交わるはずのないステージ~謎めいた隣人の正体~   作:氷ユリ

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忍び寄る魔の手 前編(1)

 

「あんな小娘一人にいつまで掛かってるのよ?私が一息に仕留めてあげるわ」

 

 某組織。窓一つない殺風景な廊下に、女のやや低めの声が響く。

 その顔には侮蔑的な笑みが浮かび、目前に立つ小太りの男を見下ろす。

 緩くカールされた見事なブロンドを背に垂らしたこの長身の女は、ベルモットだ。

 

「ボスからはそんな命令は出てないだろう」

「あらウオッカ。あなた、私に指図できる立場?あの方の考えは全て把握しているわ。その本来の業務に専念できるように、私が手を貸してあげようって言ってるのよ」

「そんな事は頼んでない!」

 上から目線が続いてイラ立つウオッカ。

 実際ベルモットは組織の幹部であり、所詮ウオッカは駒でしかないのだが。

 

 ベルモットはボス、通称〝あのお方〟から最も寵愛を受けている人物だ。

 その関係はただの主従関係というには距離が近い。二十年程前は夫婦と名乗っても通っただろう。だが現在も変わらぬ美貌を保つ女に引き替え、男は相応の老いを迎えている。夫婦と言うよりは愛人だ。

 

 変わらぬ若いままの容姿を保つベルモット。

 表向きの顔は女優業。さすがにここまで年齢を重ねてしまえば、一般的には最盛期を過ぎたと考えるが、彼女の場合は別だ。

 ただ不自然すぎるため最近では娘を演じたりもする。変装や演技は得意分野である。

 

「そうムキにならないでよ。これでも私、喜んでるのよ?」

「……何をだ!」

「だって、あの日ジン達と行動を共にしていたら、あなたは今ここにはいない。運のいい人ね」

「兄貴は生きてるさ。俺には分かる」

「あっそう。別にどうでもいいわ」

 

 もうお前に用はないとばかりに、ベルモットが背を向ける。

 

「おいベルモット!勝手な真似はするな」

「うるさいわね。ただの暇潰しに口を挟まないでくれるかしら?」

 背を向けたままそう返す。その顔はどこか楽しげだ。

 

 ベルモットは一転、上機嫌となってその場を後にした。

 

「さあ。何から始めようかしら?ドクター新堂!……待っていなさい、ユイ・アサギリ。第二のシルバー・ブレッドになり得るかどうか、試してあげる」

 

 

 例のマンションの一角にヘリが激突した騒ぎは、あの後すぐに潮が引くように消えて行った。

 あんなに騒ぎ立てていたマスコミも嘘のように姿を消して、何事もなく日常が過ぎて行く。

 

「一体どういう仕組み?公安て所は全く優秀ね!」

 それらの事が全て公安の操作だと、私だけは気づいている。

 

 会社からの帰り道、いつもとは違うルートである場所へ向かう。

 珍しく新堂先生が外で待ち合わせしようとメールを送って来たから。

「先生、メール嫌いなのに!やっぱりあれ以来、あの人何か変わった?」

 若干腑に落ちない部分はあれど、久しぶりのデートのお誘いに浮かれていたのは確かだ。

 

 隣町を流れる比較的大きな川が見えて来た。この橋のたもとが待ち合わせ場所。

「だけど何でこんな場所で?」

 

 彼は主に車移動。今朝も西方の病院から依頼が入ったと愛車のクワトロで出掛けたのは知っている。

 ここで私を拾ってどこかへ行こうとしているのか。

 そう考えればそれ程おかしな提案ではない。

 

 目的地に着いて辺りを見回すも、誰もいない。

 車通りもそれ程なく、時折ランニング姿の学生やらオジサマ達が通り過ぎて行くだけ。

 

 当然車で来るだろうと、車道ばかりを見ていた時、背後から声が掛った。

 

「ユイ。早かったな。待たせたか?」

 サングラスを掛けたスーツ姿の彼が、すぐそこまで来ていた。

「あれ、先生歩いて来たの?車は?」

「ああ、置いて来た」

「どこに?」

「近くのコインパーキングだ」

 

 ひたすら首を傾げるしかない。

 滅多な事では愛車を置いてこうして徒歩で来るなんて行動は取らない人なのだ。

 

