雪蓮リテイク   作:にゃあたいぷ。

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本日二度目。三度目はないです。


間幕.孫権仲謀

「母様、行きます」

 

 練兵場、まだ元服もしていない小振りの少女が南海覇王を見立てた剣を両手で握り締める。

 その相手を務めるのは呉郡太守、江東の狂虎と呼ばれる時の人、孫文台であり木剣を肩で担いで少女を手招きした。

 

「何時でも来い、緋蓮(ふぇれん)

 

 緋蓮と呼ばれた少女は返事をせず、目の色を変える。

 呼吸を悟られないように細く長く取り、姿勢は低く、前傾に保つ事で自らの逃げ道を断った。緋蓮の衣服は呉郡では珍しく肌を見せず、ダボついた衣服を好んでいた。ひらひらとした振袖は動き難そうで、履いた袴は足首まで隠している。正直に言って、動き難そうだ。姉様が言うには、あれの厄介さは実際に対峙してみなければ分からない、とのことだが彼女と手合わせしても私には理解できなかった。

 そんな衣服を風に靡かせながら緋蓮は大きく息を吸い込んだ。アレが来る、と耳を伏せる。

 

「キエエエエエエアアアアアアアアーッ!!!!」

 

 まるで猿が叫ぶような声に母様が僅かに顔を顰める。

 それと同時に緋蓮は前のめりに駆け出していた。緋蓮には母様や姉様のような膂力はなく、小蓮(しゃおれん)のような嗅覚も持ち合わせていない。それを補うように緋蓮は一太刀に全身全霊を費やす。上段に構えた剣に命を注ぎ込むように、体全身を剣に見立てるように彼女の一撃は常に捨て身だった。母様の振り払われる木刀には目もくれず、少しでも深く足を踏み込ませる。そして振り抜く、後のことは何も考えない。真正面から袈裟斬りに振り抜いた一撃を母様が木剣で受け止める。両手に握る剣に全体重、全存在を乗せることだけに特化した剣技は振り抜いた後、隙だらけになるのだが――意外なことに次なる一撃で彼女が仕留められることはほとんどない。僅かに反応が遅れた母様の一撃を緋蓮は身を捩ることで躱し、しかし踏み込んだ懐から一歩も退くことなく、次なる全霊の一撃を母様に叩き込んだ。母様は片手で剣を振るうことが多い、それは姉様も一緒だった。それは、それでも充分に剣を振り回せる膂力がある為だ。しかし緋蓮は剣を両手で握る、それは体を鍛えた後も続けていることだった。子供の体とはいえ、常に全体重を乗せた一撃だ。木剣と模擬剣がかち合った時、打ち払われたのは母様の木剣だった。

 そのまま腹を裂く位置に緋蓮の刃を潰した剣が添えられる。

 

 誰もが言葉を失った瞬間だった。

 一太刀を浴びせる。それは数多の戦場を潜り抜け、誰一人とて成し遂げられなかった偉業、それを元服前の少女が達成したのだ。

 歓声は上がらなかった。誰もが唖然として、言葉を発せなかった。

 

「……よくやった、もう小娘とは呼べないな」

 

 そう言って、母様が娘の頭を撫でる。

 緋蓮は擽ったそうにしながらも、嬉しそうに頰を緩ませた。

 それから間もなくして、緋蓮は元服する。

 

 

 姓は孫、名は権。字は仲謀。真名は蓮華(れんふぁ)

 江東の狂虎と呼ばれる孫堅を母に持つ四人娘の次女――ではあるのだが、その誰もを圧倒する武勇を私は受け継ぐことができなかった。雪蓮(孫策)、つまり姉様は母様が持つ戦の素質を十二分に持っている。妹の小蓮(しゃおれん)も戦場において、流れとも呼べる機微を嗅ぎ分ける嗅覚に優れた。そして四女の緋蓮(ふぇれん)は狂っていた。姉様が武芸の才能を引き継いだのだとすれば、緋蓮は母様の気性を受け継いでいる。飛び抜けた剣の才能を持っていない分、自らを省みない捨て身の剣によって母様に一太刀を浴びせることに成功している。いつか死ぬぞ、と母様に戦い方を咎められた時、いつかは死ぬよ、と緋蓮はさっぱりと笑って答えた。

