交わるはずのないステージ~謎めいた隣人の正体~   作:氷ユリ

10 / 10
敵か味方か 後編

 

 アジトから新堂邸へ戻った俺は、ちょうどカーテンが開くのを目撃していた。

 女の不安そうな顔が双眼鏡に映し出される。

 

「悪いが連絡は入れられないんだ。何しろ携帯は没収、新堂は個室に半ば監禁されている」

 居たたまれない。

 それもそうだ。何しろこの状況を作り出したのはこの俺なのだから?

 

「……もしもし。俺だ、バーボンだ。一つ頼まれてくれるか」

 

 例の女メンバーに連絡し、新堂の自宅に電話を一本入れさせる事にした。もちろん俺の独断だ。ボスに知れたら処罰の対象になるかもしれない。

 だが知った事か!正体はどうあれ、彼女は現時点ではまだ俺の守るべき対象の一般市民。

 

 少しして女が姿を消した。どうやら自宅の電話が鳴ったらしい。

 次に見せた顔は、さっきよりも幾分和らいでいた。

 

 そしてカーテンは完全に閉じられた。

 

「本日はこれにて、だな」

 

 

『新堂和矢先生のご自宅でしょうか』

「そうですが」

 

 自宅電話が鳴る事は滅多にない。鳴る時は大抵良くない連絡だ。

 ユイは警戒して答える。

 

『今朝お会いした秘書の者です』

「ああ、そうでしたか!患者さんはどうですか?」

『はい。新堂先生が治療に当たってくださっています。ついては、数日程かかるそうで。あなたにそう伝えてほしいと頼まれました』

「そうですか。分かりました。ご心配なくとお伝えください」

 

 電話を切ってため息を付く。

 なぜ彼は自分で掛けて来ないのか?こんなふうに第三者を介して連絡して来た事など、今まで一度もない。

 

「そんなに手、離せないの?病院にいるとも言ってなかったし。どういう状況?」

 

 首を傾げるユイ。しばらくおいて彼の携帯に連絡してみるも、電源が入っていないのメッセージが流れるばかりだった。

 

 

 翌朝、特に用事はなかったが、気晴らしに街へ出掛けた。

 

「アウディでかっ飛ばしてストレス解消も良かったけど。ムダにガソリン使いたくないし。走行距離伸ばすと先生がうるさいから!」

 そんな理由から徒歩で町をぶらつく。

「そうだ、美容院行こう!戸田君いるかな」

 

 思い立って伸びすぎた髪を切る事にしたユイ。彼女の髪はいつも戸田が担当している。

 駅に向かう途中、やはり白のRX-セブンがいる。勘違いなどではない。

 

「どこの誰?……全く、暇な人ね!」

 

 気にせず電車で、隣町の行き着けの美容院へ向かった。

 腰まであった髪を半分程ばっさり切り落とす。

 

「かなりサッパリしたんじゃないですか?朝霧さん」

「ええ。これで体重も軽くなったかしら!」

「新堂先生、ガッカリしますかね……」

「え~?何で?大丈夫よ!また伸びるし」

 

 美容院でこんな話をしながら、楽しいひと時を過ごして帰途に就く。

 駅を抜けると、やはり例の車が後を付けて来ていた。

 

「めんどくさいなぁ。それにしても、今回の先生の依頼先はどうなってるの?」

 

 家に着いたユイは、彼の書斎で手掛かりを探る。

 ところが、いつもは乱雑に積み上がっている書類達がない。

「何でこういう時に限って片付けられてるのよ!」

 

 書斎はきちんと整頓されていた。

 そう言えば先日自分が、片付けろと言ったばかりだ。

「何てタイミング悪いの?」

 

 何度掛けても新堂の携帯は電源オフ。いよいよおかしいと思い始めるユイ。

 

 今の彼女の眼光や顔つきを降谷が目にしたなら……

 一発で目的の人物朝霧ユイであると分かる事だろう。

 

 

「いい加減、家に帰していただきたい!せめて携帯を返してくれ。家に連絡を入れたいんだ」

 

 新堂の言い分は良く分かる。

 だがボスのお許しがないと、さすがにそれはできない。

 

「新堂先生。こんな真似をして本当に申し訳ありません」

「あなたは、バーボンさん、でしたか」

 

 外鍵を外してドアを開け顔を出す。

 ここへ連れて来たその日、彼とは一度顔を合わせた。

 

