「それじゃ出席を取りま~す」
帝丹小学校一年B組のいつもの朝が始まる。
「工藤新一く~ん」
「は~い」
「新堂ユリさ~ん」
「は~い!」
転入生新堂ユリは、あっという間にクラスの人気者になった。
ようやく新堂先生から許可が下りたと喜ぶユイの姿は忘れられない。
まあぶっちゃけオレも嬉しい。まさかあの朝霧ユイと同じクラスになれるなんて、夢にも思ってなかったんだから?
「ねえねえ新一君、あのスケボー、私もほしいなぁ」
「今度博士に頼んであげるよ」
「やった~!あれがあれば車なしでも何とかなりそうだからさ?」
いきなり子供になったこの人には辛い現実だろう。
車も運転できない。この短い足では、どこに行くにも以前の倍以上掛かるんだから!
「だからって車道走ったらダメだからね?」
「分~かってるって!」
オレ達のこんな会話に、斜め後ろの灰原がこれ見よがしにため息を吐いていた。
「全く。これだから子供は!」
「おい灰原。大人ぶってると逆にカワイくね~ぞ」
「うるさい」
「新一君と哀ちゃんって仲いいよね~」
こんなユイのコメントには、二人揃って、はぁ?と聞き返した。
「ねえ新堂さん!新堂さんって帰国子女なんでしょ。どこの国にいたの?」
「あ、ユリでいいよ。お母さんは今もイタリアにいる」
クラスメイトの女子が集まって来た。
「へえ~!それじゃあイタリア語できるの?」
「できるよ。ボンジョルノ、コメ・スタ?」
「え~スゴイ!何て言ったの?」
ユイがオレの方を見るので、通訳してやった。
「こんにちは、元気?だってさ」
「スゴ~イ、工藤君も分かるの?このクラスってば天才の集まり~!きゃ~!」
後方でさらなる灰原のため息が聞こえたのは言うまでもない。
「なあ灰原。その後解毒剤の研究は進んでるのか?」
「あんまり。先生が別の角度からアプローチしてくれたんだけど……」
「別の角度って?」
「ほら、幼児化って脳が関係してるって話」
「ああ。そういや言ってたな」
灰原の話によると、その後先生はユイの脳を徹底的に調べたらしい。
だが大した情報は得られず。
「変化の瞬間にでも調べない限り、何も分からないだろうって」
「そっかぁ。まあ考えたらそうだよなー。やっぱ解毒剤作るしかねーか」
「試してみる訳にも行かないし、核心に迫れないの」
「灰原、頼むから自分がモルモットになるなんて考えるなよ?」
そんな事を言い出せば先生が止めてくれるだろうけど。
「考えてないわよ、そんな危険な事。工藤君じゃあるまいし?」
「アハハ!バレた?それより、手っ取り早く組織から情報を掠め取って来る方がいいんじゃねーか?」
「ダメよ!危険だわ!」
組織の事を持ち出すと、必ずこうなる。灰原はどこまでもあの連中を恐れている。
「分かってる、ムキになるなよ!言ってみただけだ」
「もう……。お願いだからユイさんを焚きつけないでね?あの人絶対乗り込むって言い出すから」
「言えてる」
嬉々として突っ込みそうだな。ま、それならそれでいいんじゃねーか?
こんな楽観的な事を考えていた矢先、ユイの体が傾いた気がした。
「ユイさ、じゃなかった、ユリちゃん?どうかした?」
「ん~。何だか、急に眠くなって来たぁ……」
異変に気付いた灰原がユイの横にやって来る。
「新堂さん?大丈夫?」
「眠い。猛烈に!寝ちゃっていいかなぁ……まだ授業残ってたよね……不良って言われる?」
「新堂さん、保健室に行きましょう。工藤君、担任の先生に伝えておいて」
「了解。オレも後から行くよ」
ユイは灰原にもたれ掛かるようにして廊下を進んで行った。
急いで担任に状況を伝え、保健室に直行する。
「ユリちゃんの様子はどう?」
「あら工藤君。君まで来たの?転校して来たばかりなのに、この子はお友達が多いのね」
若い保健医を無視して灰原を見ると、すぐに答えが返された。
「眠ってる。ベッドに横になった途端に爆睡」
「ただ寝てるだけ?熱は?」
「ないみたい。ただ寝てるだけに見えるけど、真相は分からないわ。新堂先生を呼びましょう」
「オレが連絡を入れるよ」
「お願い」
保健医を差し置いて話を進める。
ただオロオロさせるばかりで気の毒だが、詳細を話すつもりはない。
「あの、工藤君、新堂先生ってこの子の家の……?」
