透明なぼくたち   作:2550

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第一話「その夢は、現実を侵す。」

 

辺りは騒めきに包まれていた。

カンナは意識を取り戻した。

 

 

劇場の隅、人も通りがからないような空白の場所。

人混みに慣れていなかった少年、カンナは、まだ痛む頭を押さえながら目蓋を開く。

「……大丈夫?」

その顔を覗き込む人物がいた。知らない音の波の中、唯一聞き覚えのある声がカンナの脳に染み渡る。

「……うん、大丈夫。心配しなくていいよ……アネモネ」

カンナは彼女をそう呼んだ。アネモネと呼ばれた人物は、ふう、とため息をつく。

「大丈夫そうには見えないけど。無理はしちゃいけないよ? せっかく慰安旅行に来たのにさ」

「分かってるよ……こんな人混みも今日だけだし。でも」

仕方ないよね、カンナは手元の電子チケットに視線を落とす。

「ハルツィナ……だっけ。この街、セブンスコードで人気のアイドルグループ」

 

チケットの片隅に写るのは七人組の女子の姿。

似たような、しかし一人一人微妙に違う衣装を身にまとい、観客にまさしくアイドル……偶像といえる笑顔を向けている。

自分達が旅行に来た街、セブンスコードで愛される存在。

カンナにとってはアイドルなどどうでもいい存在だったが、目の前の人物にとってはそうでもないらしい。

「そうそう。ごめんね、付き合わせちゃって。私大ファンだからさ、せっかく来たんだし一回ぐらい生のライブに行っておかないとって思ってね。そうだ、今の間にカンナにもハルツィナのこと教えとかないと。センターにいるツインテールの子がヘッダでね。あ、こっちのツインテールはアリセだから、髪型似てるけど間違えちゃダメだよ。ヘッダはツンデレでね、といってもいつもツンツンしてるんだけどそこが可愛くて……」

「……うん、大丈夫。どうでもいいから」

「そんなぁ!」

マシンガントークを遮られた彼女はあからさまにショックを受ける。その上半身は見慣れないロゴ……ハルツィナのものらしい……が印刷されたTシャツを身に付けている。さっきまで着ていた分厚いコートは、どうせ暑くなるからともう脱いでしまったようだ。

今日のアネモネはよく喋るな、好きなアイドルのライブに来たからだろうか?……そんなことを考えながら、カンナは群衆でよく見えない舞台の方に視線を向けた。

……これから、ライブというものが始まるらしい。

現実から隔離された、非現実の世界。

……馬鹿馬鹿しい。

目の前の現実を何よりも大切にしているカンナにとって、アイドルが見せる夢物語などどうでもよかった。

彼にとっての現実は、アネモネ……物心つく前から共に過ごした双子の妹が、よく分からないアイドルのライブで浮かれている姿でしかない。

ただ、その笑顔を見れば……誰かを幸せにする夢物語も、悪くはない。そう思うのであった。

 

 

それはセブンスコードに向かう道の途中。

電車だったか飛行機だったか、よく覚えていない。

唯一覚えているのは、自分の肩にもたれかかり寝息を立てているアネモネの顔。

湧き上がる眠気を抑えながら、カンナはここに来るまでを思い返していた。

 

仕事で忙しい母親の目を盗んで、二人きりでここまで来た。

普段母親に代わって家事を頑張っているから、今度の出張の時に合わせてこっそり慰安旅行に行こう……そう言って、アネモネは貯めていた小遣いをはたいてチケットをカンナに押し付けたのだった。

押しに弱いカンナは意気揚々と予定を立てるアネモネを手伝うことも母親に密告することもなく、そのまま流れでここまで連れてこられた。

初日である今日は宿泊先に荷物を預けたり、外の雰囲気に呑まれてちょっと浮かれて回り道をしてみたり、その挙句現在地を見失ったり……とてんてこまいであり、カンナのここまでの記憶は正直なところ曖昧なものだ。

ルートも行動先も何もかもアネモネに任せっきりであったカンナがアネモネの目的を知ったのは、ハルツィナドームという会場の名前を知った瞬間であった。

 

 

そう思い返したところで、カンナは意識を目の前の浮かれた人物に戻す。

アネモネは自分と違ってしっかりしているとはいえ、今の自分達は保護者もいない少年少女二人で知らない土地に来ているといった状態だ。

ちゃんと宿泊先に帰れるのだろうかとか、次の日は何をしてどう帰るのかだとか、そもそもバレたら母親にどう説明するのだとか。

カンナはアネモネに全てを任せたことを後悔しつつ、このライブが終わったら改めてしっかりと今後の予定を聞こうという意志を固めた。

 

そのうち、会場の照明が落ちる。

舞台が明るく照らされ、遠目に女性達の姿が映る。

ハルツィナらしき彼女達は、群衆に微笑みかけ歌い始めた。

 

 

