「ん?……何、あいつら」
記憶を失くしたユイだが、今では一人での外出も可能になった。
その帰り道。彼女の視線の先には、黒尽くめの男二人が意識を失ったと思われる少年を小脇に抱えて、車に押し込む光景が繰り広げられている。
「ちょっとちょっと!これって、まずくない?」
辺りを見回すも、これに気づいた人間はいない。
ユイは通りでタクシーを止めて乗り込む。
「運転手さん、前の黒のセダン、追って!」
「え?」
「早く!急いでるの。腕に自信がないとか言うんなら、別のタクシー拾うけど?」
唐突な女性客の要求に唖然となる運転手だったが、自分のドライビングにケチを付けられたようで気に障ったのか、途端にやる気を出した。
「バカ言っちゃいけない。これでもこの道二十年だぜ?任せな!」
「それは頼もしい!出来ればバレないようにね?……なぁんて無理か」
後部席に乗り込んで小声で呟く。そこまでは期待できない。
そうこうする間に、赤信号で停車していたターゲットに接近。
「どんなもんだい!ところで、あの車、一体何なんだ?見るからにヤクザな雰囲気だけど……」
自分が何か厄介な事に巻き込まれたのでは、と不安になる運転手。バックミラー越しにユイを見て尋ねる。
「断言はできないけど、お察しの通り、恐らくヤバイ奴らよ」
そしてタクシーは例の車の真後ろに付いてしまった。
信号が変わると、前方の車が強引な車線変更をして横道に入る。
それを必死に追うタクシー。強引な割り込みに周囲からクラクションの嵐が浴びせられる。
「あ~あ~。これじゃ、尾行どころか注目の的だわ!」
しばらく走って、車は運河沿いの静まり返った漁港に入り停車した。
おもむろに男二人が降りて来る。手にはそれぞれ拳銃が握られていた。
「うわっ!何だってんだ、あいつら!けっ、警察に通報だ!」
「あなたは逃げて。これだけやってくれれば十分……」
こんな会話をする側から男が発砲した。
運転手が悲鳴を上げる。
どうやら弾はタイヤに命中した模様。立て続けに四発、全てのタイヤを撃ち抜いた。
「なかなか、やるじゃない?」
妙なところで感心しつつ外に出る。
運転手は車内で固まったまま、青い顔で震えている。
「あなたは外に出ないで。……悪かったわ。車パンクさせちゃって。修理代請求して。あいつらにね!」
拳銃を構えた男達の前に堂々と立ちはだかるユイを、運転手はただただ見守った。
「女!一体何の用だ?この坊主の知り合いか?」
「別に何も。ただの通りすがりよ。その少年が誘拐された、とかじゃなければね」
「お前には関係ない。邪魔をするヤツは消す!」
「否定しないって事は、イエスって事ね。少年を返してもらうわ」
ユイが腰元からコルトを抜こうとした瞬間だった。
車から少年が降りて来た。
*
「……ボク、何してたんだろう。オジサン達誰?ここ、どこ?」
オレは咄嗟に演じた。イタイケな小学生を!
本当なら、ここでオレが登場する必要はなかったんだ。まさか、朝霧ユイがここに首を突っ込んで来るなんて?予想外のハプニングだぜ!
事の起こりは、数時間前に遡る。
下校途中に元太達と別れて駅前の本屋に向かった。そこで偶然例の組織の車を発見。
喉から手が出るほど連中の情報を集めたかったオレは、わざと誘拐される事にしたって訳だ。
だからこれは、いわゆる囮捜査だ。
なのに……クソッ、邪魔しやがって!
まあ、あの朝霧ユイがそうそうやられる事はないだろうが。何しろ今の彼女は記憶喪失で、本調子ではないようだから少々心配だ。
「何かあったら、今度こそ新堂先生に顔向けできねぇじゃねーかよ……」
オレは先生に念を押されていた。彼女を厄介事に巻き込むなと。言っとくけどオレが巻き込んだんじゃねーからな?
