この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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四話目。


覚悟

「──ハーマイオニー。悲しむのは見当違いだ」

 

 彼女は魔法界に強く惹かれている。

 ホグワーツ入学前に抱き続けた憧れを、今も持ち続けている。

 

 しかし、それでもやはり〝マグル生まれ〟だ。

 思考の根幹が非魔法界的に被れ過ぎており、精神構造も魔法族とは決定的に異なる。如何に臨んだとしても、決して混じり合えなどしない。

 

「〝政府〟は必要である。そんなのは、非常に現代的な発想だ」

 

 数百年前は違った。

 女王陛下の政府は、文字通りに陛下の所有物でしかなかった。

 誰もが王への忠誠や、家名や家族と言った個人的利益の下に動き、国民の為に広く奉仕するという意識なぞ更々持ち合わせて居なかった。

 

「そして非魔法界でも政府が機能していない国や領域、国連加盟の許されていない場所は有るが、別に無人の荒野が広がっている訳では無いだろう? 非魔法族ですら逞しく生きている。更に強い魔法族であれば生きるのに支障は無い。また、魔法省が滅んだとしても、代わりの機密保持法維持機関は必要だ。どういう形であれ、次の()()()()が生まれはするだろう」

 

 ただ、それが今の魔法省より更に脆弱となるだけで。

 大きな政府を志向し、社会福祉制度や公衆衛生体制を敷くなんぞ夢物語となるだけで。

 

「……っ。貴方は、貴方は本当にそれで良いの? 貴方の倫理観の下では、ダンブルドアの行為は受け容れられない。だからこそ、共に歩むのを拒絶するんでしょう……? それなのに、貴方は魔法省の、魔法界の滅びを受け容れるというの……?」

「良くは無いが、まあ仕方が無いだろう?」

 

 その話は、やはり夏休暇中に終わった話なのだ。

 

「アレクサンドロスやアッティラ、チンギスハン──別に、大英帝国首相や合衆国大統領あたりでも良いが。それらの暴君に振り回される時代に、何の肩書(title)も持たない一市民として生まれた事を、不幸と嘆いて一体何になる?」

 

 普通の一般人にとって……特に被征服地において、彼等は例外無く災禍だ。

 ホグワーツの封建君主であるアルバス・ダンブルドアもまた、ホグワーツ以外のブリテンにとって災禍だったというだけの話に過ぎない。

 

「そしてアルバス・ダンブルドアがこの世に居なかった場合。或いは、彼が自分は魔法界を守護する何の義務も無いとして、戦う事を拒否した場合。ゲラート・グリンデルバルトはさておくとして、この魔法界は間違いなく闇の帝王により滅ぼされていた」

 

 つまり、そもそもこの魔法界は、存在する筈は無かったのだ。

 

「本来二十歳で死ぬ人間を五十歳まで生かす医者は名医に違いない。ならば本来1970年に死ぬ筈の世界を二、三十年ばかり延命させてみせた彼は、やはり同じように最大限〝善く〟やったと言われるべきだろう」

「……魔法界はダンブルドアの所有物では無いわ。ダンブルドアも、そのつもりは無い筈よ」

「しかし、現実として全てが──闇の帝王以外が、彼の意思に沿って動いている」

 

 アレは魔法大臣でないかもしれない。

 だが事実上魔法界の王として、或いは〝首相〟として振る舞っている。

 

「そして、大多数の魔法族は今まで対策を取らなかった。結果的に正義であるという理由で、一人の大魔法使いによる非民主的独裁を看過し続けた」

「…………」

「アルバス・ダンブルドアがホグワーツで生徒による私軍を構築し、それを用いて魔法省を乗っ取ろうとしている。君はこれを聞いてどう思う? 馬鹿々々しいと思うか? ……嗚呼、そのような顔をしたという事は、この手の発言を何処かで聞いた事が有るらしいな」

 

 アーサー・ウィーズリーか。

 それともシリウス・ブラックか、リーマス・ルーピン教授か。

 

 彼等なら──魔法界の本流から外れた、政治に無関心な人間達なら言いそうな事だ。

 

「出来るのだ。非魔法界より遥かに楽に」

 

