この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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スポーツマンシップ

 アラスター・ムーディ教授の〝宿題〟は、随分と歯応えが有った。

 

 第一の課題への期待の高まりを完全に無視して僕は何時も通りの図書室で本を開いている訳であるが、正直言って完全に手に余る内容だと言って良い。今まで続けていた優等生としての積み重ねなど何だったのかという次元である。辛うじて理解は出来るが、実践は程遠い。

 

 教授が何を思ってこの本を選択したか知らないが、正直今すぐ突き返したくなる位には難しい。数年先、それも専門で研究する人間で無ければやらない内容であろう。

 多少の個人的な興味が有るにしろ、伝説的な闇祓いに伝手を持っておけるという魅力が無ければ──アルバス・ダンブルドアに対する不信が無ければ──()こんなにも熱心に取り組もうとしていない。三大魔法学校対抗試合が本格的に開始して以降は、全体の授業の速度が緩やかになる事を願うばかりだ。去年のハーマイオニー・グレンジャーでは無いが、このままではパンクしかねない。

 

 ……まあ、来年の進路相談の事を考えれば、出来る事はやらざるを得ないという側面もあるのだが。

 特にスリザリンの寮監はスネイプ教授だ。彼が真っ当に進路指導する所など想像が付かないからこそ、可能な限り付け入る隙というのは小さくしておかなければならない。

 

 一方で、本題たる三大魔法学校対抗試合に関してだが、僕を取り巻く状況は正直微妙な物になってきた。……嗚呼、少しばかり、僕はやり過ぎたのだろう。

 

 セドリック・ディゴリーを応援する気が無いと断言したのは全くの本心では有ったが、三大魔法学校対抗試合の代表選手の全てについて、あれ程明確に疑問を投げ掛けたのは不味かった。というのも、あの時点では外部──僕の悪評が既に広まっているホグワーツはどうでも良いとして、他の二校──に漏れているとは思わなかったのだ。

 

 正確にはそれを想定していない自分の愚かさを嘆くべきだったというべきか。

 

 ダームストラングはスリザリンと同席したのであり、その縁も有って親しく成り得る所に居るのは解っていた。

 如何に談話室内でなされた会話であるとは言え、絶対的に隠す必要が有る類の内容でも無い。そして、それが三大魔法学校対抗試合の根幹に関わる物であるからこそ、口を噤むのは困難だろう。少なくとも、ハッフルパフに告げ口するより気楽な筈だ。

 

 更に反応を見た感じでは、ボーバトンまで僕の痛烈な揶揄は広まっているらしい。

 歓迎会の雰囲気から見るにフラー・デラクールは同性から好かれる性格では無いと踏んでいたが、さりとて自校の代表選手を扱き下ろされて歓迎出来る訳でも無いという事でも有るようである。スリザリンの大勢を見ても解っていたが、自校の代表だろうが気に入らなければ応援しない僕のような存在は異端らしい。

 

 しかしながら、結論だけ見ればやはり致命的な物では無いだろう。

 

 今回の一つの問題は、ハリー・ポッターの名前を入れた犯人が()()()()()という事だ。つまり闇の帝王か、有象無象の死喰い人か。その何れかによって全く違ってくる。

 後者の場合、セドリック・ディゴリーを否定した事は──というか、ドラコ・マルフォイを真正面から非難した事は、悪い状況へと繋がりかねない。闇の帝王がルシウス・マルフォイ氏を受け容れるかどうか不明だが、自身の支配の速やかな確立という事を考えれば、即座に処分する事は無く、相応の地位に就けると考えれるからだ。

 

 ただ、その場合でも大きな支障は無い。僕の想定する最悪は前者、つまり今回の手引きに闇の帝王が直接関与している事であり、そうでないならば死喰い人から悪印象を持たれた所で何らの痛痒にもならない。寧ろ、それを歓迎すら出来るだろう。 

 

 嗚呼、それはそれで良いのだが──最近の図書室は、少々五月蠅かった。

 

 第一の課題、それも代表選手にすら内容が知らされない試練。

 そうである事も有ってか、ハリー・ポッターを含め、彼等四人の姿を図書室で見る。そして問題で有るのは彼等自体では無く他に有り、本を読む事を目的としないどころか図書室に来たのが入学以来初めてでは無いかと思える人間がうろつき回っている事だった。

 

 ホグワーツ生の適当さと無秩序さから半ば必然的に、図書室で無言で学習している人間というのはどちらかと言えば少数派だ。僕とてハーマイオニー・グレンジャーと言葉を交わす事は少なくなく、それ故にマダム・ピンスは図書室の偏執的な巡回を辞めないのだが、それにしたって今回のビクトール・クラムへの対応というのは度が過ぎていた。

 黄色い声と忍び笑い、頻繁過ぎる本の出し入れと生徒達の往来、手を振ったりウィンクしたりというようなアピール行為等々、図書室の守護神マダム・ピンスが制御を諦める程である。……まあ、大穴で彼女がビクトール・クラムのファンという可能性も無きにしも有らずだが。

 

 救いは、ビクトール・クラムが勤勉な読書家らしい事だろうか。

 注目になれているらしい世界的クィディッチ選手は全く反応せず黙々と本を読み続けているので、辛うじて決壊だけは免れている。

 彼がギルデロイ・ロックハートでなくて良かったものだ。そうであったならば、図書室はサイン会場になって機能停止した事だろう。勿論、マダム・ピンスが頭に血を上らせて卒倒する事によってだが。

 

「──ステファンって一年の頃よりも無茶苦茶になってるわよね」

 

 気分転換には微妙過ぎる思考を無理矢理断ち切ったのは、断りなしに僕の前に座った一人。

 どさどさと遠慮無く本を置きながら、そう小声で言ったのは、当然ながらハーマイオニー・グレンジャーであった。

 

