私は舞い上がっていた。
自分でもちょっと反省してる。しかしあの時はどうしようもなかった。あまりにもタメが長すぎた。17年分の孤独。どこかに他者が存在するのではないか、と考え始めてからだけでも4年。ずっと私はコミュニケーションの相手を求めていて、そして、ようやく得た。ついに得た。
これが舞い上がらずにいられるだろうか。
私が取り組んだことはこうである。全部で9基の紫外線ビームを用意する。最初は1つだけ点灯させ、2、3、4と順に数を増やしていく。そして返答を待つ――向こうが意図を察してくれることを、ひたすら願いながら。
3度目の挑戦で返答が来た。紫外線の明滅パターンが、途中に1分ずつの間を空けて、9種類。やった! 通じた! すぐさま私は3基の紫外線を灯し、その直後に“連星”から来た3番目のパターンを送る。1分後、7基灯して7番目を。5基灯して5番目を。
それに対する返信は、大量のおしゃべりを解読した中で何百回と見たパターン。
そうか。これが【YES】だ!
こうして私は1から9までの数字と、【肯定】の語彙を得た。これを応用してみよう。紫外線の数と全く異なる数字を送ってみる。さっきと同様、1分おきにランダムで3回。再び返信が来た。【YES】とは別の、しかしやはり何度も見たことがあるパターン。
【NO】だ。いいぞ! “ハート連星”は完全に私のやりたいことを理解してくれている!
判明した語彙のパターンをタブレットで検索し、分かりやすく私の言葉に置換してみる。無意味な記号の羅列に過ぎなかったデータが、少しずつ、鮮やかな意味の色彩に染まっていく。私はその中からいくつかの語彙の意味を推定し、“連星”とのやりとりで確認していった。
過去17年の人生で、これほど楽しい時はなかった。匹敵しうるのはただ一度、“言葉”という道具を作るアイディアが閃いたあの時だけだ。あれほどのブレイクスルーですら、このコミュニケーションほどの興奮は得られなかった。なぜならあの時、私はまだ言葉の持つ恐るべき威力がよく分かっていなかったのだから。
今なら分かる。言葉は力。言葉は武器。そして言葉は、世界そのもの。
私は寝る間も惜しんでメッセージを送り続けた。そしてひたすらに返答を待った。興奮のせいか、全然眠くならなかったのだ。お腹も減らない。“ことり岩”に居座り続けてはや50日。
私は燃えていた。
今度は映像を送
ってみるの……は……
「……あれ?」
唐突にあたりの光景が一変した。
ここは小ぢんまりとした部屋の中。以前に夢で見た、籐の椅子とカフェテーブルと、奇妙な戸棚のあの部屋だ。私は茫然と部屋の真ん中で立ち尽くした。私は一瞬前まで“ことり岩”にいたはずだ。不眠不休が続きすぎて、ぶっ倒れて夢の世界に来てしまったのだろうか? それにしたっておかしい。意識がはっきりしすぎている。
「うん、どうやら今度は成功らしい」
背後から聞き覚えのある声がした。私は振り返る。
そこにひとりの、ひとが立っていた。多分ひとだと思う。なにしろ私は孤独惑星に17年。自分自身の鏡像しか見たことがなかったのだ。確証はないが、私と同じ2本の脚に、2本の腕。胴体と頭。私とは全然違う顔付き。これが、ひと。他人というものなのだろう。
そのひとは、私に穏やかな笑顔を向け、そっと手の仕草で椅子を勧めてくれた。
「どうぞくつろいで。ようこそ“ヤドリギ魔法堂”へ」
「ヤドリギ?」
「この店の名前さ。自分で付けてみたんだ」
ああ、と私は納得の声を挙げた。このひとも自分の世界の形を自分で決めていったんだ。私が“にゃんこ山脈”や“ちゅーちゅー平原”に名前を付けたのと同じように。そう思うと、このひとの爽やかな孤独が伝わってくる気がした。
「いい名前」
奥の給湯室でポットにお湯を注いでいた彼が、私の声に驚いてこちらに目を向ける。
「かわいいと思う」
「ありがとう。そう言ってもらったのは初めてだよ。
さ、お茶をどうぞ。ブランデーはお好みで。ひとさしすると味わいがより深まるんだ」
店の主に勧められるままに私はカップの紅茶に口をつけた。飲み慣れない奇妙な味。喉の奥をさらりと通過する淡泊な熱。普段コーヒー派の私には縁が薄い飲み物だけど、この香りは悪くないと思えた。
「おいしい。紅茶も悪くないな」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。でも、嬉しいだけでは済まないこともある」
店主は私の向かいの席に座った。彼が宇宙の暗闇そっくりな目で、私をじっと見つめてくる。私は負けじと見つめ返した。彼がたじろいだのが分かる。彼の額に少しずつ汗が浮かび始めている。
「正直に言おう。僕は君にお願いに来たんだ。僕の小さな友人たちを守るためにね……」
「お願い? 友人?」