 キングズスクールにしてもオックスブリッジにしてもウィンチェスターカレッジにしても、それらは例外無く、聖座ないし玉座よりは新しかった。

 更にはそれらの起源ないし発祥は、やはり教会又は王権に拠っており、存在と存続は彼等によって保証・担保されて来た。必然、世界の頂点と自惚れる事は──歴史が下っていくにつれて事実上封建領主化したとしても、そこから先の〝国家〟に変質する事は構造上不可能だった。

 

 しかし、魔法界は全く違う。

 千年の歴史を持つホグワーツは三百年の魔法省より遥かに古く、そして発祥に際しても、四人の魔法使いが何の統治機関にも拠らず作ったのだ。

 

 独立自尊を気取るオックスブリッジですら、カレッジ内を歩いてみれば教会ないし王が建てたという歴史的建造物を見付けられる──建前はどうあれ、外の支配者達が事実上の影響力の行使をしてきた痕跡にぶち当たる訳だが、ホグワーツではそんな事は無い。

 魔法省による教育費用負担にしても、ホグワーツ生は殆ど意識していない。そして仮に魔法省からの金貨の支給が打ち切られようとも、伝統的な中世大学がそうであったように、〝ホグワーツ〟は卒業生達の慈悲と支援の下で何も変わらず運営出来るだろう。

 

 砂の上に立ったままの、何時倒れても可笑しくない魔法省とは異なるのだ。

 

「教育令第二十四号の根底に在るのは、魔法省が三百年抱いて来た恐怖だ。そして過日のアルバス・ダンブルドアの行動。それは三百年の恐怖が現実で有った事を示すもので、〝正義〟でない魔法省の行為には個人の勝手な判断の下、暴力でもって反抗しても良いという先例を打ち立てる愚行だ」

 

 彼の行動には秩序が、法治が無い。

 

「一応アレは基本的に善人だから、或いは君達が平和な自習組織に過ぎなかったから、大事に至らなかった。しかし、今回の先例を最大限悪用したらどうなる?」

「…………」

「闇の帝王は、死喰い人予備軍をそのまま学外へ持って行った。だから、彼の時は問題が顕在化しなかった。しかし、今後文字通りの『軍団』がホグワーツで結成され、そのまま魔法省に牙を剥いた時、それに魔法省が抵抗出来るのか? あの脆弱な組織は、生徒に対する武力鎮圧への批判に耐えられるのか? 或いは、悪しきホグワーツ校長が生徒を利用し、気に入らない政権を打ち倒し得る世界は、〝良い〟と言えるのか?」

 

 政権に不満を示して行動した生徒の例はダンブルドア軍団がやってくれたし、悪の校長の就任例は現在進行形でドローレス・アンブリッジがやってくれている。

 直近では問題にならなくとも、将来には禍根を残し得る先例だった。

 

「その危険を直視し、懸念し、改善しようとし、故に今世紀で最も偉大な魔法使いに挑む者は居た。バーテミウス・クラウチ氏は筆頭で、コーネリウス・ファッジもまた同じ。次の魔法大臣が誰になるかは知らんが、彼ないし彼女も当然のように挑むだろう」

 

 今年は、ホグワーツと魔法省の上下を決める政争だった。

 魔法省から見れば、国の中に国が存在するという事態を是正する為の聖戦だった。

 

「が、勝てなかったし、恐らく今後も勝つ事は無い。少なくともアルバス・ダンブルドアが健在な間はな。対等を取り繕っていた魔法省は、今回以降明確に、序列としてホグワーツの下位に置かれる事となる。魔法省はアルバス・ダンブルドアの顔色を伺いながらの経営を余儀なくさせられ、必然、魔法界やこの地に住まう魔法族への指導力なんぞ発揮し得ない」

 

 偽の玉座は朽ち果て、真の玉座のみが残る。

 誰も彼も、魔法省や魔法大臣の言葉を聞かない。実力も正義も無き者の命令なんぞに従わない。コーネリウス・ファッジの政権前半──ホグワーツ校長の操り人形と称されていた魔法大臣は、今後の任期でも踏襲される。

 

 魔法省が再度ホグワーツに権力闘争を挑み、その上で勝利しない限りは。

 

 そして当然、アルバス・ダンブルドアが消えれば仕掛けるだろう。

 何時までも奴隷で居続けたい者など居ない。また、現状回復──三百年間そうであったような曖昧な対等関係──にして手打ちとしようと主張も通らない。自由となった奴隷が主人を殺そうとするように、将来逆襲に出た魔法省は、ホグワーツの自治権を徹底に剥奪し、統制し、牙を抜こうと務めるに決まっている。

 

 その際、果たしてミネルバ・マクゴナガル教授は……或いはそれ以外の後任の校長は、数百人の大人の魔法使いの集団に勝てるのだろうか?