「貴方って昔はもう少し評判を気にする方だと思っていたけど、もう最近はヤケクソになって来たんじゃないかと思ってきたわ。事件の渦中に居た事なんて一度も無いのに、ここまで目立てるのって最早一種の才能よ」

 

 その言葉には、当然呆れが滲んでいる。

 

「……軽率になっているのは否定しない。だが、開き直らざるを得ない状況に陥っているという一面が有るのは理解して欲しいものだ」

 

 全ては、一年の学年末のアルバス・ダンブルドアから始まった。

 あれさえ無ければ、もう少し平穏な学生生活が送れていたように思える。あの時は悪くないと思ったが、ここまで事件続きだと解っていれば上手く立ち回っただろう。

 

「どうかしら。年々、スリザリン関係無しに悪くなる貴方の評判に苦労させられる私の身にもなって欲しいわ。というか、ハッフルパフ生が言ってたセドリックに文句付けてるスリザリンって貴方でしょ」

「……僕とは限らないと思うが。純血主義者にしてスリザリン至上主義のスリザリン生というのは大勢居るだろうに」

「でも貴方でしょ」

 

 確信と共に繰り返した彼女に、僕は白旗を上げた。

 

「……確かに、君の言う通りだ。その噂の元は僕以外に有り得ない」

 

 やっぱりというように彼女が微かに笑う。

 

「まあ、解ってたわ。ズルしたハリーが代表選手とか有り得ないって怒る人間は掃いて捨てる程居たわよ。ただ、炎のゴブレットは信用出来ない、代表選手は全員違うし残らず資格無いでしょって断言する過激派は貴方くらいのものよ」

「至極当然の思考回路だと思うがな。あの三人の正当性は何ら確保されていない」

「ええ、そうね。貴方の言に理が有ると認めた生徒は確かに居るわ。特にレイブンクローあたりはね。だから、ハッフルパフがビラ撒きに息巻いてるのよ。セドリックって誰とか抜かしたスリザリン生に思い知らせてやるんだって」

「……流石にそこまで言ったつもりは無いがな」

 

 ただ、人の発言が面白おかしく捻じ曲げられるのは何時もの事か。

 

「ハリーも凄い嬉しそうだったわ。セドリックが真のホグワーツの代表選手だと浮かれていた人間には良い皮肉だって。何より、貴方はあの馬鹿げたバッジを着けていないし」

 

 彼女の言葉に溜息を吐く。

 

「別に僕はハリー・ポッターを応援している訳では無い」

「ええ、貴方の捻くれたハリーへの感情は解っているわ。実際、貴方の言葉はセドリックと同様にハリーの資格に対して当然疑問を投げかけている」

「けれども、敵の敵は味方か」

 

 しかしながら、彼等の感情は妥当性が有るものだ。

 自寮から代表選手が選ばれたという彼等の熱気に冷水をぶっかけたのだから、ハッフルパフは当然恨む事だろう。

 

 その割に僕への直接的な干渉が無いのは、多少不気味であるが。

 〝生き残った男の子〟にも容赦しないのだから孤立したスリザリンに対して我慢はしない筈だ。ただ、そのような事は不思議な事に無かった。そして思い当たる節も無い。

 

「そのハリー・ポッターはどうしたんだ? 君達が第一の課題の為に入り浸っている事は、僕も当然ながら見てはいたが」

 

 良くも悪くも注目を集める英雄が居る傍で、僕はハーマイオニー・グレンジャーに対して話し掛けもしないし、彼女もそうだった。

 そもそもハリー・ポッターにとっても不意だったらしい試練は、周りの事を気にする余裕を失わせており、彼女と同じ位に本に噛り付いていたのだ。彼女もそれに付き合っていたから、部外者が邪魔出来る筈も無い。

 それを思えば彼がここに居ないと考えるべきだが、彼女は案の定頷いた。

 

「ああ、気分転換よ。談話室は今のハリーには居辛いけど、私と一緒だと図書室ばかりだからウンザリしてるみたい。今年はハリーの息抜きになってたクィディッチも無いし、第一の課題も近いから気も立ってるのよ」

 

 あっけらかんと言う彼女は、ハリー・ポッターの行動に理解を示すものだった。

 ロナルド・ウィーズリーの件もそうだが、去年の逆転時計での件も有るのかもしれない。彼女達が四六時中一緒に居る事は同じだが、それでも学年末からは彼等の距離感が微妙に変わっているような気がする。それは不仲や不信が続いていたから離れたという訳では無く、御互いを尊重する必要性を認識したが故の行為のように見えた。

 

 しかし、〝英雄〟殿も大変だ。

 彼が挑むのは歴史的に夥しい死者が出たという試練であり、唯一十四歳でも有る。それを理由に一人だけ難易度を下げてくれる訳が無い。部外者は正しく他人事で有っても、当人はそうは居られないという事だろう。

 

「……嗚呼、念の為確認しておくが、ハリー・ポッターは自ら名前を入れていないだろうな」

「ええ。それは間違いなく私が保証するわ」

 

 本から顔を上げて問えば、彼女もまた視線を合わせてはっきりと頷いた。

 

「ならば良い」

 

 既に確信していたのだから、何が変わった訳でも無い。

 しかし、当たって欲しくない方ばかり当たるのは如何な物か。

 

「そう言えば、君は多少変わったな」

 

 彼女と向き合ってみて、僕は気付いた。

 

「君の前歯が小さくなっている。魔法で調整したのか?」

「……ええ、そうよ。どうかしら?」

「さあ。僕は美的感覚を磨きながら十四年生きて来た訳でも無い。君の両親が残念がるだろうという感想と、君が魅力的で可愛らしい女性であるのは四年前から同じだと言える位だ」

 

 どう答えるべきか困惑しつつ答えれば、彼女は本の向こう側に顔を隠した。

 ……正解だったのか、外れだったのか。本を読んでも答えが出ない物というのは世の中に多く有るが、千人居れば千通りの答えが有るのに正解を引くのは至難である。

 

