交わるはずのないステージ~謎めいた隣人の正体~   作:氷ユリ

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殺人の館 後編(2)

 

「ん?今誰か、勢い良く飛び出して行ったが……」

「新堂先生」

「どうした」

 

 テラスから外を眺める新堂。小さな女の子の後ろ姿が彼の目に映った。

 

「近所の子。遊びに来てたの。先生、あの子に言ったの?当分私に会うなって」

「ああ……確かそんなこと、言ったかな」だってあれは……と新堂は思う。

 あの時のユイの気性の激しさに、子供の身を安じたのだと。

 

「撤回、してくれるわよね?」

「……」彼はユイの顔を眺めて、口元に手を当てて思案している。

 

「ねえってば!」

「まあ……、あの子が来たいなら来ればいい。それを止める権利は、俺にはない」

「なら良かった」

 

 あれだけ怖い目に遭ってもまだ入り浸るとは!と感心しつつ、ふとある事を思い出す。

 拳銃を目撃したのは、あの少年探偵一人ではないはずだと。

 

「新堂先生?どうかした?」

「いや。何でもない」口止めを、する必要があるかもしれないと。

 

「小学生相手に、札束ってのも変だしなぁ……」新堂は一人呟いた。

 

 

 一日の授業を終えて校門前に差し掛かった時、黒塗りの車がひっそりと路地に停車しているのを見つけた。

 

「なあ。あの車!スゲー怪しくね~?」

 元太の示した先には当然その黒塗りの車がある。

「……ああ」

「工藤君……」灰原がオレの影に隠れて身を竦めた。

「心配すんな。灰原達は先に帰っててくれ」

 

 歩美と光彦はこの日、風邪を引いて学校を休んでいた。

 

「何だか怪しいって!なあ一人で大丈夫かよ、おい新一!」

「ああ大丈夫だ。あれは、新堂先生の車だよ」

 フルスモークの外車。確かに怪しさ満天だけどな……

 

 元太と灰原を先に帰らせて、オレは一人車に近づいた。

 すぐに左側の運転席の窓が静かに開く。

 

「やあ。待っていたよ、新一君」

「新堂先生、こんな車でその出で立ち。傍から見たら、誘拐犯に間違われるぜ?」

 

 サングラスを少しだけずらしながら、全開した運転席の窓に腕を掛けてオレを見下ろす。

「相変わらず、手厳しいな、君は!」

 

 学校関係者に見られると厄介なので、少し先まで移動してから話を続ける。

 

「オレもちょうど、先生に会いに行こうと思ってたんだ」

「それは奇遇だな。じゃ、ドライブに付き合ってもらおうか」

「いいよ」

 

 オレはそのまま車に乗った。

 

「すっげ~……!これって、二千万くらいするヤツだろ?やっぱり乗り心地いいんだなぁ~!」

「良く知ってるね。車、好きなのか?」

「ああ!で、これ何て車?ドイツ車だよね?」

「アウディ・クワトロだ」

「そうそう!そうだった」

 

 ようやく思い出した。トランスポーターって映画で主人公が乗り回してた、あれだ!思わず興奮しちまった。

 

 車はすでに動き出している。

 

「で、私に会いに来ようとしてたって?」

「まあ、ね……。ちょっと、聞きたい事があってさ」

「何だ。先に聞こうじゃないか」

「あの……。それは、先生の事じゃないんだ」

「私の事でないなら、ユイの事か?」

 

 当然、そう来るよなぁ。幸い密室だし。この際、単刀直入に切り出した方が良さそうだ。

 

「うん。その前に、一つ言っとくけど」

「ああ」

「あの日の殺害容疑は晴れても、オレはまだ先生達の事、完全に信用した訳じゃないからね」

「……ああ、そうか」

 

 意外にも彼は何も反論して来なかった。思い当たる節があるって事か?

 

「それで?」

「ユイさんて、どこかの組織の人だったりする?」

「組織?」

「警察、じゃあ……ないと思うけど」

 

 ふいに先生が笑った。

 

「そうだな。警察ではないな。それは彼女の願望だったようだが」

「願望?」

「彼女はああ見えて、正義感の強い人間なんだ」

「正義感……」

 

 意外な展開だった。

 思わず潜入捜査をしていた、通称ゼロという男の事を思い出した。そいつも当初敵だとばかり思っていたが、実は公安、つまり政府の人間だったんだから!

