西住家の使用人   作:青葉白

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 いかに多くの罪悪が、「国家のため」という美名の仮面のもとになされたことか。



5話

「やあやあ、井手上ちゃん」

「どうも。ご無沙汰しています」

 

 杏とみほが対面を果たして数日後のこと、桜は生徒会室に呼び出されていた。

 呼ばれたのは桜ひとりであり、わざわざひとりで来るよう注意書があったため、珍しくみほとは別行動である。

 

「わざわざ生徒会室まで来てもらって悪いねぇ。それもひとりで」

「いえ、それは構わないんですけど…」

 

 ちら、と桜は杏から視線を外し、別の人物のことを見つめた。

 茶色の髪をポニーにした、おっとりとした雰囲気の少女がいる。背は平均的だが体つきは恵まれており、特にその胸元の大きな二つの膨らみには桜も思わず視線を吸い込まれてしまいそうになった。

 彼女の名前は小山柚子。生徒会の副会長である。

 

 部屋の中には、桜と杏、そして彼女の3人がいた。

 桜は、来客用と思われるソファに案内される。柚子がかちゃりとコーヒーを運んでくれた。

 前かがみになって、柚子が長テーブルにコーヒーの入ったカップを置く。首元の隙間から肌色の何かが見えそうになって、桜は慌てて視線を横に外した。

 

 よっ、と声をあげて、杏が大きな背もたれ付きの椅子から降りる。てっこてっこと歩いて、桜の対面のソファに腰を落とした。

 

「さて、井手上ちゃん。ちゃんと話すのは久しぶりだよね。どう?学校には慣れた?」

「おかげさまで。って、この前、そんな話をしませんでしたか?」

「廊下でね。でも、あれは誤魔化すためのお芝居みたいなものだったし。ん、ありがと」

 

 どういたしまして。小さく声を発して、柚子が杏の前にもコーヒーを置いた。

 そのまま、杏と桜が向かい合う様子が見えるような位置に柚子は座る。桜から見れば右側で、杏から見れば左側だ。ともすれば、立会いを見守る審判のようにも見えた。お誕生日席と言い換えると、途端に楽しげな雰囲気が漂うが。

 

 ふと気になって、桜は部屋の中をきょろきょろと見廻した。

 生徒会室というだけあって、なかなかに広いし、物も多い。壁には何やら額縁に入れられた絵画のようなものまで飾られていた。しかし、はて、何かが足りないような。

 うん?と少し悩んで、桜はとあることに思い至った。

 

「河嶋先輩は?」

「ああ、河嶋は人払い。あいつがいると、話がしづらいからにぇー」

 

 「ね」とも「に」とも聞こえるような絶妙に気怠い語尾で杏が言う。わざわざ人払いをするということは、つまりそういう話をしようということである。しかし、それにしては柚子の存在はどうなのか。桜が訝しむ様子を見せると、杏はひらひらと手を振った。

 

「小山のことは気にしなくていいよ。西住ちゃんのことも話してるし、井手上ちゃんのことも話してる。書類仕事は、ほとんど小山の仕事だからね。河嶋と違って話も通じるし」

「あ、あははは…」

 

 桜には何も言えなかった。まさか、よく知らない先輩のことを影で馬鹿にするわけにもいかない。尤も、擁護することもなく苦笑いで誤魔化すあたり、口にしないというだけで、ほとんど雄弁に語っているようなものなのだが。

 

 ところで、杏たちと話した翌日に、桃が単身、みほの教室までやってくるという一幕があった。違う教室にいた桜は、慌てた様子の沙織に呼ばれて急いで駆けつけたのだが、どういうわけかサイン色紙を片手にみほと握手をしている光景を目撃した。前日の桃の態度を思い返して、盛大に頭の中がハテナで一杯になった桜だったが、聞けばサインをねだりに来たということである。みほは喜んでサインをしたらしい。桃は家宝にすると言って帰っていった。

 

「桃ちゃん、本当に西住さんのファンになったみたいで。昔の戦車道の雑誌を集めろなんて言ってきたのよ?」

「それはそれは…」

 