で。彼女が動き始める前に何とか手を打たねばと、飛び出したって訳だ。こうなったらオレも記憶喪失、使わせてもらおうじゃねーか!
「何で起きてるんだよ……。おい!ちゃんと薬嗅がせたんだろうな?」
「あ、ああ……そのはずだぜ。さっきもちゃんと確認したんだ」
「ねえ!ボク、ここで何してるの?ボクは、誰?」
「君!何もされてない?無事ね!」
「お姉さん、誰……?」
今の朝霧ユイを最初に見ていたなら、正義の味方という言葉がしっくり来てただろうに。オレが最初に見たのは、暗殺者の目をした女だった。
「君、もしかして、記憶を……?」
そう言ったユイの表情が曇る。
無意識に左手を頭に持って行く。辛そうにその表情が歪む。
ヤバイ、安易に記憶喪失の手は逆効果だった……!
オレは後悔した。ユイは何かを思い出しかけてるようだ。
男達が彼女に向けて発砲する。
「危ない!」
「っ!」
オレの叫び声に反応してユイが身を屈め、辛うじて弾を避けた。その体勢から例の愛用銃を取り出すと、男に向けて撃ち放った。
弾は男の持った拳銃に当たり、音を立てて下に転がる。
「ダメだわ。……何でこんな時に!くっ!」
ユイが辛そうに頭を抱える。
もう一人が近づく。
無抵抗になった彼女から拳銃を奪い、それを眺めて思案している。
「か、返してよ……!」
「うるせえ!」
男は奪った銃でユイを殴りつけた。
彼女はその勢いで地面に叩き付けられ、動かなくなる。
「ユイさん!」クソ……っ!サイアクの事態になったぞ。
呆然とするオレに、拳銃を撃ち落された方の男が近づく。
再び薬を嗅がされた。動揺してたせいで、今回はもろに吸い込んじまった。
自慢じゃないけど、さっきは交わせたんだぜ?
*
「ユイさん!しっかりして!」
「うう~ん……」
気絶していた彼女を揺すって必死に起こす。
ようやく目を覚ましたユイは、真っ先に愛用銃を気にした。
「……残念だけど、あいつ等が奪ってったよ」
「君!そうよ、一体何があったの?大丈夫なのっ!」
「落ち着いて。ボクは何ともない」
「だって、記憶喪失になったんじゃ……」
「ごめん!あれ、ウソなんだ」
目を丸くするユイが少し可愛かった。なぁんて、失礼だよな……
新堂先生には内緒だぞ?
「私の名前、どうして知ってるの?」
「実はボク、新堂先生とちょっとした知り合いでね。あなたの事も色々聞いてて。工藤新一。高校……じゃなかった、まあ年はいいか。一応探偵。よろしく」
「……」
「ユイさん?大、丈夫……?」
「あ、ええ……。心配掛けてごめんなさい。あんなヤツ等、本当は一発でやっつけられるのよ?」
ああ知ってるよ、と心の中で答えた。
「それで、何か思い出した?新堂先生の事とか……」
「いいえ……って、あなた、どこまで知ってるの」
「あっ!まあ、何だ!そんな事より、早くここから脱出しないと!」
慌てて話題を反らす。説明すると長くなる。今はそんな暇はない。
「ようやくお目覚めか。ユイ・アサギリ!」
薄暗い部屋に光が差し込んだ。逆光で顔は見えないが、さっきの二人組とは別人だ。どうやらリーダー格らしい。
「私、名乗った覚えないけど?」
「ご立派な拳銃をお持ちだったから、すぐに分かったよ。コルト・コンバット・パイソン!」
「相棒で殴られたのは、始めての体験だったわ」
「なら、その相棒で殺してやろうか?」
「誰に向かって口利いてんの?」
一瞬ユイの声色が別人のように変わった。暗殺者の人格が、現れたかもしれない。
「しゃしゃり出て来やがって……この死に損ないめ!まんまとお前に踊らされたよ。今度はお前達に踊ってもらうけどな」
「死に損ないって……!」
オレは思わず口にする。だって酷すぎる言い草じゃないか?
