今章の残りの話への橋渡し兼、箸休めの回。
ホグズミード。
ブリテンにおいて、唯一魔法族のみが住まう村。
千年以上前に〝マグル〟からの迫害により建設されたというが、その存在の奇妙さについて色々と思いを馳せずには居られない。
それは何故他に魔法族が集まる事は無かったのかという点であったり、魔法界と非魔法界が分断されたという割に魔法族は半ば寄生するようにして非魔法界の共同体の中に隠れ住んだりしなかったのかという点であったり、或いは1714年以降にホグワーツ生の遊び場と化した理由──しかも三年生以上に限定する意味──は果たして何処にあったのかという点であったり、まあ様々だ。
ただ、確かな興味を抱きはすれども、そのような場所で共に過ごす友人が居ない僕にとっては、やはりそれ以上の価値を有するものでは無かった。いずれは訪れてみたいとは思うが、同学年の人間が浮かれていた一度目は行く気にならなかった。そして二度目──この
故に何時も通りにして二度目のドラコ・マルフォイの親愛に満ちた皮肉を甘受した後の土曜日の朝は、冬季やイースター休暇に次ぐ程度には完全に解放された時間であった。
去年、一昨年と上級生が同様に外出する事は有った──とは言え、秘密の部屋が開かれて以降は制限が掛かったのだが──にも拘わらず、同学年の者達が寮内にも校内にも居ないという事実が、僕に対してホグワーツを閑散とした物のように思わせた事には多少驚いた。それは僕は僕なりに、〝ホグワーツ〟に対して親愛を抱いているという証なのかもしれない。
ただそうであっても、自分がやる事は、やはり大きくは変わらなかった。
何時も通り談話室で読書をし、気になった事が有れば図書室で調べ物をしながら時間を過ごすだけである。
知識というのは良い。得れば得る程に自らの血肉となり、力となる。
ハーマイオニー・グレンジャー程に僕は書籍
とは言え、最近は新たな
ハーマイオニー・グレンジャーが固執した半分、つまりルビウス・ハグリッドの授業改善の方は酷く順調だった。
彼には常識は無いが、その本質はやはり善良で素直なのだろう。教師としては向いていないにしても、人に対して親身に接する事が出来るという点では、スネイプ寮監よりも圧倒的に優れている。そして何より魔法生物に対する知識と熱意は本物であった。
不注意から生じる小さな失敗はしょっちゅうで有ったし、更に色々とスリザリンがちょっかいを掛けようとする事から生ずる騒動もしばしば起こりはしたが、ルビウス・ハグリッドの魔法生物を制御する能力、そして三人組を筆頭として彼を手伝おうとするグリフィンドール寮の団結力も有って、概ね問題無く進んでいたと言えた。
……ハーマイオニー・グレンジャーにも不意打ちで危険生物を持ち込んできたりする事が有るのは、まあ愛嬌の一種だろう。それでも自分の眼が届く一匹しか連れて来ないのは、彼も学んだという事だろうか。それで実験台となるのは何時もの三人組なので、僕にとってはさして問題では無かった。彼女は時折、僕の方を恨めしげに見てはいたが。
一方で、もう半分、つまりヒッポグリフ裁判の方は芳しくない。
その一番の原因は、ルビウス・ハグリッドが未だ楽観的な点に有る。
学校の理事達から非難はされ、その時には二回目の授業を台無しにする程度には沈み込んだようでは有るものの、正式な処分の通知は未だ届かず仕舞いである。そして、アルバス・ダンブルドアの保証や、最近はそれなりに授業が上手く行っている事も有ってか、彼の気分を十分に上向きにさせたようだった。
ヒッポグリフが『危険物処理委員会』に掛けられるであろうというハーマイオニー・グレンジャーの忠告──僕の言葉を半ばそのまま伝えているのだが──に対しても、「ハーマイオニー、おまえさんは心配し過ぎだ」という事らしい。
彼女自身、ルビウス・ハグリッドや他二人の言葉を聞く内に、本当にそのような残酷な真似が行われるのか段々疑わしくなってきたようであり、説得も最初に比べて熱が入らなく、というか殆ど行っていないのは伝わって来た。
ただ、彼女達はスリザリンの陰湿さを軽く見過ぎであり、ドラコ・マルフォイが寮内で何と言っているのか知らないのであり、また権力の腐敗を理解して居なかった。
彼等が信じなくなればなる程に、僕がヒッポグリフは裁判に掛けられるどころか処刑まで行くだろうという確信を強めていくのは皮肉だった。そして、どういう弁護を打ち出そうとも、それは容易く握り潰され、歪められるであろうという事も。
見通しが酷く暗くとも全く意味が無いとまだ完全に決まった訳でも無いし、出来る準備は可能な限りすべきであると言えた。
そんな状況の中、僕は何時も通り図書室で本を読みふけっていたのだが──流石に来客が有るとは思ってもみなかった。
幾らこの席が入口から奥まった場所に存在するとは言え、この閑散としている中で、既に先客が居る席に着く必要は無い。まして、僕は単なる陰険なスリザリン生では無く、ハーマイオニー・グレンジャーによればそれなりに酷い悪評が付き纏っているらしい部類のスリザリン生である。
それでも敢えて座るとすれば、やはりハーマイオニー・グレンジャー以外に存在しない筈で有るが、しかし彼女は二人の友人が居るのであり、当然ホグズミードで休暇前の最後の買い込みをしているだろうと思って居た。
だが、違った。彼女がホグズミードを訪れている部分は間違っていないだろうが、その友人の人数の予測が間違っていたらしい。何の因果か、彼はここに居た。
「……ハリー・ポッター」
「やあ」
軽い挨拶と共に、〝生き残った男の子〟は、平然と僕の前へと座った。
彼から好意的な、ないしは気軽な対応をされる理由というのは無い。
