久しぶりなので若干違和感があるかもですがお許しを……。
「これはまた……たくさん頂いてきましたね」
「おおー。お野菜祭り」
【ニニギ・ファミリア】の
オラリオの敷地内だとは思えない和の雰囲気に包まれたその場所で、リリアと千穂は見上げなければいけないほどの高さに積まれた木箱を、呆気にとられた表情で眺めていた。
その背後では、木箱を運んで来たニニギノミコトたち男衆が腰を押さえて倒れ伏している。
時はオラリオ内有力派閥による『穢れた精霊』及び
複雑な事情から広大な農耕地と化した
……いや、これ実際は半分くらい迷惑を掛けられた仕返しも混ざっている気がする。人の子と同じ
『これがお礼の品よ。少ないけれど持って行って』
『いや、デメテル。気持ちはありがたいし助かるのは確かなのだが、私達だけではこんな量の作物持ち帰れない──』
『持って行って?』
『アッハイ』
曲がりなりにも武神としての側面も持ち合わせるニニギに有無を言わさぬあの気配。
「これは……じゃがいもですね。まるまるとしていて一目見ただけで上等なものだと分かる。流石はデメテル・ファミリア謹製の農作物……」
「こっちもじゃがいもね。見たところ芽が出ているものも少ないみたいだし……ちゃんと保管できれば、これとその箱で1カ月は食べるものには困らなさそう」
「この箱もじゃがいも。肉じゃが、じゃがバター、ふかし芋……じゅるり」
「えっと、この箱もじゃがいもですね。……この箱も、こっちの箱も。……まさか……」
じゃがいも、じゃがいも、じゃがいも。もう一つおまけにじゃがいも。
男たちがひいひい悲鳴をあげながら運んで来た箱を開ける度に現れるうす茶色に、段々と嫌な予感を隠せなくなってくる千穂と千恵。2人の顔色は貰って来た箱の半分を開けても良くなることは無く、むしろ開ける箱の数が増える度に悪くなっていく。
そんな2人を他所にまだ見ぬじゃがいも料理へと思いを馳せていたリリアは、視界と庭を埋め尽くさんばかりの勢いで姿を現すじゃがいも達をのほほんと眺めながら「これで肉じゃが食べ放題だね」などとのたまっていたが、それでも開ける箱が最後の方になる頃には辟易とした表情を隠せないでいた。
「……うわあ」
「お姉ちゃん。どうするの、これ」
「さすがにこれぜんぶ肉じゃがにしたら飽きそうだねぇ」
「リリアちゃん違う、そうじゃない」
──結果から言うと、デメテルから貰った箱に入っていたのは全てじゃがいもだった。
丁寧なことに数箱ごとに品種が違っているようで、その品ぞろえと量は【ニニギ・ファミリア】が今からでもじゃがいも専門店として1カ月はやっていけそうなほど。
拠点の蔵に入りきらないほどのじゃがいもの海を見ながら、千恵は思わずといった様子で自らの主神に確認する。
「……ニニギ様ちゃんと謝ってきました?ちゃんと、誠意を込めて」
「そのはずなんだがな……」
答えるニニギの声も自信なさげだ。戦争遊戯などの直接的な手段ではないにしてもここまであからさまな嫌がらせを仕掛けてきたとなると、デメテルの怒りは相当なものだったのではないかと伺える。
かといって、これが【ニニギ・ファミリア】に致命的な損害を与えるものなのかと言えばそうではない。せいぜい数カ月先まで彼らが死んだ目のままじゃがいもを頬張ることになるくらいだろう。
この絶妙なラインを突いたじゃがいも爆撃に、千穂は闇派閥との戦争時に助けられたもののそれと同時に多大な迷惑を被ってもいるデメテルの複雑な心境が垣間見た。
「あー、とりあえずスクナ様のとことかタケミカヅチ様のとことか、極東の皆におすそ分けしていくか。ほら穂高、手伝え」
「……また運ぶのか、この木箱の山……」
復活した伊奈帆と穂高は、げんなりとした表情でいくつかの木箱を抱えるとオラリオに居を構える極東系ファミリアたちにこのじゃがいも達をおすそ分けしに行った。
彼らもニニギたちと同じく懐の寒さに苦しむ者たちなので、ニニギ・ファミリアのおすそ分けという名の在庫処分をありがたく受け取ってくれた。そのおかげでそれなりの量のじゃがいもが捌けたが、それでも積みあがった木箱の中身はじゃがいもが劣化しないうちに5人で食べきるには荷が重い量だ。
「どうするよ、これ」
「どうしよっか……穂高、何かない?」
「デメテル様に土下座して少し持って行ってもらうとか?」
「ニニギ様」
「嫌だ」
「肉じゃが!」
ひとまず自分たちの分は台所の下にある倉庫へと仕舞い、残ったじゃがいもの山を前にあーだこーだと言い合うリリア達。何かに憑りつかれたように肉じゃが肉じゃがと叫ぶリリアをスルーする千穂たちは、既に彼女の扱い方を心得ていた。
そうして色々な案を出し合う事数分。闇派閥との全面抗争以前から度々リリアについて行き
