「行って来ま~す。あ、先生今日は何時に帰る?」
「少し遅くなるかもしれない。先に夕飯済ませて構わない」
「分かったわ」
ユイは最愛の男に向けて笑みを交えて答えた。
きっちりジャケットを着込みA4サイズの鞄を片手に丘を下る。
最寄り駅までは徒歩で十五分程だ。
こんな姿はどこから見てもただのOL。だがこの女は恐るべき裏の顔を持っている。
密かに身に着けられた回転式拳銃、コルト・コンバットパイソンがその証拠だ。
ユイは大抵この拳銃に一発しか弾を込めない。理由は明白、必要がないからだ。
彼女にとっては一発あれば事足りる。何よりここは平和で、敵など滅多に現れない。
その昔は名の知れたスナイパーだった彼女も、今では活躍の場はほぼない。
何せ朝霧ユイは、四年前の爆弾テロにより死亡している事になっているのだから!
そんな女を狙う輩が現れた。
「さすがにヤバいヤツが狙って来てるって聞いちゃ、弾をフル装填しない訳には行かないよね~」
そんな事をぼやきながら、今日もカムフラージュのための事務仕事に向かう。
こんな事態を招いた要因は、間違いなく工藤新一にある。だがしかし、二人の出会いは必然に違いない。
あの闇組織を壊滅させるために天が仕向けた……
*
仕事帰りの道すがら、不意に殺気を覚えてさり気なく後方に目をやる。
「また白のRX-7かと思ったら、今度は黒のポルシェ356A?……っ!」
私は思わず息をのんだ。ドライバー席の小太り男の横に、あの銀髪の男がいたからだ。
「あいつ……っ。こんな白昼堂々、まさかここでドンパチ始める気じゃないでしょうね?」
平静を装いつつも動悸が止まない。
踵を返して再び歩き出す。とにかくここは一目に付きすぎる。
もっと人気のない場所に誘導しなければ。
しばらく何食わぬ顔で通りを歩き、路地に入った。
すると車は何事もなかったように私の前を通り過ぎたではないか。
「何なの?まさか見失ったなんて事はないわよね!」
しばし様子を窺うも、戻って来る気配はない。
単なる威嚇か。自分達はいつでも射程圏内にいるのだと!
「とにかく、こんな状況じゃ家には帰れないわ」
しばし考え、家ではなく昔住んでいたマンションに向かう事にした。
そこは自宅から二十五キロ程離れた場所にある。
未だ記憶があやふやな私にとっては、ある意味こちらのマンションの方が馴染み深い。
エントランスを抜けて最上階に上がる。
高層マンションに住むのは昔からの夢だった。そしてやっぱり今もお気に入りの場所だ。
だからこそ処分できずにいるんだけど。それがまさかこんなふうに役に立つとは?
使い慣れたキーで解錠して部屋に入る。
「ただいま~。さすがに空気が淀んでる……そんなに月日が経ったとは思えないんだけど」
そう思うのは記憶がないせい。実際には五年位は経っている。
そんな現実にため息をつきつつカーテンを開ける。
外はもう夕暮れ色に染まり、階下ではチラホラと明かりが灯り始めていた。
室内の家具は全て以前のままだ。今の住居には先生が使っていた家具を運んだようなので。
その辺の記憶は全くなく、ここへ戻ってみると増々自分があの人と同棲している事が疑わしくなる。
そうは言っても、彼が自分の最愛の人である事は今や疑いようがないのだが。
「絶対に先生を巻き込まない。ここで決着を付ける」
こう自分に言い聞かせる。
今日は遅くなると言っていたが、早めに連絡を入れて先手を打つ事にしよう。
携帯を手にしばし考える。今は仕事中かもしれない。
「先生メール好きじゃないみたいだけど。電話だと根ほり葉ほり聞かれそうだし!取りあえず、今はこれだけ……嘘は付いてないよ?」
〝私も仕事が長引きそう。今晩は外泊します。ご心配なく〟
何とも淡白な内容だが仕方がない。それ以上は言えない。
狙われているなどと知れば、彼は間違いなくここへ来ようとするから。
そうする間にも、部屋はどんどん暗くなって行く。
だが照明を点ける訳には行かない。例えここがこの近辺で一番高い建物であっても。
どこから連中が見ているか分からないのだ。
薄闇の中でひたすら考える。恐らく私がこの建物に入って行く所は見ているはず。
あとは、いつ、どう出るかだ。
「客を装って玄関から?それともこの立地なら空からってものアリね!」
自分ならばヘリで真っ向勝負!なんて事を考えて不謹慎にも盛り上がる。
さすがにこの国でそれはまずないだろう。
やがて夕飯の時間となり、私の携帯が鳴り出した。
「さて。最初の関門ね。これを切り抜けないと気持ち良く殺り合えない!……もしもし」
『ユイか、俺だ。メール見たよ。仕事ってパートのじゃないだろ。まさか危ない依頼なんか受けたんじゃないよな?』
「先生ったら。どんな仕事も危険じゃないなんて断言はできないでしょ?とにかく心配いらないわ。できるだけ早く帰るから」
しばしの沈黙を経て彼が言う。
『……まあいい。で、今どこにいる?そのくらい教えてくれるよな?』
ここで居場所を言えば、あなたは絶対ここに来るでしょ!
