アジトから新堂邸へ戻った俺は、ちょうどカーテンが開くのを目撃していた。
女の不安そうな顔が双眼鏡に映し出される。
「悪いが連絡は入れられないんだ。何しろ携帯は没収、新堂は個室に半ば監禁されている」
居たたまれない。
それもそうだ。何しろこの状況を作り出したのはこの俺なのだから?
「……もしもし。俺だ、バーボンだ。一つ頼まれてくれるか」
例の女メンバーに連絡し、新堂の自宅に電話を一本入れさせる事にした。もちろん俺の独断だ。ボスに知れたら処罰の対象になるかもしれない。
だが知った事か!正体はどうあれ、彼女は現時点ではまだ俺の守るべき対象の一般市民。
少しして女が姿を消した。どうやら自宅の電話が鳴ったらしい。
次に見せた顔は、さっきよりも幾分和らいでいた。
そしてカーテンは完全に閉じられた。
「本日はこれにて、だな」
*
『新堂和矢先生のご自宅でしょうか』
「そうですが」
自宅電話が鳴る事は滅多にない。鳴る時は大抵良くない連絡だ。
ユイは警戒して答える。
『今朝お会いした秘書の者です』
「ああ、そうでしたか!患者さんはどうですか?」
『はい。新堂先生が治療に当たってくださっています。ついては、数日程かかるそうで。あなたにそう伝えてほしいと頼まれました』
「そうですか。分かりました。ご心配なくとお伝えください」
電話を切ってため息を付く。
なぜ彼は自分で掛けて来ないのか?こんなふうに第三者を介して連絡して来た事など、今まで一度もない。
「そんなに手、離せないの?病院にいるとも言ってなかったし。どういう状況?」
首を傾げるユイ。しばらくおいて彼の携帯に連絡してみるも、電源が入っていないのメッセージが流れるばかりだった。
翌朝、特に用事はなかったが、気晴らしに街へ出掛けた。
「アウディでかっ飛ばしてストレス解消も良かったけど。ムダにガソリン使いたくないし。走行距離伸ばすと先生がうるさいから!」
そんな理由から徒歩で町をぶらつく。
「そうだ、美容院行こう!戸田君いるかな」
思い立って伸びすぎた髪を切る事にしたユイ。彼女の髪はいつも戸田が担当している。
駅に向かう途中、やはり白のRX-セブンがいる。勘違いなどではない。
「どこの誰?……全く、暇な人ね!」
気にせず電車で、隣町の行き着けの美容院へ向かった。
腰まであった髪を半分程ばっさり切り落とす。
「かなりサッパリしたんじゃないですか?朝霧さん」
「ええ。これで体重も軽くなったかしら!」
「新堂先生、ガッカリしますかね……」
「え~?何で?大丈夫よ!また伸びるし」
美容院でこんな話をしながら、楽しいひと時を過ごして帰途に就く。
駅を抜けると、やはり例の車が後を付けて来ていた。
「めんどくさいなぁ。それにしても、今回の先生の依頼先はどうなってるの?」
家に着いたユイは、彼の書斎で手掛かりを探る。
ところが、いつもは乱雑に積み上がっている書類達がない。
「何でこういう時に限って片付けられてるのよ!」
書斎はきちんと整頓されていた。
そう言えば先日自分が、片付けろと言ったばかりだ。
「何てタイミング悪いの?」
何度掛けても新堂の携帯は電源オフ。いよいよおかしいと思い始めるユイ。
今の彼女の眼光や顔つきを降谷が目にしたなら……
一発で目的の人物朝霧ユイであると分かる事だろう。
*
「いい加減、家に帰していただきたい!せめて携帯を返してくれ。家に連絡を入れたいんだ」
新堂の言い分は良く分かる。
だがボスのお許しがないと、さすがにそれはできない。
「新堂先生。こんな真似をして本当に申し訳ありません」
「あなたは、バーボンさん、でしたか」
外鍵を外してドアを開け顔を出す。
ここへ連れて来たその日、彼とは一度顔を合わせた。