「はい。あなたをここに呼びたてたのは僕です」

「患者の予後は順調だ。もう一般の医者に任せて問題ない。私の仕事は終わったはずだ」

「まあ……そうなんですが」

「他に何かあるのか?」

「全てこちらの事情です。もう少しお時間をいただきたい」

 

 ボスは疑り深い性格でね。一度組織に介入させた人間を、簡単には解放しない。

 ほとんどは生きて帰る事はないが、彼の場合は別だろう。

 病の再発の折に頼れる人間を葬ったりはしないはずだ。

 

「こうして閉じ込めているだけじゃないか?一体何をしているんだ」

「しーっ!声を荒立てないでいただきたい。ジン辺りに聞かれると厄介なんでね」

「何?」

 

 つい心の声が口を突いて出てしまった。

「いえ、こちらの話です。先生のご自宅には連絡を入れてあります。あの女性は、奥様ですか?」

 ついでに彼女はあのテロ事件で死んだはずの朝霧ユイですか?と聞きたいところだ。

 

「いえ。結婚はしていませんので、妻ではない」

「やっぱり!」

「え?」

「あ……いいえ!」

 盗み見をしていたとは言えない。これで彼女が苗字で呼ぶのも納得だ。

 

「だが大切な存在です。彼女を心配させたくないんだ。手遅れになる前に、俺を解放してくれ!」

「手遅れ、とは?」

「……いや、こっちの話だ」

 

 新堂が黙り込んだ。どういう意味だ?

 

 

 夜も明けようとする頃、アジトを出て新堂邸へと車を走らせる。

 

 到着して慌てる。まだ辺りは薄闇の中にもかかわらず、彼女が出掛けるところだったからだ。

 ピッと音が響くと同時に、アウディのハザードランプが一度点滅した。

 運転席のドアを開けて女が乗り込む。

 

「おいおい、こんな時間にどちらへ?」

 これはいよいよ本性を暴けるチャンス到来か。

 

 丘から降りて来たアウディは、薄闇に紛れるように停まっていた俺の車の横を素通りして、大通りに出る。

 付近に車通りはない。このまま尾行すれば完全にバレる。

 

「分かっててやってるのか、本当に急用なのか。まあいい、罠に引っ掛かってやろうじゃないか」

 

 いい加減真実が知りたかった俺は、アウディのすぐ後ろに付けて走った。

 赤信号で並ぶ白と黒のセダン。

 バックミラーに映る女の視線がチラリとこちらに向いた。気のせいか笑ったように見えた。

 

「おっと。挑発されたのかな?」

 

 面白くなって胸が疼いた。徹夜明けでハイテンションになっているだけだろうが。

 信号が青に変わると同時に、アウディは勢い良くスタートダッシュ。負けじと付いて行く。

 急カーブを切り、次の信号を黄色で突入。辛うじて俺も点滅から赤に変わる瞬間に抜けた。

 

「おいおい!堂々と町中でカーチェイスか?ここが郊外で良かったな」

 

 そしてアウディは俺を、靄の漂う運河沿いの空き地に誘導した。空は白み始めている。

 角を曲がると、女はすでに車から降りてボンネットに寄りかかり、煙草を吹かしていた。

 

「お待ちしていたわ。走り屋サン」

 

 軽く口角を上げてそう言う女は、これまで監視してきた女とは別人に見える。

 

「やはりあなたは、朝霧、ユイさんですね」

「人に名前を尋ねる前に、名乗るのが礼儀よ?」

「そうでした。失礼しました、それと僕は走り屋じゃありませんよ。降谷零と言います」

 確かにこの車じゃ、そう思われても仕方ないか。

 

「ふるや、れい……?聞いた事ないわ。誰?私に何の用かしら」

「僕もそう暇じゃないので、単刀直入に言います」

「暇じゃないですって?良く言うわ!散々人を付け回しといて」

「あれ、バレてましたか~。いやぁ、参りましたね」

 

「質問に答えなさい!」

 朝霧ユイは気が立っているらしく、凛とした声がこだました。

 

 辺りの空気が張り詰め出す。

 

「失礼しました。ここで身分を明かすものどうかと思いましたが……あなたに嘘は通用しないと判断しましたので言います」

 

 ユイは無言の圧を俺にかけ続ける。

 

