交わるはずのないステージ~謎めいた隣人の正体~   作:氷ユリ

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対決 後編(2)

 

 自宅へ戻った新堂とユイの生活が始まる。

 

 庭先を見やり舌打ちする新堂。

「やれやれ!執行猶予付きの判決でも下りたみたいだよ」

「せんせい?しっこうゆうよって何?」

 相変わらずクマを抱いたユイが、新堂を見上げる。

 

「何でもないよ。ところでそのクマ、持って来てしまったのか。いい加減返してやれ、別の買ってやるか……」

「いやっ!これがいいの!まなみちゃんくれるって言ったもん」

 ユイが泣き出す。

「あああ~ん!せんせいがイジワルする~!」

「ああ、ああ!……分かったから泣くな!」

 ユイの涙に弱い新堂であった。

 

「いつも以上に罪悪感が募るのはなぜだ?」

 ユイの頭を撫でてやりながら呟く。

 泣かせる事など日常であったはず。それはつまり医療行為の際にという意味だが。

「全くもってやりずらい!頼むから早く思い出してくれ?」

 

「クマ太郎くん、カワイイね~っ、大~好きっ」

 いつの間にか涙はすっかり乾いて、クマに夢中だ。

 

 親の心子知らず、とでもいうような光景はしばらく続く。

 

 

 数週間が何事もなく過ぎた頃、新堂の携帯が鳴った。

 

『どうですか、その後ユイさんの記憶の方は』

 降谷はストーカー被害についての質問はせず、ユイの事だけを尋ねる。

 部下から逐一報告が来ているから、尋ねる必要がないのだ。

 

「バーボンさん、やはり警備の人達を帰らせてほしいんですが。何も起きませんよ」

 煩わしさも限界に達していた新堂は、真っ先にこう訴えた。

『ユイさんの記憶、戻ってないんですよね?でしたら油断は禁物です』

「はあ……!」

 肯定なのかため息なのか不明なものが返された。

 

 しかしこのすぐ後に、ついに全てが動き出す。

 

 

 午後三時を過ぎた頃、ユイはいつものようにリビングでクマと戯れていた。

 その場に新堂はおらず、ユイがテーブルに乗っても叱る者はない。

 

「クマ太郎、この舞台から飛び降りてみて!いい?ユイがお手本見せてあげるね」

 裸足のユイがテーブルからフローリングの床へとジャンプする。

 派手に飛んだ割りに、思ったよりも静かな着地だ。

「よし、成功!音を立てちゃダメよ?せんせいに叱られるんだから。じゃあ次はクマ太郎の番ね」

 

 きゃははっ!という楽し気なユイの声が、開け放たれた窓から漏れ聞こえている。

 

 それはこの者達の耳にも届いていた。

 敷地内の警備を任された黒スーツ姿の男達だ。表情一つ崩さず、周囲に鋭い視線を送っている。

「異状なし」

 

 そしてユイのこんな姿を観察する人物がもう一人。

 

 警備の者達よりも距離を置いた先の樹木の影に潜む、銀髪のロングを背に垂らした男。

 顔にある痛々しい火傷の痕は、まだそれほど癒えていない。他にも全身の数か所に傷を負っていた。

 

「なぜ警備が付いてる?あれは……警察の人間か。一体誰が?俺が狙う事を想定しているというのか」

 バカな、とジンは思う。

 自分の動向は組織にさえ知らせていない。動向どころか生死さえも。

「まあいい。あんなのは何人いようが敵じゃない!」

 

 警備の男達からユイへと視線を移す。

「あの女、頭でも打っておかしくなったか?これなら夜を待つ必要もないな」

 

 ヘリに激突された部屋にいた人間が、無傷でいられるはずがない。敵も同様に手負いであるという事。そう判断したジン。

 そうは言っても邪魔をされては敵わない。事前に警備を全滅させて心置きなく正面で仕留める。瞬時にこんな計画を立ててほくそ笑む。

 

「これまでの屈辱を晴らす時が、ようやく来たな」

 ユイの姿を目で追いながら、勝利を確信した。

 

 

 ジンが順調に警備の狙撃を開始した頃。

 

 室内にいたユイが急にソワソワし始めた。

 ちょうど様子を見にリビングに顔を出した新堂は、そんなユイの様子に首を傾げる。

 

「ユイ?どうした。トイレなら我慢せずに行け?」

 問いかけても何も答えず表情は固い。

「なあ、具合でも悪いか?」

 さらに近づいて顔を覗き込んでみれば、目が泳いでいる。仕舞いには新堂を無視してクマを床に置いたまま立ち上がった。

「やっぱりトイレか」

 