 

「加えて、既に懸念を示した通り、魔法省が魔法戦争の勝者とならず、あまつさえ魔法族に敵視されるような事態──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。やはり魔法省は滅ぼされる。アルバス・ダンブルドアが無理矢理存続させた場合でも、彼が死ぬかボケれば同じ末路を辿る事になる」

 

 三人兄弟の物語が綴るように、死人を生かす事は出来ない。

 アルバス・ダンブルドアの下で如何に魔法省が盤石に見えようと、彼が消え失せてしまえば、彼の為でしかなかった組織(   His Majesty's Government   )は崩壊する。

 

「そんな組織を、僕は到底〝政府〟と呼べんよ」

 

 そして、当事者は責を負うべきだ。

 ホグワーツ王の独裁を許した、僕を含めた今生きている全ての魔法族が。

 

「もっとも、アルバス・ダンブルドアは当然、そうはならないと考えて居る。魔法省も自分が多少小突いた程度で壊れはせず、自分抜きでも問題無くやっていける筈だとな。けれども、僕には余りに楽観的過ぎると思うし、現実逃避しているようにしか映らん」

 

 彼は自分の影響力を御存知ではない。

 

「……だから、だから貴方はヴォルデモートの支配を肯定するの?」

「間違いなく理由の一つだな」

 

 政府の生まれ損ないを中途半端に残していても害にしかならない。

 一切合切を焼き払って、瓦礫の中から生まれる次に期待した方が遥かに良い。

 

「何より、他の魔法界に少しでも正気な人間が居れば、地獄と化したこの魔法界を反面教師としてくれる。愛国心というものが無かろうと、普通の感性を持っていれば、自分の生まれ育った地に第二の帝王が現れて欲しいとは思うまい。教育改革、社会保障、経済革命等々。非魔法界の見様見真似で考え得る全てに手を出し、〝政府〟を創ろうとする筈だ」

 

 まあ間違いなく、最初は失敗するだろう。

 非魔法界とて無数の失敗の上に今が有り、そして現在も失敗し続けている。魔法族の社会体制も独特であるから、彼等なりの〝政府〟の構築は更に骨が折れるだろう。

 

 しかし、挑みすらしていない現状からは変わってくれるのは間違いなく、〝マグル〟被れの魔法使いが増加し、その事に頭を悩ませているのは何処の魔法界も一緒だ。ゲラート・グリンデルバルトの敗北で棚上げになっていたが、魔法族は改めて、〝マグル〟の存在と関係性、そして自己の存在意義を考える事になるだろう。

 

 だからこそ、一つの魔法界を供物とする事は正当化し得る。

 

 偏に、より大きな善の為に(  For the Greater Good  )

 

「……余りに強引で、常軌を逸した理屈だわ」

 

 唾を飲み込んで切り出した彼女に、僕は軽く顎を引いて先を促した。

 

「貴方は自分の結論を先取りし、自分に都合の良い論理を持ち出し、それによって自分の正当化を図ろうとしている。歴史がどう語っていようと、未来が同じように動く訳がない」

「前半も後半も君の批難を受けいれよう。そして、別に正当化する気は無い。あくまで個人的見解に過ぎず、この理屈を他所で訴える気なんぞ毛頭ないのだから」

「…………っ。貴方は何時も何時も、そういう理由付けで逃げようとする」

「そのつもりは無いが、まあそうなのかもしれん」

 

 そして別に自論を固持する気も無く、ハーマイオニーを論破したい訳でも無い。

 

「けれども、ハーマイオニー。僕の人生に、魔法省は必須ではない」

「────!」

 

