第八巻の『呪いの子』についての直接的なネタバレはしないつもりですが、公式的に今学年が一つの分岐路である以上、その要素が多少は含まれます(読んでいなければ楽しめない要素を含ませるつもりは有りません)。
ホグワーツ特急内において、珍しくドラコ・マルフォイが僕に接触して来た。
一体何の用かと思えば、何という事は無い。自分が得た情報について自慢したかったらしい。僕に対して思わせぶりな態度を一貫して取り続けた物だから、適度に彼の自尊心をくすぐってやれば、今学年においてホグワーツで行われる大イベントについて語ってくれた。
三大魔法学校対抗試合。
国際魔法協力部と、魔法ゲーム・スポーツ部の協力により、今年それを復活させるらしい。
内容について左程詳しい訳では無いが、『ホグワーツの歴史』によれば、確か死人が続出した事によって二百年程前に中止となった催事だったという記憶が有る。
彼は目立ちたがり屋のポッターや貧乏人のウィーズリーはエントリーするかもしれない、とか愉しげに言って居たが、その事を教えてやると微妙にビビっていた。その口振りからすれば、彼もまた内心ではエントリーしたいと思っていたのかも知れない。
しかし、逆に彼等が事故死を迎えてくれるのは都合が良いと思い直したらしく、上機嫌に戻ったのは流石だったが。
ただ、アルバス・ダンブルドアも無茶をするものだ。
闇の帝王の召使いが逃げ出した、或いは闇の印が打ち上げられたから行うという訳でも無いだろうが、そのような事が念頭に有るのはまず間違いない。あの老人が、過去に死人を続出させ続けたような催し物を、何の打算も無く好んで復活させようとする筈も無いからだ。逆に国際協力や連携に少しでも興味が有れば、長い校長人生の間にさっさと復活させている。
何にせよあの老人は、闇の時代が訪れる前に、国際的な親交を深める事が必須だと考えたのだろう。規模が規模である以上相応な準備が必要であろうから、賢者の石の騒動辺りからでも目論んでいたのだろうか。費やす心労と労力を考えれば、本当に良くやるものだ。
別にその事が無駄だとは言わない。
しかし、闇の帝王がゲラート・グリンデルバルドと違う事は意識しておくべきだろう。
グレートブリテンにおいて
けれども、闇の帝王は、基本的にグレートブリテンこそを主戦場とし、その魔法界に君臨する事に拘ってきた。外に打って出る前に失墜したかは兎も角、結果的に海外では大々的に活動せず、今世紀で最も偉大な魔法使いに対する挑戦こそを戦争の一つの主題として来た。
それは両者が夢見る革命の帰結の違いに基づく物であり、何れが優れているという訳でも無いが、自身の権力確立という点のみを見据えた場合、闇の帝王の方がより戦略的と言える。
姿現しや移動鍵が有るとはいえ、大陸と島国は距離が有る。思想的にも、親交的にも。それは、外部が〝正義の侵略戦争〟に踏み切る事を躊躇させる事だろう。
そして何より、魔法界には
非魔法界が数年前まで資本主義と共産主義で対立していたような、国や世界丸ごとを覆う共通認識に基づく熱量というのが、魔法界には無い。
強いて言うならば国際機密保持法──それを取り巻く魔法族と非魔法族の関係における現状維持だけである。それ以外は各国の、否、一つの国内ですら、魔法族達は全く別の方向を向いてしまっている。
故にそれは、明確に国際機密保持法を破壊しようと革命を巻き起こしたゲラート・グリンデルバルドを敗北にこそ追いやったが、個人的な独裁制の確立の為に戦争を引き起こした闇の帝王に対しては殆ど無力に等しい。
闇の帝王は魔法族による非魔法族の支配を進めようとした点では同じでも、先人と違って確たる理念の下で国際機密保持法を破壊しようとしている訳では無い。寧ろ、その支配さえ是認されるのであれば、非魔法界での
だからこそ、闇の魔術の深淵に誰よりも深く入り込んだ史上最悪の魔法使いというのは、それに触れた事の無い者には脅威が全く伝わらないし、想像も出来ない。ましてや、道徳的な正義の下に、悪を打ち滅ぼすという御節介焼きは登場して来ない。
繰り返すが、
ダームストラングでは闇の魔術を平然と授業で教えるように、魔法族にとってそれは必ずしも忌み嫌われる物では無い。
アルバス・ダンブルドアはそれを徹底的に嫌い、校長の立場を恣意的に利用してホグワーツ内から関連書籍を取り除き、ウィゼンガモット主席魔法戦士と最上級独立魔法使いの地位をもって、英国内で闇の魔術や物品に関する法規制を推進すらした。
しかし、その御膝元であるグレートブリテン内ですら、闇は依然幅を利かせている。
ダイアゴン横丁にはノクターン横丁が隣接し、ボージン・アンド・バークスを初めとする店によって闇の品々が半ば公然と売られている。そして魔法戦争後期には、闇祓いに対して合法的に許されざる呪文を使用する権限が与えられ、それを推進したバーテミウス・クラウチ・シニアは次期魔法大臣に後一歩という所まで上り詰めた。
つまり魔法族は無意識に、闇の魔術や魔法具が〝正しく〟使われるのであれば何ら問題ないと考えてしまっている。その本能と伝統を、継承し続けている。
その〝常識〟が通用しないのは、銃規制さながらに闇を厳しく規制しきった極東の島国、マホウトコロくらいの物だろう。
だからこそ、どれだけあの老人が闇の帝王の脅威を叫ぼうとも、所詮は対岸の火事なのだ。
私利私欲の為に闇の魔術を用いる邪悪な魔法使いは必ず打倒されるべきであるという正義の題目は魔法界に存在せず、またダームストラングにしろ、ボーバトンにしろ、他所の国の戦争に巻き込まれたくも無いだろう。
そして闇の帝王の方も、余程の理由が無い限り、戦火をわざわざ広げはしないに違いない。彼はグレートブリテンに建つホグワーツこそ、自身の居城と考えていたようだから。
