昨晩、天より二対の流星が地上に降り落ちた。
ひとつは呉郡のいずれかに落ちたという話であり、もうひとつは此処、私の屋敷に落ちたのだと云う話だ。
しかし屋敷には傷ひとつ付いておらず、妹の蓮華が訪れた時にも屋敷の中から淡い光が漏れているのが発見されている。そして、その光に私は心当たりがあった。天の御使い。北郷一刀と初めて出会った夜、彼は光の球体に包まれていた。それと同じ現象が私にも起きていたのだろうか。そうなると私は二人いることになっちゃうけど――いや、今の私は一人だ。今日まで生きていた私の記憶がある、経験がある。それと同時に道半ばで死んだ私の記憶と経験もある。二つは混ざり、溶け合った。それが感覚で分かる。どちらも私で、今は同じ存在になった。
長く生きていた分だけ、未来から飛んできた私の意識が強いみたいだが、未来の私と現在の私で辿った軌跡に齟齬が生じていることを分かる。わかりやすい点をひとつ上げれば、私には妹が三人いる。
柄にもなく細々としたことを考えたが、要は難しいことを考えるのが面倒になったという話だ。
練兵場に出る、そして剣を振った。
雑念を振り払うように、しかし余計なことを考えるのは私の性分なようで無心になるのは難しい。
二つあったという流星の内で片方が私のことだとすれば、もう片方は恐らく、天の御使い。つまり、北郷一刀と云う事だろう。そして其の者は今、劉耀に保護されている。致し方ないと云えば、致し方ない話。屋敷に流星が落ちたということで私は自宅での療養を言い渡された。そんな私に流星が落ちたことを知らせず、代わりに探索へと出て行ったのは
あの時は私が出て行くことで
仕方ない、過ぎたことは仕方ない。しかし焦燥する気持ちはあった。
太史慈の下であれば、酷い目に合うことはないと思う。
しかし劉耀本人はさておき、劉耀配下はゲスが多いと未来の太史慈からの話で知っている。天の御使いを手に入れたことで彼女達の動きにも変化が現れるかもしれない。それで二人の身に危険が及ぶ可能性もある、だから少しでも早くに一刀と太史慈を手に入れたい気持ちがあった。振るう剣筋に乱れが生じている。この時の私は全盛期の一歩手前、全盛期は太史慈と一騎打ちをした時で、それから先は孫家の当主としての責務を果たす為に鍛錬を怠っていたこともあって肉体は衰えていた。
がむしゃらに振り回す剣は精彩に欠ける。
「ねえ、雪蓮。付き合ってあげよっか?」
ふと声を掛けられる。振り返ると
名は程普、字は徳謀。孫堅軍の双璧を成す宿将の一人。その武芸は後の呉軍でも五指に入る腕前を持っている。
そんな彼女からの申し出に私は二つ返事で承諾し、刃を交わす。
「……えっ?」
真正面から切り込む一撃に、粋怜が驚きに声を上げた。
槍を縦に構えて守る彼女に軽く三回ほど打ち込んだ後、すり抜け様に更に一撃、背後を取ってから首筋に剣を添える。
たったそれだけで勝負が決まった。
「不意打ちになってしまったかしら?」
「……えっ、あ」
「もう一度、最初から始めましょ」
首筋に添えた剣を引いて、距離を取る。
向き直った時、粋怜は先ほどよりも真剣な顔付きで重心を低く保った。今度は不意を突くことがないように、ゆっくりと距離を詰める。剣を構えたまま、相手の挙動を
フッ……という呼吸と共に粋怜が突き出していた槍を、身を捩るだけで回避し、そのまま柄を握って粋怜の体を引き寄せた。そして、僅かに姿勢を崩した喉元に剣の切っ先を突きつける。
やっぱり、うん、誰かとの鍛錬は良い。余計なことを考えずに済む、ただそれだけに集中できる。
「ありがと、良い鍛錬になったわ」
「……あ、はい…………」
呆然とする粋怜に声を掛けて、剣を鞘に戻した。
あまり意識はしていなかったが、度重なる戦は確実に私の実力を上げていたようだ。
それこそ現時点での粋怜が叶わぬ程に。
今なら、もしかすると母様にだって通用するかも知れない。
「ちょっと見ねえうちに随分と腕を上げたじゃねえか」
パンッと力強く背中を叩かれる。
その衝撃に懐かしいという思いと、少しは手加減してよという思いが、同時に湧き上がった。
軽く咳をしながら振り返ると、母様が嬉しそうに笑っていた。
「どうだ? 俺ともいっちょやっておくか?」
「……ええ、お願いしても良い?」
少し前なら怯んでいた言葉、しかし今の私は太史慈は勿論、呂布や夏侯惇といった猛者を知っている。
彼女達と刃を交えた経験が、母様の圧力に抗う術を身に付けていた。呼吸をひとつ、萎縮せず、心を弛緩させる。気負うのは良い、しかし緊張しては駄目だ。相手の圧力に飲み込まれてはならない。自分の呼吸、自分の空間を意識し続ける。そして相手は真っ直ぐに見つめる。相手は巨大だ、しかし、その輪郭すらも捉えられないようでは勝ち目はない。相手は強いと認めれば良い、そして自分の実力に相応しい分だけ自信を抱けば良い。
あるがままに受け入れる、それが強敵と対する一歩目だった。
「ほう……」
母様が剣を構える、ビリビリと肌を刺す威圧感に臆しそうになる。とばっちりを受けた粋怜は表情に怯えが見える。
「ふう……」
これが等身大の母様だと受け入れて、私も同じ構えを取った。
この威圧感は狂虎と呼ばれた母様が数多の戦場を乗り越えて練り上げてきたものだ。今の私に対抗しうる術はない、だから受け止める。真正面からしっかりと相手を見つめる。距離感を見失うな、その威圧感に目を逸らすな。確と視る、それだけを意識する。意識を尖らせる、枝の先を削るように集中した。針の穴に糸を通すように意識を収束させる。
母様という難攻不落の牙城を打ち崩す為に、視線で気取られないように急所を探る。見定める。
「これ、お主らは何をやっとる」
戦意が最高潮に達して、後は飛びかかるだけとなった時、水を差すように声を掛けられる。
「親子で殺し合いでもするつもりか?」
私達の間に割って入ってきたのは
祭と粋怜に次ぐ古参の一人であり、孫呉の内務は彼女に一任されていると言っても良い。正に大黒柱とも呼べる存在だ。
そんな彼女は私を一瞥した後、「
「今し方、連絡が入りました」
「うん?」
「黄巾党の一軍が呉郡北部に侵入し、幾つかの村で略奪に働いたようで御座います」
「……ここまでだな」
母様は剣を鞘に収めると軍議の開催を宣言した。
宿将達が慌ただしくなる中で蓮華が呆然としているのが目に入る。
どうやら先程の試合を見ていたらしく、私と母様の戦意に気をやられてしまったようだ。
「蓮華、行くわよ」と言いながら肩を叩けば、はっと気が付いたように妹が呼吸する。
思えば、この時期に蓮華が此処にいることはなかったか。
どうしてそうなったのか、理由を知っている。
蘆江郡に行くはずだった蓮華の代わりに小蓮が皖城の城代を務めており、緋蓮と
蓮華には政務を学ばせる為に今、雷火が付きっ切りで指導している。
だから、なんというか、彼女の覇気が少し足りないのは、そういう訳だ。
一刀が居てくれれば、ぶん投げてやるのに。そう思ってしまう今日この頃だ。