だけどユイは言ったんだ。
「いいの。本当の事よ。私が相手になるから、この子には手を出さないで!」
この意味深な返答を吟味したいところだが、今はそんな場合じゃない。
「ユイさん、それはダメだ!オレが……!」
「安心しろ、二人まとめて遊んでやるよ」
リーダー格の男は部下に顎で指示を出す。
そしてオレ達は天井の高いだだっ広いホールに連れて行かれた。
「踊るにしては、シケた舞台ね。もっとゴージャスな所じゃないとイヤだわ」
こんな状況にあっても、ユイはユーモアを忘れない。大した度胸だ!オレもユイも、両手を後ろに回されて縛られてるんだぜ?おまけに二人とも丸腰だ。
「これからゲームをしようじゃないか。殺さないように、殺すゲームだ」
「バッカじゃない?どっちかにしてよ」
「人を殺すのは簡単だ。だから俺は殺さないように殺す」
再びユイの瞳が怪しく光ったように見えた。それは怒りの色だ。
男が拳銃を持った部下達に配置に付くよう指示を出した。
その計八名は、オレ達をぐるりと囲う。
「いいかお前ら!殺さないようにだぞ?ゲームってのは、難しいほど楽しいだろ!」
「新一君、だっけ。いい?絶対に私から離れないで。私の後ろに隠れてるのよ」
ユイが小声でオレに言った。
絶体絶命ってヤツか……。さすがのオレもお手上げだ。
いくら朝霧ユイと言えど、こんな状況ではお仕舞いだ。悪い、新堂先生。先生との約束、守れなかったよ……
オレがそんな命乞いを始めた時だった。
「この私に銃を向けるなんて、どうなるか分かってるんでしょうね、あなた達?」
ユイの凛とした声がホールに響いた。
「私のコルト、返してちょうだい。それからこの少年を解放して。そうすれば、今回は見逃してあげる」
「相変わらず大した女だ。この状況でそんな口が叩けるとは!丸腰のお前に何ができる?」
「忠告はしたわよ?もう命の保証はできないから。さあ祈りなさい、カウントダウンの時間よ!」
やれ!と言う男の声と共に、銃声が鳴り響く。
ユイはオレを庇いながら、その身を左右に翻した。
「な、何て事だ……!こいつ、ホントに踊ってやがる!」
その様子が、本物のダンスにでも見えたのだろうか。
残念ながらオレには見る事ができなかった。
気が付いた時には、八名のうちの七名がすでに血を流して倒れていた。
何が起きたのか分からなかった。
ユイが交わした弾が、対角線上にいた人間に当たったとでも……?つまり同士討ちか!生死は不明だが。
残された一人は、拳銃という究極の武器を手にしていながら、丸腰のユイに恐れを成している様子。リーダー格の男はこの光景を見てどこか楽しそうだ。
「人を殺すのは簡単だ、と言ったわね。同感だわ」
そう言って、残った男に近づく。
男は無我夢中で乱射し始めた。
その弾で、何とユイは自分の手首に巻き付いたロープに当てて切りやがった!
すぐさま男の鳩尾に膝蹴りを食い込ませ、その自由になった手で男から拳銃を奪う。
「殺さないようにするって、難しいのよ。この子くらいに小さい時からの、私の課題」
オレの方を見ながらこんな事を言う。
何だって……?!
そして彼女は足元に倒れた男が逃げようとするのを、屈んで後ろから掴み上げ、細い腕を男の首に回して絞め始めた。
「こうやって、どこまで絞めたら死ぬのか?どこで止めたら死なないのか……っ!」
一向に力を弱める気配もなく続ける。
一体どこにそんな力があるのか……。ユイの腕はあんなに細いのに!