 彼女が再度話掛けてくるまでは、僕が彼女の存在を忘れる位には、たっぷりと時間を要した。

 

「……でも、本当に大丈夫なの?」

「──何がだ?」

 

 微妙に押し殺した声に、『最も邪悪なる魔術』に再度没頭していた僕は一歩遅れて答える。

 しかし、闇の魔術というのはどうして苦痛やら悲鳴、悪感情とやらが好きなのか。もっと恰好良く優雅な黒さを持ち得るというのは期待してはならないのか。

 

「一応ハリーへの援護射撃にもなった訳だから今回はグリフィンドールも貴方の発言には好意的だけど、敵を作り過ぎじゃない?」

「大丈夫かどうかは知らないが、この雰囲気はそう長くも続くまい。炎のゴブレットが正しい代表選手を選んだかどうかは、第一の課題で明確に解る」

 

 運命の一日目まで既に一週間を切り、そこで一応の区切りは付くだろう。

 

「夥しい死者を出すと言われた催し物が、一般の生徒が簡単にこなせる程に生易しいとは思えない。寧ろ難易度が高ければ高い程、課題を達成した人間には既成事実が出来る。つまり、炎のゴブレットは正しく、真の資格を持った代表選手の名を告げたという事実が」

 

 生徒の中を探せば、他に同様に課題を達成出来る人間は居るかもしれない。

 ゴブレットはそれを達成出来る能力を持つ選手では無く、あくまで一つの学校の枠内で最も優れた選手を選ぶに過ぎないからだ。

 ただ、後出しで自身も可能だったと主張した所で、所詮は負け惜しみにしかならない。

 

「行為こそが正義であり、偉業自体が正当性を保証する。一生徒に過ぎない僕の疑念など、真実の前には簡単に消え去る事だろう。だから、僕はさして気にしている訳では無い」

「それなら良いんだけど……。でも代表選手(ハリー)って本当に課題内容を知らされてないわよ。大丈夫よね? 抜き打ちだから、多少は優しくなるわよね?」

「さあ。逆に一番最初が過激という事も有り得る。何処からも文句が出ないままに、自分達の好き勝手に進められるからな。それは主催者次第だ」

 

 ルドビッチ・バグマン。バーテミウス・クラウチ。

 

 この三大魔法学校対抗試合を主導した組織の長である彼等の何れの名も、僕は裁判記録で──よりにもよって死喰い人関連の裁判で知っている。その性格というのも、ある程度は想像が付いている。しかしながら、流石にどのような課題を出すかというまでは予測出来ない。

 

 ……ただ、〝ルード〟バグマンが主導した場合は過激になる気がする。

 彼は典型的な御調子者だ。そして、何処に境界線を引くべきかを認識したがらない傾向が有るように見受けられる。『ばか』だったが故に死喰い人に情報を漏らしたように、うっかり代表選手を殺そうとする可能性は否定出来ない。

 

 これはあくまで予測では無く、単なる予感に過ぎないが。

 

「いずれにせよ、全ては第一の課題の成否に懸かっている。代表選手達が成功すれば、僕は単なる愚かな妄言を吐いた馬鹿というだけで済む」

 

 スリザリンが何時も通り、根も葉もない風聞と見当外れの推論を流した。

 ただそれだけで終わる。

 

「しかし、裏返して言えば、代表選手は第一の課題だけは何としても成功させなければならない。僕が煽った形にはなったが、それが無くても同じだ。特に今回においては」

「……そこまで言う? 歴史的には、第一の課題を失敗しても挽回して優勝した代表選手って居るでしょう? 寧ろ、それを期待して逆に応援したくなるんじゃないかしら」

 

 判官贔屓(アンダードッグ効果)か。

 それは有り得ない事でも無いが、世の中善良な人間ばかりでは無い。

 

 そして、今回の三大魔法学校対抗試合というのは普通では無いのだ。

 

「想像して欲しい。本来資格が無い筈の十四歳の魔法使いが、困難な課題を何とか達成した。一方で、資格が有り、炎のゴブレットから正しく選ばれた筈の成人である自分は、しかしながら惨めにも課題を失敗してしまった」

「……悪夢ね。想像しただけで吐き気がするわ」

「それだけならばまだ良い」

 

 さらに今回は誰が見ても不正な状況が生じているが故に、事がややこしくなっている。

 

「ホグワーツの代表選手は二人居るんだ。そして決定的な上下が──ハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーよりも優れている事が全校生徒に晒された場合、それは彼にとって致命的な事になるだろう」

 

 それはもう酷い事になるに違いない。

 本来選ばれるべきでは無かった人間が、たまたま十七歳の制限が有ったが為にお零れで選ばれた。或いは、ゴブレットの不調により、間違って名前が出て来てしまった。

 セドリック・ディゴリーを貶める論理など、幾らでも思い浮かぶ。そしてその論理は、代表選手の否定の論理と違い、多くが発想するのに苦労しない類の代物だろう。

 

「ビクトール・クラムやフラー・デラクールにもプレッシャーは有るが、セドリック・ディゴリーの比では無いだろう。そして、ハッフルパフがハリー・ポッターに過剰反応しているのも、その末路を正しく予見しているが故だ」

 

 友人も、恋人も、今まで積み上げてきた六年さえも、ほんの数十分で消え失せる。自信は打ち砕かれ、自尊心は引き裂かれ、心は憎悪に支配される。

 

()()()()()()()()()()、そんな悲劇を望む事は有り得ないだろう。嗚呼、全くもってハッフルパフは仲間想いであり、そして善良だ」

 

 彼等はセドリック・ディゴリーの成功以上に、ハリー・ポッターこそが失敗する事を誰よりも願っている。ハリー・ポッターが失敗していれば、セドリック・ディゴリーが同様に失敗しても決定的に面目を失う事は無いからだ。

