「それじゃあ、また後でね」
「はい、いってらっしゃいませ」
にこにことした顔で手を振ってくれるみほに嬉しくなりながら、桜も小さく手を振った。
そのままみほは教室に入っていって、扉の近くにいたクラスメイトに挨拶をする。その姿を満足げに眺めてから、桜もゆっくりと自分の教室へ向かった。
みほは、無事にクラスに受け入れられたようである。
桜は、少しだけ寂しいとも思ったが、それ以上にみほの喜ぶ顔を見られることが一番だ。
何より、
心配するのはお門違いというものだった。
桜は、大洗ではみほと違うクラスになった。
みほはA組で、桜はC組である。
というのも、しほが「授業中も一緒にいては気の休まるときがないでしょう」という、桜に対してなのか、みほに対してなのか、ともかく配慮のようなことを言ったためだった。
そんな配慮ができるなら 自分が学校に通う必要はなかったんじゃないか、と思う桜である。正直、女装をして通うくらいなら高校は卒業できなくてもいい、と本気で考えていたくらいだった。大洗でみほのお世話をするだけなら、たぶん喜んで了承したと思う。
右を見ても左を見ても、桜に見えるのは女子のセーラー服姿ばかりである(桜本人も同じものを着ているが)。
みほが一緒でなくても、気の休まるときはないように思われた。
「おはようございます」
「あ、おはよう、井手上さん」
そうは言っても、怪しい行動をして男ということがバレては身も蓋もない。全くクラスメイトと交流をしないなど、どうぞ怪しんでくださいと言っているようなものである。適度に、浮きも沈みもしない程度の立ち位置を確保する必要があった。
そもそも転入生というのは、放っていても向こうから人が寄ってくるようなステータスである。うまく観察をすればだいたいクラスの人間関係も見えてくるし、程よくいい顔をしていれば嫌われることもない。みほがいるのでお昼の誘いや放課後の誘いは断らざるを得なかったが、休み時間に雑談をする程度の相手には困らなかった。
「ところで井手上さんは選択科目は何にする?」
「必修のやつですよね。ええっと何がありましたっけ」
「えー、なんだっけ。茶道とか?」
「あとは、華道と書道と香道と、忍道、仙道、弓、長刀、合気道」
「うっわ、全部覚えてるの?」
「だって中学から毎年同じだもん。覚えちゃったよ」
桜は、自分の机の近くでかわされる会話に耳を傾け、適度に相槌を返しながら荷物を鞄から取りだし席につく。
もっぱら話題は必修選択科目についてのようだが、当然ながら戦車道の話はなかった。
当たり前か。復活するのは今年からで、まだその発表もされていない。
さて、どうしたものか。
会話の流れからして、結局何かしら候補をあげることになるのだろうが、それはまぁ、適当に答えてもいいか。華道でも茶道でも。どちらも触り程度ならやったこともあるし、話を合わせるくらいは造作もない。結局のところは、どうせ戦車道を履修することになるのだろうし。
所詮授業の一貫であるとはいえ、必修選択科目はコマ数も多く、特に戦車道の場合は放課後まで練習は続くかもしれない。何せ目標が目標である。そのため、みほと違う科目を選んでしまうと、学校での行動がほとんど別になってしまう危険性があった。それでは本格的に、何のために転校してきたのか分からなくなる。
尤も、しほからの戦車に乗るな、という禁止令は今も継続中である。見た目が女子の桜であっても、その性別は男。女子の武芸である戦車道に深く関わるのは許さないという方針は徹底されていた(精々が姉妹の勉強を手伝うくらいである)。だから、戦車道を選択したとしても、練習に参加したり、試合に出場したりといったことはできない。じゃあ、何をやるんだ、という話になるが、その辺りの特例対応は、事前に角谷会長とも擦り合わせ済みである。
それもこれも、全部みほが戦車道をやると決めたらの話であるが。
みほが嫌がれば、すべての計画はご破算である。
朝のことを考えれば可能性は低いと思う。低いと思うが、ゼロであるとは言い切れない。みほはときたま、思いもよらない突飛な行動をすることがあった。こればかりは、桜にも予見しようがない。
「で、結局井手上さんは何やるの?」
「そうですね。華道なんてよろしいのではないでしょうか」
「流石井手上さん。女子力たかーい!」
きゃっ、きゃっ、と盛り上がる
桜は、淑女のお手本のような笑顔を浮かべてみせた。
桜の場合、女子力という言葉は必ずしも誉め言葉であるとは限らなかった。寧ろ、女々しいと言われているようで嫌っていた時期もある。尤も、今は女性としての演技をしているのだから、たぶん喜ぶべきなのだろう。