それ故に、このような国際的協力事の効果は限定的で──さりとて、今の僕は効果を全く否定しない。数年前に話し、笑い合った者が、しかし海の向こうで無残に殺されているという体験には、真っ当な人間ならば感じる所が有る筈だからだ。そしてだから意味が有る。
この一回で全てを変える事は出来ないし、変えられると思っても無いだろう。
これは始まりで、布石でしかない。しかし、直近の闇の帝王に纏わる一連の流れを上手く利用出来れば、交流の潮流は必ず生み出し得る。そして、かつての三大魔法学校対抗試合が如く約五百年間とまでは言わないが、この複雑な時代における今回の復活がそれなりの期間続けば、この分断化された魔法界も変わっていく事を期待出来るかもしれない。
ただまあ──そのような打算の思考は、やはり付随的な物だと言えた。
僕はドラコ・マルフォイ達と同じく、三大魔法対抗試合という大イベントに心惹かれている自分が居る事を否定出来なかった。
彼と違って代表選手に名乗りを上げる気も無く、そもそも選ばれた所で勝ち得ると確信する程に自分自身を評価していないが、各三校の最も優れた選手の実力を知るという点においては良い機会に成り得る。自身が同じ実力にまで辿り着く事は期待しないにしろ、一応の基準が有ればやはり違ってくるだろう。
何より、単純に見世物として興味も有った。
少なくとも、保身的な意味でグリフィンドールに勝つか否かという以外に興味を持てないクィディッチを観戦するよりは、酷く生産的な行いの筈だった。
そして、ホグワーツ特急内で聞いた通り、ホグワーツにおいて組分けの儀式が終了した後、アルバス・ダンブルドアは、三大魔法学校対抗試合の復活を宣言した。
ただ、ドラコ・マルフォイが知らなかったのか、或いは僕に対して隠したのかは不明だが、今回の試合では十七歳未満は参加資格を有さないという特別措置が取られるらしい。そして僕が知る限りではそのような奇妙な措置が取られた事など一度も無い。
つまり、
例えば四年生である僕は三年しかホグワーツで学んで居ない一方、彼等は丸六年、すなわち単純に倍の期間学んでいる。その積み重ねというのはやはり馬鹿にならない。
しかしながら、歴史的に言えば必ずしも年功序列で選ばれるような物では無かった。寧ろ、そうで無かった場合というのは決して少なくなかった。
原則五年に一度の定期的な開催。つまり、最も幸運な者は二年と七年の際に出場の機会が回ってくる一方、最も不運な者は三年の際のみに同様の機会が回ってくる。
けれども、そのような不均衡に対して、昔からの伝統という反論を覆す程に大きな不満というのは約五百年間出て来なかったのであり、そしてまた実際に、魔法族はそれが何ら言い訳にならない事を証明してきた。
無常に屍を晒す最上級生が居た一方、年齢という大きなハンデを背負いながらも、最も学校を代表するに相応わしいとして選ばれ、三校の頂点にすら立った者が居た。そして、その者が得る名誉というのが他に比して遥かに巨大となる事は言を俟たない。
純粋な実力至上主義こそが魔法族の本質的な価値観として正しい在り方で有り、ほんの二、三年の積み重ねが誤差だと思える程の苛烈な試練こそが、三大魔法学校対抗試合自体の名誉を保証して来たのだった。
けれども、アルバス・ダンブルドアはそうする気は無いらしい。
そしてまあ案の定というか、それが説明された瞬間そこら中から抗議の声が上がった。
それもやむを得ない気がしないでもない。十七歳以上か未満かという区分は、僕から見ても若干不公平さを感じるのだ。
何せその分け方では、七年生は全ての人間が参加資格を有する一方、六年生は参加出来る者と参加出来ない者で別れてしまう。それも、ホグワーツの入学資格が九月一日時点で十一歳である事、及び代表選手が十月三十一日に選出される事からすれば、単純計算して現六年生の六分の一しか参加資格を有さない。これでは不満も出るだろう。
ただ、十七歳という区分は魔法界の成人年齢であり、それを境界とするのが解りやすく、そしてまたそれ以外の資格での選別──つまり六年生以上という学年の判定──は、アルバス・ダンブルドアをもってしても難事だと言う事なのかも知れない。あの老人なら出来そうな気がしないでも無いが、余計な調整をして防衛措置が弱まるより良いだろう。
……正直言って、残念な気持ちが無い訳では無い。
それは自身に参加資格が無いからという訳では無く、純粋にそれではハリー・ポッターが参加出来なくなってしまうという点だ。
僕が考える限り、ホグワーツを代表するに相応しい選手となれば、それはハリー・ポッター以外に存在しない。
彼は〝生き残った男の子〟として闇の帝王の失墜を招き、ホグワーツ在学中ですら二度もその姦計から逃れ、去年は有体守護霊により百体以上の吸魂鬼を追い払ってみせたという。何より、あのアルバス・ダンブルドアの期待に応え続けているという点において、どう考えても尋常な存在では無い。
たかが三年先に生まれた人間達に敗北する構図など、僕は到底想像出来る筈も無かった。
けれども──老人がそういう措置を取ったのは、生徒の安全もそうだが、何よりハリー・ポッターを参加させない為であろう。
彼は三年の間例外なく、問題事に見舞われ続けているし、第二次魔法戦争においても闇の帝王に対抗するに際し大きな鍵を握る重要人物であるらしい事を思うと、やはり万一という事を考えざるを得ない。死の危険が有る試練に直面させたくも無いのは当然である。
〝生き残った男の子〟の成長を促すにしろ、このような大規模な催し物の中で、危険を管理出来ない中でそれを為す必要というのは全く無い。安全を殆ど確信していたらしい賢者の石の際と違って、バジリスクにしても吸魂鬼にしても、彼が死んだとしても何ら可笑しくない脅威で有ったのだから。全ては運が良く、彼が〝英雄〟であっただけに過ぎない。
