そのときはじめて、その人の真の人柄が判断できるのです。
「え、……はぁ!?クレーン車ぁ!?」
生徒会室に杏の叫ぶような声が響き渡る。
それは、杏にしては珍しいことだった。
杏は、携帯を片手に何事か報告のようなものを受けていた。
杏としては、それを報告とは認めたくない。
しかし、電話の向こうの阿呆は、至極真面目に話をしているつもりらしかった。
曰く、バレー部が戦車を見つけたらしく、その報告が桃に入ったということだった。桃も、いくら阿呆とはいえ、広報の仕事を任されるくらいだ。報告を受けるくらいのことは朝飯前である。どこでどういうものが見つかったか。その状態。状況。そういったことを具に報告させた。
この場合、桃を責めることは間違いであろう。
杏は、携帯を耳に当てながら、空いた左手の人差し指をぐりぐりと自らの眉間に押し付けた。
戦車が見つかったということは良い。良い報告だ。しかし、問題はそれが見つかった場所だった。
切り立った断崖の中腹。周りには戦車が通れるようなルートはない。どころか、人が歩いていけるような場所でもない。バレー部がどうやって見つけたのかと聞けば、ラぺリングで崖を降下したというのだから驚きだ。彼女らは特殊部隊か何かか?
果たして、崖の中腹に洞窟があり、その中に戦車が転がっていたというのである。
桃がクレーン車を使いたい、と言い出すのも道理だと思った。しかし、現場を見てみないことには断言はできないが、たとえクレーン車を使ったところで回収することは無理だろう。どう控えめに計算したところで、
もはや、下手に回収するよりも、中古で戦車を買ったほうが安いのでは?と思ってしまうほどだ。
「とりあえず、回収方法は保留。バレー部はさっさと切り上げさせて。…念のため聞いておくけど、けが人はいないよね?」
『はい。授業が終わったら、体育館を貸してほしいと言われました』
「あー…、後で他の部活に掛け合ってみる、って言っといて」
『分かりました』
桃の了解の声が聞こえて、杏は通話を切った。
当然だが、体育館の使用を他の部活に掛け合うつもりはなかった。
いや、彼女たちの功労を考えれば掛け合うのも吝かではないが、それにしたって戦車を見つけた手段がラぺリングである。杏はラぺリングなど当然したことはないから、それの大変さが理解できているとは言い難い。しかし、彼女たちは特別な訓練を受けたレンジャー部隊ではないのだ。体への負担を考えれば、今日はさっさと家に帰って休んでもらった方がいい。
「河嶋先輩からですか?」
桜が尋ねた。
「そ。バレー部が戦車を見つけたってさ」
「それにしては、反応が普通じゃなかったですけど…」
先ほどの痴態とでも言うべきか、大声をあげ、頭を悩ませていた杏の姿を思い出しながら柚子が呟く。杏も、まぁね、と言いながら頬をかいた。
しかし、訳を話せば、柚子も桜も苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「それは、その、なんというか…」
「うん、まぁ。行けそうな業者に片っ端から電話してみるよ」
杏は沈痛な面持ちだ。当初、運搬は自動車部に任せようと思っていたのだが、流石に今回は彼女たちの手に余るだろうと思われた。
しかし、これで戦車を見つけたのは3チーム目だった。
それは、大いに喜ばしいことである。
意外にも、最初に戦車を見つけたのは1年生チームだった。
なんでも、ウサギ小屋の中に放置されているのを見つけたということである。飼育委員経由で情報を手に入れたらしい。すっかりウサギの住処になっているということだが、状態はそれほど悪くないと聞いている。飼育委員が定期的に掃除していたおかげかもしれない。
2番目が歴女の4人組だった。
これまた見つけた場所が驚きで、なんと池の底で見つけたと報告があった。昨年の選択科目で忍道を取っていたのが役に立った、ということらしいが、水遁でも披露したのか。杏としては、その戦車が池の底でどれだけの間放置されていたのか、ということが気がかりだった。