 それ故に、ハッフルパフは全校を巻き込んで彼の中傷活動を行っている。ストレスを加え、精神に責め苦を与え、本番での失敗の可能性を上げようとしている。皮肉な事に、善性に基づく好意と思慕こそが、人の精神を破壊する悪意を生み出している。

 

 故に僕は本心からそう称賛するのだが、しかしハーマイオニー・グレンジャーは、僕の言葉に含まれた揶揄を感じ取ったようだった。

 

「……貴方はセドリックに失敗して欲しいの?」

 

 ハッフルパフについて問わないそれは、彼女が僕を正確に理解しようとしている証だった。

 

「……どうだかな。実際、僕自身も明確では無い」

 

 嫌いだというのは断言出来る。

 彼が代表選手となっているという間違いを脇に置いたとしても、彼の心を見透かしてしまった今、その確信は強くなってしまっている。

 ただ──それが起こった時、良い気味だと思えるかは微妙な所だ。

 

 それは僕が彼を可哀想だと思うような真っ当な存在であるという訳では無く、単純にアルバス・ダンブルドアやセブルス・スネイプ教授への物と同程度の思い入れを抱けないからだ。

 

 セドリック・ディゴリーは僕にとって特別では無い。

 

 今までの中でも上から数えた方が早い位には強い感情を抱いているのも事実だが、第一の課題を失敗した所で、やはりそうだったか、程度の感想で終わってしまう可能性も否定出来ない。セドリック・ディゴリーが僕の動向を気にしないのと同様に、僕もまた彼の動向について左程興味が有る訳では無いからだ。

 

 しかし、それ故に彼女は興味を惹かれているようだった。

 

「貴方って好き嫌いは結構はっきりしてるけど、嫌いなりに付き合えるタイプじゃない? 勿論、ハリーの事は除外しても尚、私にはそう見えるという意味だけど」

「……そうだろうか? 自分では解らないが」

「ええ。ロンは貴方に近付こうとしないけど、仮に近付くのであればそれなりに仲良くやれそうな気がするわ。寧ろ、ハリーよりも相性が良さそうね」

 

 そしてだからこそ意外だわ、と彼女は続けた。

 

「──貴方がセドリックを嫌うのは何故?」

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーの瞳には、強い関心が有った。

 

 彼女が今まで直接見て来たという留保付きで有れば、僕が明確に嫌悪を示す人間というのを見るのは初めてだからだろう。

 ギルデロイ・ロックハート、或いはドラコ・マルフォイやスネイプ教授にすら明確な形でそれを剥き出しにした事は無いからこそ、彼女は疑問を持っていた。

 その中に微かな非難が混じっているのは意外だが、不自然という訳でも無い。

 

「貴方はハリーが嫌いだと一貫して言ってきたけど、セドリックはその比じゃないでしょう? 寧ろ、ハリーには明らかに好意的と言えるくらいだわ」

「……そうだな。ハリー・ポッターより嫌いなのは確かだ」

「でしょう? だって貴方は彼をはっきりと挑発したもの。珍しくセドリックが怒る位に」

 

 思ってもみなかった言葉に、思わず彼女を見返した。

 

「彼が怒りを見せたのか? 他人が居る所で?」

「ええ、まあ。少し違うのかもしれないけど、貴方から離れた後、貴方の悪口を言い始めた女子に対して、その話題は口にしないで欲しいって()()言ったって聞いてる」

「……成程、ハッフルパフが僕を持て余しているのはそれが理由か」

 

 そして、意外にも僕の言葉は彼にとって相当堪えたらしい。

 いけ好かないスリザリンが勝手な事を言っていた程度の受け止め方をするとも思っていたが、彼は自分の仮面の出来にそれなりの自信を持っていたのかもしれない。あの瞬間に彼が優等生を取り繕ったのは、急所を射抜かれた動揺故でもあったのだろう。

 

「そもそも貴方、セドリックを応援しているとか言ったんでしょ? でも同時に、貴方が挑発したとかセドリックが怒ったという噂が伝わってくる。その割に、応援以外の詳しい会話内容は良く解らない」

「僕は彼を真のホグワーツの代表選手でないと言った。その立場は明らかだ。なら、単純に応援していると直接告げた事を挑発だと受け止め彼が怒りを示したと解するのは自然ではないのか?」

「……ええ、そうね。だから私が解らないと言ったのは、セドリックが単なる安っぽい挑発に引っ掛かるとは思えないからよ」

 

 ページを捲る音に溜息を被せた後、彼女は続けた。

 

「応援云々を超えた所で、貴方が何かの逆鱗に触れたのは明白よ。貴方、そういうの得意でしょ? そして、貴方は目的や意図無しに相手に絡みに行く性格でも無い。だから聞いた話からの私の勝手な判断になるけど、貴方は間違いなくセドリックに対して悪意を抱いていた」

「……君は、随分はっきりと断言するんだな」

「丸三年以上貴方の事を見て来たのよ。解らない方が可笑しいわ」

 

 当然のように、ハーマイオニー・グレンジャーという女性は断言する。

 

「噂話が何処か茫洋としているのも、その場に居た人間が──恐らくハッフルパフが濁してる。そしてそれも恐らく理由が有る。多分、貴方がセドリックを揺らがせたから」

「……自身の王国が乱されるかもしれない可能性という初めての脅威に、彼もそれなりの危機感を抱いたという事だろうな。ただ、その後に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼はそうすべきだった。

 そうであれば、ハリー・ポッターと同じく、何の憂いも無しに、ハッフルパフは僕の中傷を存分に続ける事が出来た。このような微妙な情勢を造らずに済んだ。

 

 そもそも僕が言い触らす相手など居らず、その言に信用性は無いのだから、その危機感は過度の物だ。スリザリンの異物の発言を、ハッフルパフの優等生が全否定するというのも難しくない。故に、その失敗は、僕の感知する所では無い。