ちなみに桜は、前の学校では忍道をとっていた。そのあたり、なんだかんだ言って桜も男の子である。…想像していたものとはだいぶ違ったが。どちらかと言うと近代スパイを育成するような内容であり、手裏剣や忍術といった漫画チックなあれこれは皆無である。
キンコーン、と鐘がなる。
学園艦でも聞きなれたチャイムが流れるので、少し安心した桜だったりするのだが、黒森峰では違ったということを聞いて、大洗が良く言えば伝統的、悪く言えば古いということに気づいて悲しくなった。
「井手上さん、今日も?」
ともかく、昼休みだった。
クラスメイトにお昼を誘われて、それを断るのは日課のようになっていた。
「ええ、すみません。約束が」
「いいっていいって。西住さんだっけ?仲がいいんだね」
桜は人当たりもよく、何より美人ということもあってグループに引き込みたがる生徒も多かった。学校での桜は、母を参考にして楚々とした大和撫子を演じていたので、彼女たちからすると物珍しくもあり、憧れのような視線も浴びていたのである。
また、桜としても、騙していることは悪いと思うが、クラスメイトと親しくなりたいという気持ちはあった。しかし、戦車道の始まっていない今、学校でみほと接することのできる数少ない時間のひとつが昼休みである。どちらを優先するかと言われれば、迷うことなく後者だった。
「それでは、失礼します」
桜は逸る気持ちを抑え、あくまで丁寧に頭をさげる。
そして、お弁当の包みを掴むと、スキップをするような気持ちで学食へと向かった。桜は無意識かもしれないが、その表情は満面の笑みである。
そんな桜に対して、怪しげな視線を向けるクラスメイトたちの姿があったことは、当然気づくはずもなかった。
◆
桜が学食についた頃には、だいぶ席も埋まって繁盛している様子が伺えた。
さて、みほはどこにいるだろうかと辺りを見回していると、聞きなれた声が自分の名前を呼んでいることに気がついた。
「さくらちゃーん!」
声のした方を見てみると、みほがぶんぶんと手を振ってくれている。
桜は、にこにこと笑っているみほのことを見つけ、心が温まるのを感じた。
それは、一服の清涼剤というか、ともかく自分を隠すのでいっぱいいっぱいの生活だが、彼女の笑顔が見られるのなら、いくらでも頑張ろうという気持ちになれるものだった。
「お待たせしてしまいましたか?」
「ううん。全然」
にこにことみほが答える。
まるで待ち合わせをする恋人同士のような会話だな、と桜は思った。
すると、みほとは違う声に話しかけられる。
「まるで待ち合わせをするカップルみたいな会話だね」
そんな風にからかうような口調で話しかけてくるのは、決まっている。
「こんにちは、武部さん」
「やっほー、桜。金曜日ぶり♪」
右手でピースサインを作って笑顔を見せてくれる彼女は、武部沙織といった。
桜からすると、みほの友人という関係性になる。尤も、沙織からすれば、とっくに桜も友達というステータスに更新されているだろうが。
軽くウェーブのかかった明るい色のセミロングの髪に、軽く化粧もしているのか、今風の女子高生という感じの少女だ。性格も明るいし、友達思いで、しかも家事も万能ときている。共学出身の桜からすれば、きっとクラスに男子がいたらモテモテだろうな、と思うくらいの好物件であるのだが、ここ大洗が女子校のためお相手には恵まれていないらしい。それどころか、趣味が結婚情報紙を隅々まで読むことと公言して憚らないあたり、中学から女子校に通っているせいだろう、恋に恋する残念系女子が爆誕していた。
是非とも大学ではモテモテ道を歩んでいただきたい。
「ほらほら、立っていてはご飯が食べられませんよ」
そんな風に声をかけて、席に座るよう促したのは五十鈴華という少女である。彼女も沙織やみほと同じクラスであり、すっかりみほと仲良くなった友達のひとりだった。
華は、なんでも家が華道の家元らしく、みほの苦労にも理解を示してくれるという、桜からすると、ありがたいやら羨ましいやら複雑な相手である。いい人なことは確かであるが。
さて、五十鈴華と言えば、長い黒髪を腰まで垂らしたおっとり系の美人である。背も女性にしては高い方であるし、スタイルもいい。言葉遣いも丁寧だし、お淑やかなお嬢様という感じだ。それでいて、しっかりと自分の考えを貫く強さを持っている。古きよき、大和撫子を体現したような少女であった。
…桜は、なんとなく自分とキャラが被っているような気配を感じているが、華はお嬢様だし、何より天然だ。一方で自分はみほの使用人であり、しっかりもの。同じ大和撫子キャラでも、十分住み分けはできると確信していた。そもそも、大和撫子のように振る舞っているのは、桜の場合は演技のつもりである。
