交わるはずのないステージ~謎めいた隣人の正体~   作:氷ユリ

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終着点 後編

 

 ついにチャンスが訪れた。ユイに異変が起こったのだ。

 苦しむ相手を前にチャンスとは言葉が悪いが、きっとユイも分かってくれるだろう。

 

 意識を失ったユイを車に乗せ、すぐに病院へ向かう。

「今だ。この時を待っていた。ユイ、必ず救ってやる」

 

 

 到着してすぐに再検査すると、これまでなかった脳のある部分に反応が見られた。

 その場所は禁断とも言われる脳下垂体だ。

「なぜよりによって……どこまで俺を試す気だ?」

 

 この時思った。あの女はそれを知っていて実験台を申し出たのではと。

「いや、あり得ない!医学の知識もない人間には分かるはずがない」

 

 またとないチャンスを前に、俺は躊躇している。

 たった一人の愛する者の、禁断の場所にメスを入れる事を。

 オペが恐ろしいと思ったのは生まれて初めてだ。

 

「……落ち着け。俺はやれる。俺はスーパードクター新堂和矢だぞ?」

 そうして自分を奮い立たせオペに踏み込んだ。

 

 

 だが、またしても壁が待っていた。

 

「これは一体どういう事だ?画像ではこんなものは映っていなかったぞ!」

 脳の一部分に謎の組織が形成されつつあるではないか。

 それは神経に複雑に絡み合って、まるで脳を浸食しようとしているようだ。

 

「……これが異常なのは分かる。だがもし、これがユイの体の神秘の働きなのだとしたら、安易に引き剥がすべきではない」

 毒の成分に対抗すべく、ユイの体が作り出した組織かもしれないのだ。

 そうだとすれば、無理に切除すればどうなるか。

 

 辛うじて繋ぎ止めていたものが崩壊する。

 

「あの女の脳を確認していれば、その違いが分かったのか……もう、今さらだな」

 目の前のオペ真っ只中にあるユイの姿を見下ろして、途方に暮れる。

「勘だけで突き進むしかないのか?……無茶だ、そんな事できるものか!」

 

 その時、オペ室に備え付けの電話が鳴った。

 

「誰だ、こんな時に?ここに用がある人間などいないはずだが……はい、新堂です」

 相手は病院スタッフだった。

「はい?誰も来る予定はありませんが。そんな約束はしておりません」

 何でも事前に話が付いており、この時間にオペ室に来るように言われている者がいるとの事。

「……ですから、え、金髪の女性、ですって?」

 

 もしやあの女、自らやって来たとでも?しかし俺の居場所など知らないはず。

 だがもしそうなら。

 

 ユイの状態を確認し、一旦その場を離れて扉を開ける。

 そこにはつい先日対面した女がいた。

 その顔色はさらに悪化し、死相が色濃くなっている。

 

「ドクター新堂。待っていたのに、何をしてるの?待ち切れずに来ちゃった。迷惑だったかしら」

「お前……そんな体でバカか?ふっ!」

 究極の状況に俺もどうかしてしまったのか、なぜか笑いが零れた。

 

 ふらついた女を抱き留め、中に引き入れる。

「不潔な人間をここに入れるのは気が引けるんだが」

「ごめんなさい、ここ数日シャワーも浴びてないの」

「なぜここが分かった?」

「それは簡単。これよ」

 女は小型の携帯電話を取り出す。表示された地図の一か所に赤の点滅が見えた。

 

「GPSか……いつの間に?」

「先日お邪魔した時に、ドクターの車にね」

「警察の人間が付いてたんじゃなかったのか」

「ああ。その程度ならどうとでもできるわ!」

 座らせた側から女の体は崩れ落ちる。

「……おっと!本当に、どうやってここまで来たのか謎だな」

 

「早く……本当に、もう限界なの……」

「言っておくが、俺がオペをするという事は、お前は助かるという事だからな?本当にいいんだな」

「しょうがないでしょ。いいわよ。そうなったらなったで、別人として生きて行くわ」

「では遠慮なく」

 

 こうして俺は舞い込んだ幸運に飛びついた。

 もう迷っている暇はない。俺は俺のすべき事をするまで。

 

 

 病室に戻った時には、ベッドはもぬけの殻だった。

 見張りの警官は軒並み眠らされており、静かなものだ。

 

「あの状態でここまで動けるとは……もしや今までの姿は演技だったのか?」

 逃げられたにも関わらず、さして焦りも感じない。

 ベルモットの行先は把握済みだ。こっそり携帯で何かの位置情報をチェックしていた事など百も承知。

 あえて取り上げなかったのは、どこかでこういう展開を期待していたからか。

 

