下校時間となり、いつものメンツでいつもの帰り道を歩く。
「なあ新一、灰原。今度歩美ちゃんに会いに行こうって光彦と話してたんだ。お前らも行くだろ?」
歩美が引越してもうすぐ一年になる。
「私はパス」
「何だよ灰原~、冷たいヤツ!新一は?」
頭に手を乗せて空を見上げながら返す。
「どーすっかなー」
「行って来れば。どうせ暇してるんだし」
「何だよ、オレが暇してるならオメーだってそうだろ」
「一緒にしないで。私はいろいろやる事があるのよ」
「何だよ灰原のやる事って?」
元太と一緒になって灰原に詰め寄る。
オレと灰原には共通の問題がある。
こんな言われようは一人突き放された気がして、ちょっぴり悲しい。
「とにかく考えといてくれよな!じゃーまた明日!」
元太はそう言うと大きく手を振って角を曲がった。
「子供は気楽でいいわよね」
「だから。オメーも今は子供だろ」
「好きでやってる訳じゃないわ」
「オレだって!」
若干不穏な空気が流れる。
こんな姿になっていなければ、この女とこんな関係にはなっていないのだから。
それに何より今日の灰原は機嫌が悪いらしい。
「あ~あ!そうだよ、どうせやる事なんてねーよ。何の進展もな」
「だから、付き合ってあげなさいって」
「何でオメーはそうやって上からなんだ?」
「だって私の方が年上だもの」
「今はそんなの関係ねーだろ!」
「あるわよ」
こんな不毛な言い合いを繰り広げていると、前方から誰かやって来た。
女の子のようだが、大人物の服を着ているのか引き摺って歩いている。肩に掛かったハンドバッグが重そうだ。
「何、あの子。ずぶ濡れじゃない」
「ああ。何かあったのかな」
「もしかして虐待じゃないの」
「近所のヤツか?見た事ない顔だ……いや、あるか?」
「どっちよ!私はないけど」
「良く見えねぇんだよ!」
ペースを早めて歩いて行くと、俯いていたその子が顔を上げた。
やっぱりどっかで見たような……
そう思った時、その子がオレに向かって言った。
「……新一君?」
この呼びかけに、灰原がオレに耳打ちする。
「ほら、やっぱり知り合いじゃない。どこの子?」
「いや……」
見た事がある気がするが、思い出せない。
「新一君!どうしよう……私っ」
その子はそう言ってオレに抱き付いて来た。
「おっ、おい、落ち着けって!あの、……どっかで会ったっけ?」
「慌てすぎ。全く初心ね!高校生は」
すっかり機嫌が良くなったのか灰原は楽しそうだ。
「ば、バッキャロー!」
「ああ……これじゃ分からないよね。新一君。私よ、ユイよ、朝霧ユイ」
「ユイさん?!ウソだろ……一体何で」
腕組み姿で灰原も黙り込む。さっきまでの笑みは消えていた。
ユイと名乗ったその少女は、オレにしがみ付いたまま泣き出した。
「え~ん!」
「あ、え、ちょっと、……泣くなって」
女の涙には弱い。男は誰だってそうだろ?
