雪蓮リテイク   作:にゃあたいぷ。

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冒頭.

 世界が崩れ落ちる感覚があった。

 必死になって作り上げていた砂上の楼閣が今、指の隙間から零れ落ちる。

 正直な話、私は当主なんて立場は性に合っていなかったんだと思っている。我儘で、自分勝手で、好き放題にやっておきながら中途半端な覚悟しかなくて、私は、どうして当主になんかなってしまったんだろうと思う。母様が亡くなって、引き継いだ椅子は窮屈で仕方なかった。なにをするにしても駄目だと言われて、孫呉の主なんだからと諭される。私はもっと自由に生きたかった、ただ真っ直ぐに前だけを向いて駆けたかった。なりふり構わず我武者羅に突っ走りたかった。

 それでも私が居心地の悪い立場を我慢できたのは、孫呉の大地を共に駆けたいと思える仲間達が居たからなんだと思っている。腰を据えて、守る為の戦いをする。その為には考えなくてはいけないことがたくさんあって、悩まなくてはいけないことがたくさんあって、私の器では掬い切れない仲間を守る為に我慢することを覚えた。そして悉く思い知らされるのだ、私には守る戦いは性には合わない、と。孫呉の当主という立場は、あまりにも守るべきものが多すぎる。それこそ雁字搦めに絡め取られて身動きが取れない程に。

 こんな立場なんて、さっさと誰かに譲り渡したいと思っていた。

 

 ――母様が亡くなってから、ずっと思い続けていた願いは成就する。

 

 母様の墓参りで受けた毒矢が身を蝕んでいる。

 周りから不穏な気配を悟られぬように、今は独り部屋に閉じ篭っている。

 寒い、凍えるようだ。独りでいると体が冷たくて、内側から腐り落ちる。人肌が恋しかった、寒くて、誰かに温めて欲しかった。でも、それは叶わない。叶えてはいけない。きっと心がポッキリと折れてしまうから、吐き気と発熱に心を蝕まれながら独りで堪える。手足の先が痺れる、水差しで喉を潤すことも困難だった。まるで身体の中に何本もの熱い杭を打ち込まれたかのようで、今までがどれだけ自由に生きていたのかを思い知らされる。心の枷よりも体の枷の方がキツかった。母様からは何度も油断するなって言われていたのに、この様だ。本当に情けなくて涙が出る。ああ、これは、本当に駄目っぽい。死を明確に感じ取る。死ぬしかない、と嫌でも思い知らされる。でも信じられなかった、信じたくなかった。たった一本の矢を受けただけで、本当に死んでしまうのか。咳をする、何度か吐いた。死にたくない、と心が訴える。まだ生きていたい、と魂が訴える。やっと孫呉の土地を取り戻して、まだまだこれから先を見据えていて、冥琳、蓮華、シャオ、一刀、もっと一緒に居たい。孫呉の行く末は輝かしい、羨ましい。狡い、私だけがその場所に辿り着けないなんて、私だけを置いて行っちゃうなんて、嫌だ、死にたくない。私はまだ生きたい。死ぬことが怖いんじゃない、私だけが置いていかれるのが怖かった。皆と一緒に歩めるなら、本当は王じゃなくたっていい。孫呉の当主として強い姿を見せるとか、本当はどうだって良いのだ。ただ一緒に居たい、皆と共に歩みたかったから私は孫呉の当主を引き継いだ、そして当主らしく生きようと決めた。なのに、どうして、私だけが、その為に私は頑張ってきたと言うのに。皆と一緒に居たいから、皆と一緒に草原を賭けて、あの丘の向こう側を見てみたかったから、私は……嗚呼、狡い。卑怯だ。嫉妬する。妬ましい、羨ましい。

 でも、安心していることもある。

 狙われたのが私で良かった。もし仮に蓮華やシャオが狙われていたら、私はきっと正気では居られなかった。震える身体で笑みを浮かべる、自分の身を抱き締めながら涙を零す。もう家族を失うのは嫌だった。そうだ、そうだった、私は何故、当主になったのだろう。義務感もある、責任感もある。でも、私が戦う理由は常に守る為だった。蓮華とシャオの未来を守る為に、そして孫呉の家族を守る為に、一刀を守る為に、私は戦ってきた。

