彼女が俺に見せる彼女の一面は,様々な感情を俺に抱かせた
オフィスに戻った俺に、同僚達からの視線が集中した。視線が意図するところはみな似たようなもので、興味、好奇心に染まっている。皆俺が何故中央のエリート様に呼び出されたのか気になって仕方ないのだろう。その気持はよく分かる。逆の立場なら、俺も間違いなく同種の視線を投げかけていただろう。
早足で自分のデスクに逃げ込んだ俺に、ベルナールが声をかけた。
「おかえりなさい先輩。大丈夫でしたか? 先輩に言われた通り下に行って様子を見てみたんですけど、上に戻った時には先輩はもう居なくて」
「ああ、大丈夫だ。悪かったな、無駄足踏ませて」
いえ、と言ってベルナールは仕事に戻った。どうやら俺が言い出すまで応接室でのやりとりを話題にするつもりはないらしい。後輩の細かい気遣いに頬が緩んだ。
「ベルナール、お偉いさんとのやりとりについてなんだがな」
「はい。どうでした?」
「詳しい内容は言えないんだが、俺は今からパリに行くことになった。暫くは戻れない。悪いが溜まってる書類の方は頼む」
俺の言葉に驚いたのか、ベルナールは目を見開いた。
「今から、パリですか? パリって言えば警察庁がある場所ですけど、本当に中央に呼び出しですか?」
「いや、捜査だよ。中央に寄ることはあるかもしれないが、目的は別だ。呼び出されたとか、ましては引き抜きとかでもない。中央が抱えている事件に一枚噛むことになった」
「中央が抱えている事件? そうですか」
ベルナールはまだ納得していないようだが、それ以上は何も聞くことはなかった。すぐにパリに行くとなれば仕事を残して行くしかない。何も話せないのは心苦しいが、ベルナールに任せるしかない。
「悪いな、あとは頼む」
わかりました、と言って俺のデスクから書類を持って行ったベルナールを横目に、俺はパリに行く準備を始めた。荷物は最低限で良いだろう。パーソナルデバイスと銃、いくらかの衣服があればいいだろう。引き出しから拳銃を取り出し、保管庫に立ち寄って弾倉を十個持ち出した。当座の分としては十分だろう。その足で地下の駐車場に着いたところで、俺の車の前に虚空を眺めて呆っと立っている少女が目に入った。
「ここに居たのか」
少女は一瞥を俺に向けると、また虚空を見た。
「だんまりか。人間に接するようにしろとは言われてるけど、何も喋ってくれないんじゃこれから先が思いやられるな」
少女はもう一度こちらを見て、
「乗らないの?」
と短く言った。
「乗るさ。君が自分の名前を教えてくれたらな」
少女は何も言わずに車のドアに手をかざすと、間もなく低い音と共にロックが開いた。そのまま助手席に滑り込むと、また呆っと虚空に視線を戻した。
俺は思わずため息をこぼしていた。彼女が便利な道具なのは間違いないようだが、信頼できる相棒になることは難しいかもしれない。しかし、CMに出ていた人形はもうちょっと愛想よく笑っていなかったか? これもプログラムにしたがった対応だと言うなら、プログラマーはもうちょっと警察映画を鑑賞することをおすすめする。これでは相棒どころか補導した不良少女だ。尤も、不良少女は手をかざしただけで車のロックを解除するなんて芸当は不可能だが。
俺は苦笑いを浮かべながら車の側に寄って運転席のドアを開けた。開けようとした。そのとき俺の手に伝わってきたのは、まるでドアにロックが掛かっているかの様な虚しい感触。嫌だなぁおかしいなぁと何回かドアのハンドルを引いているうちに、俺の苦笑いも凍りついた。車の持ち主が外に居るというのに、中の少女は、虚空を見つめたままだ。
もう一度、今度は大きくため息を吐きながらポケットからキーを取り出しロックを解除した。ハンドルを引くと、今度は期待通りの感触と共にドアは開いたので、そのまま運転席へと腰掛ける。
「意地悪しなくたっていいじゃないか」
少女は少しも不思議そうにせず声だけ、
「意地悪?」
と返してきた。
「素か……」
こいつが俺の相棒になるのか、と嘆息が抑えられない。もう警察映画とは言わない。人間同士が会話するシーンがある映画ならなんでもいい。この際贅沢は言わない。
「Walther WA2000」
唐突に少女が言葉を発した。
「は?」
「名前」
名前? Walther WA2000が?
