突然掛かって来た見知らぬ番号からの電話に、ベルモットは顔をしかめた。
特に警戒する事もなく出ると、若い女の声が響いて来た。
その声が名乗ったのは、つい最近翻弄して楽しんだばかりの女の名。
思いのほか会話は短かった。
電話を終えてベルモットは嬉しそうに呟く。
「ユイ・アサギリ。生きていたのね……。そうと分かれば行動開始よ。イッツ・ショータイム!」
指定された場所に向かう。今日は変装はなしだ。
自慢のブロンドをなびかせ車から降り立つと、目的の人物はすでに待ち構えていた。
「何て運のいい人、生きていたのね。若干体が小さいようだけど?」
一回りほど小さく見えるその姿に向けて言う。
「この姿を見ても驚かないって事は、やっぱり知ってたのね。殺せなくて残念だったわね!」
「残念なんかじゃないわ。あなたが死んでいようと生き残っていようと、私にはメリットしかないから」
皮肉めいたセリフにイラ立ったユイが、コルトを向けて言い放つ。
「それってこの場合、私に殺されたいって事でいいかしら」
「いいえ。生憎死に急ぐ気はないの。この美貌を手放すのは惜しいので?」
対するベルモットは何も手にしていない。
体のラインが丸分かりの薄いワンピース一枚だ。
「良く言うわ!どうせ整形でしょ」
「ええそう。大金をはたいたの。だからもったいないでしょう?」
「って、ホントに整形だったの……。で、なぜ私が生き残っててもメリットなのよ」
ベルモットは質問に答える気はないようだ。
「せっかく第二の人生……いいえ、第三のかしら?お膳立てをしてあげたのに。また棒に振る気?」
「頼んでないし、こうなったのはたまたまでしょ!殺すつもりで毒薬飲ませといて?」
「ええそうね。でも私のお陰で組織からも面倒なジンからも狙われなくなった。感謝してほしいわ。死人は影で大人しくしてなさい」
「ええ。あなたを消してからそうさせてもらうわ。心配しないで、文字通り跡形もなく消してあげるから。きっと皆、どこかへ失踪したと思うでしょうね!心配して探してくれる人がいるといいんだけど?」
そんな人間はいない。ボスは高齢。自分の元から去ったと取るに違いない。
仮に追うとすれば、それは愛情ではなく報復のためだ。
「ふふ……っ、なかなかいいシナリオじゃない」
心の底では組織からの脱却を願っているベルモット。
いっそ誰かが組織を壊滅してくれれば……そう何度考えた事か。
シルバーブレッド、銀の弾丸となって組織に風穴を開け、壊滅してくれる存在を心待ちにしていた。
そして彼女はユイを羨んでいた。この女は、自分が持っていない物を全て持っている。
自分の信念に従って動ける環境は一番の魅力だ。
組織の一員である限り絶対に許されないもの。
例え意にそぐわないとしても命令は絶対、自由はない。
だが最も欲していたのは、ありのままの自分を愛してくれる存在だ。
そんなただ一人すらいない自分に引き替え、ユイには心から気遣ってくれる周囲の者達がいる。いつでもユイの周囲には笑顔が溢れている。
そんなものを昔から欲しがっていた訳ではない。
五十をとうに過ぎ今や六十目前。すでに女の盛りという時期は終わった。それでもこの美貌を手放せず今に至るが、今も昔も、上辺だけを評価してちやほやされるばかり。
目に見えるものだけに翻弄されるのはもううんざりだ。
「でもせっかくだけど、まだ死ぬ気はないのよ」
「それはさっき聞いたわ。悪いけど、あなたに選択する権利はないから」
「そういう強気なところ、結構好きよ」
「気持ちワルっ!あなたに好かれても嬉しくないし!もしかしてそっちの気があるとか?」
濃厚キスを思い出してユイの背に悪寒が走る。
「さあ、どうかしらね」
武器を出そうとしないベルモットに、ユイは銃口を向けながら言い放つ。
「持ってるんでしょ?セクシーな感じで内腿の辺りからでも出したら?ほら、映画みたいに!」
「ふふっ、もしかしてあれ、観てくれてたの」
それは女優ベルモットの話だ。
「例え敵わないとしても、格好だけは付けておけば?一応、女優やってるんだし。演技くらいさせてあげても良くってよ!」