「流石に貰ったものを返すのは勿体ないし失礼だから、異端児さんたちにもじゃがいもを消費するの手伝ってもらおうよ」
「みんなで肉じゃが!」
「異端児か……ふむ、全面抗争では重要な役どころを果たしたと聞いているし、まあ良いか。千穂の言う通り、褒美がてら奴らにもこのじゃがいもを消費してもらうか」
「なんか彼らに対して上から目線ですけど、元はと言えばリリア──もっといえばあの子に許可を与えちゃったニニギ様の責任ですからね。今のこの
「む……」
異端児が暴走した一件から彼らについて一歩引いた態度を取るニニギを半目で睨む千恵。彼女の後ろでは伊奈帆と穂高も頷いており、旗色が悪いと悟ったニニギは何も言えずに黙り込む。
こうして、リリアが異端児の下へと向かう時に合わせて残りのじゃがいもたちも一緒に転送することになった、という訳だった。
「うん、良い香り」
回想を終えたリリアは、目の前に並べられた料理たちから立ち上る香りに頬を緩ませる。
今回の献立は、リリアお手製の肉じゃがに
正に「和定食」とでも言うべき、ある種の懐かしさすら感じさせる献立だ。
ぱやぱやと気の抜けた笑みを浮かべるリリアの両隣には、当然と言いたげな態度で陣取る
魔力──というよりも純然たる力の化身に近い精霊にとって食事とは一種の娯楽に過ぎないはずだが、彼らは愛し子の手料理を食べる気満々の様子。
それを目の当たりにしているフェルズは、己の中にある常識という強固だったはずの壁がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
「それじゃあ、手を合わせましょう。……いただきます」
『『『いただきます』』』
そんな元賢者を他所に、リリアの号令を合図として彼らは一斉に食事を始める。
拠点から持ってきたマイ箸を手に取ったリリアがまず選んだのは、当然ながら白米。
極東とは全くと言って良いほどに縁のない地で育ったエルフとは思えないほどの自然かつ無駄のない箸捌きで茶碗によそわれた米を掴んだリリアは、ぱくりとそれを頬張った。
「……うん、美味しい」
普段から眠たげな瞳をいっそう細め、至福の微笑みを浮かべるリリア。その表情は傍から見るだけでも幸せになれそうなほどの喜びに満ち溢れていて、彼女がどれだけ米を好いているのかが分かる。
そんな少女の様子につられて笑顔を浮かべたリドが、同じく口の中に放り込んだ握り飯を噛み締めると、米自体の優しい甘みとふんわりとした柔らかい香りが彼の口の中一杯に広がった。
人間とは違う怪物の肉体は、
味覚と嗅覚、双方から楽しむことの出来る米の素晴らしさを文字通り噛み締めながら、リドは続いて巨黒魚の塩焼きに手を伸ばした。食の太い異端児たちのために一匹丸ごと焼かれたその尻尾を掴んだ彼は、骨の有る無しを気にした様子も無く、その大きく裂けた口へと放り込む。
元から人間に近い恰好をした精霊王や異端児の中でも特別手先が器用な
それはどれだけ足掻いたとしても人間になれないリドたちにほんの少しの寂しさを生むが、彼らと同じ釜の飯を食べるリリアはそれを気にした様子も無い。
それよりも彼らが自分たちと同じものを好いてくれるかを気にしている様子で「美味しい?」と問いかけてきたリリアに、リドは満面の笑みで「美味いぜ!」と答えた。
「そっか……よかった!」
「美味イゾ、リリア」
「はイ、とってモ」
彼らのその答えにはなんの忖度も偽りも含まれていない。
母なる迷宮の祝福を受けた
その鱗は迷宮都市オラリオの外ではちょっとした防具にすら使われるほどの強度で、リドたち怪物もこの強固な鎧に包まれた魚を好んで食べようとはしない。
だが、リリア達の手によって調理されたこの塩焼きはどうだ。
丁寧にした処理のされた皮には一枚の鱗も無く、リドのナイフのように鋭い歯は一切の抵抗を受けずに、淡白な味わいの白身にずぶりと沈み込む。そこから血の代わりに溢れ出るのは、厳しい環境を生き抜くために彼らが蓄えていた栄養やうま味──それらがぎゅっと凝縮された肉汁だ。
怪物の鈍い味覚をこれでもかと刺激する濃厚で豊潤な味の暴力。それはかつてその身に受けた上級冒険者の拳よりも深くリドの身体を打ち据えて、彼はこの味を堪能できる奇跡に感動して思わず震えてしまう。
見れば、グロスもレイも、他の異端児たちも皆が巨黒魚の塩焼きに手を付けており、最近彼らの間でちょっとしたブームとなっているこの料理がいかに好かれているかが分かるだろう。
流石に骨まで取ることは出来なかったのか、巨黒魚の骨がリドの口内に一矢報いんと牙を剥くが、もはや慣れたものだ。咀嚼しながら器用に舌を動かして骨から肉を剥いだリドは、楊枝で歯を掃除するのに似た仕草で口の中から骨を取り除く。