 

 まあ、他ならぬ彼自身が誰よりも痛恨と感じて居る事では有ろうが。

 

 けれども、気持ちは解らないでもない。

 あの場に居た人間であれば、会話の発端がバッジだった事を知っている。そして、内容を深く考えれば、ハッフルパフ以外でも僕の揶揄の裏に気付くかもしれない。ハッフルパフが明確に気付いているかどうかは不明であるが、少なくとも広くは知られていないだろうし、セドリック・ディゴリー自身は知られたくないと考えている筈だった。

 

 ただハーマイオニー・グレンジャーはあの場に居らず、また部外者(グリフィンドール)だ。

 故に彼女は真意に気付く事が出来ないだろう。そして僕としても開心術で見透かした事柄が無関係で無い以上、全てを伝える気も無いのだが──彼女が納得しないのは明らかだった。

 

「僕がセドリック・ディゴリーを、何処からどう見ても非の打ち所がない監督生を明確に嫌っているという事が気に入らないか?」

 

 視線を交わさないままの問い掛けに、けれども彼女は頷いたようだった。

 

「……そうね。貴方がそんな感情を持っている事がちょっと嫌」

「だろうな。君が好きそうなタイプだ」

 

 苦笑しながら言うと、彼女は口を尖らせて烈火のごとく抗議してきた。

 

「……ハンサムだから好きになる訳じゃないわよ。それだけじゃ決してないわ」

 

 まあ確かにギルデロイ・ロックハートは、顔だけでは無く小説家としても優れていたが。

 そしてその点に関する敬意は未だに喪われていない。彼は記憶を喪い、しかしながら作品の価値を喪失せずには済んだのだから。その事については、僕はアルバス・ダンブルドアに感謝していると言っても良かった。

 

「君の男の趣味は兎も角として」

 

 僕の前置きに更なる不服そうな感情が伝わって来たが、彼女は何も言わなかった。

 

 それは、一々反論していては話が進まないという事も有っただろうし、僕が話をするつもりが有るという事に彼女が気付いたからだった。そして彼女の反応の意味を僕が正確に見通せたという事は、成程三年という期間は、確かに御互いを知るには長いようだった。

 

「僕がセドリック・ディゴリーを心底嫌悪するのは、彼が代表選手の地位を盗み取った云々の理由では無い。もっと性格的な物で下らない事だ。僕がハリー・ポッターやスネイプ教授よりも彼を嫌っている理由というのはそこに在る」

 

 多分、アルバス・ダンブルドアの次かもしれない。

 積極的に関与しないで済む人間だというのが救いだ。後二年で卒業してくれる者だというのも都合が良い。仮に同級生だったら、愉快ならざる事になっていただろう。

 

「それを語るに際して、まず些細な事から上げておこう。アラスター・ムーディ教授によって、マルフォイがケナガイタチに変えられた出来事についてだ」

「……それは未だ記憶に新しい事だけど、それがどうかした?」

「僕が記憶しているのは偶然、という訳でも無いのだが、僕はどちらかと言えば周りの反応を見ていた。そして、彼も、セドリック・ディゴリーもその中に居た」

 

 ケナガイタチ(ドラコ・マルフォイ)を見ていても、面白いだけで得られる物は無い。

 だから周りの方を観察していたのだが、それ故に僕は彼の事を覚えていた。その時点では、僕は彼の本質を知らなかった訳だが、流石にハッフルパフのシーカーで監督生ともなれば名前くらいは覚えている。認識する事は可能だった。

 

「……? だから何?」

「嗚呼、本当に些細な事だ」

 

 その時は当然に見逃し、しかし今になっては意義を感じられるだけの代物。

 

「彼は笑っていた。教授によって何度も跳ね上げられ、石畳へと叩き付けられるドラコ・マルフォイの無様さについて、仲間達と随分愉しそうに語り合っていた」

 

 それを口にした瞬間、彼女は衝撃に顔を歪め、しかし即座に僕へと反論した。

 

「っ。でも、ハリーだって笑ってたわ。ロンはもっと大笑いしていた。永久に自分の記憶に焼き付けて置きたいとまで言ってたわよ」

 

 そして、彼女は言いにくそうに続けた。

 

「……私だって、あの光景を見た時は圧倒されてたけど、その後で笑っちゃったわ」

 

 それを自ら告白出来る善良さは素晴らしいと思うが、そうでは無い。

 

「君は勘違いしているようだが、僕は笑う行為自体を非難したい訳では無い。仮にスリザリンの眼が無かろうと僕がそれを笑う事は無いが、心情に理解を示す事は出来る。ドラコ・マルフォイは恨みを買い過ぎている。何より呪文を背中へと撃った以上、自業自得の面はあるからな」

 

 故に、僕がそれによってハリー・ポッターやロナルド・ウィーズリーを嫌いはしない。逆に、ドラコ・マルフォイに対しても同様だ。

 性格が良くない事が、直接的な好悪に繋がる事は無い。セドリック・ディゴリーに対する程に弱くもない感情となれば当然だ。

 

「要するに、どんなに上手く取り繕っていたとしても、細部やふとした瞬間に本質は顕れる。そして、その本質と表面の乖離が激しい程、その表面が見目好く小奇麗さを取り繕っている程に、僕はどうやら嫌悪を抱くらしい」

 

 セドリック・ディゴリー。

 彼は、そのような人間だった。

 

親切(kindness)誠実(honesty)公平性(fairness)。彼はハッフルパフが尊ぶそれらの徳目を持ち合わせて居ると見られ、実際彼はその通りの行為をやっている。僕よりも余程上等な人間だ」

 

 それは、間違いなく敬意を払われるべきでは有るのだろう。

 

「──ただ、彼は心の底からそれらに染まっている訳では無い。形骸で、虚偽的だ」

 