 新堂が軽く息を吐いてそう呟いた時、ユイの頬に一筋の線が入り血が流れた。

 その衝撃にユイは体勢を崩し、頬に手を当ててよろめく。

 

「っ!」

「おい、どうしたんだ?」

 

 窓の外に鋭い目を向けてユイが叫ぶ。

「先生、伏せて!」

「何なんだ?」

「早く!」

 ユイの声はこれまでの緩慢なものではなく、緊張感を伴った以前のユイのものだ。

 

「おまえ、もしかして記憶が……」

「先生はここにいて。絶対に外に出ないで!」

「あ……おい!」

 

 ユイは自室にコルトを取りに走る。無造作に垂らした長い髪が薄いワンピースの背で揺れる。

 新堂はただ呆然とそれを見守るしかない。

 そして拳銃片手に裸足のまま外に飛び出して行った。

 

「ユイ……?と、呆けている場合じゃない、待て!」

 外へ出ようとして先程のユイの言葉が過ぎる。

「絶対に外に出るな、か。警備もいるし、おまえが正気に戻ったなら俺の出番はないか」

 新堂は気づいていない。警備はすでに全滅した事を。

 

 一方のユイは、記憶は混乱中ながらも新堂を守る事だけに徹する。

「あれは誰なの?狙われてるのは私みたい……。とにかく別の場所に誘導しなきゃ、先生が巻き込まれる!」

 

 外に出てみればスーツ姿の男達が倒れている。

「家に警備?全員やられてる……敵はなかなかのやり手みたいね」

 

 コルトの残弾数を確認する。二発入っている。

「いつも一発しか入れてないんだけど……なんで?」

 やはり状況は見えてこない。頭を整理したいが今は時間がない。

「とにかくあの敵を仕留めるのが先ね」

 

 真昼間で視界は悪くない。敵はすぐに探し出せた。

 裸足で丘をさらに上へと駆け上がる。その先は山になっているが、ここ一帯が私有地のため人の出入りはない。

 

「コソコソ隠れてないで出て来なさいよ!誰か知らないけど、どうせなら正々堂々と勝負しようじゃない?」

 ユイの高らかな声に男の声が答えた。

「お前、頭変になったんじゃなかったのか。まさかさっきまでのは演技だったとか?」

 

 姿を現した男の顔を見て、ユイはこれまでの事をハッキリと思い出した。

 

「あなたのお陰で元に戻ったわ。皮肉なものね」

「それは厄介だな。やはり確実に夜仕留めるべきだった」

「そうよ、この朝霧ユイを侮らないでくれる?」

「……相変わらず癪に障る女だ。今度こそ殺す!」

「それはこっちのセリフ!」

 先手必勝とユイはジンの眉間に照準を合わせ、迷わず撃ち放つ。

 

「お互い本調子じゃないようだな」

 あっさり弾を交わしたジンは口角を上げながら言う。

「くっ……避けられた」

 実際いつものユイのキレある動きではなかった。

 

 その時、二人の耳にパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

 

「チっ。あの医者が呼んだか。やはり先に殺しておくべきだった」

「先生は無関係よ!手を出したら許さないから!」

 

 至近距離で銃口を向け合う。そして今度は同時に引き金が引かれた。

 双方の弾は見事に中央で衝突。そして爆発した。

 

「っ……何て事っ、最後の弾なのに?」

「フっ!さすがやるじゃないか。今日のところは出直しだ。命拾いしたな。精々残り僅かな時間を楽しむ事だ」

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 パトカーのサイレンはどんどん近づいている。もう数分もかからず到着するだろう。

 気を取られている隙にジンの姿は見えなくなっていた。

 

「ああん、もう!こうしちゃいられない、早くコルト隠さないと」

 ジンの追跡を諦め、慌てて家に引き返す。

 

 玄関先で新堂が待ち構えていた。

「ユイ!無事か!」

 

「先生、警察呼んだのあなた?」

「いや。今度はちゃんと言いつけ守ったからな?」

「はいはい。偉いわ」

「それよりおまえ、記憶戻ったんだろう?」

「ええ。でもいろいろ混乱中」

「で、ストーカーは退治できたのか」

「ストーカー?」

「ユイに付き纏ってるヤツ、ストーカーだろ?」

「ああ……そうね。ええ、取りあえずは。また狙って来るでしょうけど」

「とにかくしばらくは安全なんだろ?中に入れ」

 