「それは骨董品みたいな大昔の狙撃銃だろう。何だってそれが名前になる?」
「Advance Statistic Session Tool で私と適合したのがWA2000だったから」
「Advance Statistic Session Tool?」
「烙印システム。戦闘の為にドールを最適化する技術の一つ」
「そんなものもあるのか」
それきり、少女は沈黙した。俺は電源ボタンを押し込み、車を駐車場の出口へ滑らせた。
「なんて呼べばいい?」
少女は静かに、
「ワルサー」
とだけ言った。
日が傾き掛けてきた時分で自宅に戻った俺は、衣服をいくつか見繕うと、キャリーケースに適当に詰め込んだ。どれだけの期間町を離れるのか検討がつかない。念のために水と電気を止めるよう電話で手続きを済ませてから家を出ると、駅へと向かう。その間、ワルサーは一言も喋らずに付いてきたが、その視線は町の風景を右往左往していた。中央で製造されて間もないなら、田舎の風景はもの珍しい筈だ。ドールにも、初めての光景を目にすれば好奇心が湧くのかもしれない。電車に乗ろうにも、今からだとパリ方面の電車は夕方にある一本だけだ。多少時間を潰す必要があるなら、町を軽く案内するのも悪くないかもしれない。
「何か食うか?」
口にしてからしまったと思った。ドールが食事を取るとは思えないからだ。だが、予想外にワルサーは、そうね、と言って返してきた。少しの驚愕を覚える。ドールは人間社会に溶け込めるように造られていると聞いてはいたが、食事まで取れるのか。確認の意味も込めて俺は、
「言っといてなんだが、ドールは食事をとるのか?」
ワルサーは感覚的にはかなり久しぶりに俺の目を見て、
「人間と同じ食べ物を動作に必要なエネルギーに変換できるわ。十分な動作のために日に二回は食事を取ることが望ましいわね。ちなみに食べれば食べる程エネルギーになるわ。常識的な範囲なら食べすぎるということもないわよ。基本的になんでも食べられるけど糖質とタンパク質の変換効率が良いわ。それ以外が駄目ってわけでもないけど非効率ね。変換効率が落ちるから油分が多すぎるのも良くないわ。科学調味料に関しては多少取りすぎても問題ないの。殆どが身体を素通りして排出されるだけだから。ちなみに人間用の軍用ローションなんかはあくまで人間用だからドールの身体に特別適しているわけでもないわ。一般的な食事内容で十分よ」
と一息で口にした。なるほど。
「んで、好物は?」
「アイス」
即答だった。思わずといった具合でアイス、と口にしたワルサーはさっと目を反らして歩みを止めた。
「あー、アイスなら手作りのアイスクリーム屋が市場に出てるよ。キッチンカーで来てるんだ」
俺がそう言うと彼女は横を通って先へと足早に歩きだした。 その様子に思わず閉口した俺は、何も言えずにただ後を追った。
[newpage]
ワルサーは市場の他の食べ物には目もくれずにずんずんと前に進み続けた。恐らく偶然なのだろうが、概ねアイス屋の方向に進んでいる。彼女はまるで雑踏で星を探す警官のように、素早く、無駄なく、確実な視点移動で市場を見回しアイス屋を探しているようだった。その形相は鬼気迫るようで、俺としても邪魔したくはないが、そこまで時間に余裕があるわけでもない、どうせ市場を回るなら時間は効率的に使いたいのだ。
「なぁ、アイスもいいけど他にもっとちゃんとしたものを腹に入れとかないか? パリまで長いんだし、夕飯は電車の中でで食べる事になるからそれも買って行かないと」
ワルサーは肩越しに軽く振り返ると、