僕からすれば、ほぼ丸一年ぶりか。ハーマイオニー・グレンジャーが医務室送りになった為にメモを渡すという体裁で、彼からバジリスクの確証をまんまと得た時以来の事で有る。無論、授業で顔を合わせたりはするが、会話する事も無いし、そもそも近付かない。ドラコ・マルフォイが僕を嗾けるような機会を与えたくも無いからだ。
強いて言うならば、アルバス・ダンブルドア繋がりなのかもしれない。
一昨年はどうだか知らないが、去年ハリー・ポッターは僕の事を気にしていたという。その際に、何かを吹き込んでいても可笑しくない。全くもって、あの老人はロクな事をしない。
「君も前回からホグズミードに行って居なかったというのを聞いてさ。もしかしたら図書室に居るんじゃないかと思ったら、案の定だったよ」
どうやらこの英雄殿は、わざわざ僕を探していたらしい。
そして、手元に本を持ってきて会話を隠蔽するというような殊勝な真似をする気は無いようである。マダム・ピンスの縄張りで平然とそれを行うその姿は、いっそ堂々としていた。
「……君はこうしてスリザリンの人間と喋っていて良いのか?」
僕の揶揄に、ハリー・ポッターは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「殆どの人間がクリスマス前のホグズミードを楽しんでいるんだから、僕等を見咎める人間なんてまず居ないだろう? それに見咎めた所で、他ならぬ僕がスリザリンと〝楽しく〟会話しているとも思わないし、好き勝手に解釈してくれるさ」
その言葉は傲慢とも取れるが、しかし彼としては当然の事を語る口振りだった。そしてそれ以上に、注目され続けて来た者の重みが有った。
〝生き残った男の子〟という属性に加え、一昨年の賢者の石、去年のバジリスク。僕の比にならない位に好意的な評価と、それ以上の悪評を受けて来たのだろう。
ギルデロイ・ロックハートのように目立つ事を楽しむタイプならば違ったのだろうが、明らかに彼はそのような類の人間では無かった。その事に飽き飽きし、皮肉を飛ばさずには居られないのだろう。自分がどう在ろうとも、人は勝手に噂をするのだという事を。
「……それで。何故君がここに居る? 当然の事ながら、僕は君がハーマイオニー・グレンジャーやロナルド・ウィーズリーと共にホグズミードに行っているものだと思ったが」
手元の本に再度視線を落としつつ、僕は問い掛ける。
『君も』という言葉から何と無く想像が付いたが、返ってきた答えは案の定だった。
「保護者からの許可が貰えなかったんだよ。それを貰う為に頑張りはしたんだけど、マグルを怒らせちゃって、というか、あー……僕が少しばかり癇癪を起しちゃってさ。それで、マクゴナガル教授も許してくれなかったから、僕はホグズミードに行けないって訳」
「……成程。ダーズリーとやらは随分〝生き残った男の子〟を手酷く扱っているらしい」
ハリー・ポッターが相応に我慢強いのは、僕と会話している事からも明らかである。それを怒らせるとは、余程の事を言われたのだろう。というか、たかが保護者のサインを貰う為に頑張るという時点で色々察する物がある。
正直言って、その虐待行為を魔法界全体に暴露するだけであの老人の権威を失墜させるには十分な気がするが、ただまあ、流石にハリー・ポッター自身が望みはしないだろう。そして、あの老人が〝我が子〟をそのような状況に置いているという事は、相応の理由が有るのだろう。
納得と共に言った僕に、しかし彼は不思議そうな表情を見せた。
「えっと、僕がダーズリーと暮らしてるって、ハーマイオニーから聞いたのかな」
「いや、君から聞いた筈だ。二年前だったか」
「……まあ、そうだよね。去年はそんな事話す暇は無かったし。言ったような気はしないでもないけど、流石に覚えていないな」
彼にとって自分が言ったかどうかは然して関心事でも無かったのだろう。気を取り直したように、彼は僕に対して質問を飛ばしてきた。
「君もホグズミードに行ってないという事は、やっぱりサインを貰えなかったの?」
……ただ、その選択が絶望的に駄目だった。
「……考えてみてくれ。僕が、共にホグズミードに行くような友人が居ると思うか?」
「あー、ええと。その、ごめん」
軽く溜息を吐く。
もう二年強そのような状況が続いているのだから、状況は受け容れている。けれども、自らの口で言いたい事実では無かった。
とは言うものの──僕が誰かと一緒にホグズミードで楽しく過ごしている光景というのは、僕自身、全くもって想像出来なかった。たとえそれがハーマイオニー・グレンジャーで有っても、だ。
入学当時はもう少し想像出来ていたような気がするが、それが彼女と離れてから時間が経ち過ぎた故であるのかなのかは解らない。
そんな事を思いながら少し視線を上げれば、誰かを探している様子のグリフィンドール生の姿が目に入った。赤毛で双子、となれば思い当たる存在は一名、いや二名しか居ない。
そして彼等の片割れは、ハリー・ポッターを認識した後、僕の方を見てギョッとした顔を浮かべた。こちらを指さしながら、もう一人の片割れの肩を叩けば、やはり僕の方を見てギョッとした顔を浮かべた。
何やら深刻な顔で相談し始める始末であるが、已むを得ないと言えば已むを得ないか。グリフィンドールの人間の、友人好きの性質は常軌を逸している。
「……アレは、君に用事が有るんじゃないのか?」
「あっ、ジョージとフレッドだ。どうしたんだろう」
暗にここから立ち去ったらどうだ、と言ったつもりだったが、ハリー・ポッターには通じなかったらしい。彼等が間違いなく自分を探していたらしい事を確認すると、少し待ってくれというジャスチャーを彼等に対して送っていた。
驚いた事に、この英雄はまだ僕と会話し足りないらしかった。
「……良いのか、待たせて」
赤毛の双子を視界の端に入れながら、僕は問い掛ける。