 それだけは間違いない。

 魔法が齎した悲劇によって母達が死に、最早僕しか残っていない以上、自己責任と自力救済を至上とする世界こそを肯定する。

 

「君が今後、魔法大臣を目指すのは結構。しかし、何時か言った言葉を繰り返そう。魔法大臣は、世界を変える椅子では無い。アルバス・ダンブルドアがそうであるように、闇の帝王がそうであるように、魔法族はアレに従わない。故に、非魔法族的な幻想を抱いたまま昇れば、君はノビー・リーチ魔法大臣──〝マグル生まれ〟初と呼ばれ、しかしそれ以外に政治的功績の語られる事のない歴史上の人物と同様の末路を迎える事となる」

 

 イースター休暇が終わった後は、五年生は各寮監との面談を迎える。

 彼女がどの道を進むかは彼女の選択次第だが、非魔法界の公務員のように、市民の役に立ちたいとか、国を変えたいという無垢で陳腐な熱意でもって魔法省に就職する気ならば、やはりそれは道を間違えていると言わざるを得ない。

 

 鎮痛な表情をしたままのハーマイオニーに続ける。

 

「もっとも、()()今から憂う事にも意味は無い」

 

 笑い掛けてはみるものの、彼女の心がどれ程安らいだやら。

 

「第二次魔法戦争が何年続くか解らない以上、遠い未来の話では有る。これからの魔法省が有能である可能性も無くはないし、不死鳥の騎士団が圧勝すれば、魔法省の無様が露呈しないまま終えられる。そもそも、君達が魔法戦争に勝たねば始まらない」

「…………」

「また、闇の帝王が勝てば、良くも悪くも魔法省は存続する。支配に便利な道具であるのには間違いなく、だから僕の今の話は、あくまで君達の勝利の後に顕在化し得る話に過ぎん」

 

 眼前の事以外を気にした挙句、戦争に負けるのは本末転倒。

 致命的な問題と化する前から思い悩んでいても仕方ないというグリフィンドール的発想は、全く同意は出来ないものの、一理有るとは認めざるを得ない。

 

 また、更に決定的な理由が、もう一つ。

 

「──そしてまあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からな」

「────え?」

 

 腹立たしい事に、今世紀で最も偉大な魔法使いは大抵の場合において正しい。

 僕が想定する過程と彼の想定する過程は違うが、それでも結論が同じ事は否定し得まい。

 

 最初から存在しないというのは、逆に好都合とも言える。彼等が──非魔法界で育ったあの男が勝ち得ると言うのならば、僕の懸念なんぞ簡単に吹き飛ばし、世の中を真に良い方向へ導いてくれるかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて──」

 

 丸石の上の時計をちらりと見、時間が残っている事を確認した。

 想像したより少なくなってしまったが、それでも目的を果たすには十分だろう。

 

「──僕が開く必要の部屋は、違う開き方をするかもしれない。最初にそう言った筈だな?」

 

 指を組み、椅子から身を乗り出してハーマイオニーと向かい合う。

 彼女は動揺を表すように少しだけ身を引いたが、直ぐに元の位置に戻した。否、それどころか今までよりも少しだけ、彼女も身を乗り出した。

 

「……っ。え、ええ。確かに聞いたわよ」

「見たところ君はどうも勘違いしているようだが、今までの話は部屋を〝必要〟とするかもしれない理由と一切関係ない。まあ、忘れてくれても構わない。やはり僕の私見に過ぎず、普段の雑談と変わりはしないからな」

「────」

「だから、僕が君に問うて置きたいのは、これからの覚悟だ」

「……覚悟?」

「ああ」

 

 本来ならば、五年目の最初にやっておくのが済ませておくのが正しかった。

 けれども先延ばしにしたのは、初めから答えが解っている問いであって──けれども、闇の時代が間近に迫った今、僕が心を決める為には必要な儀式だった。

 

「君がハリー・ポッターの傍、この地で最も危険な場所に居続ける覚悟。そしてこんな下らない世界の為に殉じる覚悟。それを持っているかどうかを、改めて確認しておきたい」

 

 どうやらハーマイオニーは、直ぐに答えを出そうとするようのを避けたようだ。

 口を堅く結び、ただ僕の言葉を受け止めていた。

 

