そうして一週間が過ぎた。
新堂の方は多少の制約はあるものの、ベッドから出て動けるようになっている。
起き出して真っ先に向かうのは当然ここだ。
「ユイ……おまえの中で何が起きてる?俺は何もしてやれないのか?」
今日もベッドサイドでユイの手を握る。
新堂はほぼ一日中ユイの側で過ごしている。
「新堂先生?ここにいたの。お食事できたよ?」
「ああ、ありがとう。今行くよ」
現れたまなみに笑みを向けて、新堂が立ち上がった。
とうに日は暮れて、また一日が終わろうとしている。
「ユイったらいつまで寝てるんだろうね~。まなみのクマ太郎、貸してあげてるのに!」
「あのクマはまなみが貸してくれたのか?可愛いな」
「でっしょ~!!分かる人には分かるんだね~」
まなみはその後一人でブツブツ言いながらキッチンに向かった。
新堂もキッチンへと足を向ける。
「おお新堂、来たか。さあ、メシだメシ!」
「ああ。ふふっ……確かに」
この男がぬいぐるみを可愛がる姿は想像がつかないと新堂はしみじみ思った。
「何だよ、いきなり人の顔見て笑いやがって?」
「お前は乙女心を掴むのが下手だなと」
「ああ?乙女心?何言ってる。お前、頭ホントに大丈夫か?もっぺん調べた方がいいか?」
「失敬な。脳は正常だ」
こんな事を言い合いながら楽しく食事を進める。
例えユイがあんな状況でも、ここにいれば新堂は笑える。友人の存在は実に偉大だ。
その晩、就寝前の時間帯、ダイニングで新堂と貴島が今後について話し合っている時の事だ。
開いたままだった扉に人影がチラリと映り込み、貴島が声を発する。
「何だまなみ、また眠れないのか?今日はそんなに昼寝してないだろ」
扉を背にしていた新堂は正面の貴島を見たままだ。
まだ背中の傷はそこまで癒えていないため、俊敏に体勢を変える事ができない。
ゆっくりとした動きで廊下の方を振り向きかけた新堂は、貴島の次の言葉に驚く。
「って……朝霧かよ。おお、目、覚めたのか!どうした、そんなモン抱えて」
「ユイ!」
ユイはまなみのクマを胸に抱いて佇んでいる。
新堂は思わず勢い良く立ち上がる。痛みに顔を歪めながらも、ユイの前に進み出た。
「ユイ、ああ良かった、意識が戻ったんだな……!」
声を掛けるもユイの表情は固い。不安そうな顔で新堂と貴島を交互に見るばかりだ。
「おい、どうした?」
新堂はゆっくりとユイの前にしゃがみ、問いかける。
貴島も隣りに立って腕組み姿で首を傾げる。
「……オジサン達、誰?お母さんは?ここはどこ?」
「お、おじ……さん」
新堂はおじさんと呼ばれた事にショックを受ける。
「ドンマイ、新堂!お前も立派にオジサンの仲間入りだな!」
「十も上のお前と一緒にするな。俺はまだ……ああそんな事より!ユイ、俺の事が分からないのか?」
またか……と新堂は本気で天を恨んだ。
「知らない人に付いてっちゃダメって言われてるのに!どうして?どうしよう……お母さん!」
「なあ朝霧、お前今いくつだ?」
貴島は何の気遣いもなく、いつもの口調で質問する。
「おい貴島!少しは考えて話せよ……」
やはり乙女心はこいつには分からないと改めて思う新堂だが、思いのほかユイはあっさり答えた。
「四さい」
「おお!まなみより年下だな!」
「まなみ?誰?」
「一緒に住んでる。俺の連れだ」
「つれ?」
ここには新堂の突っ込みが入る。
「娘って言っとけよ、分かりずらいな」
「うるさい、俺に娘はいない!」
見知らぬ男達が目の前で言い合いを始めれば、当然子供は泣き出す。
「え~ん!怖~い!」
「ほら見ろ、お前が分かりずらい事言うからだ」
「何だと?俺のせいかよ」
突っかかって来る貴島を無視して、新堂はユイに向けて笑顔で言う。
「オジサンは新堂、君のお母さんのお友達だ。だから心配はいらない。それと、そっちのオジサンも私の友達だから」
その笑顔に反応したのかユイが泣き止んだ。
「おお、必殺キラースマイル炸裂だな!」
小声で貴島がはやし立てる。
「お母さんの、お友達?なら知ってる人?」
「そう。それと、私達はお医者さんで、君の病気を治すためにいるんだよ」
「病気?ユイは病気なの?ウソだ、お医者さんキライ!注射怖い!」
「怖がらないで、注射はしないよ。さあ、もう遅いからベッドに行こう」
「お母さんどこ!え~ん!」
またも泣き出すユイ。
「お母さんはここにはいない。ユイの病気が治らないと会えないって。だから、早く治そうね」
どこまでも優しく語りかける新堂に、ユイも徐々に落ち着いて来る。
ね?と畳みかけると、ユイは素直に頷いた。
「女の扱いだけじゃなく、子供の扱いにも長けてたとは?全く恐れ入るね!」