「僕は警察庁公安部所属の警官です。現在捜査中の組織が、あなたの命を狙っています。さらに、あなたのパートナーの新堂和矢さんは、今その組織の者に拘束されています」

「……それを、信用しろと?」

「残念ながら、今は手帳を携行していません。さらに言えば、僕の警察内での存在は抹消されています。確認する術はありません」

 

 ユイは何も言わずにただ聞いていた。

 

「四年前のテロ事件で死んだはずの、朝霧ユイさん」

 こう問いかけると、ユイの目の色が変わった。

 

「どこからその話を?」

「僕は国連のマイク・J捜査官と旧知の仲なんですよ。彼から全て聞きました」

「マイク……」

「彼、嘆いてましたよ?どうして君は、大人しくできないんだってね」

 

 黙り込むユイに、俺は饒舌に続ける。

「せっかく彼がお膳立てしてくれた第二の人生だったのに!先生と幸せそうに見えたんですがね。やはりあなたは、悪の道に進むのですか」

「違う!私はもう、……昔とは違う」

 

 声を張り上げて否定するも、後半尻すぼみになる。

 

「なぜあの組織に関わった?命を粗末にしちゃいけない!」

「そういうの、年下の男の子に言われたくないなぁ」

「確かに僕は年下です。でも関係あります?」

「ないかぁ~。最近じゃ、も~っと年下の子にも心配されてる始末だしね」

 

 ユイの何気ないこのセリフに、一人の少年が頭を過ぎった。

 工藤新一。小学生のくせに探偵なんて名乗ってる不思議な少年だ。

 

「悪いけど、その組織?何の事かさっぱり!」

「関わったでしょう!ジンがあれ程怒り狂っていたんだ、身に覚えがないはずはない!」

「……ジンって?ああ、あの銀髪か」

 

 何だ、やっぱり知ってるんじゃないか!

 しまった、これは誘導ジンモンだったか。やられた……

 

「全くあなたって人は……。これでも僕は現役の公安警察なんですがね!」

「何の事?」

「朝霧さんてイジワルですよね。こんな時間に尾行させるとか?」

「あら。カーチェイス、案外楽しめたでしょ?例え郊外でも、日中じゃこうは行かないわ」

 

 確かに。しかも俺の愛車と違って、そちらのアウディ・クワトロは重量級だ。良くもまあ、あの狭い路地であれだけのスピードを出せたもんだ!もう苦笑するしかない。

 

「それで朝霧ユイさん。本題です」

「ええ。新堂先生を返してもらうわ」

「それはまだ、お約束できません」

「あなたとお約束するつもりはないの。その組織から奪い返せばいいんでしょ?居場所、あなたの口から意地でも割らせるから」

 

 ユイが腰元に手を当てる。

 おいおい、まさか飛び道具でも出て来るのか?そう思った時、予想通りのモノが視界に入った。

 

「それはコルト・コンバット・パイソンですか」

「良くご存知ね。そこだけは褒めてあげる」

「現役警官の前で、良くも出してくれたもんですね」

「関係ないわ。それとも、私をここで逮捕する?」

「いいえ。それは僕の仕事じゃありませんから」

「なら、あなたの仕事って何?」

 

 銃口はピタリと俺の額に向いている。

 

「僕は公安と名乗りましたよ。その部署が何をしている所か、知らないあなたじゃないでしょう?」

「そうだった。それで?私が狙われてると、ご丁寧に教えて下さった理由は?」

「これは本当に偶然だったんですよ。まさかあなたと新堂先生がそういうご関係とは知らずにね」

「あらそう。つまり、私があなたの仕事の邪魔をしないよう、釘を刺しに来たってところ?」

「説明が省けて何よりです」

 

 彼が言った、手遅れになる前に、というのはこういう事か。納得だ。下手にこの女に乗り込まれたらどうなる?それはそれで、組織壊滅への第一歩になるかもしれないが!