「父親だよ!主治医なんだ。知らなかった?ボクら仲いいんだ。ボクが電話しとくから!」
「そう?ならお願いするわ」
すぐに新堂先生の携帯に連絡を入れる。
「あ、もしもし新堂先生?新一だけど」
『新一君。どうかしたか?』
「ユイさんが急に……」
『急にどうした?倒れたのか』
「倒れたというか……眠いって言い出して寝ちゃったんだ」
『寝た?他に症状は?』
「特に」
きっと先生もオレ達と同じ反応をしたに違いない。
少しの沈黙の後、すぐに行く、と電話は切れた。
「すぐ来てくれるって」
「掴まって良かったわね」
「ああホント。だけどユイさん、どうしたんだろう?」
「ただの睡眠不足か……あるいは、また体内で何かが起こってるのかもしれない」
その後到着した先生に連れられて、ユイは帰宅した。
様子が気になったけど、さすがに一緒に早退する訳にも行かず、俺達は放課後に会いに行く事にした。
帰りのホームルームが終わって真っ先に教室を飛び出したオレと灰原に、クラスメイトから冷やかしの声が浴びせられる。
「変な噂が立ちそうなんだけど?」
後ろからついて走る灰原が迷惑そうに言う。
「だったらオメーは来なくていいぜ?」
「行くわよ!何ならあなたよりも先にね!」
ペースを落としたオレを灰原が追い抜いて行く。
「あ、待てよ!」
よほどユイが心配だったのだろう。滅多な事じゃ走ったりしない灰原が、息せき切って先を行く姿は新鮮だった。
こうして新堂邸の建つ丘を駆け足で登って玄関前に辿り着く。
チャイムを鳴らすとすぐに先生が顔を出した。
「ユイさんはどう?」
「心配かけて済まない。まだ寝ているよ。どうぞ」
「お邪魔しまーす!」
以前じゃ考えられないくらい、今では勝手知った室内に入る。だって昔は幽霊屋敷だって近寄りもしなかったんだから?
主よりも先に廊下を進んで、ユイの部屋までやって来る。
個室のベッドでユイは穏やかな顔で眠っていた。
後からやって来た先生が、オレ達の後ろからユイを見やりながら説明してくれる。
「バイタルは正常値だ。脳波にも異状は見られない」
「そう」
「どうして急に眠ってしまったのかしら……。脳の検査をしたって言ってたけど、それが尾を引いているとかは?」
「いや、ないな」
灰原の問いかけを先生があっさり否定する。
「単純に考えれば、体力温存のために体が休止状態になったとか?」
オレが思ったままを口にすると、これには同意の言葉が返された。ちょっと嬉しい。
「一理ある。元々普通じゃない状態の訳だからな。しばらくこのまま様子を見るよ」
「そうね。私も無理に起こさない方がいいと思う」
そういう事になり、オレ達はユイを残してリビングへ移動した。
「それじゃ改めて、こうなる前の事を詳しく聞かせてくれるか」
「いいよ。って言っても、全然普通だったよ。なあ?」
横に座る灰原に話を振る。
「むしろ元気があり余ってた感じ。工藤君にスケボーねだってたし?」
「ああ、だな~」
そうだった。バタバタしてて忘れてた。
「スケボー?なぜ新一君に?そんな趣味は聞いた事ないが……」
「あ~、特殊なヤツでさ。移動手段だよ。ほら、子供は足が遅いだろ?」
「ああ……」
返された返事が呆れ気味だった事には、気づかないふりをしておく。
この不便さは当事者にしか分からない。
「そうそう、授業が残ってるのに、寝ちゃったら不良かなって、心配してたよ」
「確かに普通、だな!さすがに小学校時代からサボり癖があった訳ではないらしい」
「ユイさんってそういう感じだったの?」
「遅刻早退はしょっちゅうだな」
「あはは……」
「学校嫌いで有名だ。いや勉強嫌いか?だから今回、学校に通いたいと言い出した事が不思議でならない」
そりゃ勉強するためじゃないからさ。オレ達との接触の機会を増やすために他ならない。
この人に言えない話をするために?
「子供がずっと家にいたら不自然だからじゃない?」
「そうは言っても、ご近所は丘を降りないといないし、ここなら一目はほとんどないぞ」
「宅配の人とか回覧板置きに来る人くらいね」
おい灰原、お前はどっちの味方なんだ?と目で訴えるも、全く気づかれず。
あんなに新堂先生を怖がってたのに手の平返しやがって!
