目が覚めると、いつの間にか自室のベッドに寝かされていた。
部屋は真っ暗で、今が夜なのが分かる。
「うう……頭痛い……」
起き上がると、鈍い頭痛が襲った。ぼんやりとした感覚はなかなか消えなくて、しばらく立ち上がれずにベッドに留まった。
部屋に先生はおらず、何の物音も聞こえない。
ゆっくりとこれまでの事を思い返してみる。
先生は夕飯も摂らずに、一人でひたすら検査を続けた。私は夕方近くにケーキを食べていたから、空腹は感じなかったけれど。
最初のCTは記憶にあるものの、その後はプツリだ。恐らく眠らされたのだろうが。
「さすがにお腹減って来たな……今何時?」
今度こそはと恐る恐る立ち上がる。来ていた服は脱がされ、寝間着を着ていた事に気づく。
「抜かりないわね、先生ってば。自分の事は全く無頓着なのに?」
ようやく意識がはっきりして来た。時刻は深夜三時。
自分がここに寝かされているという事は、恐らく彼は寝室にはいない。つまり寝てはいないって事。
私は真っ直ぐに書斎へ向かった。
扉が僅かに開いていて、そこから明かりが漏れていた。
そっと覗くと、彼は難しい顔でタブレットを睨んでいて私の気配にも気づいていない様子。
「新堂先生……?」
声を掛けると、彼がこちらに目を向けた。
「おおユイ、目が覚めたのか。まだ深夜だ、寝ていろ」
「先生、食事はした?急にどうしたっていうのよ」
今日私が出掛けるまでは、こんなに根を詰めている様子は全然なかった。
間違いなく私が家を出た後に何かあったのだ。
「ねえ先……」
問いただそうと呼びかけるも遮られる。
「それで体調は?」
「あ、ええ……頭が少し痛いけど、後は別に」
「そうか。頭痛はしばらく残るかもしれない。酷いようなら鎮痛剤を飲め」
「ええ。あのそれで……」
また遮られる。
「今飲むんだったら何か腹に入れた方がいい。だが時間が時間だ、静注してや……」
あらぬ展開になり今度は私が遮って答える。
「そこまでじゃないから大丈夫!それより!」
「何だ」
「私、寝室で寝てもいい?」
「……ああ、体調に問題ないなら構わない」
「じゃあ、先生ももう休んで。ね?一緒に寝室に行って。お願い……」
検査のお願いをされた時のように、今度は私が頭を下げる。私的には心からの懇願だ。
だって今さら不眠不休でやる必要などない事なのだから!
しばし視線を感じていたが、不意にガタリと音が響いて顔を上げると、先生が立ち上がって伸びをしているところだった。
「そこまでされては断れないな。分かったよ。出会った頃のおまえが、今みたいに素直だったら良かったな!」
「それどういう意味よぉ」
ドアの前まで来た先生は、何も言わずにポンと私の頭に手を乗せる。
「だから子供扱い禁止だってば!」
「まだいいだろ?まだ高校生なんだ、十分子供だ」
膨れっ面になる私。
こんな調子では、体だけじゃなく中身も十分子供だ……。
その後ベッドに入った私達だが、結局あまり眠れなかった。
多分先生も寝ていなかったと思う。本人がそう言った訳ではないがそんな気がする。
そして翌日から、彼は無口になった。声を掛ければ答えてくれるけれど、会話は続かず必要な事しか言わない。元々お喋りな人ではないが、ここまで口数が減るのは難解なオペの前くらい。
それはつまり、今がそういう状況にあるという事になる。
こういう時は極力彼の思考の邪魔をしないよう、いつも大人しくしている。
だから今も、無理に問いただす事はやめた。
あの人が一番に考えているのは、いつだって私の事だから。
「先生、私のために、無理だけはしないで……」
*
ベッドに入ってもほとんど眠れなかった。グルグルといろいろな事を考えては否定し、思い直してはまた否定しの繰り返しだ。
再三調べた脳を隈なく検査したが何も見つからなかった。
やはり体に異変が起きている瞬間にしか異常を見せないのだろう。
そうなると、安定している今どんなに足掻いても無意味だ。
あの女の状態が末期とするなら、ユイはまだ初期段階。病も初期では発見できないもの。
末期状態なら何か見つかるのか。それだって怪しいものだ。
「また人体実験紛いのオペをさせる気か?……冗談じゃない!」
あの女の顔が事ある毎に浮かび上がる。寝ても冷めても悪夢だ。
人体実験などお手のもの。その昔は何の迷いもなくやっていた。
だがユイに出会ってから俺は変わった。
赤の他人のために、体を張って命を救おうとする。そんな無謀な行為を迷いなくやって退ける朝霧ユイ。
だがしかし、そのユイは他人の命を奪う事もある。
相反するこの行動はなんだ?