 

 だがそんな事を俺一人が決められるものか。何しろこの組織には、我々日本警察だけでなく、FBIはもとより他国の警察からも潜入していると聞く。全貌は把握していないが。

 それにこの女だって、関わったら最後、ただでは済まないだろう。

 

「国民を守るのが、僕の役目ですから」

「私みたいなのも守ってくれる訳だ」

「もちろん。差別はしません」

 

 数秒の間があり、突然ユイが笑みを浮かべた。

 

「フフッ!好きよ、そういうの。私はこれでも、昔からお巡りさんの味方なんだから」

「ああ、確か、大分前の警官採用試験の受験者名簿に名前がありましたね」

「っ!いやだ!そんな事まで調べないでよね?」

 

 束の間、笑みを交し合う。

 

「降谷さん。言っておくけど、あなたの全てを信用した訳ではないから。彼の無事を確認するまではね」

「では、待っていただけるんですね?」

「二日だけ待つ。それで戻らなければ乗り込む。手段は選ばない。いいかしら」

「分かりました。何とかします。僕の連絡先、教えておきますね」

「へえ~、意外!そう簡単に教えていい訳?バンバン、イタズラ電話掛けるかもよ?」

「それはやめてください!」

 

 茶目っ気たっぷりの顔でユイが笑った。

 この女は本当にいろいろな顔を持っていそうで興味が湧く。

 そうさ。通常、交渉相手に連絡先など教えない。あなただから教えたんだ。

 

 

 朝霧ユイに会ってきっかり二日後、自分の愛車に乗せて新堂を自宅へと送り届けた。

 なぜ組織のベンツじゃないかって?確かユイはベンツが嫌いみたいだったし、もう俺の(この愛車の!)存在も知られてる訳だし問題ない。

 

「約束は守るタチでしてね」

「ご苦労様!お巡りさん」

「おまわり?おいユイ、彼は俺の依頼先の会社のバーボンさんだぞ?」

「はい?何バーボンって。ニックネーム?」

 

 しまった。この二人にはそれぞれ別の名を名乗っていたんだ。

 

「新堂先生!お疲れ様でした。少し彼女と話をさせてください」

「バーボンさん、なぜユイと?」

 

 必死に朝霧ユイに目配せしていると、それに気づいた彼女が取り繕う。

「あなたを拘束した件の確認よ。変な事に巻き込まれたら大変でしょ?そういうのは私の仕事だから。さあ疲れたでしょ、中でゆっくり休んでて!先生!」

 

 新堂を追いやり、無理やり玄関ドアを閉じたユイ。

 彼は全く納得していない様子だったが?

 

「強引ですねぇ……大丈夫、なんですか?」

「ええ。問題ない。で?何」

「彼には僕が警察だとは話していません。それと……」

 

 俺が打ち明ける前にユイは言った。

 

「バーボンさん。……もしかして、潜入捜査中?あの組織に」

「ご明答。あまり深くは話せませんが」

「そう……」

 

 そう答えた後、彼女が俺を凝視する。

 

「何です?」

「潜入はそう甘くないわ。そんなの……分かってるでしょうけど」

「ええ。だから、邪魔は、決してしないで下さい」

「一般人の私なんかが潜入の何を知ってる?とか聞かないんだ」

「聞きませんよ。だってそういう事に関しては、あなたの方が先輩でしょう」

 

 ユイが俺を凝視している。

 

 国内に彼女の情報はなかったが、海外にはチラホラ見かけたのだ。過去にこの女が何をしてきたか。まあ、大半は嘘か本当か分かったものじゃないが!

 

「先輩、か。ふふっ!やっと年上っぽくなったみたいね、私」

 

 そうやって笑うユイは、どうしても年上に見えない。

 

「そうだ、これを言っておかないと。狙われている一般人には護衛を付けるのが鉄則ですが……」

「ああ、そういうのは必要ないわ」

 ユイが一転して暗殺者の顔になる。

 

「その代わり、向こうから仕掛けて来た時は、容赦なく殺るわよ?」

「それは仕方ないですね、不可抗力ですから。自分の身を守る事が優先です」

「やった、警察の許可いただき!ああ~、早く狙って来ないかな!」

「だからって朝霧さん!焚きつけないで下さい?お願いですから!」

 

 またもユイは楽しそうに笑った。

 いつの間にか、俺もつられて笑っている事に気づく。

 

「惜しいなぁ。朝霧さんが警察に入ってくれてたら、僕といいパートナーになれたでしょうに。残念です」

「それは無理ね」

「どうしてです?」

「私、協調性ないから!」

 

 あはは、と高らかに笑って、ユイは俺に背を向けた。

 もちろん、巻き込みませんよ。ようやく幸せを掴んだあなたをなんて。

 

 俺にも、そんな幸せが訪れる日は来るのだろうか。

 朝霧ユイを羨ましく思う。いろいろな方面の男達に、こんなにも愛されている彼女を!

 

「僕もそのうちの一人に、なってもいいですか?」

 

 俺は確実に、朝霧ユイに惹かれ始めていた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。