ファンにとっては一瞬の時間も、ファンでない者にとったら無限に等しい。

騒音が絶えない会場では抑えていた眠気を湧き上がらせることすら許されない。

そんな苦痛に等しい時間がいつの間にやら過ぎ、ライブも佳境といったところで、ステージではハルツィナのメンバーが観客に向かって話しかけている。

「まだまだ楽しんでもらうよ」

「ついてこられるかしら?」

欠伸をした瞬間、カンナはどこかから響く声を聞いた。

「――システム起動まで、あと――」

それが何かをカンナに考えさせる前に、ハルツィナはそれぞれの口で言葉を続ける。

「ほんとうのわたしたちに……」

大型モニターに映された、ヘッダと紹介された女性の笑顔が……カンナのその目に、やけに恐ろしく映った。

「ほんとうの、セブンスコードに」

 

その瞬間、世界は大きく捻じ曲がった。

 

 

響く轟音。赤に染まる視界。

辺りは一瞬の空白の末、パニックに陥る。

「はーい、今ここにいる皆さんはプロジェクトアウロラの一員として捕獲されました!」

分からない。

ハルツィナが何を言っているのかも、自分たちが今どうなっているのかも。

現実とは思えない、夢物語のような感覚の中に、カンナは陥っていた。

しかし、次の言葉で現実に引き戻される。

「これより、セブンスコードから退出することはできません」

……退出、出来ない?

カンナは自身の息が止まる感覚を確かに覚えた。

 

「生き延びられる者は、ごくわずか」

「覚醒と審判の期間は、十二ヶ月間」

その後に続くハルツィナの言葉はカンナの耳には入らない。

彼にとって大事なことはただ一つ。

「退出できない……? 僕も、アネモネも……」

家に帰れない。

ただそれだけであった。

 

 

「危ない!」

突然叫び声がした。その手がカンナを突き飛ばした。

「……アネモネ!?」

瞬間、何かが飛んできてカンナの足元に直撃した。大型の携帯であった。

「きっと誰かが投げたんだ。私もハルツィナの言うことはよく分からなかったけど……みんな、パニックになってる」

カンナは周囲を見渡す。群衆の至る所から悲鳴が上がり、物音が響く。

「……アネモネの言う通りだ。とにかく、早くここから逃げよう!」

そう叫んだが、彼女の姿は見えない。舞台に詰めかける群衆に引きずられてしまったらしい。

「アネモネ! どこだ! 返事してくれ!!」

声の限りその名を呼ぶ。吐き気を堪え群衆の中に割り込み手を伸ばすと、聞き慣れた声が響いてくる。

「カンナ! あなたはとにかく逃げて! 後で追いつくから!!」

声はそう叫ぶと、その指をカンナの手に絡めて……すぐに離し、腕ごとカンナを突き飛ばした。

「だめだ! 一緒に行くんだ!!」

突き飛ばされた衝撃で体勢を崩しその場に尻をつきながらも、カンナは再度アネモネの名を呼ぼうとした。

しかしその声は遮られた。

「いいから! 早く!!」

今までに聞いたこともない、彼女の鬼気迫った張り裂けんばかりの叫声で。

カンナを捉えるその目は、あたかも彼を拒絶するかのように。

 

彼女のそんな目を見るのは初めてで。

そんな声を聞くのも初めてで。

人の波に埋れていく彼女の姿が信じられずに。

けど、これは確かに現実なんだ。

 

何が正しいのか。

僕はどうすればいいのか。

自分に問いかけることすらできずに。

 

無意識に、彼は彼女に背を向けた。

 

 

走った。

ただひたすらに走った。

人の波に揉まれ扱かれた脳が、体が、限界を迎える前に……ここを抜け出さないと、自分はどうにかなってしまう。

震える脚を必死に動かし、人をかき分け、あるかも分からない出口を求めて行くあてもなく進む。

怒号が遠く背後に聞こえる。

何かを……あるいは誰かを壊す音。

色々な音が反響し、あたかも一つの音楽を奏でるように頭を殴り続ける。

それを振り払うように、ただひたすらに進み続ける。

 

アネモネの姿はとうに見えない。

ごめんなさい。

本当にごめんなさい。

どうか生きていて。

そう祈り続けることが精一杯だった。

 

 

入り口の扉に手をかけ、力任せに大きく開く。

そして一気に走り出す。

どこか遠くへ、ここではない場所へと。

 

その足を踏み出した瞬間、視界の隅に映った眩しい光に振り返る。

――舞台の中央に、女性がいる。

見たことのない、けどどこかで会ったことあるような……逆光に照らされた女性の姿。

『――パンクリアス、対象を――』

誰のものか、そんな声が聞こえた気がした。

足が縺れ、引きずられるようにその場に倒れ込む。

 

 

 

やがて、少年は"世界"の真実を知る。

それはとても残酷で、知りたくもなかった真実。

だが、今はただ――

 

カンナは意識を失った。

辺りは静寂に包まれていた。

 

 

 





『どうか、あの子を守って。それだけでいい……それだけでいいの』

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