「はい。あなたをここに呼びたてたのは僕です」
「患者の予後は順調だ。もう一般の医者に任せて問題ない。私の仕事は終わったはずだ」
「まあ……そうなんですが」
「他に何かあるのか?」
「全てこちらの事情です。もう少しお時間をいただきたい」
ボスは疑り深い性格でね。一度組織に介入させた人間を、簡単には解放しない。
ほとんどは生きて帰る事はないが、彼の場合は別だろう。
病の再発の折に頼れる人間を葬ったりはしないはずだ。
「こうして閉じ込めているだけじゃないか?一体何をしているんだ」
「しーっ!声を荒立てないでいただきたい。ジン辺りに聞かれると厄介なんでね」
「何?」
つい心の声が口を突いて出てしまった。
「いえ、こちらの話です。先生のご自宅には連絡を入れてあります。あの女性は、奥様ですか?」
ついでに彼女はあのテロ事件で死んだはずの朝霧ユイですか?と聞きたいところだ。
「いえ。結婚はしていませんので、妻ではない」
「やっぱり!」
「え?」
「あ……いいえ!」
盗み見をしていたとは言えない。これで彼女が苗字で呼ぶのも納得だ。
「だが大切な存在です。彼女を心配させたくないんだ。手遅れになる前に、俺を解放してくれ!」
「手遅れ、とは?」
「……いや、こっちの話だ」
新堂が黙り込んだ。どういう意味だ?
*
夜も明けようとする頃、アジトを出て新堂邸へと車を走らせる。
到着して慌てる。まだ辺りは薄闇の中にもかかわらず、彼女が出掛けるところだったからだ。
ピッと音が響くと同時に、アウディのハザードランプが一度点滅した。
運転席のドアを開けて女が乗り込む。
「おいおい、こんな時間にどちらへ?」
これはいよいよ本性を暴けるチャンス到来か。
丘から降りて来たアウディは、薄闇に紛れるように停まっていた俺の車の横を素通りして、大通りに出る。
付近に車通りはない。このまま尾行すれば完全にバレる。
「分かっててやってるのか、本当に急用なのか。まあいい、罠に引っ掛かってやろうじゃないか」
いい加減真実が知りたかった俺は、アウディのすぐ後ろに付けて走った。
赤信号で並ぶ白と黒のセダン。
バックミラーに映る女の視線がチラリとこちらに向いた。気のせいか笑ったように見えた。
「おっと。挑発されたのかな?」
面白くなって胸が疼いた。徹夜明けでハイテンションになっているだけだろうが。
信号が青に変わると同時に、アウディは勢い良くスタートダッシュ。負けじと付いて行く。
急カーブを切り、次の信号を黄色で突入。辛うじて俺も点滅から赤に変わる瞬間に抜けた。
「おいおい!堂々と町中でカーチェイスか?ここが郊外で良かったな」
そしてアウディは俺を、靄の漂う運河沿いの空き地に誘導した。空は白み始めている。
角を曲がると、女はすでに車から降りてボンネットに寄りかかり、煙草を吹かしていた。
「お待ちしていたわ。走り屋サン」
軽く口角を上げてそう言う女は、これまで監視してきた女とは別人に見える。
「やはりあなたは、朝霧、ユイさんですね」
「人に名前を尋ねる前に、名乗るのが礼儀よ?」
「そうでした。失礼しました、それと僕は走り屋じゃありませんよ。降谷零と言います」
確かにこの車じゃ、そう思われても仕方ないか。
「ふるや、れい……?聞いた事ないわ。誰?私に何の用かしら」
「僕もそう暇じゃないので、単刀直入に言います」
「暇じゃないですって?良く言うわ!散々人を付け回しといて」
「あれ、バレてましたか~。いやぁ、参りましたね」
「質問に答えなさい!」
朝霧ユイは気が立っているらしく、凛とした声がこだました。
辺りの空気が張り詰め出す。
「失礼しました。ここで身分を明かすものどうかと思いましたが……あなたに嘘は通用しないと判断しましたので言います」
