自分がどんな人間であるか、自分で表現するのは難しい。というか、表現以前にちゃんと認識できてない。「私、こんなやつなんですよ」なんて言ってみたところで、そこには絶対に視点である私の願望とか偏見とかが入ってしまうし。そもそも物理的な観測という意味でだって、私は私を見たことがない。辛うじて、鏡像や動画というデータで知ったつもりになっているだけ。
だから正確ではないかもしれないけれど、私と長年付き合ってきて、私ってこれが得意なんじゃないかな、とそれなりの確信を抱いていることもある。
根気だ。
ひとりでコツコツ長く続ける。
それはね……うん。たぶん、得意だと思う。
そういうわけで私は続けた。3日。100日。500日。私はひたすら毎日“ハート連星”の観測を続け、“おしゃべり”の解読に取り組んだ。無数の光の瞬きの中から、共通のパターンが登場する場所を抽出し、共通点を探し出す。最も頻繁に使われるパターンはどれ? そのパターンの前後に繋がる確率が最も高いのは? 文法構造や単語の意味について仮説を立て、検討し、ダメなら“ダメでした”フォルダに叩き込む。フォルダがみるみるファイルで埋まっていく。
728個目のダメがフォルダに収まったある日、私はついに意味を持つらしき単語を見出すことに成功した。“ハート連星”の右の核と左の核、それぞれ一方しか使わないパターンが存在する。出現頻度はそれなり。そして右の核がそのパターンで光ると、ほぼ必ず左の核がそれに反応して光る。逆もまた然り。
これって、お互いの名前じゃないか?
名前! そうか。以前に私がした推測どおり、元は2つの星だったのだ。それが混ざり合ってひとつの小惑星群と化した今でも、2人はそれぞれ別の意識を保ち、別の名前を持っているのだ。私はそれまで、“ハート連星”がどこか遠くにある他の星と交信してるのだとばかり思っていた。勘違いだった。おしゃべりは、連星の右と左の間で行われていたのだ。
これは大きな前進だ。名前なら、きっと主語として使われている文があるはずだ。ここから文法構造が読み解けるかもしれない。私は大慌てで検索をかけた。あった。あった! 山ほどあった! あとはこの検索結果を主語的使用と目的語的使用に分類していけばいい。
で、そこからさらに300日。
根気だ。得意技でね。
ついに私は、“ハート連星”の光言語の文法構造をあらかた特定するに至った。達成感はあったが、これがさらに大きな問題の入口であることにも気付いていた。語彙だ。文の構造が分かったところで、そこにあてはめられるひとつひとつの単語の意味については何も手掛かりがない。論理だけで導き出すのは無理がある。
数日間熟考した末に、私は新たな計画を実行に移すことにした。
“ことり岩”の山頂に私はあれやこれやと機材を運び上げ、超大型のビームライト発生装置――早い話が懐中電灯のおばけみたいなものをこしらえた。ビームは1ミリラジアンのズレもなく“ハート連星”の方を向いていて、タブレットと無線接続して明滅パターンを操作できるようになっている。
迷った時には行動あるのみ。
おしゃべりしてみようというのだ。推測のみで導き出した、ほんの5個ばかりの語彙を武器にして。遥か太陽系の外縁部を飛行し続ける謎の来訪者たちと。
貧弱すぎる語彙力のために、文章を練り込む余地はほとんどなかった。私は大きく深呼吸し、覚悟を決めて、第一声を送り出した。
【私は、ここにいる】
ビームライト通信機は仕様通りに作動した。私はシャッターがシャカシャカいうのを聞きながら、じっと空を見上げていた。肉眼ではとても見えないあの黒い空の果てに、追い求めた“誰か”がいる。ちゃんとメッセージは届くだろうか。気付いてもらえるだろうか。どう思われるかな。いきなり話しかけて、なにこいつとか思われないかな。
ぐるぐる妄想する時間はたっぷりあった。
私は岩の上にピンク色の小さなマットを敷いて、そこにお尻を乗せ、長期戦の体勢を整えた。ポットのコーヒーに口をつけ、チョコレートバーを3センチかじる。破裂しそうなほどドキドキしてる。ほっぺたがフニフニほころんでいる。
“ハート連星”まで、およそ42光分。
つまり、最初の返信は1時間24分後――もしも返信があるのなら。