ユイの姿を見て灰原が呟く。
「本当に体が幼児化しただけなのか、疑わしい泣き方ね」
「えっ、もしや記憶も?」
焦るオレの質問にユイは即座に答えた。
「記憶は戻った!」
「戻ったの?良かったじゃない!……って、良くはないよなぁ」
何せまた新たな問題勃発だ。ホントこの人、次から次へと大変だな、ってオレのせいか。
「とにかく、そんな格好では目立つし風邪引くわ。ウチに来て。私の服貸すから」
「ありがとう、ええと……」
「初対面、って事になるのね。灰原哀、よろしく。朝霧ユイさんの事は工藤君からいろいろと聞いてるわ」
「そうだったの?哀ちゃんね。助かるわ」
子供のように号泣していたユイが、パタリと泣き止んで灰原と普通に会話する。
道すがらユイからこれまでの出来事を聞いた。
「間違いない。その女は組織の一員、千の顔を持つ魔女と呼ばれるベルモットだ」
「千の顔ね!全く先生に化けるなんて?」
「まさか直接ユイさんに手を出してくるとはな……」
事はそこまで大ごとになっていたのか。
「ユイさん、先に謝っておくわ」
「哀ちゃん?どうしてあなたが謝るの」
「私達を幼児化した例の薬、アポトキシン4869の研究には、私も参加していたから」
「そうなの?!」
ユイは歩みを止めて驚いた。そりゃそうだよな……
「この薬はまだ完成型じゃないけど、あいつらは殺すために使ってる。服用した全員が幼児化する訳じゃないのよ」
「研究段階で思わぬ効果が出たって事?」
「ええ。だから連中は私達が死んだと思ってるわ。つまりユイさんの事もね」
「当分名乗らない方がいいよ。新堂先生にも」
最後にオレが締めくくる。
「そういう事だったのか。本当に、新一君は高校生だったんだ」
「そういう事。で、こっちの灰原は十八だっけ?」
「もう二十歳になったわ」
「だそうだ」
「私三十二。オバサンだね」
「さ、三十二歳?!全然見えない!」
このセリフはオレと灰原同時に言っていた。だって本当の事だ。
さらに言えば、子供にだってすぐに適応しそうだ。泣き方とか?
灰原の家はオレの近所だ。ちなみに正確には阿笠博士の家。
博士は唯一オレ達の事情を知る人で、何かと発明グッズを提供してくれて助かっている。
「大きな家ね!」
博士の家に着いて、門前で建物を見上げるユイ。
「新堂先生のお屋敷ほどじゃないと思うけど?」
「そう?」
「さあ入って。あなた凄く目立ってる」
ダボダボでビショビショの服を引きずるユイは実際目立っている。行き交う人達が全員振り返るほどに!
ユイを自室に招き入れ、オレだけ居間で待たされる。
少しして、ユイが灰原の服を着て戻って来た。
「サイズピッタリ!どう?」
クルリと回ってオレに見せて来る。先ほどとは打って変わって普通になった。
普通というには可愛すぎるが。やっぱこの人、子供の頃から可愛かったんだなぁ。
「っ、うん。似合ってるよ」
灰原が濡れた服とバッグを手に戻って来た。
「ユイさん、これ、乾かしておくわね」
「何から何までありがとう。あ、バッグは私が」
「橋から飛び降りた割りに、よく失くさなかったね」
オレは半ば感心しながら言う。
ユイはバッグを受け取ると、敷いたタオルの上に中身をぶちまける。
携帯、コンパクト、財布、そして拳銃。
「離すもんですか。大事な相棒を?ねえ、これ、メンテしたいんだけどいい?」
拳銃を手にして灰原に確認を入れるユイ。
「ええどうぞ。博士は外出中だから平気よ。必要な物があれば用意するから言って」
「驚かないのね。やりやすくて助かるわ~」
ユイは平然とする俺達を見て肩を竦めた。
そして手早く銃の解体を始める。
子供の手にかかれば、鉄の塊はまるでおもちゃのように見える。だがそれは、ユイがあまりに軽やかに扱っているからに他ならない。
「さすがに慣れたもんだなぁ」
感心しながら見学していると、ユイが咳き込んだ。
「ゴホゴホっ、……ゴホ」
「やっぱり風邪、引いたんじゃない?大丈夫?」
灰原も心配そうに覗き込む。
「そうじゃないと思う。あの薬品飲まされてから何だかおかしくて」
「俺達にはそんな症状はないよな?」
「ええ……薬には個人差があるから」
「だけど、あの時はホントに死んだと思ったわ」
「分かるよ、それ」
オレだってそうだった。まさかこんな姿になってるなんて思いもしないし?