「あなたが適当に選んでおいて」
と言って俺の言葉も聞かずに先へと進み続けた。
「選べって言ったって、買ってる間にお前どっか行っちまうだろう」
……無言、完全なる無視だった。どうやらこのドールは人間から都合が悪いことを言われると無視するようにプログラムされているらしい。
そのまま五分程歩いて彼女はキッチンカーのアイス屋を見つけた。見つけた瞬間ほんの少し目を見開くと、キッチンカーに駆け寄った彼女は、展示されているアイスのサンプルを食い入るように眺めた。
「どれにする?」
…………
「おーい」
……………………
「ワルサーさーん」
…………………………………………
俺は彼女の様子を尻目にしながら、キッチンカーの若い女店員に言った。
「お嬢さん、このサンプルを今にも口にしようかと言う娘にバニラ味を一ついいかな」
「かしこまりました! 少々お待ちくださいね!」
店員がコーンを一つ手に持ち、その上にアイスを乗せようとした瞬間、
「待って!」
張り裂けるような静止に、店員の女の子はびくっと身体を震わせてワルサーを見た。俺は咄嗟に、
「おいワルサー。そんな声出すな――」
しかし彼女はすぐに、
「ポッピングシャワー☆パチキャンMAXください」
なんだって? 俺は困惑するしかなかったが、店員の方は流石のプロ意識か、しっかりと対応をやりきった。
「ぽ、ポッピングシャワー☆パチキャンMAXお一つですね? し、少々お待ち下さい」
すごすごとポッピングシャワーなんとかという味不明のアイスを作りあげた店員と、何故かやり遂げた風のワルサーという対比に目眩がする。少し前に応接室で出会った時とは受ける印象が大違いだ。
「はい、こちら3.5ユーロになります」
ワルサーは手首のデバイスを店員に向けて、これでと言ったが、店員は申し訳なさそうに、現金のみですと返した。するとすぐさまワルサーはこちらをキっと睨んで、
「払いなさい」
「いや、良いんだけどな。こう、言い方というか。この先困るぞ? そういうの」
俺は財布から3.5ユーロぴったりを店員に渡した。アイスを受け取ったワルサーはほんの一瞬口元を緩めると、アイスに口を付けた。彼女の表情は硬いように見えるが、時々堪えきれずにといった風に表情を和らげる。
素直じゃないタイプなんだなと思った。アイスが好きなことくらい、素直に主張すればいいのに。それとも、こういう反応をするようにプログラムされているのだろうか。
不意にマチアスの言葉が蘇る。
――ドールは、人間に恭順することを表面的に拒むこともある
ここまでのワルサーの反応全てが、何らかのプログラムなわけで、つまりこれはとんだ茶番だということは間違いない。人間の言葉を無視するのも、人間に横柄な態度を取るのも、アイスを食べるときの仕草も。人間の気を引く周到なプログラムの一環だ。彼女が人間でないと知っていなければ、素直に可愛らしい少女のワガママと笑えたが、彼女がドールだと知ってしまっていては、感じるのは不気味さと虚しさだ。昔、マチアスはもし人間がアンドロイドとセックスすることがあったら、人間は相手がアンドロイドであることを全力で忘れなければならないと言った。そうしなければ、虚しさで行為にならないから、と。何かの小説の引用らしかったが、俺は今それと似たような感覚に包まれているのかもしれない。何気ないときに、彼女がなにものであるかを思い出す。この先もこんな感覚に苛まれるのだ。
「べ、別に、感謝なんて感じてないんだからね!?」
ワルサーが言った。それが、ひどく虚しい言葉に聞こえた。