やがて塩焼きを食べ終えたリドが次に食らうのは、2つ目の握り飯だ。
塩焼きの後味が残る口の中に入ると、白米は先程までとはまた違った側面を見せてくれる。
口の中に溢れた巨黒魚のうま味。そのエキスを余すことなくその身に沁み込ませた白米は己の控えめな味にうま味をプラスし、まさに「昇華」と呼ぶべき味の変化をもたらす。
リドは巨黒魚の塩焼きも、その後に食べる握り飯も初めて食べるものではない。むしろリリアがいない時でも再現が容易な献立であるため、異端児たちにとっては馴染み深い献立だと言っても良いだろう。
しかし、この味わいは何度食べても食べ飽きることは無い。リドは自信を持ってそう宣言できる。現に今もこうして食べていることが何よりの証拠だ。
ほぼ一口で2つ目の握り飯を食べ終えてしまったリドは、続いてリリアが調理していた新メニューである「ニクジャガ」へと手を伸ばす。
煮物料理であるため手に取ったリドの手に汁が付き汚れるが、手が汚れるのは塩焼きを食べた時も一緒なので気にすることは無い。だが、手に取ったじゃがいもが予想以上に脆い感触をしていたため、じゃがいもを摘まむようにして持っていたリドは慌てて手のひらに乗せ換えると、そのまま口の中にぽんと放り込んだ。
まるで錠剤でも飲むかの如き動作だが、彼の顔に不快感や猜疑心は無い。これまでにリリアが作ってきた料理はその全てが「当たり」──つまるところ異端児にとっても美味だと感じられるものだったのだ、疑う方が無駄というもの。
「熱っ、あふっ、おっ、おっ……おお!」
「リド?」
「ム……コレハ……!」
良く煮込まれたじゃがいもの口を焼きそうな熱にハフハフと口を動かしながら賞味していたリドは、カッと目を見開くと握り飯が置かれた葉の上に手を伸ばし、3つ目の握り飯を口の中に放り込んだ。──じゃがいもを口に入れたまま。
そのまま口の中でじゃがいもと白米を合わせる。身を隠した敵を探す時のように瞳を閉じて集中していたリドは、喉をごくりと大きく動かして嚥下した後、思わず笑っていた。
「ハハッ、なんだこれ……めちゃくちゃ米に合うじゃねえかよ、リリア!」
「むふん、でしょー?」
「そんなニ米に合うのですカ?……まァ、これハ!」
砂糖を使った甘い煮汁が粉っぽいじゃがいもに良く沁み込んでおり、中まで火の通ったそれは「じゃがいも」という名前からは想像できないほどの複雑な味の塊となっていた。
味のベースとなっているのは、じゃがいも本来の甘み。じゃがいも自体の質が良いのだろう、通常のものに比べて数段しっかりとした甘味を確立しているそこに足されるのは煮汁の味だ。
そして、この煮汁の味こそがリリアのニクジャガ──肉じゃがを肉じゃが足らしめ、じゃがいもを更なる段階へと押し上げていた。
砂糖が使われたのだろう、リリアが作る料理としては珍しくはっきりとした甘味を持つ煮汁だが、ただ砂糖の甘味が足されただけではない。そこにいくつかの調味料──リドの予想では魚醤や酒など──を加え、さらにその煮汁の「素」となる液体を巨黒魚のアラから取った出汁で煮込んでいる。
ただの煮汁にそこまでの工程を加える。それは未だに塩焼きや素焼きがメイン料理であるリドたちからすれば、考えたとしても面倒くさがってやらないだろう手間だ。
だが、この手間がここまでの味を生み出しているのは疑いようもない事実。出汁で煮込まれたことにより、ただの甘味だけではない、しっかりとした芯が通った複雑ながらも奥行きのある味となっていた。
もちろん、肉じゃがの主役はじゃがいもだけではない。その名を冠する肉もこの料理の大事なパーツの1つだ。今回はエルフであるリリアがいるため使用する食材は本物の肉ではなく肉によく似た
煮汁によってしっかりと味付けされた肉果実の味はまさに迷宮の恵みとも呼ぶべき至福。この肉果実の旨味もまた煮汁に合わさり、また他の具材、人参や玉ねぎなどもその味わいを添えて肉じゃがの味は完成されていた。
そして、味の抑え目なじゃがいもに煮汁を合わせると美味しいというのならば。
それが米に合わない道理は無い。
他者を引き立て、ただそれだけではなくしっかりと自分の味も主張するバランサー的存在である白米と一緒に肉じゃがを食べる。
「んん~!おいひい!!」
肉じゃがと米を合わせるとどのような味になるのか。もう言葉にする必要はないだろう。
肉じゃがと一緒に米を頬張ったリリアが満面の笑みで叫ぶ。その言葉にただひたすらに頷くリドたち異端児と、そんな彼らの食卓を恨めしそうに見るフェルズ。
様々な問題に直面し、それらを時に傷つきながらも乗り越えてきた彼らの食卓は──今日も平和だった。
ちなみに作者の今日の夕ご飯はカツ丼です。