 ビデオを見せたらしいとは聞いたが、果たして何を見せたのか。そういうゲームよろしく、洗脳するようなビデオでもあるのだろうか、この生徒会には。だとすれば恐ろしいことである。先日の戦車道のレクリエーションの映像もその類かもしれない。

 

 尤も、みほの信奉者(ファン)が増えるということは、桜にとっても喜ばしいことである。今度、秘蔵のみほコレクションを持ってきてあげよう。

 

「そ、それにしても、ごくり」

 

 柚子のなにかを呑み込んだような音が聞こえて、急に桜は背筋が寒くなった。

 気のせいか、熱心に身体中を見つめられているような気がする。頭の先からつま先まで。じっくり、ねっとりと観察されるような視線を感じた。視線の主は間違いなく柚子である。

 

「こ、小山先輩?あの、私に何か…?」

 

 桜は、似たような視線に覚えがあった。転校前の学校で、よくクラスメイトの男子から向けられていた視線にそっくりだ。自意識過剰というわけでは、きっとない。()()()()()()()()()()()()()に自分の名前が載っているのを見つけて以来、ずっと感じている視線だった。

 

「小山ー。井手上ちゃんが怖がってる」

「え、あ!ご、ごめんなさい!?」

 

 すさまじい勢いで、何度も何度も頭を下げられる。柚子が頭を下げるたび、頭のポニーが前後に激しく揺れた。さながら、ポニー自体がお辞儀をしているようだ。

 

「井手上さんが本当に男の子かと思ったら、その、気になっちゃって。ごめんなさい」

「ああ…」

 

 そこまで知られているのか。考えてみれば当然だった。

 桜を入学させるために、少なくない労力を使って書類を用意してくれたのだろう。書類仕事は柚子の仕事とも言っていた。

 

「男がこんな格好をしていてすみません」

 

 桜は惨めな気持ちになった。

 杏は、ともすれば共犯者のようなものだが、柚子は違う。普通の女子からすれば、桜のような人間は気持ち悪いのかもしれない。しかも、ここ大洗は女子校だ。警戒されるのも当然のことである。

 しかし、柚子は、そんなことないよ。と励ましてくれた。

 

「とってもよく似合ってる。本当に。全然男の子に見えないよっ!」

 

 だから自信持って。と柚子に両の拳を握って応援されたのだが、それはそれで悲しくなるのが、男の性というものである。残念ながら、桜の性自認は男なのだ。女の子に憧れているというわけではないし、女装が趣味ということもない(それはそれとして、遊びと称してみほやまほの服を着させられることは嫌いではないが)。たまたま女らしい顔つきで生まれてしまっただけで、筋骨隆々のイケメンになりたいと憧れたりもするような普通の少年なのである。だから、当然のことであるが、恋愛の対象は普通に女の子だった。

 

 そんな桜からすれば、柚子は大変魅力的な女の子に映った。性格ばかりは分からないが、顔、スタイル、しぐさ、匂い。そういう外見の要素でいえば、とびっきりだ。柚子に対してそういう特別な気持ちはないにしても、男の子に見えないなどと言われてしまえば、深くダメージを負ってしまうのも仕方のないことだった。男の尊厳みたいなものはボロボロである。

 

 尤も、柚子に悪気は一切ないのであるが。

 だからこそ、桜も強く言えないので厄介だったし、女の子にしか見えないという見た目も、そのおかげで女子校に紛れ込んでもバレないで済んでいるのだから複雑な気分だった。

 

「足も男の子とは思えないくらい細いし、腰も、うん。ちゃんと食べてる?」

「食べてますよっ」

 

 桜とて育ちざかりの男の子だ。普通の女子に比べれば食べる方だろう。

 尤も、つい最近知り合った彼女と比べれば、流石に小食の部類に入ってしまうだろうが。あれは規格外だ。本人は、華道には集中力が要りますから、と答えていたが、何の理由にもなっていない。

 

 なお、完全に余談であるが、桜のウエストのサイズは、世の女性が聞いたら嫉妬するくらい細かったりする。なにせ、平気でみほのスカートが穿けるくらいだ。やはり、男子としては何かが激しく間違っている。