「貴島、今夜は解散だ。俺達はもう寝る」
「ああ。お休み!」
新堂は、複雑な心境でユイを連れて病室に戻った。
「やっと思い出してくれたと思ったら、また振り出しか……勘弁してくれ」
「どうしたの?」
「いや、何でも。さあ、お休みユイ」
「一人じゃ怖い、お化けが来たらどうしよう……」
「ここに頼もしい味方がいるじゃないか?クマ太郎、ユイを守ってくれ」
抱きかかえていたぬいぐるみに向けて新堂は言う。
「クマ太郎くんが、守ってくれるのね。よろしくね」
ようやくユイに笑顔が戻る。
愛おし気にクマを抱きしめるユイを見て、新堂は束の間安らぎを覚えた。
「……殺し屋の顔より、よっぽどこっちの顔の方がいい」
そう一人呟いた。
翌朝。ユイは対面したまなみとすぐに意気投合し、庭で遊び始めた。
「いやあ、微笑ましい光景だね、全く!」
ぬいぐるみを挟んで楽しそうに語らうユイとまなみを眺めながら貴島が言う。
「こうして見てると、年の離れた姉妹だな……」
気落ちした様子の新堂を心配する貴島。
「そう落ち込むなよ。目が覚めたんだから、もうこっちのモンだろ?すぐに思い出すって」
「そうだといいが」
「アイツに、連絡するのか?」
「……ああ、そうだった。忘れていたよ」
さらに気が重い。新堂の口から深いため息が吐き出される。
「何を聞き出すつもりか知らんが、あの状態じゃ無理だな、良かったじゃないか?」
「何がだ。向こうにしてみれば、二度もムダ足を踏む事になるんだぞ?」
「はっ!あの胡散臭いヤツの肩持つのかよ」
「別にそんなんじゃない。だが、敵と決まった訳でもない」
「全く優等生だよ、お前って奴は!」
その後新堂が連絡を入れると、すぐに動きがあった。
「ユイ、おまえに会いにお客さんが来る」
「怖かったら泣いていいからな!」
「貴島。余計な事を言うな。あいつを見てユイは泣かない」
「なぜ分かる?」
「イケメンだから、か!」
このセリフには若干の妬みが込められている。
察した貴島は笑って受け流したのだった。
*
ジンの消息は未だ不明のままだ。
組織でも足取りを追ってはいるが、何の痕跡もないため探しようがない。
さすがは抜け目ないあの男らしい。できれば敵に回したくない部類だ。
「とんだヤツに目を付けられたな、朝霧ユイ」
そしてユイはともかくあの男、新堂和矢。ただ闇医者というだけで恐らく戦闘能力はない。
不運にも巻き添えを食っているだけの男。
そんな男の事を思っていた矢先に、当人から電話があり驚いた。
思いのほか早く進展があった事には感謝だ。
「ユイさんが目を覚まされたんですか!いやぁ、本当に良かったです」
これでジンとの撃ち合いの結果が聞き出せる。
そう思ったのだが……
『それが、そうでもないんです。また一つ問題が』
「え?」
『会っていただければ分かります』
詳しくは語らない新堂に若干の不安を抱きながら、再び断崖に建つ一軒家に足を運んだ。
穏やかな天気だ。水色の空が美しい。そして今目にしている広景。
これを平和と言うんだな……
日々の悪行などすっかり忘れて童心に返ってしまいそうだ。
目の前の女は、すっかり毒気の抜けた暢気な顔で笑っている。例えそれが幼子相手の顔であったとしても、ほぼ別人。
幼子から奪ったクマのぬいぐるみを離そうとしない……
「朝霧さんて、ああいう趣味もおありだったんですね!知らなかったなぁ!」
辛うじてこうコメントする。さすがに今の笑みは作り笑いだとバレただろう。
先日よりも大分顔色も良くなった新堂が返す。
「……いえ。そういう訳では。ユイ、お客さんだ、こっちへ来い」
呼ばれたユイがこちらを振り返る。
俺の容姿に釘付のようだが、その目はまるで新しいおもちゃを見つけたような目だ。
おいおい、まさか俺の事覚えてないとか言わないでくれよ?などと冗談のつもりで考えた。
クマを抱きかかえたままユイがやって来る。
そして屈託のない笑みを向けてこう尋ねられた。
「お兄ちゃん誰?外人さん?英語話す人?」
「……」
……問題とはこれか。どうりで様子がおかしい訳だ。
説明によると、目覚めたユイはどうやら記憶が退化しているとの事。
試しに年を聞けば、指を四本立てて微笑むではないか。こんなユイもカワイイ……
「バーボンさん?大丈夫ですか」
「え?あっ!ええ、はい、何とか……」
「電話口で伝えても良かったんですが、ご自分の目で確認された方がよろしいかと思いまして」
「お気遣い感謝します。何はともあれ、元気なユイさんにお会いできて良かったです。ありがとうございました」
これじゃ結局何も聞き出せない。……ああクソ!