杏は、生憎と戦車の機構だとか、整備については全くの素人だ。ネットで調べられる程度の知識しか持っていない。そのため、整備についても自動車部に丸投げするつもりだが、果たして、年単位で池に沈んでいた戦車は整備したところで動くものなのだろうか。少なくとも、バッテリーをはじめとした電装周りの機器類はすべて使い物にならないだろう。これも、修理して使うくらいなら、中古の戦車を探したほうが安いような気がした。
「残るは、お嬢様のチームですか」
桜が呟く。
桜の言う通り、みほたちのチームだけが未だ戦車を見つけられないでいた。
「ほんと、幸先が悪いというか…」
正直なところ、杏としても他の3チームが戦車を見つけられたことは、寧ろ出来すぎと思っているくらいだった。正真正銘、当てもなく送り出したのだ。まさか、たった半日の捜索で3輌も戦車が見つかるとは想定外である。杏は、生徒たちのバイタリティを侮っていたのかもしれない。
「こりゃあ、マズイかもね」
杏は、見つからないのならそれはそれで仕方ないと思っている節があった。言ってしまえば、今日の戦車捜索の時間はレクリエーションのようなものだ。最悪、他に回している予算をかき集めてでも、戦車を購入するという手段も考えていた。どうせ生徒会の悪評は学校中に知れ渡っていることだし、今更だ。多少、評判が悪くなったところで気にするようなことでもない。
しかし、他の3チームが戦車を見つけられてしまった、というのは、少々マズかった。特に、残ったのがみほと優花里のチームというのが最悪だった。よりにもよって、というやつである。
「変に拗れないといいんだけど…」
杏は、生徒会室の窓から空を見上げた。
遠い目をしながら、神様に祈ることしかできない。我ながら、都合のいい時ばかり神頼みだなぁ、なんて考えながら。
◆
「…はぁ、困りましたね」
さて、杏たちがみほと優花里の仲を心配している頃、案の定とでも言うべきか、優花里はみほたちと離れ、ひとりぼっちで項垂れていた。
困ったことに携帯も充電が切れていて、誰かに連絡を取ることもできない状況だ。助けを呼ぶこともできない。
「痛っ…」
動こうとすると、捻ってしまった右足首から激痛がはしる。あまりの痛みに涙が零れそうだった。とてもではないが、歩くどころか、立つことすらできそうにない。
「まさか、足を滑らせてしまうとは…」
優花里はふぅ、と息を吐いて、地べたに腰を下ろした。スカートが汚れてしまうが、緊急事態だ。そもそも、既に体中傷だらけで、制服もあちこちが破れてしまっている。
優花里は、自分が足を滑らせた場所に目を向けた。
そこは、優花里が今座っている地面よりも目測で80㎝くらいは高い場所にあった。小さな山、とでも言えばいいか。或いは、高さは足りないが崖と表現してもよいかもしれない。斜面はすっかり雨風で削れたのか、ほとんど直角で、下から見れば壁のようになっていた。
優花里は、その上から落ちたのだ。
普段であれば、そんなヘマはしないつもりだが、かっかと腹を立てながら、ぶつくさと文句まで呟きながら歩いていたことと、夕暮れも迫り、日が落ち始めていたこともあって、優花里は目の前に道が続いていないということに気がつかなかったのである。
幸い、然程高さがなかったことと、土や葉っぱなどがクッションになったおかげで優花里が大けがをすることはなかった。しかし、どうやら足を挫いてしまったらしい。優花里はひとりで行動していたので、これには困った。
(誰か見つけに…は、来てくれないでしょうねぇ)
優花里がひとりで行動しているのには、理由があった。
というのも、最初は優花里も、みほたちと一緒に行動していたのだ。
流石に一人で行動するのはマズイと思って、気は進まなかったが、みほと一緒にいる沙織や華に声をかけた。ほぼ唯一、戦車道の履修者の中で見知った顔は彼女たちだけだったのである。すると、みほだけはやはりというか、嫌そうな顔をしたが、沙織と華は笑顔で歓迎してくれた。人手は多い方がいいよ。と、みほのことも説得してくれたのだ。
