ひまわり畑を歩く   作:ko6ske

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ひまわり畑を歩く

 首が痛くなるほどに見上げた私の目に映るのは、青い絵の具で画用紙全体を塗り潰したかのような、どこまでも広がる真っ青な空と、直視出来ない程にまぶしい笑顔を浮かべながら、遥か頭上から世界中に暖かな光を与えてくれる、真っ白な太陽。

 そこから少し視線を落とせば、黄色い顔を皆一様に太陽の方向に向け、吹き抜ける風に身を任せて踊るダンサー達。

「大きいなぁ」

 誰にも届かない程に小さく丸めた言葉をため息に包みながら吐き出し、「いつまでも上を見上げてるんじゃない!」と訴え始めた首を、そろそろ楽にしてあげようと思う。

 そうだ。いつまでも天を仰いで現実逃避してないで、真っ直ぐ前を見よう。目の前に広がる現実と向き合おう。

 決意を新たに決め、前を向き直った私の目に映るのは、

「緑。みどり。ミドリ。グリーン」

 非常に目に優しい緑。青々としたみどりは爽やかな風に気持ち良さそうに揺られ、見渡す限りのミドリの壁になり、360°隙間なく立ち塞がる。そのグリーン一色の光景は、私の脳内にある『緑』をゲシュタルト崩壊させるには十分であり、逃げ場など無いと思わせる光景は、映画などでよく見る、罪人を閉じ込める牢屋を思い浮かばせる。

「空は青くて、太陽は眩しいな~」

 上からのしかかられる痛みから解放され、安堵の息をついていた首が、再び痛みを訴え始める。しかし私は知らぬ存ぜぬ。目の前に広がるどうしようもない現実を見て、ズキズキと痛む心の方が大事だ。

「って、どっちも私の身体じゃん!」

 ノリツッコミ。

 とてつもなくバカな事を考えていた心と、実際に痛みを訴え続ける身体を使った一人ノリツッコミを、ひまわりに囲まれた舞台上で華麗に決める。……当然の事ながら、自分にしか聞こえない・分からないボケも、何に対してのツッコミか分かる人は自分以外には誰もおらず、風に揺られてサワサワと音を鳴らす葉っぱが、まるでまばらな拍手を送る観客のようだった。

「はぁ……なんでこんな事になったんだろう」

 雲一つ無い快晴を見上げ、太陽の明るさに目を細めなる。

 そして少し前。私がひまわりに囲まれ、身動き取れなくなる前の事を思い出し始めた。

 

 学生の特権とも言える、1ヶ月程の長い休みを与えられる夏の時期。その長期休暇の期間を利用し、1週間ちょっとの間、父の実家に帰省するのが我が家の昔からのしきたりであり、特別な用事が無い限り帰省するのが、暗黙の了解になりつつあった。

「立香、もうすぐ着くよ」

「降りる準備しなさいね」

「は~い……」

 車を運転していた父と助手席に座っていた母の言葉に、後ろ2座席に転がしていた身体を、ゆっくりと起こす。

 変な姿勢で寝ていたせいで固まった身体をグッと背を伸ばし、空気の入れ替えついでに車の窓を開いて外を覗けば、暑い夏の空気と草や川の匂いが混じりあった匂いが風に乗って顔を撫で、目の前にはどこまでも広がる田んぼや畑の景色が広がっていた。それ以外に見える物と言えば、古びた倉庫や大きな一軒家がまばらに建っているぐらいで、ピカピカ光る高層マンションや、広々とした駐車場がある大型デパート等の巨大な建物は、全く見当たらない。

 田舎。それもテレビでしか見ないようなドが付くほどの田舎。

 アスファルトで塗り固められた道路を走る電車やバス。地下にはアリの巣みたいに地下鉄が張り巡らされ、買い物やお出かけが簡単に出来る都会に住んでいる人達。森や川などの大自然で遊ぶより、友達とカフェでのお喋り。SNSに映える写真を撮ったり、アプリで遊ぶためにスマホを弄る方が楽しい人にとっては退屈な帰省に思える。