故に、これは妥当なのだろうとも思った。
二百年ぶりに復活した三校で最も優れた選手を選抜する試合で、ハリー・ポッターがそもそも参加資格を与えられず、当然のように不戦敗となる事は。
……心の何処かで、何処か納得出来ない感覚を覚えながら。
その後のホグワーツは、三大魔法学校対抗試合一色だった。
何処に行っても、その話題ばかりを聞く。
寧ろ、それ以外に息抜きめいた物が無かったというべきか。
スリザリンでのアラスター・ムーディ教授による刺激的な授業は、どう考えても穏やかな物にならないと思っていたが、案の定だった。否、それ以上だった。
まさか普通に闇の印の事に──無論、言及で無く暗示しただけだが──触れるとは思わなかった。誰が確認した訳でも無いにも拘わらずスリザリン内の禁忌となっているその話題を平然とぶち込めるのは、流石にアズカバンの半分を埋めたと称される伝説的な闇祓いであった。
ドラコ・マルフォイは授業の度に戦々恐々としており、セオドール・ノットでさえ何時もの一匹狼の立場を半ば放棄して、授業内では元死喰い人関係者集団の中に紛れ込んでいた。そして、それを見て教授は嬉しそうだった。無論、負の意味でだが。的が絞りやすくなったと考えているのは明白だった。
スリザリンもグリフィンドールがどんな気持ちで魔法薬学を受けているか解った事だろう。
ただ一つの救いは、アラスター・ムーディ教授は授業自体を真っ当にやる気が有ったらしい事だろうか。闇の魔法使いの
ただ、極大の負担が闇の魔術に対する防衛術で有った事は疑いが無くとも、それ以外が楽だったという訳では無い。四年生である僕達は来年がO.W.L.という事も有って、授業の高度化と宿題の増加に追われる事になった。
しかしながら今年はそれは四年生に限ったものでなく、魔法界とホグワーツに慣れるべき新入生を除けば、殆どの学年の授業がそうであるようだった。
どう考えても、例年よりも速度が速い。どうやら教授陣は、三大魔法学校対抗試合が始まった後では、生徒も勉強に身が入らないと考えているらしい。
まあ、妥当な思考であるし、公的私的問わず学校間の交流行事まで時間が取られる事を考えれば、授業を先取りするのも当然と言える。今回のイベントは、三校で最も優れた魔法使いを決めるだけでは無く、目的としては国際交流も含まれるのだから。
故に、スリザリンを筆頭に大多数の生徒が軽くノイローゼになりつつ有り、必然的に大イベントである三大魔法学校対抗試合に否応無く注目が集まっていた。
個人的な事を言えば、ハーマイオニー・グレンジャーとS.P.E.W.に関して多少揉めるという事は有ったものの、僕としても来るその日に心浮かれる気持ちが何処か有ったのは否定しない。過去の三大魔法学校対抗試合がどんな物で有ったかを知れば知る程に、それに対する期待というのは否応無しに高まって行った。
そして十月三十日。ボーバトンとダームストラングはそれぞれ特徴的な登場をし、各校の代表団がホグワーツに受け容れられた。
ドラコ・マルフォイはその血筋と縁故と社交性を発揮し、スリザリンにダームストラングを招く事に成功して満足気だった。スリザリンの大多数も拍手喝采だった。
ただ、誰も彼もがビクトール・クラムと話をしたがり、そちらを伺おうとして気もそぞろだったのは、
彼等からすれば、全くビクトール・クラムに興味を持たない男子生徒というのは逆に余程目立ったらしい。まあ、僕としては、ダームストラングの生徒からも親からもイゴール・カルカロフの評判がやはり宜しくないと知れたのは良い事だった。
また、あの老人が設けた年齢線という防衛機構についても話題となっていたが、意外にもスリザリンでは、年齢線に挑もうとする蛮勇を犯そうとするような人間は、少なくとも表向きは存在しないようだった。それはやはりアラスター・ムーディ教授が睨みを利かせていたというのが少なからず存在するのだろう。
ただ、
同席したダームストラングの人間に対しても応援や声援を送る事を忘れなかったのは、彼等が身内の社交だけにかまけていた訳では無いという証明でも有り、何となく安心した点でも有る。
そしてその翌日、運命のハロウィンの日。
三校の人間が待ちわびた、三大魔法学校対抗試合の代表選手を決する日が来た。
炎のゴブレットがそれを選出する瞬間は、中々見物で有ったと言って良い。単純に人間が発表するよりは荘厳で、幻想的で有った。
意図してかどうかは知らないが、人ならぬモノが──さながら神が選んだように演出するのは、代表選手が決まった後は確執を捨てて、全校が一丸となって応援出来るようにとの措置なのかも知れない。
ダームスラング、ボーバトン、そしてホグワーツ。
それらの代表選手としてゴブレットが選択した名を、アルバス・ダンブルドアが告げる。
ビクトール・クラム、フラー・デラクール、そしてセドリック・ディゴリー。
前者二人は良く知らない。
眼を見張るような美人と、世界的なクィディッチ選手。僕にはそれ以上でも以下でもない。
だからこそ、最も僕の感情を揺り動かしたのは、ホグワーツの代表選手としてセドリック・ディゴリーという名前こそだった。
襲い来たそれは激情だった。己でも何と評して良いか解らない、強い心の振動。
強いて言えば怒りに近く、しかし何処かそう割り切れる物では無くて。強いて言えば二年前、秘密の部屋の怪物の正体とアルバス・ダンブルドアの意図を見透かした瞬間に抱いた同種の物で。そして、その名前が呼ばれた事は間違っているのだという、絶対的な確信が有った。
──けれども、思い返すべきだった。
ジャック・オー・ランタンに象徴されるその日は、三年の間一度も例外なく、ハリー・ポッターに纏わる