「そんなに遠方ではないから、すぐに帰れる。疲れてるでしょ先生、私に構わず家でゆっくりして。そ……」
それじゃ、と切ろうとしたところを遮られる。
『俺にゆっくりしてほしければ、居場所を言え』
「何それ!変な屁理屈こねないでよ…あなたってそんな人だった?」
『屁理屈じゃない。ならおまえは、気が休まらない状態でゆっくりできるのか?』
「……もう。頑固ね」
『お互い様だな』
この不毛な言い合いを早急に終わらせなければ。
「分かった。でもこっちには来ないで。それを約束してくれるなら教えるわ」
『なぜ行っちゃダメなんだ?』
「……危険だからに決まってるでしょ!ああ言っちゃった」
『やっぱりな。で、また狙われてるとでも言うのか?』
「さすが先生、一発正解」
『……冗談、だったんだが?』
「とにかくそういう事なの。先生の家を壊すのは気が引けるのでこっちでやるわ。だから来ないでね。これでいい?」
『はいそうですか、と言うとでも?』
「分からないの?足手まといなのよ、あなたがいたら!察してよ!じゃあね!」
あ~あ。やっちゃった。これでは逆ギレではないか。何とも大人げない。
携帯をソファに投げつけて荒い息を吐き出す。
「だって本当の事だもの。仕方ないじゃない?……あ、結局居場所伝えてないや」
*
「何だよユイのヤツ!俺が足手まといなのは間違ってないが?殺し合いを察してやる人間なんているか!」
大いにご立腹のドクター新堂であった。
そして思う。また殺し屋の顔が現れたと。
「ここ最近ようやく穏やかに過ごせてたのに。一体誰のせいだ?」
ここで浮かぶ顔はもちろん例の少年、工藤新一。
そしてもう一人。少し前の依頼で案内役をしていた金髪の男、バーボン。
「……あいつ、どうも怪しい」
面食いのユイが放っておかないくらいのルックスだった、というのはさて置き、あの男からは裏社会の匂いがした。
帰宅したばかりだった新堂は、不機嫌のまま再び車のキーを手にした。
居場所は聞きそびれたが凡その検討は付いている。その場所に向けて車を急がせる。
帰宅ラッシュの今の時間帯は主に下り車線が渋滞するが、行先は幸い上り方面のため混雑はない。
スムーズに車を走らせて目的地に到着した新堂だが、さすがにズカズカと部屋に押し入るのを躊躇う。
「敵と鉢合わせなんて羽目になったら面倒だ。足手まといどころか足を引っ張る事になり兼ねん!」
最悪の展開は自分が人質に取られる事だ。
建物の側に車を止めて、窓からユイの部屋と思われる箇所を見上げてみる。
明かりも点いておらず、そこにいるのかも判断できない。
「確かに、俺がここに来ても何の意味もないな」
それでも帰る気にはなれず、しばらく周囲を警戒してみるも不審な人物などは特に見当たらない。
小一時間が経過した頃、新堂は携帯を取り出してユイの番号を呼び出す。
〝お掛けになった番号は、電波の届かないところにあるか、電源が入っておらず……〟
「ユイめ、着信拒否か?いい度胸だな!」
これが決め手となり、勢いだけで車から降りる。
「どうせ追い返されるだろうから、ここに停めておいて問題ないだろ」
愛車を振り返りそう呟き、エントランスへ足を運ぶ。
合鍵を持っている新堂は、直接玄関扉の前までやって来た。
そしてチャイムを鳴らすも反応はない。
「おい!ここにいるのは分かってる。ユイ!開けろ」
ドアを叩いて声を荒げる。
しばしの間の後ゆっくりとドアが開いた。その隙間から新堂が靴先を室内に押し込む。
「コソコソしなくて大丈夫だ、俺しかいない。入れてくれるよな?」
「先生ったら、まるで借金の取り立て屋みたいよ?」