当人の制止を受けて尚、双子のどちらかはそれでも僕達に近付こうとしたのだが、もう一方が止めていた。そして、再度何事か言い合った後、一定の結論が出たらしく、彼等は僕等から離れた席に座った。会話が聞こえはしないまでも、僕等を──僕を監視し、何か有れば介入出来る程度の位置だった。
「良いよ、別に。どうせホグズミードに行けはしない分、暇は有るんだからさ。それに、ジョージとフレッドは同じ寮だから何時でも話せるよ」
ハリー・ポッターは、そう言い切る。
……別に、こちらを優先しなくても良い、というか逆に迷惑なのだが。
しかし僕の内心を敢えて無視しながら、彼は逆に僕を試すような視線を寄越した。
「それより、君こそ良いの? 僕と会話している所をグリフィンドール生に見られているけど? それとも去年の時のように突き飛ばしてみる?」
微妙に嫌味が入っているのは、理由を理解していても苛立ちはしたという事なのだろう。
「……既に見られしまったのだから、今更の話だろう。それに──」
「それに?」
「──いや、何でも無い」
去年の際に僕が一番気にしていたのは、グリフィンドール生では無く闇の帝王だった。
だが結果的にそれは同じ事であり、また正しい行いでもあったのだろう。闇の帝王に操られていたのは、ジネブラ・ウィーズリーで有ったのだから。けれども、その辺りは伝わる筈も無いし、伝えてしまえば余計に面倒な事になるのは想像が付いた。
「ただ、口止めはして欲しいがな。口実は何でも良い。僕の事を適当に悪く言ってくれれば、君が迷惑を被る事も無いだろう」
「……いいの? 彼等の事だから、その場合には君に
「……撤回しよう。出来れば穏便に取りなしてくれると助かる」
苦々し気に僕が言えば、ハリー・ポッターは声を上げて笑った。
「解ったよ。ジョージもフレッドも渋るとは思うけど、何とかやってみる」
その言葉に安堵しなかったと言えば全くの嘘になる。クソ爆弾程度で済みそうにない襲撃を受けるのは御免だった。
そして、不毛な報復合戦を仕掛ける気も無い。入学してきてから殆ど悪戯に学生生活を捧げて来た人間に敵わないのは解り切った話なのだから。
「……それで。待ち人が居る以上、速やかに君の用件を済ますべきじゃないのか」
幾らホグズミード禁止で暇だとは言っても、単なる時間潰しの為にわざわざ喋り掛けては来ないだろう。そう思って水を向けてみれば、彼は肯定を示すように軽く頷いた。
「そうだね。えーっと、まずはその、君はハグリッドの為に色々としてくれてるんだろう? まずは、その礼を言っておかなきゃならないと思って」
「……律儀な事だ。別に大した事をした訳では無いし、授業の評判が良くなったのはルビウス・ハグリッド自身の努力の賜物だろう。ギルデロイ・ロックハートの授業が一年間台無しのままだったように、変えようと思わなければ何も変わらない」
そもそも、君達の為に僕は動いている訳では無い。そのような想いと共に言えば、彼は解っているというように苦笑を深めた。
「君はそう言うと思ってた。でも、ハーマイオニーからは君が言い出したのが始まりだって聞いてるし、ハグリッドが少しでも授業をマシにしようと思ってくれたのは良い事だよ。……まあ、思い出したように〝おもしれえ〟生き物を持ってくるのは辞めて欲しいけどね」
その表情を見る限り、たとえ友人関係でも彼の趣味に着いていけない部分は有るらしい。
「後、君はマルフォイを怪我させた事で、バックビークが処刑されちゃうって考えたみたいだけど」
「……別段、信じられないならば構わないが。現時点では不確かである事に変わりない」
「いや、そうは言わないけどさ。ただ、ハグリッドはダンブルドア校長がやるだけの事をやってくれたって言ってるし、ハーマイオニーも最近その事を全く話題に出さなくなったから逆に心配になっちゃって」
「……大概難儀だな、君も」
耳に痛い忠告は聞きたくなくても、無いなら無いで不安になるらしい。或る意味でハーマイオニー・グレンジャーの友人ならではの感覚だった。
「……まあ、そろそろ結果は出るだろう。あの一件からもう三か月だ。処分を決める時間としては十分だろうから、休暇前までか、或いは年明け最初には通知が来ても可笑しくない。君達がどうするかはそれからでも良いんじゃないか」
正確には、ドラコ・マルフォイからそろそろだという事を聞いたのだが、それは言う必要も無い。そして、数日程度の努力で何かが変わる訳でも無いだろう。
そんな僕の無意味な耳障りの良い言葉は、彼を一応納得させるには十分だったらしい。もっとも、僕が助かるとは一言も告げてない事には気付いているのだろう。少しばかり不安な様子を見せながらも、彼は頷いた。
「それが良いかもね。ハグリッドにもまた聞いてみるよ」
それでさ、と彼は続けた。
ルビウス・ハグリッドの話題はあくまで前座なのだろう。そして、それが終わった以上、本題に入るに違いなかった。
「ハーマイオニーが何をやっているか知ってる?」
「……何を、と言われても困るが」
僕の困惑の返答に、彼は考え考え説明を付け加えた。
「えっとね、ハーマイオニーは去年全部の選択科目を登録しててさ。それで、今年はどうするのかと思ってたんだけど、どうも同じ時間に行われている筈の授業を受けてるみたいなんだ。皆の話を聞く限り、全ての授業に皆勤みたいだし」
「……待て。まず、彼女は全ての選択科目を登録したのか」
「? あれ、もしかしてそれ自体知らない?」
「今初めて知った」
彼女と勉強の話をしない訳では無い──というかそれが大半だが、さりとて何を選択したのかの確認はしていない。
その機会が有ればしたかも知れないが、去年は秘密の部屋騒ぎで忙しく、彼女は二度も医務室送りになり、全てが終わった頃には時期を逸していた。そして、三年が始まれば授業に出るのだから必然的に選択科目は解る。聞く機会がある筈も無い。