もがいていた男が次第に大人しくなる。
本気で殺す気か……!オレは恐ろしくなった。
リーダー格の男は仲間を庇う様子もなく、ただ傍観するのみ。本当にゲーム感覚なんだろうか?
……まあ、例の組織の人間ならばあり得る話か。
「やめろ!これ以上殺すな!」
オレの叫びに一瞬驚いたふうだったユイだが、この要求はあっさり無視された。
もしこれが新堂先生の言葉だったなら、彼女はその命令に従ったんだろうか。
「私に銃を向けるからよ?お祈りの時間は与えたんだから。恨まないでよね」
男は泡を吹いてドサリと倒れた。
ゆっくりと立ち上がったユイは、先程奪った銃を放り投げた。
んなっ!何してんだよ、貴重な武器なのに?
そして残るただ一人を振り返る。
リーダー格の男が、手にしたユイの愛用銃を両手で構えた。
「構え方は素敵よ。さあ、しっかり私を狙ってね。一発で仕留めないとダメよ?あなたの腕じゃ、残念だけど的は一つだから。つまり、この子は撃てない」
一発で二つの標的を、私なら狙えるけど!とユイは続けた。
「な、何だと?!」
まさか弾が一発しか入っていないとは思ってもいなかったらしい。
オレだって思ってない!だって彼女が撃ったのはあの港で一発だけだったはず。
ここへ来てようやく男の顔色が青ざめ始めた。
「バカか?お前!何で一発しか弾を込めてねえんだ?俺の部下相手に随分と撃ってくれたんだな!」
「バカはどっち?基本弾は二発までしか込めないの。私には一発あれば十分だから」
こんな平和な国で、五発も六発も必要ある?とユイは笑いながら続ける。
怒りに満ちた表情で、男がハンマーを起こした。
ユイからも笑顔が消える。彼女は微動だにしない。避ける気ないのか?なぜだ!
「死ねぇ!」
男はついにトリガーを引いた。
だが発射された弾は、ユイの右頬を掠めただけに終わった。
「バっ、バカやろう!何で避けねえんだよ……!」オレは思わず叫んだ。
するとユイが笑って言ったんだ。
「その銃は、私以外の人間には扱えない。この男に、私は倒せない」
呆然とする男に近づくと、あっさりと愛用銃を奪い返した。
その直後、後ろで倒れていた男の一人が、辛うじて起き上がり銃を手にした。
生きてたんだ……!ほっとしたのも束の間。ユイが危ねぇ!
「危ない、後ろ!」
「死ね……!」
ユイに銃口が向けられている。
これまでかと思った瞬間、彼女はほんの少し体をずらした。この時のユイは間違いなく笑ってた。
「うっ!ゲホッ……」
弾はその先にいたリーダーの男に命中。口から血を吐き出してよろめく。
「あら、災難ねぇ。気管に命中なんて?残念だけど、しばらく苦しむ事になりそうよ。即死させてくれなかったあの部下を恨むのね!」
ユイは拳銃を元の位置に収めてオレの所にやって来た。
「ケガ、ないわね?」
「う、うん……」
「さあ、警察が来ないうちに、帰ろう」
オレの手首のロープを解きながらそう言った。
「ねえ、血、出てるよ」
ユイの右手の甲の、人差し指の関節付近から血が流れていた。
「あら、ホント。気づかなかった」
軽く血を舐めながら顔をしかめる。
「動きが鈍ったわ。全くイヤになる!」
「何だか頭が痛いわ……。歩くの面倒だからあの車使おう」
「えっ、でも、指名手配されてるかも!」
「平気よ、その辺で乗り捨てればいいじゃない」
そうあっさりと言って、さっさと乗り込む。
仕方なくオレもついて行く事にした。