 

「俺の知る限り、朝霧ユイはどこの組織にも属してはいない。あいつにそんな協調性はないよ」

「アサギリ、ユイ?」

「彼女の姓を知らなかったのか」

 

 アサギリ。どこかで聞いたような……

 黙り込む俺に、今度は先生が切り出した。

 

「君を、ただの小学生とは思わない方がいいんだろうな」

「まあね」

「探偵、だったか?」

「ああ。これでも、少しは名の通った……」

「ん?」

「い、いや、何でも!」

 

 ついうっかり、高校生探偵、工藤新一の事を話してしまうとこだった。まだそんな事を打ち明けられる程の仲じゃない。

 

「君はあの日、ユイの射撃現場を見たな」

 オレは無言で頷いた。

「彼女も見たのか?」

「歩美か?あいつは見てない!見てたら、またユイさんに会おうなんて、思うはずないだろ?」

「念のため聞いただけさ」

 

 車は運河沿いの港に辿り着いて、ゆっくりと停車する。

 

「では、口止めするのは君だけだな」

 体ごとオレの方に向き直って言う先生に、ドキリとした。

 

 何をする気だ……?「どうする気?医者なら、記憶でも消すとか!」

「……そんな操作ができるなら、あいつの記憶をとっくに戻してるさ」

 体の向きを戻し、前を向いてため息をついた。

 

「ご、ごめんなさい……」

「いいんだ。と言っても子供の君をどうやって口止めするべきか、まだ結論は出ていない」

 先生は後部席をチラリと見た。

 そこにはアタッシュケースが無造作に置かれている。

 

「それ、何が入ってるの?」

「こんな時に何が登場するか、君なら分かるだろ」

「ま、まさかお金……?」

 

 先生は、ご名答、と言って軽く笑った。

 さすが金持ちの医者がやる事は、気持ちいいくらい潔いや!

 

「君がそれで手を打ってくれると言うなら、喜んで差し上げよう。二千万入ってる。ただの小学生じゃないなら、欲しいだろ?」

「二千万?!オレは……。いらないよ、そういうの」

「そう、か……」

 

「新堂先生って、いい人だね」

「何だって?」驚いた様子でオレを見る。

 

 だって今、本当にそう思ったんだ。この人は、悪い人じゃないって。

 オレはそれ以上何も言わずに笑った。

 

「なら、一つお願いしようかな」

「何だ」

「医者なら、医学の知識、豊富だよね?」

「恐らくね。得意科目はオペ、だけどな」先生が悪戯っぽく笑う。

 

「残念だけど、オレが欲しい知識は、得意分野ではなさそうだよ」

「試しに聞いてみろ」

「うん……。例えば、の話だよ?」

 

 そしてオレは、体が若返る薬の事、そして元に戻す薬の事を尋ねた。

 

「フィクション小説の読み過ぎだな」

「あり得ないって事?」

「確かに、そんな病はない事もない。先天的な遺伝子異常だったりな。例えば、若返りの症例としては、ロイコ・ジストロフィーというのがある」

 

 瞬時に難病・奇病の症例が説明できるなんて、この人、実は凄い医者なんじゃないか……?

 新堂先生の講義は続いた。

 

「逆に普通よりも早い速度で年を取る早老症としては、プロジェリアや、コケイン症候群。これなら君も聞いた事があるんじゃないかな?」

「あ、ああ。ドキュメンタリーでたまに放映されてるよね」

「原因として考えられているのは、脳細胞の欠陥だ。酵素の生成に異常があり、細胞に有害な物質が蓄積されて組織を破壊する、とかね」

 

「なら、薬でそうなったとして、同じような原因で若返ったり、年を取ったりするのかな」

「あるいは。しかしそれでは、病を誘発する事になるぞ」

 

 確かに……。あの薬が、脳障害をもたらす……?