 しかし、ここでしか達成出来ない大きな目的が一つある私には、退屈などと思う余裕など欠片ほどにもない。

「ただいま」

「お邪魔します」

「ただいまー!」

「おぉーおかえり、兄ちゃん。花織さん。立香ちゃん」

「おかえりなさい。長旅で疲れたでしょう? お茶とお菓子、用意してあるからね」

 父の実家に住んでいる叔父さん夫婦に暖かく出迎えられ、透明なコップに汗をかいた麦茶と、和菓子屋さんで出てくるような色とりどりの和菓子で一服したのが、昨日のお昼過ぎの事。

 

 次の日。つまり今日の朝。帰省の目的の一つでありほぼ全てを占める『ある人』に会うために朝早くから家を出た時、後ろから声をかけられた。

「おや? そこにいるのは立香ちゃんかい?」

「なんだチビ助か。久しぶりだな」

 聞き覚えのある声に後ろを振り替えると、そこに居たのは、着物を着た男女。

 柄の無いシンプルな着物をサラリと着流し、人のいい、柔和な笑顔を浮かべた男性と、地面に付きそうな程に長く、真っ直ぐな黒髪を揺らし、可愛らしいカエルがあしらわれた着物を着た女性。

「坂本さん! お竜さん!」

 実家のお隣さんであり、近所でもおしどり夫婦で有名な坂本夫妻だった。

「久しぶり。元気だったかい?」

「はい! 坂本さんもお元気そうで何よりです」

「お竜さんも元気だぞ」

「あはは! お竜さんも、相変わらず元気そうで良かったです!」

 一年振りに会ったにも関わらず、時間の流れを感じさせない二人との会話に、心の底から嬉しさが込み上げてくる。

「坂本さん達もお出かけですか?」

「うん。李先生の家に将棋を指しにね」

「イゾーも後から来るらしいぞ」

「それじゃあ、夜はまた酒盛りですか?」

「あはは……多分そうなるね」

「三人の飲みはイゾーが酔い潰れてもチマチマ続くからな、全く。ツマミを作るこっちの身にもなってほしいぞ」

 など、他愛の無い、毎日会っているかのような会話をしていると、互いの用事を思い出したのか、少し申し訳なさそうに龍馬さんが口を開く。

「あっと、引き留めちゃってごめんね。立香ちゃんも出かける途中だったね」

「そうだな。そういえば、チビ助は一体何処に行く予定だったんだ?」

「え!?」

 このまま別れるものだと思っていた私だったので、お竜さんの突然の言葉に驚き、思わずしどろもどろに答えてしまう。

「えっと……その……森にぃに会いに行こうと思いまして……」

 森にぃ。

 その名前を口にすると、森にぃの大きな背中、明るい笑顔、私を呼ぶ声、全てが鮮明に思い浮かんできて、胸のドキドキが止まらない。それに、もうすぐ森にぃに会えるのだと思うと、嬉しさが沸き上がってきて、思わず顔がにやけてしまう。

「森兄……あぁ森君か。森君ならさっき、向こうの向日葵畑に居るのを見かけたから、まだそこに居るんじゃないかな」

「あそこのヒマワリはお竜さんくらいの大きさがあるから、チビ助が入ったら絶対迷子になるぞ。気を付けろよ」

「はい! 迷わないよう気を付けますね!」

 私が顔のにやけを必死に抑えているのを、気付いているのかいないのか──それとも、分からない振りをしていてくれたるのか──分からないけど、坂本さんとお竜さんはそれだけを伝え、私と別れて李先生の家に向かって行った。

 それが、大体30分前の出来事。

 

「で、ひまわり畑から森にぃの頭が見えて、追いかけるためにひまわり畑に入ってしまったのが……だいたい10分前くらい?」

 回想終了。

 見渡す限りに広がる黄色の海から、森にぃの真っ赤な頭が泳いでいるのが見え、テンション上がってしまっていた。お竜さんからひまわりは背が高いと聞いていたけど、多分大袈裟に言っているのかと考えていた。遠くから見た時は「まだ入口近くに居たから行ける!」と、今から追えばすぐ追い付くと思っていた。

 甘かった。ひどく甘い考えだった。

「どうしよう……」

 言葉にしても何も変わらないのは分かってはいるけれど、言葉にしないと不安で押し潰されそうになる。とはいえ、言葉にしたら少しだけ楽になるだけで、不安は完全には消えない。