また確かに、僕が受けている魔法生物飼育学、数占い、古代ルーン文字の全てに彼女は出席している。しかし、彼女は取れる限界まで科目を取るだろうと思っていたし、彼女が好みそうな科目だとも思って居たから、不思議とまでは思わなかった。
ただ、他の選択科目も取っているとなれば話は全く違ってくる。ハリー・ポッターの言う通り、少なくとも今年は全ての授業を受けるという事は不可能の筈だった。
「……そっか。ハーマイオニーは何をしているかについて僕達にも全く喋ってくれないし。てっきり僕は、君が何かを知っていると思っていたんだけど」
「君達友人に喋らない事を、僕に喋りはしないだろう」
「そうかい? 僕には、ハーマイオニーが君に対して心を開いているように思える」
「それは僕の台詞だな。君達の方が、彼女と共に居る時間は長く、そしてまた距離も近い。僕が知る筈も無い」
事実、全ての選択科目を受けている事も言わなかっただろう。
そう告げてやれば、しかしハリー・ポッターは微妙に腑に落ちないような表情を浮かべた。……何故そのような反応をされるのかは、理解しがたい所が有った。
「まあ、良いや。それで、ハーマイオニーが何をしているか思い浮かばないかな?」
「……全く思い浮かばない訳では無いが。正直言って、授業を受けるだけならば方法論が色々有り過ぎる。『憂いの篩』というのも有るが……嗚呼、他の人間が皆勤として認識しているのならば有り得ないか」
有り得ないと切って捨てた仮説に、しかし彼は僅かに興味を持ったようだった。
「その『憂いの篩』って?」
「ホグワーツがこの場所に建てられる要因となったらしい魔法具だ。ざっくり言ってしまえば、他人の過去の記憶を、まるでその場に居るように見る事が出来る。『ホグワーツの歴史』でも見れば最初の方に書いてある筈だ」
「あんなクソ鈍器をクソ真面目に読んだ人間がハーマイオニー以外に居るとは思わなかったけど。へえ、そんな不思議な道具が有るなんて。一度見てみたい──」
ハリー・ポッターは、何かに思い当たったかのようにそこで言葉を切った。
「……それは良いとして。やっぱり、君でもハーマイオニーが何をやってるか思いつかない?」
「そのようだ。それなりに有力な仮説すら思い浮かばない」
「……いや、別に構わないよ。知らなかった以上、駄目で元々みたいなものだし」
ハリー・ポッターは少し落胆した様子を見せるが、それは諦めて貰うしか無かった。
正確には、同じ人間が同時に二か所に存在すると聞いてまず逆転時計を思い浮かべた。
けれども、逆転時計の実物を見た事が無いから何とも言えない部分が有るが、典型的な時間旅行の鉄則は、基本的に〝誰からも見られてはならない〟である。
それでも個人として認識されない程度ならばギリギリ許容範囲だろうが、さりとてハーマイオニー・グレンジャーとして授業を受けるともなれば話は変わってくる。
ホグワーツの同学年、いやグリフィンドールの同学年ですら四十名前後の生徒が居るだろう。それらの証言を結集すれば、彼女が同じ時間に行われている別の授業に皆勤である事に、気付かない者が出ない筈が無い。
現実として、ハリー・ポッター達はそれに気付き、可笑しいと考えてしまっている。そして先の鉄則からすれば、その時点で禁忌を犯しているようにしか思えない。
本物の逆転時計には何か例外的な規則が有るのか、或いは何等かの手段を併用しているのか。ただ、そのような話を持ち出してしまえば、最早何でも有りになってしまう。推測どころか勘とすら言えまい。
……しかし、ここに来てもまだ、ハリー・ポッターは立ち去ろうとしなかった。
待たされているウィーズリーの双子が微妙に焦れているのが見えるが、彼にとっては問題ないのだろうか。
ただ、僕としては、彼等からの敵意が一応薄れてきているらしいのは良い事だった。ハリー・ポッターと僕が平和に会話を続けている所から、少なくとも彼を護る為に悪戯をする必要は無いと判断してくれたらしい。
「後、もう一つ聞きたい事が有るんだけど」
「……好きにしてくれ」
完全に投げやりに返答した僕に、彼は問うた。
「──君のまね妖怪は、ハーマイオニーの死体に変わったのかい?」
抉るような言葉に、反射的に顔を上げてしまっていた。
ハリー・ポッターと視線が合う。彼の碧の瞳は、その深い色彩の裏に読みがたい感情を隠したままに、真っ直ぐこちらを見つめている。
彼に冗談を言っている気配は全く無かった。真剣に、素面のままに、僕のまね妖怪がそうなった可能性を考えているようだった。
そして、僕は勘違いしていた。
ルビウス・ハグリッドの事についてでも、ハーマイオニー・グレンジャーの事についてもそれらのいずれもがハリー・ポッターにとって前座だった。彼にとって他ならぬこれこそが本題なのだと、今更に気付かされたのだった。
先程までと違い、僕は完全に手元の本から視線を上げていた。
最早集中出来る気がしなかったし、彼の言葉と真剣に向き合う必要性を感じて居た。それを知ってか知らずか、ハリー・ポッターは僕の態度に大きな動揺を見せる事無く、僕の瞳を捉えたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「まね妖怪の授業は広く話題になった。余り大っぴらに話される内容じゃないけど、それでも誰が何に変わったというのは、ある程度話になった。それは、他と余り交流しないスリザリンについてですらそうだ」
「…………」
「でも、君のまね妖怪が何に変わったかはまるで聞こえて来ない。僕のように向き合わなかったというなら解るよ。でも、君の番は確かに有ったという話は聞こえてくるのに、何に変わったかという事だけが聞こえて来ない」
ハーマイオニー・グレンジャーに、僕の悪評について問われた。