既に三校の代表者が揃ったにも拘わらず、炎のゴブレットは燃え上がる。
蒼から紅に。三度称賛と栄誉を受けながら繰り返されたそれは、しかし今度は不吉と不気味さを撒き散らしながら色を変え、高く一枚の羊皮紙を空へ打ち上げた。
そうして、舞い落ちてきたそれを取ったアルバス・ダンブルドアは、彼の名を呼んだ。
「──ハリー・ポッター」
……そうでなくては、という心の声がした。
ハリー・ポッターは、三寮──それに加えて二校──を敵に回した。
最初グリフィンドールは自寮から代表選手を輩出した事で何処か浮足立っていたが、流石に事の大きさというものに漸く気付いたらしい。
二年前、秘密の部屋の際には、まだ理性的な人間が居た。
ハリー・ポッターは〝殺害〟現場に毎回居合わせる蛇語使いだったが、さりとて状況証拠で一番怪しかっただけで、決定的な証拠が有った訳では無い。
真犯人であるならばそんなわざわざ疑念を抱かれる状況に自分を置く筈も無く、彼の親友として〝穢れた血〟であるハーマイオニー・グレンジャーが居た。何より彼はグリフィンドールだったが為に、スリザリンの継承者である事自体を疑う人間は居た。
しかし、今回は流石に理性を失った者が殆どで有り、それもまた理解出来る反応だ。
これが単にホグワーツ代表選手として選ばれたというのであればまだ良かったのかもしれない。十七歳以上のみが参加資格を有するという年齢の規則というのは、今回限りの特別安全措置に過ぎず、寧ろ慣例からすればその制限が有る事こそが異常なのだから。
しかし、三人の代表選手という大会の大前提の規則を破壊したのは流石のホグワーツ生をして、大部分が受け入れる事を拒否した。国際社会に対して、十三年前の英雄として特別扱いされる事を好む、目立ちたがりの馬鹿の存在を晒したような物なのだから当然だ。真っ当な倫理観と正義感を持っている人間で有れば当然激怒する。
そして、ハッフルパフとグリフィンドールの関係性は致命的に悪化した。
セドリック・ディゴリーの応援のみに留まらず、ハリー・ポッターの中傷活動にまで及ぶのだから、これは相当の事だと言って良い。
ハッフルパフがこれ程外部に敵意を剥き出しにするのは、僕が知る限り初めてだった。
彼等は例外的にクィディッチに関しては熱心だが、それでも試合内での相手に対する敬意と称賛を忘れはしなかった。だから、憎悪とも取れるこれ程の苛烈な反応は、もしかしたらホグワーツ千年の歴史を見渡しても初めての事であるのかも知れない。
尻尾爆発スクリュートとかいう、不注意がそのまま死を招きそうな刺激的に過ぎる生物を持ち出した魔法生物飼育学中に遠目から見ただけだが、流石のハリー・ポッターもこの状況には憔悴しているようだった。
けれども、それは今までずっと見かけていたロナルド・ウィーズリーが傍に居ないからかも知れない。去年はハーマイオニー・グレンジャーが一人であり、今年は彼のようだった。
とは言え、二人ともハリー・ポッターから同時に離れる事は無いのは、それはそれで強固な信頼に基づく物なのだと評する事も可能なのだろう。
ただ、未だそれらは僕にとって見逃し得る些細な事だった。
僕の頭を占めていたのは、三大魔法学校対抗試合自体に直接干渉出来ないにしろ──そもそも教授陣に任せて余計な真似をしない方が余程上手く行く筈だ──僕が僕だけの方法で干渉するにはどう在るべきかという点だった。
未だどうするべきかという展望までは有して居ない。しかし、無駄で有っても、無価値で有っても、何も行動しないという気は全く無かった。最善を尽くして届かないならば諦めも付くが、去年のように悔いが残る結果となるのは、想像するだけでも御免だった。
既に確認は取っている。
ハリー・ポッターの名前を告げた時の老人の反応から解っていたが、結果は考えていた通り。これは貴方の計画の内かと、そう問うた手紙に、戻ってきた細長い筆跡は〝No.〟と記すだけだった。それだけでも感情が見えるのだから不思議な物だ。
ふくろう便扱いされたミネルバ・マクゴナガル教授は微妙に不満そうだったが、内部に誰が潜んでいるか解らない以上、校長と生徒の繋がりは可能な限り隠すべきだと考えたのだろう。何も言われはしなかった。……変身術の授業内での当たりは微妙に強くなったが。
故に、授業の予習をしている時でも、復習をしている時でも、或いはドラコ・マルフォイの代わりにレポートの原案を書いている時も、その事が頭の片隅に有り続けた。
ハリー・ポッターを守る方向に動くにしろ、見捨てる方向に動くにしろ、どう行動するのが自分の利益に直結するかというのを考える事だけは辞めなかった。
……まさか、一時とは言え、それを吹っ飛ばすような事が起こるとは思いも寄らなかった。
ドラコ・マルフォイが今回もまた何事かやっているのは把握していた。
彼はスリザリン内ではやはり目立つ存在で有り、何よりハリー・ポッターが再度学校の敵になった絶好の機会を逃す筈も無かった。
ただ、良くも悪くも、彼は何時も僕の予測を上回ってくれる。まさか、そういう形でやるとは想像しても居なかった。
既に周りが寄り付きすらしなくなった談話室の端の指定席で、翌日に控えた魔法薬学の予習を息抜きに僕が行っていた最中、談話室内で愉しげな声と嘲笑が上がった。
それ自体は何時もの事だ。その程度の悪辣さを一々気にしていては、スリザリン内で何時も通り生活しては行けない。通例よりも多少騒がしくとも、許容量を超えるものでは無かった。
また内容的にも聞き耳を立てる程では無さそうだった。
僕に聞こえる位置で何か重要な事を喋る阿呆は既にスリザリンに居なくなったが、ただまあ、情報の重要性はこちらが判断する物だ。特に授業に関するあれこれは、友人の居ない僕には死活問題となる場合が多い。誰にも言わないが、聞き耳を立てていたが為に難を逃れたという事は幾度か有った。