 

「スカートでの歩き方もばっちりだし、案外井手上ちゃんも楽しんでたりしてねぇ」

「滅多なことを言わないでください。この状況を楽しんでいたら、本当の本当に変態じゃないですか。歩き方は、みほお嬢様をいつも見ていますから。真似をするくらいは簡単です」

「いやぁ、それはそれで変態っぽいと思うけどね?」

 

 杏は、苦笑いのようなものを浮かべながらそんなことを言った。

 杏にとって井手上桜は、おおむね常識人であり、自分に負けず劣らずの苦労人という認識である。面倒に巻き込んだという負い目もあるし、同情的と言ってもいい。しかし、ただ一点、西住みほに関する事柄についてだけは、井手上桜は結構な変人であると疑っていた。

 

 桜は、男子高校生という割に性欲が薄いというか、女子に対して興味を持っている様子があまり見られない。枯れている、というわけではないのだろうが、あまりにも淡泊だ。それは、結果的に大洗へ桜を招き入れることになった杏にとっては好都合だった。これが普通の男子と同じだったなら、一体どんな問題を引き起こしたか分からない。

 しかし、一方で、桜の西住みほに対する親愛の情は驚くほど深い。例えるなら、学生らしい純真な恋心ではなく、依存とか、執着に近いように感じられる。今のようにさらっと重いことを口走ることもあった。それも、当人としては無意識に。いつも見ているなど、ストーカーの常套句だ。

 

 これは杏の想像だが、女子全般への興味のようなものが、桜の場合、全部西住みほにだけ注がれているのだと思われた。

 例えば、仮に女装をせずに、みほの身の回りの世話だけを役目として大洗に来ていたとしたらどうだろう。それはそれで、桜は学園内に盗聴器とか監視カメラとかを設置して、みほの周囲を探ろうとしたかもしれないし、みほの携帯にGPSを仕込んで居場所を把握したり、みほの登下校を電柱の陰から見張ったりということもしたかもしれない。

 勿論、すべては杏の勝手な想像の話であるし、杏だって本当にそうだと信じているわけではない。ただ、そういうストーカー染みたことをしそうな危うさが、桜からは感じられたというだけである。

 

 実際には、年ごろの男子らしく、柚子のおっぱいにどぎまぎしたり、華の髪の匂いにくらくらときていたりするのだが、杏にそれを知る術はない。まさか、実際どうよ、なんて酔っ払いのようなセクハラをかますわけにもいかないし、尋ねたところでぼろを出すような桜ではなかった。

 

 閑話休題。

 

「と、ところで井手上さん。その、スカートと言えば、その中には何を?下着は」

 

 柚子が尋ねると、桜は途端に遠い目になった。

 桜にとってその話題は、大洗での学園生活における、触れてほしくない事柄ベスト3に入る。そもそも、女装関係はだいたい触れてほしくない話題ばかりなのだが。地雷原というか、本人の身体中に爆弾がまき付いているようなものである。爆発すれば、被害が最も大きいのは桜本人だ。

 

「あの、…その質問に答える前に、ひとつだけいいでしょうか、小山先輩」

「う、うん、なぁに?」

 

 柚子が促す。しかし、桜は、なにやらもじもじと言いよどむような様子を見せた。

 柚子は、どうしたのだろう、と心配になり、杏は、なんとなく続きが読めたような気がして、にやにやと笑みを浮かべている。

 やがて、決心したように柚子のことを強く見つめた。

 

 

「どうして、大洗の制服はこんなにスカートが短いんですか!?」

 

 

 桜は、自分の太股の半分も隠せていないスカートを指して、悲鳴のような声をあげた。

 それに答えたのは杏だった。

 

「えー、可愛いじゃん。何か問題あった?」

「問題大ありです!内地の学校でもこんなに短いの風紀委員が黙っていませんし、それに、ここは海の上ですよ!少し風が吹いただけでぱん、下着が見えそうになるじゃないですか!?」

 