ユイは無言の圧を俺にかけ続ける。
「僕は警察庁公安部所属の警官です。現在捜査中の組織が、あなたの命を狙っています。さらに、あなたのパートナーの新堂和矢さんは、今その組織の者に拘束されています」
「……それを、信用しろと?」
「残念ながら、今は手帳を携行していません。さらに言えば、僕の警察内での存在は抹消されています。確認する術はありません」
ユイは何も言わずにただ聞いていた。
「四年前のテロ事件で死んだはずの、朝霧ユイさん」
こう問いかけると、ユイの目の色が変わった。
「どこからその話を?」
「僕は国連のマイク・J捜査官と旧知の仲なんですよ。彼から全て聞きました」
「マイク……」
「彼、嘆いてましたよ?どうして君は、大人しくできないんだってね」
黙り込むユイに、俺は饒舌に続ける。
「せっかく彼がお膳立てしてくれた第二の人生だったのに!先生と幸せそうに見えたんですがね。やはりあなたは、悪の道に進むのですか」
「違う!私はもう、……昔とは違う」
声を張り上げて否定するも、後半尻すぼみになる。
「なぜあの組織に関わった?命を粗末にしちゃいけない!」
「そういうの、年下の男の子に言われたくないなぁ」
「確かに僕は年下です。でも関係あります?」
「ないかぁ~。最近じゃ、も~っと年下の子にも心配されてる始末だしね」
ユイの何気ないこのセリフに、一人の少年が頭を過ぎった。
工藤新一。小学生のくせに探偵なんて名乗ってる不思議な少年だ。
「悪いけど、その組織?何の事かさっぱり!」
「関わったでしょう!ジンがあれ程怒り狂っていたんだ、身に覚えがないはずはない!」
「……ジンって?ああ、あの銀髪か」
何だ、やっぱり知ってるんじゃないか!
しまった、これは誘導ジンモンだったか。やられた……
「全くあなたって人は……。これでも僕は現役の公安警察なんですがね!」
「何の事?」
「朝霧さんてイジワルですよね。こんな時間に尾行させるとか?」
「あら。カーチェイス、案外楽しめたでしょ?例え郊外でも、日中じゃこうは行かないわ」
確かに。しかも俺の愛車と違って、そちらのアウディ・クワトロは重量級だ。良くもまあ、あの狭い路地であれだけのスピードを出せたもんだ!もう苦笑するしかない。
「それで朝霧ユイさん。本題です」
「ええ。新堂先生を返してもらうわ」
「それはまだ、お約束できません」
「あなたとお約束するつもりはないの。その組織から奪い返せばいいんでしょ?居場所、あなたの口から意地でも割らせるから」
ユイが腰元に手を当てる。
おいおい、まさか飛び道具でも出て来るのか?そう思った時、予想通りのモノが視界に入った。
「それはコルト・コンバット・パイソンですか」
「良くご存知ね。そこだけは褒めてあげる」
「現役警官の前で、良くも出してくれたもんですね」
「関係ないわ。それとも、私をここで逮捕する?」
「いいえ。それは僕の仕事じゃありませんから」
「なら、あなたの仕事って何?」
銃口はピタリと俺の額に向いている。
「僕は公安と名乗りましたよ。その部署が何をしている所か、知らないあなたじゃないでしょう?」
「そうだった。それで?私が狙われてると、ご丁寧に教えて下さった理由は?」
「これは本当に偶然だったんですよ。まさかあなたと新堂先生がそういうご関係とは知らずにね」
「あらそう。つまり、私があなたの仕事の邪魔をしないよう、釘を刺しに来たってところ?」
「説明が省けて何よりです」
彼が言った、手遅れになる前に、というのはこういう事か。納得だ。下手にこの女に乗り込まれたらどうなる?それはそれで、組織壊滅への第一歩になるかもしれないが!