 新堂に背を押されて部屋に戻る。

 裸足だったためユイの足跡が床に着いた。

 

「まるで犬だな!」

「ごめんなさい、忘れてた……」

 

 こんな一騒動の後だというのに、新堂の心はとても穏やかだ。ユイが記憶を取り戻したのだから。

 上機嫌の新堂を前にユイは不思議がる。

 

「ねえ先生、さっきも今も、いつもなら怒るシーンだと思うんだけど……」

「ん?」

 嫌な顔一つせずにユイの足と床を拭き上げている新堂。

「いえ、何でも……」

 ユイが続きを言えなくなったのは、新堂のあまりに幸せそうな笑みのせいだ。

 

 思わず見惚れていると、新堂は意表をついてユイの唇を奪った。

「んっ……?!」

「ユイ、お帰り。おまえの帰りを待ち侘びていたよ」

「せんせっ……、あっん」

「もう二度とご免だからな?」

「うん……」

 どうも記憶の中の男と違う気がすると思ってしまうユイであった。

 

 

 その後すぐに降谷から連絡があり、通報したのが彼だと知る。

 ユイは降谷を近所の喫茶店に呼び出した。

 

「ジンと直接対決とは!で、引き分けだったとか」

「パトカーのサイレン聞いて焦るとか、あり得ないんですけど?」

「それ自分に言ってるんですよね?」

 楽し気な降谷にユイは憤りを隠す事なく続ける。

「全く、余計な事してくれたわ!」

 

「でも、弾切れ、だったんですよね。逆に感謝すべきでは?」

 状況は全て説明済みだ。

「弾がなきゃ素手よ素手!あっちは手負いだったんだから」

「あのヘリの事故から生還するとは、ホント、あなた達は不死身ですか?」

 苦笑しながら、独り言のように降谷は呟いた。

 

「それで。彼にどう説明する気?」

 

 新堂は降谷が警察の人間である事を知らない。

 家の警備をしていたのは警察だ。そしてあの日事情聴取もなく撤収して行ったパトカー。

 全ては公安警察のなせる技だが、知らぬ者にとっては謎だ。

 

「あと、バーボンって名前もどうにかならない?不自然すぎるわ。貴島さんにもそう名乗ったって?」

「成り行きで」

「成り行きって……変でしょ!ハナシ聞いてる?」

「どうせニックネームか何かだと思ってますよ。別に問題ないかと。それより、ヘリに向かって四発撃ったんですよね?ジンへの弾は避けられたんですね」

 

 唐突に話を変えられて、一瞬ユイは目を瞬く。

 

「ユイさん?」

「……ああ。急に話、変えないでもらえる?」

「まだ混乱中ですか……」

「そうじゃないわ。強烈なあの男のお陰であっさり思い出せた。逆に感謝しないとね」

「はは……っ」

 笑えない冗談だ、と降谷は思った。

 

「あいつに向けては撃ってないわ。何せライトが眩しくてね」

「ああ……なるほど」

 ジンの受けた傷はヘリの事故によるものと判明。

「ガッカリさせて悪かったわね」

「いえ。お二人が無事だっただけで十分です」

「私達にいろいろ気を回してくれたみたいでありがとう」

「それが僕の仕事ですから」

 

 ユイは小さく息を吐き出した。

 

「ねえ。でも、あまり私達に関わらない方がいいんじゃない?そのうち誰かにバレるわよ」

「そうですね。ご自宅には近づいていません」

「そう」

 軽く答えたユイが足を組み替えて降谷を見据える。

 

「先生への説明、してくれるわよね?」

「僕がですか?ダメですよ、だって僕ただの警備関係の仕事をしてる人なんですよ?」

「警察ともコネがあるとか言えばいいでしょ」

「そこは朝霧さんのお得意の話術でお願いしますよ。くれぐれも話は合わせておいてくださいね」

 

 丸投げされて、ユイがテーブルを叩いて抗議する。

「はあ?ふざけないでよ。こっちこそ警察と関われない身なんだからね。大体、こうなるの分かってて何でパトカー呼ぶかなぁ?それでなくても噂好きのご近所が大騒ぎよ!」

 

「ジンを追い払うには一番手っ取り早かったでしょう?」

「そうだけどさぁ。あ~あ……。ま、いいわ」

 口論に疲れたユイもまた、投げた。

「ふふっ」

 不意に降谷が笑う。

「何よ」

「いえ別に」

 

 やはり朝霧ユイとは気が合いそうだ、と降谷は密かに思った。

 

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