「だが、事情を知る君達が近くにいてくれるなら安心だ。本当に助かったよ、ありがとう」
「いいえ!全然!」
真っ先に灰原が答えた。どこか紅潮した頬が気に掛かる。
もしや先生に惚れたか?いやまさかなぁ~。
そんな事を考えながら見つめていると、案の定指摘が入る。
「何よ」
「別に~」
そして先生の方に視線を戻す。
こんな状況になっているのに、辛そうな様子は見られない。意外と普通だ。
そこは大人、子供の前で装っているだけかもしれない。
一応こう言っておく。
「先生、先生も無理、しないでね」
「ん?」
「ほら、ユイさんがこんな事になってさ。せっかく記憶が戻ったのに……」
「新一君、まだ気にしてくれてるのか?気にするなって言ったろ。ここだけの話、小さなユイが意外と気に入ってるんだ」
楽しそうにこんな事まで言い出した。
「え……マジ?」
どうやら装っている訳でもないらしい。
「誤解するなよ?別にロリコンじゃないからな」
「もちろんです!新堂先生はそんな人じゃありません!」
唐突に灰原がムキになって訴えた。
「何でオメーが必死になってんだ?」
「い、いいでしょ、何だって!」
首を傾げる新堂先生が気になったらしく、灰原は口を閉ざしてしまった。
「まるで娘が出来たようで、世話焼きが楽しくてね」
灰原を気遣うように先生が言った。
「スゴイね、そういうところ。さすがはユイさんの認めた人だね」
どん底にいても楽しめる。転んでもただでは起きない。
そんな人でないと務まらないだろ?朝霧ユイの相手は!
何だかんだ言っても、この人といるからユイは自由に動けるんだと、改めて思った。
*
ユイが眠ってしまってから三日が経った。
相変わらず静かに寝息を立てて眠り込むばかりだ。
「なあユイ。一体どうしてしまったんだ?いい加減起きてくれよ」
ベッドサイドにしゃがみ込み、小さな手を握りながら話しかける。
何ら反応を示さない事に焦りが募り、こんな事を言ってみる。
「こうなったら気付けの注射でも打ってみるか?」
やはり反応はなかった。
「こんな事で起きてくれるなら初めからやってる!」
諦めて部屋を出た。
その晩遅く、何となく胸騒ぎがして部屋を覗きに行くと、ユイの呻き声が聞こえるではないか。
布団を捲って様子を確認する。
「ユイ、どうした、どこか苦しいのか?痛むのか」
ベッドの中のユイは、体を両腕で抱きしめるようにしてもがいている。
「ああ……!ううっ」
「体が痛むのか?ユイ、返事をしろ!」
「はぁ、はぁ……、うう!」
額に手を当てると、酷く汗ばんでいる。全身冷や汗でぐっしょりだ。
「いつからこうなった?」
慌てて診察をするも、心拍は異常なリズムを刻む。
血圧は危険なほどに低下して、仕舞いには痙攣が始まった。
「おい、しっかりしろ!ユイ!」
「うああっ……」
呻き声しか上げないユイに、処置する手が止まる。下手に薬剤を使いたくない。かと言ってこのままでは危険だ。
「どうしたらいい?なあユイ……」
「あああ!!!」
ひと際甲高い声を上げて、ユイの体がブルリと震えた。目の錯覚か、その体が少しだけ大きくなったように見えた。
見守る事しかできない状況のまま時が過ぎる。
幸いユイの様子は収まって来ていた。
「心拍も血圧も戻った。何だったんだ?」
まだ少しだけ荒い呼吸を気にしながら、汗を濡れタオルで拭いてやっていると、ある事に気づく。
寝間着の袖や丈がやけに短い。
「ん?サイズは合ってたと思うが……」
窮屈そうに身じろぎするユイを見て確信した。
「成長したんだ!今その過程にあったのか!」
新一や灰原が全身がバラバラにされるほどに痛むと言っていたあの過程だ。
それと同時に俺を呼ぶ声が聞こえた。
「しん、どう……せんせい?」
「おおユイ!目が覚めたか!良かったよ……」
今この瞬間に脳を調べたかったところだ。
「先生、何だかこの服キツイよ。脱ぎたい」
「ああ、今脱がせてやる。気づくのが遅れて済まん」
「何で急に縮んだの?」
「縮んだんじゃない、おまえが大きくなったんだ」
クローゼットからユイの本来の寝間着を取り出す。
着せてみると少し大きかった。つまりまだ元に戻った訳ではないという事だ。
「どこか辛い所はあるか?」
「う~ん……よく分からない。頭が痛い」
「丸三日寝ていたからな」
「え……三日も!?」
「これまでの事、また全部忘れたとか言わないでくれよな?」
祈るように訴えてみる。それだけは勘弁してくれ!