返信はなかった。
84分経過。144分経過。260分経過――“ハート連星”はその間、ずっといつも通りのおしゃべりを続けており、私の光言語には一切反応を見せなかった。念のため、私は30分おきに5回同じ信号を送った。半日ほとんど目を離さず望遠鏡を覗き続けたが、返事らしきものは、やはり皆無。
そりゃそうだ。
私が間違ってた。希望的過ぎた。私の光言語が全く間違ってて意味不明なのかもしれないし、こちらに注意を払っていなければ信号に気付かないだろうし、そもそも光が届いてない可能性だってある。クリアしなければならないハードルが多すぎるのだ。
私はすっかり落胆し、望遠鏡を抱えて、足を引きずるように家へ戻った。
疲れ果てた体をベッドに投げ出し、パジャマに着替えもせずに目を閉じる。瞼の裏に自分を呪う言葉ばかりが浮かんでくる。“連星”と交信する中で語彙を増やしていこうという計画にはどだい無理があったのだ。でも……
でも、この方法以外に、一体どうしようがあるというのだろう。
手詰まりじゃないか。
結局、私にはおしゃべりなんてできないのだろうか。
他人と意思を交流させるなんて、不可能なことだったのだろうか。
それならせめて、ここに来ないでほしかった。
孤独という、この胸の、どうにもならないものに、気付かせないでほしかった――
不思議なものだ。
一度“なみだ”を知ってしまえば、もう流さずにはいられない。
睡魔が容赦なく襲ってくる。きっと明日になれば、顔も、髪も、スカートも、ぐちゃぐちゃになっているに違いなかった。
私は夢を見た。
夢の中で、私はどこか、全く知らない部屋の中にいた。時が止まったような静寂の中で、白い埃だけが陽光を浴びながら舞っている。私はポカンと口を開け、部屋をゆっくりと見回した。日当たりのいい窓際のカフェテーブル。気品あふれる籐の椅子。横手の戸棚には、なんだかよく分からない奇妙な品々がずらりと並べられている。黒い矢じりのようなもの。半ば朽ちかけた頭蓋骨。手のひらに載るほど小さな陶器のカエル。逆さに吊るされたドライ・フラワー。
そのなかに、容量1リットルほどの透明なビンがあった。フタは開けられてビンの横に寝かせてある。中は空だ。
私はそのビンになぜか心惹かれて、そっと手を伸ばす――
「誰もが世界の内に自ずから在るように、彼女らもまたそこに在った」
突然聞こえた声に、私はびくりと震え上がった。
「とはいえ世界を広げようと手を伸ばすことは不可能ではないし、有意義なことでもある。ひとはそれを見聞と言うのだね――おや?」
私は背後を振り返った。怯えて部屋の中を探し回った。だが、声を発するようなものはどこにも見えない。言葉を操る以上、相手は人であるはずだ。私と同じような何者かであるはずだ。なのに部屋に見えるのは静物ばかり。
「おやおや。僕が捉えられないかい?
申し訳ない、これは僕の側のミスらしい。なにしろ僕にとっても、こういう形でお客様を迎えるのは初めての経験だから――」
身を切る悪寒で目が覚めた。
深い眠りの奥底から一気に覚醒したときの茫然自失。私は目を丸々と見開いたまま、ただ天井を見つめ続けた。左腕が痺れてる。呼吸をするのも忘れていた。ゆっくりと吸い込んだ息に髪の毛の数本が混ざり込み、私は舌でそれを口の外に追い出していった。
なんだ、今の?
こんな経験初めてだった。夢を見ることは今までもあった。でも夢に出てくる場所は大抵この部屋とか、外のクレーターとか、あとは真っ暗な宇宙空間とか。私がこの目で観測したことがある場所、でなければそれに似た場所だけだった。
あそこは――あんな部屋は――私は知らない。想像したことさえない。籐の椅子? 頭蓋骨? 陽光射すカフェテーブル……“陽光”って何?
そのとき私は手の中に何か握り込んでいることに気付き、驚きのあまり、「わあ!」と大声を上げて跳び起きた。手の中の物を大慌てで投げ捨てる。円盤状のそれが、乾いた音を立てて床に転がり落ちる。
信じられない。
見まちがえるはずがない。
フタだ。
1リットルの透明ビン。その横に静置されていた、赤黒いプラスティックのフタ。
夢の中で思わず手に取ったものが、どうして今、ここにある!?