 だからこそ、僕はセドリック・ディゴリーに対して強烈な嫌悪を抱いた。

 

「今の状況が最も解りやすい。例えば三大魔法学校対抗試合の課題で、ハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーを()()助けたとしよう」

「仮定の話になってる事自体に突っ込みはしないけれど、まず例が不適切じゃないかしら。三校対抗試合は個人種目よ。ハリーがセドリックを助ける機会なんてそう有ると思えないわ」

「ならば別に他でも構わない。クィディッチだろうが、家庭の個人的事情だろうが何だって。例を持ち出すのは便宜上の物に過ぎないからな。君が納得出来る事項で良い」

 

 ハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーを()()助けるという要素が有れば何でも良いのだ。

 

「ともあれ、現在の状況下においてハリー・ポッターが、先にセドリック・ディゴリーを助けたという前提で話を進めよう。それも小さくない恩を感じる物だ。──さて、その瞬間においてそれはフェアだろうか。天秤はどのように傾いているだろうか」

「? 先にハリーが助けたならば、フェアも何も無いでしょう? 貸し一つで、ハリーの方に天秤が傾いてるって事になるわ」

「違う」

 

 当然のように言った彼女に、僕は否定を返した。

 

「天秤は傾き過ぎている。何せ最初から釣り合っていなかったからだ」

 

 仮定の話で他人を批判する事が無意味な事は重々承知だが。

 それでも、この場合には多少の不適切さは許されるだろう。彼女に告げたように、ハリー・ポッターとセドリック・ディゴリーの関係は最初から公平性を欠いているのだから。

 

「……どういう意味? 助けたのが最初ならば天秤が傾くのは必然でしょう? まさかセドリックが先に、最初にハリーを助ける事こそが正しいと貴方は言いたいの?」

「結論としては似たような物だ。彼が親切で誠実で公平性を有する真に道徳的な人間ならば、天秤を並行に保つ努力をすべきだったと言っているのだから」

 

 彼女が僕に視線を向けているのを感じ、しかし僕は視線を上げなかった。

 

「つまり、あのバッジがスリザリンだけでなく、ハッフルパフにも蔓延している事を、それをセドリック・ディゴリーが止めていない事を僕は指摘している」

「────」

 

 廊下での会話もそうだった。そして、それが彼の急所だった。

 僕はそれを真正面から揶揄し、それ故に彼は平静で居る事が出来なかった。

 

「あれはセドリック・ディゴリーを応援するだけでなく、ハリー・ポッターを貶める物だ。嗚呼、彼が明確に不公正な真似をしでかしたというならば解るとも。けれども、規則を設定したのはアルバス・ダンブルドアで、普通に考えれば十四歳の人間が騙せる筈も無い。けれども、彼等は貶めている。証拠も無く、さながら魔女裁判的にな」

 

 魔女裁判を為した人間達は、悪では無い。

 彼等彼女等は、その行為が大義に適う正義だと信じ切っていた。

 

 しかし、今の時代の理性的で道徳的な人間は、それらの行為を邪悪だと断ずるだろう。

 拷問による悲鳴、本心に基づく哀願、苦痛による諦念の自白に注意と関心を払わなかったからこそ、その暴虐と殺戮の嵐は起きたのだと。

 

 ならば、この場合においても同じ事が言える筈だった。

 

「あのバッジに対しては、確たる正義感を持つ者ならば嫌悪と忌避を示して然るべきでは無いか? それを同じ寮の人間が身に着けるのを放置している事は、善良で道徳心に満ち溢れた、全校生徒が範とすべき好青年の在り方か?」

 

 違う筈だ。決してそうでは無い筈だ。

 

 セドリック・ディゴリーとハリー・ポッターの立場が真逆であり、真の代表選手がハリー・ポッターで有ったとして、ハーマイオニー・グレンジャーは『汚いぞ、ディゴリー』バッジを着ける事は無いだろう。

 それは、彼女が考える公正とは真っ向から対立し、主義主張に反するものだからだ。

 

 僕はハーマイオニー・グレンジャーを見た。

 その瞳は、動揺で揺れていた。

 

「嗚呼、口では間違いなく止めている筈だ。それは確認した。しかし、セドリック・ディゴリーが真に高潔足らんとするならば、このような馬鹿げた事を辞めるべきだと()()言うべきだった。無口や謙虚な性格である事など、何ら言い訳にはならない」

 

 言葉は発するだけで強制力を持つ訳では無い。

 そこには確かな意思の力と、揺ぎ無い確信が必要なのだ。

 

「彼は単なる一学生では無い。六年生で、しかも監督生だぞ? 彼は力を持っている。見苦しい行為を止めさせ、他者にも気高さと高潔さを促すだけの力を。それにも拘わらず、ハッフルパフは、彼の友人達はハリー・ポッターを平気で汚い(stink)と呼んで囃し立てる」

「……貴方は監督生を神聖視し過ぎだわ。全ての寮生を統制出来る訳では無いもの」

「なら、君は監督生に言われても何も従わないか? 上級生である六年生から窘められて反抗するか? 何より、監督生は自寮からも減点する権限を有していた筈だが?」

 

 彼女は答えられない。

 ハーマイオニー・グレンジャーならばどうするかなど解っているから。

 

 僕は別にスリザリンを止めろと言っている訳では無いし、レイブンクローも同様である。流石に不可能を求めはしない。

 けれども、自分と同じかより下の学年(七年生以外)のハッフルパフに対しては、彼の統制が効く筈だった。寮内での敬意と親愛を獲得し、他人が自然と従わざるを得ない程の強い人間的魅力(leadership)を有しているのであれば、彼はそれが出来る筈だった。

 

「先の仮定の続きだ。ハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーを助け、更に今度は逆にセドリック・ディゴリーが助けたとしよう。しかし、それは天秤を釣り合わせ、公平性を回復する物では決して無い」