そして、心当たりが無い筈もなかった。全てのスリザリンが僕のまね妖怪について口を開きたくないと感じ、さりとて完全に口を噤む事までは出来ないとなれば当然の話だった。まして変化した物を思えば、現在のスリザリンの中で最も邪悪だと噂されるのは不可避だと言えた。
「僕のまね妖怪は、吸魂鬼になる」
「……何だ、藪から棒に」
「いや、だってフェアじゃないだろう? 一方的に自分の恐怖の内容を知られているなんて。だから、僕の方も予め言っておこうかと思ったんだ。まあ授業の中で向かい合った訳でも無いから、恐らくの話では有るんだけど」
その立派過ぎる騎士道精神に、深く嘆息する。
彼は真っ直ぐだった。二年前と同じように。〝異常〟なまでに。
無論、ひねくれた見方も出来る。隠す必要のない些事を、さも重要な事のように語って相手の言葉を引き出す話術。それが用いられる事は世間において珍しくも無い。
しかし、今のハリー・ポッターに、そのような意図が無い事は伝わって来た。皮肉な事に、あの老人による講義は、そのような副作用まで存在するようだった。
故に、僕が誤魔化すという選択肢は、初めから無かった。
……嗚呼、それに気付くようになったのは最近だった。
すなわち、この手の人間に対して、僕はどうして良いか解らなくなるという事に。
あの老人や、或いは寮監の方が僕にとっては余程付き合いやすかった。彼等には誤魔化しをしようが、騙し討ちをしようが何ら良心が痛まなくて済む。平気で心を偽り、言葉を紡ぐ事が出来てしまう。それは、恐らく僕が育つ上で学んだ話法に最も近いからだろう。
しかし、彼等のような人種相手は違った。
正直、つい最近までハーマイオニー・グレンジャーだけが特別だと思っていた。彼女以外の人間に対し、心を開いて会話を交わすというような事は殆ど存在しないのだから。
けれども、今こうしてそれを実感しているように、それは多少正確では無いのだろう。彼女が最も特別であるのは疑いようがないが、それでも彼女に対する同種の物を、僕はハリー・ポッターに対しても覚えている事を否定は出来なかった。
それが僕にとって良い事なのかは、やはり解らないが。
ただ――
「……君の誤解が何処から来たか知らないが、残念ながらそうでは無い。僕のまね妖怪は、そのような物に変わらなかった。君の予測は外れだ」
――今回においては、誤魔化す以前の問題だった。
そもそもそれは決定的に間違っているのだから。
「……えっと、違うの?」
僕の言葉が余程予想外だったのだろう。
ハリー・ポッターの反応は、驚愕というよりも失望しているようにすら見えた。
「ルーピン教授は、君の時は失敗だったと言っていたんだ。だからてっきり僕は、君の時にハーマイオニーの死体が出て来た物だと考えたんだけど」
「……君とリーマス・ルーピン教授は随分と親しいんだな」
「ああっと、教授の事を責めないでね? 僕が吸魂鬼への対策について相談に行った時、恐怖の話になったんだ。具体的にはその──」
ハリー・ポッターは僅かに言い淀み、けれども振り切るように告げた。
「──吸魂鬼に近付くと、僕はヴォルデモートが襲撃した時の事を想い出してしまうんだ」
言葉を濁したものの、それが両親の死の状況について言っているのは明白だった。
「それで、ヴォルデモートからまね妖怪の事を連想して、教授に死体に変わる事が有るかと聞いたら有ると答えてくれた。僕がそれを言い出したから、教授はやはり三年生にはまね妖怪は刺激が大きかったのかもしれないと苦笑して、ポロっと君の名前を出したんだ」
「……成程、その流れでは誤解するのも無理は無いな」
ただ、ハリー・ポッターはそれ以前から、僕のボガートについてそうでは無いかと予測していたのかも知れない。僕はそのような素振りを見せた事は無い筈と思っているが、彼なりの根拠を持ち合わせて居るのだろう。
そしてまた、大失敗例として僕の名前を漏らした教授を責める気にもならない。勿論、教授はまね妖怪を授業に用いるに際し、予めそれなりのリスクについて考えては居ただろうが、それでもスリザリン内でああいう形で現れてしまったのは、痛恨事では有ったに違いない。
「しかし、誤解が真っ当でも、間違いは間違いだ。リーマス・ルーピン教授は、そのような意味で、失敗だと漏らした訳では無い」
それは嘘では無かった。
僕の恐怖と問われて、ハーマイオニー・グレンジャーの死体を一瞬思い浮かべたのは事実であった。けれども、僕のまね妖怪はそれに変わってくれなかった。
誤魔化されているとでも思っているのか、探るような視線の彼に僕は告げる。
「少し想像してみてくれ。スリザリン生のまね妖怪がマグル生まれの魔女の死体になる。その際、どんな事態になると考える?」
「……えっと、大騒動? オマケにスキャンダルとして話題になる?」
「ならば聞くが、実際にそれが起きたか?」
「……いや。僕が君のまね妖怪が何に変化したのか知らないように、そうはならなかった。色々、それっぽい噂が無い事は無いけど。スリザリンは堅く口を噤んでる」
「そういう事だ。ハーマイオニー・グレンジャーの死体では無い。それは絶対だ」
少し迷っていたようだが、ハリー・ポッターは頷いた。
僕が嘘を吐いていないのは勿論だが、彼にとっても正当性を認められる理屈であったらしい。
「じゃあ何だい? まさかヴォルデモート卿という訳でも無いだろう? 死喰い人の子供や、或いは僕と違って、君は実際に会った事が無い筈だし」
「無論、違う。その人間が全く想像も付かない人物に変化出来る程、ボガードは融通が利くような生物ではないからな」
出会った事が無い存在で無ければならないという制限は無い。仮にそれが必要であれば、ミイラやらバンシー、見た事も無い死体が出て来る事は無いだろう。
さりとて、想像出来ない程に現実味が無いのであれば、そもそも恐怖足り得ない。