「“フェルミ・ハートのパラドクス”を知ってる?」
聞いたこともない。私が眉をひそめていると、彼は慎重に頷いた。
「なぜ自分はひとりぼっちなのか。なぜこの宇宙に他者がいないのか。その寂寥に囚われたひとは古今枚挙のいとまがないほどだ。まさに君がそうであるようにね。
ひとは自分の世界で生きていながら、同時に他者を求めている。しかし自分は他人にはなり得ない。シンプルな事実だが、それを心の底から受け入れるのは極めて難しいことだ。他人は自分とは違うものだ、と理屈では知りながら、同時にいつも、他人の中に自分の姿を探している。
自分はこう思う。相手もこう思うはずだ。自分はこう感じた。この気持ちはきっと共有できるはずだ……とね」
「……私と“連星”とのおしゃべりのことを言ってる?」
「彼女はハネムーンの途中なんだ。旅行代理店の役目を請け負った僕には、道中の安全を確保する責任がある」
「おしゃべりするのが、いけないこと?」
「そのルールを定めるのは僕ではないよ。この空虚な宇宙においてはね。
だからこれは単なる力関係の問題に過ぎない。誰かが命令したり強制したりできることではない。それでも僕たちは抗わねばならない。自分の身体と精神を守るために」
「何が何だか分からない! もうはっきり言って!」
「やはり気付いていないんだね……
君は彼女を飲み込もうとしているんだよ」
私はぽかんと口を開いて放心した。頭の中で百万個もの疑問符がフェスティバルを開いているみたいだ。彼女って“ハート連星”のこと? 飲み込む? 私が? このちっぽけな17歳女子が? あのばかでかい小惑星群を?
何言ってんのこのひと?
「17歳、か。それひとつ取っても事態の一端が見えてくる。
君が使う1年という単位は、僕らの尺度では1億年に相当する。つまり僕らに言わせれば君は17億歳というわけだ。それほどの長きにわたって、君は孤独の宇宙で生き続けてきた。それは驚嘆に値することなんだ」
「それって褒めてる?」
「ものすごくね。君は、君自身が思っているより遥かに巨大な存在なんだよ。君に比べれば僕などは塵のようなもの。君の甥っ子の義理の娘の幼馴染の、子供の子供のそのまた子供の中からたまたま選ばれた、出来の悪い管理人というところさ。
今まで比較対象がなかったから気にしたこともなかったんだろう? 自分の持つ能力がどれほど偉大なものか。どうして岩以外何もないはずの惑星に家や学生服やミントのラムネが存在するのか。そしてなにより、君が片時も手放さないその
すべては君の内より生まれた。そして、君の内へと消えていく」
「“ハート連星”もそうなる?」
「すでにそうなりかけている。事実、互いの距離感を見失ってひとつに融合したはずの彼女たちが、半ばふたつの存在に戻りつつあるんだ。君がそう観測――了解したためにね。やがて君の了解の系が彼女たちの存在を完全に規定し、併呑する時が来るだろう」
私は。
私は椅子を蹴って立ち上がった。
テーブルに両手をついて店主に詰め寄った。彼が息を飲み、僅かに身を引く。怯えているのか。恐れているのか。この謎の魔法使いが、私なんかに気圧されているのか。小さくて弱くてひとりぼっちな少女ひとりに。訳が分からない。
いきなり現れて。
いきなりひとに希望を持たせて。
そのうえでいきなり『おしゃべりをやめろ』?
自分勝手にもほどがある!
「私はただ話したいだけ。友達が欲しいだけ! ただそれだけなんだよ!」
「もちろん分かってる」
「なら私は好きにする!!」
長い、沈黙。
店主はそっと溜息を吐いた。
「世界のありかたを決めるのは自分だが、決めたありかたに世界の方で従ってくれるとは限らない」
彼の浮かべた表情は、色濃い悔恨に満ちて、切ない。
「これだけは覚えておいてほしい。
宇宙に煌めく幾十億の星々の中で――ひとは、常に、ひとり」
私の意識はそこで途切れた。
気が付けば私は“ことり岩”の上で大の字になっていた。
身体を起こし、むず痒い頭皮を掻く。あいまいな意識のままに望遠鏡を覗き込み、タブレットの映像記憶を確認する。夢を見ていたのはほんの30分ほどらしかった。その間に“ハート連星”からの返信が届いていて、私はほっと、頬をほころばせる。
そうだよ。おしゃべり、楽しいじゃない。
“連星”だって私との会話を楽しんでいる。だってこんなにすぐに返事をくれる。最近では向こうから新しく話しかけてもくれるようになった。すごく楽しい。往復分の時間差がもどかしくてたまらないほどだ。
コミュニケーションの何がいけないっていうんだよ。
何かがいけないって言うのなら……この目で確かめてみるべきだ。
これで次のプロジェクトが決まった。
話そう。彼女らと。行こう。“ハート連星”へ。
直接会うんだ。話し合うんだ。
つまり――今度は宇宙ロケットだ!
(つづく)