 

 他人は手放しで称賛するだろうし、その善良性を完全に否定する訳でも無いが、それでも僕は同時に軽蔑の念を抱く事だろう。

 

「そして、だ。セドリック・ディゴリーがハリー・ポッターを助けるのみならず、加えてこのバッジの存在もハッフルパフから一掃したとしよう。彼が為すべき最善を尽くしたとしよう。そこで漸く天秤が釣り合うが──やはり僕はそれを揶揄する事だろう」

 

 結果が綺麗で有っても、その過程が歪んでいた事に変わりはない。

 

「スポーツマンシップ。或いはフェアプレイ精神。それは、相手の立場を理解し、尊重し合い、それ故にどちらからともなく譲り合う行為の筈だ。最終的に実行の促進と実効性を担保するのは利益だろうが、それでも発端は間違いなく違う筈だ」

 

 その性質上、最初はどちらかが一方的に損しなければならない。

 後に相手も同様の事をしてくれるだろうという期待が有っても、何らかの保証無しにその身を投げ出さねばならない。

 だからこそ、その無私に近しい信念から生まれ出る自然の発露は、この世界で強く尊い輝きを放ち、彼等が得るべき報酬の代償として大衆は賞賛すべき義務が有る。

 

 それを進めて言えば、一方的に損している側が更に損するというのは正しく無く。

 

「相手から何かの利益を得たが故に、その御返しとしてなされただけの打算的な物はそう呼べはしない。導かれた最後の状況は同じでも、決して同種の物には成り得ない」

 

 それは悍ましさと醜悪さすら喚び起こすものであって。

 

「そして、セドリック・ディゴリーがハリー・ポッターから利益を得なければ、彼が公正な状況を造り出す事は──『汚いぞ、ポッター』というバッジを排除する事は期待出来なかった。そんな気は彼に更々無かった。そう考えるのは邪推だろうか?」

 

 自分が得しないから何もしない。

 正義の為に何も行動しない。それは人間的である。

 

 僕とて同じだ。

 あのようなバッジを非難し、身に着ける事を拒否したとしても、それを辞めさせた訳では無い。何よりドラコ・マルフォイは気付かなかったが、僕はセドリック・ディゴリーに関して揶揄したのみで、単純に『汚いぞ、ポッター』というバッジだけだったら、僕が着用するに支障は無かった。

 

 要するに僕に正義感というのは全くもって存在せず。

 しかしながらセドリック・ディゴリーという人間も、同じ穴の狢だというだけの話。 

 

「彼は口先だけの男だ」

 

 寛容や優しさ、正直や公平性からは程遠い。

 

「口では辞めろと言い、しかし他人が自身の為を想って中傷してくれる事で己の自尊心を満足させ、昏い喜びを抱いている。それを周りも悟っているからこそ、止めろと言われた所で周りも従わない。彼は非道を黙認し、彼こそが悪を正義として承認している」

 

 自信。自負。自尊。

 誰もがそのような物を持っている。

 けれども彼が持つそれは、ハッフルパフに似つかわしくない程に強い。グリフィンドールのように自惚れていて、レイブンクローのように排他的で、スリザリンのように陰惨だ。

 

「……けれど、去年のクィディッチでは、セドリックは高潔さを示したわ」

 

 これまで何も言葉を差し挟まなかったのは、僕の論理に気押されていたからか。

 それでもハーマイオニー・グレンジャーは隙を見逃す女性では無い。抗議の視線と共に、彼女は獅子寮の資質を十分に発揮する。

 既に本を読む振りなど辞め、本を閉じてすら居たのは、その感情の強さ故か。

 

「貴方は直接見ていないでしょうけど、ハリーが落ちた()()、セドリックはスニッチを取った。それにも拘わらず、セドリックは再試合を主張したのよ。ウッドですら形だけの抗議しかしなかった。貴方が非難するような人では無いわ」

「嗚呼、そうだな。彼は最大限上手くやっただろう」

 

 あの瞬間、彼は〝生き残った男の子〟を利用して、その評判と好感度を上げた。

 

「しかしながら、再試合が行われる可能性がどれだけ有った? あの時は、ドラコ・マルフォイが怪我を言い訳にして飛ぶのを回避する程の悪天候だった。つまり公明正大な審判にとってハリー・ポッターが、本当に吸魂鬼という乱入者により落ちたと判断出来たか?」

 

 彼女は反論しない。

 それは僕が因果の話でなく、証明の可否不可否を論じているからだ。

 彼が吸魂鬼により落ちたのは事実だろう。しかし、客観的妥当性は別の話だ。

 

サッカーボール(football)に動物が触れた時のように、スニッチに吸魂鬼が触れた結果として勝敗が左右された訳ではない。そしてハリー・ポッターは落ち、けれどもセドリック・ディゴリーは落ちなかった。吸魂鬼の試合への干渉は無く、その公正性は害されなかったと考えるのは妥当では無いか?」

 

 恐らく、マダム・フーチはそのように判断した。

 彼女の心証では違ったとしても、客観に基づく競技の公平性を堅持した。

 

「彼は恐らく一瞬で理解してやった。見事な物だ。その事に関しては、称賛を禁じ得ない」

「……なら、どうすれば良かったの?」

 

 彼女の声には、困惑が滲んでいた。

 

「貴方の正しさを認めるとすれば、セドリックは去年ハリーが落ちた際に、当然の勝利だという顔をすべきだったという事になる。それはやっぱり可笑しいわよ」

「……そうだな。その点に関しては君の方に理が有る。言い掛かりめいている事は、僕としても否定しない。君の言うような場合でも、僕は非難可能だ」

 

 再試合を求めない事を、倫理と道徳の欠如の証として指摘する事が可能だろう。

 

