矛盾だらけのフェルミ・ハート   作:外清内ダク

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05.漆黒の重力井戸

 

 

 目覚めた瞬間、“ハート連星”の間に走る緊迫に気付いた。クールなはずの“右”がまともに動揺していて、いいかげんなはずの“左”が懸命に彼女を落ち着かせようとしている。ふたりは私が目を覚ましたことにも気付いていない。空気が針となって肌に突き刺さるかのようだ。

【どうしたの?】

 私が問うと、“左”は戸惑いながら答えてくれた。

【よく分かんない。違和感だけがあるんだ。前にもこんな変化があったような】

 変化。

 その瞬間、電撃のように私の脳髄を貫く閃きがあった。私は青ざめ、“連星”と反対側の窓に飛びつき、宇宙を凝視する。“ちゅーちゅー座”がここ。“ハムちゃん座”がここ。“ちんちら大星雲”が……違う。位置がずれている。だが星座の位置が変化するわけはない。

 つまり、ずれているのは、こちらのほうだ。

 軌道が()()()()()()()

【やばい。太陽の重力に捕まったんだ】

【それって、どういうこと?】

【私たちどうなるの?】

【この太陽系の一部として取り込まれる。惑星となって永久に太陽の周りを周回しつづけることになる】

【うそ!】

【地球に帰れないってこと……?】

 “右”は泣き出してしまった。“左”が彼女を抱きしめ、必死になだめている。というより哀しみと衝撃を共有しようとしているのか。私は血の気の失せた顔で窓の前に崩れ落ち、混乱した頭脳の中で必死に思考を巡らせた。

 私が観測した限りでは、“ハート連星”は充分な速度を持ってこの太陽系に飛来していた。そのまま太陽系を通過できるはずだったのだ。太陽の引力に捕まったということは、何らかの原因で速度が大幅に低下したと考えるしかない。

 何らかの原因、それは……

「まさか……私の運動量が……?」

 ロケットの逆だ。ロケットは推進剤を棄てることで前に進む。それは運動量保存の法則的に言えば、後ろ向きの運動量を分離させて自分が前向きの運動量を得ることだ。惑星との合体ではこれと逆のことが起きる。私は“ハート連星”の移動方向と逆向きに進んで合体した。つまり、“連星”に後ろ向きの運動量を与えてしまったことになる。

 その結果、“連星”の速度は低下する。それは間違いない。当然のことだ。

 でも普通それは問題にならないはずだ。なぜなら、運動量は質量と速度の積で求められる。私の体重なんて星とは比較にもならないほど小さい。どれほどの速度で私が突っ込んでも、砂粒が当たったようなもの。星の運動量の変化は無視できるほど小さいはずなのだ。

 だが現に“ハート連星”は強烈に減速し、漆黒の重力井戸に引きずり込まれてしまった。

 この事実が示すものはひとつ。

 私は重たすぎたのだ。想定の何兆倍も――いや、何垓倍も!

『君は、君自身が思っているより遥かに巨大な存在なんだよ』

 夢の中で聞いた言葉が蘇る。

「私のせいだ」

 拳の中に握り込んだ爪が、痛いほどに手のひらに食い込む。

「私が飲み込んでしまったんだ……彼女たちを」

 

 

 悲嘆にくれる“連星”のそばで、私はずっと彼女たちの嘆きを聞き続けた。たまらない苦しさ。これもコミュニケーションの持つ味なのか。楽しさや明るさが数倍になる一方で、哀しみや切なさや愚かしさもまた、数十倍に増幅される。私は宇宙船の窓を極力見ないようにしながら、じっと床にうずくまり続けていた。私にはどうすることもできなかった。

 彼女たちは故郷から切り離された。もう二度と帰ることはできない。それがどれほど辛いことなのか、私には、想像することしかできないが、なんとなく分かる気はする。かつて恒星間飛行を計画し、結局、戻ってこれないかもしれないという漠然とした不安に駆られて中止した私だから。あの不安感が何万倍にも増したなら、どれほど胸が痛むだろうか。

 一方で私は、異様な考えに囚われかけている自分にも気付いていた。

 これでいいんじゃないか?

 これでもう寂しくない。“連星”がこの太陽系に留まってくれれば、()()()()()()()()()()

 なんて奴だ。私はなんて残酷なことを考えてるんだ。彼女たちの都合は完全に無視か。自分の願望のみか。自分でも滅茶苦茶だと分かっている。なのにどうしても期待をぬぐえない。ふと気が付くと、彼女たちと一緒に暮らすこれからの10年のことを空想し、楽しみにさえしてしまっている。自分自身の身勝手から全く逃れられない自分がいる。

 それがたまらなく嫌で、私は両方の耳を塞いだ。彼女たちの嘆き声が聞こえないように。

 声。そう、いつしか私は彼女たちの言葉を声として聴くようになっていた。紫外線ビームはもう何十日も使っていない。自分が異質な何かに変わっていくのが分かる。見たくもなかった自分の姿、醜くおぞましい異形が、今、浮き彫りにされつつある。

 私は――いったい何なんだ?

 矛盾している。

 身勝手な自分を猛烈に嫌悪しながら、どうしようもなく独りよがりの沼に沈み込んでもいる。

 彼女たちが去ってしまえば、私はまた、ひとり。

 そんなのは、嫌だ。

 私はお湯を沸かし、コーヒーを淹れて窓から“連星”の様子を見た。

【コーヒー、飲む? きっと落ち着くよ】

 恥知らずにも親切を装う私に、“連星”たちは本気の感謝を返してくれる。

【ありがとう】

 この頬に浮かべた笑顔。その奥で引きつっていた心。

 私はコーヒーを詰めたカプセルを打ち出し、ふたりがその温もりを少しずつ体内に取り込んでいくのを見つめた。そうだ、これでいい。起きてしまったことはどうにもならない。これからどうするかを考えた方がいい。仲良くやれると思う。私たちは友達になれると思う。一緒に遊んで、おしゃべりして、コーヒーを飲んだりして。いつか彼女らは故郷のことを思い出に変え、この漆黒の太陽系を第二の故郷とするだろう。

 それでいいじゃないか。

 何が悪いの?