「進路相談を口実にルシウス・マルフォイ氏に照会したのだが、今年に入って魔法省……特に魔法法執行部からは、大勢の辞職者が出ているらしい」

「────っ」

 

 あくまで噂。

 手紙の文面でもそうなっていた。

 

 しかしルシウス・マルフォイ氏より齎されたのだから、結論のようなものだ。

 

「何処の局は余り問わないようだが、割合としては〝現場〟の人間が多いらしい。もっと具体的に言うならば、魔法法執行部隊、ないしそれに準ずる組織の人員。要するに、治安維持の為に戦わされる部署の人員が、一気に消えた。流石に闇祓い局の動揺は他より少ないものの、それでもやはり前例に無い程の退職者が出たらしい」

「…………」

「辞めずに残っている人間達にしても、ホグワーツ在学生を逃がす程の露骨さは無いにせよ、親や親戚や配偶者、更に就学以前の子供を海外に逃がしていると聞く。()()で移動鍵を提供出来る小悪党達は、短期間で随分とガリオン金貨を貯め込んだそうだ」

「……貴方の話を踏まえると、当然そうなるわよね」

 

 彼女は暗い表情を浮かべるでもなく、仮面のような表情のまま、小さく頷いてみせた。

 それでも内心が大嵐なのは一見して明らかであるものの、ここで無様な反論を口に出さないのは、先程までの話の意味が多少なりとも在ったという事なのかもしれない。

 

 殆どの者にとって唐突に始まった前回とは違う。非常に親切な事に、今から戦争が始まるとアルバス・ダンブルドアが警告してくれているのだ。そして少なくとも現在、闇の帝王は行動を起こしていない。その上でこの魔法界の危うさを理解する知能が有り、また少しでも命が惜しいと考える者は当然逃亡する。

 

 闇祓い達にしても同じ。

 彼等は危険を承知でその仕事を選んだにせよ、それでも限度というモノが有る。

 

 第一次魔法戦争で一体どれだけの人間が殉職し、また内通者や共犯者の疑いでアズカバンに叩き込まれたと思っているのか。特に後者の方には、無実の人間──本当に服従の呪文で操られただけの不幸な人間が少なからず含まれていただろう。

 ルシウス・マルフォイ氏達を牢獄に送れなかった分、バーテミウス・クラウチ氏は死喰い人の手足となった者達へ容赦する気は余計になかった。そして世間も最小限度の犠牲として黙認したのが現実であり、これから彼等と同じ末路を辿りたいと考える者など居まい。

 

 ましてシリウス・ブラックが脱獄して以降の三年間、彼等は散々世間からバッシングされ続けて来たのだ。社会の守護者としての矜持は深く傷付けられており、極めつけはコーネリウス・ファッジが頂点に居る。指導者が無能では、最初から戦おうとするだけ無駄である。鼠のように逃げ出すのも賢明な判断と言えよう。

 

「……この魔法界の為に戦おうとする人間は──」

「──居ないとは言わないが、極少数だ。ホグワーツは愛国心、或いは魔法省やウィゼンガモットに対する忠誠を教えないからな。必然、〝国家〟などという姿のない怪物(リヴァイアサン)の為に戦う魔法族など現れない」

 

 原始的な郷土愛(Patriotism)以上の、国家主義(Nationalism)は無い。

 魔法族は、()()()()()()()()()()()()()想像の共同体(Imagined Communities)とは捉えていない。

 

「まあ現在の〝マグル〟の潮流を見れば、魔法界は〝先進的〟なのかもしれん。欧州統合の理想──国境等の枠組みが馬鹿らしいという主張にも一理ある。人間は好きな場所、自分が愛せると思うべき土地に住まうべきだ。その権利は、アルバス・ダンブルドアが剥奪出来るものではない。それが嫌ならば、もっとマシな箱庭を作る努力をすべきだった」

 

 住みにくくなった地は捨て、移動するだけ。

 非魔法界では世界の一体化が、魔法界では移動鍵や姿眩まし、煙突飛行がそれを許容する。

 

「──そして。君が同種の行為に及ぶ気なら、今が最後の機会なのだ」

 