 勢い余って長テーブルを叩く桜。どうどう、と宥めようとする杏の姿があった。

 

「膝下とは言いませんから、せめて膝上5cmくらいになりませんか、これ」

「うーん。井手上ちゃんが制服を直すのは構わないけど、それ逆に周りから浮かない?」

「だから諦めたんです」

 

 不思議なことに、この学校の生徒は誰もこのスカートの短さに違和感を持ったりはしないらしい。大和撫子を体現したような華でさえ、スカートの丈はみんなと同じだ。おそらくは大洗(ここ)が女子校で、異性の目を気にする必要がないからだろう。だから、桜は幾度なくクラスメイトのパンツを見ている。いい加減に慣れた。

 

「で、パンツは?」

「言いたくないです。察してください。あと下着って言ってください」

 

 桜には、変態の汚名を被る覚悟はできていなかった。

 いや、言わないという時点で、杏たちにもなんとなく想像ができるというか、男物のパンツは穿いていないのだろうな、と分かってしまうのだが。だとしても、明言することだけは避けたかった。言わば、シュレーディンガーのパンツである。

 

 しかし、そんな桜の諦めの悪さを馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすように、杏はけたけたと声をあげて笑いだした。

 

「あっはっは!パンツパンツ!あんまり女子に幻想を抱かない方がいーよ、井手上ちゃん。女子だって下ネタは言うし、いろいろとだらしないからね。特に、ここは女子校だから。今後が辛いよ?」

「いえ、既に思い知っています」

 

 女系の西住家で幼い頃から生活してきた桜ではあるが、西住の家はどちらかというとお堅い気風の家である。私生活がだらしないということであれば、みほやまほで思い知っているが、それも片づけが苦手とかそういうレベルの話で、こうも開放的な雰囲気には覚えがない。あけっぴろげ、とでも言えばいいのだろうか。とにかく遠慮がなく、雑である。転校初日から、実は結構なカルチャーショックを体験している桜だった。

 

「だとしても、角谷会長たちは私が男だって知ってるわけじゃないですか。気になりませんか?」

「全然?」

 

 あっけらかんとした態度で杏は笑う。柚子は、私は少し、と遠慮がちに呟いた。女子としては、柚子が正しい。

 

「見た目は完全に女の子だもんねー。物腰も柔らかいし、男ってことも忘れそうになる。あとは、そうだねぇ。おっぱいがないね!」

「あってたまりますか!」

 

 桜は吠えた。

 杏は、あごに手をあてて、じろじろと桜の上半身を眺める。自然、桜が両手で自分の胸を抱くようにして身じろぐ仕草を見せた。やはり、これが男というのは間違っている。仕草は完璧に女子のそれであり、その場に居合わせた柚子などは桜に保護欲をかきたてられた。

 

「ふぅん。女装の定番と言えば、胸に詰め物、って聞いたこともあるけど、それはしてないんだねぇ」

「なんかもう、そこまでやったら終わりのような気がして」

 

 何を今更、という言葉を必死で我慢する杏と柚子。傍目にはスカートを穿いて女装をしている時点で行くところまで行っているような気もするが、本人的には譲れない一線のようなものがあるのだろう。たぶん。

 

「まぁ、これでも全然違和感ないから凄いですよねぇ。お化粧とかもしてないの?」

「変な注目を集めたくなかったので。風紀委員の目もありますし」

「ああ、それは正解だったかもね。うちの風紀委員は厳しいから」

 

 口頭注意くらいで済めばいいが、徹底的に調べられたら、どんなぼろが出るか分からない。身体中を触られたりしたら間違いなくアウトだ。杏も人のことを言えないが、強引なところがあると有名だった。

 

「ま、井手上ちゃんならそんなに心配はしていないけど、くれぐれもバレないようにしてよ?廃校の他に、大きな問題は御免だからね」

「言われなくても分かってますよ。私だって、警察のご厄介にはなりたくありませんから」

 