俺にはどちらも受け入れられない。自分の命を張る事も、人を殺す事も。
俺がやる事はただ一つ。まだ助かる余地のある命を救う事。それが例えどんなに悪人であっても。
だが……。
「どうしてもあの女を助けたいと思えない!」
ここまでの殺意は生まれて初めてかもしれない。助けるどころか殺してしまいそうだ。
「……あり得ない。俺は医者だぞ?ああ!クソ!」
こんな日々が数日続けば、いい加減嫌気が差して投げやりになって来る。
「考えているだけでは埒が明かない。実験など必要ない、そうだ、もう強行突破で行こう」
人間の体は未知。それをユイ自身が証明しているではないか。
俺の考えもしないような事象が、あいつの体内で事もなく行なわれていたりするのだから!
挙句笑いまで零れてしまった。
こんな瞬間に、見計らったようにユイが顔を出す。
「先生?また難しい顔してるの……と思ったら、今笑ってた?何かいい事あった?!……大丈夫?」
「変なところで来るなよ……。正気を保っていると思うよ、まだね」
「まだって!やめてよ?ねえ、何か朗報?」
「ユイが神秘だって事を思い出してただけだ」
ここは嘘をつく必要もない。
「イヤだわ、忘れてたの?だから先生、あんまり考え込まないで」
「そんなに考えてないさ」
「ウソ!ここ最近ず~っと難しい顔してるじゃない。最近って言えば、哀ちゃん最近来ないけど、解毒剤の研究の方はどうなってるの?」
「ああ、あれは延期、……いや本音では中止か」
「中止?」
「灰原さんにはまだ言うなよ?」
あの女の話を鵜吞みにする訳じゃない。俺も薄々そう思っていた。解毒剤などないのではと。
だが灰原は違う。若き研究者の探求心を摘み取るような真似はしたくない。だからまだ内密にしている。
「分かったわ。私は難しい事よく分からないけど、先生の出した意見を尊重する。文句言って来るヤツはこのユイ様が排除してやるんだから!」
「それは頼もしいな」
「だから先生は、誰にも気兼ねせずに、思うままに突き進んで」
「ああ。ありがとう」
たった一言しか返せなかったが、心の底では酷く感激していた。
俺がどんな答えを出すかも知らずに尊重すると断言したユイが、ユイの存在が有り難かった。
その答えが、自身の命を失う結果になるかもしれないというのに。
ユイは俺を信じてくれている。ならばそれに答えるしかないではないか?
*
瀕死の状態になっても、目の前の女には同情の余地もない。例え一時仲間として行動していた相手であっても。
警察指定のとある病院で、その女は死に逝こうとしている。
「読みが外れたようだな。ベルモット」
「……バーボン。いえ、ゼ……」
「バーボンでいい。その方がお前にとってはしっくり来るだろ?」
ベッドサイドの簡素なパイプ椅子に腰かけて、横たわる女を見下ろす。
「なぜドクター新堂にあんな回りくどい言い方をした?素直に助けてくれと言えば、あの男は受け入れたかもしれないのに!」
俺が盗聴していた事など、説明せずとも把握済みだろう。
「……ふふ。あなた、何か勘違いしているわ」
「は?」
「忘れた?私はこの美貌を最期まで手放したくないの。今さら元に戻ってどうするの?自分が老婆になった姿なんて見たくもないわ!」
「そこまで美に執着するとは、ある意味凄いな」
「あなたが私を死なせたくなかった理由は、例の薬を解明するためでしょ?」
「ああ、そのつもりだったが、もういい」
「あら。諦めるの。意外」
「我々はそんなに暇じゃないんでね。方向転換したのさ」
「お前が死ねば成功例はなくなる。薬諸共闇に葬った方が早い」
「人の死を待ち望むの!それでも警官?ダークな考え方が身に付いてしまったんじゃない?私は嫌いじゃないけど」
「まさか!俺の任務は国民を守る事。生憎お前は、この国の人間じゃない」
ベルモットの皮肉めいた笑みが、少しだけ歪む。