 闇の帝王は既に何かを企んでいる。

 アズカバン脱獄も有った事だし、既に開戦は秒読みだろう。

 

「一歳のハリー・ポッターが闇の帝王を破った場所は、知っての通りゴドリックの谷だ。しかし、こう思った事は無いか? 何故そこであったのかと。当時のこの島が子育て向きで無いのは明らかで、ゲラート・グリンデルバルトの時とは違って世界全てが燃えていた訳でもない。しかし、ポッター家があそこに留まり続けたのは何故なのか」

「……多分、戦争が始まって以降は、島から脱出する自体が危険だったから」

「僕も同じ結論だな」

 

 ポッター家にしても、アルバス・ダンブルドアは国外に逃がす事を当然考慮した筈だ。

 

 だが、あの大魔法使いにとってシビル・トレローニーの予言は信頼に値するものではなく、闇の帝王が本気でポッター家を……それも普通なら脅威にならない赤子を狙いに来るかも不透明。また、親友達を残し一人安全圏に逃げる事にジェームス・ポッターが難色を示した可能性も有るし、灯台下暗しという発想にも一理有る。更に最終的に国外に逃がす事を決断していたとしても、適切な時期が訪れるまで待つという判断は不合理ではない。

 

 他にも様々な事情や原因、理由が有っただろうが、やはり一番の理由は、一歳前後の子供を連れて逃げる事は余りに危険だという思考だった筈である。

 

「無論、全ての姿眩ましや移動鍵の使用を見張るのは現実として不可能だろう。非魔法界の交通機関も数多く存在する。だから、戦争が始まって以降も、逃げる事は一応可能だとは思う。ただ……領民が逃げ出す事を是とする領主など居ない。その事は心に刻んでおくべきだ」

 

 魔法族の国外逃亡を防ぐ為、闇の大魔法使いが如何なる手段を用いるかは知らない。

 

 しかし、魔法戦争中もホグワーツがほぼ通常運営されていた──移動鍵で全生徒を国外に逃がすような事態にならなかった──あたりからしても、やはり今世紀で最も偉大な魔法使いの実力をもってして尚、危険が付き纏うのだろう。彼がゲラート・グリンデルバルトと違って世界革命に挑まなかったのは、島を丸ごと牢獄化するのが限界だったという事でもあるのだろうか。

 

 まあ何が理由にせよ、本格的な開戦後に楽に逃げられると考えるべきでないのは間違いなく、捕まって見せしめとして殺される際には、さぞかし酷い事になるに違いない。

 

「だから、今しかない。今ならばまだ、君達家族がこの魔法界から殆ど危険も無く逃げ出せる。潜伏を続ける闇の陣営は、未だ罠を張っていない。ドーバーだろうとヒースローだろうとリヴァプールだろうと、〝マグル〟の両親を連れて悠々と逃げ出せる」

 

 ハーマイオニーは〝生き残った男の子〟と違う。

 戦わねばならない義務は彼女に無い。単なる〝マグル生まれ〟を追いかけて殺す必要性も、闇の陣営にはない。だから今直ぐに逃げれば、命を拾う事が出来る。

 

「戦争中に君が捕まれば、一体どんな事態になるかは解らん。アズカバンに送られるという()()が適用されるとは限らない。〝マグル生まれ〟が魔法を奪った秘密を解き明かすという口実で、君は生きたまま解体されるかもしれない。或いは、狼人間に喰われながら犯される羽目になるかもしれない。コレは戦争なのだ。尊厳を維持したまま死ねるとは期待するな」

 

 自殺するのに失敗すれば、死ぬより惨い目に遭う事になる。

 ハリー・ポッターの親友であり、尚且つ〝マグル生まれ〟。そんなハーマイオニー・グレンジャーに、最大限の苦痛と屈辱を与えない理由を探す方が難しい。

 

「そして戦争を生き延びたとしても、この魔法界の将来には多くの困難が待ち受けている。闇の帝王が勝てば魔法界は全て瓦礫の山になるが、アルバス・ダンブルドアが勝った所で然程変わらん。戦後に万人の万人に対する闘争の世界が広がっていたとしても、僕は何も驚かない」