 嗚呼、そうだ。と微笑む、私は生まれた時から不自由だった。

 母様と一緒に居た時だって、いつも振り回されて、振り回す側に立てたと思ったら皆、私のことを雁字搦めに束縛する。いつも私は不自由だった。結構、私って苦労人じゃないの? 苦笑する、そして、まだ死ねない。と思った。妹二人はまだ頼りないから私が守らないといけない。少なくとも明日までは保たせる、保たせなくてはならない。体が重い、体が寒い。辛い、もう寝てしまいたかった。寝る訳にはいかない、寝ると死ぬ。その確信があった。大丈夫だろうか、私が居なくなった後の孫呉は。大丈夫なのだろう、きっと妬ましいほどに大丈夫なはずだ。私は所詮、戦狂いだから、居なくなっても痛手にはならない。嗚呼、悔しいな。もう寝てしまおうか、いや、それは流石に許されない。せめて明日の戦が始まるまで、できることなら明日の戦が終わるまで、この身、この心にある全てを焚べて生き繋ぐ。早く明日になって、そして戦いの熱狂で、この苦痛の何もかもを忘れさせて欲しい。

 なぜなら私はまだ孫呉の当主で家族を守る責務がある。

 だからまだ死ぬ訳にはいかない。

 

 

 明けて早朝、我らが孫呉の前には北方から侵略する曹操軍の陣が広がっていた。

 将兵の末端に至るまで自信に漲る敵陣を前に、つい感心して「流石の威容ね」と本音が溢れる。

 ことすれば弱音とも取られ兼ねない発言だったが――

 

「それは孫呉も同じだ。兵は将を映す鏡だからな」

 

 ――と冥琳が返す。間の良いやつ、ほんといつでも私を助けてくれる。

 

「田舎の猛獣だって? ふふ、その通りなんだけどね」

 

 これが最後か、と思って最後くらいは、いや、最後だからこそと思って軽口を返すと冥琳は苦しそうに口元を食い縛っていた。

 もう、そんな顔をするもんじゃないでしょ? どうせなら良い顔で送り出して欲しいわね。

 

「それでも私達の土地よ。誰かの好きなんてさせないわ」

 

 だから、じっと見つめる。

 ちゃんとしなさい、と叱咤するつもりで、冥琳は眼鏡を掛け直すと「そうだな」と短く返した。

 もう、私の方が苦しいのに、どうして私よりも苦しそうな顔をするのかな?

 

「さて、ビビってるわけにもいかないし、皆に気合を入れてこないとね」

 

 辛気臭いのは嫌だから、なによりも私が持ちそうにないから先を急いだ。地面を踏みしめる、踏み出した足に力を込める。一歩、進む度に死が近づいてくるのがわかった。油断をするとすぐに倒れてしまいそうだった。正直、もう体の感覚の半分以上が役に立っていない。だってほら、私に付いてくるお人好しの顔がもうよく見えない。気配だけは感じ取ることができる。こんなにも体調は最悪だっていうのに感覚だけは鋭敏に働いていた。特に死の気配には敏感になっている。一歩、また一歩、と前に進んだ。肩を貸そうか? と声を掛けられても振り払った。死の淵へと、この世の最果てへと誘われるように歩を進める。

 

「雪蓮……」

 

 辛気臭いのは嫌なのに、一刀ですらも私のことを心配する。心が折れそうになるから、縋りたくなるから、本当にもう止めて欲しい。ここで心がポッキリと折れてしまえば、今までの私の努力が台無しになるじゃない。折角、頑張って耐えているのにさ。

 

「一刀、貴方はもう立派な呉の重臣でしょう? しっかり前を向いて」

 

 励まして欲しいのは私の方だってのに、どうしてみんな私の足を引っ張ろうとするのかな。景気良く送り出して欲しいものだ、最後の晴れ舞台なんだからさ。

 

「もう、時がないみたいね。さあ、お喋りはお終いよ」

 

 左腕をだらりと下げて、足を引き摺るように赴いた。

 その到達点、私が見る最後の景色。この先に私が望んだ未来がある。

 悔しくて仕方ない、本当に羨ましい。

 道半ばで果てるのが、こんなにも悔しかったなんて思いもしなかった。

 蓮華、シャオ、幸せにならなかったら絶対に殺してやる。

 