「着信拒否なんてしやがって。なぜ電源を落とした?連絡がつかないじゃないか」
「何でここが分かったの?」
ユイは会話をしながらもまだ周囲を気にしていたが、本当に誰もいないと分かり警戒を解いた。
彼を室内に招き入れる。
「あの家以外におまえが外泊できる場所なんてたかが知れてる。こんな状況下ではここしかない」
狙われている分際でホテルは選ばない。無関係の人間を巻き込むのは避けたい。
かと言って野宿というのも現実的でない。長期戦ならば当然自分のテリトリー内で臨む。
「外泊、って言ったのはマズかったなぁ」
「それで、狙われてるって何なんだ?最近そういう類の事には手を出してないだろ」
「何だかね、どこかの誰かさんのご機嫌を損ねたらしくて?」
「何だそれは。相手は特定してるのか?」
「まあ、それとなくは。今回は特別なの。何せ警察の人から許可貰ってるし?」
「何のだ。まさか拳銃使用って訳ないよな」
「そんな初歩的な事じゃない。やられたらやり返していいって!」
「やり返すって……」
「分かりずらいか。言い直した方がいい?」
「いや結構」
新堂は口元に手を当てて黙り込む。薄暗がりでユイを凝視したまま。
「気が済んだならもう帰って」
「すぐそこに敵がいるかもしれないのにか?」
「それは……そうよね。はぁ~……」
ユイは大きなため息をこれ見よがしに付いた。
「もういいわよ。こうなるのだけは避けたかったんだけど!」
「極力足先まといにならないよう対処するよ。晴れて滞在許可が下りたな。そうすると、車を地下駐車場に移動した方が……」
「ってどこに停めて来たワケ?!」
新堂が窓から下を覗き込んで指で示す。
「あんまり窓際に近づいてほしくないんだけど!」
「さっきから怒らせてばっかりだ。いや申し訳ない」
ユイも隣りに立ち下を見た。
「ホントにそう思ってる?……やっぱりあなたは帰って。私が下まで送るから」
「なあ。敵が今夜来るとは限らないだろ。ずっとここに籠城する気か?」
「分かんない!でもそんなに掛からないと思う。ああいう狂った連中は気が短いから?」
「だからってなぁ」
こんな会話をしながら、ユイが新堂の背を押して玄関に向かった時、外からヘリのプロペラ音らしき音が近づいて来た。
二人は瞬時に窓を振り返る。
「ちょっとちょっと、まさかの展開?」
「こんな夜に住宅街でヘリなんて飛ばすなよ!どうせ報道か米軍だろ」
再び新堂が窓際に寄ろうとした。
「ダメ!先生、こっちに来て!」
「何なんだよ。さすがにあれが敵って事はないだろ」
「断言できないわ。警戒するに越した事はない」
新堂を玄関の方に呼び寄せて、窓からヘリの動向を窺う。
まだ距離はあるが、どう見ても一直線にこちらに向かって来ている。
「先生、先に下に降りてて。私は……後から行くから」
「は?何を言ってる。おまえも来るつもりなんだろ、なら一緒に行こう」
新堂がユイの手を掴む。その手はいつもよりも冷えて汗ばんでいる。
この事でユイが緊張状態にある事を理解した。
「ターゲットは私。私が下に逃げたら被害が増える。ここで決着を付けるわ」
「ここでって……。バカな!」
諸々を想像した新堂にはこれしか言えない。
「ええ、先生はそんなバカに付き合わなくていい。早く逃げて!」
「そんな事言われてもだな……」
こんな言い合いの最中にもヘリはどんどん接近している。
今やその機体は搭乗者まではっきりと視認できる距離まで迫った。
そしてパイロット以外の三名は銃を所持していた。
「マシンガンにライフル銃、どうあっても逃がさないって訳ね!」