 これが姉様だけだったのであれば、持って生まれた才能が違う、と思い込むことができた。しかし緋蓮は違う、彼女は意地と気合、それに根性を加えて、更に捨て身で挑むことで私には絶対に届かないと思った母様の牙城に手を引っ掛けた。あれは私にはできない、同じ事をしようとも思わない。自分の人生を鍛え上げることだけに費やすことで辿り着ける境地であるはずで――しかし、緋蓮は意外と政務もできる。それは雷火(張紘)を以てしても口を挟まぬ程であり、「もしや何処ぞの橋の下で拾ってきたのではあるまいな?」と母様に軽口を叩くこともあるくらいだ。それほどに戦場以外での彼女は知的で温厚だった。

 どちらかといえば文官より、どちらもできるなんて卑怯だな、と思う。端的に言って狡い。

 

 近頃は姉様も政務ができるようになっている。

 雷火(らいか)に言わせると、まだまだ、のようで「緋蓮様は政務を面倒臭がったりしませんぞ」と妹を引き合いに出すことが多い。しかし母様は姉様の居ない場所で「文官じゃあるまいし、細かいことは他の奴らに任せたら良いんだよ」と笑い飛ばしたところ、その事に雷火は顰めっ面を浮かべても反論はしなかったので認められているのだと思っている。そういえば小蓮も近頃、勉強を頑張っていた。元から要領の良い子だ、やる気を出したなら直ぐに身に付けるだろう。

 そこまで考えると、人生が嫌になってくる。

 他三人と比べて、私は劣っている。母様から受け継がれたものは少なく、真面目さだけを取り柄に剣技と勉学に励んできたけども、姉様は勿論、緋蓮にも届かない。武芸だけなら既に同等の小蓮、近い将来、追い抜かれる事になるだろう。いずれ政務も追い抜かれるに違いない。そう思うと生きているのが辛くなってくる。日に日に溜息の数が増えるのを感じる。

 私の勉強に付き合ってくれている雷火も、少し休まれてはどうか? と言われる程だった。

 

 休める筈がない。

 その分だけ緋蓮との距離が空き、小蓮に追いつかれると思えば、恐ろしくて休むことなんてできなかった。

 大丈夫、と雷火に告げて、先を促した。

 

 黄巾党が呉郡北部を攻め込んできた時、私は初めて戦場に出る。

 梯子を抱えた母様には圧倒され、一人で城壁に乗り込んで門を内側から解放した姉様に格の違いを思い知らされた。なんだかもう私なんて必要ないんじゃないかなって、そう思わされてしまう程に母様と姉様は圧倒的だった。姉様がまだ一太刀も浴びせられていない母様に、一太刀を浴びせた緋蓮もまた然り、頭を撫でられて喜ぶ姉様を遠目に眺めながら家族との隔絶した距離を感じた。

 私はきっと、姉様達と同じ場所には立つ事ができない。なら裏方に回ろうと心に決めた。

 

 仕置きを終えた帰り道、母様と姉様が何かを話していたのでなんとなしに聞き耳を立てた。

 

「俺の後継は雪蓮、お前だけだ」

「あ、私、孫呉の当主を継ぐ気はないわよ」

「……なっ! てめえ、反抗期か!?」

 

 軽い調子で当主の座を断った姉様が「違うわよ」と困ったように笑ってみせた。

 

「私は当主の器じゃないのよ。将として前線で好き勝手に暴れている方が孫呉の為になるわ」

「今んとこ、俺の後継ぎはお前しか居ないだろ。まさか緋蓮とか言うつもりじゃないだろうな?」

「それこそまさかよ。嬉々として死地に身を投じる当主は母様だけで充分よ」

 

 いつも後継にするって母様が言ってたじゃない、と姉様は微笑みながら母様の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「蓮華」

 

 瞬間、姉様が何を言っているのか理解できなかった。

 

「あの子の方が私なんかよりもずっと当主向きよ」

「正気か? あれはまだ、未熟だ」

「なら長生きしてよ。私が当主になっても蓮華までの繋ぎとしか思わないから」

 

 それだけを言うと姉様は馬を走らせた。

 待ちやがれ、と怒鳴る母様に振り返らずに風のように気ままに何処ぞへと駆け抜けていった。

 正直、姉様がふざけているとしか思えなかった。

 

 どう考えても私よりも姉様の方が当主向きだ。

 

 

 


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