「呉の将兵よ、我が朋友達よ」

 

 さあ最後の力を振り絞れ、残り滓の命は今、ここで使い果たすべきだ。

 

「我らは亡き孫文台が悲願、揚州統一を成し遂げた。この地を袁術の手から取り戻したのだ」

 

 大きく息を吸って、吐き捨てる。

 想起するのは今まで辿ってきた孫呉の歴史、私、雪蓮の足取りだった。

 地面を確と踏み締めて、南海覇王の宝剣を抜き放った。

 もうあと幾許かの命、だが、と未練を断ち切るように宝剣を敵陣に向けて振り払った。

 

「今、愚かにもこの地を欲し、無法にも大軍を以て揚州の安寧を脅かそうとする輩がいる。曹操は傀儡の皇帝を封じ、自らは魏国の王を名乗り、この天下を欲しいままにしようとしている。天を欺く所業は、まさに董卓の再来」

 

 我ながら難しいことを言っているな、と思う。

 気に食わないから倒すで良いじゃん、とか。相入れないから殺し合う、とか。そんあ理由で良いじゃん、とか。もう面倒だからさっさと攻め込まない、とか。

 そんな簡単な動機、簡単な理由で良いじゃんって。

 

「左様な逆賊の徒に、これ以上、一歩でも我らの母なる大地を穢される訳にはいかん」

 

 でも、それじゃ格好が付かない。

 蓮華が、シャオが、一刀が、そして皆が私の背中を見ているから。

 みっともない真似なんて出来るはずもなかった。

 

「我らが孫呉の血脈を継ぎ、大陸に覇を唱えられるかは、まさにこの一戦にかかっている」

 

 だって考えてみなさいよ。皆の瞳に映る最後の勇姿が情けなかったら、そんなの嫌じゃない。

 

「皆、死力を振り絞れ。逆徒を討ち滅ぼし、地平の彼方へと追い返すのだ。我らには代々の英霊の加護がある」

 

 さあ、あと少しだ。

 体よ保て、最後まで格好を付けさせろ。

 もう膝が笑い始めているが、意地で立ち続けてやる。

 

「己に誇りを持て、魂魄を猛き炎と燃やせ」

 

 さあ行け、孫呉の勇士達よ。孫呉の家族達よ。

 

「いざ、勝利へ。咆哮せよ」

 

 今まで私は皆に背中を見せてばかりだったから、

 

「孫呉の魂は不滅であることを曹操に、いや天下に遍く知らしめるのだ」

 

 最後くらいは皆の背中を見送ってあげるわよ。

 

 

 曹魏との戦は、孫呉の大勝に終わったようだ。

 戦の趨勢が決まるまで冥琳に支えて貰って、そして今は冥琳の腕の中で蓮華とシャオが駆け付けてくれた。

 梨晏もいる、一刀もいる。愛すべき人がここにいる。

 

 死に際が、こんなに寒いなんて知らなかった。

 ずっと蓮華のことを待ち続けていた母様は、とても冷たくて寒かったに違いない。今にも閉ざされてしまいそうな深淵の中で、凍えるような吹雪の中をじっと耐え忍んだ。それだけで母様の凄まじさが良くわかる。最後の最後まで仁王立ち、屍になってなお生きて、娘を待ち続ける母様のように苛烈には生きられない。全ての点において、私は母様には及ばないって思っていた。

 でも、最後の最後で私は母様よりも恵まれているな、と思った。

 情けないと笑われるかも知れないけども、死の間際、私には人肌の温もりがあった。

 

「雪蓮姉様っ、シャオはここにいるよ!」

「雪蓮、安心しろ! 蓮華もシャオもいる! 冥琳も、梨晏も……!」

 

 ああ、わかる。皆が居るのがわかるよ。辛くて苦しいはずなのに、どうしようもなく温かった。

 

「でも……もう、お別れね……さっきから、母様の……顔が、ちらついてるわ……」

 