「ねえ。何考えてるの」

 こう問うと、目の前の彼は一瞬どこか困った顔をした。私は畳みかける。

「さては何か企んでる?」

「は?何を言う!たまには散歩もいいと思っただけだ。ほら、俺が運動不足なの知ってるだろ?」

 こう返されれば頷く以外の選択肢はない。

「いい心がけね」

 

 彼がエスコートするように右手を進行方向に差し出す。

 

 歩けって事ね。

「いいわよ。付き合いましょう。歩くの大歓迎」

「それは良かった」

 チラチラと横を歩く先生を盗み見ながら進む。

 何だか今日はやけに身長差を感じるのは気のせいか。

 って……え、待って?まさか私の背が縮んだ?!

 

「何だ?」

「いえ、別に」

 

 そんなはずがないと心で苦笑しつつ、再び隣りを見る。いつものようにポケットに手を突っ込んで歩く彼は、至って普通だ。

 だが、その両手はポケットに収まっている。つまり今の彼は手ぶらだ。

 

「ねえ、カバンどうしたの?」

「車に置いて来た。散歩するのに必要ないだろ。あれは案外重いんだ」

「ふうん」

 

 この言い分にはさすがに引っかかった。

 彼はどんな時でもドクターズバッグを手放さない。

 それだけ大事な商売道具に対して、重いなどと文句を付ける姿にも違和感が湧く。

 

「いやぁ、今日の依頼には参ったよ」

 不意に彼が今日のオペの話をし始めた。

 それはどんどんエスカレートして、私が理解できない医学用語を連発してくる始末。

 いつもならこんな話し方はしない。しても意味がないから!

 

「ちょっと待ってよ、そんな話されても全然理解できないんですけど!バカにしてる?」

「いや全く。ただの愚痴だよ。いつもの」

「いつもの?あなたそんな愚痴言わないじゃない」

「あ……だから、本当は心で言ってたんだよ!」

「あっそ。で?仕事は上手く行ったんでしょ」

「もちろん。完璧に。ユイは?」

「私?上手くも何も、ただの事務仕事だし」

 

 こんなどこかちぐはぐな会話をしながら、橋の中央付近に到達した。

 不意に彼が立ち止まる。

 

「今日は風が強いな」

「そうね。髪が邪魔……っ」

 風で舞い上がる髪を押さえながら答える。

「髪、伸びたな」

「そう?この間切ったからまだそんなに伸びてないけど?」

 

 彼は何も答えずに私から目を逸らす。

 そのサングラスの横顔を見上げて再び首を傾げる。

 

「ねえ、どうしたの?何だかいつもと違うわよ」

「そうかな。久しぶりに外でお前を見て、改めて思っただけだ」

「何を?」

「ユイはやっぱり可愛いなって」

 

 そう言って腰を屈めた先生が私の唇を奪った。

 ついこの間もこうしてキスをされた。でも今のそれは、どうもあの時とは違う。

 

「ちょっと……やめて、人も見てるし!」

「なぜ?見せつけてやればいいじゃないか」

 

 彼は私の上腕を両側から掴み、さらにキスをして来る。それはまるで動きを封じるように。

 そしてキスの合間、彼が一瞬だけ口角を上げたのが見えた。

 

「ちょっと!やめてったら。何か企んでるでしょ!」

「だから、企んでなんかないって。俺がそんな事するヤツじゃないって知ってるだろ?」

「知ってる?あなたが、どんな男かを私が?」

「何だよ、俺達長い長い付き合いじゃないか。知らないとは言わせないぞ」

 勝ち誇ったように言い放つ彼。

 

「記憶がなくなってるとは思わないの?」

「おいおい!その質問はおかしいだろ。お前が記憶喪失だったら俺が最初に気づいてる。共に暮らす主治医だぞ?」

 

 おかしい。やっぱりおかしい。

 この言い方からすると、私がつい最近まで記憶を失くしていた事を知らない事になる。

 この状況なら、また記憶がなくなったとか言う気か?と突っ込んでくるはずだ。

 

 私は立ち止まって目の前の男と向き合った。

 

「どうした?」

「あなた誰?新堂和矢じゃないわね」

 睨みを利かせてこう問うと、男が無表情で押し黙る。

 