「それにしても、五十鈴さん。随分と食べますね」
「そうですか?」
華の前にあるトレイには、大盛りのラーメンと、これまた大盛りの白米。それと大皿いっぱいの酢豚があった。これにみそ汁があったが、完全におまけである。
(見た目はともかくとして)男子高校生であり、食べ盛りとも言える桜であるが、ちょっとその量は勘弁してほしいというのが正直な感想だ。食べ切れないことはないだろうが、たぶん午後の授業には集中できなくなる。お腹が苦し過ぎて。
これだけ食べて、理想的とも言えるプロポーションを維持しているあたり、普段はどれだけ体を動かしているのだろうか。
「あー、華はいくら食べても太らない体質だからねぇ」
「なにそれ、羨ましい」
ぐいっ、と体を乗り出して華に詰め寄ろうとするみほ。それを、危ないですから、と手で押さえようとする桜の姿があった。
なお、他人を羨ましがるほどみほが太りやすいということはない。むしろ、よく運動をしている方なので人より食べるし、余計な脂肪が体に付きにくい方である。今だって、桜手製の弁当は、学食の日替わり定食よりは多いくらいの量がある。だからといって、華と同じほどに食べていたら分からないが。
「ああ、もう。食べてる時に立ち上がるから、口元にソースがついてるじゃありませんか」
桜は立ち上がって、みほの顔をハンカチで拭いてやった。
拭いている最中にもみほがもごもごと何やら言っている様子だったが、ちょうど口元を拭いているものだから、何を言っているかは分からなかった。
「相変わらず、ふたりは仲良しだねぇ」
「姉妹みたいです」
沙織と華が、それぞれ微笑ましいものを見るような顔をする。
途端に桜は恥ずかしくなった。
完全に意識からふたりの存在が消えていた。見せるつもりはなかったし、見られるつもりもなかった。
「ひ、あ…」
「どうかした?桜ちゃん」
みほはいつも通りだ。というより、元々子供っぽいところのあるみほである。今の行為も当たり前のものと認識しているし、いつものことと言えばいつものことなので、気にするようなことではないのかもしれない。
しかし、桜からすれば、自分の素とも言える姿を見られたようなものなのだ。女装をして、大和撫子のような演技をしてまで、自分が男だということを隠そうとしているのだから、素の自分など見られたくないに決まっている。そのうえ、自分がみほの世話をしている姿を家族以外に見られるのは、なんだかとても気恥ずかしかった。
「な、なんでもないです…」
ぶしゅぅぅぅ、と顔を真っ赤にして席に戻る。
しかし、桜が気にしているほど、演技と桜の素に差などないし(あったらみほが指摘している)、世話焼きという特性は寧ろ好意的に映っていた。女装だって、突然人前で脱ぎ出したりしない限りはバレようがない。言ってしまえば、気にしすぎだった。
ところで、みほと桜の関係は、本来は雇い主の子供と使用人というものだが、流石に学校でそのような関係性を表にすることは躊躇われた。そもそも、使用人がいるような家など普通ではない。そして、集団というものは普通でないものを拒絶するようにできていた。もしも自分のせいでみほが苛めにあったりしたら、きっと桜は自分のことを許せなくなるだろう。本質が西住家のお嬢様という社会ステータスにあるのだとしても。
だから、事前に桜は、みほによくよく言い含めておいたのだ。
自分達の関係は仲のいい幼馴染みであって、家同士に特別な関係はないし、井手上桜は西住みほの使用人ではないのだ、と。
すると、桜が拍子抜けするくらい気軽に、分かった。という返事がみほから戻ってきた。
あまりに物分かりが良すぎたため、本当に分かっているのかしばらく不安だった桜だが、こうして何事もなく学校生活を送れているあたり、下手なことは言っていないのだろう。
ちなみに、桜は普段、みほのことを「お嬢様」と呼んでいるが、学校にいる間は努めて「みほさん」と呼ぶように気を付けていた。同級生のことを「お嬢様」と呼ぶ生徒は変だろう。それが渾名だったとしても。尤も、なかなかに言い慣れないので、気を抜くと「お嬢様」と呼んでしまいそうになるが、言い出しっぺは桜本人である。毎晩みほの写真に向かって、「みほさん」と名前を呼ぶ練習をしている甲斐もあって、今のところはぼろを出さずに済んでいた。
これでたぶん、どちらかが失敗をしない限り、お嬢様だからと苛められることはない。大洗は戦車道が盛んではないらしいし、西住という名前だけではお嬢様かどうかの区別はつかないはずである。幸い、西住の家は質実剛健を良しとするので、みほの金銭感覚や生活習慣もあまり世間離れしたものではなかった。
