなみに、彼女は米を食べられるという興奮でクロエの殺気に気がついていない。彼女にとっては自らの命の危機すらも米の前には霞んでしまう。
……率直に言って馬鹿である。
そんな、今にも歌い出しそうなほどに幸せそうな
夜の営業に向けた買い出しから帰ってきた彼女は、一緒に買い出しに行っていたシルと共に接客へと向かい、そしてリリアを発見した。
見目麗しいエルフである彼女は、手に持った銀の盆をフードを被ったままのリリアの首筋あたりにひたりと添えると、底冷えのする声で彼女に声をかけた。その後ろでは、シルが焦った様な声を上げている。
「失礼、そのローブはどちらで?」
「ちょ、ちょっとリュー!?」
「え?……普通に家から持ち出したものですけど」
「抜かせ」
ギチッ、と盆を握る手に力が篭る。リューはその瞳に怒りを湛えながら静かに目の前のリリアに告げる。
「そのローブ、その紋章は我らが
「……いや、えっと、その。
パサリ、とフードを下ろし、その人間離れした美貌を露わにするリリア。
……まさか思うはずもないだろう。この街で有名なハイエルフであるリヴェリアという例外を除き、基本エルフの里から出ることの無い彼らが、お供の1人も付けずにこんな酒場にやって来ているなど。それも、米料理を食べにやって来ているなど。普通の人間ならリューの様にローブの盗難を疑う。
これはひどいという他ない状況で、リューが取った行動は迅速かつ明快だった。フードを取った彼女の美貌、そしてハイエルフ特有の気品のある雰囲気に、目の前の彼女が王族であると理解したリューは、自分の冒険者としてのステイタスを全開にした速度で頭を深く下げた。
そして、クロエが見たカオスが広がるのであった。
「……あー、なんかあったのかニャ?一応頼まれた料理、持ってきたんニャけど……」
「あ、ありがとうございます……えっと、その。あまり気にしないで下さいね」
「ほ、ほら、リュー。この方もそう言ってくださっていることだし、顔を上げないと」
「いえ、顔を上げるなど滅相も無い……!!」
「マジでなにがあったんだニャ」
困惑した様子でそう呟くクロエ、なんとも言えない表情で謝罪し続けるリューをなだめようとするシル。そんな彼女達を苦笑いで見つめるリリアの脳内は、
(あー……パエリアが目の前にあるのに食べられない……つらい……)
相変わらず米の事しか考えていなかった。
信じられるか、ヘスティア様の出番これで終わりなんだぜ……?
現在の時間軸としてはリューさんが超倫理リリルカサッカーをしていた後の事です。
気が立っていたからね、しょうがないね(適当)
エルフの里に関する情報が少ないのでオリ設定マシマシとなります。ハイエルフとエルフの違いも王族かそうで無いかの違いでしか無いみたいですし、フードを被っていればエルフっぽいという印象しか受けないと思うんです(ガバ弁護)
読んでくれてありがとうございます、感想誤字報告嬉しいです。
では、また。