「…………」

「何より、君は改めて意識しなければならない。君がハリー・ポッターの傍に居続ける事は、必然的に戦争へと身を投じるという事だ。故意ではなくとも、相手の命を奪い、血で手を汚すかもしれない立場に身を置くという事だ。これより先の時代、君が入学前に憧れた夢物語の世界は存在していなくて、君が信奉する綺麗な正義なんぞこの世に無い」

 

 魔法の奇跡を暴力的に用いるしか能のない、悪党共が蔓延るのがこの現実で。

 

「だから君がホグワーツから逃げ出したいというのなら、僕は君に今直ぐ助力するとも。あの特別な部屋の力を最大限使い、責任や後ろめたさを可能な限り感じにくい形で、君の親友二人すらも決して追跡出来ないように──」

 

 途中で言葉を切り、笑う。多分、自嘲が混じっていただろう。

 

 ハーマイオニーは何も語っていない。

 

 けれども、号泣するのを必死でこらえ、流れ落ちた一筋の涙をローブの袖で拭いながらも、こちらに真っすぐと向けられる濁りのない美しい瞳は、一つの答えを告げている。

 そして、開心術士である事は非常に残酷だ。心が全くの無防備である相手には、その力は〝真実〟以外を見せてはくれない。

 

 ……嗚呼、最初から決まっていたのだ。

 

 既に一学年の末、この魔法界で最も賢い魔法使いは答えを示していた。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは〝グリフィンドール〟だと。

 

「……最近、強く思うわ。貴方は寧ろ、私に好かれたくないと考えてるのではないかって」

「かもしれないな」

「えっ」

 

 涙を一瞬で止めた彼女から視線を外し、改めて地面の上の時計を見下ろす。

 感覚は正しく、思った通りに限界だった。

 

「名残惜しいが、ハーマイオニー。時間だ」

「……………………は?」

 

 彼女が如何に呆然としても、時計の針が指す方向は何も変わらない。

 時刻は九時の十分前。廊下を歩いているだけで見咎められる時間が迫っていた。

 

「今回はこれで終わりだ。最低限の話は出来たし、今回の場を提供してくれたポモーナ・スプラウト教授にも迷惑を掛けたくないからな。後片付けと教授への報告はやっておく……いや、丁度来たようだ。ならば非常に手っ取り早い」

 

 会話の途中で温室の扉が開かれる音。

 それにハーマイオニーがビクリと肩を跳ねさせたが、僕は構わず立ち上がった。そして魔法植物の先に視界に入ったのは、本来の温室の主の姿。

 

 そこから再度、座ったままの彼女へと視線を戻す。

 

「教授に事情を話して送って貰うと良い。自ら質問する程に無粋で無くとも、内心では僕達が何を話したか気になってはいるだろう」

 

 ハーマイオニーの眼は赤くなっている。

 余り要らない誤解をされるのも、出来れば避けたい事態だった。

 

「そしてドローレス・アンブリッジに捕まれば困った事になる君と違い、僕の方は何とでもなるからな。如何様にでも言い訳はし得る。正当な理由が有れば……教授の罰則や用事で有れば、九時までに寮室に戻らずとも問題にならない」

「ちょ、ちょっと待って頂戴。まだ私は言いたい事を言えてないし、反論も──」

「──その通りだが、解り切っている事の為に時間を費やす程、僕は悠長でもないよ」

 

 立ち上がろうとしたハーマイオニーに手を掲げ、笑い掛ける事で制止する。

 ポモーナ・スプラウト教授の方にチラリと視線を向ければ、少なくとも彼女は、僕達の話が終わるまで待つ事にしたようだ。温室に入った所で佇んでいるが、しかし、そう待ってくれもしないだろう。

 

「君は如何なる危険に遭っても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーの傍に居続けるのだろう?」

「────」

「ならば、君は答えた。そして、終わりだ」

 

 彼女と会える時間は限られている。彼等の軍団が発覚してからは余計に。

 議論にすらならない事項について語り明かすつもりは、少なくとも僕には無い。

 

「もっとも、君にとって違うというなら──言い足りない事が有るというなら次回聞く。何時になるかというのは今は言えんがね。ドローレス・アンブリッジは、君達を追い詰める為に〝必要〟の部屋を使えないか試している。他の尋問官親衛隊も似たり寄ったり。だから隙を突いて君が開けるのは難しいのだが、それでも君が求めるならば、僕は努力しよう」