そんなこんなで一緒に行動する以上、たとえ気に食わない相手であっても喧嘩をするわけにはいかないと、優花里は少しだけみほと距離を置きながら戦車の捜索に加わった。
しかし、残念ながら、戦車の捜索は順調とはいかなかった。
「うがーっ!かゆいっ!虫に刺されたーっ!?」
森の中を歩く、みほと沙織と華と優花里の4人組。なんの意味があって学園艦の上に森なんかを作ったんだ、と思わずにはいられないが、戦車が廃棄もされず放置されているのだとすれば、それは一目につかないような場所にあるだろうと当てを付けたのだった。
いい加減、森の中を歩き続けるのにも疲れた頃だったが、しつこい虫の羽音にもいら立つ気持ちを助長されていた。
もう、我慢できない。沙織が叫んだ。
「あ、それなら、虫刺されの薬を持っていますから、使ってください」
「え、本当?」
優花里がどこに持っていたのか、虫刺されの薬を取り出した。
「ありがとー。助かったよー」
「どういたしまして」
慣れた手つきで薬を塗ると、お礼を言いながら沙織は優花里に薬を返す。
すると、みほがむすぅっ、と頬を膨らまし、機嫌を悪くするのだった。それを見かける度、沙織と華が、まぁまぁ、と宥めるのだが、それも優花里からすれば面白くない。
みほは今のところ、ボコられグマなるキャラクターのテーマソングを歌いながら、森の中をひたすら勘に任せて先導するのみで全く役に立っていなかった。杏たちに渡された地図を一度だって開こうともしていない。
一方で優花里は、今のように虫刺されの薬を持ってきていたり、森での歩き方をアドバイスしたりと、みほに比べれば役に立っているという自覚があった。
それを、沙織も華も、友人だからという理由でみほばかりを贔屓して甘やかすのだ。これには、まったくひどい仕打ちだと思った。
(やっぱり、私の友達は、井手上殿だけですね)
桜ならば、自分を蔑ろにはしないだろう。そんな風に優花里は考え、戦車を見つけたなら、自分のことをどんな風に褒めてくれるだろうかと夢想した。
しかし、もしもこの場に桜がいたならば、沙織や華以上にみほのことを贔屓しただろうし、甘やかしただろう。学校や通学路では周囲の目もあるため、優花里を粗雑にあしらうわけにもいかなかったが、実のところ、みほの一番のシンパは桜である。幸いとでも言うべきか、優花里は桜の本性を目の当たりにしたことはなかった。
それはさておき、戦車の捜索は楽ではなかった。
本当にあるかも分からないものを探しながら、歩き慣れない森の中を一心不乱に歩き続ける、というのは、想像以上に気力を削る苦行である。ある程度、ゴールのようなものがあれば違ったかもしれないが、生憎と目的地は定かではない。湿気とか、虫の羽音とか、それに加えて、一向に戦車が見つからない、というストレスやら焦りやらが溜まってしまい、やがて、風船が割れるかのように破裂した。
きっかけは本当にくだらないことである。
確か、分かれ道をみほが勘で選んで進んだ結果、途中で舗装された道が無くなってしまった時だった。
優花里が、「違いましたね」と言ったのだ。
それに、みほが噛みついた。
ふたりにも乙女の尊厳というものがあるので、詳細にどんな言い合いが起こったのかは割愛させてもらうが、簡潔に言うならば、互いに互いを痛烈に罵倒し合ったのである。そこには、戦車の捜索のことだけでなく、桜についてのことだとか、まぁ、大いに関係のない私情も混ざっていた。
当然、華と沙織は止めに入った。このときばかりは、華もタイマンだとかおどける気力はなかったようである。ふたりは手分けをして、みほと優花里、それぞれを宥めようとした。
それが、優花里の気に障ったのである。沙織たちからすれば、片方を落ち着けたところで意味がないと判断してのことだが、優花里はすっかり沙織たちがみほの味方をしている、贔屓をしていると思い込んでしまった。悪いのはみほで、自分はなんら悪いことはしていない。こんな扱いは我慢ならない。そんなことを言って、ひとりでずんずんと違う道を歩き出したのだ。