 

「それで、その病気に罹ったら、もちろん早くに……死ぬんでしょ?」

「ああ。若返りはともかく、早老症は脳障害だ。それに心臓にも相当な負担が強いられる。せいぜい生きられて二十までだろうね」

 

 心臓への負担は間違いじゃなさそうだ。何しろ、体の変化の際に感じたあの心臓の動きは今も忘れない。二十歳か……。だとすればもう時間がない。

 ああ、この人に本当の事を打ち明けてしまいたい。もしかしたら、治してくれるかも知れない!

 

 そんな衝動に駆られたが、どうにか踏み止まった。

 

「新堂先生、ありがとう。とても参考になったよ」

「こんな事でいいのか?」

「十分だ」

 

 不審な目を向けられている事に気づき、慌てて言い訳を考える。

 

「ヤダな~、こんなの題材に、ミステリー小説書こうと思ってるんだよ!面白そうだろ?」

「何だ、そうか」

「そ!それに、探偵はあらゆる知識に貪欲なのさ」

「それはそれは……。こんな話でお役に立てたか、少々疑問だが」

「全然!大助かりさ。新堂先生って、とても優秀な先生なんだね。オレ、思いっきり見くびってたみたいだよ」

 

「ふっ!全く、君には本当に参るよ……」先生が軽く首を横に振って笑った。

 

 本当に見くびってた。

 だが、あの謎の女と関係してるからには、ただの医者でないのは明らかだ。ただの医者ならこの町でも堂々と名乗ってるはずだろ?

 

「しかし。こんなので本当に口止めになったのか?」

 独り言みたいに言いつつ、わざとらしくオレに聞こえるように話す。

「言わないよ。言ったって誰も信じないさ。それに、どうせ何が何でも、隠蔽するんだろ?」

 

 大金でも使って……って意味で、後部席をチラッと見てやる。

 

「物分りのいい人間が目撃者で、助かったよ」

「あ、それからさ……」

「何だ?」

「あの……ユイさん、その後どう?」

「記憶は相変わらずだが、元気にしてるよ。なぜだ?」

 

「あのさっ」

「彼女の事、まだ納得できてないみたいだな。本人に直接聞けばいい」

「でも……っ!」

「何を躊躇う?心配しなくても、忘れているのは私との事だけだ。自分の事はちゃんと覚えてる。……彼女に会うのが、怖いか」

 

 オレは黙った。彼女は恐らく九割方シロだ。

 だが、あの殺気についてはどう説明する?正義の味方には、どうしても思えない。

 

「散々、厄介者扱いしてた私にも責任があるな。安心しろ、あの日のおかしな人格は、今のところ現れていない」

「今のところって……!」またいつか現れるのかよ!?

 

 例の組織並みに厄介そうだぜ?ここでオレは灰原の話を思い出す。

 

「ああそうだ!この間、黒い車のお客さん、来てたよね。新堂先生もいたんでしょ?このクワトロ、停まってたから」

「……全く。良く知ってるな」

「あっ!でもね、見たのはオレじゃないんだ。友達が……っ」

「歩美ちゃんか」

「そっ、そう!」

 

 あえて灰原の事は話題に出さなかった。念のためだ。

 先生の視線がオレの目から離れない。な、何だよ……?

 

「あのぉ……」

「ああ、済まん。少々考え事をしていた。あれは友人のドクターだ。彼の診療所で、ユイの精密検査をさせてもらってね。あの日わざわざ様子を見に寄ってくれたんだ」

「もしかして、その人ってどこかの組織の人間だったりしない?」

「あいつが?一体、何の組織に入れるって言うんだ!あり得ん」

「そっ、そうなの」

 

「どう見たってあいつは、ローン・ウルフだな」先生はそう言って一人で納得している。

「それがどうした?」

「別に!遊びに行きそびれて、歩美ちゃん、ガッカリしてたからさ~!誰かなって思っただけ!」

 

 先生が肩を竦めた。何とか怪しまれずに聞き出せた事にほっとする。

 

「まあ、いつでも来てくれ。不在の事もあるが」

「あ~あ。オレも先生みたいに、こんなフルスモークで待ち伏せして連れ出せればいいんだけど」

「ユイをか?それはよした方がいい。君の身が危険だ」

 

 だよな~。何しろ拳銃持ってるんだし。柔道家だし?オレは苦笑いした。

 