「間に合うといいんだが……」

 踵を返し廊下に出ると、部下が駆け付けて来た。

「降谷さん!女は!」

「問題ない。居場所は把握している。ここはもういい。お前はB班の応援に回ってくれ」

「いえ、自分も同行します!」

「いや。必要ない。瀕死の女相手に人員を裂く訳にはいかんよ」

 

 ベルモットには拘束直後から盗聴器とGPSを仕込んである。

 それを素直に付け続けているところを見れば、逃亡の意思がないのは一目瞭然だ。

 うろたえている部下に背を向け、軽く手を上げた。

 

 

 一人愛車に乗り込み、ベルモットの向かったであろう場所へ急行した。

 そこは市内の病院だ。

 

 受付に見舞客を装って状況を聞き出し、外国人の女がオペ中のドクターへ面会を求めたという情報を入手した。

 

「患者さんはまだ手術中です。お待ちになりますか?」

「いえ。結構です。落ち着いてからまた伺います」

 愛想良く答えて病院を後にした。

 

 ここまで分かれば十分。この先俺にできる事はないのだから。

 

 

 先に意識を回復したのはベルモットだった。

 おもむろに酸素マスクを外し、室内を見回す。

 機械音だけが響くそこは無人の個室だ。監視カメラの類も見当たらない。

 

「全く無防備だこと……」

 今しがた脳の手術を受けていたとは思えない様子で思考を巡らせる。

「どうやら後遺症はなさそうね。さすがはドクター新堂、私の目に狂いはなかった」

 自分の手を見下ろす。まだ若々しいままの皮膚を保っている。

「変化は徐々に現れるようね……」

 

 さすがに起き上がる事は叶わず、横たわったまま深く息を吐き出した。

 

 本当に生き延びた。

 つい数時間前まで死を覚悟していたというのに!この先何年生きられるかは定かではないが、今すぐ天に召される事は免れそうだ。

 

「さあ、これからどうしようかしら?」

 軽く笑みを浮かべた時、ドアが開かれた。

「ごきげんよう、ドクター新堂」

 

「もう覚醒したのか?驚いたな……」

 病室に足を踏み入れた新堂が目を疑う。

「おい、勝手に外すな。マスクはまだ付けておけ」

 枕元に無造作に置かれたマスクを手にして、無理やりベルモットに装着する。

「気を遣っていただかなくて結構よ」

「気なんて遣ってない」

 

 ため息を付いた新堂がベルモットを見下ろす。

「その調子なら、問題はなさそうだな」

「ええ。お陰様で。ユイさんはどう?」

「まだ目覚めない」

「そう」

 一言だけ返し、ベルモットは沈黙した。

 

「一応、お前に礼を言っておく。ユイを救えたのはお前のお陰……いや待て、元はと言えばお前のせいか。礼は撤回だ」

「ふふっ。日本人は律義だってホントみたいね。いいのよ。私が勝手に来たんだし。それに、私まで命拾いしちゃったしね」

「落ち着いたら適当に消えてくれ。問題が起きない限り、金輪際お前には関わらない。ユイにも会わせる気はない」

「……ええ。ドクター新堂、これだけユイさんに伝えて。会えて良かった、感謝してるって」

「気が向いたら伝える。では失礼」

「さよなら。グッド・ラック」

 

 

 新堂は終始無表情を貫き、最後に一瞥してから病室を出た。

 

「感謝だと?ふざけるな!警察に通報しておくか。……いや、不要か」

 相手は一筋縄では行かない暗殺者だ。あっさり留置場から抜け出して来た事を考えれば、通報などしても無意味。

 もう一切関わりたくない。ユイに危害を加える可能性が消えたのなら、今後あの女がどうなろうが知った事ではない。

 

 一直線にユイの病室へ向かうも、ユイはまだ眠っていた。

 

「それにしたって、いくら何でも早すぎるだろ。あの女、やっぱりどこかおかしいんじゃないのか?」

 ついさっきその女の脳をこの目で確認したばかりだというのに、こんなコメントが飛び出す始末だ。

 

「……何がおかしいって?」

「ユイ!目が覚めたのか、気分はどうだ?」

「先生、私……生きてるの?」

「ああ。生きてるとも。ここはあの世じゃない、近所のいつも世話になってる病院だ」

「そっかぁ……。それで、治ったの?」

「まだ体に変化はないが、これから徐々に戻って行くはずだ」

 

 ユイがマスク越しに笑みを見せた。

 新堂は瞬間的にマスクを外すと、そっとユイにキスを贈った。

「よく頑張ったな。さあ、もう少し休んで」

「……はい。ありがと、先生」

 

 微笑み返してマスクを戻す。ユイは再びゆっくりと瞼を閉じた。

 

「……こっちも十分早かった。尋常じゃなさはユイも負けてないか」

 新堂は小さく呟いてから肩を竦めた。

 

 

 その後間もなく、ベルモットに装着したGPSと盗聴器の通信が途絶え、その消息は不明となった。

 