優花里は、とにかくみほたちからさっさと離れたい一心だった。そのため、舗装もされていない道を進んで、どんどんと森の中へと入っていってしまう。流石に木々の生い茂る森とはいえ、学園艦の上だ。危険な獣が生息しているということはない。けれど、奥へ踏み入れば踏み入れるほど、道は歩きにくく、そして、自分がいる場所も分からなくなっていった。
そして、そのうちに足を踏み外して、今に至るのである。
冷静になれば、自分も言い過ぎたとは思うし、沙織たちの行動も理解できる。ひとりで盛り上がって、勝手に飛び出してきたのだ。まさか探してくれるとは思わないし、どんな顔で助けを求めればいいのか。
いや、携帯も使えないので、打つ手はないのだが。そもそも、彼女らの連絡先はおろか、生徒会も、桜の連絡先すらも知らなかった。
流石に授業の終了時間までに戻らなければ、生徒会あたりが優花里がいないことに気が付いて捜索隊を寄越してくれるだろうが、それまで優花里は、森の中で足を捻った痛みに耐えながらひとりぼっちで過ごすことになる。心細くて泣きそうだった。
(また、失敗してしまいました)
いつも自分はこうだ。優花里は、致命的に集団に溶け込むことが苦手だった。
人と話すことが怖いとか、自分のことを話すことができなくて孤立するとか、そういう苦手意識はなかった。ただ、空気を読むということは苦手だった。
むしろ、優花里は自分のことを語りたがる性質だ。好きなことであれば饒舌すぎるくらいに話し出すし、その場合に、相手が見知らぬ相手であることなどお構いなしである。
落ち着いて、相手の話を聞く。そういった受動的なコミュニケーションの能力に欠けていた。だからこそ、優花里の周りから人が離れていったのである。
その点では、実は、優花里とみほは似た者同士だった。
みほは、幼い頃から自分勝手のわがまま大王である。自分の思い通りにならないことは大嫌いで、自分の欲望に忠実だ。高校生になった今でも、その本質は変わっていない。人の話なんてどうでもよくて、自分の話ができれば満足である。
そんな彼女の周りから人が減っていかなかった理由など、周囲の人間が大人だったということに尽きる。周囲まで子供だったなら、きっと喧嘩になっていただろう。その実例が、優花里とのコンタクトである。
詰まるところ、どちらも不器用なのだ。
相手に合わせるということができない以上、満足のいくまで互いにぶつかり合うしかない。行くところまで行って、分かり合うか、もしくは、拒絶し合うかのどちらかだ。
そういう意味では、ふたりが息をするように喧嘩をしてしまうことも、必然というか、必要なことなのかもしれなかった。
(仲良くしたい気持ちが、うん、ないわけではないんだけど)
もともと、優花里は戦車道のファンである。そして、西住みほは戦車道界隈では有名な選手だ。憧れの相手と言っても過言ではない。けれど、今の優花里には井手上桜しか見えておらず、それ以外は二の次、三の次というのが本音だった。
そもそもが、優花里にとって桜は、生まれてはじめての友人であるために上手く距離感がつかめていないし、普通の友人なら、どのくらいの速度でその距離を詰めるべきなのかということも分かっていない。頼りになるのは、偏見にまみれた己の歪んだ知識のみである。
それが盛大に失敗しかけていることなど、優花里には気づけるはずもなかった。
「何がいけないんだろう…」
「全部じゃない?」
優花里が弱音を吐いていると、人の声が聞こえた。
まさか言葉が返ってくるとは思っていなかった優花里は、当然ながら驚いた。
びくりと跳ねるように反応して、声のした方へ視線を向ける。そこには、呆れたような顔をした西住みほが立っていた。
「にし、ずみ殿…?」
「まったく。ひとりでどこに行ったのかと思ったら、こんな森の中まで…。秋山さんは、もしかしてお馬鹿さんなのかな?」
優花里には返す言葉もなかった。
「…はぁ。足、片方だけ伸ばしてるってことは、痛めたんでしょ。見せて」
そう言って、みほはしゃがみこんで、優花里の足首を触り始める。存外、慣れた手つきである。持ち上げたり、軽く押したり、携帯の光で手元を照らして、足の腫れの状態を確認したりした。