灰原はテキパキと服をハンガーに吊るすと、キッチンでお茶を淹れ始めた。
こういう姿を見ると、やっぱ子供ではないな。
再び銃のメンテをするユイに目をやる。
「ねえ、壊れてない?それ」
「こんな事で私の相棒は壊れないわ。こっちはもう使い物にならないけど!」
携帯を手にユイが言う。
一通り済んで、三人でお茶を飲んで一息つく。
「これからどうしよう……」
ユイは心底不安そうにつぶやいた。さっきまでとは別人のように儚げな顔で。
「オレ達も付いてる。そんなに心配しないでよ」
「先生……本当にあの女と……あ~ん!」
ユイはまた子供のように泣き出した。
「ユイさんって掴みどころないわね。十も年上だなんて思えないんだけど」
「あ~ん!……ゴホゴホっ」
「泣くと咳が悪化するわよ?落ち着いて」
灰原はユイの背をやさしく撫でながら言う。
ああホント、灰原の方が大人に見える。
「良かったら話して。もうこの際、隠し事は無意味よ」
「って言われても、子供に話す事じゃないの!」
「お言葉ですけど、これでも一応、私は成人してるわ。私はね」
「強調すんなよ!」
「……そう、でしたね」
そしてユイは心の内を語り始めた。
「つまり、ベルモットが新堂先生に近づいてキスした事が気に入らないって話ね」
冷静すぎる灰原が纏める。
「でもよー、それだけじゃ、したかどうか分かんないだろ?」
「だって……自信ある、だなんて!それってしたって事でしょ?」
これまでの内容を思い返しながら、オレは持ち前の探偵ぶりを発揮する。
ユイが変装を見破ったタイミングはどこか。
「でもさ、ユイさんは、ベルモットのキスで別人だって気づいたんでしょ?」
「それってつまり、ベルモットは先生がどんなキスをするか知らないって事にならない?」
灰原が続く。
この光景を客観的に見たなら、随分マセた小学生だ。
灰原はともかく、オレはまだそんなにキスの経験もないんだが。
「ああ……そうか」
ユイは泣くのをやめてオレ達を交互に見る。
「騙された!」
「あの人はユイさん一筋だよ。オレには分かる」
「高校生なのに?」
間髪を入れずユイが言って来る。
「そこは関係ないだろ!」
「さあどうかしら。初心な高校生探偵さん?」
今度は面白がって灰原が続ける。
チっ、経験不足も見透かされてるってか。気に入らねー!
ようやくユイに笑顔が戻った。
「ありがとう、二人とも。私一人だったらあのまま絶望して先生を責めてたわ」
そりゃ誤解が解けて何より!
あんまりあの人を困らせるなよ?それでなくても苦労してるんだから。
ユイを見ていると、先生の苦労が良く分かる。
……なんてな。余計なお世話だよな。
「それで、これからどうするの?」
灰原が改めて本題に入る。
「もちろん帰るわよ」
「でも、あの人鋭いからバレるんじゃねーか?」
「そこなのよ、問題は。ねえ哀ちゃん、薬の解毒剤は作れないの?」
「必死で作ってるところ。でも私だけの知識じゃどうしようもなくて」
ユイはしばらく考えていたが、一つの結論に達したようだ。
「新堂先生が加わってくれたらできるかも!」
やっぱりそう来るよな。オレと灰原は目を合わせて思う。
「オレだって何度もそうしようと思ったさ。だけど……」
「だけど何よ」
「あなた達を巻き込みたくないって事でしょ!」
灰原がズバリ言い放った。
「こうなるからユイさんに近づかないようにしてたのよ!」
その通り。心から悔やむ。最も恐れていた事態になっちまったんだから。
「モノは考えようよ、哀ちゃん、新一君。これで元に戻れる可能性が上がったんだから?」
「相変わらずのプラス思考だね……ユイさんらしいや」
これまでのこの人の言動を知るだけに、自然とそう思える。
それでこそユイ・アサギリだと。
「先生に全て打ち明けるわ。その前に見抜かれそうだけど!」
「そうそう信じないと思うよ」
「それに今すぐに動くのは危険なんじゃない?」
灰原はいつだって慎重派だ。
「そうだよ、目立った動きをすれば危険だ。ユイさんの家は組織に把握されてるだろうし」
「だったらここにいれば?博士は歓迎してくれると思うわ」
「いいえ。こんな状況で先生を一人にはできない。いつまた連中が襲って来るか分からないもの」
「だけど……」
自分が幼児化してからの無力さを知るからこそ、素直に頷けない。
「新一君、さっき言ったよね?そうそう信じないと思うって。親戚の子とか何とか誤魔化して、取りあえず戻るわ。その上で彼が気づいてくれたら、打ち明ける。もちろん極秘扱いで。それでどう?」
「それはユイさんに任せるけど……」
「大丈夫、あの人そんなに知り合いもいないし?その辺でペラペラ喋ったりしないわ」
「そんな心配はしてないよ!オレが言ってるのは……」
「あなた達を巻き込みたくないって事でしょ!」
再びこのセリフを言い放つ灰原。
「もう部外者じゃない。彼は絶対協力してくれる。大丈夫、私達を信じて」
こう言い切ったユイは、俺を何度も救ってくれたあの時のように自信に溢れていた。
さっきまで泣きじゃくってた人とは別人だ。
この人だっていくつも顔、持ってるじゃないか?