 それでも俺を始め、誰も捜索の手を伸ばす事はしないだろう。

「ベルモットは死んだ。あの女はもうこの世にはいない。例えいたとしても、それは似通った別人だ」

 

 例の組織は完全に壊滅。各国から潜入していた者達も全員無事に本来あるべき場所へと戻った。

 絶大な闇組織の残したものは大きく、後処理にはまだまだ時間がかかりそうだが。

 

 あの女もある意味犠牲者の一人だったのかもしれない。

 人間は生まれ出る場所を選べない。たまたまそんな星の元に生まれてしまっただけ。

 

「女優のシャロン・ヴィンヤード、結構好きだったんだよなぁ」

 晴れ渡った空を見上げて、そんな事を呟く。

 あの女の演じた役は様々で、主にアクション系が多かった気がする。

 そんな勇姿はどこか朝霧ユイに通じるところがあるような……

 

 ああ……。つまり俺は、気の強い女が好みなのか?

 

 この空の下のどこかで、あの姿のまま生き延びていてほしいと願っている自分がいる事は、口が裂けてもユイには言えない!

 

 

 私はすぐに退院した。主治医はいつも隣りにいるので、病院にいる必要はない。

 

「ユイ、ちょっと」

「ん?」

「少し大きくなったか」

「どこが?」

 身長は全くと言っていいほど変わらず。つまり?

 

 先生は私を見下ろして沈黙する。

「……どこ見てんのよ」

 そしておもむろに私の胸を鷲掴みにした。

「いやんバカっ!」

「おい、ノーブラは良くないぞ?」

 

「エッチ!何すんのよ?」

 彼から一歩下がって抗議する。

「誰かさんがうるさいから、ついさっきまで寝てたのよ?一々付けると思う?どこにも出掛けないんだし、いいじゃない」

「……ああ、まあ」

 退院してもう二週間経つのに、まだ安静にしろとうるさい我が主治医なのだ。

 

「朝の診察の時は変わってなかったと思うが」

「そうなの。私もさっき気づいて。でも、良く見てるわね~。やっと二十代になったみたい」

「ああ。順調だな」

 先生が神々しい笑みを向けて来た。

 

「くっ……何その、全てを悩殺しそうな笑みはっ」

 身を竦めながら訴えるも、意味不明とばかりに肩を竦めるだけの彼。

「おまえの言動だけでは、成長したのか全く分からなくてね」

「それはスミマセン!言動が子供で?」

「だから手っ取り早く……」

 またも手を伸ばして来たので、今度は透かさず先に掴んで捻り上げた。

 

「いててっ……痛いじゃないか」

「痴漢対策です~」

「誰が痴漢だ、誰が!自分だってそこで成長したかの確認取ってたじゃないか」

「自分はいいんです」

「なら主治医もいいよな?」

「ダメです!」

 

「そう固い事言うなよ……」

 先生がそう言って体を屈め、私の唇を奪った。

「んっ……、ちょ、急にそういう事っ」

 キスは見る間に濃厚になって行く。

「はぁっ、せんせ……」

 

 一度唇を話して先生が聞いてくる。

「これもダメか?」

「ダメじゃない、大好き先生……、んっ」

 

 先生は嬉しそうに頷いて、キスを再開した。

 

「成人した今なら犯罪じゃないよな?」

「多分ね」

「何だよ、多分って」

「だって無断で人の胸を鷲掴みするような人だし?」

 またもキスは中断。

「まだ怒ってるのか……ゴメン、悪戯がすぎたな。謝るよ、もうしない」

「欲求不満にさせたのは私だし、許してあげる」

「ん?それはおまえのせいじゃ……」

 

 今度は私が先生の唇を奪った。

 

 ……ああ、何だか以前よりも愛が深まった気がする。

 また一つ難関を潜り抜けて、私達は強くなった。

 今となってはあの女のお陰と言えるか。今どこで何をしているのかは知らないけれど?

 知りたくもな~い。

 

「良かった。先生が元に戻って。でもちょっと軽くなりすぎ?」

「元に戻ったのはユイだろ。俺はどこも…」

「無口な先生もカッコいいけど、どっちかっていうと私は、一緒に楽しく過ごしたいな」

「無口?」

「自覚ないか……まあいいや。とにかく、問題解決って事よ」

 

「ああ。今度こそ解決だな。頼むからもう変な事に巻き込まれるなよ?もう、しばらくは」

「しばらく経ったらいいの?」

「良くないって言っても、どうせ巻き込まれるだろ、朝霧ユイでいる限り」

「何それ!」

「つまりあれだ、ユイは人気者って事」

「ふふ!それなら嬉しい」

 

 さっき機嫌を損ねた分、気を遣ってくれてるみたい。でもここは素直に喜んでおこう。

 

「先生、大~好き!」

 

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