「腫れはそんなに酷くない。触っていなくても痛い?」
「じんじんします」
「押したり、捻ったりすると、痛みは増す?」
「涙が出そうになります」
そっかそっか。そんな風に呟いて、みほは優花里に寝っ転がるように指示を出した。
「下は地面なんですけど…」
「いいから。言う通りにしなさい」
有無を言わせぬ口調である。尤も、すでに地面の上を盛大に転がった後だ。髪を地面につけることは少し嫌だが、制服が汚れることに関しては今更である。
意を決して、優花里は地面の上に仰向けになって転がった。
すると、みほは、その手に持っている優花里の足首を少しだけ持ち上げた。みほ自身も、スカートが汚れることなんて気にせずに、地べたに正座をする。持ち上げた足首は、ゆっくりとみほの膝の上に乗せられた。
「わたしはお医者さんじゃないから、滅多なことは言えないけど。たぶん、軽い捻挫だよ。靭帯が切れてる、ってことはないだろうから、安静にしてればすぐに治ると思う」
「そ、そうですか…」
みほがやっていることは、捻挫の場合の基本的な応急処置だ。本来は、患部を冷やすことが大事なのだが、生憎と濡れタオルもなければ水筒の類も持っていない。しかし、そのままに放置していれば、人体の体の機能としてケガをした箇所には血液が集まってきてしまうものである。すると、痛みが悪化するのだ。最悪、腫れや内出血まで引き起こす。そのため、血が集まらないよう、心臓よりも高く上げておくことが大事だったりする。
「ちょっとは楽になった?」
みほの口調は穏やかなものだった。少し前には、感情に任せて喧嘩をしていた相手とは思えない。
「西住殿は、どうして…」
「秋山さんを探しに来たんだよ」
優花里には信じられないことだった。
優花里はみほと喧嘩をしていたのだ。みほには当然嫌われていると思っていたし、何なら優花里はみほのことが嫌いになりかけていた。
「他のお二人は…」
優花里はふたりの名前を呼ぼうとしたが、さて、どんな名前だったか思い出すことができなかった。とんだ薄情者である。
「森は広いからね。連絡なら、携帯があればできるし」
そう言いながら、携帯を持ったみほの指は機敏に動いている。おそらくは、沙織か華にメールを打っているのだろう。
みほは、優花里に目も向けることもなく、その携帯を優花里に向けて突き出した。
「……は?」
その画面には、発信中の文字が躍る。――繋がった。
『秋山さん、無事!?』
携帯の向こうから大音量で沙織の声が聞こえた。
それはとても焦ったようなもので、まるで優花里のことを心配しているように聞こえる。
優花里は、そんなことはありえないと思った。何かの間違いだと思った。
だって、優花里は薄情者なのだから。
優花里と沙織は、友達ではないはずだ。
「ええと、大事ないです」
『本当!?本当に本当!!……良かったぁ』
絞り出すような声。優花里は困惑した。
これまでの人生において、親以外にこれほど心配されたことはなかった。
『勝手にいなくなるから、心配したんだからねっ!』
沙織が怒ったような声を出す。けれどそれには、どこか優しい響きが混じっている。優花里のことを責め立てるような口調ではない。
『すぐに向かいますから、少し待っていてくださいね』
電話の向こうから、今度は華の声がした。
どうして。この人たちは、みほの味方ではなかったのか。
自分のことは、邪魔者に思っていたのではなかったか。
優しい言葉をかけてくれる、その理由が、優花里には皆目分からなかった。
「こんなの、別に普通のことで、特別なことじゃないよ」
電話を切ってから、みほが言う。
「友達なんだから。探しにくるのは当然でしょ」
「友達、なんですか…?」
優花里は、目を丸くした。
すると、みほはそっぽを向く。
「…さぁ。わたしは、違うと思ってるけど。秋山さん、意地悪だし」
そして、それきり、ふたりは黙りこくってしまった。
優花里は仰向けのまま空を見上げ、みほはそっぽを向いたまま、けれど、優花里の足首は離さなかった。