「確かに、射撃であなたには敵いそうもないものね。例え体が小さくても」
コメントの割に全く動じた様子のない態度に、ユイがイラ立つ。
「っ!だから、一々小さい小さいって言わないでくれる?お喋りしに来た訳じゃないの。そのままでいいなら遠慮なく行くわよ」
ユイはトリガーに掛けた指に力をこめた。
そして撃ち放とうとしたその瞬間、横から何者かが発砲。
ユイのコルトは弾き飛ばされた。
「なっ……!誰?!」
現れたのはどういう訳か降谷だった。
当然ベルモットも驚いている。
「バーボン、なぜここが?あなた、ユイ・アサギリの側に付ていたんじゃなかったの」
「笑わせるな、どこからそんな発想が?俺は初めから誰の側にも付いていない」
降谷が笑い飛ばす。
文字通り、誰の側にも。降谷は公安、第三勢力なのだから。
「それって、こちらの側でもないって事よね。組織への裏切り発言とも取れるけれど?」
「むしろ俺は、お前がネズミだと疑っているんだが?ベルモット」
「それは心外ね。これまでの私の働きを忘れたの?」
「それはそれさ。殺したはずのユイ・アサギリが生きているのに、動じていないその姿が何よりの証拠では?」
ベルモットが沈黙する。
「……一体いつから見てたの?影でコソコソ聞き耳を立てるなんて悪趣味ね。せっかく楽しく会話してたのに水を差されたわ。ねえユイさん?」
「誰と誰が楽しく会話してたのよ!殺し合いを楽しい会話と取るなんて、さすが狂ってるわね」
ユイのコメントはスルーされる。
「バーボン、あなたがここにいる事も、ユイ・アサギリとの繋がりを証明しているとは考えないの?連絡先を教えたのはあなたでしょ」
「ちょっと、無視しないでよ。仲間割れは後にしてくれない?邪魔しに来たなら、あなたの事も殺さなきゃならなくなるけど」
降谷を見てユイが真顔で言う。
降谷から、先程までの余裕の表情が消えた。
「ユイさん。僕はあなたに言いましたよね?正当防衛なら仕方がないと。無抵抗の相手に銃を向けるのはルール違反ですよ」
「そんな事言ったって、武器を出してくれないんだもの。持ってるクセに!」
「少し冷静になってください。それはつまり、相手に戦う意思がないとも取れますよね」
「ふざけないでよ!相手の意思なんて関係ない。この女が何をやって来たかが問題なの!」
「ねえ。そっちこそ仲間割れは後にして?私もそこまで暇じゃないんだけど」
たまらずベルモットが口を挟んだ。そして続ける。
「なるほど。考えが読めたわ、バーボン。ボスのお気に入りの私をネズミに仕立て上げれば、組織は混乱する。その隙に本物のネズミが上層部に登りつめる。その後は……」
「誰です、その本物のネズミって」
質問には答えずにベルモットが続ける。
「やっぱりあなたは警察の人間なのね。前から怪しいと思ってたのよ」
「なぜそうだと?」
「正当防衛だとかルール違反だとか。悪人は使わない言葉よ?」ベルモットが笑いながら答える。
「そうでしょうか?一般的な組織なら秩序を保つために必要なものだと思いますけど」
敬語に切り替えた時点で降谷はすでにバーボンという仮面を剥いでいる。
さすがのユイもコメントは控え、動向を見守る。
降谷はもはやベルモットに正体を暴かれたも同然。この先の潜入捜査をどうするつもりなのか。
ユイの疑問を汲み取ったかのようにベルモットが問いかける。
「それで?これからどうするつもり?」
「まあ、ご想像にお任せしますよ。シャロン・ヴィンヤードさん。いえ、ここは娘の方のクリス・ヴィンヤードにしておきます?いつまでも若々しくて、まさに女優業には持って来いだ」
「何が言いたいの」
「別に。さて。それじゃ取りあえず、ヴィンヤードさんには失踪してもらいましょうか」
「なら私が!」
ユイが前に躍り出て、拾い上げたコルトを再びベルモットに向ける。
「待ってください、何をするつもりですか?僕は失踪してもらう、と言ったんですよ」
ここでユイは気づいた。
「……卑怯者、初めから殺させる気なかったでしょ」
「何の事やら!でもまあ、お気持ちは分かるので、一発くらいなら構いませんよ」
降谷は自分の頬を殴る仕草をして見せる。
「フンだ!」