「はい。ユイも目覚めた事ですし、我々は自宅に戻ろうと思います」
いつまでも友人に迷惑は掛けられないので、と新堂が力なく笑う。
このつくづく不運な男に同情さえする。
後方からその友人の貴島が割って入った。
「俺は別に迷惑とは思ってないぜ?」
「貴島、お前には感謝してるよ」
俺は二人の会話を聞きながら別の事を考えていた。
自宅はジンに割れている可能性があるのでは?
「待ってください、ご自宅は危険です!」
「はい?」
単なる警備関係の仕事をしているというだけでここまで介入するのは説明がつかないが、この際押し通すしかない。
開き直って説得にかかる。
「その、例のストーカーがご自宅の住所を把握しているとも考えられます」
「ストーカー?朝霧のか?」
貴島は何も知らないようだ。時が惜しいので説明は省かせてもらう。
俺は新堂の方だけを見ながら話を続ける。
「こちらのご友人宅ならばまだ知られていないはず」
俺も知らなかったくらいだ!執念深いジンは時間の問題で割り出すかもしれないが。
「そういう事ならウチにいろよ。俺は全然構わないぜ?まなみも喜ぶ」
友人が味方に付いてくれたのはありがたい。
「なぜそこまで相手の動向がお分かりに?」
当然そう来るよな。想定内だ。
「いやぁ、朝霧さんに頼られたら、誰でもこのくらい調べますよ!」
「そうですね。半端な仕事では納得しないヤツですから?」
新堂は上手く乗ってくれた。本音は受け入れていないのだろうが、今はそんな事はどうでもいい。
だが新堂は考えを曲げなかった。
「ご心配いただき恐縮ですが、やはり自宅に帰ります。その方が彼女の記憶も戻りやすいかと」
それはあえて危険に晒して思い出させる手か?ショック療法というヤツだな。
この女にこの医者あり、か。フフ、いいじゃないか。
これ以上ごねれば怪しまれる。
ここに留まってもいずれは見つかる。さらなる被害者を出す事もない。俺は考えを改めた。
「戻られるのでしたら、僕がご自宅の警備を頼んでおきます」
「警備ですか……?そこまで必要でしょうか」
どこまでも煩わしげに返される。
「ユイさんがああいった状況の今、念には念をですよ。お二人のプライベートには決して踏み込ませないようにしますので」
新堂はしばし口元に手を当てて思案していたが、意外にあっさり受け入れた。
「分かりました。ではお願いします」
「はい。すぐに戻られますよね。僕はご一緒できませんが、すぐに手配しておきますので」
すでにジンが張っている事を想定して、俺は近づかない方が無難だ。
俺と朝霧ユイに接点がある事が知れれば、ジンどころか組織丸ごと敵に回す羽目になる!
早々に貴島邸を退散し、すぐに準備に取り掛かる。
新堂邸の警備に当たるのはもちろん警察だ。
「ああ俺だ。至急警備の手配をしてもらいたい。できるだけ精鋭部隊を配置してくれ。一番高性能の防弾ベストで臨めと伝えろ。では頼んだ」
仲介役の部下に端的に指示を飛ばして電話を切る。
盗聴防止用の電話でも油断は禁物。公安との連絡は極力短時間で済ませるべし。
「相手はあのジン。死人が出るのは確実か……」
信号待ちの車内で重苦しい息を吐き出す。
警察の人間として、同僚が死んで行く姿はもう見たくない。……もうたくさんだ。
ユイの記憶が一刻も早く戻り、ジンを阻止してくれる事を願うばかりだ。
「情けないが、全てはあなたに掛かっています、朝霧ユイさん、早く戻って来てください!」