 もう死んでも良いかなって思えるくらいに、幸せな気がした。

 それからはもうなにを話したのか、よくわからない。伝えなくちゃいけないって思っていたことがたくさんあって、でも、どこまで話したのか覚えてなくて、思いついたことを片っ端から話していたような気がする。ああ、本当に私は幸せだったんだな、って思った。こんなにも愛おしく思える人がいっぱいいて、愛おしく思いながら看取られることができる。

 やっぱり死ぬことは怖くなかった、私は英雄になれなくても良かった。

 

「孫呉には……強い子達がいる。だから、少なくとも明日の心配は、しなくていい……」

 

 怖いのは独り、取り残されることだった。

 ああ、死んだらどうしようか。母様を迎えに行ってあげなきゃ、きっと寂しがっているだろうから。否定するだろうけども、猛獣からも避けられるあの母様だ。あの世でもきっと避けられているに違いない。

 だから、私が寄り添ってあげよう。冥琳と蓮華、シャオが来る時までは。

 

「それじゃあまたいつか、ね」

 

 意識が途切れる、闇の中へ。

 何処までも永遠に、悠久に続く深淵の奥深くへ。

 

 

 ――……――――…………――……――――。

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 ――…………。

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 ……――…………――――――……。

 ――…………――――……。

 ――……――……――………………――――。

 

 

 黒天を切り裂いて、天より飛来する一筋の流星。

 その流星は天の御使いを乗せ、乱世を鎮静す。

 眉唾な話だ。あの時は母様の単なる思いつきだと鼻で笑っていた。

 

 

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 長く眠っていたような気がする。どれだけの時間が過ぎたのか分からない。

 ふよふよと何処かを漂っているかのように思えば、ひゅーっと落ちているような感覚もあって、もしくは何処ぞへと流されているかのように思えた。薄っすらと目を開くと星空が見えた。なんとなく懐かしい感じがした。空を飛んでいる、星空が眼前を駆け抜ける。どうやら私は星空を流れているようだ。流れ星というのは、こんな気分なのかも知れない。目の前にあった星空が遠のいていく感覚がある、どうやら私は落ちているようだ。このまま落ちるのだろうか、だったとして、私にはどうすることもできない。手足が動かないのだから仕方ない。身を委ねるままに落下する。此処は何処なのだろうか。ああ、そうだ、この星空を私はよく知っている。

 揚州の星空だ、孫呉の星空だ。私は此処で生きて、戦い。そして散ったのだ。

 落ちる、堕ちて、そして、衝突する。

 

「きゃあっ!? あ、あれ……?」

 

 掛け布団を蹴飛ばして、ガバッと飛び起きた。

 両手を見る、握っては開くを繰り返す。左腕を見てみたが矢傷の痕はない、もう一度、ギュッと握り締める。

 肉体には血の通う感覚があった。

 

「い、生きてる……の?」

 

 手を胸に当てると心臓の鼓動がする。手で顔を触る、少し違和感はあるが、どうやら私の体のようだ。

 

「あ、あはは……なにが起きているのかしらね?」

 

 へたり、と力が抜け落ちるように寝台に身を委ねた。

 そして大きな息を吐き出した。生きている、よく分からないが生きている。

 ぎゅっと両拳を握り締めて、噛みしめるように肉体の感触を感じ取る。

 私は今、生きている。

 

「姉様、大丈夫っ!?」

 

 ガチャッと部屋に飛び込んできた蓮華の姿を見て、その壮健な姿にはらりと涙が流れた。

 

「ね、姉様?」

「いえ、大丈夫よ。なんでもないわ、いえ……なんでもはあるわね」

 

 拙い足取りでふらりと歩み寄り、そして妹の体をギュッと抱きしめる。

 

「ほ、本当にどうなさったの!? おかしいわ!?」

「うん、ごめんなさい。でも少しだけ、こうさせてくれないかしら?」

 

 どうして生きているのか分からない。

 なんとなしに幼く見える妹の姿、違和感は多い。

 でも、私は生きている。

 それで良い、その事実があれば充分だ。

 今はただ人肌の温もりを感じていたかった。

 

 

 




七天系列。

死ぬ気で生存戦略での呉の動向を整理するついでに揚州と荊州関連を書き始めてみるといった感じ。
タマツバキにも手を付けたい。
チラ裏のは半年程度放置していたものなので気が向いたら進めます。
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