ユイは不満気ながらもコルトを定位置に収め、ベルモットに近づき見上げる。その身長差たるや母娘のそれと言っても過言ではない。
「相変わらずデカい女!」
「相変わらず小さくて可愛いわ」
顔を殴るにはリーチが足りない。仕方なくユイは弁慶の泣き所と呼ばれる脛を思い切り蹴り飛ばした。
最後まで抵抗を見せないベルモットが痛みに顔をしかめて体勢を崩す。
「本当に容赦ないのね。まるで子供だわ!……ああ、本当に子供だったわね、今はまだ」
今はまだ。彼女は元の姿に戻る。自分のように。
あの薬品の成功例第二弾だ。密かにベルモットが口角を上げる。
「うるさいからっ!この程度で済んでラッキーだったわね。全くバカげてる!いい?もう二度と私達の前に現れないで。今度出て来たら本当に殺すから。じゃあね!」
ユイは憤慨しながら去って行った。
二人になった空間に、緩やかな風が吹き抜ける。
「全くラッキーですよ。あのユイ・アサギリを相手に生き延びたんですから」
「なぜ殺さないの。いいえ、殺させなかったの、ね。警察が殺人を犯す訳には行かないから?」
「それはさっきも言いました。敵に戦う意思がないからだと」
実際最後までベルモットが攻撃の態勢を取る事はなかった。
「やっぱり生ぬるいわ、日本の警察は!こんなのは演技かもしれないのよ?」
どこまでも不敵に笑うベルモット。
何の感情も読めない顔のまま、降谷は目の前の女に視線を注ぎ続ける。
謎に満ちた美しいその姿は作り物のようだ。実際顔には手を加えているが、それだけでこんなにも人間らしくない雰囲気を出せるものだろうか。
「まだ組織の全貌解明には至っていない。あなたがその鍵を握っているのは確かだ。殺す訳には行かないんです」
「……ふふ。いい事を聞いたわ。それなら、私はまだ当分は生きていられそうね」
*
ユイから事の顛末を聞いた新一と灰原の放課後の話題はもちろんこれに尽きる。
「もしかしてアポトキシンの本当の目的はそれなんじゃないか?」
「前に新堂先生が、細胞の再生化について話してくれたの。つまりそれは、若返りって事よ」
「幼児化はやり過ぎだけど、若返りっつったら話は別だ。それこそ死に物狂いで手に入れようとするヤツもいるだろうな!」
「不老長寿と錬金術は昔からの人間の夢。でもそれは手を出してはならない神の領域よ」
「あいつらなら何だってやるさ」
「だけどあの薬はまだ実用段階じゃ……」
「ああ。現に俺達がこんな姿になってる。そしてユイさんも……」
「彼女は自力であそこまで戻ったわ。成長は服用段階で止まってしまうはずなのに」
新一達はずっと小学生のままという事だ。だがユイだけは高校生にまで到達している。
二人は、ベルモットも同じ過程を踏んでいるのではとの考えに至る。
ベルモットが組織の本来の目的の鍵を握っているなら、あの若々しい姿にヒントがあるはずだと。
「自力で最盛期まで戻って、その姿で固定された、ってか?それも二十年近くな」
「そんなに上手く行くかしら。その前に死んでしまう可能性だってある。副作用は体に負担が大きすぎる」
「まあ……その辺は分からねえけどよ。その成功を組織が目論んでるとしたら」
「……いずれにしろ、あってはならない薬ね」
神の領域、である。
「まだ成功例はほとんどないはずだろ。もしかしたらベルモットとユイさんだけかもな」
「そうなると、ユイさんの事が組織に知れたら……」
「増々狙われるな。だが、そうなれば命は保証される。殺しちまったら研究できねーからな」
「工藤君、言い方!気を付けなさいよ?」
「ユイさんが聞いてたとしても、気にしないと思うぜ?」
「あの人はそうかもしれないけど。そういう事じゃなく、節度の問題なの!」
常識を軽く飛び越えているユイはさて置き、という話である。
「出た、お得意の上から説教!」
「工、藤、君!」
「……。オメーがその姿で良かったぜ…」
色気たっぷりのお姉さんにされる説教もまた、別の意味で魅力的かもしれないが。
「ちょっと。何一人で真っ赤になってるのよ」
「なっ、なってねー!バーロー!」
「変な人」
いつもより少し大きめの声で発した灰原の一言が、夕暮れの空にこだまして消えた。