 ため息を吐きつつ、桜が言った。

 桜としても甚だ不本意ではあるが、女子校に通うと決めた以上、絶対にバレるわけにはいかない。最悪の場合、西住の家にも迷惑がかかるのだし。それに、警察に捕まってしまえば、以降みほの世話をすることは許されなくなる。何せ、世間からは女装をして女子校に入り込んだ変態と見られるわけだ。事情が事情とはいえ、西住の家にも世間体というものがある。

 

 尤も、事情を知っている杏や柚子の目から見ても、桜のそれは、とても男とは信じられない容姿である。人前で裸にでもならない限りはバレることはないと思われた。もしかすると、上半身を晒したところでバレないかもしれない。

 

「そういや、着替えとかトイレはどうしてるの?まさか、クラスメイトの前で脱ぐわけにはいかないよね」

「体育の時は、体が弱いと先生に話して見学にしてもらってます。そのための書類も、奥様に用意してもらいましたし。だから、着替えの必要はないんです。でも、お手洗いは、その」

 

 微かに頬を赤らめる。その反応で杏も柚子も事態を察した。

 

「ま、トイレは個室だし、井手上ちゃんなら変なこともしないだろうから、別にいいんだけどね」

「変なこと?」

「ほら、盗撮したりとか」

「しませんよ、そんなこと……」

 

 呆れたように桜が言った。

 その反応に、まぁ井手上ちゃんならそう言うだろうね。と一応の安心を感じた杏である。

 

「ところで、私を呼んだ用件って、結局何だったんですか?まさか、私の近況を確認するため、ということはないでしょうし」

「うん。それも用件のひとつなんだけどね。本題としては、戦車の話かな」

「戦車。戦車道のことですね。それで、結局何人くらい集まったんですか?」

「えーっと、何人だっけー。小山」

 

 でろん、とだらしなく椅子に身体を預けた杏が間延びした口調で柚子に尋ねる。間髪を入れず柚子が答えた。

 

「井手上さんを含めて19人です。もう締め切りも過ぎましたし、これ以上増えることはないかと」

「だってさー、井手上ちゃん」

「あのぅ、それ、前にも言いましたけど」

「うん?ああ、わーってるって。井手上ちゃんは戦車には乗せない。西住師範との約束だしねー」

 

 杏がぱたぱたと手の平を揺らした。

 桜が気にしたのは、戦車道のメンバーに桜がカウントされていることについてである。

 戦車道をするにあたって、現状集まった人数ではとても足りているというとは言えないのが実情だ。それこそ、大っぴらに誰でもいいと言うわけにもいかないが、素人であってもやる気のある生徒なら大歓迎である。まずは頭数を揃えることが先決なのだ。

 しかし、桜には戦車に乗れない事情というものがあった。

 

 桜とて、戦車道に興味がないというわけではない。むしろ、一般人よりも戦車道に縁深い家で育ってきたのだし、なにより、敬愛するみほやまほが心血を注ぐ競技である。訓練や試合の様子をみほから聞くのは桜の楽しみのひとつだったし、実際に足を運んで応援に行ったこともあった。しかし、しほは桜が戦車に乗ることをけして許しはしなかった。どころか、戦車道に関わる事柄から徹底して遠ざけようとした節がある。

 それは、やはり戦車道は女子の武道だということが深く関係した。仮に桜がその道に進みたいと思ったところで、男子というだけの理由で将来の道は確実に閉ざされる。プロアマ問わず、選手はおろか指導者でさえ男性の姿は一つもないのだ。ならば、最初から関わり合いなど持たせるべきではない。というのが、しほの考えであった。

 

 そのことを桜はよく理解していた。理不尽であると思ったことはない。桜は早熟で、賢い子供だった。

 ともすれば、観戦も禁止されそうなものだが、桜が見たいのは戦車に乗っているみほやまほの姿であって、戦車そのものではなかった。いくら観戦を繰り返したところで戦車にも戦術論にも詳しくならなかった桜を見て、しほも観戦くらいはいいか、と許したようである。

 

「一応、私たちもやるつもりだから、全部で22人だねぇ」

「へぇ、生徒会の皆さんも参加するんですか」

「そりゃあ、言い出しっぺだからね」

 