「それは失礼。でももう一つ成功例になりそうな人物がいるじゃない。あちらはこの国の人間よね。守らなくていいの?」
「守るさ」
「今にもドクター新堂が殺してしまうかもしれないわよ!」
「自分の提案に彼が乗って来なかった腹いせか?例え医療行為中に死に至ったとしても、それは殺人とは言わない」
「いいえ。未必の故意も殺人のうちよ」
未必の故意。死ぬ事が分かっていながらする行為の事だ。
まるでオペは絶対に成功しないと言っているような口ぶりに、怒りのあまり口調が尖った。
「それを言うなら、先に原因を作り出したお前に全ての責任があるとは思わないか?」
「……だからこうして捕まってあげたじゃない」
「先生も言っていたが、死の間際になって罪の意識にさいなまれた、ってヤツだな」
「どうとでも」
残された時間は僅かだというのに、この女はどこまでも軽口を叩く。
「……逃亡の恐れもなさそうだ。少し席を外す」
「ご勝手に!」
どんな拷問を受けても口を割らない、強靭な精神力の持ち主ならば、死を目前にしても虚勢を張り続けるなど容易い事か。
俺の方がだんだん居たたまれなくなり、病室を出てしまった。
「……哀れな人だ。死を看取ってくれる相手もいないなんて。悪いが俺はその役はできない」
ドアを閉めて小さく呟く。
俺の守るべき国民、朝霧ユイと新堂和矢をあんな酷い目に遭わせた張本人を、許せる訳がない。
「見張っておけ」
廊下で警備をしていた二人に言いつけると、そのまま外の空気を吸いに向かった。
「守る、か……。こんな状況じゃ、俺が朝霧ユイを守る術はない」
携帯を取り出して新堂の番号を呼び出すも、思い留まる。
何を言うつもりなんだ?一体俺に何が言える?
苦笑して携帯をポケットに放り込む。
「頼みますよ、新堂先生」
*
先生が急に解毒剤の研究をやめると言い出した事といい、急に無口になった事といい、何かが急速に動き出したのはほぼ間違いない。
そこで私はこれまでの経緯を整理してみた。
転換点はあの日だ。タイミング良く私を家から遠ざけて、何者かに先生へ何らかのプレッシャーを掛けさせたのだろう。
そんな事が可能なのは、あの毒薬の関係者で、私の置かれている状況を把握している人物。
呼び出した降谷は完全にクロ。疑わない理由はないくらいに!
例えば逮捕した被疑者を使って……あの金髪女を使って何をしようと言うのか。
ベルモットは私を殺そうとしている側の人間なのだ。
「……あいつ、警官としての誇りがどうとか言ってたのは何だったの?やっぱ私、騙されてるのかなぁ」
無意識にコルトに手が伸びる。
無性に腹が立って来た。あの男に対してではなく、自分自身にだ。
どうにもあの男に関わってから、上手く転がされている気がしてならない。そんな自分が気に入らない。
「ホンット、腹立つ!」
心なしか動悸を感じる。血圧が急上昇しているのか。
さらに体がビクリと反応してしまうほどの動悸がした。
「っ……。何?今の……」
さすがに恐ろしくて心臓に手を当てて呼吸を意識する。何だか息が苦しい。
「ううっ、はぁ、はぁ……っ、く、くるし!」
とっさに壁に手をついて体を支えたものの、立っている事もままならなくなりくず折れる。
思いのほか倒れた音が床に響いてしまった。
すぐに先生が個室に顔を覗かせ、倒れ込んだ私に気づく。
「ユイ、どうした!おい」
駆け寄って顔を覗き込まれるも、言葉は出ず胸を押さえて苦しさを訴えるしかない。
「呼吸ができないのか?いつからだ……待て、脈拍が異常だ。うずくまるな、気道が塞がる」
抱き起こされて体勢を正される。
「せん……、せっ、はぁ、……っ」
激しい怒りが誘発したのだろうか。またも私の体を異変が襲う。
これは変化の前触れか、それとも死か……。
意識は徐々に薄れて、完全にブラックアウトした。