だがそんな事を俺一人が決められるものか。何しろこの組織には、我々日本警察だけでなく、FBIはもとより他国の警察からも潜入していると聞く。全貌は把握していないが。
それにこの女だって、関わったら最後、ただでは済まないだろう。
「国民を守るのが、僕の役目ですから」
「私みたいなのも守ってくれる訳だ」
「もちろん。差別はしません」
数秒の間があり、突然ユイが笑みを浮かべた。
「フフッ!好きよ、そういうの。私はこれでも、昔からお巡りさんの味方なんだから」
「ああ、確か、大分前の警官採用試験の受験者名簿に名前がありましたね」
「っ!いやだ!そんな事まで調べないでよね?」
束の間、笑みを交し合う。
「降谷さん。言っておくけど、あなたの全てを信用した訳ではないから。彼の無事を確認するまではね」
「では、待っていただけるんですね?」
「二日だけ待つ。それで戻らなければ乗り込む。手段は選ばない。いいかしら」
「分かりました。何とかします。僕の連絡先、教えておきますね」
「へえ~、意外!そう簡単に教えていい訳?バンバン、イタズラ電話掛けるかもよ?」
「それはやめてください!」
茶目っ気たっぷりの顔でユイが笑った。
この女は本当にいろいろな顔を持っていそうで興味が湧く。
そうさ。通常、交渉相手に連絡先など教えない。あなただから教えたんだ。
朝霧ユイに会ってきっかり二日後、自分の愛車に乗せて新堂を自宅へと送り届けた。
なぜ組織のベンツじゃないかって?確かユイはベンツが嫌いみたいだったし、もう俺の(この愛車の!)存在も知られてる訳だし問題ない。
「約束は守るタチでしてね」
「ご苦労様!お巡りさん」
「おまわり?おいユイ、彼は俺の依頼先の会社のバーボンさんだぞ?」
「はい?何バーボンって。ニックネーム?」
しまった。この二人にはそれぞれ別の名を名乗っていたんだ。
「新堂先生!お疲れ様でした。少し彼女と話をさせてください」
「バーボンさん、なぜユイと?」
必死に朝霧ユイに目配せしていると、それに気づいた彼女が取り繕う。
「あなたを拘束した件の確認よ。変な事に巻き込まれたら大変でしょ?そういうのは私の仕事だから。さあ疲れたでしょ、中でゆっくり休んでて!先生!」
新堂を追いやり、無理やり玄関ドアを閉じたユイ。
彼は全く納得していない様子だったが?
「強引ですねぇ……大丈夫、なんですか?」
「ええ。問題ない。で?何」
「彼には僕が警察だとは話していません。それと……」
俺が打ち明ける前にユイは言った。
「バーボンさん。……もしかして、潜入捜査中?あの組織に」
「ご明答。あまり深くは話せませんが」
「そう……」
そう答えた後、彼女が俺を凝視する。
「何です?」
「潜入はそう甘くないわ。そんなの……分かってるでしょうけど」
「ええ。だから、邪魔は、決してしないで下さい」
「一般人の私なんかが潜入の何を知ってる?とか聞かないんだ」
「聞きませんよ。だってそういう事に関しては、あなたの方が先輩でしょう」
ユイが俺を凝視している。
国内に彼女の情報はなかったが、海外にはチラホラ見かけたのだ。過去にこの女が何をしてきたか。まあ、大半は嘘か本当か分かったものじゃないが!
「先輩、か。ふふっ!やっと年上っぽくなったみたいね、私」
そうやって笑うユイは、どうしても年上に見えない。
「そうだ、これを言っておかないと。狙われている一般人には護衛を付けるのが鉄則ですが……」
「ああ、そういうのは必要ないわ」
ユイが一転して暗殺者の顔になる。
「その代わり、向こうから仕掛けて来た時は、容赦なく殺るわよ?」
「それは仕方ないですね、不可抗力ですから。自分の身を守る事が優先です」
「やった、警察の許可いただき!ああ~、早く狙って来ないかな!」
「だからって朝霧さん!焚きつけないで下さい?お願いですから!」
またもユイは楽しそうに笑った。
いつの間にか、俺もつられて笑っている事に気づく。
「惜しいなぁ。朝霧さんが警察に入ってくれてたら、僕といいパートナーになれたでしょうに。残念です」
「それは無理ね」
「どうしてです?」
「私、協調性ないから!」
あはは、と高らかに笑って、ユイは俺に背を向けた。
もちろん、巻き込みませんよ。ようやく幸せを掴んだあなたをなんて。
俺にも、そんな幸せが訪れる日は来るのだろうか。
朝霧ユイを羨ましく思う。いろいろな方面の男達に、こんなにも愛されている彼女を!
「僕もそのうちの一人に、なってもいいですか?」
俺は確実に、朝霧ユイに惹かれ始めていた。