優花里は、何か話さなければ、とは思うのだが、言葉がでてこない。それこそ、感謝か謝罪か。そのどちらかをするべきだと頭では分かっているのだが、言葉にしようと思うと引っ込んでしまうのだった。
「秋山さんは、さ」
沈黙を破り、ぽつりと話し出したのは、みほだった。
「桜ちゃんのこと、好きなの?」
「ふぇ…?」
途端、優花里の顔は真っ赤に染まった。
「そ、そそそそそ、そんな。すす、好きとか、そんなの…」
優花里は目をぐるぐると回し、焦ったみたいに手をわたわたとさせて何もない空中をひっかいたりしている。
ばたばたと動くせいで、ケガをしているはずの足にみほは蹴り飛ばされそうになった。
「ああ、もう。大人しくしてよ、危ないなぁ」
文句を言おうと、みほは優花里の方へ視線を向けた。
そこには、顔を茹蛸のように赤くして、今にも気を失いそうになっている優花里の姿があった。
その反応を見たみほは、たぶん、自分と同じだな。と答えを出した。
文句を言おうとした口は、言うべき言葉を失って、その代わりに、誰にも言ったことのなかった心のうちを吐き出した。
「わたしは好き。桜ちゃんのことが、好き」
じぃ、っと優花里のことを見つめて、みほが話す。
優花里は、自分が告白されているんじゃないかと勘違いしてしまうほど、みほの瞳は真剣そのものだった。
「ずっと昔から一緒だったから。もう、桜ちゃんのいない毎日なんて考えられないよ」
「西住殿…」
「秋山さんは、桜ちゃんと仲良くなったのなんて昨日のことでしょ。それまで、桜ちゃんはいなかったんでしょ。だったら、いいじゃない。…桜ちゃんがいなくても、いいじゃない」
みほは、今にも泣きそうになっていた。
それはまるで、親とはぐれた子供みたいだった。
「桜ちゃんを、取らないでよぉ…」
それは、みほの本音だった。
罪悪感のようなものが、優花里の心の中に芽生えた。
けれど、優花里にも譲れない理由というものがある。
みほに比べればちっぽけで、人には笑われてしまうかもしれないけれど。
それでも、優花里だって、桜のことが好きなのだ。桜しか、いないのだ。
優花里は、みほの視線から逃れるように、頭をすっかり地面につけて空を見上げた。
「私は、ずっと友達がいませんでした」
今度は、優花里の番だった。
「人とは話が合わなくて、話しかけても面白くなくって。そのうち、ひとりでもいいかな、って思うようになりました。だけどやっぱり寂しくて。今は我慢だ。高校を出たら、大学に行って、好きなことに打ち込もうって。そうしたら、友達ができるんじゃないかって。そのために、ひとりで色々やってみたけれど、だけど、やっぱり不安で。…そうしたら、井手上殿は褒めてくれたんです。秋山さんは、凄いって。秋山さんは、頑張り屋だって。それが、嬉しかったんです」
言葉はまとまっていなくて、ぐちゃぐちゃだった。はじめて聞くみほには、きっと優花里の言葉の意味は半分も分かっていないだろう。けれど、優花里の声が弾んだのを聞いて、どれだけ桜が優花里の救いになったのか、なっているのか。みほには分かってしまった。
「…そんなの、桜ちゃんじゃなくてもよかったじゃない」
「そうですね」
優花里は、みほの言葉を肯定した。
「きっと、その言葉をくれるのは、井手上殿じゃなくてもよかったんです。もしも、それが西住殿だったら、私はきっと、西住殿のことを好きになっていたでしょう」
「それじゃあ――」
「
だけどそれは、敗北の宣言を意味しない。
諦めるつもりなんて、優花里にはない。
「それでも、都合のいい言葉をくれたのは、井手上殿だったんです」
誰でもよかった。それはその通りだ。声をかけてくれるなら、それは誰でも良かった。
けれど、ずっとずっと、その誰かは現れてはくれなかったのだ。
待って、待って、待って。待ちくたびれた果てに、ようやく声をかけてくれた誰かこそが、井手上桜だったのだ。
欲しくて欲しくて堪らなかった言葉をくれたのが、桜だったのだ。
「運命だと、そう信じてもいいじゃないですか」