 しかしながら、僕がセドリック・ディゴリーという存在に対して引っ掛かりを覚える点というのはそうでは無いのだ。

 ハリー・ポッターに直接的な嫌悪を抱かないにも拘わらず、けれどもセドリック・ディゴリーに酷い嫌悪感を抱き、また忌避感を抱いている理由は、その点にこそ有った。

 

「ハーマイオニー。僕は単に、性格の悪い人間を嫌うという訳では無い」

 

 セドリック・ディゴリーが単純にそうであれば、僕はここまで嫌わなかっただろう。

 

「知っての通り、僕はドラコ・マルフォイとの交流を続けている。そして、君達友人二人も()()()()をしているのは重々承知だ」

 

 僕は、それらを当然に許容出来る。

 

「……そうよ。貴方だって、口ではセドリックの事を非難するけど、何もしないじゃない。マルフォイがグリフィンドールを虐めている時だって、私が何かを言われている時だって、貴方は何も是正しなかった」

「肯定しよう。僕は僕の立場を理由に、個人的身勝手で悪を放置している。その不親切(unkindness)不誠実(dishonesty)、そして不公正(unfairness)は十分非難に値する」

 

 最初に述べた通り、セドリック・ディゴリーは僕よりも遥かに上等な人間である。

 しかし、人としての上等さが好悪を決する物では無い。寧ろ、下等であればある程に、筋違いの好悪を抱くものだった。

 

「つまるところ──僕は、彼の善人面を剥がしてやりたいのだろう」

 

 そう口にした瞬間、ハーマイオニー・グレンジャーの顔には確かな嫌悪が浮かび上がった。

 それはほんの一瞬、瞬きする程の時間も無かったと言って良い。だが、そのような感情を彼女が僕に向けるのは、これが初めてだった。

 

 しかしそれでも、僕は言葉を止める気は無かった。

 

「彼が周りに見られているような存在で無い事を、僕だけが知る彼の本質という物を公にし、その人気と敬意を破壊してやりたいという欲望。僕は確かにそれを抱いている。率先してそうする気は無いが──機会が有れば僕はそれを是とする筈だ」

 

 さながらスネイプ教授が、ジェームズ・ポッターに試みようとしたように。

 

 教授もまた開心術の心得を有していた。それを用いたかは別だが、人の心の特に暗い部分について、教授は当時のホグワーツ生の誰よりも熟知していた筈だ。

 だからこそ、彼は恋敵という以上に、ジェームズ・ポッターに対して敵意と憎悪を剥き出しにした。隠し切れない彼等の傲慢を、己こそが正義だと疑わない醜悪さこそが受け容れられなかった。

 

 思えば、スネイプ教授は真反対だ。

 リリー・エバンズという唯一の例外を除き、教授は隠そうとしない。

 

 本質的にスリザリン贔屓だし、骨の髄まで物分かりの悪い生徒が大嫌いだし、立場上敵対するのが必要であるという面が有るにしても、ハリー・ポッターに対して本気の憎悪を──愛する女と憎い男の息子という以上の感情を抱いているのは事実である。それにも拘わらず、教授が閉心術に非常に長けている人間だというのが皮肉だ。

 

 けれども残念ながら、僕はスネイプ教授では無い。

 今の所、セドリック・ディゴリーは恋敵などでは無かったし、また僕がハーマイオニー・グレンジャーに向ける好意というのは、彼の物とは違った方向性を有するものだ。だから、これ以上に喧嘩を売りに行く必要性や価値まで感じている訳では無かった。

 

 彼の方から来るならば別だが、それはそれでやはり同じ事には成り得ない。

 僕はやはりスネイプ教授とは違うから、呪文で対抗する事などしない。一応炎のゴブレットが選ぶくらいだから、実力は確かな可能性も高いのだ。真正面からやり合うつもりは無い。

 ただ、弱者(underdog)にしても何とでもやりようは有るものだ。最低限、セドリック・ディゴリーの名声を破壊する事くらいは容易い。追い込まれた者特有の反撃でもって、スネイプ教授とはまた違った形でそれを露わにさせるだろう。

 

「要するに、嫉妬だ」

 

 一言で纏めればそれに尽きる。

 

「僕は正しさの為に彼を暴きたい訳では無い。彼がそうでないにも拘わらず、善やら正義と言った素晴らしい存在のように見られている事が気に入らない。そして僕は個人的な満足の下それを暴き立てたいと思っている」

「……貴方のその感情は歪んでいるわ」

「だろうな」

 

 彼女の静かで強い非難を排斥する事は出来ない。

 ハーマイオニー・グレンジャーの中には、何時も答えが有る。そして正しさも。

 

「前も言ったかもしれないが、僕は別に君に対して僕の考えを強制したい訳では無い」

 

 不承認をその表情だけでなく全身で示す彼女に、僕は微笑む。

 

「僕のドラコ・マルフォイやスネイプ教授、或いはアルバス・ダンブルドアに対する見方と君達の見方が違うように、やはり君には君のセドリック・ディゴリーの見方が有る。そして、僕の視点が偏見に塗れているという批判に対し、返せる言葉など有りはしない」

 

 大衆から外れているという自覚は有る。

 セドリック・ディゴリーは人気者で、人格者とみられている。物事の正否は多数決で決される訳では無いが、数というのが一つの指針になる事に違いはない。

 

「ただ、僕がセドリック・ディゴリーを嫌う理由というのはそういう事だ。それが全てでは無いが、少なくとも僕は彼が気に入らない。彼が代表選手である以上に、その薄っぺらい、虚飾と偽善に満ち溢れた在り方というものが」

 

 ハリー・ポッターでは無く。

 ロナルド・ウィーズリーでも無く。

 ドラコ・マルフォイですら有り得ず。

 

 セドリック・ディゴリーこそを、僕は許容出来ない。




・ケナガイタチ
 映画と違い、セドリックが笑ったシーンは書籍の中には無い。念の為。

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