 

 今の所、あの必要の部屋が彼等に扉を開いた形跡は無いようだ。

 絶対にマリエッタ・エッジコムから開ける方法は聞き出している筈──ハリー・ポッター達が三人で部屋の秘密を独占するというのは、友人関係上難しいように思える──で、しかし開かないという事は、単に彼等の〝必要〟とする願いが抽象的過ぎるのか、それともホグワーツ城が意思をもって拒絶しているのか。理由が解らないのは座りが悪いが、都合が良くはある。

 

 ハーマイオニーは少しの間、僕と時計の間で何度も視線を往復させ、その表情には規則破りの葛藤が現れていたが、最終的に理性が勝ったようだ。

 

「……貴方は私の言い分を聞くと言ったわ。その言葉を違えないで頂戴」

 

 忘れずに態度で不満と怒りを表明した後、ただそれだけを言った。

 

「ああ、約束だ」

「…………夏休暇中とかは無しよ」

「解っている。今学期中──いや、数日中に、何とか隙を見付けて連絡する」

 

 そう頷いてやれば、彼女は何とか内心の折り合いを付けたらしい。

 少しばかり素っ気なさを感じる別れの言葉を口にした後、ハーマイオニーは椅子から立ち上がった。そうして、あてつけのように髪を大きく翻し、殴り掛かってくる魔法植物を避けながら去っていく。

 

 しかし、遠ざかる背を追っている内、ふと気付いた。

 

 話が長引いたせいで失念していた。

 〝必要〟ではないが、それでも忘れてはならない話題が有った事に。

 

「──少し待ってくれ。ハーマイオニー、君に伝言を頼んでおきたい」

 

 彼女へと呼びかける。

 

「で、伝言……?」

「ああ」

 

 教授の下へ着く前に硬直したハーマイオニーに、首を縦に振る。

 魔法植物を余計に避けさせる事になったのは少々悪い気がした。数秒早く思い出していたのであれば、そんな事をさせずに済んだだろう。

 

 そして、少々過敏な反応をされるのも仕方ないとの自覚もある。

 僕が彼女にこの手の頼みをする事は五年間で一度も無かったし、まず間違いなく今回が最後になる筈で、そして大変な面倒事に繋がる可能性は高かった。

 

 更には僕自身、余り望む行いではない。

 野蛮な馬鹿共が復讐と報復合戦に勤しむのは勝手にしていろと思うし、ドローレス・アンブリッジにしても中々愉快な見世物になってくれている。何も無かったのであれば、僕は当然傍観を選んだだろう。

 

 しかし曲がりなりにも僕はスリザリン生であり、今や尋問官親衛隊に助力する身でもある。またアルバス・ダンブルドアに如何なる感情を抱いていようと、この無秩序状態が数年に渡って続くのは望まないし、グリフィンドール下級生達への慈悲も多少は有る。そしてまあ……ハーマイオニー達が僕に最善を求めた以上、それを試す程度の義務は有るだろう。

 

「ロナルド・ウィーズリーに伝えてくれ。

 

 ──去年の借りを返せ。君の双子の兄達と話がしたいと」

 

 応じるかの選択権は向こうにある。

 しかし、誰もがドローレス・アンブリッジのように御優しいという訳では無い。その事をグリフィンドールは知っておくべきかもしれない。




・姿現し・眩ましの制約

 杖を所持していた筈のテッド・トンクスやダーク・クレスウェルが国外脱出に挑戦していないあたり、姿眩ましでヴォルデモートから逃げるという手段は取れないようである。
 またJKローリング女史は、姿現しは大陸を超えられないとしており(最狭部が三十キロ程度しかないドーバー海峡も超えらないのかは不明)、実際に原作中には『ヴォルデモートが暗い荒れた海の上を、遠くから飛んでくるのを感じた。まもなく、「姿現し」できる距離まで近づくだろう』(七巻・第二十三章)という記載が存在する。

 姿現しの移動距離を一応推測し得るかもしれない記述としては、ハリー達三人が隠れ穴からトッテナムコートロードに飛んだ例(七巻・第九章)がある。

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