そして、それからどれだけ経ったのか。
談話室内の会話が少し減ると共に、ふと影が差した。
座ったままに見上げてみれば、彼以外に僕に話しかけるような人間は居ない以上解ってはいたが、やはりドラコ・マルフォイだった。
「……どうした。何か用だろうか」
彼は、愉しくて愉しくて仕方ないという、輝くばかりの表情を浮かべていた。
そして大概の場合、それが僕にとっても愉快にならない事を経験則上知っていた。
「やあ、スティーブン。良い物を作って貰ったんだ。君も気に入ると思う」
そう言って得意気に手を広げて見せびらかしたのは、一つのバッジだった。
『
そのバッジには赤い文字で、そう書かれてあった。
……眼を疑っても、何度見返しても変わらない。確かに、疑問の余地なく、解釈の余地がなく、その文字が存在する。何とも度し難く、そして己にとって許しがたい事にだ。
「良く出来ているだろう? こんなに早く量を用意するのは流石の僕でも骨が折れたよ。それでだね、これはバッジを押すと文字が変わるんだ。良いか、今やってみせ──」
気付けば、僕は彼の言葉を遮っていた。
「──セドリック・ディゴリーは純血か?」
途端、談話室が静まり返った。
ドラコ・マルフォイの手の中で、『汚いぞ、ポッター』の文字が輝いている。
けれども、彼の表情からは、先程までの得意気な様子が拭い去られていた。
そして、周りが一斉に僕を見ていた事から、自分自身が思って居た以上に大きく、そして冷ややかな声を出してしまっていたというのに漸く気付いた。
「……嗚呼、すまないな。少しばかり愚かな事を言った。別に〝ディゴリー〟が純血で無いと決まった訳では無い。スリザリンである僕はそれを良く知っている筈だった。そうだ、良く知っている。だから、今の発言は撤回しよう」
聖なる二十八で無いからと言って、純血で無いとは限らない。
そんな事はスリザリンの大半が信じて居ないにも拘わらず、その虚飾と欺瞞だけは揺らがせてはならない。それはこの寮内で平穏に学生生活を送る上で必要とされる処世術であり、また寮の秩序を維持するうえでも必須だった。だから先程の発言は不適切である事は違いない。
しかし、そこに籠めた意図までは、やはり撤回するつもりは無い。
僕が周りを見渡せば、談話室内でこちらを観察していた人間達が眼を逸らしていく。
そして、残らず僕から注目が外れたらしい事を確認した後、僕はドラコ・マルフォイに再度向き直った。
「ハリー・ポッターを貶めるのは良いだろう」
静かに、ドラコ・マルフォイに告げる。
「彼は
その感情は全くもって理解出来る物であるし、魔法生物飼育学の授業でも彼が馬鹿にされている事を当然放置した。
それは今までの三年間繰り返されてきた事でも有り、この四年目もまた何も変わらなかった。それが、ハリー・ポッター、ドラコ・マルフォイ、そして僕の関係性だった。
「ただ、僕は個人的な流儀として、セドリック・ディゴリーがホグワーツの真の代表選手として相応しいなどという妄言を吐く気は更々無い」
僕は、セドリック・ディゴリーが気に入らない。
彼がクィディッチで活躍する姿は見た。吸魂鬼の介入が有ったとは言え、ハリー・ポッターを確かに敗北させたというのも知っている。けれども、その時は左程何も思わず──しかしながら、彼が代表選手に選ばれたという事がやはり受け入れがたかった。
その理由について考え、そして確信している。
それは間違いなく、年齢線という今回限りの無粋な措置が存在したからだった。
「……っ。スティーブン。ポッターは代表選手の座を盗み取ったんだぞ! お前はスリザリンの輪を乱すのか!」
ドラコ・マルフォイは激昂するが、しかし失笑しか浮かばなかった。
アルバス・ダンブルドア。そしてセブルス・スネイプ教授を見て来ているのだ。残酷な事だが、現実として彼には迫力が足りないし、何よりその理屈は完全に御門違いだ。
「輪云々を言うならばマルフォイ。誇り高いスリザリンが、まさか劣等集団のハッフルパフの人間を応援するというのか?
椅子に座ったまま見上げてやれば、彼は漸くその顔を怯んだ物に変えた。
別にハッフルパフに思う所が有る訳でも無い。自己陶酔のグリフィンドールだろうが知識馬鹿のレイブンクローだろうが、僕は同様の発言をした事だろう。今回はそれが偶々、ハッフルパフのセドリック・ディゴリーだったというだけだ。
「誤解して欲しくないが、真っ当な審査の下にスリザリンから代表選手が出たのならば、僕もこんな事は言わない。当然に真のホグワーツ代表選手として応援するとも」
嗚呼、僕はそうするだろう。
自身が帰属する場所として、スリザリンに対しては相応の愛着を持ち、忠誠を有している。
勿論、ホグワーツに対しても同種の物を持っていない訳では無いが、それはあくまでスリザリンを通してでしかない。ハッフルパフにも、レイブンクローにも、グリフィンドールに対してだって、直接的には思う所は無いのだ。
故に僕はスリザリンとして、眼前の頭の悪いバッジを受け容れるつもりは無い。
「君は、ハリー・ポッターが代表選手の地位を盗み取ったと言った」
あの驚愕の表情と、少ない交流から感じた彼の性格を思えば、彼が何かをした可能性は低いように思える。ただ、三大魔法学校対抗試合に出場する為にアルバス・ダンブルドアを彼が後ろから刺したのであれば、それはそれで何ら構わなかった。
「しかし、
ドラコ・マルフォイは愕然とするが、別に奇抜な発想でも無いだろう。
アルバス・ダンブルドアは代表選手を炎のゴブレット──〝公明正大なる審査員〟が選ぶのだと言ったが、ハリー・ポッターの名を呼んだあの時点で、その信用性は地に堕ちている。
「君はセドリック・ディゴリーの事をどれだけ知っている?