「あの屋敷は、幽霊屋敷と呼ばれていたそうだな」

「知ってたの!」

「知ってるさ。下調べは念入りに、な」

「そっか~。あの辺て、妙にコウモリ多いでしょ。だから尚更なんだよ」

「だが、今はもう幽霊屋敷なんかじゃない。すでに証明済みだと思うが?」

 

 あの日の、不法侵入的なオレ達の訪問の事だとすぐに分かる。

 またもや苦笑いのオレ……

 

「そんなに怖がらないでくれよ」

「は、はあ……」

 

 せめてオレが元の姿だったら……。少しは太刀打ちできたのに。

 でも逆に、子供だから手は出されないって事も……?

 

「理不尽な言動さえしなければ、問題ない」

「何それ」

「彼女を怒らせると、子供だろうが容赦はないだろうから」

「怒らせる……って?」

「それが、理不尽な言動ってヤツさ。まあ、君なら問題ないだろう」

 

「新堂先生も立ち会ってよ!」

「断る」

「何で!」

「私は彼女の仕事には、介入したくないんだ」

「何、で……?」

 

「これでも私は医者だ。……後は、自慢の推理でもしてくれ」

 

 こうして、オレと新堂先生との密会は終わった。

 

 

 それからオレが、彼女に会いに行ったかっていうと、〝unready〟まだだ。気が進まないというのが本音だろうか。

 

 なぜならオレは思い出したのだ。あの朝霧ユイという名前をどこで耳にしたのか。

 その時点ですでに、例の組織との関わりはないと百パーセント言えたので、もうそれ以上の介入は避けるべきと判断したって訳だ。

 

 先生が彼女の仕事に介入したくない理由は簡単だ。

 だって朝霧ユイは、これまで何人も手に掛けて来た暗殺者。医者である彼が、そんな人間と付き合うのは簡単じゃないだろう。

 あの人もツライ人生だよなぁ。きっと相手は、運命の人なのに?

 

 そして歩美だが、この二ヶ月後に父親の転勤で急に引っ越す事になり、泣く泣く去って行った。

 あの泣き虫で、引っ込み思案な歩美が仲良くなったんだから、朝霧ユイは本当に優しい人間なんだろう。殺し屋ではあっても。正義感が強くて、警察に憧れていた暗殺者?

 

 そんな掴みどころのない女の事を、可能な限り調べ尽くした。あの人が過去に、どんな事をして来たか。どんな目に遭って来たか……

 もちろん全てを知る事は不可能だが、確認できただけでも信じがたいものばかりだった。

 

 

 そんなオレの気持ちを新堂先生に伝えるために、ついに屋敷へと足を向けた。

 

 幸いにも先生は在宅だった。

 

「彼女を、そっとしておいてやってほしい」

「え?」

「今の彼女はもう、昔の朝霧ユイではない。事故で受けた脊髄損傷の影響で、身体だけでなく精神的にも多大なるダメージを受けた」

 

 そうそう。その事は前から疑問だったんだ。

 

「越して来てしばらく、車椅子だったよね。脊髄損傷って、その……治せないんじゃなかった?」

「ああ。普通はな。だが私なら別だ。残念ながら、完璧にではないがね」

   

 この人はやはりとてつもない腕を持っていたようだと、この時に確信した。

 

「ユイは、困っている人を放っておけない性分でね。恐らく君の助けにもなろうとするだろう」

「うん……」

「彼女の体は完全ではない。しかし、それに対して本人はあまり自覚していないようだ。無理をさせたくないんだ……。極力厄介事に巻き込まれないように、こうして目を光らせてるって訳さ」

「当然だ。分かってる。新堂先生、本当にユイさんの事が好きなんだね!」

 

 先生はぎこちない笑みを浮かべた。

 

 誰しも、自分に与えられた運命を全うすべきだ。他の人間を巻き込んではいけない。

 オレは決めた。皆、自分の世界で必死に生きてる。甘えてちゃいけない。オレはこの世界で戦う。

 

「新堂先生、ユイさんと、お幸せにね!」

 

 この時の新堂先生の何とも言えない笑顔が、いつまでもオレの心に残っていた。

 

 

 

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