 その顔だけ見れば、どう見ても新堂先生なんだけど!でももうこの時には確信していた。

 案の定、男は鼻で笑いながらポケットから両手を出して広げた。

 

「さすがはユイ・アサギリね。こんなにあっさり見破られるとは想定外だったわ!残~念、もう少し楽しめると思ったのに?」

 その声は先程までのものではなかった。

「なっ、何よ、誰なのあなた!」

 

 そしておもむろにサングラスとウイッグを外して、隠されていた美しいブロンドを風になびかせた。

 

「って、女……?!デカっ」

 よくよく見ればやはり新堂先生よりも背が高い。

「良かった。驚いてくれて。また、ふうん、とか流されたらどうしようかと思ったわ。肝の据わったお嬢さん?」

「誰なの?どうして先生に……っ、先生に何かしたの!」

 

「安心して。ドクター新堂には手を出していないわ」

 ちょっとの間だけ接近させてもらったけど?と高らかに笑うブロンド女。

 

「私に用があるなら最初からこっちに来なさいよ」

「それじゃつまらないでしょ!だってカレ、結構魅力的だったんですもの。楽しかったわ、いろいろと」

「まさか私に化けて何かしたんじゃ……」

「私もそうしたかったんだけど。チビに変装するのは不可能なのよ」

「チビ……。悪かったわねっ!」

 

「そんな事しなくても、カレに近づく方法はいくらでもある」

「どういう意味よ」

「ご想像にお任せするわ」

「なっ!何なの、ホントに!」

 

 憤慨する私に、女はどこまでも余裕の表情で再び迫る。

 

「それでどうだった?キスは良かったでしょ。結構自信あったのよ?」

「それって……」

 先生とキスしたって事?!嘘でしょ……

 目の前のブロンド美女に見下ろされながら絶望的な気分になる。

 

 一瞬脳裏に浮かんだのは、彼の元カノ。

 遠い遠い昔の話だけど、その女もブロンド美女だったので!

 あまりのショックに呆然となっている隙に、橋の欄干に体を押し付けられて動きを封じられる。

 

「離して!」

「大人しくしていなさい。もう一度極上のキスをあげるから。ね?ユイ・アサギリ。本当に小さくて可愛いわ」

「くっ、うるさいからっ!」

 女がカプセルを取り出しこれ見よがしに口に含む。

「何をする気……っ?んっ」

 

 そして私達の唇がまたも合わさる。

 無理やり舌で私の唇を割り開き、口内にカプセルを押し込まれた。

 

「いや……っ」

「その薬は即効性の劇薬よ。抵抗してももう遅いわ。私はヤツとは違って確実に仕留める。ごめんなさいね、別にあなたに恨みがある訳じゃない。あなたは選ばれたのよ。どうぞ安らかに逝って」

「何を、言って……」

 

 女の声が遠くの方で聞こえる。口の中に広がる強烈な刺激で、頭がおかしくなりそうだ。

 

「うっ!……っ、ああっ!」

「苦しいでしょう?それもすぐに収まるわ、大丈夫。何ならもう少し愛しいカレの変装、しててあげましょうか?」

 もがき苦しむ私をあざ笑いながら女が言う。

 私は必死に欄干に掴まって体勢を保ち、川の方へと体を向ける。

 

 私は、ここで死ぬのか。先生、勝手に死んでゴメンなさい……

 死に際は誰にも見せない。主治医にしか、見せない。

 

 私は最後の力を振り絞り、欄干から身を乗り出して川に飛び込んだ。

 

 

 ターゲットの姿を確認するべく、ベルモットは川面を見下ろす。

 ユイの体はすでに流れに任せて人形のように川面を漂っていた。

 

「案外呆気なかったわね!最初はどうなるかと思ったけれど」

 それは出会い頭に放たれたセリフだ。

 何を考えているの?何を企んでいるの?

 初めから疑ってかかって来たユイに、ベルモットは少々焦っていた。

 

「ま、この私にかかれば、小娘なんてイチコロよ」

 ふふん、と鼻を鳴らして勝ち誇る。

 

「行き着く先は目前に広がる海。死体の発見まではそんなに時間はかからないでしょう。……もしくは、また別の展開かしら?」

 

 ベルモットはこう言い放つと、ブロンドをなびかせて去って行った。

 

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