「その前にだ。僕のまね妖怪が何に変わったかについて、君に対して答えたくない訳ではない。別に隠す事でも無いからな。しかし、君に対して、少しばかり質問をさせてくれ。……嗚呼、君のまね妖怪について掘り下げたい訳ではないし、大した話でも無い」
微妙に警戒する様子を見せたハリー・ポッターに、予め念押しをして続ける。
実際、大した話でも無い。別に聞かなくても良いのだが、僕のまね妖怪の内容について話せば彼はすぐさまここを立ち去るだろう。それは僕にとって好都合でもあるが、さりとて、ここまで一方的に長々と喋らされて、情報だけ取られて帰られるというのは癪だった。
要するに、ハリー・ポッターへの嫌がらせに近かった。
……もっとも、僕はその行いをすぐさま後悔する事になるのだが。
「君はリーマス・ルーピン教授から守護霊の呪文の個人講義を受けようとしているようだが、そこまで君は教授と仲が良いのか?」
かの教授についてそれなりの事を知り、そして幾何かの推測も付けている。
無論の事確証は無いが、それについて少しばかりの確信を抱くにはハリー・ポッターからの話は良い材料となるだろう。そんな思いと共に僕は問う。
けれども、彼は何の事か解らないというように、きょとんとした反応を見せた。
しかも、僕にとって全く予想を超えた言葉と共に。
「えっと、その、守護霊? 何だい、それ? 初めて聞くんだけど」
「……本気で待ってくれ。君は、それを教わりに教授の下に行ったんじゃないのか」
「さあ? 吸魂鬼が今度現れた時にどうすれば良いかを相談に行って、学期が明けてから個人的に教えて貰う事を約束したのは確かだけど。内容までは聞いてない」
「他に吸魂鬼を退ける方法が有るのか……?」
吸魂鬼を退ける事が出来るのは、僕が知る限り真の守護霊のみの筈だった。
逆にそれ以外の方法、それもホグワーツ三年生が使えるような、より簡単な手段が有れば、アズカバンはとうの昔に破られているだろう。あの呪文が吸魂鬼に大きな影響を与え、そして何より派手に目立つという点も、アズカバンが脱獄不可能だった一因に違いないからだ。
無論、闇の魔術への親和性を高め、吸魂鬼に耐性を付けるというのであれば話は別だが、流石に〝生き残った男の子〟にその手段は用いないだろう。そもそもあの老人が許すまい。
「まあ、君がそれ以外に有り得ないって言うのなら、ルーピン教授も僕にそれを教えてくれるんじゃないのかな。
──それで、守護霊の呪文って何?」
「……今は僕が質問している場合だったと思うんだが」
「良いじゃないか。その口振りでは、知らない訳では無いんだろう?」
「……僕は何でも答えてくれるハーマイオニー・グレンジャーでは無いんだがな」
まね妖怪についての回答を後回しにされて多少気分を害していたのは何処へやら。
彼は自分が教わるかも知れない魔法について興味津々のようだった。僕がこれ見よがしに嫌な顔をしても、全く堪えた様子も無かった。
「……一応リーマス・ルーピン教授が教えるのを躊躇する気が解らないでもない。守護霊の呪文の難易度はO.W.Lレベルを超える。普通のホグワーツ三年生が手を出す呪文では無い」
「……そんなのを僕は覚えさせられるの?」
「別に君が差し迫って必要としないのであれば話は別だが。けれども、君は吸魂鬼に対抗する術、それも有効で適切な手段が緊急で必要な訳だろう?」
そう問い掛ければ、ハリー・ポッターは覚悟を決めた顔で頷く。
彼の脳裏に過っているのは、吸魂鬼の影響で箒から落ちた瞬間の筈だった。
「守護霊の呪文と言うのは、最も幸福な記憶を現実に投影、具現化する物だ。その名の通り、吸魂鬼が齎す絶望や憂鬱から君を守り、真の守護霊の呪文は呪文行使者を守るのみならず祓って見せるという。消滅まではさせられないようだが、対吸魂鬼という点においてはこれ以上に強力な護りは有り得ないと言っていい」
僕の断言に、彼は難易度以上に魅力を感じたようだった。
「それで、何かその呪文にコツは有るの?」
「使えもしない僕に聞くのは論外だと思うが、必要な物は知っている。幸福な記憶だ。寧ろ、それを必要とする事こそがこの呪文の核と言える。そして恐らく、それが一番難しい」
「……へえ? 最も幸福な記憶、ね」
少しばかり、ハリー・ポッターは考え込む。
「想像でも構わない。君にとって、最も幸福な記憶のイメージは何だ?」
「そうだな……。例えば、ダーズリー家に二度と帰らなくて済むとか? 後は、クィディッチで優勝したまさにその瞬間とか?」
「後者は同時に僕の最悪の記憶にもなりそうだが──」
そう言った僕に、ハリー・ポッターはニヤリと笑った。
その事に関しては、彼は二年前を覚えているようだった。
「──真の守護霊の呪文は、僕としてはそう言った物で生み出されるような物では無いと思う。いや、幸福な記憶を必要とする事自体を否定はしない。しかし、その核というべきか。それを構築するべき物は、一概に言葉では言い表せない何かであると思う」
「……えーっと。意味が解らないんだけど」
「僕としても抽象的な事を言っているのは解っている」
言葉通りの感情を表情で示した彼に、僕は続けた。
「つまり、君が例として挙げた記憶。それは君にとって〝最も〟幸福な記憶であると言えるか。これより先、人生においてそれ以上の事が有り得ないと思うか?」
「……それは、将来的な仮定の話になるけど。流石に人生を通してみたら、それ以上に幸せな事は有るんじゃないかな」
「そういう事だ。であれば、〝最も〟では無い」
だからこそ、守護霊の呪文は難しいのだろう。
そもそもの成り立ちが、余りにも曖昧過ぎるのだから。
「吸魂鬼は人間の幸福を貪り、平和と希望を奪い、絶望と憂鬱を撒き散らす。しかし、ならば何故、最も幸福な記憶によって生み出される呪文によって追い払う事が出来る? 幸福とは吸魂鬼にとって、極上の餌では無かったのか?」
幸福な記憶だけで吸魂鬼を追い払えるのならば、それを自分の頭の中で思い浮かべていれば、守護霊の呪文は必要無い筈である。