 このまま誰にも見つからず、広大なひまわり畑で迷い続けるのではないか。

 そんな不安は、消えてくれない。

「いや……」

 闇雲に歩いたとしても、無事にひまわり畑から出れる気はしない。

 すると、家には一生帰れず、大切な家族達。いつも優しく声をかけてくれる坂本さんやお竜さん。顔や口調がちょっとだけ怖い以蔵さん。美味しいお茶を出してくれる李さん。そして、一番会いたい人。大好きな森にぃにも二度と会えず、このまま一人寂しく、瞳の無いひまわりに見下ろされながら、死ぬまでここで過ごす。

「いやだよ……もりにぃ……うぅ……ひっく……!!」

 想像出来る中での最悪な結果が頭の中を駆け巡り、心の影に隠れていた弱気な気持ちがじわじわと私を支配しようと身体中に染み渡り、押し出された『大丈夫』の気持ちが、両目から溢れそうになる。

「っ……?」

 その時、小さな違和感が耳を触った気がした。

 聞き逃さないよう込み上げる嗚咽をぐっと抑えながら、集中するために目を閉じて、僅かな違和感を逃さないように耳を澄ませる。すると、小さな違和感は確信に変わった。

 どうやらサワサワと風に揺れる葉っぱの音に、何か違う音が混じっている。その音は私の近くをグルグルと回りながら少しずつ近づいているようで、耳を澄ませてやっと聞こえた音は、今ではしっかりと聞こえるようになっていた。

「だ……だれ……?」

 私の口から思わず漏れ出た声に反応するかのように音はピタリと止まり、少ししてからまた聞こえ始めた。

 ガサガサ……ガサガサ……

 よく聞けば、どうやら音の正体はひまわりをかき分けて歩いている音だったらしく、音を鳴らしている何かは、真っ直ぐこちらに向かっているように聞こえる。

「……っ」

 怖い。

 妖怪や幽霊の存在を無条件で信じるほど純粋な子供ではないけど、頭の片隅にある「もしかしたら本当に存在するのかも」と言った考えが離れず、風船のように膨らんでいく。

 それか……もしかしたら不審者なのかもしれない。ひまわり畑に入る私を後ろから追いかけてきていて、見失った私を探していたのかもしれない。……妖怪や幽霊などの非現実的な存在よりそちらの方が現実的で、非力な私にとっては絶望的な答え。

 ガサガサガサガサ!

「ひっ……!」

 嫌な考えが破裂寸前まで膨らんでいく間に、音はもう目の前まで迫ってきており、恐怖に耐えられなかった私は、ギュッと目を瞑る。

 妖怪か、幽霊か、不審者か。

 目を閉じてしまった私には何か分からない『それ』は目の前で止まり、真っ暗な闇に包まれた私に声をかけてきた。

「お? 誰かと思ったら殿様じゃねぇか」

「……え?」

 聞こえてきたのは男の人の声。

 身体と心が恐怖にがんじがらめにされた今、一番に聞きたかった声。

 恐る恐る目を開くと、緑の壁を背に向けて立っていたのは、真っ赤な色の服を着た人。

「小さく声が聞こえたと思ったけどよ。まさか殿様だとは思わなかったぜ」

 私の頭よりもずっと高い場所から声を降らせる人。太陽を見上げるようにしなければ、視線も合わせる事が出来ない人。

「なんだどうしたこんなところで。まさか迷子にでもなったのか?」

 炎のように燃え立つ髪を風に揺らしながら、屈託の無い笑顔で笑う男の人。

「……森にぃ!」

 私の、世界で一番大好きな人。

 