 桜が言うと、杏は当然とばかりにうなずいた。

 しかし、直後に肩を竦めてこう切り出した。

 

「と言っても、あんまりでしゃばらないようにするつもりだけどね。西住ちゃんにはのびのびとやってほしいし。うちらが旗振っちゃったら、西住ちゃん、やりづらいでしょ?」

 

 確かにみほは大洗唯一の戦車道経験者だが、二年生で、しかも転入してきたばかりの、言ってしまえば新参者だ。たいして生徒会は3人ともが3年生である。遠慮、をするかは置いといたとしても、他の生徒がどう思うかは分からない。ならば、頼りない生徒会を演出して、実績のあるみほに権限を委譲するという流れのほうが混乱も少ないだろう。尤も、演出するまでもなく、早々と桃の仮面ははがれるだろうが。

 

「その配慮はありがたいですが、対外的な折衝はお願いしますよ。お嬢様も、そういうことは経験がありませんから」

「勿論勿論。その辺は河嶋に任せてるよー」

「え?」

 

 桜は、何か聞き間違いをしたかと思った。

 

「そんな顔をしなさんな。井手上ちゃんの心配も分かるけど、あれで広報としては優秀な奴でね。イベントの企画、手配、宣伝。まぁ、その辺りは意外とうまくやれるんだよ。ただ、戦車道のこと、ってなるとはじめてだから、分からないことだらけだろうし。井手上ちゃん、サポートよろしくね」

 

 杏がにしし、と笑った。

 杏の様子に嘘は見えない。尤も、息を吸うように嘘をつくのが杏の得意技だ。嘘だったとして、桜に見抜けるとは思えない。嘘を嘘と見抜けない以上、嘘を言っていないと信じるしかなかった。

 

「会長がそうおっしゃるのなら、信じますが…。でしたら、そうですね。できればエキシビションのようなものを早めにやりたいです」

「ほう、その心は?」

「お嬢様が戦車にお乗りになる姿を見たい、というのもありますが。一番は、それが手っ取り早いからです」

「手っ取り早い?」

「どんなに西住流の娘。黒森峰の元副隊長、と口で言うよりも、一回見せてしまうほうが説得力があるでしょう?相手は素人ですから、万が一ということもありませんしね」

「おお、黒い黒い」

 

 桜が、にやりとあくどい笑みを浮かべると、杏がそれを囃し立てる。じゃあ、それでいきましょう。とスケジュールを組み始めるあたり、柚子も大概()()性格をしているようだった。

 

「それと、履修者と戦車のリストがあれば見せてください。軽く周囲を洗います」

「ああ、うん」

 

 杏は軽く桜の発言にひいていた。杏の想像は、けして想像というわけではなかったのかもしれない。

 すると、おずおずと柚子が桜に話しかけた。

 

「ええと、ごめんね。井手上さん。履修者のリストはあるんだけど、その」

「どうしました、小山先輩」

「あのね。戦車のリストはないの。昔使っていた戦車の記録はあるんだけど、ほとんどが売られてしまって。でも、その数が合わないの。売ったり、処分したりすればその書類があるはずだから。だから、たぶん、どこかにはあるんだと思う」

「う、うぅん?あー、つまり?」

 

 桜は嫌な予感がした。予感というか、空気から察したようなものだが。

 杏が、あっけらかんとした口調で言った。

 

「戦車の実物はいっこだけ。あとは、行方不明だね」

 

 途方に暮れるとはこのことだった。

 




おまけ

さくら「ところで、戦車が見つかったとして、その整備は誰が?自分たちでやるのも限界がありますよ」
あんず「ああ、うん。その辺は自動車部に依頼するから大丈夫」
さくら「じ、自動車部?えっと、戦車と自動車ではだいぶ勝手が違うと思うんですが…」
ゆず「大丈夫よ。地元の自動車工場にも手伝いに行っているみたいだし。腕は確かだから!」
さくら「いや、それ何の理由にもなっていないんですが…」

 杏と柚子はにっこりと笑う。
 二人の笑顔に気圧されて、桜は、考えるのを止めた。


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