しかし、それで耐えられた魔法使いが居るとは聞いた事は無いし、アズカバンで餌場扱いされているのが現実だ。寧ろ逆に、一般的な幸福の概念とは掛け離れている筈の闇の魔法使いの方が、吸魂鬼に親和性を有する始末である。
「守護霊の呪文が有効なのは、それが絶望を感じ取れないからであると一般に説明される。しかしそれは吸魂鬼が守護霊を傷付けられない理屈にはなれど、守護霊が吸魂鬼に有効な理屈にはならない」
繰り返すが、吸魂鬼は幸福を啜る生物だ。
故に、プラスのエネルギーがマイナスのエネルギーを打ち消すという単純な話には繋がり難い。
「そして、絶望を感じないで済むが故に有効ならば、最も幸福な記憶を核とする必然性は有るのだろうか? 単に嬉しいとか楽しいという激しい感情では駄目なのだろうか? 何より守護霊は使う者によって別々の姿を形作るのだが、何故その者の本質を表しているとも取れる姿を、自然に形作る特性を有する?」
調べてみれば、守護霊の成り立ちは酷く古い。アズカバンの建設すら最近と言える程だ。
そのような護りには、魔法の最奥を必要するのではないだろうか。すなわち、理屈や理論を超えた、人が人として在るべき根幹を。
「……何となく君の言わんとした事は解ったけど。でもさ、君の理屈じゃ、最も幸福な記憶なんて存在しない事になる。そもそも、幸福って、その量を比較出来る物なのかな」
「良い指摘だ。そして、僕はそこにこそ、守護霊の呪文の神髄が有ると思う」
実体の有る守護霊を生み出せる魔法使いは、魔法省やウィゼンガモットの高官として選ばれる事が出来るという〝迷信〟が蔓延っている。
しかし、その割には守護霊の呪文は、O.W.Lレベルを遥かに超える──つまり、N.E.W.Tレベルを遥かに超える、では無い──魔法としか扱われていない。それは、魔法族が時代の進展によりそれだけ進歩したという意味か、それとも何かを誤っているのか。
「君は非魔法界で育ったのだから、
腕組みして深く考え込み出したハリー・ポッターに、僕は言葉を付け加える。
「……あくまで僕の勝手な私見だ。言った通り、僕は守護霊を使えないし、リーマス・ルーピン教授が君に対してどうやって教えるか解らない。話半分、いやそれ以下の戯言として受け止めてくれればそれで良い」
「うーん。まあ、解ったよ。ハーマイオニーやルーピン教授にも聞いてみる」
その言葉の内容の割には、僕の適当な推論には彼なりに何か感じる所が有ったらしい。返答も何処か上の空で、寧ろ同意しかねる気配すら有った。
それは良いのだが、本筋から大幅に逸れ過ぎている。
「……それで、話を元に戻して良いか?」
呆れと共に問えば、彼は少しばかり現実に戻ってきたようだった。
「ええと、何だっけ。……嗚呼、ルーピン教授と僕の仲が良いか、だっけか。良く解らないけど、悪くは無いと思う。二回相談に乗って貰ったかな。一回目は、ルーピン教授が僕をまね妖怪に向き合わせなかった理由について」
「闇の帝王が出るかと思ったんだろうな。君の言葉によれば、それは間違いらしいが。そして、二回目は、守護霊──と決まった訳では無いが、吸魂鬼の対策についての個人授業の件か」
「当たり。そう言えば、吸魂鬼が近付いた時の事について僕が語った時、何かルーピン教授には思う所が有るみたいだったな。僕の勘違いかも知れないけど」
そう言う割には何処か確信めいた響きと共に、彼は付け加えた。
その内容はやはり意図的にぼやかされているが、それでも想像は付く。ハリー・ポッターにしても、僕にはその程度で通じると思ったからこそ、その表現に留めたに違い無かった。
「一応確認するが、その個人授業はそれなりに長く続きそうか?」
「だと思うよ。病気のせいで教授が忙しいというのも有ったけど、簡単に解決するんなら、冬休み前にさっさと講義をやってくれてたんじゃないかな」
それに、守護霊の呪文が難しいと言ったのは君だろう、とハリー・ポッターは言った。
そこまでを聞いて、僕は深く溜息を吐いた。
別に彼のその言葉に対して苛立ちを覚えた訳では無い。苛立ちを覚えるとすれば、この程度の事を彼から聞き出すまでに、圧倒的に回り道をさせられた事についてだ。
やっぱり、彼とは相性が悪いし、好きになれそうも無い。何事ももっと速やかに話を進めて欲しかった。
けれども、少なくとも今回はもう十分だった。
「僕からの質問は終わりだ。故に、約束をした以上、今度は君の質問に答えよう」
リーマス・ルーピン教授について、これ以上理解する必要も無い。
正確を期すならアルバス・ダンブルドアに確認すべきだし、更に言えば個人授業についても伝えるのが万全だが、ハリー・ポッターにそこまでする義理は無い。そして別に心配せずとも、リーマス・ルーピン教授はその辺りの事は上手く調整するだろう。真に悪意を持っているのであれば、学期が明けるまで待たず迅速に済ませる方が良いのだから。
しかし僕の決断とは裏腹に、彼は不思議そうに首を傾げた。
「……質問に答えるって、他に何か有ったっけ?」
「……僕のまね妖怪の事だ。別に必要無いなら良いが」
「ま、待って。冗談だよ。知りたい、知りたいと思ってる。ハーマイオニーも『他人の恐怖が何だったかなんて無神経に聞く物じゃないでしょ』って訳知り顔で言ってはいたけど、僕から見れば自分でも信じ切れてない位に未練たらたらな位だ」
酷い誇張が含まれてそうな慌てて付け加えられた情報は不要だ。そんな小細工をする位ならば、まず完全に忘れる事を辞めて欲しい。何故なら僕が完全な馬鹿みたいだからだ。
ただ、彼にとってはハーマイオニー・グレンジャーが関わるかも知れないから気にしただけで、それ以上に重要事で無いのは事実だったのかもしれない。寧ろ、箒から彼を叩き落とした吸魂鬼に対抗する為の手段の方が余程の関心事であり、その事で他が丸ごと頭から吹っ飛ばされたとしても当然の成り行きだったと考えるべきだろうか。