「にしてもよ……殿様が帰って来るのは知ってたけど、まさか向日葵畑(こんなところ)で迷子になってるとは思いもしなかったぜ」

「ま……迷子じゃない! 私は森にぃを探してただけだもん!」

「探してた? オレを?」

「そう!」

「べそかきながら?」

「そ……れは違う! 泣いてない! 泣いてないから!」

「はははっ! そんじゃ何か。オレが聞いた泣き声は気のせいだったってか?」

「そうだよ! きっとそう!」

「そうかそうか! いやいやわりいな。あまりにも弱々しくて可愛い声だったからよ、つい気になったちまったんだ」

「か……かわいい!? そ、そうかな~?」

「あ? 殿様の事を言ってる訳じゃねえだろ。殿様は泣いてないんだからよ」

「ーーー! もう! 森にぃはほんと!」

「何怒ってんだよ殿様」

「別に! なんでもない!」

 一年ぶりの再会にも関わらず、昨日も会ったかのような態度。そのやり取りにいつもと変わらない安心感を感じると同時に、何年経っても変わらない悲しさが胸に込み上げる。

 見た目だけに関してなら二人とも変わった。身長は私も少しは伸びたし、成長期の森にぃはぐんと伸びていた。下から見上げた森にぃの顔はどんどん大人っぽくなっていて、前見たときよりもさらにカッコよくなってきていた。それに私も、体つきは女性に近付いてきているはず。

 ずっと変わらないのは、兄妹のような距離感。言いたい事を言い合える、仲の良い友達のような関係。

 本当に言いたい事は、言えないままの関係。

「はぁ……」

「…………」

 私が勝手に落ち込んでいるのを察してか、前を歩く森にぃも段々と軽口が減っていき、なんとも言えない気まずい沈黙が二人を覆う。森にぃと話したい事はたくさんあったのに、今は何も出てこない。

 何も話題が出てこない私は、ひまわりをかき分けて歩く森にぃの背中をじっと見つめる。

「(大きいなぁ……)」

 普段から父親の畑仕事を手伝っているからか、私の学校に居る男子達よりも遥かにたくましく、頼りがいのある背中。半袖のシャツから伸びる腕は太く、見るからに硬そうな筋肉が盛り上がっている。

 強くて、たくましくて、頼りがいのある、男の人の背中。

「殿様よ……なんか言いたいことあったら、ちゃんと言えよ」

「え? ……うん」

 後ろを振り向かず、背中を向けたまま声をかけてくれる森にぃに、適当な相槌を打つ。

(言いたい事を素直に言えたら、こんなにも苦労はしないよ……)

 ずっと前から言いたくて、言えない言葉。帰省の度に伝える覚悟を決めて、いざ向き合ったらいつもの言葉しか出てこない私。

 今の距離感が安心する。今の距離感を壊したくない。

 元には戻らないのが、すごく怖くて。

「はぁぁぁぁ……」

 一歩踏み込む勇気が無い自分に。

 身体だけが大きくなっていく臆病なままの自分に。

 失望のため息しか出てこない。

 と、突然森にぃが立ち止まり、私に向き直る。

「……よし」

 森にぃが何かを決意した次の瞬間、突如視界が揺れ、森にぃの顔がぐんっと近付く。

 何が起こったのか分からない戸惑いと、ずっと見上げているだけだった森にぃの顔が、私のすぐ目の前にある事に対する驚き。両方に襲われて直ぐには気付かなかったが、森にぃの顔が私の少し下にあることを知った時、私は森にぃに抱き上げられたのだと分かった。

「わ……! あ……」

 急に抱き上げられた事と森にぃの顔が目の前にあるドキドキに、思わず悲鳴に近い声がでかかったが、私の顔を撫でる夏の風に誘われて顔を上げる。そこにあったのは、私を囲う緑の牢獄ではなく、どこまでも広がるひまわり畑。夏の爽やかな風にゆらゆらと揺れる光景は、穏やかな海を思い浮かべる。

「きれい……」

 自然と口から出た言葉に、森にぃは優しく微笑みを返してくれた。

 

「あの……森にぃ」

「どした?」

「そろそろ降ろして欲しいんだけど」

「なんで?」

「なんでって……その……恥ずかしいし(ボソボソ)」

「んなこと気にすんな」

「気にするよ!」

「身体がでかくなったから体重が重くなるのは当然だろ。気にすんなよ」

「ーーー! そうじゃない! 森にぃのバカ!」

「じゃあなんなんだよ」

「なんでもない! おーろーしーて!」

 ユサユサと身体を揺らして降ろしてほしいアピールをする私と、大口を開けて笑い返し、全くと言っていいほど気にしていない様子の森にぃ。

 大人の余裕。というよりはワガママな子供の面倒を見る大人な態度を見て。私がまだ小さな頃。今と同じように森にぃに抱っこされた時と変わらない関係を感じて、

(今年こそ……今年こそ絶対に告白してやる!)

 毎年決めている決意を改めて決め、私達はゆっくりと、ひまわり畑を歩いく。




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