夥しい死者を勝ち抜くだけの資格を持っているかを、僕は知らない。
ハリー・ポッターにそれだけの資格が有る事は、確かに知っているけれども。
「で、ドラコ・マルフォイ。彼はどういった存在だ? 君が知っているならば、全く無知な僕にも、彼がホグワーツを背負うに相応しい
ドラコ・マルフォイは何も答えられない。
恐らく彼は、他の三選手の正当性を全く疑う事すらしなかっただろうから。
「空の覇者たるビクトール・クラムが、地でも覇者足り得るのだと誰が保証する? 顔が良い以外に何も解らないフラー・デラクールが、ピレネーの山奥で最優だと誰が保証する? 最初からあの四人が出場する事が予定調和では無かったと、全てが最初から仕組まれていたのでは無いのだと、君は保証出来るのか?」
他の三人が正当に選ばれた可能性も一応否定し得ない。
けれども、僕の天秤がどちらに傾くかと言えば、選出過程に明らかな不正が存在している以上、やはり三人全てが正しくないという方だった。
「僕は〝スリザリン〟から外れた事を何ら言っているつもりは無い」
点滅するバッジを手に持ち、口を開けたまま見返す彼を後目に、僕は立ち上がった。
「そして繰り返そう。僕はセドリック・ディゴリーを、真のホグワーツ代表選手などと言って応援するような馬鹿げた行いをする気も全く無い。これは絶対だ」
ハッフルパフ。
ホグワーツにおいて、最も控えめな寮。
かの寮は悪目立ちする他の三寮と違い、ハッフルパフ的特徴を捉えるのが困難である。
学年当初に組分け帽子は勤勉こそを
そしてだからこそ、僕は一般に言われるハッフルパフと徳目されるという項目、つまり勤勉やら忠誠やらを、
かの寮に劣等生が集まるというのは、半ば共通認識であると言って良い。
実際は必ずしもそうでは無いが、そういうレッテルが貼られているのは否定し得ない。
来るもの拒まずの創始者の方針を強く受けた寮は、必然的に良く言えば最も寛容で、悪く言えば最も闇鍋の寮となってしまっている。そしてそれ故に、彼等はハッフルパフ的という特徴を備える事が困難になっている。
貴族のスリザリン、騎士のグリフィンドール、賢人のレイブンクロー。
連綿と続く千年の歴史の下では、個人という物を容易く作り変える。
同じ寮内で比べるならば千差万別であれど、ホグワーツという括りでは同種同類であると認識せざるを得ない、人の根幹の共通性が七年の共同生活によって構築されるのだ。故に、同じ寮内の人間は少なからず御互いを理解し、また共感する事が出来る。
しかしながら、ハッフルパフはそうでは無いように思える。
一つで括るには困難である程に各人各様であり、そしてまた、外部から劣等生だと認識されているが故に、他寮で見られるような寮内の緊張関係を持ち得ない。それはスリザリンに対してすら相応の交流を保つ彼等の温和さを生み出すのだろうが、それは自己の研鑽や向上心、変化と言った点につき負の方向性に働く。要は悪い意味での生温さと馴れ合いが生じてしまう。
故に、かの寮は所属により一つの方向性を持ち得る事が困難であり、彼等の特性を一口で言い表す事もまた困難を極めて仕方ないように思えるのだ。無理矢理探してしまえば、それは〝ホグワーツ生〟の特徴と混同してしまう事になるだろう。
ただ、それでも彼等の根源を求めるならば、やはりヘルガ・ハッフルパフ──それも彼女が寮の象徴として穴熊を選択した点に辿り着く事になるのだろうか。
普段大人しくとも危険に置かれた際にはその攻撃性と凶暴性をふんだんに発揮する──故にしばしば穴熊を強制的に犬と戦わせる
穴熊という生き物につき注目される特徴的な点は、やはり彼等の不断の掘削活動によって構築される、多くの入口を備えた複雑で、数百メートルにも及ぶ広大な彼等の巣穴であろう。
それ故に彼等は
また、穴熊は時に幸運の象徴とされる事も有るが、どちらかと言えば、不運や死の方が圧倒的に関連性が強い生物である。
夜に跋扈する生物が死と結び付けられる事は世界的に何ら特異でも無いが、穴熊がそうなったのは、彼等の巣穴内における〝落盤事故〟を掘り出した人間達が、そこに埋葬の風習を見出した事に由来する。故に、彼等の存在は特に死の色彩を帯び、彼等の叫声と横断は棺桶を運ぶ物とされたのであり、伝承の下で長らく恐怖を喚起させてきたのである。
要するに、他寮の創始者が選択した獅子や鷲、蛇と言った解りやすさは無いが、さりとて穴熊は彼等以上に油断出来ず、得体の知れず、脅威足り得る存在であるとも言えるのだ。
なれば──最もハッフルパフらしいと称される人間は、果たして一体どのように認識するのが正しいと言うべきなのだろうか。
セドリック・ディゴリー。
ハッフルパフの六年生にして監督生。
魔法省に勤める父親を持ち、背が高く、顔立ちも整っており、勉学に優れて最上級生になれば首席間違いなしだと評され、加えてクィディッチのシーカーにしてキャプテンともなれば、少々話を盛り過ぎでは無いかと思う程だ。
彼が日刊予言者新聞に──というより、リータ・スキーターに──無視されたからなのか、ハッフルパフは彼の広報に勤しむ事にしたらしい。その一貫として、経歴や抱負等々を記載した彼の写真付きの宣伝ビラが、学校中にバラ撒かれ、壁の至る所に張り付けられていた。
半ば選挙活動めいたこの行動を一体誰がどういう理由と経緯で思い付いたのか全く想像も付かないが、このような活動は中々悪くない手だと言えよう。
如何に全寮制とはいえ千人程度の学生が居る中で、寮も学年も違えば顔も名前も知らない人間というのは多い。しかしこれだけやれば、セドリック・ディゴリーという存在を知らない。少なくとも、僕のような人間は大助かりだ。これで無駄な詮索をしなくて済むのだから。
……まあ、どうかと思う情報が無い訳でも無いが。
デポンの
他にビクトール・クラムやフラー・デラクールの同種のビラも撒かれているのは、お祭り好きのホグワーツ生と言った所か。
ビクトール・クラムは、愛想なくむっつりとしているが、慣れているのもあるからまだ解る。意外なのは見るからに高慢そうなフラー・デラクールが受け容れたという点だが、それは予言者新聞で彼女の名前のスペルが間違っていたからなのかもしれない。