「待って。思い出すから……」
そう言ったきり黙り込むユイを見守る事数分。
「大丈夫、覚えてるわ。新一君にスケボーお願いした事とか」
「ああ、それはもう必要ないかもな」
「え?何で?」
「今のユイはもう小学生ではないって事」
改めて自分の体を見回して、ユイが最後に両胸に手を当てる。
その様子がおかしくて思わず突っ込んだ。
「そこで分かるのか?」
「悪い?バカにしてるでしょ……、んっ」
ユイの言葉を遮って、唇で口元を塞いだ。
「ずっとこうしたかった、……もう待てん」
「せんせっ……、んん、まだこの体だと犯罪……」
そう言いつつユイも応えてくれる。
だがやはりこの行為をするにはまだ早かったようだ。いろいろな意味で?
放心状態のユイを見て、途端に罪悪感が生まれる。
「ゴメン、焦り過ぎたな。無理しなくていい」
再びベッドに寝かせてやる。
「しかし驚いた。解毒剤なしに、おまえの体は元に戻ろうとしているらしい。考えられん……」
「解毒剤、できてないの?てっきり飲ませてくれたのかと思った」
「違う。全くおまえは神秘の存在だな!」
「神秘の存在、何だかいい響きね。気に入ったわ」
ユイが屈託のない笑みを浮かべて言う。
まだあどけなさは残るが、これまでのような幼さはない。
少しだけ残念な気もする。
「先生?」
「……、ああ、何だ」
「また心配かけたのよね。ゴメンなさい」
「おまえのせいじゃない。目覚めてくれただけで十分だよ。あの二人もずっと心配してたから、明日にでも会ってやれ」
「うん。……あ、でも私、もう小学生じゃないのよね」
「また転校しなきゃな。今度は中学か?いや……高校生でも通用するか。新堂ユリを名乗るのはおかしいから、別の名前考えないと……」
「ああ、学校はもういいわ。いつまたこんな事になるか分からないし」
「そうなのか?てっきり行きたがると思ったが」
「別に。そんなに学校好きじゃないし!」
「だろ?そうだと思ったんだよ」
「ん?先生、言ってる事矛盾してるけど」
矛盾してるのはおまえだろ?と、目だけで訴えた。
そんな事はどうでもいい。何もしてやれなかった自分は不甲斐ないが、ユイが目覚めたのだからこっちのものだ。
翌日は学校が休みだった事もあり、朝一で早速二人が訪ねて来た。
「本当に良かった、ユイさん!しかもちょっと大きくなってる!」
「信じ難いけど、そうみたいね……」
「二人を差し置いて私だけ成長しちゃってゴメンね」
電話越しでは詳しい事は話さなかった。百聞は一見に如かずだ。
「昨夜はどうなるかと思ったが、結果オーライだよ」
これだけで二人は理解したようだ。神妙な顔で頷いてくれた。
「もしかして、ユイさん自身が解毒剤って可能性はないかな」
「何か鍵を握っているって事は確かね。調べてみる価値はあるかも」
「嬉しいような恐ろしいような……。先に言っとくけど、私、注射とか大嫌いだからね?痛い事しないでよ?」
急に怯え出したユイが妙に愛らしく、一人で笑っていると新一に突っ込まれる。
「笑ってないで新堂先生も説得してよ!」
「そうだとしても、散々調べ尽くして何も出ないんだ。これ以上は時間も体力もムダだ」
「私も先生に賛成!珍しく味方になってくれたわね」
それはそうだ。俺としてはこれ以上の介入は控えたい。
正直な話、もうユイを巻き込んでほしくない。ムダな検査で苦しめるのも、彼女を解毒剤として利用される事もご免だ。
俺はそこまでサディストじゃない。まあ、多少はあるが?
「大丈夫だよ、ユイさんに迫ったりしない。だって、オレ達はまだ元の姿に戻るのはマズいんだ。むしろこのまま潜伏しながら動いた方が都合がいいから」
灰原が新一の意見に頷いて続けた。
「私達は、元に戻っても戦う力が十分じゃない。でもユイさんは違う。その力が発揮できずにいるのはフェアじゃないもの」
こんなコメントは当然ユイを感激させる。
「嬉しい事言ってくれるのね。哀ちゃん大好き!ええ。まだ完全に戻った訳じゃないけど、これで先生を守れるわ」
「ちょっと待て。俺は守られるだけか?今回の事だって何の手柄も立ててない。これじゃカッコ悪いだろ」
「あら先生、カッコつけたいの?」
「そりゃ、少しはな」
ここで割り込んだのは思わぬ人物だった。
「心配しなくても大丈夫、新堂先生はいつでも凄~くカッコいいですから!」
灰原哀に熱の籠もった口調で主張されて、少々照れてしまった。
どうも最近、この子からの視線がこそばゆく感じるのは気のせいか?