爆弾を投げ込んでも逃げられれば殺せない。確実に息の根を止める目的である事を、敵の所持する武器から察する。
「先生、先に行っててくれないなら、せめて別の部屋にいて。奥の寝室に!」
ユイはそう叫ぶと、コルトを引き抜いて構える。
「ユイ!無茶だ、ヘリ相手にそんな短銃で応戦なんて!勝ち目はない、逃げるんだ!」
「この朝霧ユイに逃げろですって?冗談でも言ってほしくないわね」
いつものおどけた物言いとは別の、どこまでも冷たい印象を与える口調だ。
その目は完全に殺し屋モード。
新堂は脱出という選択肢を完全に消去した。
「好きにしろ。こうなったら一蓮托生。見届けてやるよ、朝霧ユイの勇姿を」
「そんな事はいいから!……っ」
ユイの言葉は続かなかった。ヘリからの攻撃が始まったのだ。
マシンガンからの銃弾の雨が室内を駆け巡る。
一通り撃って満足したのか、一瞬だけ止んだ隙を狙ってユイが撃ち込む。
それは確実な死の一発だ。
「仕留めた!」
手応え通りマシンガンの雨は止んだ。
続いてライフルが的確な射撃を開始。
ユイは後方を振り返り、新堂の位置を把握する。
「先生!もっと頭を低く!……くっ、サーチライトが眩しくて良く見えない」
当然向こうからはこちらが丸見えだ。
ユイはライトに照準を合わせて撃ち放った。
たちまち明かりは消えてヘリの轟音だけがこだまする。
外はさぞや騒ぎになっている事だろう。
「早いとこ片を付けないと警察が来ちゃう!」
言うと同時に三発目を発射。ライフル銃からの射撃が止まる。
そして間髪を入れずパイロットに照準を合わせるユイ。
「ねえ新堂先生。操縦不能になったヘリがどっちに行くか、賭けてみる?」
「気でも狂ったか、ユイ!それだけはやめろ!」
「あの銀髪、名前何て言ったっけ……キャッ!」
会話の最中にその銀髪の男からの攻撃が始まる。
「あっちもパイロット死守に出たわね。勝負よ!」
ユイはソファの背もたれにコルトを乗せて固定し、精神を集中させる。
「もらった!」
弾は見事パイロットに命中。絶命した男の手が操縦桿から離れる。
途端にヘリは不自然に傾き、一瞬視界から消えた。
プロペラがマンションの壁に接触したのか、室内が揺れる。
「きゃあっ……もう一人なのに!」
「ユイ!もう限界だ、脱出しよう!」
次の瞬間、ヘリが再浮上して来た。
「そう来なくっちゃ!」
再びコルトを構えるユイだが、機体は安定せず照準が合わせられない。
「くっ……もう少し大人しく……」
その場を動かないユイに痺れを切らした新堂が駆け寄る。
「おいユイ!いい加減にし……」
最後の新堂の叫びは、直後に窓を突き破って突っ込んで来たヘリの爆音によってかき消された。
ユイを庇って新堂が覆い被さる。
「っ……!」
最後の瞬間までターゲットだけを注視していたユイは、突然激しい頭痛に襲われた。
「あ、頭が、痛いっ……。ああ!」
もはや成す術もなく、ユイは新堂の腕の中で苦しむしかない。
かたや新堂は、ヘリが吹き飛ばした瓦礫をまともに背に浴びている。
重傷を負ったその身で、力を振り絞りユイを抱き上げる。
「ユイ……大丈夫か?すぐに……ここを出よう。もう気は済んだだろう?」
少しだけおどけて、よろよろと玄関まで向かう。
自分の腕の中で何ら反応を示さなくなったユイがどんな状態なのか、確認する余裕もない。
ただ脱出する事だけで精一杯だった。
無造作に停車してあった愛車に二人が乗り込んだ直後、大きな爆発音と共に車内が揺れる。
「絶対に、俺が……守る。そのために、ここに来たんだ」
新堂はエンジンを始動させ、ある場所に向けて無心に車を走らせた。