ちなみにハリー・ポッターの物は無い。彼はスリザリンの継承者の時以上の嫌悪を集めており、何より書店に行けば彼について書いた本など山程売っているのだから、そのようなビラが作られる筈も無かった。流石のグリフィンドールとて、今回は空気を読んだらしい。
しかし、だ。
壁に貼られたこちらに笑い掛けるセドリック・ディゴリーの写真を横目に見つつ、何時も通り一人で廊下を歩きながら考える。
注目を向けて初めて気付いたが、僕は彼に既視感を抱いている。
そう、僕は彼のような人間を知っている気がするのだ。それもかなり印象的な形で。
しかし、それを何時何処で見たのかというのが全くもって思い出せない。彼が代表選手に選ばれてからずっと考えを巡らせているのだが、それでも思い当たらないのであり、落ち着かなくて仕方無い。……確か余り愉快な類の人種では無かった筈なのだが。
ただ僕一人の些細な支持は兎も角、大々的な宣伝活動の成果か、或いはハリー・ポッターに対する反発か、セドリック・ディゴリーは殆ど全校から人気を獲得していた。
何処へ行っても、彼は人だかりに囲まれている。
それもハッフルパフだけでは無く、グリフィンドールを含む三寮全ての人間に。
レイブンクローは炎のゴブレットを騙した叡智を称賛するよりも、やはり規則破りの馬鹿を知性が無いと評すべきだと結論付けたらしく、グリフィンドールでも騎士道的にそれを正しくないと考え、自寮の目立ちたがりよりもマシだと公然と立場を表明する人間が出始めた。
流石にスリザリンは全体としては多少の距離を保っているが、女子生徒は女性特有の交友関係によって男子生徒に比べれば他寮に受け入れられている上、彼女達にとっては顔が良ければ基本的に関係無いのだろう。優れた遺伝子を獲得しようとする野心は評価すべきだった。
それを微妙に不愉快そうに見ている先輩方も居たが、嫉妬と取られかねない制止をするような軽挙な者までは居なかった。
そして──そのような光景はハリー・ポッターと大違いだ。
そもそも、彼は〝生き残った男の子〟で、クィディッチのシーカーである割に、校内における人気という物が余り無かった。
彼も大概設定を盛り過ぎている上に、三年連続の寮杯獲得に大きく貢献しているのにも拘わらず、今一支持されきらないというか。代表選手の件を差し引いても微妙である。
別に功績に比例するように問題行動を起こしているからでは無いだろう。
それが原因で嫌われるならば、ウィーズリーの双子は更に嫌われている筈だ。しかしながら、全生徒の支持という面では、あの双子の方が余程多い。血を裏切った者達として彼等の一族を馬鹿にするスリザリン内ですら、双子の悪戯のファンが居る位だ。
では、セドリック・ディゴリーとハリー・ポッターの違いは何処に有るのだろうか。
そんな馬鹿な考えに思考を巡らせていると、ふとその人だかりが近付いている事に気付く。言うまでもなく、
当然の事ながら、僕はさっさと道を開ける。
今のホグワーツで彼が最上級の階級に位置するからという訳では無い。ただ、人の塊が全て道を開けるよりも、一人が避ける方が手間が無いからだ。
僕に気付いた取り巻きの女性の一部が嫌な視線で見てくるのは、まあ、珍しくも無い。
今のハリー・ポッターは別格として、ドラコ・マルフォイよりも嫌われているのでは無いかと思う事は多々有った。少なくとも、彼はスリザリン内では相応の好意と敬意を獲得しているのだから。
ただ、あの賢者の石の学期末から丸二年だ、流石に慣れもする。
しかし、セドリック・ディゴリーは出来た上級生として軽く会釈し、何事も無く通り過ぎようとした。僕も会釈を返すだけを行い、何も言うつもりは無かった。
彼の視線が、僕のローブを撫でるように──何かを探すように動くのを見なければだ。
「──僕がバッジを付けていないのが気になりますか」
その瞬間の、彼の表情というのは見物だった。
別に大きな動揺を示した訳では無い。けれども、先程まで取り巻き達と楽しそうに話していた彼の表情は、幻だったかのように消え失せた。
そして、彼は無視すれば良かった。或いは適当にあしらえば良かった。
見知らぬ無礼な下級生に、突然声を掛けられたのだ。内容自体も決して穏当な物とは言えない。真っ当な対応をしなかった所で、彼の評判を全く下げるものでも無かっただろう。
けれども、彼は噂通りに、大衆の求める通り、理想的な生徒の対応を行ってしまった。
「
セドリック・ディゴリーは、気分を害した様子もなく優しげに微笑む。
「僕もそのような事は辞めるべきだと言っているんだ。ハリーがどんな方法を使ったにしろ、既にゴブレットの魔法契約に縛られてしまったからね。逃げも隠れも出来ず、これから過酷な試練を受けなければならない以上、そのようなみっともない真似をすべきでは無いだろう」
「────」
去年、リーマス・ルーピン教授には通じなかった。けれども、今回はそうでは無いらしい。
彼の言葉の真偽が解ってしまったのが、僕の開心術の力量が上がった事による物か、或いは彼の心が余りにも無防備過ぎたのかは不明であるが。
しかしながら、周りの女性徒を見渡せば、確かに彼女達はあの馬鹿げたバッジを付けていない。少なくとも、彼は口ではその通りの事を言い、彼女達は彼の関心を買う為に、その事をやっているらしかった。
バツが悪そうに身動ぎする彼女達から視線を外して、僕は再度セドリック・ディゴリーへと、好青年の仮面を被り続ける彼へと視線を戻す。
「──成程、確かにその通りですね。幾ら生き残った男の子とは言え、ハリー・ポッターはまだ未成年、それも四年のホグワーツ生だ。普通に考えれば彼は課題に失敗し、
「…………」
「何より貴方は去年、ハリー・ポッターに勝利した。クィディッチで無敗だった彼に、貴方こそが初めて土を着けた。たとえそれが幸運に基づく物であっても、勝利は勝利だ。であれば、今回もそうならないとは限らない。僕も応援していますよ」
その瞬間、一瞬であれ、彼の仮面が崩れた。
「……君は、僕を全く応援していないと思ったんだけどね」
セドリック・ディゴリーの瞳が昏くなる。
そして、僕はそれを見て軽く微笑んだ。