全く、女ってのは逞しい生き物だなぁ。
*
服とハンドバッグは、哀ちゃんの家で預かってもらう事にした。もちろん相棒も。肌身離さず持っていたいけど仕方ない。子供があんなの持ってたら、さすがにマズいでしょ?
私は哀ちゃんの服を着て、いつもの丘を登って行く。
「しんどい……っ、ここの坂ってこんなにキツかった?息が、切れる、ゴホゴホっ」
どうにか家の前まで辿り着いた。
庭に車がない。先生はまだ帰っていないようだ。
「そうだ、鍵まで置いて来た……入れないじゃない!」
無くて正解だ。持っていたら入っていた。入っていたら不自然なのに?
グッタリして玄関ドアの前に座り込む。
夕暮れの町並みが眼下に広がる。
「先生ぇ……疲れたよ」
またも涙が込み上げる。
「ヤバい、泣き癖付いちゃった。顔見たら絶対泣く自信ある!」
あまりの疲労感に、不覚にもそのまま眠ってしまった。
気がついた時は、個室のリクライニングベッドに寝かされていた。
それは使い慣れたベッドのはずなのに、やけに広々としている。
「ん……ゴホゴホっ」
「気がついたか?」
耳元で声がして、目を向けると彼がいた。
「先生ぇっ……、うわ~ん!」
思わず飛び起きて縋り付く。案の定涙が滝のように流れ出した。
「先生?ゴメン、君とどこかで会ってたかな……」
「あ……」
そうだった!早速やってしまった。
しかも肝心の設定を何も考えていない。もはやすぐにでも打ち明けたい心境……
顔を見合わせて沈黙が続く。
「ゴホゴホ……っ」
「咳が出てるな。少し熱もある。風邪でもひいたのかな?」
先生が私の額に触れて来る。いつもとは違う慎重な手つきで。これが初対面相手の反応だ。
「あのっ……、私、は……」
「心配しなくていい。私は医者だ。ここは私の家で、この部屋はユイの……女の人の部屋だから」
女の人のって、先生ったら。そんな事を子供は心配しないわよ?
ちょっぴりおかしくてクスっと笑った。
「ん?何かおかしかったかな?君、名前は」
「名前……、ええと、ユ……」
「ゆ?」
「ユリです!その、親戚の、ユイお姉ちゃんから先生の事を聞いて!来ちゃった」
「ユリ……親戚。そんな子いたか?それでユイは?あいつ、携帯の電源切ってて掴まらないんだが」
そりゃそうだ。だって水没してしまったんだもの?
取りあえずこれだけ言う。
「あの……当分、帰って来ないと思う」
限りなく小さな声になってしまった。
そしてまたもおかしな咳が出る。
ああ、体がダルい……。そう思った時にはベッドに寝かされていた。
「とにかくゆっくり休んで。熱を下げるのが先だ」
「せん、せい……。ごめん、なさい……」
「なぜ君が謝る?さあ、もう少し眠って」
「はぁ……はぁ、ゴホゴホっ」
私は彼に触れられた安堵感で、あっという間に夢の世界に吸い込まれて行った。