尤も、沙織や華といった友人を得ている時点で、桜の心配も杞憂だったかもしれないが。
なお、前置きとして、幼馴染み云々は学校の関係者に対しての説明だ、としつこいくらいに言ったのだが、果たしてみほは理解しているだろうか。普段から使用人でないと思われるのは困る、というのが桜の本音である。何せ、みほのお世話は桜の生き甲斐であるのだから、建前がなくなったら、もう山に入るしかない。
閑話休題。
「昔から一緒にいるもんね、桜ちゃん」
「ソウデスネ」
「地元が一緒なんでしたっけ?」
「そうなの。よく家に遊びにきてくれてね。ね、桜ちゃん」
「ソウデスネ」
みほが楽しそうに話をしているが、話題はもっぱら地元のことと桜のことだった。
桜としては、うっかりみほが、西住の家のこととか、桜が使用人であることとかを話してしまわないか気が気でない。特に後半。下手をすれば桜が男だということがバレかねない。
かと言って、そろそろ私の話はいいじゃないですか、などと不自然に話を切ってしまうのも躊躇われた。想像するだに怪しすぎる。
「へぇ、みほの家ってどんなの?なんか大きそうだよねー」
「えっとねぇ、こう門があって、お庭があってね。あ、お庭には昔使ってた戦車がーー」
「ってわあああああ!!!」
「桜!?」
桜は、自分がどう見られるかも度外視して、とにかくみほの迂闊な発言を誤魔化さないと、と思って精一杯だった。その方法が大声を出す、というのはいかにも子供染みた発想だったが。あまりのことに沙織が目を見開いて驚いている。
怪しいとか不自然とか、そういうのは余裕があるから考えられることである。
「お庭!ええ、ありましたね。子供が走り回るにはちょうどいいくらいのお庭でした」
「ええ…?そうかなぁ」
みほが不満そうな顔を見せた。
実際には、子供どころか大人が走り回ってもちょっと疲れるくらい広い庭が拡がっている。何せ、庭でかくれんぼをしたときには使用人のほとんどを動員してもみほを見つけられなかったほどである。
まさか、そんなエピソードを正直に話すわけにもいかない。西住の家は、地元どころか日本でも有数の名家なのだ。西住家の人間にとっては懐かしいと思えるほのぼのエピソードでも、世間一般からすれば、嫌みなお金持ちアピールと受け取られるかもしれない。折角できた友人にみほが引かれるところなんてみたくなかった。
しかし、ここ大洗には、それに匹敵する名家のお嬢様が暮らしていた。しかも、天然度合いで言えばみほとどっこいで、桜のようにそれを止める役割もついていない。
五十鈴華は、両手をぱん、と叩いて、実に嬉しそうにおっとりと微笑んだ。
「まあ、西住さんのお家にもお庭があるんですねぇ。是非、一度伺ってみたいです。わたくしの家もお庭があって、庭師の方が結構立派に整えてくれてるんですよ」
華の家は、華道の家元である。みほの家と比較しても、どちらも日本の伝統的な武芸における流派の宗家であり、一口に名家と言っても日本的な色の強い家柄であるなど共通点も多い。家の造りも同じ和風建築だった。
「華の家は特殊だから。普通の家に池とか木とか、そういうのはないからね」
「あら、そうなんですか?」
「お願いだから自覚して」
沙織が額に手を当てて、はぁ、と小さくため息を吐いた。
きっと、同じようなやりとりを繰り返してきたのだろう。沙織の苦労が偲ばれた。
もしかすると、苦労人同士ということで話が盛り上がることもあるかもしれない。尤も、桜の場合は、幼い頃からの使用人で、沙織の場合は、純粋な友人関係としての世話焼きである。沙織の人柄のよさが垣間見えた。
「でしたら、今度皆さんで遊びにきてください。自慢のお庭なんですよ」
しかし、沙織の言葉を本当の意味では理解していないのか、なおもにこにことした調子で話す華は、もしかすると大物なのかもしれない。隣で苦い顔をしている沙織にも気づいていない様子だ。
なかなかの箱入り娘感というか、世間知らず感はみほのほうがマシなように感じられた。
「悪い子じゃないんだけどね。ただ、世間様とズレがあって」
分かります。と言ってしまっていいものか、少し悩んだ桜だった。
おまけ
少女A「…井手上さんって、本当に美人だよねぇ」
少女B「彼氏とかいるのかなぁ」
少女C「えー、いてほしくなーい」
少女B「それわかるー」
少女A「…もしかしたら、あっちだったりして」
少女C「あっち?」
少女A「ほら、百合みたいな」
少女B「えー!?じゃあ、もしかして、西住さんって…」
「「「きゃー!!」」」
そんな話のタネにされていることなど、教室を去ったあとの桜には知る由もなかった。