スリザリンの談話室内での会話が、外に漏れていたらしい。だからと言って、別に思う所は無い。派閥から排斥されるという事はそういう事だし、彼は僕と違い人気者だ。
ただ、それを認めてやる程、僕は彼に対して好意的でも無かった。
「何処かで根も葉も無い噂でも聞いたんですか? スリザリンの悪評は今更ですし、誰かがそうした所で何ら疑問にも思いませんが」
「……そうかもね。良く考えなくても、君は悪い噂ばかりだから」
それだけを言って、彼は更に何も告げずに立ち去る。
取り巻きの女性達が恐々と彼の後を着いていくのは、スリザリン生の陰鬱さと忌まわしさを漸く思い出す事が出来たからか。それとも、セドリック・ディゴリーが、瞳の奥底に燃える炎までは隠し切れていなかったからか。
そして、その集団を静かに見送りつつ、漸く思い当たった。
──彼が一体、誰に似ているのかという事に。
成程、直ぐに思い当たらない筈だ。
物腰と周囲への対応の在り方から一見似ていないように見えるし、何より僕はその人間に直接会った事が無いのだから、その存在に簡単に行き着く筈は無い。
けれどもそれに思い及んでしまえば、心の奥底を覗き込んでしまえば、これ程までに本質が似通っている存在というのは早々存在しなかった。
顔が良く、基本的に誰に対しても友好的で、入学時より人気者。
周りが首席を確信する程の成績を残し、クィディッチのシーカーとしても活躍し、出来ない事など殆ど無いと思える程に、ありとあらゆる分野に秀でている。
まさしく完璧で、多くの者が手放しに持て囃すような、際立って人目を引く存在でありながら──しかし、その裏側には己の能力に対する強固な自信と、己が他より優位であるという強烈な自尊心と、己を本来以上に大きく見せる事に惹かれて止まない強大な欲望を有している。
嗚呼、そうだ。
彼はジェームズ・ポッターに似ている。
・応援バッジ
分霊箱探索前において、ハリーはトランクを整理していた際、その中からセドリック・ディゴリーを応援しよう/汚いぞ、ポッターバッジを取り出している(七巻・二章)。
彼が所持している理由は不明であり(クリーピー兄弟が改良しようとしていたり、喧嘩の際にロンの額に投げ付けたりと手の届く場所には在った)、それを発見した事に関するハリーの反応も、作中では言及されない。
・アナグマ
アナグマは、ブリテンの田舎において珍しくない動物であり、英国において最も法的に保護されている動物の一つである(Wildlife and Countryside Act 1981、Protection of Badgers1992(これ以前の1973年、1992年の二つの法律の集大成)など)。
アナグマへの故意の傷害等は勿論、ペットとして売り買いする事や、故意または過失によって所有者の犬がアナグマの穴を破壊する等の行為も禁じられている(ざっと読む限り、英国には裁判所による犬のdestruction orderというものが有る模様。また、犬を一定期間所有者から取り上げる事も可能らしい)。
但し、野生のアナグマは牛結核(bTB)の感染源としても問題となっているようである。
・セドリック・ディゴリー
彼の父のエイモスはクィディッチ・ワールドカップ前において、ハリーと対戦した事をセドリックから「詳しく」聞いたと述べ、「ハリー・ポッターに勝ったんだ」と主張する。
それに対してセドリックは「ちょっと困ったような顔をして」反論しながらも、その主張が受け入れられる事はなく、更にエイモスは「一人は箒から落ち、一人は落ちなかった。天才じゃなくたって、どっちがうまい乗り手かわかるってもんだ」と述べる(四巻・第六章。もっともセドリックの死後、エイモスは夫人と共にハリーを責める事はなく、寧ろ遺体を連れ帰ってくれた事を感謝している)。
また第一の課題前において、ホグズミードでは「ほとんどが「セドリック・ディゴリーを応援しよう」のバッジを着けていた」のであって、アーニー・マクミランとハンナ・アボットもバッジを着けていた事が言及されている(第十九章)。
更に、ハリーがドラゴンの事についてセドリックに伝える際、ハリーがバッグを破壊して一人になるよう仕向けたのは、彼が六年生の友達に囲まれていたからで、かつ彼等が「みんな、ハリーが近付くと、いつも、リータ・スキーターの記事を持ち出す連中だった」からである(第二十章)。
しかし作中で言及される彼の行動は、一貫して親切で誠実な物である。
三年目に吸魂鬼の影響でハリーが箒から落ちた際にはスニッチを取ったにも拘わらず試合のやり直しを要求し、シリウスからファイアボルトが送られた際にはハリーを祝福している(三巻・第十三章)。
四年目においても、ゴブレットに自分で名前を入れていないという主張に対してセドリックが(その後のロンと同様に)信じていないとハリーが感じたり、ドラゴンの事を教えたハリーに最初は本当かどうか疑いを向けた事は一応見受けられる。
けれども、第一の課題前には笑い掛けており、第一の課題後には「その場に臨んで、ハリーが立ち向かったものが何なのかを見たとき、全校生徒の大部分が、セドリックだけでなく、ハリーの味方にもなった」(第二十章)ことを差し引いても、「廊下での嫌がらせも、以前ほどひどくはなくなった。セドリックのお陰が大きいのではないかと、ハリーは思った」「「セドリック・ディゴリーを応援しよう」バッジもあまり見かけなくなった」(第二十二章)と言及されている。
またクリスマス・パーティーに際してはヴィーラの血を引くフラーのダンスパーティーの誘いを(恐らく先約が有ると言って)退けている。そしてハリーに借りを返す為に第二の課題についてのヒントを教えた事は周知の通りである。
最後の第三の課題においては、「金色の光に浮かんだセドリックの顔が、どんなに欲しいかを語っている」「ありったけの意志を最後の一滴まで振り絞った言葉のようだった」と描写されながらも、ハリーが自ら同時優勝を提案するまで、彼はハリーが優勝杯を取るよう断固として告げ続けた。
何より、セドリックの死後の唯一の願いは、自身の遺体を両親の許へ連れ帰る事だった。