ああ、きっと。みほにも宝物のような思い出があるように、優花里にとっては、昨日の出来事こそがそれなのだ。
みほは、嫌だなぁ、と思う。
桜を取られることは、本当に怖い。想像するだけで、恐ろしくて恐ろしくて堪らない。きっと、井手上桜がいなくなってしまったら、この「西住みほ」は死んでしまう。
そしてそれは、
井手上桜という、甘い毒に溺れてしまった。
桜を失うことの怖さを、みほは誰よりも知っている。
だからこそ、みほは優花里が恐ろしかった。
みほはわがまま大王だ。
自分の思い通りにならないことは大嫌いで、自分の欲望に忠実だ。
だけど、人の心が分からないほど、人でなしではなかった。
「
優花里は、目をぱちぱちと瞬かせた。
優花里には、みほの言葉が処理できない。
かち、かち、かち。と頭の中で音が鳴る。
随分とかかって、優花里の頭の中のコンピュータが煙と一緒に計算の結果をはじき出した。
「あの、それって…」
「桜ちゃんはあげないからっ!あげない…、あげないけど…」
みほの声はしりすぼみにどんどんと小さくなっていく。最後は、耳をすまして、ようやく聞こえるような声量だった。しかし、優花里にはそんなことは関係なかった。期待に満ちた瞳で、優花里はみほの言葉を待った。
やがて、小さな、小さな声で、みほは言った。
「話しかけるだけなら、許可してあげる…」
満面の笑みで、優花里はお礼を言った。
それは、ふたりのことを探していた沙織たちにも聞こえたらしかった。
◆
そして、次の日のことである。
倉庫の前に戦車が並ぶ。
みほたちは、体操服姿でホースやらブラシやらを手に持っていた。
「とりゃああああ!」
「わぷっ!?」
みほの楽し気にはしゃぐ声が聞こえた。
優花里は足首が治りきらず、戦車の上にのぼることは許されていなかった。しかし、歩くくらいは問題ないということで、地面に足を付けて、届く限りの箇所をブラシでこする。
すると、不意にみほがホースを振り回して、盛大に水をぶっかけたのだった。おかげさまで優花里はすっかり濡れ鼠だ。
「いきなり、何をしやがりますかっ!?」
「あははー。
「あなたがやったんでしょうがぁ!?」
優花里が吠え、みほは笑いながら逃げていった。
あれから、沙織たちと合流したみほと優花里だが、すぐ近くで偶然に38tという戦車を発見した。華が、鉄の匂いが近いと言ったのだ。
辺りはすっかり暗くなっていたが、華の嗅覚ならば問題なかった。
そして、授業はとっくに終わった時間だったが、戦車を見つけたと生徒会に報告が入った。
これには、杏も胸を撫でおろしたことだろう。
さて、肝心要のみほと優花里の仲であるが、喧嘩をしているようと言えば、依然、喧嘩をしているようにも見えた。しかし、表情は楽しそうというか、すっかり険が取れている。
杏が視線を向ける先では、濡れ鼠になった優花里が沙織に羽交い締めにされて、みほは華の後ろに隠れて舌を出していた。
「これは、うーん…。仲良くなったのかな?」
「ええ、おそらく。お嬢様も楽しそうにしてらっしゃいます」
桜が言うのであれば、そうなのだろう。杏は、みほに関する一切は、桜を信用することに決めている。
「…ところで、今日の朝も秋山ちゃんと一緒に登校したって聞いたけど?」
「ええっと、まぁ。お嬢様も楽しそうにしてましたから」
苦笑しつつ、桜が言う。
杏は、導火線の火はついたままみたいだねぇ、と呟いた。
最悪の事態は去ったと思ったが、どうやら先延ばしにされただけのようだった。
杏は肩を竦め、干し芋片手に歩き出す。
「リア充爆発しろー」
ただし、自分の見ていないところで、だ。
自分が卒業した後でなら、好きにやってくれという気分だった。
おまけ
みほ「ところで秋山は、女の子が好きな人?」
ゆかり「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……。でも、そういうことになるんですかねぇ?」
いろいろと吹っ切れた優花里は、えへ、えへ、とにやけ面を抑えられないようだった。
みほは言うべきか言わないべきか悩んで、まぁ、いいか。と投げ出した。