私はフタを睨んだまま、たっぷり1分余りも硬直していた。やがて覚悟を決め、デスクの50㎝定規を引き抜いて、赤黒いフタをツンとつついた。何も起きない。軽く叩いてみる。少し跳ねた。私は恐る恐る手を伸ばし、フタを手に取ってみた。内側に刻まれた緩やかなネジ。側面に規則正しく成型された滑り止めの溝。円の中心に小さな窪みがあるのは、金型に樹脂を注入した時の跡だろう。なんという精密さ。すごい技術だ。理屈は分かるけど、私にはとてもできない。
そう、私にはとてもできない。
その事実が全てを物語っている。このフタは私が作ったものじゃない。つまりどこか他の恒星系からもたらされたものだ。原理は全く不明ながら、私は今、夢の中で遥か彼方の誰かと交信していたのだ。そう考える以外にない。
すると、夢の中で私に呼び掛けた、姿も見えないあのひとは――
と、そこまで考えたところで、私の頭脳に新たなアイディアが閃いた。
姿が見えない。けれど声は聞こえた。
ひょっとして、これか!
私は家のクローゼットをまるごとひっくり返すようにして、大昔に造った装置をいくつか引っ張り出した。皺くちゃになった服をポンポン脱ぎ捨て、滝行のようにシャワーを浴びて寝汗を流し、大急ぎに着替えて家から飛び出した。向かうは再び“ことり岩”だ。
私は大きな思い違いをしていたのかもしれない。
夢の中で、私には“僕”の姿が見えなかった。だが存在は感じられた。声は聞こえた。夢の話といえばそれまでだけど、ここで少し考察してみよう。実際姿が捉えられないのに声だけが届くとしたら、それはなぜか?
光がこちらへ来ていなくても、音はちゃんと届いたからだ。
視覚は光を捉え、聴覚は音を捉える。両者は全く異なるものだ。一方だけが情報を感知したとしても、何ら不思議はないのだ。
では、逆に考えるとどうだ?
光は届いているはずなのに、話は通じていないとしたら、それはなぜ?
それは――“ハート連星”が、可視光以外の何かを用いて会話をしているからだ!
私が観測した光の明滅は、実は彼女らの会話そのものではなく、別の手段でおしゃべりする際に放出される副産物のようなものだったのだ。私のメッセージが届かないのも当然だ。そもそも彼女らは光を見ていない。
では、他の何を?
たとえば、不可視波長領域の電磁波とか!
私はいつもの観測地点に陣取り、次々に装置を組み立てていった。まずはこれまでと同じ光学望遠鏡。次に紫外線センサー。赤外線センサー。下の振動数帯用にパラボラ型レク・テナ。X線領域だとかなり厳しいけど、最悪他が全部ハズレの場合は何か方法を考えてみよう――光子を浴びた金属の温度変化を観測するとか。
私の推論は的中した。“ハート連星”からの紫外線が観測されたのだ。私はその強度変化を注意深く可視光の明滅パターンと比較して、両者が間違いなく連動していることを確認した。彼女らの言葉はこれだったのだ。
もう、やることはひとつ。
大急ぎで紫外線ビームの照射装置を作り、“ことり岩”の上に設置した。以前と同じ方法で、私からのメッセージを送る。届いてくれ。返事してくれ。祈るような気持ちで観測機のとなりに座り、じっと星空を見上げ続ける1時間と17分――“ハート連星”までの距離は、今では片道38.5光分に縮まっていた。
そして、ついに。
無限に広がる空虚な宇宙に、初めて“ハート連星”を見出したあの日から、ちょうど1000日が過ぎたとき。
私は、彼女らの“声”を受け取った。
「い……」
私は拳を固く握り、しゃがみこみ、石ころのように小さく丸まり――
「ぃやったぁ―――――っ!!」
空一杯に手足を広げて跳び上がった。
なお、このとき受け取ったメッセージは、翻訳するとこうである。
【え……? 誰……? こわ……】
こら。笑わないように。
とにかく記念すべき偉大な第一歩なんだから、これは。
(つづく)