 コミュニケーションって、そういうものじゃない?

 それから私は“連星”と一緒に、ぽつりぽつりと他愛もない話をした。緊急時にすることじゃないかもしれないけど、緊急時だからこそしなければいけないと思ったのだ。私たちは皆で衝撃を分かち合い、耐えられる程度に和らげることに成功した。

 成功したんだ。たぶん。

 やがて誰からともなく口をつぐみ、私もひと眠りすることにした。

 宇宙船の床に座り込み、膝を抱き寄せ、顔を埋め、目を閉じる。

 そうだ。気持ちが落ち着いたら、“連星”を私の惑星に招待しよう。“ことり岩”の天文台や、“こにゃんこ岳”のかわいらしい稜線を見せてあげよう。きっと気に入ってくれる。なんならそのまま、私の惑星の衛星軌道に乗せてしまえばいい。そうすれば毎日会える。いつでもすぐおしゃべりできるようになる……

 幸せな空想のうちに、私は眠りに沈み込んでいった。心地よい感覚だった。夢の中では私は自由だったのだ。

 

 

 気が付けば、私は籐の椅子に腰かけ、窓から射し込む陽光に目を細めていた。

「またか」

 小さく溜息を吐く。過去に2度見た、あの夢だ。窓の外を見上げる。密集した灰色の建物の隙間から覗く、青白く染まった不思議な空。その中心で燦々と輝く白銀色の太陽。なんて強く明るい光だろう。きっとこれが“ハート連星”の故郷の空。彼女たちを育んだ太陽の光。

「そう。これが彼女の世界、その始まりの点」

 ふと気が付くと、向かいの椅子に、あの少年のように若い店主が座っていた。彼は組んだ膝の上に頭蓋骨を乗せ、愛おし気にそれを撫でていた。

「物理学者エンリコ・フェルミはこう考えた。ほとんど無限の広さを持つ宇宙には、ほぼ確実に自分たちとは別の知的生命体が存在するはずだ。なのに彼らが自分たちにコンタクトしてこないのはなぜなのか、とね」

「それは……宇宙が広すぎるから。たとえ生命が誕生しても、恒星間の暗闇を渡り切ることが不可能なほどに」

「そのとおりだ。()()()()()ではしばしばそう説明される。

 でも、()()()()()においてはまた別の解答が可能なんだ」

 眉をひそめる私に、店主は悪魔めいた微笑みを向ける。

「接触は《融合》。対話は《変質》。異邦人と言葉を交わし触れ合うとき、すでに異邦人は異質な何者かではなくなっている。だからこそ――」

「ひとは、常に、ひとり」

 店主はそっと頷いた。

 彼は頭蓋骨を撫でる手を止めた。その非人間的に整った美しい顔に、耐えがたい悔恨の色が浮かんでいる。私は目をそらしかけた。見たくなかった。自分の姿を鏡に映して見ている気がした。たまらなくなって私は口を開いた。

「その骨は……?」

「僕の……友だちさ。一番苦しかった時期に、最も真剣に僕を支えてくれた、かけがえのないひと……

 君は《死》という概念を想像はしても、実際目にしたことはないだろう? 僕は身をもって体験した。冷たく、暗く、ただひたすらに孤独……君は17億年もそれに耐えたが、情けないことに僕は、3年ともたなくてね。

 僕は外の世界へ(こいねが)ってしまった。生命。存在の意味。在るべきところと、そこに在る自分。そばに寄り添ってくれる伴侶の物質的な実在を、愚かにも求めてしまったんだ。

 その結果、僕は彼の運命を大きく狂わせてしまった。彼を物言わぬ死人(ミュート)に変え、耐えがたい苦痛を味わわせ、生涯の親友を裏切らせた。僕の身勝手な道に引きずり込んでしまったんだ。

 今でもずっと後悔している。もっと早くにわきまえておくべきだったんだ。奇しくも彼自身が口癖のように言っていた。

 “誰も孤独から逃れることはできない。僕らはいつかみんな死ぬ”――ということを」

「……私も?」

「例外は、ない」

 私と、彼と。ふたりの溜息が静寂の中にこだました。ずっと、ずっと、胸の中で疼き続けていた病巣。内側から身体をひっかきまわすような痛痒さ。“連星”のふたりと出会うまで、望遠鏡の中に光の明滅パターンを見出すまで、自分では気付いてさえもいなかった。今なら見える。今なら分かる。私が今、ここで、何を為すべきなのか。

「見ていて」

 私は席を立ち、17年練習し続けた通りの笑顔を、一生懸命に作り出した。

「私、なんとかしてみせる」

 

 

 目が覚めた。

 私は立ち上がり、ゆっくりと宇宙船の窓に寄って行った。おだやかに渦を巻く“ハート連星”。その“右”と“左”で、声も出さず静かに漂い続けるふたり。私は胸の息を1mLも残さず吐き出し、代わりに新鮮な空気をめいっぱい取り込んだ。背筋を伸ばせ。胸を張れ。

 私は、私のやるべきことをしろ!

【聞いて! 重力井戸から脱出する方法がある!】

 “連星”が驚き、目を開く。

【軌道を調整して私の惑星に接触しよう。その引力を利用して加速を行うの。つまり……】

 泣かない。泣いてなるものか。

【重力スリングショットだ!!】

 

 

(つづく)

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