何より、ハリー・ポッターが忘れている事はもう一つ有った。
「彼等は随分と待ちくたびれたようだがな」
「えっ? あ……!」
僕の視線を彼が追えば、言わんとする事に気付いたのだろう。
こちらを観察し続けていた赤毛の双子はニッコリと満面の笑みを浮かべながら、まるで鏡写しのようにハリー・ポッターに対して手を振っていた。
正直言って、中々に迫力がある。幾ら親友の兄とは言え、同じ寮の上級生の存在を完全に忘れ去って話し込むのは豪胆だった。彼等の下に行けば、間違いなくシメられるだろう。そして僕の知った事では無い。彼だけがグリフィンドールで、僕はスリザリンなのだから。
「まあ、僕との会話内容を適当に知らせる事だ。僕のまね妖怪についても、別に隠す事じゃない。ただ、君が知らせるべきかどうかは判断に任せるが。あの双子ならば、逆に吹聴しない気もするが……正直どちらでも良いんだ。最早取返しの付かない程度に悪評が広まっているらしいからな」
微妙に顔が蒼白となっている彼に、僕は告げた。
「アルバス・ダンブルドア」
「……え?」
跳ねるように、ハリー・ポッターはこちらを見た。
一瞬で顔の色は元に戻っていた。しかし、その碧の瞳の内には、困惑と、混乱と、それ以上に得体の知れない物を見るような色が有った。
その彼に対して、僕は再度答えを刻むように言った。
「アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。激情を振り切った無表情のまま、蒼の瞳を殺意で冷ややかに燃やし、空間を捻じ曲げんばかりにその全身から魔法力を撒き散らす超越者。それが僕へと杖を向けている姿に、僕の
言葉で表せば、それだけでしかない。
そして、怒れるアルバス・ダンブルドアというのは、今学期、全校生徒が一応見る機会が存在した。すなわち、吸魂鬼が学校に入り込んだ──というより、ハリー・ポッターが箒から墜落した瞬間の事である。ただ、それを経ても、スリザリンは口を開けなかった。
あれは距離が近くはなかった。自分達にその感情を向けられては居なかった。
何より、自分の存在の全てを賭して尚、眼前の存在を滅ぼしてみせるのだという絶対の覚悟という物が存在しなかった。
けれども、あの場に顕現したまね妖怪にはそれらの全てが有った。
そして恐らく、あの場に居たスリザリンは、一瞬ではあっても確かに思ってしまったのだ。
アルバス・ダンブルドアこそが今世紀で最も偉大な魔法使いであり、絶対に敵に回してはならない存在なのだと。邪悪を極めた筈の闇の帝王は、しかし生い先短い老人の力を到底凌ぐ物では無く、故に自分達は彼の陣営へと速やかに寝返るべきでは無いのかと。
そのような裏切りの想いを、ボガートが創り出した偽物に対してすら抱いてしまった。
故に、誰もが口を閉ざした。
語る事を拒み、しかし全てを秘密にする事が出来なかった。それが、真相だった。
・ハグリッドの授業
スクリュートのインパクトや、ルーナの「辞めたらあたしはうれしいけど」「あんまりいい先生じゃないもン」という発言及びそれにハーマイオニーが咄嗟に反論しなかった事(五巻・第十一章)のイメージが強いが、何時も失敗している訳では無い。
三巻においても火トカゲを用いて生徒を楽しませるなど普通に成功した授業も存在する(三巻・第十二章)。但し、その際に「その日はめずらしく楽しい授業になった」と描写されている辺りが何とも言えない。
・まね妖怪
ルーピンのまね妖怪が満月そのものになれない(ルーピンはそれを見て変身しない)ように、その変身の効力は無限では無いらしい。
また、ニュート・スキャマンダーが典型であり、ルーピンも同様だが、まね妖怪が写し出す物が恐怖そのもので有っても、まね妖怪を視認する事自体が必ず恐怖を喚起させる物でも無いようである。
その一方で、ハリーやモリー・ウィーズリー、或いはリタ・レストレンジのように、その者にとってクリティカルな恐怖が現れる場合も劇中では少なくない。
・逆転時計
当該アイテムにつき、J・K・ローリング氏は『I had Hermione give back the only Time-Turner ever to enter Hogwarts.』と言及している。
もっとも、これは今後(四巻以降)のプロットを破壊しかねないタイムトラベルという危険物の始末法を述べる文脈で述べたものであり、慎重に受け取るべきかもしれない。
・原作における守護霊のシーン等
「父さん、どこなの? 早く――」
しかし、誰も現れない。ハリーは顔を上げて、向こう岸の吸魂鬼の輪を見た。一人がフードを脱いだ。救い主が現れるならいまだ――なのに、今回は誰も来ていない――。
ハリーはハッとした――わかった。父さんを見たんじゃない――自分自身を見たんだ――。
ハリーは茂みの陰から飛び出し、杖を取り出した。
「エクスペクト! パトローナム!」ハリーは叫んだ。
(三巻・第二十一章より引用)
「愛する人が死んだ時、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にある時、いつにも増して鮮明に、その人たちのことを思い出しはせんかね? 君の父君は、君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君が本当に父親を必要とする時に、もっともはっきりとその姿を現すのじゃ。そうでなければ、どうして君が、あの守護霊を創り出すことができたじゃろう? プロングスは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ」
(アルバス・ダンブルドア。三巻・第二十二章)